ドラゴンは滅びない




大決戦 後



 追憶に浸るのは、そこまでだった。
 グレイスは背中に感じる冷たい感触で意識を戻すと、額を押さえた。さすがに、先程の魔法は広範囲すぎたか。
重力解放魔法の領域をあそこまで大きくするつもりはなかったが、軽い動揺と高揚感で調子に乗ってしまった。
やはり、今回は違うのだ。自重しようにも嬉しくてたまらないから抑えが効かず、つい魔力も解き放ってしまった。
らしくない、と笑いながらグレイスは体を起こした。肩に触れた本の山が崩れ落ち、腹の上からも本が落ちた。
それは、いずれも禁書だった。手狭な石壁の部屋には隙間なく禁書が押し込められていて、かなり狭かった。
空気は埃っぽく、冷ややかだ。グレイスは禁書をいくつか踏みながら歩き、狭い部屋の奥へと向かって歩いた。
本の山を掻き分けて進むと、一番奥の壁だけ色が変わっていた。半透明の魔導鉱石で出来ており、光っている。
 薄明かりを放つ壁には、少女が埋まっていた。小柄な体の腰から下は、純度の高い魔導鉱石に溶けている。
細い腕も肘から先は塗り込められたようになっているが、少女の腕と腰は皮膚ごと癒着し、完全に馴染んでいる。
骨が浮き出てしまいそうなほどに肉の薄い、幼く薄べったい肉体の胸部には、青紫の魔導鉱石が埋まっている。
少女の年齢は、八歳程度に見える。髪の色は人間では有り得ない濃い桃色で、螺旋状のクセが付いている。
髪は頭の両脇の高い位置で結んでいるので、極彩色の螺旋は二つあった。グレイスは、少女の髪に指を通す。

「久し振りだな、レベッカちゃん」

 グレイスの声に反応し、少女は薄く目を開いた。青紫の瞳の焦点を、グレイスに定める。

「あ、ご主人様ー」

「フィフィリアンヌはどうした」

 グレイスが問うと、壁に埋まった少女、レベッカは目を瞬かせた。

「とっくにー、外へ出ちゃいましたー」

「巻き込まれたくない、ってか? 気持ちは解るけど、ちょっと寂しいぜ」

 グレイスは残念そうに眉を下げたが、すぐに表情を戻した。

「ブリガドーンの状態はどうだ」

「えっとー、攻撃で大部分が破損しましたけどー、この魔導球体は大丈夫ですー。命令系統もちゃんと残っていますしー、外殻を剥離しても大丈夫なようにー、フィフィリアンヌが改造を施してくれていましたからー。ロイズとダニエルが開けた外部空間と内部空間の穴もー、自己修復が始まっていますのでー、もう十五分もすれば元に戻りますー。ブリガドーンの変形を始めるのはー、空間の自己修復が完了してからの方がー、いいんじゃないでしょうかー」

 レベッカは妙に間延びした口調で喋りながら、可愛らしく首をかしげる。

「今までご苦労だったな、レベッカ」

「いいえー。ご主人様のお役に立つのがー、私のお仕事ですからー」

 レベッカは、とても嬉しそうに笑った。その幼い笑顔に屈託はなく、主であるグレイスに会えた喜びに満ちている。
レベッカは、機械式でも生体式でもない液体魔導鉱石を肉体とした人造魔導兵器で、グレイスが造ったものだ。
分類としてはストーンゴーレムに近いが、グレイスの魂の一部を持たせているので、事実上はグレイスの分身だ。
液体魔導鉱石が肉体である彼女は、当然ながら魔導鉱石との相性が非常に良いので、ブリガドーンを任された。
 魔導鉱石の固まりのブリガドーンを制御するために必要なのは、ブリガドーンに負けない魔力だけではない。
魔法の腕もさることながら、魔力の流れを制することが出来なければ、ブリガドーンを従わせることは出来ない。
レベッカは、その役目に適任だった。石から生み出され、石の肉体を持つ彼女でなければ、出来ない仕事だ。
ブリガドーン内部の半球体の部屋もレベッカが造り出したもので、当然ながら、この禁書を納める部屋もそうだ。
 禁書を納める部屋は、外見上は至って普通の石組みの部屋だが、外部には多重の魔導結界が張ってある。
半球体の部屋にも魔導結界は張ってあるが、そちらは二重でこちらは五重なので、この部屋の強度は桁違いだ。
そしてレベッカも、彼女の本体でありブリガドーンの中枢でもある魂を納めた魔導鉱石は、ここに置いている。
壁に埋まっている上半身はグレイスに会うために造り出したものであり、彼女の本体はその胸の中にある石だ。
 そして、ルーロンの正体もレベッカであった。あの地の底から響く声の主も、反撃を行ったのも、レベッカだ。
グレイスが連合軍にどれだけルーロン・ルーの情報を与えようとも、決定打となる証拠がなければ信用されない。
そのために利用したのが、ブリガドーンだった。石の固まりに過ぎないブリガドーンに、レベッカという魂を与えた。
元々架空の存在であるルーロン・ルーを実在の者へと昇華させることは、グレイスには難しいことではなかった。
目に見えない存在ならば、目に見える存在にしてしまえばいい。その上で打ち倒せば、ルーロン・ルーは滅びる。
連合軍に取り入ったのも、派手な戦闘を繰り返したのも、連合軍の公文書にルーロン・ルーの名を刻むためだ。
 公文書では、グレイスはルーロン・ルーを滅ぼした者にはなれないかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
ルーロンさえ滅びれば、ルーの名を持つ者を縛る鎖は断ち切れる。忌々しく下らない呪いもやっと終焉を迎える。

