ドラゴンは滅びない




告別




 ギルディオスは、空しさを味わっていた。


 背中からマントがなくなってしまうと、妙にすかすかした感じがする。布一枚であろうと、失うことは寂しかった。
マントのない背に担いだバスタードソードは、魔導拳銃から注ぎ込んだ熱がまだ残留しており、ほのかに暖かい。
体温に似た、優しい温度だった。底冷えするほど冷たい潮風に晒されている鋼の体には、とても心地良かった。
あれほど激しい戦いを繰り広げた海峡も今は落ち着き、夜の闇を吸い込んでどす黒くなった海が波打っている。
 長い間腐れ縁の関係にあった男とその妻を火葬した炎もすっかり消えてしまい、潮風で煤が舞い上がった。
アレクセイに殺されて投げ捨てられ、海面に浮かんでいたグレイスをそのままにしておくのは忍びなかったのだ。
また、ロザリアも夫と別離させては可哀想だと思い、二人の両手をマントで繋いでやってから、火葬してやった。
ロザリアは、前世ではグレイスと死に別れてしまった。だから今度は、二度と離れないようにするためでもある。
それに、グレイスを一人で送り出してはまた何をやらかすか解らない。愛する妻と一緒なら、抑えも効くだろう。
 マントは、二人への餞別だ。あんな布切れだけでは申し訳ない気もしたが、他に差し出せるものなどなかった。
その代わり、こちらも形見分けをもらった。ギルディオスの手には、グレイスのメガネとロザリアの拳銃があった。
どちらにも血がこびり付き、汚れている。ギルディオスは二人の遺品を見つめていたが顔を上げ、夜空を仰いだ。

「すっきりしちまったなぁ、おい」

 空に浮かんでいた山は、海に還ってしまった。また、ギルディオスがよく知る者達も、世界の輪廻へと還った。
ギルディオスは手近な瓦礫に腰掛けると、肩を下ろした。戦いは、終わった後の方が戦闘中よりも辛いものだ。
戦闘中は目の前の敵を打破することと生き延びることで精一杯だが、戦いを終えると、熱していた頭が冷める。
気持ちが落ち着くと、無惨な現実をありありと感じる。いつものように、無慈悲で残酷な結末と向き合うことになる。
 戦いは終わった。目的は果たした。だが、失ってしまったものは戻らない。失えば最後、大きな穴が空いてしまう。
その穴は、一生埋まることはない。埋めようと思っても、埋めるのに必要な者がいないのだから、埋まりはしない。
身を切るような悲しさと重たい悔しさが、背中にのし掛かる。バスタードソードよりも遥かに重たく、苦しい辛さだ。
 生きるために戦った。だが、戦う以上、死からは逃れられない。それは誰しもが同じで、例外など存在しない。
それが、ダニエルとグレイスとロザリアであったというだけだ。あれだけ大規模な戦闘を行ったにしては、少ない。
連合軍側の被害の大きさと比べれば、砂の一粒程度だ。たったそれだけで済んだのだ、と思うべきかもしれない。
だが、ダニエルは砂粒ではない。ロイズの父親であり、レオナルドの友人であり、ギルディオスの元部下だった。
グレイスもロザリアも、ヴィクトリアの両親であり、恐ろしい強敵であり、腐れ縁であり、友人と言える者達だった。
 これからは、皆のいない日々が始まる。昨日と同じ朝が訪れようと、昼が来ようと、夜になろうと、彼らはいない。
時間を積み重ねていけば悲しみは薄れていくが、喪失感は埋まらない。いつものことだが、相変わらず辛かった。

「おう」

 背後に近寄る足音に気付いたギルディオスは、振り返らずに声を掛けた。

「火、消えたぜ」

「そうか」

 冷淡な口調で返したのは、フィフィリアンヌだった。彼女はギルディオスの傍に来ると、少し離れて腰掛けた。

「二人共、灰色の城の敷地にでも埋めてやるとしよう。こんな場所に埋めてしまっては、グレイスの馬鹿がこの土地にどんな呪いを掛けるか解ったものではないからな」

「そうだな。それがいい」

 ギルディオスは、横目に竜の少女を窺った。

「頭から罵倒してやりたくてたまらねぇんだが、ちっとも怒る気になれねぇんだ」

「私もだ。貴様の行動に対して色々と言いたいこともあったのだが、さすがに疲れた」

 フィフィリアンヌは潮風に乱された深い緑髪を、銀のピアスを填めている長く尖った耳に掛けた。

「ヴィクトリアは気絶したままの状態を継続しているが、魔力と体力を大分消耗している。現実と向き合わないために、無意識に魔法を掛けて眠っておるのだ。無理もない。ヴィクトリアにとって、グレイスは全知全能の神でありロザリアは聖母だったのだ。それを目の前で同時に殺められては、幼き心は容易に砕けようというものだ」

