ドラゴンは滅びない




破滅の夜明け



 ギルディオスは、動揺していた。


 だが、何も出来なかった。昨夜から泣き続けているフィリオラを、支えることぐらいしか出来ることはなかった。
手狭な食堂は散らかったままで、フィリオラは食卓のリリの定位置に座って項垂れて、声を殺して泣いている。
ギルディオスはその隣に座り、フィリオラの肩に腕を回していた。そんなことでは、彼女の苦しみは和らがない。
だが、それ以外に出来ることがなかった。彼女の夫であるレオナルドは、リリを探しに出たがまだ帰ってこない。
もうしばらく、戻ってこられないだろう。その間、悲しみに暮れるフィリオラを一人にするのはあまりにも哀れだ。
 リリが姿を消した。ブラッドやロイズらに、ポール小父さんにあげるお花を摘んでくる、と言い残して出掛けた。
それから、リリは戻ってこなかった。出掛けたのは午前中だったが、昼になろうと日が暮れようとも帰らなかった。
ブラッドは、リリと一緒に行かなかったことを激しく後悔している。ロイズとヴェイパーもまた、ブラッドと同様だった。
リリを一人で遠出させたことなど、今まで一度もない。ブラッドが一緒に行こうと言う前に、リリは出掛けてしまった。
 どうせいつもの場所に行くのだから別に心配しなくてもいいだろう、とブラッドは思い、その日の仕事に向かった。
街の外へ向かうリリと行き違ったロイズとヴェイパーも、すぐに戻るから後で遊ぼうね、との彼女の言葉を信じた。
 しかし、リリは夜になっても帰ってこなかった。さすがにこれはおかしいと思い、ブラッドはリリを探しに行った。
いつもリリと行く池に行ってみると、その池の周囲は全て焼き尽くされて真っ黒になっており、血溜まりがあった。
焼け跡は綺麗な円形になっていたが、中心と思しき部分だけは焼けておらず、その部分だけ緑が残っていた。
明らかに、リリが炎を発した痕跡だった。念力発火能力を有しているが制御が不完全な彼女が、暴走したのだ。
血溜まりの血を舐めたブラッドはこれがリリの血ではないと察したが、死体もケガ人もいないことが気に掛かった。
そして、この火災の発生源であるリリがいないことも。焼け跡の近辺をくまなく探してみたが、どこにもいなかった。
接触感応能力者のアンソニーも調べてみたのだが、リリの発した念波が強すぎて情報が吹き飛んでしまっていた。
リリが誰と会い、何と遭遇し、どんな切っ掛けで炎を発し、どこへ行ったのか。それらの何一つ、解らなかった。
 あれだけの炎を発したのであれば、異能力が不安定なリリは過熱して動けなくなるはずだが、どこにもいない。
池に浮いていることもなければ、森にもいなかった。匂いを辿ろうにも、池の周りが焼けていたせいで辿れない。
どこにいるのか、全く解らなかった。手掛かりもなかったが、それでも皆はリリを見つけ出そうと必死に探している。
けれど、未だに見つけ出せなかった。小さくて可愛らしく、時に悪戯もするが心優しい一人娘は消えてしまった。

「リリ…」

 フィリオラは、テーブルに額を擦り付けるように突っ伏した。

「お願い、帰ってきてぇ」

 フィリオラの声は掠れ、疲れ果てていた。ギルディオスは、彼女の背を優しくさする。

「大丈夫だ、きっと帰ってくる」

「レオさんは、まだですか?」

 フィリオラは怯えに震える瞳を上げ、ギルディオスを見上げる。

「まだだ。それだけ、レオも皆も頑張っているってことさ」

「ああ…どうして…」

 フィリオラは、祈るように両手を組む。血が滲むほど強く、爪を手に食い込ませる。

「神様は、そんなに私達が憎いのですか? 私達が普通に生きることは、悪いことなのですか?」

「落ち着け、フィオ」

「この世に神がいると言うのなら、首でも魂でもなんでも差し出して、許しを請うてやりましょう! それで許されると言うのなら、喜んで首を刎ねられようじゃありませんか! それでも許されないというのなら、私は竜と言わず悪魔にでもなんでもなりましょう! 何であろうと、殺してやりましょう! そうですよ、そうすればいいんですよ!」

