ドラゴンは滅びない




破滅の夜明け



 ず、と空気が重たく振動した。
 魂がとてつもない重量のものに押し潰されるような感覚に襲われたラミアンは、その場に崩れ落ちてしまった。
胸が苦しい、などという程度ではない。全身がぎしぎしと軋みを上げ、起き上がろうとしても魔力が伝わらない。
あまりの苦しさに視界がちらつき、痙攣を起こしたかのように手足が震える。尋常ではない事態が、起きている。
空気と共に、ブラドール家の屋敷全体も震えている。びりびりとガラスが鳴っている。異様な気配が、外に在る。

「あのね」

 ジョセフィーヌは怯えた顔をして、太陽とは違った光が差している窓の外を指した。

「ラミアン、おそらになにかがいるよ」

「あれって…」

 夫と共に居間にいたキャロルが、窓から身を乗り出して見上げた。金色に輝く空には、三体の魔導兵器がいた。

「確か、フリューゲルとか言っていたっけ」

 キャロルの肩越しに空を仰ぎ見たリチャードが、眉根をひそめた。

「それで、あっちの女性が恐らくルージュで、あの光る鉄槌を振り下ろしているのが恐らくラオフー、かな」

 二人の視線の先で、ラオフーが金色に輝く鉄槌を振り上げる。それが下ろされると、再び空気が激しく震えた。
それが、何度も繰り返される。空気の振動は地面までもを揺らすほどで、食器棚が開いて皿が滑り落ちてきた。
床に落下した皿やグラスが次々に砕け、壁に亀裂が走り、窓が割れる。リチャードは妻を抱き、素早く離れた。
突然のことに驚いているキャロルの頭から上着を被せてから、リチャードは倒れたままのラミアンを抱き起こした。

「大丈夫ですか、ラミアンさん?」

「情けないことだが、気の利いた言葉を返せるような余裕はない」

 ラミアンは片膝を付いて肩を上下させていたが、リチャードを見上げた。

「リチャード。壁に掛けてある杖を、一つ取ってくれないだろうか」

「あ、これですか?」

 リチャードは、居間の大きな暖炉の傍に飾られている魔法の杖を取ると、ラミアンに手渡した。

「ですが、これをどうするつもりです? まさか、真っ当に魔法で戦おうというわけでもないでしょうに」

「我が魂に刻み込みし魔性なる言霊よ、その言霊の戒めの鎖を解き、今、そなたに結び付けん」

 ラミアンは杖の先端に填め込まれた魔導鉱石に手を翳し、唱えた。

「魔法はそなたに宿り、力はそなたより生まれん!」

 一瞬、魔導鉱石が強烈に輝いた。ラミアンは素早く立ち上がると杖を振り上げ、窓の外に放り投げてしまった。
窓から投げ飛ばされた杖はくるくると回転していたが、再度空気が振動した直後に、魔導鉱石が弾け飛んだ。
と、同時に、ゼレイブの上空に金色の光が走り、そして消えた。ゼレイブを守っていた蜃気楼が、破られたのだ。
ラオフーと金剛鉄槌から放たれていた金色の光も消えたが、圧倒的に高い魔力の気配は全く弱まらなかった。
 粉々に砕けた魔導鉱石は、光の砂粒と化していた。杖の本体も上部から裂けてしまい、原形を止めていない。
鈍く唸りながら回転した杖は、魔法植物の畑に突き刺さった。その突き刺さった周囲から、一気に草が枯れた。
水分をたっぷり含んでいた葉が茶色く縮れ、次々に花が落ちていく。杖から溢れた魔力が強すぎたからだろう。
ラミアンは杖の突き刺さった場所を睨み付けていたが、膝を折って座り込んだ。胸の魔導鉱石を、手で押さえる。

「なんという…なんという出力…。だが、私は、ここで膝を付くわけにはいかんのだ」

 ジョセフィーヌがラミアンに駆け寄ってきたが、ラミアンは妻をリチャードの方へ押しやった。

「ジョーは、リチャードらとここにいてくれ。あの者達の持て成しは、私達に任せておいてくれたまえ」

「うん」

 ジョセフィーヌが素直に頷いたので、ラミアンは頷き返してから居間の窓に足を掛けた。

「客人を、丁重に持て成そうではないか」

 窓枠を軽く踏み切ったラミアンは外へ飛び出し、すぐに見えなくなった。リチャードは、彼の出た窓に近寄った。
ゼレイブ上空に浮かんでいる三体の魔導兵器はこちらの出方を窺っており、赤い瞳でこちらを見下ろしている。
随分な余裕だ。だがその余裕は彼らの強烈な破壊力に裏付けられたものであり、下手に攻撃は仕掛けられない。
中途半端な攻撃を放ったところで、それは挑発にしかならない。決定的な打撃を与えられなければ、意味がない。
 リチャードは懐から懐中時計程度の大きさの魔力測定器を取り出し、三体に向けると、針がぐるぐると回った。
何回転しても、止まらずに回り続けている。リチャードは途端に顔をしかめ、ため息を零してから二人に向いた。

