「次から次へとやられおって」 それは、明らかに嘲笑だった。 「所詮、その程度っちゅうことか。ああ、下らんのう」 ぎちぎちと硬く擦り合いながら、金剛鉄槌の分厚い底と巨大な金属製の拳が鬩ぎ合っている。 「フリューゲルもルージュも、お前の仲間じゃないのか!」 どしゅう、とヴェイパーは右腕の肘関節から蒸気を噴き出した。右腕には、込められるだけの力を込めている。 足も力一杯踏ん張っているが、それでも少しでも気を抜けば押し戻されてしまいそうなほどに、敵の力は強い。 だが、ラオフーは片手で軽く鉄槌を押しているだけだ。それだけのことなのに、ヴェイパーは押し戻せなかった。 見るからに高出力の魔導兵器だとは思っていたが、これほどとは。予想以上の腕力に、正直気圧されていた。 しかし、一瞬でも怯めば叩き潰される。ヴェイパーはぐいっと腰を捻って、金剛鉄槌を押し退けるべく踏み込んだ。 「あ、ほい」 ラオフーはくるりと身を捻り、ヴェイパーの足元を崩した。呆気なく、ヴェイパーは前方に倒れ込んだ。 「うわっ」 両腕を付いて起き上がり、ラオフーと向き直ると目の前に金剛鉄槌が差し出された。 「あの二人が仲間じゃと? 何をたわけたことを言うとるんじゃ、おぬしは」 細かな傷の付いた金剛鉄槌の底には、無表情な魔導兵器の顔が映り込む。 「あの二人は儂のことをそう思うとったようじゃが、儂はそんなモン、欠片も思うたことはないのう。禁書を集めとったのは、あの女にだけは義理を通しておかんといかんと思うたからじゃ。他のことは、どうでもええんじゃ。あの二人のこともどうでもええ。やられてしもうても、爪の垢ほども気にならんわい」 ラオフーの口調は極めて冷淡で、どこか退屈そうでもあった。 「あの小童共を攫っておぬしらを巻き込んだんも、ちぃとぐらいは楽しみたいと思うたからに過ぎん。馬鹿鳥がリリを攫ってきよったのが切っ掛けっちゃ切っ掛けじゃが、他の二人はついでじゃ。強いて言えば、おぬしらを引っ掛ける餌に過ぎん」 「ラオフー、お前、ロイズ達をなんだと思っているんだ!」 拳を振り上げ、ヴェイパーは金剛鉄槌に叩き込んだ。激しい衝突音と火花が飛び散り、僅かに鉄槌が揺れる。 金剛鉄槌の向こう側で、ラオフーの赤い瞳が細められた。ヴェイパーの真剣な態度を、可笑しく思っているのだ。 「喰うにも足らんモンじゃ。あんなモンは、爪先で弄ぶだけで簡単に死んでしまうからのう」 「このおっ!」 ヴェイパーは左腕を振り上げて叩き込もうとしたが、すかさずラオフーの手が出され、簡単に受け止められた。 これでは、戦いにならない。ラオフーとの戦闘を始めた当初から、ラオフーはほとんど動かずに応戦し続けている。 ヴェイパーがどんなに勢い良く突っ込もうとも、蹴りを入れようとも、打撃を加えようとも、片手と鉄槌一本で受ける。 それも、受け流すのではなく、全ての力を吸収してしまう。だが、ラオフーの足元は崩れる気配すら見せなかった。 その恐ろしいまでの安定性は、ラオフー自身の絶大な重量が生んでいるものだ。しかし、それだけは削れない。 仮に金剛鉄槌を手放させるか破壊したとしても、それはラオフーの体重には関係ない。だから、削りようがない。 だが、絶対に勝たなければならない。ヴェイパーは内部の蒸気機関に高圧の蒸気を流し、各駆動部分に伝えた。 「右腕部蒸気圧、解放!」 ヴェイパーは右腕を下げて身を引いてから、腰を大きく捻って右腕を突き出した。 