ドラゴンは滅びない




大決戦 中



 崩壊が止まったようだった。
 外の様子を窺い知ることは出来ないが、先程まで続いていた壮絶な爆音は途絶えて余韻だけが残っている。
何があったのかは解らないが、魔力の流れが変わったように感じる。重みが失せた、というか、薄くなっている。
余程、派手な攻撃をされたに違いない。ヴィクトリアは緩やかに曲がっている壁に手を触れながら、そう思った。
 三人は、目覚めたら半球体の部屋の中にいた。恐らく、フィフィリアンヌが魔法を用いて運び込んだのだろう。
目が覚めた時には、既に外が騒がしくなっていた。砲撃音と思しき音がし、そのたびにブリガドーンが揺れた。
フィフィリアンヌもフリューゲルもいなくなっていたので不安になってしまったのか、リリは身を縮めて泣き始めた。
ロイズも不安に強張った顔をしていたが、リリを宥めていた。ヴィクトリアは、そんな二人を淡々と観察していた。
状況は同じはずなのに、ヴィクトリアはそれほど不安ではなかった。あの声が、大丈夫だと保証してくれたからだ。

「え?」

 ふと、ロイズが天井を見上げた。直後、半球体全体が激しく揺さぶられ、何かが砕かれるような音も聞こえた。
だが、半球体の壁のどこにもヒビは入っていない。しかし、おかしい。空間が掻き混ぜられたような違和感がある。
空間を操れる能力を有しているため、ロイズには空間の歪みを感じ取れる感覚があるので、それがよく解った。
リリとヴィクトリアも異変を感じているようだが、異変の原因が解らない。ロイズは立ち上がると、天井を仰いだ。
 その、天井にぐにゃりと湾曲した穴が空いた。その穴からは青空が垣間見え、焦げ臭い煙が流れ込んできた。
と、同時に、穴に巨大な手が差し込まれた。めきめきと空間を軋ませている太い腕は、ラオフーのものだった。
ラオフーの分厚い手が開くと、その中からばらばらと四冊の本が落ちてきた。ヴィクトリアは駆け寄り、本を拾った。
その本は全て、ヴィクトリアが入手していた禁書だった。何度も読み込んだので、本の題名も著者も覚えていた。
これがここにあるということは、ゼレイブの皆が来ているのだろう。そして、これがここに投げ込まれたということは。
ヴィクトリアが禁書を見つめていると、足音がした。音源に振り向くと、何もなかったはずの場所に少女が現れた。

「負けたのやもしれんな」

 冷徹な声が、半球体の中に響いた。フィフィリアンヌはつかつかと歩いてくると、三冊の禁書を脇に抱えた。

「それも寄越せ」

 フィフィリアンヌの手が、ヴィクトリアに差し出された。ヴィクトリアはかなり不本意ではあったが、禁書を渡した。

「今回だけ、特別なのだわ」

「フィル婆ちゃん、負けたって誰が負けたの?」

 涙を拭きながら、リリがフィフィリアンヌに尋ねた。フィフィリアンヌは禁書の中身を確かめながら、返した。

「決まっておろう。お前達を助けに来た者達だ。魔導兵器三人衆と連合軍と交戦しておるようだが、戦況は優勢とは言えん。いくら連中の力が並外れていようと、人数が少なすぎるのだ。人数が少なければ少ないほど消耗の速度も速くなり、戦いが長引けば長引くほど不利になるものだ。リチャードはそれを理解しているようで、双方の標的であるブリガドーンに広範囲の攻撃魔法を仕掛けてきおった。確かに、双方の争いの根源とも言えるブリガドーンを早々に破壊してしまえば戦闘が終わるのもある程度早まるが、おかげでこちらも要らぬ被害を被ったではないか。魔導鉱石の岩盤を剥離して魔力を放出し、リチャードの魔法を相殺しなければ、この部屋すらも消し飛ばされるところであったぞ。こちらには子供が三人もおるのだ、少しは丁寧に扱ってもらいたいものだ。せっかくブリガドーンに海中へ沈めるための魔法を成し、発動させるつもりでおったのに、その労力を無駄にしおって。どこの誰だ、あんな物騒な輩を役員選挙に推薦しおったのは」

「それって、さっきの地震みたいなのの原因がリチャード小父さんってこと?」

 リリがきょとんとすると、フィフィリアンヌは眉根を歪めた。

「そうだ。お前の父親も物騒な男だが、兄には負ける。あれは魔法の才能こそ優れておるが、悪知恵と詭弁が働きすぎるのがいかん。私が言うのもなんだが、ああいう大人にだけはなるな。ろくな死に方をせんからな」