「フィオ!」

 ギルディオスの一喝で、フィリオラはびくっと肩を跳ねた。途端に、がくがくと震え始める。

「だって、小父様、あの子がいないと、わたしは、わたしたちは」

「フィオ。お前が折れてどうする。そんなんじゃ、リリが戻ってきた時に、ちゃんと出迎えてやれねぇだろうが」

「でも、でも、あんなに火を出して、あんなに真っ黒に物を焦がして、あんなに、あんなになっちゃって、あの子は平気じゃないはずです。ま、前にも、泣き出して、凄い勢いで火が出ちゃって、その時は、私が魔法で押さえなきゃ、あの子が焼けちゃいそうなくらいに、火が出ちゃって、火が」

 フィリオラはぼろぼろと涙を落としながら、ギルディオスを見据える。

「あの子の、骨は、なかったんです、よね?」

「なかった。だから安心しろ。ラッドとアンソニーが探したが、そんなものはなかった。リリは絶対に無事なんだ」

「でも、きっと、凄く疲れているはずです。すぐに探し出して、ご飯を食べさせて、寝かせないと、倒れてしまう。あの子は力は強いけど、体力はないから、休ませてあげないと、疲れで熱を出してしまいます」

「ああ、そうだ。だから、メシの準備でもしておいてやれ。それがお前の仕事だろ、フィオ」

 な、とギルディオスはフィリオラの乱れた髪を撫で付けた。フィリオラの短いツノを、丁寧になぞってやる。

「レオも他の連中も、疲れて帰ってくるはずだ。そいつらの分も作ってやれ。きっと喜ぶぞ」

「はい」

 涙で詰まった声で答えたフィリオラは、ギルディオスに縋り付いてきた。

「小父様。もう、こんなの、嫌です」

「大丈夫だ。リリは、生きている」

 ギルディオスはフィリオラの背に腕を回し、抱き締めた。昔に比べると、少しばかり手応えが柔らかくなっていた。
かつて守っていた少女は、もう少女ではない。女であり母親だ。だが、その中身は同じで、相変わらず泣き虫だ。
フィリオラの嗚咽が、居間に響く。ギルディオスはその心が少しでも落ち着くように、何度も彼女を撫でてやった。
 せめて、敵がいないことを祈りたかったが、一昨日からヴィンセントの姿が見えないことが引っ掛かっていた。
どうか、リリが帰ってきますように。リリさえ無事に帰ってきてくれれば、何事もないまま事態は収束するだろう。
だが、そうならないだろう、と妙な予感を感じていた。この出来事は、これだけで終わるとは到底思えなかった。
そんな確信などしたくもないし、明確な根拠などなかった。しかし、禍々しい災いの足音が歩み寄る気配があった。
燃え尽きた花畑。生臭い血溜まり。未だ見つからないリリ。連合軍の密偵であるヴィンセントは、姿を見せない。
 そのどれもが、ざらついた不安を掻き立てる。




 夜明けが近い。
 東の果ての空にじわりとした光が広がり、暗闇が徐々に弱まりつつある。もうしばらくすれば、日が昇るだろう。
ルージュは滑らかに制動し、空中で止まった。それに合わせて、後方に続いていた二人も制動を掛け、止まった。
南西側に見える山脈と、その傍にあるあまり大きくない湖。湖の右手奥には、砲撃で吹き飛ばされた部分がある。
爆薬でも仕掛けて発破したかのように、綺麗に円形に抉れている。それは、以前にルージュが作ったものだった。
ブラッドと再会した際に彼と交戦し、主砲を放ってしまったのだ。感情が高ぶっていたから、威力が強かったようだ。
抉れの先には、山脈の裾野がある。草原の間に長く伸びている道は、裾野の手前で途切れているように見える。
だが、そうではない。魔力を高めて目を凝らすと、道は途切れてはおらず、陽炎のように景色の奥に続いている。
 それが、今回の目的地だった。ルージュは風に掻き乱される銀色の髪を左手で払ってから、二人を見やった。
すると、フリューゲルはブリガドーンの方向をじっと見ていた。ルージュは、鋼鉄の鳥人の横顔に目線を向けた。

