全身に貼り付く礼服が重たく、マントは鬱陶しかった。
　戦闘開始時から酷使し続けた両翼は筋が引きつってしまいそうなほどに疲れ切り、息もすっかり上がっていた。
相手の速さに付いていくだけで精一杯で、攻撃もろくに当てられない。視界に入れた直後には、逃げられている。
それでは、どんなに早く魔力弾を生成しても、放てず終いになってしまう。ルージュとは違い、魔力には限りがある。
無鉄砲に突っ込んでいくだけでは、体力切れで自滅してしまうのがオチだ。そんなことになっては、笑えもしない。
　ブラッドは、濡れた髪を掻き上げた。肩を上下させている自分とは違い、ルージュは涼しい顔をして浮いている。
海面すれすれにつま先を下ろし、海水の飛沫を全身に浴びながら、右腕に備えられた主砲を高く掲げていた。
長さが違う三本の砲身ががしゃりと回転し、最も短い砲身が上に来ると、主砲から単発の魔力弾が連射された。

「くそおっ」

　疲労の蓄積した翼をなんとか動かして空気を叩き、精一杯の速度で垂直に浮上するも、魔力弾は追尾してくる。
風を掴んで加速し、振り切ろうとしても魔力弾の勢いは弱まらない。ブラッドは滑空しながら、ちぃ、と舌打ちした。
　ルージュを押せたのは、ほんの一瞬だった。ルーロンの名に動揺した彼女を、海中に引き摺り込んだ時だけだ。
力任せに沈めたはいいが、即座にルージュは背部の推進翼から炎を走らせてブラッドを振り払い、海から脱した。
全身に海水を滴らせたルージュは、先程見せた動揺の表情を打ち消し、初対面時のような無表情になっていた。
その表情に見取れそうになった己を戒めたブラッドは、彼女との戦いを始めたが、その実力差は圧倒的だった。
勝てる要素など、どこにもない。せめて魔力弾の一つでも当てられればいいが、当てる前に撃ち落とされてしまう。
事実、十数回もブラッドの魔力弾はルージュの光線によって貫かれ、呆れるほど簡単に吹き飛ばされてしまった。
女と言えど、彼女は魔導兵器だ。それも、何度となく連合軍と交戦し、打ち負かしてきたのだから本物の兵器だ。
その兵器に、多少魔法を囓っただけの半吸血鬼が張り合えるわけがない。解っていたが、実感すると情けない。
　視界の隅で、ルージュが主砲を振り下ろした。途端に魔力弾は加速し、ブラッドの背をめがけて向かってくる。

「うおわっ」

　ブラッドが慌てて体の上下を反転させると、胸のすぐ上を何発もの魔力弾が通り抜け、直後に海面に着弾した。
水柱が起きたが、方向転換をし損ねたブラッドは頭からそれに突っ込んでしまい、海水をまともに飲んでしまった。
激しく咳き込みながら姿勢を戻し、涙目でルージュを見やると、ルージュは軽い足取りで海面を蹴って発進した。
急加速したルージュはブラッドに向かってくると、主砲を高々と振り上げ、頭を割るべく力一杯振り下ろしてきた。

「温い！」

　ブラッドは身を捩ってなんとか避けたが、間近にルージュの姿が迫っていた。

「私が経験した中で、最も退屈な戦いだ！」

「うるせぇっ！」

　ブラッドは海面に先端を没しているルージュの主砲を足掛かりにして跳ね上がると、マントを脱ぎ捨てた。

「だったら、これから楽しませてやろうじゃねぇか！」

　それが、ルージュの頭上に放り投げられた。ルージュはブラッドのマントを主砲で払い捨て、僅かに戸惑った。
姿が失せている。だが、魔法を使った様子はない。ルージュが素早く頭上を見上げると、真上に彼の姿があった。
ブラッドは右手の指を二本立てて表情を強張らせ、ルージュを睨んでいた。恐らく、魔法でも放つつもりなのだろう。
だが、恐れなくてもいい。魔法陣が成せていないのだから、魔力を叩き付ける程度のものしか出せないはずだ。
前回もそうだったのだから。そう踏んだルージュは魔力を込めた足で空中を蹴り、真っ直ぐにブラッドに向かった。
　ブラッドは身動ぎもせずに、真下から飛び掛かってくるルージュを睨んでいたが、強気な笑みを口元に浮かべた。
そして、天を突かんばかりの勢いで右腕を振り上げたブラッドは体に漲る魔力を最大限に高め、呪文を唱えた。

