いつものことだ、と思おうとした。 十年振りに袖を通した共和国軍時代の軍服は、十年前よりも体格が痩せてしまったせいか、だぶついていた。 物持ちが良すぎる友人夫妻に内心で呆れつつも、他人の軍服を丁重に保管してくれていた気遣いに感謝した。 軍服も軍帽も、少しも痛んでいる様子はない。大方、物を痛ませないための魔法でも、施しておいたに違いない。 フィリオラらしい魔法の使い方だ、と彼女の魔導師としての腕に感心しながら、ダニエルは軍服の襟を整えた。 肩と胸元に付いている階級章は、十年前と同じく大尉。共和国軍が現存していたら、もう少し昇格していただろう。 外の暗闇を吸い込んだような窓に映り込んでいる己は、十年前と変わっていないようでいて年齢を重ねていた。 顔立ちは厳しさを増し、目付きは悪くなり、過酷な進軍を続けていたことによって肉が削げて凶相と化していた。 自分でも、一瞬自分ではないような気がしたほどだ。自分の顔を見るのはかなり久々なので、余計にそう思った。 これでは、息子も恐れるはずだ。妙な納得をしながら、ダニエルは少々変色している礼装用の手袋を填めた。 念動力を用いて戦うダニエルに、手袋を填める必要はない。手を触れないのだから、手を守る意味は皆無だ。 だが、気付けばいつも填めてしまう。これは、異能部隊で最前線に出るようになった頃に感じた、畏怖の名残だ。 若い頃は、己の能力で人を殺すだけで自分の手が血に汚れていくような気がして、強い嫌悪感に苛まれていた。 だから、手を隠していれば少しは汚れが軽減されるのでは、と愚かな考えの末に手袋を填めるようになった。 それぐらいのことでどうにかなるわけもないが、いつも填めているうちにいつしか習慣となり、手放せなくなった。 習慣になってしまうと、止めるのは逆に面倒になる。よってダニエルは、戦う時には手袋を填めるようになった。 初めて人を殺したのは、十六歳の時だった。少年兵から上等兵に昇格してすぐに、ある任務が与えられた。 それは、共和国軍内に入り込んだ他国の密偵を暗殺する任務であり、ダニエルは後方支援役として配置された。 戦い慣れた先輩兵士達が着実に任務をこなしていたが、ダニエルは訓練とは違う緊張感で動きが鈍っていた。 そのせいで隊列を僅かに乱してしまい、目標である密偵に見つけられ、ダニエルは動揺して力を暴発させた。 極度の緊張と激しい動揺から生じた念動力は強烈で、刃の如く鋭く飛び抜け、密偵の頭を真っ二つに割った。 目の前で頭蓋骨が二つに割れた瞬間、中から生臭い脳漿とどろりとした脳髄が吹き出し、血が壁に飛び散った。 思わずその場で吐き戻しそうになって、他の兵士に強引に口を押さえられて飲み下させられたことを覚えている。 その後、事後処理を行ってから異能部隊基地に帰還したダニエルは不手際を責められ、任務から外された。 しばらくは訓練に明け暮れていたが、ほとぼりが冷めた頃に新たな任務を命じられ、隊員達と共に遂行した。 二回目は吐き気がした。三回目は目を逸らさなかった。四回目は、標的は人ではなく物だと思うようになった。 五回目は、人を手に掛けることに躊躇いを感じなくなった。自分でも持て余していた念動力も、上手く扱えた。 要するに、何事も慣れだ。慣れてしまえば、どんなこともなんでもなくなり、それが普通だと思えるようになる。 だから、今回のこともいつものことだ。ロイズが攫われた、という事実も、客観的に考えればよくある事態だ。 部下が姿を消したり、攫われたりするのは初めてではない。ロイズもそうなっただけだ、と何度も思おうとした。 しかし、そう思いたくない自分と、思わなければならないのだとする自分がいる。息子をなんだと思っている、と。 自分で息子を一人前の兵士扱いすると決め、自分の内ではロイズは息子ではなく手間の掛かる新兵となった。 息子だと思うから、手を上げる時に躊躇ってしまったり、訓練の辛さから泣いている姿を哀れだと思ってしまう。 息子だと思わなければ、どうとでも扱える。