「目が覚めたらどうなっちまっているだろうな、ヴィクトリアは」

「少なくとも、以前と同じとは行かぬだろう。気が触れているか、心を失っているか、或いは二度と目覚めないか」

「オレよ、ロザリアに頼まれたんだよ。ヴィクトリアを守ってやってくれって。だから、その頼み事を全うするつもりだ」

「相変わらず、貴様は無意味に義理堅いな」

「ヴィクトリアだけじゃねぇ、三人とも放っておけねぇよ。オレ達はこういうことには慣れっこだが、あいつらは子供だ。支えてやらねぇと、キースみたいなことになりかねぇからな」

「違いない」

 フィフィリアンヌは、ギルディオスの横顔を見上げた。

「貴様は、ゼレイブへ戻るのだな」

「フィルはどうするんだよ。まあ、ゼレイブにツラを出せる状況でもねぇけどな」

「城へ帰る他はなかろう。久々にフィリオラの様子も見ておきたかったのだが、それはまた次の機会だ」

「ところでよ、フィル」

 ギルディオスは、こちらを見上げているフィフィリアンヌを見下ろした。

「お前、なんで禁書を集めたんだ?」

「愚問だ」

 フィフィリアンヌはギルディオスから目を外し、暗い海へ視線を投げた。

「そもそも、貴様らは禁書の定義を大いに思い違えておる。ヴィクトリアは元より、貴様までもが、禁書とは強大な力を持つ魔法が書き記された魔導書だとでも思っておったのだろう」

「違うのか?」

「全く違うとも。私が禁書と指定した魔導書は、いずれもこの時代の人間では持て余す情報が書き記された魔導書なのだ。そして、正しくない魔導の歴史が書き記された魔導書でもあるのだ。ルーロン・ルーもその一部で、あれは本来ヴァトラ・ヴァトラスが創作した人物に過ぎなかったのだ。それが多数の愚か者の手によって情報が改変され、あたかも実在している呪術師であるかのように扱ったのだ。その挙げ句に帝国の馬鹿共は、もう一つのヴァトラス家であったバレッティラス家を滅ぼすためだけにルーロン・ルーの末裔なんぞをでっち上げて、在りもしない呪いを造って両家を縛り付けたのだ。今回、グレイスが行ったのはそのルーロン・ルーを滅ぼすための戦いだったのだ。ブリガドーンの本体であった魔導球体内にいたのはルーロン・ルーなどではなく、ルーロン・ルーのように振る舞えと命じられたレベッカであり、グレイスはそれを滅ぼすことによってルーロン・ルーという下らない先祖も滅ぼそうとしたのだ。だが、それもあの生体魔導兵器共のせいで失敗に終わってしまったがな。本当に、惜しかった」

「じゃあ、ルー一族ってのは」

「バレッティラス家が滅ぶと同時に帝国にほとんど滅ぼされてしまったから、グレイスの父親とその子供と孫を含めても、せいぜい三世代しかおらぬ一族だったのだ。数千年の歴史を誇るヴァトラス家の足元にも及ばんのだ」