「激しき炎をその身とし、熱き滾りをその心とし、我が力を喰らいていざ現れん！」

　ブラッドの右手が、ルージュに向けて振り下ろされた。

「炎竜、爆来！」

「うっ！？」

　視界が、朱色に染められた。後少しでブラッドとの間合いが詰められる、というところで唐突に遮られてしまった。
全身が熱せられ、関節の機械油がじゅうじゅうと沸騰する。主砲を振って振り払おうとするが、少しも払えなかった。
すると、熱がうねってルージュから離れたが、すぐに戻ってきた。生き物のように、腕や足に熱が絡み付いてくる。
頭に、衝撃が訪れた。ぎちぎちと首を軋ませながら目を動かすと、頭の右半分を覆う炎には鋭い牙が生えていた。
そして、ツノも生えており、腹部に絡んでいる背中と思しき部分からは、火の粉を散らしている薄い翼があった。
　炎の竜だった。ルージュは竜を振り払うべく主砲を持ち上げようとしたが、それ以上の力で押さえ付けられた。
めらめらと燃え盛る太い尾が、ぐるりと絡み付いていた。頭上にいるブラッドは得意げであり、辛そうでもあった。

「あんまり暴れんじゃねぇよ」

　ブラッドの笑みが、愉悦で引きつった。

「楽しめねぇだろうがあっ！」

　その声と同時に、炎の竜が火の玉を吐き出した。途端に、ルージュのすぐ下の海面が破裂し、蒸気が上がった。
拘束されている上に、視界を奪われた。ルージュは力任せに炎の竜を壊そうとしたが、炎は鋼のように頑丈だ。
ブラッドの魔法の威力はこんなに高かっただろうか。内心で訝っていると、目の前の蒸気が何かに切り裂かれた。

「光刃こうじん！」

　光の刃だった。ブラッドの左腕から伸びている白く光るものが振り下ろされ、ルージュの肩から胸を斬り付けた。
打撃としての威力は、そうでもなかった。だが、魔法としての威力は別物で、ブラッドの刃は装甲を容易く貫いた。
胸の中心にある人造魔力中枢に、荒々しい魔力の固まりが衝突した。ルージュの体内に、激しい痛みが生じる。
とても、耐えきれるものではなかった。ルージュは痙攣するように胸を突き出し、抗えない苦しみを声にして放った。

「うぐあっ！」

「もうちょっとさあ」

　ブラッドの熱を帯びた手が、ルージュの顎を掴んだ。

「いい声で鳴けよ」

　ブラッドは、笑っていた。氷のように冷たい光を銀色の瞳に宿し、端整な顔は凍えた微笑みを貼り付けていた。
だが、楽しげだった。悪戯をする子供のような、獲物を見つけた狩人のような、慈悲のない快楽に満ちていた。
思わず、ルージュは身を引こうとした。だがブラッドはそれを許さず、ルージュの顎をぐいっと引き、顔を寄せた。
　こんなに近付いたのは、最初に会った時以来だ。手に伝わるルージュの温度を感じながら、ブラッドは思った。
あれほど焦がれた彼女が、あんなに思った彼女が、どんなにも触れたかった彼女が、すぐ目の前にいるのだ。
しかし、ルージュの表情は冴えない。先程の攻撃の痛みが残っているからか、どことなく怯えているように見えた。
それでもやはり、綺麗だと思った。かすかに半開きになっている銀色の唇は、海水に濡れ、艶やかに光っていた。
堪えられるものではなかった。ブラッドは身を乗り出してルージュとの間を詰めると、彼女の唇に己の唇を被せた。
　喰いたい。このまま、この女を喰ってしまいたい。血が流れているのなら、それを全て啜り上げて飲み干したい。
緊張とは違う痛みが、胸中を締め上げる。泣き出したいほどの嬉しさと、笑い出したいほどの悲しさに苛まれる。
舌に感じる彼女の味は、塩辛く、そして鉄臭かった。その唇と頬は生身のように柔らかいが、間違いなく金属だ。

「う…」

　抵抗出来るものなら、とっくにしていた。ルージュは主砲を上げようとしたが、腕が震えてしまい、出来なかった。
いつのまにか炎の竜は消え去り、ブラッドの左腕からも光の刃は失われていたが、反撃など出来るわけがない。
なぜ、こんなことをする。せっかく固く決意をして、恐ろしい敵になりきって、ブラッドに倒されるつもりでいたのに。
恋心を殺意にすり替えて、自分を押し殺せていたのに、そんなことをされては何もかもが台無しになってしまう。
唇が解放されても、すぐに動けなかった。まるで生身のように高鳴った魂が苦しくて、目眩がしてしまいそうだった。
すると、首筋に硬いものが当たった。ブラッドの濡れた髪が真横にあり、彼の骨張った手が左頬を包んでいた。
右の首筋に、ブラッドが顔を埋めている。感触こそ伝わらないが、彼の口は大きく開かれて牙が剥かれていた。