そう思っていたはずなのに、押さえ込んでいたものが揺らいでいた。 何を今更、と自嘲したが、揺らぎ始めた決心は傾いていた。ただの部下ならば、こんなにも心は痛まないからだ。 ロイズが攫われた直後、ダニエルはルージュの放った砲撃の余波をまともに受けたせいで立ち上がれなかった。 息子が連れ去られる様を目にすることもないまま、他の者達の会話や思念で状況を察し、ひどくやるせなくなった。 何のために力があるのか、何のために今まで戦ってきたのか、何のために息子を捨てる決意をしたのだろうか。 それらが全て、解らなくなってしまいそうなほどに苦しくなり、奥歯を噛み砕きそうな勢いで奥歯を噛み締めていた。 敵ではなく、自分自身への不甲斐なさのあまりに憎しみすら感じた。だが、表情には出さずに自分の中に戻した。 異能部隊の隊長は己だ。部下達の手前、感情を露わにするのは良くない。それもまた、いつものことだからだ。 だが、今度ばかりは難しそうだ。ダニエルは軍帽の鍔を下げて目を伏せたが、瞼の裏には息子の姿が蘇った。 思い出すのは、妻が健在だった頃の良く笑っていたものばかりだ。妻の死後の、辛そうなものは思い出さない。 やはり、ダニエルも平和が好きなのだ。戦いの中に生きているからといって、苦しいことが好きなわけではない。 ゼレイブにやってきてからは、息子はたまにだが笑っていた。ブラッドやリリ、ヴェイパーと遊んでいる時だ。 だがまだ笑うことに慣れていないらしく、笑顔や態度はぎこちなかったが、八歳の子供らしい明るい表情だった。 ロイズに見つからないように遠くから見ていると、ダニエルもロイズの笑顔に釣られて表情を緩めることもあった。 あの笑顔を奪ったのは、他でもないダニエルだ。フローレンスを死なせ、息子を上手く愛せず、虐げてしまった。 なんとかして、取り戻してやりたい。親らしい親には到底なれなかったが、息子のために戦うことだけは出来る。 任務自体は、いつもと同じだ。戦闘を行って敵を撃破し、人質を保護するだけのことだ。だが、その人質が違う。 それだけで、こうも心が変わるものか。ダニエルは自分に呆れて口元を引きつらせたが、笑みにはならなかった。 二つの足音が扉の前で止まり、叩かれた。ダニエルは表情を元に戻して軍帽を直してから、振り返って答えた。 「入れ」 「お呼びですか、隊長」 扉を開けて入ってきたのはピーターで、その背後にはアンソニーがいた。 「う、おっ」 ピーターはダニエルの姿を見た途端、ぎょっとして身動いだ。アンソニーも、目を丸くした。 「なんですか、その格好は」 「見ての通り、礼装だ。お前達も着たことはあるだろう」 ダニエルは二人に向き直り、腕を組んだ。ピーターは、やりづらそうに視線を彷徨わせる。 「ええ、まあ、何回か着ましたけどね。式典とかで。でも、隊長が着ると、なんつーか、怖いです。様になっているとか、そういうのを通り越して」 「ですが、よくそんなものが残っていましたね。旧王都の竜の城に破棄してきたはずでは?」 アンソニーが訝ったので、ダニエルは窓の外を指した。その先には、ヴァトラス一家の家があった。 「フィリオラの仕業だ。私の元に持ってきたのはレオだがな」 「なんで、また」 ピーターに問われ、ダニエルは返した。 「いや、特に意味はない。あるから着ているだけだ。戦闘に向かうのだからこんなものよりも戦闘服の方が余程いいのだが、どうせ着る機会など他にないのだからいっそ着てしまおうと思ってな」 「着ていくつもりなんですか?」 今度は、アンソニーが問うた。ダニエルは、指の先で鍔を押し上げる。 「他に使う当てがあると思うか?」 「そりゃ、まぁ、そうかもしれませんけど」 釈然としないのか、ピーターは言葉を濁した。ダニエルは軍靴の底を鳴らし、二人に歩み寄った。 「お前達はゼレイブに残れ。ヴェイパーだけは連れていく」 二人は一度顔を見合わせたが、ダニエルに向いた。ダニエルは表情を変えずに、二人の視線を見返した。 「私達がここを離れてしまえば、残されるのは女達だけになる。