「射出!」 がしゅっ、と右腕の肘の接続が独りでに外れる。上腕内部からの蒸気圧で、樽に似た形状の腕を押し出した。 白い煙を引きながらラオフーに向かったが、ラオフーは金剛鉄槌を持っていない左手を挙げ、容易く受け止めた。 「掠りもせんわい」 ラオフーはヴェイパーの右腕を足元に放り投げ、肘から先のない右腕から蒸気を漏らす魔導兵器を見下ろす。 「もうちぃと、骨のある戦いをせんかい」 ラオフーの腰の後ろでは、円筒を連ねた尾がゆらゆらと揺れている。その仕草は、機嫌の悪いネコに似ていた。 「おい、トラネコ!」 苛立った声に顔を上げたラオフーは、背後の瓦礫の上に立っている甲冑を見やった。 「なんじゃい、ニワトリ頭よ。おぬしとはやらんと、さっき言うたじゃろうが」 ギルディオスはバスタードソードを肩に担ぎ、ラオフーを睨んでいた。戦いを始めてすぐに、除け者にされたのだ。 ラオフーにどんな意図があるのかは解らない。だが、ラオフーは、ヴェイパーとだけ戦いたがっているようだった。 ギルディオスも何度も斬り掛かっていったのが、その度に邪魔だと罵られて、そして遠くへと放り投げられたのだ。 幸い、投げられた場所は陸地だったのですぐに走って戻って来たのだが、戦況は先程から変わっていなかった。 その間にも、アルゼンタムがフリューゲルを破り、ブラッドがルージュを破ったのだが、こちらは依然硬直している。 こちらがどれだけ本気で掛かろうとも、ラオフーは欠片も本気にならない。まるで、じゃれ合いのような戦いだった。 ヴェイパーが本気になればなるほど、ラオフーは冷めていく。ギルディオスが熱くなろうとも、それは同じだった。 考えようによってはラオフーの挑発にも思えるが、無駄な軽口を叩く様子もないので本当に冷めているのだろう。 「儂は釣りがしとうてな」 ラオフーは、にたりと赤い瞳を細めた。 「釣りだと?」 ギルディオスが聞き返すと、ラオフーはからからと笑い声を上げた。 「そうじゃ、その釣りじゃ! 儂がやりとうてたまらんのは、禁書集めでも連合軍との小競り合いでも狩りでものうて、釣りだけなんじゃて! それ以外のことはどうでもええんじゃ!」 「だったら海にでも行きやがれ」 ギルディオスが毒突くと、ラオフーは金剛鉄槌を肩に担いだ。 「その釣りとは違う釣りじゃ。儂の持っとる餌は逸品でな、ええ獲物を引っ掛けられる。じゃが、その餌に食らい付く獲物は決まっちょる。その獲物がおぬしなんじゃ、ヴェイパー」 「僕…?」 魔法を施してあるので自動的に戻ってきた右腕を付け直し、ヴェイパーが身構える。ラオフーは、踏み出る。 「おう、そうじゃ。おぬしでなければ、この餌の良さは解らんからのう」 釣り。餌。獲物。その言葉の並びに、ヴェイパーはじわりとした嫌なものを感じていた。妙な含みを持たせている。 はっきりと言わない辺りが、余計に陰湿だ。ラオフーは一体何を考えている、そして、何をさせようとしているのだ。 ようやく動き出したラオフーは、歩くたびに地面を震動させながらヴェイパーに近付いてくると、金剛鉄槌を構えた。 金剛鉄槌と、ヴェイパーの拳が対峙する。ラオフーは赤い瞳を糸のように細めると、楽しげな口振りで言い切った。 「おぬしの創造主を、あの小童の母を、あの男の妻を屠ったのは」 金剛鉄槌を逆に持ち変えたラオフーは、太い柄の先をヴェイパーの頭部に突き付けた。 