「この距離で計ってもこの魔力量とは、無茶苦茶にも程がある。キャロル、ジョーさん。僕がいいと言うまで、ラミアンさんの地下室にでも籠もっていてくれないかな」

「リチャードさんは」

 キャロルが不安げに言うと、リチャードは微笑んだ。

「大丈夫。すぐに迎えに行くよ。だから少しの間、いい子にしていてほしいんだ」

「だいじょーぶだよ。ジョーには、みえたもん。だいじょーぶなんだってことが」

 ね、とジョセフィーヌがキャロルの手を取ると、キャロルは少しだけ表情を和らげた。

「必ず迎えに来て下さいね、リチャードさん」

 ジョセフィーヌに連れられて、キャロルは居間を出ていった。リチャードはその背を見送ってから、外を見上げた。
三人は背中合わせに浮かんでおり、死角を消している。彼らは視線を動かしていて、何かを探しているようだった。
恐らく、禁書を奪いにやってきたのだ。だが、その禁書と持ち主であるヴィクトリアは、この屋敷の中にはいない。
リリがいなくなってしまったことで大人達が集まって騒々しくなった屋敷を出て、静かな場所で読むと言っていた。
それがどこだか解らないが、あまり遠くないはずだ。しかし、このままではヴィクトリアは間違いなく殺されてしまう。
 ヴィクトリアを心配する自分に気付き、リチャードは自嘲の笑みを零した。以前は、彼女を殺す気でいたのに。
ヴァトラス家の栄光を取り戻すために、赤子に過ぎなかった彼女を手に掛けようと考えていたがしくじってしまった。
その出来事以降、ルー一家に対する殺意や敵意は消えたが、殺意を持った事実を忘れたというわけではない。
 随分と甘くなったものだ。リチャードは自虐しつつ、壁に掛けてあった魔法の杖を一本取ると、気を張り詰めた。
魔導兵器三人衆には、勝てないだろう。元より、勝ち目はない。だが、戦わないままやられてしまいたくはない。
 リチャードは、外へ向かった。




 ブラッドは、息を詰めていた。
 背中に隠しているヴィクトリアは、四冊の禁書を細い腕でしっかりと抱え込んでいるが顔色はやや青ざめていた。
ゼレイブを守っていた魔力の蜃気楼と魔導結界が、破られた。いや、圧倒的な魔力を外から加えられ、壊された。
魔法そのものが壊された、と言っていい。あの魔法は父親のラミアンの魂を根源にしているものであったはずだ。
一瞬、嫌な想像が頭を駆け巡ったが、振り払った。ラミアンも強かな男だ、自分の魔法で死ぬことはないだろう。
 草むらの影に身を潜めた二人は、ゼレイブの外にいた。魔導兵器三人衆が現れたので、戻らなかったからだ。
ブラッドは夜通しでリリの捜索を続けていたが、疲労と空腹に襲われたので一旦屋敷に戻って休むことにした。
その途中、森の中で禁書を読み耽っていたヴィクトリアを見つけたが、ヴィクトリアもまたお腹が空いたと言った。
だから一緒に帰ろうと二人が連れ立ってゼレイブに向かった直後、魔導兵器三人衆が現れ、蜃気楼を壊した。
このまま出ていけば、格好の的になる。戦況が動かない限りは、この場から動かない方が良さそうだと思った。
 ブラッドは乾いた唇を舐め、鋭い牙を剥いた。ルージュの姿にばかり目が行ってしまって、気が逸れてしまう。
今は、いや、最初からあの女は敵だ。見取れてどうするんだよ、とブラッドは必死に自分に言い聞かせていた。

