ドラゴンは滅びない




衝迫



 息子の面差しは、若い頃の自分に良く似ていた。
 輪郭も目鼻立ちも骨格も立ち姿も瞳の色さえも、生身のラミアン・ブラドールから写し取ってきたかのようだった。
だが、ラミアンと大きく違うのは、その表情が激しいことだった。すぐにでも暴発しそうなほどに、殺気立っている。
生前に自分はこんな顔をしたことがあっただろうか、と物思いに耽りそうになったが状況を思い出して振り払った。
 ブラッドは、自分の体格ほどもあろうかという大きさに成長させた翼を一振りして砂埃を散らし、肩を上下させた。
獣の唸りを喉の奥から零しながら、砂を踏み付けながら近付いてくる。ラミアンは身構えつつも、息子に言った。

「ブラッディ。勝ち目のない戦いほど、愚かなことはない」

「だっからうるっせぇんだよ!」

 立ち止まったブラッドは、歯を剥いて叫んだ。二本の牙は太さを増しており、若干伸びている。

「オレはもう二十だ、昔と同じガキだとは思うんじゃねえ! 女のことぐらい、勝手にしたっていいだろ!」

「その相手が問題なのだよ、ブラッディ」

「うるせえっつってんだろうがあっ!」

 ブラッドは地面を蹴って翼を広げ、ラミアンに飛び掛かってきた。ラミアンはそれを避けずに、立ち尽くしていた。
真正面から突っ込んできた息子の腕を掴み、押し上げる。爪を肌に食い込ませて、息子の顔に仮面を寄せる。

「私は正しいことを言っている。違うかね?」

「正しいとか正しくないとか、そんなのはどうだっていいんだよ!」

 ブラッドは父親の手を振り払うと同時に、ラミアンの胸元を蹴って跳ね上がり、翼を広げて空中に浮かんだ。

「こいつはオレの問題なんだ、オレがなんとかしなきゃ意味がねぇんだよ!」

 ブラッドは右腕を突き出し、人差し指を立ててラミアンに向けた。目を細め、照準を定める。

「閃光!」

 指の手前に光の刃が生み出され、放たれた。ラミアンは真上から降ってきた刃を避け、地面を蹴り上げた。

「もう少し溜めてから放たないか。そんなことでは威力が浅い」

 一跳びで息子の傍らまで浮上したラミアンは、腰を曲げて足を伸ばした。

「その上、魔力の練りが荒いと来ている!」

 鋭利なつま先ではなくかかとを振り、ブラッドの肩に叩き込んだ。ブラッドの姿勢は揺らぎ、僅かに高度が下がる。
姿勢を直そうとした息子の胸元を足場にして、高く舞い上がる。ラミアンは上空で一回転し、マントをなびかせた。
空中で二度も打撃を喰らったため、ブラッドは落下し始めていた。飛行能力があっても、姿勢が悪ければ落ちる。
背中から地面に激突する手前で、ブラッドは翼を羽ばたかせて風を孕み、空気を下に叩き付けながら浮上した。
 ラミアンは銀色のマントに魔力を流し、その形を平らに固定させる。そのまま滑空して、教会の屋根に降りた。
ブラッドは、真っ直ぐにこちらに向かってくる。魔法を放とうとしているらしく、右手の指を立てて呪文を唱えている。

「飛び道具に頼るのは未熟な証拠だぞ、ブラッディ」

 一笑したラミアンはマントを元に戻し、屋根の上を跳ねるように後退して距離を開けてから一際強く蹴り上げた。
一瞬にして、教会の屋根が小さくなり、壊れた町並みが視界に全て入る。息子の姿もまた、真下に見えていた。
急に姿を消したと思っているのか、ブラッドは戸惑い、制止している。ラミアンは、内心でにやりと目を細めた。
動きを止めたら、戦いは終わる。頭を下に向けて落下を始めたラミアンは、右手の爪を大きく開き、接近した。
風を切る音でようやく気付いたブラッドは、上を向いた。そして、真上から降ってくる銀色の骸骨にぎょっとした。

「うげっ!」

 慌てて軸をずらして避けたが、顔のすぐ前に鋭い爪が振り下ろされ、前髪の毛先が数本切られてしまった。
ラミアンは崩れた家の屋根に着地し、立ち上がった。上空で苦い顔をしている息子を見上げると、爪を掲げる。