「この、儂じゃて」 金剛鉄槌の柄の先が、ヴェイパーの頭部を強く叩いた。よろめいてしまったのは、衝撃のせいではなかった。 柄の先に残留していた思念が、覚えのある波長の思念が、流れ込んでくる。きっと、柄に染み着いていたのだ。 金剛鉄槌は、ラオフー本体と同じく魔導金属製だ。そんなことがあったとしても、なんら不思議なことはないだろう。 餌とは、これを指しているのだ。ヴェイパーは思念から逃れようとするも、魂に馴染んでいる感覚がさせなかった。 この思念は、フローレンスのものだ。忘れるはずもない、忘れたくもない、絶対に忘れてはならない彼女の思念。 フローレンスの思念が、なぜラオフーの金剛鉄槌に残っている。その理由を考えるよりも先に、情景が視えた。 長い金髪を後頭部の高い位置で括った後ろ姿、とても悲しげな横顔、夕日に輝く涙、苦しそうな泣き声、そして。 金剛鉄槌の柄に背中を貫かれている、フローレンスの姿。 手を伸ばせば届きそうだった。現実だと錯覚しそうなほどにその情景は鮮やかで、血臭すら感じられそうだった。 だが、手を伸ばしても彼女には届かず、消え失せた。まだそこにいるのではないか、と願いながら、前進した。 けれど、彼女が倒れた場所のはずには血溜まりどころか何もなく、触れてみてもざらりとした砂の感触しかない。 「あ、あ、ああああ…」 フローレンスがそこにいたのに、いたはずなのに。 「ふぁははははははははははははははははははは!」 上体を反らしたラオフーが、高らかに哄笑した。 「さあどうじゃ、悔しかろう、悲しかろう、憎かろう、恐ろしかろうて!」 「ヴェイパー、しっかりしやがれ! とにかく立つんだ!」 ギルディオスの叫声が飛んできたが、ヴェイパーは喪失感と深い絶望に取り憑かれ、項垂れたままだった。 「そんなの、ハッタリに決まってやがる! だから戦うんだ、ヴェイパー!」 「違います、少佐。絶対に、嘘じゃない。だって、この思念の波長は間違いなくフローレンスだ、僕がそれを忘れたりするわけがない!」 ヴェイパーはわなわなと手を震わせていたが、固く握り締め、地面がひび割れるほど強く殴り付けた。 「フローレンスは、こいつに殺されたんだあ!」 「さあ、立てい。立って、儂を憎め。儂を楽しませろ」 ラオフーの威圧的かつ挑発的な言葉が、ヴェイパーに投げられた。ヴェイパーは、砕けた地面から拳を抜く。 「ラオフー! お前だけは、絶対許さない!」 「そうじゃ、それを待っておったんじゃ! さあ来るがええ、ヴェイパー!」 ラオフーが、笑う。ギルディオスは何かを叫んでいたが、ヴェイパーの聴覚には最早誰の言葉も届かなかった。 こいつが全てを壊した。ヴェイパーが愛する家族も、その絆も、日常も、何もかもを鉄槌一つで粉々に砕いたのだ。 だから、こいつを砕かなければ。魂がいつになく活性化し、通常より高出力の魔力が迸り、熱した全身を駆け巡る。 石畳を砕く勢いで踏んだヴェイパーは、駆け出した。ラオフーとの間を詰め、片足を軸にして回し蹴りを放った。 回し蹴りの威力も、普段より上がっていた。ラオフーの肩に力一杯蹴りを入れると、その足元が少しばかり動いた。 二発目を繰り出そうとすると、その足を受け止められた。ラオフーはヴェイパーの足を絡め取ると、持ち上げた。 「そいやっ!」 荒々しい掛け声と同時に、世界が縦に回転した。その直後、ヴェイパーは頭から地面に叩き付けられていた。 視界には、上下逆さまになったラオフーの背が見えている。