「ねえ」

 ヴィクトリアの小さな手が、ブラッドの袖を握り締めた。ブラッドが振り向くと、ヴィクトリアは体を寄せてきた。

「あなた、あの女がそんなに気になるの?」

「なんだよ、こんな時に。別に、そんなわけじゃねぇよ」

 ブラッドが戸惑いながらも返すと、ヴィクトリアは怪訝そうな目をした。

「その割には、随分と長々と見つめていたわ。あなた、この状況を理解しているの?」

「そりゃ…解っている。解っちゃいるんだけど」

 ブラッドは苦々しく思いながら、ルージュを見上げた。彼女は辺りを見回し、何かを探しているようだった。

「その、はずなんだけどな」

 目が合ったら、終わりだ。こちらにはゼレイブの土地や女子供という弱みがある上に、戦力は限られている。
相手は魔導兵器三人衆、その圧倒的な破壊力は身を持って知っている。真正面から当たれば、殺されるだろう。
 それに、もう一度でも彼女の顔を見てしまったら、声を聞いてしまったら、表情を知ってしまったら、心が定まる。
ただでさえ、ブラッドの心はルージュに囚われてしまっている。なんとか自制を利かせ、恋心を押し殺していた。
だが、その自制も最近では緩んできた。思い出せば思い出すほどルージュの存在が膨らみ、熱を帯びてくる。
それが心だけでなく魂や体までもを浸食し、爆ぜてしまいそうだ。危うい均衡は、いつか破れてしまうことだろう。
ルージュが二度と現れなければ、それはじわじわと進むだけだった。だが、ルージュが現れたとなれば訳が違う。
 この恋が完成してしまう。そうなってしまえば、ブラッドは自分がその恋に溺れ、堕ちていくだろうと悟っていた。
母親のように予知能力がなかろうとも、それぐらいは想像が付いた。他でもない、自分自身のことだからである。

「ねえ」

 ヴィクトリアはブラッドの肩に顔を近寄せ、小声で囁いた。

「これから、どうするの?」

「様子を見るしかねぇだろ」

 元より、勝てる相手じゃない。ブラッドは口の中でそう付け加えてから、自分の情けなさに嫌気が差してきた。
殺されるのは怖い。だが、ルージュに魂まで支配されてしまうのがもっと恐ろしく、また甘美な誘惑でもあった。
 ふと、ヴィクトリアが背後に向いた。すると大きな手が伸びてきて二人の口を押さえ、体格のいい影が現れた。
その手の主は、レオナルドだった。レオナルドも疲れ果てているようだったが、目付きは険しく殺気立っていた。

「お前らはここにいろ。オレが出る」

 レオナルドは、二人に言ってから立ち上がろうとした。ブラッドは、彼の太い腕を掴む。

「だけど、レオさん一人じゃ」

「お前らを死なせるわけにはいかないだろ」

 レオナルドは二人の頭を押さえ込んでから、立ち上がった。だが、レオナルドは硬直し、浅く息を飲んだ。

「…フィリオラ」

「え?」

 ブラッドはレオナルドの肩越しに、街の中を見やった。そこには、戦うために出てきた面々が既に立っていた。
ラミアン、リチャード、ヴェイパー、ロイズを除いた異能部隊の四人、そしてギルディオス。その中に彼女がいた。
だが、フィリオラは戦列に加わっていなかった。制止しようとしているギルディオスらを押し退けて、飛び出した。
 駆け出して地面を蹴り上げた彼女の背から、翼が生える。短かった髪が伸び、ツノも伸び、瞳が赤く染まる。
エプロンドレスの裾の下からは太い竜の尾が現れ、両手両足は硬いウロコに覆われて鋭い爪が伸びてくる。
ばさり、と大きな翼で空気を叩いて浮上した彼女は、低く喉を鳴らした。深紅の瞳が、三体の魔導兵器を射抜く。
 三体の敵を見定めた竜は、夜明け前の空に咆哮した。



「リリを返せぇええええええっ!」



 ラオフーの鉄槌が魔力の蜃気楼を叩き割った時よりも凄まじい振動が、いや、竜の威圧感が全員を揺さぶった。
フィリオラの瞳からは理性の光が失われており、ぎらぎらとした殺意と敵意を漲らせて、息を激しく荒らげている。
めきめきと音を立てて翼が大きさを増し、小柄な体格が膨らむ。エプロンドレスが、硬いウロコの肌に破られる。