「そういうことだったのか…」

 ギルディオスは納得すると同時に、やるせなさに襲われた。目的を果たす直前に、グレイスは死んだのか。

「最後の最後でしくじりやがって。らしくねぇよ、グレイス」

「ああ、全くだ」

 フィフィリアンヌも、声を沈めた。

「これから、少しばかり退屈になる」

「フィル。オレの兄貴の日記も、沈めたのか?」

 ギルディオスが問うと、フィフィリアンヌはやや気落ちした声ながらも淡々と答えた。

「イノセンタスの日記は、城の書庫に残してある。あれは、読み物としてもなかなか価値のある書物だからな」

「中途半端に優しいな、お前は」

 ギルディオスが茶化すと、フィフィリアンヌは顔を背けた。

「うるさい」

「伯爵は、そっちに返すぜ。あの野郎と長いこと一緒にいると、こっちまで頭がおかしくなりそうなんでな」

「返してくれずとも良い。むしろ、捨ててくれ」

「捨てたとしても、お前は拾いに行くんだろうがよ」

「…ふん」

 フィフィリアンヌは息を漏らし、細い腕を組んだ。ギルディオスは背を丸め、頬杖を付く。

「ブリガドーンには、なんで一人で行けたんだ? 伯爵がいねぇと、自分の城でも迷う方向音痴のくせしてよ」

「貴様は月を見失ったことがあるのか?」

 フィフィリアンヌは、不愉快げに言い返した。つまり、空を飛ぶものには真っ直ぐに行ける、と言いたいのだろう。

「そりゃそうだな。だが、他にも疑問はてんこ盛りだぜ、フィル」

 ギルディオスは左手の人差し指を立て、フィフィリアンヌに向けた。

「なぜ魔導兵器三人衆を使った。お前なら、自力で禁書を集められるはずだが? それと、なぜ連合軍が魔導兵器を造っていることを知っていたんだ?」

「それもまた愚問だ。手の届くところにあった道具を使っただけに過ぎん」

「そういうことを聞いているんじゃねぇよ。情報の出所だよ、出所。まさか、ヴィンセントじゃねぇだろうな?」

 ギルディオスがフィフィリアンヌの顔を指すと、フィフィリアンヌは僅かに目を見開いたが、すぐに表情を戻した。

「あれはなかなか使えるぞ」

「だと思ったぜ。あのネコマタ野郎は胡散臭いから、オレは信用する気にはならねぇけどな」

「利用出来るものは利用せんとならん」

「だからっつって、相手は連合軍の密偵だぜ? よくもまぁ、そんなのの情報を真に受けたな」

「私も別方面からの情報を得ていた。裏付けが取れていたからこそ行動したのだ」

「まあ、でも」

 ギルディオスはフィフィリアンヌを指していた手を下げ、月のない夜空を仰いだ。

「三人衆がやられた今じゃ、どうでもいいけどな」

「ラオフーの行方は、私にも解らん。奴らには位置特定を行うための魔法を掛けていたが、ラオフー自身が強引に解除してしまったようだからな。フリューゲルの様子はどうだ」

「リチャードとラミアンによれば、ぎりぎりってところらしい。そりゃ騒々しい野郎かもしれねぇが、ついさっきまで一応は部下だった野郎だぜ? ちったぁ手ぇ貸そうとかは思わねぇのか?」

「禁書の回収を終えたら解放するのが、私と三人衆との約束なのだ。その仕事が終わったのであれば、私が奴らを構う理由はない。どこへ行こうと、どうなろうと、奴らの勝手だ」

「冷てぇなあ。んで、ルージュは本当に死んだのか」

「人造魔力中枢に魔法攻撃を加えられて過負荷が掛かった上、魂に直接魔力を注ぎ込まれ、内部機関が暴走した末に爆砕したのだ。無事ではおるまい」

「ラッドは、本当にあの女のことが好きだったんだぜ」

「知っておる」

「だったら、どうしてルージュに戦うなって言わなかったんだ。お前の命令なら、あの女もちょっとは聞くはずだろ?」

「私もそれとなく言ったが、あの女は強情でな。人のことは言えぬが、意地を張るとろくなことにならん」

「ああ。ダニーもそうだった」

 ギルディオスは腰を上げると、フィフィリアンヌに背を向けた。マントのない大きな背に、巨大な剣が載っている。

「フィル、薄情じゃねぇか。オレと伯爵を置いて、一人で禁書集めなんかしやがってよ」

「何をどうしようと、私の勝手だ。女々しいことを言いおって、貴様らしくもない」

「らしくねぇのは、どっちだよ。グレイスの野郎もそうだが、どいつもこいつもらしくねぇよ」

 あばよ、とギルディオスは手を振り、海岸から離れた場所に留めてある蒸気自動車に向かって歩いていった。
すると、ごとっ、とフィフィリアンヌの背後から落下音がした。振り向くと、瓦礫の隙間にフラスコが転がっていた。