そこを攻め込まれては、元も子もないからだ。それに、魔導兵器三人衆の性能と攻撃出力は並外れている。お前達が太刀打ち出来る相手ではない」 「ですが、私達は異能部隊です。私達こそ戦うために在るものであり、彼らとは違います」 アンソニーは、ダニエルとの距離を狭めた。ダニエルは、アンソニーを見下ろす。 「連中の方が違うのだ。お前達は、死んだところで何も失わない。ここでは、ただの部外者に過ぎない。だが、他の連中はそうではない。私も、ヴェイパーもそうだ。人とはおかしなもので、失わなければ何も知り得ない。私もまた、失いかけてようやく気付いたほどだ」 珍しく饒舌になっていることに、部下二人よりもダニエル自身が驚いていた。酒が回っているせいかもしれない。 「私はフローレンスを守れなかった。そしてロイズも守れなかった。どちらも手の届く場所にあるから、何があっても守れるのだと思い上がっていたのだ。だが、そうではない。手が届くからと言って、必ずしもそれを守れるわけではない。手が届くからこそ、滑り抜けてしまう。滑り落ちて、砕けてから自覚するのだ。それがとても大事なのだと」 自分の言葉とは思えないような言い回しにダニエルは羞恥を感じ、思わず顔を逸らした。 「とにかく。今回のことは、私達でなんとかする。お前達はゼレイブの護衛に集中しろ」 「了解」 二人は、揃って敬礼した。その手を下げたアンソニーは不本意そうではあったが、従った。 「オレ達があれに敵わないことは、触って視なくても解りますよ。隊長の判断は正しいです。ですが」 「やっぱり、悔しいですよ。信頼されてないんじゃないか、とか思ってしまいますから」 手を下げてから苦笑したピーターに、ダニエルは返した。 「信頼していなければ、置いていくことはない。最前線に配置して、盾にして死なせるとも」 ダニエルは二人から視線を外し、窓の外に目線を投げた。 「出発は明朝、日の出と共に出る。帰りはいつになるか解らないが、三人を確保出来次第、帰還する」 「隊長」 ピーターは敬礼し、笑ってみせた。 「帰ってきたら、ここの酒蔵を空にするぐらい飲みましょう」 「付き合える程度に、だがな」 ダニエルは敬礼し、返してやった。アンソニーも敬礼する。 「ご武運を祈ります、隊長」 「負ける気はしない。私達には勝利しか許されていないからだ」 ダニエルは手を下げると、二人に背を向けた。 「ヴェイパーはどこにいる?」 「さっき見た時は、蒸気自動車の近くにいましたが」 アンソニーが言うと、ダニエルは窓に手を向けた。途端に上下式の窓が動き、がたっ、と威勢良く全開になった。 ダニエルは自身に念動力を向けて、体を浮かび上がらせた。二人に振り返ることもなく、開けた窓を滑り抜けた。 ブラドール家の屋敷から離れる前に、窓に手を向けて窓を閉めてから、地面に足を付けずに滑空していった。 飛ぶ方が、歩くよりも速い。ダニエルは冷え切った夜の空気を切り裂くような勢いで、ゼレイブの上空を飛んだ。 藍色の闇に包まれている街の中央を通る太い道は、昨日の戦闘によって破壊され、穴がいくつも空いている。 一際巨大な穴は、ルージュの砲撃によって出来たものである。道を辿っていくと、街の出口へと繋がっていた。 かつて魔力の蜃気楼に遮られていた部分には、今は何もなく、外界と同じ景色の大地と夜空が広がっていた。 ゼレイブと外界との境目には、ギルディオスがヴィクトリアと伯爵と共に乗ってきた黒塗りの蒸気自動車がある。 蒸気自動車の後方には荷車が付けられ、搭乗人員を大幅に増やしているが、実質的にはヴェイパーのためだ。 荷車は木製だが、リチャードが物質強化魔法を施したのでかなり丈夫になり、機械人形の重量にも耐えられる。 魔力式蒸気機関の出力も引き上げ、動力機関もラミアンが改造したので、以前よりも速度を出せるようになった。 移動には空間転移魔法も用いるが、それだけでは不安定な上に、リチャードばかりに負担が掛かってしまう。 なので、蒸気自動車の存在は欠かせない。