「返せ、返せ、私の娘を返せぇええっ!」

 一気に巨体の竜人へと変化したフィリオラは、僅かに視線を動かしたが、フリューゲルに定めて向かった。

「なんだてめぇ、この野郎!」

 ひどく驚いて声を若干上擦らせたフリューゲルは、身構えた。その右手首には、薄黄色の布が結ばれていた。
魔導兵器が身に付けるにしては異様な、女の子らしい刺繍が施された小さめなネッカチーフ。リリのものだった。
竜人となったフィリオラの激しい視線は、ネッカチーフに据えられていた。これが、急に殺気立った原因のようだ。
 レオナルドだけでなく、他の者達もフィリオラの烈火のような怒声と姿に圧倒されてしまい、呑まれてしまった。
それはルージュとラオフーも例外ではなく、フリューゲルへと掴み掛かる竜人を見た途端に、僅かに気圧された。

「返せええええ!」

 悲鳴を上げる間もなく、攻撃を放つ隙も与えられずに、フリューゲルは竜の手によって地面に叩き落とされた。
地面に埋まった背を抜いて起き上がろうとしたが、地面から抜け出すよりも前に、竜人が真上から降ってきた。
竜人は全体重を掛けて、フリューゲルの胸元にかかとをねじ込んだ。めぎ、と装甲の内側で部品が砕け、歪む。

「ぎいぃっ!」

 あまりの痛みと重量に、フリューゲルは頭を仰け反らせて両手足を突っ張らせた。すると、頭を強く掴まれた。
フリューゲルの装甲の端でウロコの肌が切れるのも構わずに、巨大で分厚い手は装甲が軋むほど握り締めた。
地面から引き抜かれたフリューゲルは、持ち上げられる。竜人は皮膚の厚い口元を歪めて、牙を覗かせている。

「返せ!」

 その声は、既に女のものではなかった。低く鈍い、トカゲの声だった。

「それを返せ、それはリリのものだ!」

「くけけけけけけけけけけ! 返すもんか、返してたまるか、これもリリも! オレ様がもらったんだ、返すかよば」

「返せえっ!」

 フリューゲルの言葉が終わるのを待たずに、竜人は羽ばたいて上昇すると、フリューゲルを再度投げ落とした。
だが、落下の衝撃による振動は一切起きなかった。その代わりに空気が切り裂かれ、甲高い叫声が放たれた。

「くけけけけけけけけけけけっ!」

 粉塵の中を突き抜けて現れたフリューゲルは、銀色の両翼を目一杯広げると、竜人の背に突っ込んだ。

「ばーかばーかばぁーかああああ!」

 銀色の翼が翻った瞬間、赤い飛沫が散った。二つの影が交差してフリューゲルが遠のくと、竜人は揺らいだ。
翼を広げることもせずに、頭から地面に突っ込むようにして落ち始めた。このままでは、地面に激突してしまう。
その背後から、平べったい何かが落ちた。風を孕みながら地面に落下したそれは、紛うことなき、竜の翼だった。

「いかん!」

 ダニエルは片手を突き出して念動力を放ち、彼女を受け止めた。姿勢を戻してやってから、慎重に下ろした。
竜の翼は、根本から切り落とされていた。傷口からは白い骨と厚い皮と筋が覗き、厚い背に血が伝っている。
辺りに、つんとした血臭が漂った。レオナルドは呆然と目を見開いていたが、拳を固め、草むらから飛び出した。

「フィリオラあっ!」

 レオナルドが妻の元に駆け寄った頃には、竜人の姿は萎み、背中に大きな傷を作った小柄な女に戻っていた。
髪とツノは伸びたままで、戻せる余力がなかったのだろう。レオナルドはフィリオラの傍に座り、抱き起こした。
フィリオラは震える手で、レオナルドに縋り付いてきた。だが、砂と血に汚れた手に力はなく、すぐに滑り落ちた。

「れお、さん」

 フィリオラは虚ろな目で夫を見上げ、土に汚れた頬に涙を伝わせた。

「ごめんなさい」

「もういい、喋るな」

 レオナルドは服を脱ぐとフィリオラの体に被せてやってから、銀色の翼から血を滴らせる鳥人を睨み上げた。
レオナルドがフリューゲルに炎の力を放とうとすると、銀色に視界が遮られた。それは、ギルディオスの剣だった。
ギルディオスはレオナルドの前に歩み出ると、ぐったりとしたまま動かなくなったフィリオラを見下ろし、項垂れた。

「畜生…」

 ギルディオスは苦々しげに吐き捨ててから、異能部隊の面々に振り返り、指示を飛ばした。

「ダニーは前線に立て、ヴェイパーはフィオとレオを連れて撤退、アンソニーはフィオの容態を見ろ! ピートはオレの援護だ! オレはあいつらに、一太刀くれてやらねぇと気が済まねぇ!」