 頭痛がしてしまいそうだ、とあからさまに顔をしかめるフィフィリアンヌに、リリとロイズはなんとなく頷き返した。
二人の中では、リチャード・ヴァトラスという男は博識で穏やかな、いかにも大人らしい大人の男でしかなかった。
確かに、時々引っ掛かる言い回しをしたり、弟であるレオナルドをからかってたりはするが、妻には優しい男だ。
こんな人が本当に戦犯なのか、と疑う時もあった。もしかしたらそれは、連合軍の思い違いなのかもしれない、と。
だが、先程の大きな揺れの原因が本当にリチャードの魔法であるならば、戦犯というのも真実なのかもしれない。
あの揺れは本当に凄まじく、立っていることなど出来るはずもなく、時折空中に浮かび上がってしまうほどだった。
近くにいるリリの声すらも聞き取れないほどの轟音がずっと続いていて、音が終わった今でも耳が少しおかしい。
フィフィリアンヌの言っていることは、いつも通り今一つ解らないが、リチャードの魔法は物凄いということだろう。
本当に恐ろしいのは連合軍でもダニエルでもなく、リチャードかもしれない。そう思い、ロイズはうすら寒くなった。

「通りで、魔力の流れが変わったと思ったわ」

 ヴィクトリアは魔導鉱石製のレンガで組み上げられた壁に近寄ると、手のひらを当てた。

「外からの魔力がかなり薄くなっているわ。でも、外の様子がまるで読めないわ」

「それは、リチャードの馬鹿の放った魔法の威力が大きすぎたのと、ブリガドーンの外壁とも言える魔導鉱石の岩盤を全て剥がし落としてしまったからだ。魔力という魔力が掻き乱されておるから、簡単な魔法も成せぬような状態だ。魔法を成すための第一条件として場の安定があるが、今はその安定が粉々に砕かれたも同然なのだ。元の状態に戻るには、少々時間が掛かる」

 全く、と呆れた様子でため息を零したフィフィリアンヌは、四冊の禁書を抱えて歩き出した。

「死にたくなければ、ここから動くな。外の連中がこれ以上余計なことをせん限り、この中は安全だからな。私の魔法で、この球体の内と外の空間を区切ってある。空間が違うから、物理的攻撃を外部からどれほど施されても掠り傷すら付かぬ。だが、魔法攻撃となれば別だ。先程のラオフーの突貫は、奴が魔力を蓄えた腕で空間ごと突き破ったから入ってこられたのだ。魔法に対する防御も施してあるが、ブリガドーンの扱いは何分繊細でな、あまり強いものは仕掛けることが出来なかったのだ。ないとは思いたいが、この世には万が一ということがある。もしも外部からの攻撃に耐えられなかったら、ロイズが脱出口を開け」

 フィフィリアンヌに急に名を呼ばれ、ロイズは戸惑った。

「僕が?」

「そうだ。空間を操る力に関しては、貴様は私よりも上だからな」

 フィフィリアンヌは半球体の中央までやってくると、床に描かれた五芒星の魔法陣の中心に立ち、何かを呟いた。
途端に、その姿が消え失せた。神出鬼没とはこのことだ。フィフィリアンヌは、どこから来てどこへ行くのだろう。
ロイズはそのことに驚きながらも、フィフィリアンヌから褒められたであろう言葉にもかなり驚いてしまい、困った。
そんなふうに、自分の力を褒められたのは初めてだった。喜びたい気持ちもあったが、なんだか照れ臭くもあった。

「けれど、穴を開けただけでは脱出出来るわけがないわ」

 ヴィクトリアは、ロイズの傍に歩み寄ってきた。ロイズは、むっとする。

「空間延長して地上まで繋げるんだ、それでいいじゃないか!」

「でも、それだけでは安定性に欠けるわ。そこから先は、私に任せてくれなくて?」

「え?」

 手伝ってくれる、ということか。ロイズがそれを意外に感じていると、ヴィクトリアは目を少し細めた。

「私も命は惜しいもの。それに、もうここも飽きたわ。城に帰りたいのだわ」

「でも…」

 リリは俯き、ぎゅっとエプロンを握り締めた。

「私は」

 ヒトゴロシだから。声には出さなかったが口だけを動かし、リリは呟いた。肩を震わせ、また泣き出しそうだった。
ロイズはリリの傍に駆け寄ったが、リリは顔を上げなかった。ヴィクトリアは悠長な足取りで、二人に近付いてきた。