魔法や異能力を操る面々とはいえ、自力で進むのには限界がある。 ダニエルは高度を下げて、蒸気自動車の上で制止した。ヴェイパーの姿を探すと、道の先に突っ立っていた。 ダニエルが近付くよりも先に、ヴェイパーがこちらに向いた。ダニエルは、ヴェイパーと蒸気自動車の間に降りた。 「ヴェイパー、ここにいたのか」 「隊長」 ヴェイパーはダニエルに向き直ると、大きな肩を震わせ、俯いた。 「ごめんなさい」 「何を謝る」 「だって、僕はロイズを守れなかった。守らなきゃいけないのに、ロイズには僕しかいないのに!」 ヴェイパーは金属を震わせて生じさせている鈍い声を張り、蒸気と共に怒気を溢れ出させた。 「でも、ダニーは苦しくないよね!? だって、ダニーはロイズを捨てるんだから!」 「何が言いたい」 「ダニーは、来なくてもいいよ。僕がロイズを助けるんだ。ロイズは僕の弟で、友達で、仲間なんだから」 「ロイズは私の子だ」 「でも、捨てるんじゃないか! そんなの、親でも子でもないよ!」 ヴェイパーは怒りと共に沸き上がる悲しさから、叫んだ。ロイズが連れ去られる寸前に、思念が流れ込んできた。 助けてくれない父親への失望と、兄に助けてほしいとの声と、母親のように誰も死んでほしくないとの強い願いだ。 そのどれもが、ヴェイパーの魂に残留している。ヴェイパーはロイズの声にならない声を思い出しながら、喚いた。 「ひどいよ、ダニー! どうしてそんなことが出来るの! ダニーはフローレンスを好きじゃなかったの、ロイズを嫌いになったの、ねえ、そうなのダニー? 答えてよ!」 ヴェイパーの絶叫が収まると、彼の背部に付いた煙突から蒸気が噴き出した。辺りに、むっと熱い湿気が漂う。 「それ以外に、有効な手立てがあると思うか?」 ダニエルは手袋を填めた両手を、握り締めた。 「死なせないためには、前線に出さないことが一番だと思わないか、ヴェイパー」 ダニエルは自虐的に、唇の端を持ち上げた。 「私は頭が悪いようでな。それ以外の方法が思い付かなかったのだ。他にあるなら是非言ってくれ」 ダニエルの言葉にヴェイパーは項垂れ、どしゅう、と全ての関節から蒸気を吐き出し、両腕をだらりと垂らした。 「ダニーの言っていることは解るけど、でも、やっぱりロイズが可哀想だ」 ダニエルはヴェイパーに近付き、首を横に振った。 「悪いのは全て私だ。お前にもロイズにも責任はない」 「ダニー…」 ヴェイパーが顔を上げると、ダニエルは幾分か表情を柔らかくしていた。 「帰ってきたら、ロイズの好きなものを教えてくれないだろうか。全く情けない話だが、私はあの子について無知にも等しい。ロイズのことは、フローレンスに任せきりにしていた。面倒事のほとんどはフローレンスに押し付けて、都合のいい時だけ関わっていただけだった。思い出してみれば、ずっとそうだった。そんな調子では、ロイズと上手くやれなくて当然だ。だが、これからはそうもいくまい」 「…うん」 ヴェイパーは頷いたが、ダニエルと目を合わせようとしなかった。 「でも、僕はすぐにダニーを許せないよ。ロイズも、たぶんそうだと思う。だって、フローレンスが死んじゃってからのダニーは、本当にひどかったから」 「解っている。一朝一夕でどうにかなるほど、簡単ではない」 ダニエルは、ヴェイパーに背を向けた。 「明日は早い。お前も休んでおけ、ヴェイパー」 「ダニー」 ヴェイパーは、ダニエルの背に呼び掛けた。 「結構、酔っているでしょ? だって、いつもはこんなに長く喋らないもん。それに、その格好だって」 「たぶんな」 ダニエルは、酒気による火照りを感じていた。室内ではそうでもなかったが、夜気に当たると酔いを自覚した。 緩い夜風が軍服を揺らし、上気した肌を冷ましていく。酔いはそれほど激しくないので、明朝には抜けるだろう。 ブラドール家の屋敷の食堂で行われた晩餐で、ダニエルはレオナルドから注がれるままに酒を飲んでしまった。 