 了解、との声が上がった。ギルディオスが三体の魔導兵器に向き直ると、傍に銀色の骸骨が飛び降りてきた。

「攻撃は最大の防御と申します。私もお付き合いいたしましょう」

 ラミアンはギルディオスに礼をしてから、魔導兵器三人衆に向き直った。ギルディオスは、へっ、と一笑する。

「ま、いいぜ。もうちょいと手が欲しいと思っていたところだしな」

「…ふん」

 ルージュの冷酷な眼差しが、甲冑と銀色の骸骨を見下ろした。

「私達とお前達では、存在そのものが違う。勝負になど、なりはしない」

「それでもしたいっちゅうんなら、相手をしてやってもええがのう。もっとも、手加減はせんがのう」

 ラオフーは、金剛鉄槌を持ち直す。

「くけけけけけけけけけけけっ! んだよ、竜のくせに弱っちいじゃねーか、マジつまんねー!」

 フリューゲルはへこみの残る胸部を押さえていたが、肩を震わせて笑った。

「てめぇらはもうちょっと面白ぇんだろうな、面白くなかったら承知しねぇぞこの野郎ー!」

「ならば、存分に楽しませて差し上げましょう」

 ラミアンは少し顔を伏せていたが、ぐにゃりと背筋を曲げて腰を落とした。そして、おかしな動きで顔を上げた。

「オイラ達が面白くネェーダァー? ダッタラ面白くしてヤァーロウジャネェーカァー、うけけけけけけけけけけ」

「…なんだこいつ」

 フリューゲルがきょとんとしたのも無理もない。ギルディオスも久々のことだったので、多少戸惑ってしまった。
ラミアンは、先程までの紳士的で余裕さえある態度からは掛け離れた、タガの外れた甲高い笑い声を上げている。
彼は、理性を消したのだ。その内側に隠されている吸血鬼の本能を剥き出しにした、アルゼンタムと化している。
戦闘を行うには、ラミアンでいるよりもそちらの方が楽かもしれない。だが、何の前触れもなしに変わられると困る。
ラミアン、もとい、アルゼンタムは体格に見合わない大きな両手を広げ、その爪を振り上げてげらげらと笑った。

「うかかかかかかかかかっ! 超最低超最悪超最高ゥウウウウウッ!」

 アルゼンタムは驚異的な瞬発力で跳ねると、三体の浮いている高度まで上昇し、ルージュの主砲に着地した。

「あっ」

 ルージュが主砲の上に載ったアルゼンタムに驚き、振り払おうとしたが、アルゼンタムはラオフーに飛び移った。
アルゼンタムはラオフーの腕が届くよりも先に、ラオフーの肩を蹴ってフリューゲルの頭上に着地してしまった。
手と同じく爪の長い足で、鳥がするようにフリューゲルの頭を掴んでいた。アルゼンタムは、ぐりんと首を曲げる。

「うけけけけけけけけけ。覚ァ悟シィロヨゥー、テメェラアアアアアア!」

「何を」

 ルージュは主砲を上げてアルゼンタムに照準を合わせたが、砲撃を放つよりも先に、斬撃に背中を襲われた。
陽動だ、と悟った時には遅かった。アルゼンタムは、ラオフーの頭を踏み台にしてフリューゲルに掴み掛かった。
姿勢を崩したフリューゲルはアルゼンタムに引っ張られるようにして落下し、呆気なく地面に埋められてしまった。
ルージュの背中を斬り付けた者は、空中に足場でもあるかのように宙を力強く蹴り付け、こちらにまた戻ってきた。
 それは、ギルディオスだった。人の背丈ほどの長さのバスタードソードを振り翳して、真正面から向かってくる。
ルージュは左腕の副砲で二度目の斬撃を防いだが、ぎりぎりと金属同士が激しく擦れ合い、火花が飛び散った。

「ラオフー、こいつを」

 叩け、とルージュが指示を出したが、ラオフーの姿はなくなっていた。返事の代わりに、凄まじい落下音がした。
見ると、真下にラオフーが埋もれている。ラオフーを取り囲むようにして、地面が円形に抉れてひび割れていく。
そのヒビの数が増すたびに、金色の巨体が更に深く沈んでいく。金剛鉄槌も、手から離れた位置に埋まっている。

「悪いが」

 ダニエルは右手を突き出し、ラオフーに向けている。その手を握ると同時に抉れが深さを増し、巨体が沈んだ。
念動力の制御を最大限に引き上げた状態を保ちながら、ダニエルはルージュを横目に見上げ、口元を曲げた。