「リリ。私、あなたのことは好きではないけど面白いとは思うわ。だから、置いていく気はないのだわ」

「何それ」

 ロイズが変な顔をすると、ヴィクトリアは、うふふふふ、と怪しく笑んだ。

「あなた達の苦しみなんて、どれも小さくて下らないのだもの。退屈凌ぎには丁度良いのだわ」

 ロイズは、さっきのことで少しだけヴィクトリアを見直したがそれを撤回した。やはり、彼女だけはどうも苦手だ。
そんな理由で一緒にいられても不愉快なだけだが、ここで妙なことを言っては、ヴィクトリアは気を変えてしまう。
そうなれば、リリと一緒に脱出出来なくなるかもしれない。それだけは困るよな、と思い、ロイズは黙ることにした。
リリはヴィクトリアにどう反応していいのか解らないらしく、やはり黙っている。ヴィクトリア一人だけが、笑っている。
 また、空間が揺らいだ。魔法攻撃か、とロイズは力を放つ姿勢を取ったが、予想していた衝撃は訪れなかった。
それどころか、感じ慣れた気配がする。いつも傍にいてくれて、温もりを与えてくれた人と同じ、柔らかな気配だ。
どこにいる。なぜここに。ロイズは戸惑いながら辺りを見回したが、その姿はどこにもなく、無性に寂しいと思った。
いるなら、出てきてほしい。見ているなら、姿を見せてほしい。祈るような気持ちで目を凝らしたが、やはりいない。
ロイズは泣き出したいほどの寂しさに苛まれ、唇を噛んだ。もう一度会えるなら、どんな形でもいいから会いたい。
 母に。




 有り得ない光景が広がっていた。
 ダニエルは、石のレンガで組み上げられた球体の中に飛び込んだはずだ。だが、景色は予想とは違っていた。
長い、長い、回廊が続いている。目測でも、明らかに球体を遥かに超える長さの回廊で、何倍、何十倍もある。
どういうことだ、と困惑しながらも呼吸を繰り返して気を落ち着けた。取り乱してしまっては、全てがダメになる。
回廊の壁に手を触れてみると、予想とは違った温度が手のひらに伝わった。人の体温のような、暖かみがある。
きっと、これは魔法で造られているのだ。あの球体も魔法ならば、この回廊も魔法で成されているに違いない。
 とにかく、先へ進まなくては。ダニエルは駆け出したが、すぐに念動力を用いて浮かび上がり、床の上を滑った。
回廊の壁には窓は一つもなく、明かりとなる燭台もランプもなかったが、壁全体がじんわりと白い光を放っていた。
その光が、体温のような暖かみを作っている。空気も全体的に柔らかく、硬く張り詰めていた緊張感が緩みそうだ。
回廊の壁が、真横を流れていく。だが、どこまでいってもその壁が途切れることはなく、出口すらも見えてこない。
入り口を間違えたか、とも思ったが、そもそもあの球体には入り口などなく、ラオフーの開けた穴から入ったのだ。
だから、間違える余地もない。前に進めば、きっと辿り着けるはずだ。大事な一人息子、ロイズのいる場所へ。


「そっかあ」


 女の声がした。ダニエルは制動して宙に止まり、辺りを見回したが、人影は見当たらなかった。

「あの子、ロイズって言うんだねぇ」

 忘れもしない声。忘れたくない声。忘れるわけがない彼女の声。ダニエルは混乱しながら、問い掛けた。

「そこに、いるのか?」

「うん」

 声は、すぐ後ろから聞こえていた。ダニエルが背後に振り返ろうとすると、暖かいものが背中に覆い被さった。

「ダメ」

 厳しく強い、抑制の声。見覚えのある腕が首に巻き付けられ、長い金髪がダニエルの顔の脇を掠める。

「あたしを見ないで」

「なぜだ」

 ダニエルは首に回された腕に触れていたが、肩を握っている手を取った。半分透き通った、死者の手だった。

「死んでいるからか?」

「それもある。ずっと待っていたんだけど、会いたいって思っていたんだけど、やっぱり、会いたくなかったよ」

 生前に比べると大分軽い体重が、ダニエルの背にのし掛かる。彼女の甘い匂いが、すぐ傍から流れてくる。

「情けないから」

「なぜだ」

「教えたって、きっと怒るだけだから。だから、教えたくないのよ」

「怒らない。約束する」

「嘘だよ。そう言って、何度ロイズを怒ったんだっけねぇ。その度に、あの子は」

 彼女の言葉に、ダニエルは目を伏せた。

「そうだったな。私もあまり怒りたくないんだが、どうしても気が立ってしまうのだ。少しでも強くなってくれと思うあまりに、かなり無理をさせてしまった。おかげで、ロイズからは随分と嫌われてしまったよ。ついでに、ヴェイパーからも愛想を尽かされてしまった。少しは態度を甘くしようとは思うんだが、つい今まで通りにしてしまって結局上手くいかないのだ。挙げ句に、ロイズをレオとフィリオラに預けてしまった。あの子だけは、何が何でも死なせたくない。そのためには仕方ないと何度も言い聞かせてはいるが、やはり、辛いな」