「ごめんな、レベッカ。今までオレと付き合ってくれたのに、最後の最後で利用しちまってよ」

 グレイスは、レベッカの丸い頬を撫でた。レベッカは、微笑んでいる。

「私はー、ご主人様の道具なんですからー。ご主人様の望みはー、私の望みですー」

「ルーロンへの形態変化を始めてくれ。完了次第、外へ出る。ちなみに、どんな格好になるつもりだ?」

 グレイスはレベッカの頬から手を外し、ぽんぽんと頭を軽く叩いた。レベッカは、くすぐったそうにする。

「ご注文がありましたらー、それにしますけどー。でもー、なるべくー、倒しやすいものに変化しますねー。あんまりー、強いのにしちゃうとー、さっきの広範囲魔法で消耗しているー、ご主人様がへばっちゃいますからー」

「そんな気を回されなくたって、オレは平気だっての。オレを誰だと思っているんだ、うん?」

 グレイスは笑うと、レベッカから手を放して立ち上がり、禁書が隙間なく詰め込まれた部屋を見回した。

「でも、随分集めたなー、これ。何冊ぐらいあるんだっけ?」

「合計でー、千五百冊とちょっとですー。禁書目録に載っている禁書のー、ほとんどがありますー」

「フィフィリアンヌは、これを沈めるためにオレを利用したってわけか。禁書をそのまま海に沈めたり地中に埋めたりしたところで、禁書自体に魔力があるから劣化することがない。一冊一冊の魔法を解除して処分するっていう方法もあるが、それじゃ回りくどいし手間が掛かる。だから、ブリガドーンの膨大な魔力で禁書の魔法を打ち消して、海に沈めて本自体もダメにしちまおうっていう計算か。効率が良いと言えばいいが、でもなー、なんか引っ掛かる」

 グレイスが訝ると、レベッカは首をかしげた。

「何がですかー?」

「なんか、こー、らしくねぇよな。フィフィリアンヌだったら、やることは逆じゃねぇのか?」

「あー、私もー、それは思いましたけどー」

「だろ? あの女は魔法大好きだし本も大好きだから、守ることはしても壊すことはしねぇように思うんだが」

「ねー、なんででしょーねー?」

「まあいいか。その辺のことは、後できっちり問い詰めてやるとして」

 グレイスはレベッカの胸元の魔導鉱石に、手を載せた。

「遅効性の魂を壊す呪いを掛ける。発動するのは、オレがこの魔導球体を破壊した直後に設定しておくさ。本当に、今までありがとうな、レベッカ。今度は、オレの子供にでもなって産まれてきてくれよ」

「はいー」

 と、レベッカは少しだけ寂しげな笑みを浮かべたが、突然目を見開いた。

「異物反応ー、感知しましたー」

「侵入経路は、そうか、あの空間の穴か! ぬかった!」

 グレイスはレベッカの魂が込められた魔導鉱石に手早く呪いを施してから、レベッカに迫った。

「現在位置は割り出せるか!」

「内部空間への到達を確認ー、距離ー、二十五ー、十ー、三ー、いち」

 その言葉を最後に、レベッカは沈黙した。幼女らしい小さな頭は真後ろから貫かれ、眉間から白い刃が伸びた。
厚い切っ先から赤紫の液体魔導鉱石を滴らせていたが、頭部は真っ二つに割られ、液体魔導鉱石が飛び散った。
半分に割られたレベッカの頭は首から外れ、鈍い音を立てて床に転がった。大きな目は、見開かれたままだった。
その瞳は次第に崩れ、螺旋状の髪や頭蓋骨もでろりと液体化し、レベッカの残骸の液体が床一面に広がった。
床に落ちた青紫の魔導鉱石が、踏み付けられ、砕けた。壊された壁の奥から、腕に刃を生やした男が現れた。