「…やべ」

　ブラッドはルージュの首筋から顔を上げると、口元を拭った。

「牙、折れちまうところだった」

　再び、視線が交わった。ブラッドの瞳にはぎらついた吸血の欲動が帯びており、笑みを浮かべたままだった。
彼に喰われたのだ。ようやくその事実を察したルージュは、躊躇いに似た畏怖を感じ、少しばかり後退した。

「なぜ、こんなことをする」

　激しく文句を叩き付けてやろうと思ったはずなのに、ルージュの口から出た言葉は動揺に揺れていた。

「オレにもよく解らねぇよ」

　ブラッドは若干気恥ずかしげではあったが、笑みは崩れなかった。

「そんなこと、してる場合じゃねぇのにな！」

　ブラッドの右腕が再び突き上げられると、真下の海面から大量の水が渦を巻きながら昇ってきた。

「水竜、激来！」

「調子に乗るな！」

　正気を取り戻したルージュは身を翻し、主砲を真下に向けた。三つの砲口から放たれた閃光が、重なり合う。
かつてないほどの太さとなった閃光は水の竜に注がれ、押し潰した途端に閃光の中から水蒸気が吹き出した。
水の竜が砕かれると、太い閃光は直接海面に打ち込まれた。海面は大きく膨れ上がり、そして、派手に破裂した。
破裂と同時に発生した強烈な爆風に煽られたブラッドは、薄っぺらい紙切れのように容易く飛ばされてしまった。
だが、ルージュはあれほどの爆風を受けても全く動じず、それどころかブラッドを追って加速しながら飛んできた。

「海に」

　真横に現れたルージュは左腕の副砲を掲げ、ブラッドの背中にめり込ませた。

「沈めえっ！」

　副砲が背中を抉った瞬間、耐えがたい痛みが背中を走り抜けた。背骨から、みし、と嫌な軋みが聞こえてきた。
羽ばたこうにも、あまりの痛みに翼が言うことを聞かない。浮力を失ったブラッドは、もう一度、腹に打撃を受けた。
今度は肋骨から痛みが起き、突き抜ける。ヒビが入ったかもな、と考えられるほどの余裕がある分まだマシか。
程なくして、半身に平たいものが叩き付けられた。それが海面だと察するに時間は掛からず、塩が目を刺した。
三度目の痛みは、さすがにきつかった。口と鼻に滑り込んでくる海水が喉を焼き、咳き込んで気泡を吐き出した。
その拍子に、またもや海水を飲んでしまった。塩辛い味に、ダニエルの作ったスープの味を思い出してしまった。
やはり、あのスープの味は海水に似ている。生臭さといい、重たさといい、味の悪さといい、そっくりではないか。
だが、今はそんなことを思い出している場合ではない。水を蹴って浮上しようとしていると、海面に影が現れた。
それが、飛び込んできた。真珠の粒のような気泡を纏い、銀色の長い髪をゆらゆらと踊らせた、鋼鉄の女だった。
　ブラッドは混乱した。魔導兵器である彼女が、水に、それも海中に、自ら飛び込む利点などどこにもないはずだ。
何をするつもりだ。ブラッドがルージュを凝視していると、ルージュは主砲を後方へ向けて発射し、推進してきた。
水中では、背部の推進翼が役に立たないからだ。空中よりもかなり遅い速度で、彼女はブラッドに接近してきた。

「死ね」

　ごぼり、と気泡を零しながら、ルージュは言った。だが、それは言葉ではなく思念で、頭に直接流れ込んできた。
銀色の髪を揺らめかせながら、彼女は笑っている。ひどく寂しげで、それでいて不思議と幸せそうな笑顔だった。
戦闘前に見たあの冷たい笑顔よりも、余程素敵だ。息苦しさも体中の痛みも疲労も忘れて、見入ってしまった。
いつもそうならいいのに、とブラッドがちらりと考えると、ルージュの笑みに照れが混じったが、主砲が上がった。