「あたしの、せいだよね」

「お前のせいではない。私がいけないのだ。リチャードからも言われたよ。過去に固執するなと、現実を見ろと」

「うん。でも、あたし達のやってきたことは間違いじゃなかったんだよ。その証拠に、ここにはルーロンがいる」

「そうだな。だが、それが正しいわけではない。倒すべき敵がいて、果たすべき任務があったとしても、異能部隊が潰えた次点で私達は兵士ではなくなっていたのだ。だが、私はその現実を認めたくなかった。兵士ではなく、ただの民間人に戻ったという事実を受け入れたくないがために任務に固執し、死ななくてもよかったはずの仲間を随分と死なせてしまった。私も、レオのように出来れば良かったのだがな」

「ブリガドーンに来たのは、どうして?」

「決まっている。ロイズを助け出して、話すためだ」

「何を?」

「色々だ。話したいことや話すべきことがいくらでもあるんだが、どれから話したらいいのかさっぱりなんだ。だから、ロイズに会ってから話すことを決めようと思う。お前のことも、当然話してやる。共和国軍時代のお前がとんでもないじゃじゃ馬だったことや、そのくせ可愛いところがあったことや、私を愛してくれたお前をどれだけ愛しているかを」

 ダニエルは、振り返った。

「フローレンス」

 無限に続く壁と天井と床を透かした、半透明の女がいた。一年前に死した時と同じ姿の、愛すべき妻がいた。
胸には致命傷である貫通痕があり、そこから大量に流れ出している赤黒い血がべっとりと戦闘服を汚していた。
触れられないのも承知で両腕を伸ばし、彼女を抱き竦めた。思いがけず、腕と手には温かな感触が伝わってきた。
女ながらも筋肉の付いた硬い腕、それでいて男とは明らかに違う柔らかさのある体、女の匂い、豊かな長い金髪。
抱き締めていると、彼女が内側に滑り込んできた。陽炎のように薄く頼りない思念が、ダニエルの心をまさぐった。
繋ぎ合わせた思念で、ダニエルは全てを悟った。彼女が死んだ真相もその苦しみも悲しみも、何もかもを感じた。

「そうか…」

 ダニエルはフローレンスを固く抱き締めたまま、その場に崩れ落ちた。

「すまない」

「なんで、ダニーが謝るの?」

「謝らせてくれ。そうでないと、気が済まない」

 ダニエルは首を横に振ってから、フローレンスの顔を上げさせた。

「フローレンス。私もお前に会いたかった。これが夢であろうと幻覚であろうと構わない、本当に会えて良かった」

「夢みたいなもんだよ。だって、あたしは」

 フローレンスは腰を上げ、ダニエルに近付く。ダニエルは、破顔する。

「それでもいい。また、会えたのだから」

 フローレンスの次の言葉を遮るように、ダニエルは妻と唇を重ねせた。もういないはずの彼女が、確かにいる。
感じている体温も匂いも感触も声も姿も、錯覚かもしれない。ブリガドーンの魔力が見せる、夢かもしれない。
だが、それでも良かった。なんでも良かった。失ったはずの愛する者とまた会えたことで、全て吹き飛んでいた。
 嬉しさのあまりに、切なさのあまりに、己に対するやるせなさと悔しさの末に、ダニエルは喉の奥が詰まった。
妻の体を擦り抜けた水滴が、足元にいくつか落ちた。フローレンスはダニエルから離れると、可笑しげに呟いた。

「珍しいの。ダニーも、ちゃんと泣くんだね」

「悪いか」

「違うよ、嬉しいの。さっき思念を繋げたから、ダニーがどうして泣いてくれたのかも解るし、ダニーがどれだけあたしとロイズのことを思って戦ってくれていたのかも解るし、あたしの記憶の穴も埋められた。死んでからはずっと空っぽだったから、凄く寒くて、悲しかったんだけど、もう大丈夫。ダニーがいてくれたから。ダニーが、あたしのことを一杯覚えていてくれたから」