「フィフィリアンヌよ。貴君は、何か腹積もりでもあるようであるな」

「ないわけがない」

 フィフィリアンヌはスライムの入ったフラスコを拾い上げると、砂を払って膝の上に載せた。

「もうしばらく、私の方は落ち着けそうにない。退屈を望むなら、ニワトリ頭の元へ戻れ」

「はっはっはっはっはっはっはっはっはっは。あのニワトリ頭では、罵倒のしがいがないのである」

「上等だ。私も貴様という下劣極まる存在を徹底的に侮辱したいと思っておったところだ」

 フィフィリアンヌは口元を歪めると、ベルトに付けていた金具に伯爵のフラスコを挟み、下げた。

「早速で悪いが、案内してくれ」

 ごぼ、とフラスコの中で伯爵が気泡を吐き出した。無言の同意だった。フィフィリアンヌは、背中の翼を広げた。
強い潮風を孕ませた翼を羽ばたかせ、一気に浮上する。どす黒い海面すれすれを飛行しながら、目を凝らす。
海には、崩壊したブリガドーンの残骸である巨大な岩石が大量に沈んでおり、新たな魚礁が出来上がっていた。
岩石の隙間には対岸や軍艦から流れてきた兵士の死体が挟まり、水を吸ってぶよぶよと膨れ上がっている。
朝になれば、死体は更に増えるだろう。死体から漏れる腐臭や硝煙臭さで鼻はあまり利かないが、感覚は別だ。
伯爵が示してくれる方角を感じながら、フィフィリアンヌは飛行した。魔導鉱石から発する魔力も、沈黙している。
 落下の衝撃で真っ二つに砕けた岩石の隙間に、光るものがあった。星よりもかすかな、頼りない輝きだった。
フィフィリアンヌは加速すると、闇色のローブを翻しながら割れた岩石に向かい、その真上で羽ばたきを止めた。
荒く割れた岩石の内側には赤みを帯びた魔導鉱石の原石が現れており、その合間にも死体が挟まれていた。
何体か積み重なった死体の下から、光は滲んでいた。フィフィリアンヌが手を一振りすると、死体は流れ出した。
連合軍兵士の死体が波間に沈むと、光を放つものの正体が解った。無惨に砕けた、五角形の魔導鉱石だった。
 五角形の台座に埋まった紫の魔導鉱石は中心に大きくヒビが走り、三分の一程度が吹き飛んでしまっていた。
また、その魔導鉱石が付いている胸から下も吹き飛んでおり、魔導金属製の背骨と内部機関が露出していた。
身の丈ほどもあった主砲は右肩ごとなくなり、左腕も下半身の爆砕と共に破損したのか、肘から先がなかった。
辛うじて残っている頭部も表面が焼け焦げ、銀色の長い髪もざんばらに千切れ、彼女の美しさは損なわれていた。
赤い瞳も右側が割れており、焦げた穴が空いていた。胸元の魔導鉱石の輝きは、途切れ途切れになりつつある。

「して、どうするのであるか?」

 伯爵に問われたフィフィリアンヌは、下半身を失ったルージュの真上に降下し、胸の魔導鉱石に手を載せた。

「答えられるか」

 砕けた魔導鉱石が発する光が、かすかに強まった。

「ならば問おう。貴様は生きたいか、それとも再び暗闇の底へ沈みたいのか」

 輝きが更に強まり、フィフィリアンヌの指の隙間から光が溢れた。

「良かろう。ならば、我が牙の元に忠誠を誓え。従わずば、我が手は貴様の魂を握り潰そうぞ」

 輝きは一瞬弱まったが、先程よりも強くなった。

「ふむ、弁えておる」

 満足げなフィフィリアンヌに、伯爵が言った。

「しかし、これをどうするのであるか? 機体が爆砕した以上、使い道など皆無としか思えぬのであるが」

「城の地下に、これの部品を調達するために奪ってきたもう一体の機体を保管してある。それに魂を移し替えれば、なんとかなりそうだ」

「ふむ、これが今度の手駒であるか。となれば、まだ終わっておらぬのであるな?」

「何一つな」

 フィフィリアンヌは人差し指を立て、割れた魔導鉱石の上で六芒星を描いた。すると、魔導鉱石が復元し始めた。
氷が成長するように割れた部分が元通りになると、フィフィリアンヌはもう一度六芒星を描いて魔導鉱石を外した。

「事は、これから始まるのだ」

「貴君とも腐れ縁である。地獄の果てまで、付き合ってやるのである」

「ふん」

 伯爵の言葉に、フィフィリアンヌは目を細めた。久し振りの再会に内心で喜びつつも、頭は忙しく働かせていた。
ブリガドーンを破壊したことにより、見えなかったものが見えてきた。さてどうしようか、と早くも策を巡らせ始めた。
こちらの手札は少ないが、その分有効に使わなくては。フィフィリアンヌは彼女の魔導鉱石を、そっと撫でてやった。
フィフィリアンヌから新たに魔力を注ぎ込まれると、冷たかった魔導鉱石がほのかに温まり、まるで体温のようだ。
 大陸側には、ヴァトラス小隊が野営地として定めた場所に光が灯っており、そこだけが深い闇から逃れていた。
ざあざあと潮騒がやかましく、吹き付ける潮風は強い。フィフィリアンヌは翼を広げると、星空へと舞い上がった。
 戦いは、まだ終わっていない。







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