「…アレクセイ」

 グレイスは顔を歪め、その者の名を呟いた。壁の奥に立っているアレクセイは、いつもの軍服姿ではなかった。
連合軍兵士の戦闘服だが黒ずんだ血や焦げ跡が付いているので、兵士の死体から引き剥がしてきたのだろう。
顔を隠す気はないらしく、素顔は晒している。アレクセイの右腕からは、骨を変形させて造った刃が伸びていた。
その白い刃にはレベッカの体液とも言える液体魔導鉱石が伝い、絡んでいる。グレイスは、アレクセイを睨む。

「裏切られるとは思っていたが、今だけは勘弁してもらいたかったぜ」

 アレクセイはもう一方の腕からも骨で出来た刃を伸ばし、グレイスに歩み寄ってくる。

「特一級危険指定国際犯罪者、グレイス・ルーの暗殺が我々の任務。これまでお前に従っていたのは、お前の暗殺を行う時期を見計らっていただけに過ぎず、我らは元よりお前の部下ではない」

「大方、そんなことだろうと思っていたぜ。で、複葉機を手配したのもお前らなんだな?」

 グレイスは軍用サーベルを引き抜くと、アレクセイに突き出した。アレクセイは返す。

「陽動に過ぎない」

「だが、それにしちゃ的確すぎたぜ。しかも、操縦士の死体が一つもなかった。あれはエカテリーナだな?」

「我ら生体魔導兵器は、己の生体組織を分離させて一時的に増幅し、分身を生み出すことが出来る」

「そんな面白い特技があるなら、オレに教えてくれたっていいじゃねぇか!」

 グレイスは足元を踏み切ってアレクセイに接近し、その胸元に軍用サーベルを深々と突き刺した。

「我が言霊に戒められ、我が言霊に従わん!」

「魂を持たぬ我らに、呪術は無効」

 アレクセイの腕が、グレイスの胸に滑り込んだ。胸部を貫いた刃はグレイスの背から飛び出し、鮮血が溢れた。

「オレを舐めてもらっちゃ、困るぜ」

 グレイスは口の端から喉から迫り上がった血を零しながら、軍用サーベルを捻った。アレクセイの血も、溢れる。

「紅の滾りよ、いざ目覚めよ。空虚なる器に、再び潤いを与えよ。彼の者が失いし命の煌めきよ、ここに蘇らん!」

 グレイスの言葉が終わると同時に、アレクセイの腕はずるりと抜け落ちた。無表情な瞳に、僅かに光が戻る。
アレクセイはよろけると、本が積み上げられた壁に背中から倒れ込んだ。グレイスも、その場に崩れ落ちた。

「魂ってぇーのはな、魔力の固まりだ。だから魔力をちょっといじってやりゃあ、擬似的に魂を造ることも…」

 グレイスは大きな穴の空いた胸に手を当てたが、傷口は埋まらず、指の間から生温い血が溢れていく。

「あー、くそー…。てめぇ、オレの魔力中枢ごと、切りやがったな…? 器用なこと、しやがってよう」

 倒れ込んでいるアレクセイは、答えなかった。グレイスは、舌打ちする。

「これが終わったら、オレは城に帰るんだよ。だから、こんなところで寝てられねぇんだ」

 だが、手足は動かなかった。アレクセイに断ち切られた魔力中枢が再生することはなく、血ばかりが流れていく。
生温く粘り気のある水溜まりが足元に広がり、寒気が立ち上る。因果応報かな、とグレイスはちらりと考えていた。
 これまでの自分の生き方は、最低最悪だ。快楽や娯楽を求めるあまりに人を殺し、死体の山の上に生きていた。
やりたいことを思う存分出来たので、悔いはない。だが、死んでしまっては妻子を守れない。立ち上がらなくては。
そう思うも、腰から下の体温は抜け始めている。視界も歪み始めていて、感じられるのは激しい痛みばかりだ。
 守りたいと思った。それだけだ。それだけだというのに、呆気なくやられた。笑うに笑えなくて、泣きそうになった。
壊すのは簡単だが、守るのは大変だ。改めて、守るために戦い続けてきたギルディオスの大変さを思い知った。
これからは、彼といい友人になれそうだ。旅の中、ヴィクトリアを守ってくれていた礼も、まだ言っていなかった。
ヴィクトリアの弟か妹も作ってやりたい。灰色の城に帰って、大変な旅をしたヴィクトリアの話を聞いてやりたい。
ロザリアの恐ろしく下手な手料理も、食べ足りないというのに。なのに、視界が暗くなり、体が重たくなっていく。
 悪しき呪術師の最期の言葉は、妻子の名だった。