「忘れたりするものか」

 ダニエルは涙を拭わないまま、笑った。フローレンスは、その笑みを見、眉を下げる。

「本当に怒ってないの? なんか、ダニーらしくないよ?」

「思念を繋げているなら解るだろうが。こんな時に怒るほど、私は無粋じゃない。少しは信用しろ、フローレンス」

 ダニエルは、フローレンスの頬を愛おしげに両手で包み込んだ。フローレンスは、その手に己の手を重ねる。

「じゃ、ロイズのことも信用してあげて。あの子も必死なんだからね。ダニーのことも、本当は嫌いじゃないの」

「今は本当に嫌われているかもしれないが、その時はその時だ。またやり直せばいい。三人、いや、四人で」

「うちの家族は四人だもんね」

 フローレンスは嬉しそうに微笑み、ダニエルを見つめた。

「でも、あたしは一緒には帰れない。だけど、ずっと一緒にいてもいい?」

「いてくれ。私達が死ぬその時まで、私達を見ていてくれ。そしてまた、ヴァルハラで相見えよう」

「それって、命令?」

「ああ、命令だ」

 ダニエルはフローレンスとの間を詰め、再度、深く口付けた。フローレンスはダニエルに腕を回し、縋り付いた。

「了解、隊長さん」

 名残惜しかったが、ダニエルはフローレンスを離した。もう少し妻を抱いていたかったが、やるべきことがある。
フローレンスもそれを解っているので、ダニエルを妨げなかった。ダニエルは立ち上がり、回廊の果てを見据えた。

「フローレンス。ここはブリガドーンの中なのか?」

「んーと、厳密には、ブリガドーンの中核である魔導球体の内部空間と外部の通常空間の狭間だね。この回廊は、ダニーの思考を反映しているから回廊に見えるだけで、本当はただの空間の歪みなの。ダニーの意識と魔力数値が安定しているから、ここの空間も真っ直ぐで平べったいんだけど、ダニーが揺らいだら乱れちゃうから気を付けてね。ブリガドーンっていうのは、あたしが感じた限りは天然モノの魔導鉱石が集まった末に出来上がった魔力と魔導鉱石の集合体なんだけど、ちょっといじくられちゃっているのよ。さっきの超ド派手な、ああ、リチャードさんね、そのリチャードさんの傍若無人極まりない攻撃のせいで天然モノの部分はほとんど吹っ飛んじゃったから、残っているのは人工物の部分だけなのよ。で、その内部空間と外部空間の接点がどこかにあるはずなんだけどー…」

 フローレンスは目を閉じていたが、開き、反対方向を指した。

「あ、あった」

 フローレンスが指した先は、先程通ってきたばかりの回廊だった。そこには、なかったはずのものが浮いていた。
重厚な造りの古めかしい木製の扉で、厚い扉とそれを囲んでいる枠だけがぷかぷかと浮いており、異様だった。

「あの扉は、最初からあったのか?」

 ダニエルがフローレンスに問うと、フローレンスは首を曲げた。

「あるって言えばあったんだけど、なかったって言えばなかったかな。ここは、言ってしまえばダニーの意識で出来た世界だけど、内部空間と外部空間との接点でもあるわけで、だから内部空間からの意識が作用される場合もあるの。となれば、この魔導球体の中にいる誰かがダニーに会いたがっているのかもねー。もしくあたしに」

「きっと、お前にだろう。思念から察するにロイズの前に姿を現していないようだが、ロイズの感覚は鋭い。だから、フローレンスがいることに気付いていてもおかしくはない」

 ダニエルは、フローレンスに手を伸ばした。

「ロイズを迎えに行くぞ、フローレンス」

「ダニー。あたし達、やっと親らしくなった気がしない?」

 フローレンスは、ダニエルの手を取った。

「子供を作るのは簡単だが、そこから先は本当に難しいな」

「だね」

 二人は笑い合うと、宙に浮いている扉に向かった。ダニエルは念動力で浮かぶと、フローレンスと共に飛んだ。
ダニエルを圧迫するかのように長く伸びていた回廊が薄らぎ、消える。その代わりに、澄み切った湖面が現れた。
その光景は、ゼレイブに訪れる直前に、ラオフーに強制されて異能部隊隊員が全員で釣りをしたあの湖だった。
戦いが終わったら、ロイズを連れて湖に行こう。今度こそ釣りを教えてやろう。まずは、そんなことから始めよう。
 扉は独りでに開き、二人を飲み込んだ。





 


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