体が傾いて首が抜けると、砕けた石畳が零れ落ちた。 両腕を付いて起き上がったが、視界がやや歪んでいた。どうやら、目の部分を成している外装が歪んだようだ。 すると、空気が唸った。顔の真横を張り飛ばされてよろめくと、反対側からも細長いものが迫り、再度張られた。 目の前に、黄色と黒の縞模様を持った太い尾が揺れていた。尾はぐにゃりと曲がり、ヴェイパーの顎に入った。 「うぐっ」 尾はしなやかに動き、ヴェイパーを殴り付けて顎を上げさせた。仰け反ってしまった首に、尾が巻き付いてきた。 「おぬしの首なんぞ、枯れ木の枝にも等しいわい」 ラオフーの声色は、場違いに明るかった。ヴェイパーはラオフーの尾を両手で握り締めると、腰に力を入れた。 「こんなもの、ねじ切ってやる!」 力一杯、太い尾を捻り上げた。ぎりぎりと関節が軋むものの、ラオフーの後ろ姿は平然としていて変わらない。 ヴェイパーは右手首に尾を絡めてから、また力を込めた。腕の内側で歯車を組み替え、蒸気圧を腕の中に流す。 歯車が噛み合い、動き出した。改造されてから一度も使ったことのなかった機能だったので、初動は鈍かった。 だが、動き出してしまえば。ヴェイパーは右手首から白い蒸気を噴き出すと、右手首そのものを回転させ始めた。 その回転が、すぐさま尾に伝わる。円筒を連ねている尾はぐにゃぐにゃと曲がり始め、次第に長さが縮んでいく。 曲がりが一度、二度、三度、と重なるに連れて尾の連結が伸びてきた。ラオフーにも、その異変は感じられた。 振り向くと、ヴェイパーは三分の一程度まで縮んだ尾を握り締めている。その右腕の中で、歯車が組み変わった。 「回転、開始!」 ヴェイパーの右腕全体が、大きく回転した。辛うじて千切れずにいた関節の微妙な均衡が、一気に破壊された。 握られている先端部分から、次々にねじ切れていく。ヴェイパーは右腕の回転を止めずに、足元を蹴り上げた。 「両脚部内蒸気圧解放、下方噴射!」 真っ白な蒸気を地面に噴き出し、巨体は、確かに飛んだ。ヴェイパーは真っ直ぐにラオフーの背に飛び込んだ。 引き千切った尾の破片を投げ捨てながら、金色の分厚く広い背に回転する拳を叩き込もうとした瞬間、遮られた。 ラオフーの右腕が上がり、金剛鉄槌が割り込んできた。回転する拳は金剛鉄槌の側面に命中し、火花が散った。 耳障りな激しい音を立てて双方はぶつかり合っていたが、ヴェイパーは右腕を引いて飛び退き、蒸気を噴いた。 「くそったれが!」 「もう、手詰まりか?」 ラオフーは振り返り、側面に抉れの出来た金剛鉄槌を掲げた。ヴェイパーは右腕を掲げ、金剛鉄槌に向ける。 「まだだ!」 「儂の尾をどうにかしたぐらいで、調子付くんでないぞ。ヒゲを一本、くれてやったのと同じじゃて」 ラオフーは金剛鉄槌を両手で握ると、勢い良く振り下ろした。 「金剛鉄槌奥義、突貫!」 金剛鉄槌と石畳との接触部分が、発光した。その光は大きな円形に広がり、港を通り越して海までも到達した。 刹那。平たい円形の光が触れた部分から、爆風が上がった。ヴェイパーは、その爆発をまともに浴びてしまった。 吹き飛ばされて上昇している最中に港を見下ろしたが、海すらも抉られていて、巨大な半円が出来上がっていた。 脚部から蒸気を噴き出して方向転換し、なんとか海中に落下することは免れたものの、着地は失敗してしまった。 