 不気味な静寂だった。
 ブリガドーンの本体である球体が、異様に静まっている。そろそろ動く頃合いのはずだが、まるで変化がない。
夫に何かあったのでは、とロザリアは瓦礫の上から飛び降りて、腰から下げているもう一丁の拳銃を手にした。
鉛玉はブリガドーンまで届かないが、魔導拳銃ならば届く。ロザリアは駆け出したが、ふと、空気が重たくなった。
軽く浮かび上がっていた瓦礫や石が地面に吸い寄せられ、ず、と鈍い震動が起き、重力解除魔法が消えた。
それはすなわち、術者に異変が起きた証拠だ。ロザリアはギルディオスらの前に出て、ブリガドーンを見上げた。
 不意に、頭上が陰った。ロザリアが魔導拳銃の引き金に指を掛けるよりも先に、飛行服を着た兵士が降りた。
着地の衝撃などないかのようにすぐさま立ち上がった兵士はロザリアを蹴ってよろけさせ、その懐に飛び込んだ。

「ロザリア・ルーの暗殺任務、完了」

 ロザリアが手にしていた魔導拳銃の上半分が切り落とされ、鉱石弾と銃身が足元に転がり、赤い滴が落ちた。
彼女の背からは、赤黒い筋が絡み付いている白い刃が飛び出していた。その傷口から、どくどくと血が流れる。

「逃げ、なさい、ヴィクトリア…」

 ロザリアの口から、弱い言葉が零れる。兵士はロザリアの胸から刃を引き抜いたが、それは腕から生えていた。
刃を抜かれたロザリアは糸の切れた操り人形のようによろけ、力なく倒れ込むと、兵士は僅かに目を細めた。

「生体反応の消滅を確認」

「てめぇは」

 ギルディオスはバスタードソードを上げ、兵士に向けた。それは、操縦士の格好をしているエカテリーナだった。

「ヴィクトリア・ルーの暗殺任務、開始」

 俯せに倒れたロザリアの下から、じわじわと血溜まりが広がり始めた。長い黒髪が散らばり、瞳は濁っていく。
放たれることのなかった魔導拳銃に血が届き、赤黒く濡れる。破れた軍服の背からも血が流れ、布が黒ずむ。
一撃で、絶命していた。ヴィクトリアはがくがくと震えながら立ち尽くしていたが、ずり下がり、掠れた声で呟いた。

「おかあさま…?」

「任務、遂行」

 エカテリーナはヴィクトリアに向かおうと、駆け出した。ギルディオスは熱している剣を振り、彼女に叩き込んだ。

「させるかあ!」

 肉の焼ける音と嫌な匂いの煙が、立ち上る。ギルディオスの剣は、エカテリーナの腹部に深くめり込んでいた。
傷口からはどぷっと血が噴き出したが、エカテリーナは全く表情を変えずにギルディオスの剣を素手で掴んだ。

「障害物、排除」

「氷撃一種、零下!」

 ギルディオスは魔導拳銃をエカテリーナの頭部に押し当て、発砲した。衝撃で仰け反った女の頭が、凍り付く。
ばきばきと音を立てながら冷却の範囲は広がり、エカテリーナの全身だけでなくギルディオスの剣も凍らせた。
ギルディオスは凍り付いた女の体からバスタードソードを抜き、魔導拳銃の弾倉を回転させ、鉱石弾を装填した。