「そんなにあれが気になるか」

「だって、リリ、連れてってすぐに寝ちまったんだもん。そろそろ起きたかなー、リリ」

 んー、とフリューゲルは首を曲げている。ラオフーは、やる気なく言った。

「あんな状態だったんじゃ、すぐに起きるわけがなかろうが。あの小娘は魔力がすっからかんで体力も限界じゃったんじゃ、おぬしがブリガドーンに連れてきた時には死にかけておったほど弱っちょったんじゃ。あれが起きるまでは、二日は掛かるじゃろうて。人間っちゅうもんは、儂らよりずうっと脆い生き物じゃからのう」

「でも、オレ様ちょっとビックリしたぞ!」

 フリューゲルは両翼を広げ、ばさばさと振り回す。それに合わせ、右手首に巻いたネッカチーフも揺れる。

「トカゲ女ってガキには優しいんだな! すっげぇ意外だぜこの野郎!」

「それは、あれがあの人の血縁者だからだろう。それ以外だったら見向きもしないと思うが」

「えー、そうなん?」

 ルージュの言葉にフリューゲルは不思議がったが、ごっ、とラオフーの鉄槌に後頭部を叩かれた。

「そんなモンはどうでもええわい。儂らは、最後の禁書をちゃっちゃと回収して帰らにゃならん」

「最優先するべきはそれだ。効率の良い行動を取らねば」

 ルージュは主砲の内側に、魔力を流し込み始めた。ゼレイブはとても小さな街で、一撃で吹き飛ばせそうだった。
山麓に作られた農地や牧場を含めても敷地は狭く、簡素な家も小さく、おもちゃ箱の中に作られた世界のようだ。
唯一の大きな建物である屋敷も、相当古びている。恐らくそれが、ブラッドの住むブラドール家の屋敷なのだろう。
 それを、壊すべきだ。壊してしまえば彼を思うこともなくなり、胸が締め付けられることも、鋭く痛むこともなくなる。
そしてブラッドも、殺してしまえばいい。あんな男などこの世から消え失せてしまえば、この気持ちも消え失せる。
この恋が叶うことはない。彼は生者であり、自分は死者なのだから、本来であれば相見えるはずのない者同士だ。
だから、最初から何もなかったことにしてしまえばいい。そうすれば、何もかもが元に戻り、この恋も消え失せる。