「真上は、誰にとっても死角となる場所だ。覚えておきたまえ。私も、伊達に人を殺してはいないのでね」

「こんの…」

 野郎、と言おうとしてブラッドは飲み込んだ。ラミアンが俊敏であることは知っていたが、これほどだったとは。
アルゼンタムであった頃や、ラミアンに戻ってからの戦闘を見たことはあったが、見るのと戦うのでは大違いだ。
まず、音がしない。余程入念に整備しているのだろう、関節が動く音や軋む音、足音すらも一切聞こえなかった。
着地音や風切り音で接近されていることを悟った時には既に遅く、あの大きな手の長い爪が急所を狙っている。
父親の爪に喉元を抉られなかったのは、手加減されているからだ。そうでなかったら、一撃で殺されるに違いない。
 緊張と恐怖と焦燥で喉が痛いほど渇いてしまい、唾を強引に飲み下した。ブラッドは両の拳を固め、低く唸った。
ラミアンは爪先を擦り合わせ、澄んだ金属音を奏でた。狂気の仮面を貼り付けた仮面が、月光で薄く輝いている。

「もう、終わりかね」

 この程度で観念するなら、大したことはない。ラミアンはブラッドと視線を交えたが、ブラッドは動かなかった。
所詮その程度の恋心か、と呆れると同時に安堵もした。諦めてくれるなら何よりだ。そうすれば、死ぬことはない。
見苦しくても、情けなくても、泥臭くても、生きてさえいれば。ラミアンがそう思っていると、ブラッドは夜空に猛った。

「じゃあ、他にどうしろってんだよ!」

 ブラッドは肩を怒らせ、衝動を吐き出す。

「オレだって、本当は死にたくねぇしあいつを殺したくなんてねぇ! でもな、それ以外に何も思い付かないんだよ! あいつはオレを殺そうとした、だから殺し返すしかねぇんだよ! どれだけ好きだって思っても会えるわけがねぇし、会ったところでやることは決まって戦闘だ! あいつがオレなんかを好きになってくれるわけもねぇし、好きだなんて言えるわけもねぇ!」