前傾姿勢のまま地面に突っ込んだヴェイパーは、勢いがなかなか落ちずに滑ってしまい、古びた倉庫を破壊した。 土壁などの破片の中から起き上がると、巨大な半円の抉れの真上に浮かんでいるラオフーが、こちらに向いた。 「金剛鉄槌奥義」 ラオフーは金剛鉄槌を持った右腕をぐるりと回して勢いを付けると、ヴェイパーを狙って放り投げた。 「円舞!」 鈍く唸りを上げながら、横に回転する鉄槌が向かってきた。ヴェイパーが直線上から外れると、軌道が曲がった。 ラオフーの指が示す通りに動いた金剛鉄槌は、その回転速度を速めながら、ヴェイパーの真上に落下してきた。 「ぐっ!」 ヴェイパーは左腕を頭上に掲げて受け止めたが、あまりの重量と威力に耐えきれずに、膝が曲がった。 「あ、うあっ!」 金剛鉄槌の底が、左腕の外装にめり込む。もう一度回転した金剛鉄槌の底が、外装の傷口を思い切り叩いた。 亀裂が広がり、内部機関に直接打撃が加わる。ヴェイパーが左腕を下げて身をずらすと、金剛鉄槌が止まった。 念動力か何かに操られているかのように、金剛鉄槌は宙に浮いていた。それがすいっと動き、主の元へ帰った。 回転しながら戻ってきた金剛鉄槌を手に収めたラオフーは、外装の割れた左腕を押さえるヴェイパーを見据えた。 「よく堪えたモンじゃと褒めてやりたいが、まだまだじゃな」 「…うるさい!」 ヴェイパーは使い物にならなくなった左腕を下げると、右腕に全ての蒸気圧を注ぎ込み、再び回転を加えた。 「次は、鉄槌ごと貫いてやる! フローレンスの設計と僕の出力を甘く見るな、ラオフー!」 「そいつは楽しみじゃのう! ふぁははははははははははははははは!」 ラオフーは空中を踏み切ると、加速し、瓦礫の中に立つヴェイパーに飛び掛かった。 「金剛鉄槌奥義、掌底!」 「解き放たれよ、蒸気の力! 貫け、鋼の弾丸! 我が右腕に、滅ぼせぬものはあらず!」 ヴェイパーは振りかぶると、真正面に振り下ろされたラオフーの金剛鉄槌に、高速回転する右腕を発射した。 「超轟弾、発動!」 ぎゅるぎゅるぎゅるぎゅる、とヴェイパーの右腕とその拳が金剛鉄槌の底を削るかの如く回転し、押してくる。 回転の速度は速い、だが押し返せないものではない。ラオフーは金剛鉄槌を傾けて、鋼の拳を弾こうとした。 だが、弾けなかった。回転速度は更に高まり、噴き出す蒸気の勢いも上がり、金剛鉄槌が僅かに揺らいだ。 ラオフーは、一瞬身動いだ。ヴェイパーは右腕がまだ繋がっているかのように右肘を突き出したまま、猛った。 「つぅらぬけぇえええーっ!」 その猛りを浴びた右腕の回転が、急速に高まった。ヴェイパーの強烈な意志によって、操られているのだ。 猛烈に回転する拳と擦れ合っているために、金剛鉄槌の底は真っ赤に過熱し、その強度が僅かに弱まった。 べぎ、と、金剛鉄槌の底が抉れた。抉れはたちまちに深くなり、拳は金剛鉄槌の底を破って埋まっていった。 勢いは止まらない。擦れ合う装甲からかすかな煙が発せられ、蒸気と混じり合ったが、回転に打ち消される。 金剛鉄槌の揺らぎが、変わった。細かなものでしかなかった揺れが激しく荒くなり、内側から掻き混ぜられる。 ラオフーのすぐ脇で、金剛鉄槌のもう一方の底部が盛り上がった。その直後、回転する拳が底部を貫いた。 「なんと!?」 これには、さすがのラオフーも驚いた。拳は金剛鉄槌を内側から破壊し尽くし、飛び出したが、勢いを失った。 鈍い音を立てて砕けた石畳の上に転がった右腕は、かなり熱しており、蒸気と白っぽい煙を立ち上らせていた。 