いつもであれば、切りのいいところで自制するのだが、今日に限っては注がれた分だけきっちり飲み干していた。 やはり、いつもと同じではない。任務の前に酔いが回るほど酒を飲むなど、ダニエルの性格では考えられない。 敢えて酒に酔ったのは息子が攫われた動揺を紛らわすためと、己に対しても頑なな心を解すために違いない。 我ながら、扱いづらい性格だ。 日も昇らぬ早朝。ギルディオスは、皆を待ち受けていた。 蒸気自動車に胡座を掻いて座り、背中には相棒のバスタードソードを背負い、腰には魔導拳銃を差していた。 荷物の中に入れてはいたのだが、今までの旅路ではヴィクトリアがいたので使う必要がなく、出していなかった。 ギルディオスの傍にはヒビの走ったフラスコが転がされ、その中では赤紫色のスライムが緩く波打っていた。 伯爵は珍しく、ブリガドーンに行くと進言した。ギルディオスの予想では、行かないと言い張るのだと思っていた。 だが、来てくれるのであれば都合がいい。方向感覚だけは恐ろしく優れている伯爵は、羅針盤代わりに最適だ。 ブリガドーンまでの道程は遠く、道筋は不安定だ。確実に辿り着くために、方向感覚は確かでなければならない。 蒸気自動車には既に火を入れていて、煙突からは蒸気が立ち上っている。空気が冷えているので、一際白い。 最初に姿を現したのは、なぜか黒いマントと上下という礼装に身を固めている半吸血鬼の青年、ブラッドだった。 彼はルージュの作った大穴を見下ろしていたが、ぽんと軽く飛び越えてしまうと、蒸気自動車に駆け寄ってきた。 「おっちゃん!」 ブラッドは手を挙げ、ギルディオスに声を掛けた。ギルディオスも、手を挙げ返す。 「おう、ラッド。つうかなんだよ、その小綺麗な格好は。夜会にでも行くつもりか?」 「まあ、なんでもいいじゃん。あんまり気にしないでくれね?」 ブラッドは照れ笑いしながら、マントを翻して屋敷の方向を指した。 「他の皆もすぐに来るってよ」 ブラッドの言葉通り、程なくして人影が複数現れた。紺色の長いマントと紺色の礼装に、長い杖を抱いている。 その影から少し離れて歩くのは、暗赤の戦闘服に身を包んでいる男だった。リチャードとレオナルドであった。 二人は戦痕に落ちないように歩いてくると、蒸気自動車の上に座っているギルディオスに気付き、挨拶した。 だが、二人の目線は自然とブラッドに向いていた。ブラッドはばつが悪そうに顔を逸らし、ぐしゃりと髪を乱した。 「別にいいじゃんかよ。オレも吸血鬼なんだしさ」 「うん、それを踏まえて考えれば問題はないんだけど、戦いに行く格好とは違う気がするんだよねぇ」 リチャードが言うと、レオナルドは頷いた。 「まあ、そうだな。それを言ったら、兄貴もそうだとは思うが」 「馬鹿なことを言っちゃいけないよ、レオ。僕のは魔導師協会の礼装だよ、充分ちゃんとしているさ。ラミアンさんが持っていたやつを譲ってもらったんだよ。ところで、レオのそれは何?」 リチャードは杖の先で、レオナルドの着ている異能部隊の戦闘服を指した。レオナルドは、逆手に墓場を指す。 「ポールの奴から借りたんだ。帰ってきたら、あいつにちゃんと返してやるさ」 「レオ。戦う前にそんなことを言うと、ころっと死んじゃう確率が恐ろしく上がるんだぞ。縁起悪いなあ、もう」 「どこの国の迷信だ、それは」 レオナルドが変な顔をすると、さあねぇ、とリチャードは肩を竦めた。ブラッドは、ギルディオスを見上げる。 「そうなん、おっちゃん?」 「さあ…」 ギルディオスも今一つ意味が解らず、首を縮めた。すると、薄闇を切り裂くように銀色の影が高く跳ね上がった。 銀色のマントを翻して銀色の仮面を被った銀色の骸骨は、しなやかな動きで身を捻ると、一直線に降ってきた。 足音も立てずにギルディオスの目の前に着地し、立ち上がった。ラミアンは胸に手を当てて、深々と礼をする。 「いざ、ブリガドーンへ参りましょう」 「おう。気張っていこうじゃねぇか」 ギルディオスは、ラミアンに頷いた。 「ダニーさんとヴェイパーも来たぜ」 ブラッドが声を上げたので、全員の視線が一点に向いた。