「ほれ、おぬしもしゃっきりせんかい」

「わあっ!」

 ラオフーの鉄槌に後頭部を叩かれ、ルージュはつんのめった。即座に振り返り、ラオフーに砲口を突き付ける。

「急に叩くな! そういうことは、フリューゲルだけにしろ!」

「なあに、ゼレイブの方を見てぼーっとしちょったから、気合いを入れてやろうと思うての」

「余計なお世話だ」

「それともなんじゃ、ルージュ。あのちんまい村に、惚れた男でもおるんかのう?」

 ん、とラオフーに迫られ、ルージュは毒突きながら後退した。

「うるさい、そんなわけがあるか! 下らんことを言うな!」

「あるんじゃと」

 ラオフーが笑うと、フリューゲルはさも可笑しげに笑った。

「そうか、あるのか! てめぇみてぇな乱暴女が惚れるんだ、きっとすっげぇ変な野郎なんだろうな!」

「いや、案外被保護欲に駆られるような脆弱なのやもしれんぞ」

「くけけけけけけけけけっ! やーいやーいやーい、吸血鬼女に好きなオトコが出来たぁー! やーいやーいやー」

 フリューゲルに囃し立てられたルージュは、堪えきれなくなり、長い足を振り上げて鳥人を蹴り飛ばした。

「やっかましい!」

「くきゃっ!」

 側頭部を蹴られたフリューゲルは、変な声を出して反っくり返ったが、一回転して元に戻った。

「何しやがんだてめぇこの野郎ー!」

「作戦前だ。お前も、ラオフーも、少しは自重しないか」

 ルージュはフリューゲルに背を向け、ゼレイブに向いた。ラオフーは、微笑ましげに目を細める。

「おぬしらは仲がええのう」

「…そう見えるか?」

 ルージュは心外だと言わんばかりに顔をしかめ、フリューゲルは苛立ち気味に喚いた。

「オレ様は吸血鬼女なんて嫌いなんだからな! こんなのと仲良いはずがねぇんだからなこの野郎!」

「ケンカするほどなんとやら、と言うではないか」

 ラオフーは金剛鉄槌を掲げ、魔力の蜃気楼に包み込まれているゼレイブに向けた。

「ほいで、どうやってあれを攻略するんじゃ、ルージュ。小賢しいモンが張ってあるみたいじゃが」

「あれは魔力を用いてゼレイブを覆い尽くし、周囲の景色を歪めて同化させてゼレイブを包み隠しているが、蜃気楼のようなものに過ぎない。魔導結界としての力もあるようだが、大したことはない。全力で金剛鉄槌を叩き込めば、簡単に消去出来る」

 ルージュが言うと、ラオフーはからからと笑った。

「ほんなら、全力で叩き込んじゃろうかのう。その拍子に下まで吹っ飛んでしまうやもしれんがの」

「その時はその時だ。禁書さえ回収出来ればいい」

 ルージュは、僅かに目元を歪めた。

「私達の目的はそれだけだ。それ以外のものがどうなろうと、どうでもいいことだ」

 そう、どうでもいいのだ。ブラッドが死のうと、関係のないことだ。むしろ、死んでしまった方が気持ちが落ち着く。
魂までもを掻き乱す根源が失せれば、乱れることはなくなる。そうなれば、ルージュは再びただの屍に戻るのだ。
生者の真似事などしたところで、何も変わらない。ルージュは改めて決意を固めると、ゼレイブに向けて加速した。
 ルージュに続き、フリューゲルとラオフーも飛び出した。程なくして、フリューゲルが二人を追い越して前に出た。
くるりと身を翻しながら空を往く鳥人は、楽しげに笑い声を上げている。戦うことは、彼にとってはただの娯楽だ。
ラオフーもまた、心なしか楽しげだった。彼は態度こそ飄々としているが、その実はかなり好戦的な男のようだ。
生前はワータイガーであったからではなく、彼自身の性格なのだろう。魔物族が、皆好戦的というわけではない。
実際、ルージュは戦闘はあまり好きではない。吸血鬼族は、他人と関わることを避けるのと同じく戦いも避ける。
そういった性質とルージュ自身の性格が相まって、魔導兵器と化してしまう前は、ほとんど戦ったことはなかった。
 だが、今ばかりは違っていた。ブラッドへの好意を押し潰した末に生まれた攻撃的な衝動が、全身に満ちている。
ブラッドを殺してしまいたい。彼を殺してしまわなければ、日に日に募る、むず痒く苛立たしい感情が収まらない。
 ゼレイブが、目前に近付いてきた。フリューゲルは加速して二人を引き離すと、ゼレイブの上空まで進んだ。
ゼレイブは、上から見ると尚のこと小さかった。夜が明けきっていないので、藍色の薄闇に包み込まれている。
少し目を凝らすと、ゼレイブを覆い隠している半球体が目視出来た。ラオフーは、金剛鉄槌を高々と振り上げた。
 ラオフーは体内に充ち満ちる魔力を高め、ぎぢっと鉄槌の柄を握り締めた。鉄槌の内側に、魔力が流れ込む。
夜も明けきらぬ湿気を帯びた空気が鉄槌に触れ、かすかな蒸気が漂った。それは、すぐに風に掻き乱された。
赤い瞳が、輝きを増す。ラオフーは急加速してブリガドーンの蜃気楼の頂点に来ると、金剛鉄槌を突き出した。
金剛鉄槌に満ちた魔力が迸ると、鉄槌自身だけでなくラオフーにも魔力が行き渡り、彼の外装が眩しく輝いた。



「金剛鉄槌究極奥義!」

 金色の光に身を包んだラオフーは金剛鉄槌に全体重を掛け、ゼレイブの真上に振り下ろした。

大激震ダイジャオズェン!」







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