ヴェイパーは肘から先のなくなった右腕を下ろすと、肩を上下させた。蒸気圧を出し切ったせいで、力が出ない。 体を支えていることすら出来なくなり、片膝を付けてしまった。至る所の関節が軋み、内部がひどく過熱している。 冷却しようにも、蒸気圧を高めるために水という水を使い切ってしまった。これ以上動けば、完全に壊れてしまう。 だが、戦わなければ。ヴェイパーは立ち上がろうとしたが、体が少しも言うことを聞かず、俯せに倒れてしまった。 ラオフーは破損した金剛鉄槌をまじまじと眺めていたが、ぞんざいに投げ捨てると、ヴェイパーに近付いてきた。 「ふむ、悪うない」 「…う」 粉々に割れた石畳に顔を埋めていたヴェイパーは顔を上げようとしたが、首の関節すらも動かせなかった。 ラオフーはヴェイパーの前に屈み込むと、太い指で顎をなぞった。その手付きは、どことなく嬉しそうに思えた。 「おぬしはなかなか骨がある。今回は金剛鉄槌に免じて、儂の負けっちゅうことにしてやろう」 ラオフーは指先でヴェイパーの頭を押すと、強引に顔を上げさせた。 「じゃが、次に会う時は別じゃ。本腰を入れて、おぬしらを釣り上げちゃるからのう」 ラオフーの指が離されると、ヴェイパーは崩れ落ちた。小石のように砕けた石畳が、目の部分に入ってくる。 そのため、視界には石しか見えなかった。ラオフーの重たい足音が遠ざかっていくと、地面の震動も弱まった。 その足音が消えると、今度は聞き慣れた足音と金属の擦れる音がやってきて、ヴェイパーの頭上で止まった。 「ヴェイパー、大丈夫か!」 ギルディオスの声だった。ヴェイパーが動こうとすると、ギルディオスの手が頭の上に載せられた。 「よく頑張った。本当に偉いぞ、ヴェイパー」 「しょうさ」 ヴェイパーがか細く声を発すると、ギルディオスはヴェイパーを覗き込んできた。 「おう、なんだ」 「ふろーれんすは、あいつに…」 ヴェイパーは魂を抉られるような悔しさに苛まれたが、身動き一つ出来なかった。 「みてぇだな。オレも悔しいぜ」 ギルディオスは悔しさを堪えながら、震えるヴェイパーを撫でてやった。ヴェイパーは、ざり、と砂に顔を埋める。 「でも、ろいずには、いわないで、ください」 「ああ、今はそれがいい」 ギルディオスは頷くと、ヴェイパーの頭をぽんぽんと軽く叩いた。 「お前の男らしい戦いぶりは、すぐに話してやるけどな」 ヴェイパーは心持ち嬉しそうな鈍い声を漏らしたが、沈黙してしまった。気力も魔力も、全て尽き果てたからだ。 魔導鉱石から感じる魂の感覚は薄らいでいないので、命には別状はないようだが、当分は全く動けないだろう。 ラオフーの巨体は、どこにも見当たらなかった。飛び去ったか、或いは空間転移魔法でも使ったのかもしれない。 だが、今はその行方を追っている場合ではない。目の前のブリガドーンから、子供達を救い出すのが本題だ。 ギルディオスは気を失ってしまったヴェイパーの頭を優しく撫でてやっていたが、立ち上がり、瓦礫を仰ぎ見た。 「何見てんだよ、てめぇは。ていうか、いつからいやがったんだ」 見上げた先には、連合軍の軍服姿で特徴的な丸メガネを掛けた男が、崩れかけた家の屋根に立っていた。 「そうだなぁ、ラオフーが金剛鉄槌を砕かれた辺りかな。いやー、なかなかいい見せ物だったぜ」 黒髪の長い三つ編みを垂らし、軍用サーベルを腰に提げた男はにやにやしている。 