「お前さえいなければ」

　その声はいつもの冷淡なものとは違い、感情が剥き出しになっていた。

「お前さえ私の前に現れなければ、私はこんな思いはしなかった。己を恥じることも、己の弱さや醜さを知ることも、諦めたはずの生への執着を思い出すこともなかったんだ」

　ルージュは主砲でブラッドの胸を抉り、身を乗り出してきた。

「だから、死ね。そして、私を殺せ」

「なんでだよ」

　思い掛けない言葉にブラッドが思念で返すと、ルージュは赤い瞳を細めた。

「死者の在る場所など、どこにもないからだ」

「そうだ。あんたは死人だ。生きてなんかいねぇ。ただの戦闘兵器だ。死に損ないだ。機械仕掛けの人形だ」

　ブラッドはルージュの主砲を押さえながら、上体を前に出し、彼女に近寄せた。

「けど、やっぱり綺麗だ」

「それ以上、私を褒めるな。情けなくなるだけだ」

　ルージュは僅かに表情を歪めた。そして主砲を下ろすと、水を蹴ってブラッドに近付き、左腕を彼の背に回した。
抱き寄せられた、とブラッドが驚くと、首筋に鋭いものが突き刺された。赤黒い液体が海水に混じり、流れていく。
ルージュのそれとは違う、生々しさのある鉄臭さが海水と共に口の中に入った。それは、ブラッド自身の血だった。

「ルージュ…」

　ブラッドがルージュの肩に手を添えると、ブラッドの首筋に食らい付いているルージュは呟いた。

「味が解らないのが、残念だ」

　殺したい。殺さなければならない。だが、殺せない。殺したくない。喰ってしまいたい。喰らい尽くしてしまいたい。
二人の思念が重なり合い、互いの心に共鳴する。絶対に添うはずがないと思っていた心が、妙なところで添った。
それがたまらなく嬉しく、たまらなく悔しかった。そうだと知っても、お互いの恋心を果たすわけにはいかないのだ。
思い合っていたとしても、敵同士であることに変わりない。ここでお互いに身を引けば、他の者に殺されるだろう。
それだけは、お互いに嫌だった。他の者に穢されるぐらいなら、いっそ、この手で愛する者を殺してしまいたい。
　ブラッドは、ルージュの冷たい体を抱き締めた。手応えは硬く、ずしりと重たく、とても女とは言い難い体だった。
それでも、愛おしかった。やっと触れられた彼女の体を離したくなくて腕に力を入れたが、これ以上息が続かない。
　ルージュはブラッドの首筋から顔を上げると、ブラッドの血を唇の端から零しながら、顔を寄せて口付けてきた。
魔導金属糸製の髪に触れ、手が切れてしまうのも構わずに、ブラッドはその頭を抱き寄せて口付けを深めた。

「ルージュ」

　ブラッドはルージュを離すと、彼女の胸元にある五角形の魔導鉱石に、手を押し当てた。

「愛してる。最初に会った時から、ずっと好きだった」

「ブラッド…」

　ルージュは両腕を下ろし、戦闘の態勢を解いた。

「私も、お前を好いている。愛している、ブラッド。お前と出会えて、本当に良かった」

「オレもだ、ルージュ」

　ブラッドは唇が切れるほど強く噛み締め、右手に魔力を込めた。

「…ごめん」

　魔力を、放った。魔法に変換していない乱暴な魔力を、彼女の魂が入った魔導鉱石へ真っ直ぐにぶつけた。
無抵抗に荒っぽい力を受けて海底に沈みゆく鋼鉄の女は、とても幸せそうな、満ち足りた笑みを浮かべていた。
これで、彼女は楽になる。ブラッドは彼女の姿を見ないためにぎゅっと目を閉じ、両手を前に出して更に放った。
その勢いのまま、海面から脱した。波間を突き破って浮上したブラッドは、翼を大きく広げ、潮風を孕ませた。
　ありったけの魔力をルージュにぶつけたため、ブラッドは浮いているだけで精一杯で、頭がくらくらしそうだった。
程なくして、海面が内側から膨らんだ。その膨張が止まると炸裂し、水柱が上がり、ぼたぼたと海水が注いだ。
水柱の中心から、平たいものが飛び出した。空中で回転して唸りを上げていたが、港へと落下し、突き刺さった。

「あれは…」

　見たくなかった。だが、見なければいけない。ブラッドは首を横に向けて、港に落ちているものを視界に入れた。
それは、ルージュの背部に付いていた推進翼の片方だった。粘土のようにひしゃげ、原形を止めていなかった。
他にもいくつかの細かな部品が、海面に散らばっている。ブラッドはその一つを手に取ると、海上から離脱した。
港に降りてすぐに、何度も咳き込んで胃の中の海水を吐き出した。海水の混じった涙が、ぼたぼたと地面を叩く。
ブラッドは嗚咽を堪えながら、ルージュであったものに向き直った。歪んだ平たい翼は、日光を浴びて輝いていた。
足を引き摺るように歩いてそれに近付き、膝から崩れ落ちた。ブラッドは右手の拳で地面を殴り付け、吼えた。