 激しい感情と共に滲み出てきた涙を拭うこともせず、ブラッドは猛り続ける。

「父ちゃんなら解るだろ、母ちゃんを殺そうとしたんだから! なあ、解らねぇはずがねぇよなあ!」

 ラミアンは、僅かに頷く。

「あの時は、死が彼女を救うと信じていたからだ」

「じゃあ、なんで解ってくれねぇんだよ!」

「私はお前の父親だからだ。だからこそ、お前の思いを認めるわけにはいかないのだよ、ブラッディ」

 ラミアンは、ゆっくりと首を横に振る。

「やはり、恋は魔物だな。一度魅入られてしまっては、抜け出すことは敵わない」

「でも、好きなんだ」

 ブラッドは翼を縮めて降下し、地面に足を付けた。荒い手付きで、溢れ出す涙を拭う。

「好きだけど、敵なんだ。戦わなきゃいけないんだ。あいつがしたことは許せねぇし、腹が立つ。けど」

「殺さねば、殺される」

 ラミアンが静かに呟くと、ブラッドは夜空を仰ぎ、吼えた。

「なんでそうなっちまうんだよお、なんでそうならなきゃいけねぇんだよおっ、訳解んねぇよ!」

「ああ、本当に解らないな」

 ラミアンはブラッドに歩み寄ると、嗚咽のたびに上下している肩に手を載せた。

「だが、お前はあの女を愛しているのだな」

「好きだ」

 ブラッドはラミアンの冷ややかな肩に額を押し当て、呻いた。

「ルージュが好きだ。好きで好きでたまんねぇ。兵器だけど、生身じゃねぇけど、敵だけど、抑えらんねぇんだ」

「それだけは、私も理解出来る。だが、やはり、認めるわけにはいかない」

 ラミアンは翼が生えている息子の背に、手を添えて支えた。ブラッドは父親に縋り、泣き喚く。

「どうしてオレはあんなのに惚れたんだよ、なんでだよ!」

「泣くが良い、ブラッディ。泣けば、少しはお前の頭も冷えるというものだ」

 ラミアンが言うと、ブラッドの泣き声は増した。幼い子供のように泣きじゃくりながら、不明瞭な言葉を放ち続けた。
ルージュへの恋心と戦いへの不安、子供達への思い、自分自身への戸惑い、焦燥、嫌悪が混じり合っていた。
余程、溜め込んでいたのだろう。ブラッドはなかなか泣き止まず、ラミアンはその体を支えているしかなかった。
 誰かを愛することは、難しい。愛しても愛されるとは限らず、また、愛したところでその愛が正しいとは限らない。
ブラッドは、その狭間に立ち尽くしている。愛しくてたまらない相手に愛を向けることは、皆への裏切りも同然だ。
 ルージュはゼレイブの平穏を破壊した侵略者であり、恐ろしい魔導兵器であり、子供達を攫った者達の仲間だ。
ヴァトラス小隊が結成されたのも彼らから子供達を取り戻すためであり、彼らは紛うことなく敵といえる存在だ。
ラミアンも、彼らのことは憎たらしい。十年も掛けて積み上げた平和を一瞬で打ち壊し、子供達を攫っていった。
ブラッドもまた憎みたいのだろうが、ルージュへの愛がそれを阻んでしまう。だから敢えて、愛情を憎悪にした。
愛しいからこそ、腹の底から憎んでしまおうと思ったのだろう。青臭い判断だが、ブラッドらしい判断でもあった。
だが、彼女を憎みきれなかった。ラミアンの知る限り、ブラッドが女性を愛するのはこれが初めてのことだった。
初めての恋は、どんな出来事よりも眩しい。二十歳になったとはいえ、まだまだ青臭い息子には眩すぎたのだ。
愛情と憎悪の狭間で揺れ動いたからこそ、こんなにも苦しみ、悩み、苛立ちが攻撃衝動へと変化してしまった。
 全く、愚かな息子だ。だが、だからこそ愛おしい。




 翌朝。ブラッドは、ばつが悪かった。
 ヴァトラス小隊を乗せた黒塗りの蒸気自動車は、作戦会議で決まった道順を辿り、ブリガドーンへ向かっている。
昨夜の取り決め通りに、ダニエルが斥候役として先発したので、蒸気自動車の乗員はいつもより一人減っていた。
 ブラッドは普段は蒸気自動車の後部座席に収まっているのだが、今日ばかりは荷車の一番後ろに座っていた。
あれほど大見得を切って外へ飛び出したにもかかわらず、結局は自分が泣いてしまい、自滅したも同然だった。
自分でも呆れるほど泣き喚いたことも情けなく、しかも泣きついた相手が父親と来ては逃げたいほど恥ずかしい。
だが、この場から逃げるわけにもいかない。少しでも前進し、ブリガドーンへ近付かなければならないのだから。
逃げたりしたら進行を妨げることになり、今度こそこってり叱られる。しかし、どうにも居心地が悪くて仕方ない。
 誰とも顔を合わせたくないので、蒸気自動車が連結している荷車の一番後ろに座ったのだがヴェイパーがいた。
昨夜の一部始終を見ていたらしく、興味津々といった様子で見つめてくる。他の者達も、妙ににやついている。

「いやあ、若いっていいねぇ」

 後部座席に座るリチャードは上半身を捻り、ブラッドに向いた。その隣で、レオナルドが笑いを噛み殺している。

「男が泣いてどうする。女を泣かせるのが男の仕事だろうが」

「そうそう。足腰立たなくなるぐらいに徹底的に責めて泣かせてあげるのが、男冥利ってものでしょ」

 リチャードの言葉に、運転席のギルディオスがげらげらと笑った。

「そりゃあそうだな、違いねぇや!」

「ねえブラッド、これって一体何の話なの?」

 会話の意味が解らなかったのか、ヴェイパーがブラッドに尋ねてきた。ブラッドは、顔を逸らす。

「オレに説明出来るかってんだよ」

「でも、相手の体があれじゃ、泣かせようにも泣かせられないかな?」

 まず入れる場所がない、とリチャードはにやけた。レオナルドも、少々品のない笑みを浮かべている。

「あの体とあの肌じゃ、どれだけ攻めたところで感じそうもないしな」

「ていうか、なんでいきなり話が飛躍するわけ? 別に、オレはまだそういうことは」

 ブラッドが渋い顔をすると、ギルディオスはブラッドに横顔を向けた。

「考えねぇ方が不自然だろうが、ラッド。で、あの女のどこが好きなんだ? やっぱりあのでかい胸か?」

「はっきり言うなあ、もう」

 ブラッドが辟易すると、レオナルドがにやけた。

「そうか、お前はでかい方が好きか。だが、小さいなら小さいなりにいいこともあるぞ」

「へえ、例えば?」

 リチャードに問われ、レオナルドはだらしなく頬を緩めた。

「色々だ。だが、朝っぱらから話すことじゃないのは確かだ」

「それもそうだねぇ」

 リチャードはやけに楽しげに笑いながら、ブラッドに向いた。

「でも、女の子の価値は胸の大きさじゃ決まらないよ。その辺のことも、夜になったらとつとつと語ってあげよう」

「どうせ女達はいねぇんだ、遠慮することはねぇ。ばっちり聞いておけよ、ラッド!」

 ギルディオスはやる気の入った仕草で、親指を立てる。ブラッドは、やりづらくなって髪を掻き乱した。

「いや、ちょっと遠慮したいかもしんね」

「ねえ、だから何の話なの?」

 再度ヴェイパーに尋ねられたブラッドが口籠もっていると、ギルディオスがひらひらと手を振った。

「猥談に決まってんだろうが、猥談。退屈凌ぎに丁度いいだろ」

「ああ、アレのことか。ブラッドも、そういうのって好きなの?」

 ヴェイパーは説明されて理解したようで、頷いた。考えてみれば、ヴェイパーは男だらけの世界で育ったのだ。
その手の話を聞かされていない方が不自然だ。だが、上手い切り返しが思い付かず、ブラッドは顔を逸らした。