「こんなところをほっつき歩いていていいのか、特別管理官どの」 ギルディオスが苦々しげに言い捨てると、軍服姿の男、グレイスはちょっと肩を竦めた。 「ありゃ、なんでそれを知っているんだよ? ヴィンセントがばらしたのか?」 「違ぇよ。やることなすこと趣味が悪すぎたから、感付いちまったんだよ。長い付き合いだからな」 「そりゃあ嬉しいなぁ」 グレイスは軽い足取りで、屋根の上から飛び降りた。 「で、オレに何の用だ」 ギルディオスがグレイスに向き直ると、グレイスは眉を下げ、軍用サーベルを指した。 「えー、そこは感付いてくれねぇの? こんなものを下げているんだから、戦いに来たに決まってんじゃん」 「はあ?」 「ブリガドーンが撃墜されるまではまだ時間があるからな。時間潰しにでも、と思ってよ」 「馬鹿にしやがって。だが、まあいい。オレもラオフーに振られてな、ちょいと持て余していたところだ」 ギルディオスはバスタードソードを掲げ、その切っ先を呪術師に向けた。 「それに、一度ぐらいはてめぇとやり合いたいって思っていたしな」 「嬉しいことを言ってくれるね」 グレイスは軍用サーベルを引き抜くと、ギルディオスの剣先に突き付けた。 「手加減したら、許さねぇからな?」 「するわけねぇだろうが、この変態」 ギルディオスは、鼻で笑った。グレイスも笑っている。それは、友人同士が向け合うような明るい笑みだった。 だが、そこに含まれているのは好意ではない。明かな敵対心と、好敵手に対する親しみに似た嫌悪感だった。 思えば、グレイス・ルーとまともに戦ったことはない。間接的に敵対したことはあったが、剣を交えたことはない。 彼の本職は呪術師であるということと、普段は肉弾戦を行う際にはレベッカという名の従者を使っているからだ。 レベッカは、見た目こそメイド服を着た幼い少女だが、その骨は木組みで肉は液体魔導鉱石という魔導兵器だ。 レベッカは体内の魔導鉱石を自在に変化させて武器にし、小柄さ故の身軽さで舞うように戦い、主を守っていた。 そこでふと、ギルディオスは気付いた。今回の件で、レベッカの姿を一度も見ず、また気配を感じたこともない。 「レベッカはどうした?」 「さあてな」 ギルディオスの問いをはぐらかしたグレイスは、胸の悪くなるような嫌な笑みを浮かべた。 「ま、細かいことは気にすんな。やることやって、すっきりしちまおうぜ」 「妙な言い方をすんじゃねぇ、この馬鹿が」 ギルディオスは、バスタードソードを振り下ろした。 「いいじゃん、別にぃ。オレとお前の仲なんだからさあ」 グレイスの口調は親しげではあるが、粘りつくようないやらしさが込められ、表情もだらしなく弛緩している。 その表情に、ギルディオスは内心で顔を歪めた。思い出したくもないが、奴は女も好きだが男も好きな性分だ。 そして、ギルディオスはどういうわけだか知らないが好かれている。思い出してしまうと、途端に戦意が萎える。 だが、一度戦うと言ってしまった以上、戦わないわけにはいかない。ギルディオスは剣を引き、両足を広げた。 いざ、命を燃やし、戦い抜こう。 巨大なる異物に見下ろされた戦場で、人ならざる者達の戦いは始まった。 激闘の最中に、ある者は死を知り、ある者は愛を知り、ある者は真相を知った。 拳と拳をぶつけ合い、命と命を削り合い、心と心を鬩ぎ合い。 男達は、戦い続けるのである。 07 6/27 |