「うああああああああっ！」

　ルージュ。ルージュ・ヴァンピロッソ。憎むべき敵。強大な破壊力を持つ魔導兵器。吸血鬼の女。恋をした相手。
殺さなければならなかった。殺すしかなかった。殺されることが彼女の望みだった。彼女を殺すと誓って、戦った。
覚悟をしていた。しなければならなかった。何度も頭の中で思い描いて、やるべきことを見定めて、彼女と戦った。
だから、躊躇うことも後悔することもないと自分に言い聞かせていた。けれど、現実に手を下すのでは訳が違った。

「悪ぃ…悪ぃ…ルージュ、本当にごめん、オレ、なんてことしちまったんだよ…」

　ブラッドは這い蹲り、嘆いた。熱い涙が、海水の冷たい滴に混じる。

「くそ、くそお、なんで、なんで…」

　ブラッドはルージュの翼を掴み、己の心臓の位置に据えた。

「惚れた女、殺さなきゃならねぇんだよ…」

　このまま、死んでしまいたい。ブラッドが翼を掴む手を下げようとした時、頭上から声が掛けられた。

「ブラッディ！」

　息子の前にしなやかに飛び降りたラミアンは、ブラッドの手にあるものを見、顔を伏せた。

「戦い抜いたのだな、ブラッディ」

「ああ…。オレ、本当に、ルージュをやっちまったんだ」

　ブラッドはルージュの翼を手を震わせ、滑り落とした。がらん、と重たい金属音を立てて、翼が足元に転がった。

「ブラッディ」

　ラミアンが息子の肩に手を触れると、ブラッドは両手で頭を抱え、喚いた。

「でも、あいつも、オレのことが好きだって、愛してるって、だけど、オレ、そのルージュを！」

「そうだったのか…」

　ラミアンは、沈痛に漏らした。ブラッドは背を丸めて地面に倒れ込み、喉が裂けんばかりに叫んだ。

「オレが殺したんだあ！　好きだって言ってくれたのに、なのに、オレはあああああ！」

　ラミアンは戦況をちらりと窺ったが、泣き喚く息子に向いた。彼の傍に膝を付けて、その背に手を添えて宥めた。
やはり、ルージュを倒させるべきではなかった。ラミアンは重たい後悔の念に襲われ、項垂れて肩を震わせた。
　初めて好きになった相手。美しいと思った女性。絶対に通じ合えないと諦めたからこそ、彼女を殺すと決めた。
だが、そうではなかった。ルージュも同じだった。似通った思いを抱えていた二人は愛し合い、憎み合っていた。
そうだと知っていれば、他の道もあったのではないか。だが、もう遅い。ルージュは、鉄屑と化して海に消えた。
　ブラッドは手を開くと、赤黒い血が流れ出した。その傷口の中心には、砕けた魔導鉱石の破片が沈んでいた。
鮮やかな紫だったはずの石は血に汚れ、その中に宿っていた魂が失われたために、色も濁ってしまっている。

「ルージュ…」

　ブラッドはその破片を見つめていたが、胸に押し当てた。

「なあ、父ちゃん」

　ブラッドは項垂れたまま、傍らの父親に言った。

「ルージュは、死人なんかじゃねぇよ。あいつは、立派にこの世で生きていたんだ。なのに、オレは」

「己を責めるな、ブラッディ。彼女は、再び天上へと戻っただけなのだから」

　ラミアンが返すと、ブラッドは弱々しく漏らした。

「じゃあ、他の誰を責めろってんだよ？　ブリガドーンか？　連合軍か？　ルージュを殺して兵器にした奴か？」

　ブラッドの血に汚れた手に、いくつもの涙が落ちる。

「一番悪いのは、間違いなくオレだ。だからオレは、オレを一生許さねぇ」

　手の中で、血に濡れた彼女の欠片が輝いていた。この罪が消える日は絶対に来ない。死ぬ時まで背負う罪だ。
ルージュを愛したこと。ルージュに愛されていたこと。そして、自分を愛してくれていた彼女を殺してしまったこと。
命を差し出したところで、決して償えない罪だ。彼女が許したとしても、ブラッド自身が己を許すことはないだろう。
　心臓が押し潰されそうだった。ルージュへの恋心の気付いた時に似た、やるせなさと切なさが胸の内に広がる。
似てはいるが、決定的に違う。その証拠に、強い罪悪感が鉛のように全身にまとわりつき、涙が止まらなかった。
　瞼の裏には、彼女の幸福そうな笑顔が焼き付いていた。





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07 6/25