視線の先には、機械人形と男が宙に浮いていた。 巨体の機械人形は風船のように軽い動きで進んでおり、それを操っている男もまた身軽に飛んで近付いてきた。 ダニエルとヴェイパーである。ダニエルが右手を下ろすと先にヴェイパーが落下し、地面を鳴らして着地した。 ダニエルも降下して蒸気自動車の手前にやってくると、飛んでいたために少々ずれてしまった軍帽を整えた。 「これで全員です、少佐」 「早く行きましょう、少佐!」 ヴェイパーは意気込んで両の拳を握り、煙突から蒸気を吐き出した。すると唐突に、伯爵が発言した。 「ふと思ったのだが、貴君らは一体どういう団体なのかはっきりしておらぬのではないか?」 「あん?」 ギルディオスがフラスコを弾くと、伯爵はごろりと転がったが一回転して元に戻った。 「ここまでの大人数であるにも関わらず、この団体がどういった存在であるかを示す名前がないというのは、不自然極まりないのである。よってここは、我が輩の類い希なる頭脳から導き出した素晴らしき名を!」 「ヴァトラス小隊」 ギルディオスは伯爵のフラスコを、拳で軽く叩いた。 「それが一番解りやすくて簡単でいいだろ」 「それではまるで貴君が隊長のようではないかね、ニワトリ頭よ」 「異存がありゃ、言ってくれたっていいんだぜ?」 ギルディオスは皆を見回してから、ダニエルに目線を止めた。ダニエルは、首を横に振る。 「ありません。私では、この連中をどうにか出来るとは思えませんので」 「ある、異存?」 リチャードはレオナルドに尋ねたが、レオナルドは素っ気ない。 「あるんだったら自分で言え。オレは別に文句もない。一度限りの部隊なんだから、名前なんて単純でいい」 「父ちゃんも、言いたいことがあったら言っておいたら? オレは、特にないけど」 ブラッドが声を掛けると、ラミアンは悩むように顔を伏せていたが、上げた。 「私達の魂を奮い立たせ滾らせるほどの熱と、戦神の如き実力を持つギルディオスどのでなければ、我らを率いて進めないでしょう。本来、決して交わるはずのない私達に共通するものがあるとすれば、あなたしかおられません。あなたの名を冠した名称こそ、今の我々に相応しいかと思います」 「じゃ、決まりだね!」 ヴェイパーは、大きく頷いた。ギルディオスはボンネットの上に立ち上がり、鞘からバスタードソードを引き抜いた。 東の山脈の端から昇り始めた朝日の一筋が差し込み、剣を輝かせる。ギルディオスは、腹の底から声を出した。 「目標はブリガドーン! 敵は魔導兵器三人衆! 救出対象はリリとロイズとヴィクトリア!」 ギルディオスは、剣先を空に突き刺さんばかりに掲げる。 「我がヴァトラス小隊の任務は、子供達の救出と、全員の生還である! 死んだりしたら、承知しねぇからなあ!」 そう。深く考えることはない。戦う相手がどれだけ強くとも、恐ろしくとも、戦うことはそれほど難しいことではない。 剣を振るって信念のままに突き進み、敵を倒すのみ。愛する者達を奪い返し、元のような平穏を取り戻すのだ。 これまで、ずっとそうやってきた。これからも、ずっとそうやっていく。この命が完全に燃え尽きる、その瞬間まで。 ギルディオスは剣を納めると、蒸気自動車に乗り込んだ。他の面々が乗ってから、最後にヴェイパーが乗った。 魔法で強化したはずの荷車はぎしっと嫌な軋みを立てたが、壊れた様子はなかったので、出発することにした。 ヴァトラス小隊。それは、その場凌ぎの面々で結成された、人ならざる者達によって構成されている戦闘部隊。 だが、信念は共通している。守るために戦うのだ。黒塗りの蒸気自動車の向かう先は、遠き空に浮かぶ山である。 そこには、愛する者達と戦いが待っている。 日常を守るためには、戦わなければならない。 人ならざる男達はそれぞれの胸に思いを抱え、天空に浮かぶ山へと旅立った。 愛する者を取り戻すため。愛する者を殺すため。愛する者と向き合うため。 男達は、戦うのである。 07 6/5 |