「爆撃二種!」

 ギルディオスはエカテリーナの腹部の傷に魔導拳銃の銃口をねじ込み、渾身の力で引き金を引いた。

「激壊!」

 銃口から迸った強烈な魔力が、完全に凍り付いたエカテリーナの内部を駆け上がり、手足の先にまで到達した。
ギルディオスが銃口を引き抜いて飛び退いた直後、エカテリーナの肉体はひび割れ、魔力の閃光が噴き出した。
程なくして、エカテリーナを中心に爆発が起きた。凍り付いていた体は簡単に砕け、肉片は粉々になって散った。
白っぽい煙が風に流され、エカテリーナの立っていた位置には爆発による焦げ跡だけしか残されていなかった。
ギルディオスは、吹き飛んできた際に体中に貼り付いてしまったエカテリーナの肉片を剥がしてから、振り向いた。

「大丈夫か、ヴィクトリア」

 ヴィクトリアの瞳は、ギルディオスを見ていなかった。崩壊したのは、エカテリーナだけではなかったようだった。
ブリガドーンの本体の球体が、空中から消えていた。魔導鉱石製のレンガは、積み重なって海中に沈んでいる。
その真上に、浮いている者がいた。絵画に描かれている禍々しい死神のような、骨に皮を張った翼を広げている。
戦闘服姿の死神の右腕から伸びている骨の刃には、だらりと両腕を下ろしている死体が突き立てられていた。
死体の肩から、ほつれた黒髪の三つ編みが滑り落ちた。ヴィクトリアは血の気を失うと、甲高い悲鳴を上げた。

「いやあああああああああっ!」

 ヴィクトリアは震える足で走り出し、空中で掲げられている父親の死体に近付こうとした。

「おとうさま、おとうさま、おとうさまあああああ!」

「止せ、ヴィクトリア!」

 ギルディオスは魔導拳銃もバスタードソードも放り出すと、海へと飛び込みそうになった彼女を抱き留めた。

「エカテリーナの次はアレクセイか!」

 戦闘服姿の男は右腕を下げると死体を引き抜き、海中に落とした。再び、ヴィクトリアが鋭い悲鳴を上げる。

「いや、いやあ、おとうさま、おかあさまぁあああ!」

 子供とは思えない力で暴れるヴィクトリアを無理矢理押さえ込んだギルディオスは、アレクセイを睨んだ。

「てめぇ、グレイスを裏切ったんだな!?」

「裏切ったのではない。本来の任務を全うしただけに過ぎない」

 アレクセイは音もなく舞い降りて海面まで近付くと、凍り付いた肉片が付着した紫の魔導鉱石を拾い上げた。

「エカテリーナ・ザドルノフ少尉、回収。これより帰還する」

 アレクセイは、魔法を用いて姿を消した。ヴィクトリアは虚空へ伸ばしていた手を落とし、一際激しく叫んだ。

「かえしてぇっ、おとうさまとおかあさまをかえしてぇええええええ!」

 涙を流しながら喚いていたヴィクトリアの声が、唐突に途切れた。灰色の瞳は焦点を失い、全身の力が抜けた。
ヴィクトリアはギルディオスの腕に身を任せて、そのまま動かなくなった。あまりのことに、気を失ってしまったのだ。
見開いたままの目から涙を落とし、歪んだ唇の端から涎を零しているヴィクトリアを、ギルディオスは抱き締めた。

「しばらく眠っておけ、ヴィクトリア。そう、良い子だ」

 ギルディオスはヴィクトリアの髪を撫でてやりながら、俯き、呻いた。

「畜生…」

 ダニエルが死んだ。ロザリアが死んだ。グレイスが死んだ。グレイスの死が少しも嬉しくないのが、可笑しかった。
あれだけ嫌っていた男なのに、死んだ途端に会いたくなる。先程の戦いの決着も、まだ付けていないというのに。
ちゃんとした決着を付けたかった。五百年以上もだらだらと続いている腐れ縁の関係にも、蹴りを付けたかった。
だが、死んだ。それも、彼が他人に対して何度も行った行為、裏切りによって命を落としてしまうとは皮肉な話だ。
 死ぬべきは自分だったはずだ。命の限りが見えてきた自分こそが、この戦いで戦って果ててしまうべきだった。
だが、死神が鎌を振るったのはギルディオスではなく、その周囲にいる者達だった。愛した者と、憎んだ者だった。
これもまた、運命か。ギルディオスは嗚咽を殺して俯いていたが、迫り上がる感情に抗い切れず、咆哮を放った。
 なんと、空しい勝利だろうか。




 人ならざる者達が決意と命を燃やした激戦は、終焉を迎える。
 多大なる犠牲を払った末に得たものは、勝利とは言い難い苦痛だけだった。
 この世に永遠はない。全ては有限であり、朽ちぬものは存在しない。

 滅びは、全てに等しく与えられるのである。







07 7/7