「私の存在を忘れてもらっては困る」

「ああ、そうだな、忘れていた!」

 ルージュはダニエルに主砲を向けたが、主砲に魔力を充填するよりも先に、砲身を撃たれて逸れてしまった。
白い光を放つ魔力弾に砲身を弾かれたルージュはよろけたが、姿勢を戻し、魔力弾を撃った主に砲口を向けた。
 ブラッドの敵意に満ちた目が、ルージュを睨んでいた。ルージュは一瞬、その銀色の瞳に心を奪われてしまった。
だがすぐにそれを振り払い、撃った。主砲の砲撃がブラッドを焼くかと思われた瞬間、少女の高い声が響いた。

「力は我に在り、故に我に従わん!」

 ブラッドの影から現れたヴィクトリアは、翳した両手で空中で光線を固めた。いや、魔力そのものを固めたのだ。

「お返しよ」

 ヴィクトリアは右手をすいっと挙げ、ルージュに向けた。魔力の光線が曲げられ、砲撃を放った主を狙う。

「魔性なる力の光よ、主を知り、主の命のままとなれ!」

「うぐあっ!?」

 ルージュは、まともに己の砲撃を喰らった。逃げることも忘れて、防ぐことも出来ず、吹き飛ばされてしまった。
ギルディオスの姿が遠ざかり、熱した体が煙を上げる。銀色の髪がほつれて乱れ、じりじりと魂が焼け付いてくる。
視界の隅には、背中を負傷した裸同然のフィリオラを抱きかかえて逃げるレオナルドとヴェイパーが映っていた。
戦闘が起きている場所と家々を隔てる防御魔法を張るべく、リチャードが魔法陣を描いているが、まだ未完成だ。
 そして。彼の傍に、女がいる。これまでに何度も顔を合わせたことのある、大人びた雰囲気の少女が傍にいる。
不快感が、腹の内に迫り上がってきた。ルージュは背中の推進翼から炎を吹き、制動を掛けて空中に停止した。

「主砲、出力最大!」

 砲口を遥かに超える太さの閃光が迸り、地上を焼いた。その爆風に煽られ、ギルディオスは流されてしまった。
直後にギルディオスは落下したが、足を滑らせて勢いを殺し、着地した。見ると、地面が半球に抉られている。
道はおろか、その両脇に建っていた空き家すらも一撃で吹き飛ばしてしまったらしく、跡形もなく消え失せていた。
念動力による足場が消えた原因は、その念動力の根源であるピーターが倒れ、気絶してしまったせいであった。
ピーターは建物や石などの破片がぶつかったらしく、頭から血を流していたが、外傷は大したことはなさそうだ。
ルージュの砲撃の余波で、この場から離れている空き家の壁も割れていて、窓ガラスは全て粉々になっていた。
これに耐え切れた者は、一人もいなかった。皆が皆、砲撃の余波をもろに浴びたために動けなくなっていた。
ギルディオスですらも、痺れによく似た魔力の余波に襲われており、すぐに戦闘状態へと戻るのは難しかった。
 強い魔力を含んだ爆風に、ラミアンも身動いだ。そのために手を離してしまい、フリューゲルに逃げられた。
ラオフーを地面に押し込めていた念動力も、発生源であるダニエルが倒れてしまった拍子に切れてしまった。

「…いやはや」

 地面の抉れの底から起き上がったラオフーは、ごきり、と首を曲げ、埋もれていた金剛鉄槌を引き抜いた。

「ルージュ。助けてくれるのはええが、もうちいと優しゅうしてくれんかのう」

「まー、オレ様はなんでもいいけどな!」

 くけけけけけ、と自由を取り戻したフリューゲルは機嫌良く笑い、するりと浮上してルージュと同じ高度に来た。
砲撃や念動力による抉れでぐちゃぐちゃになった地面を蹴り上げたラオフーも、二人と同じ程度の高さに浮かぶ。
だが、ルージュは二人に声を掛けることもなく、降下した。がしゅっ、とかかとの高い足が割れた土に埋まった。
 砲撃に吹き飛ばされたブラッドは、その体の下にヴィクトリアを庇っていた。衝撃で、二人とも意識を失っている。
また、不快感が生じる。むかむかとした苛立ちが募り、神経がささくれ立ち、どろりとした攻撃衝動が沸き起こる。
殺してやりたい。殺さなければならない。ルージュは熱を帯びている主砲を上げ、ブラッドに歩み寄っていった。
 そして、砲口を突き付けた。





 


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