「好きっていうか…うん…」

 ダニエルがいれば押さえてくれるかも、とは思ったが、彼も立派な男なので、この話題に乗らない保証はない。
だが、彼らの話に出てくる女性達は、いずれもブラッドが親しくしている者達なのでどうにも生々しくて敵わない。
知らない女性達の話であれば遠慮せずに聞けるのだろうが、彼女達の秘密を覗くのも同然なので躊躇してしまう。
ラミアンが止めることを期待したが、当のラミアンは蒸気自動車の遥か上空を滑空しており、会話に混ざれない。
聞きたいような、聞きたくないような、だが聞いてしまいたいような。ブラッドは理性と好奇心の狭間で揺れていた。

「ラッド」

 唐突にギルディオスが口を開いたが、その口調はいつになく硬かった。

「お前の言い分は大体解った。けどな、やっぱりそいつを受け入れることは出来ねぇ。オレは隊長だ。お前ら全員の力を最大限に引き出し、お前ら全員の命を守る義務がある。ついでに、この戦いはお前一人の戦いじゃねぇ。ここにいるオレ達全員の戦いだ。だから、勝手に突っ走られると困るんだ。戦闘部隊ってのはな、規律が取れてこそのものなんだ。ここにいるのは気心の知れた連中ばかりだから規律が取れているように思えるかもしれねぇが、規律ってのは馴れ合いとは違うんだよ。解るか」

「そりゃあ、まあ…」

 ブラッドは曖昧な返事をしたが、ギルディオスは続けた。

「いや、解っちゃいねぇ。まあ、今まで一度も戦ったこともねぇんだから、解るわけもねぇだろうが。だが聞け、ラッド。お前が本当にあの女を殺す覚悟があるのなら、ルージュと戦うことを許可してやってもいい。だが、ルージュを生かしてやろうとか殺さずに逃がしてやろうとか手加減してやろうとか、そんな甘っちょろいことを少しでも考えているのであれば、横っ面を殴り飛ばしてやる。どうなんだ、ラッド」

 ブラッドは己の手を広げ、見つめた。手を力一杯握り締めた際に爪が皮膚を貫いたため、浅い傷が出来ていた。
その傷は既に塞がり、血も出ていなかったが、痛みは僅かに残っていた。手を握り締めると、痛みは深まった。
あれだけ暴れて泣き喚いたからか、不思議と心は落ち着いていた。ブラッドは手を開くと、再度強く握り締めた。

「殺せる。殺さなきゃならないんだ、ルージュは」

「躊躇うな。そして迷うな。目的を完遂することだけを考えろ」

 ギルディオスの強い言葉に、ブラッドは明瞭に答えた。

「了解」

 その様を上空から見下ろしていたラミアンは、甘い判断だ、と思ったがギルディオスの心遣いに感謝もしていた。
ここで更に押さえ付けては、ブラッドは反発するだろう。その結果、事態が悪化する可能性も充分に考えられる。
甘いが、妥当だ。ブラッドの若く荒ぶる心をたしなめるには、彼を認めた上で厳しい言葉を下さなければならない。
さすがに手慣れたものだ。ラミアンは改めてギルディオスという男に感服しながら、マントに風を孕み、上昇した。
 愛するが故に道に迷うことは、よくあることだ。ラミアンも、ジョセフィーヌを愛した時には周りが見えなくなった。
その時は、ラミアンだけが問題を抱え込んでいたために悪い方へとばかり進み、ついには己の命すら落とした。
だが、ブラッドは違う。彼の周囲には、クセは強いが気を許せる仲間がおり、彼のことを思う者達が存在している。
それだけで、行き着く先は大きく変わる。息子の未来が明るくあるように、とラミアンは願いながら、前を向いた。
 ヴァトラス小隊は、刻々と戦地に近付いていた。



 愛するが故に、思うが故に、心は乱れる。
 若き吸血鬼の荒削りの恋も愛であり、また、その父の思い遣りも愛である。
 そして、鋼鉄の乙女への殺意も、苦しみの末に生まれた愛である。

 愛とは、極めて複雑なのである。







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