ドラゴンは滅びない




暗闇の牢獄



 斧。斧。斧。
 ひとしきり斧による打撃を受け続けたフリューゲルは、体中に痺れのような痛みが広がってしまい、倒れていた。
関節や装甲に問題は発生していないが、痺れが抜けるまで動けそうにない。恨めしく思いながら、少女を睨んだ。
愛おしいもののように斧を抱き締めているヴィクトリアを、ギルディオスは胡座を掻いた膝の上に座らせていた。
乱れた髪を何度も撫でてやり、整えてやっている。その手付きは優しく、リリを撫でる時となんら変わらなかった。
自分であれば、頭に触れた時点で翼で首を切り落としてやるものを。フリューゲルは腹立たしくなって、叫んだ。

「なんで止めねぇんだよこの野郎ー!」

「別に、どこも壊れてねぇんだろ? じゃあいいじゃねぇか」

 事も無げに言うギルディオスに、フリューゲルはますます苛立って声を荒げた。

「そりゃそうだけど、そういうことじゃねぇよこの野郎! ニワトリ頭、てめぇはなんでそいつを叱らないんだ!」

「ああ、何度も叱ったさ。これでもまだまともになった方なんだぜ。な、ヴィクトリア」

 ギルディオスに話し掛けられると、ヴィクトリアは斧を見つめながらかすかに頷いた。

「まともって、どこがまともなんだ! オレ様を殺そうとしたじゃねぇかよこの野郎!」

 痺れの残る腕を上げ、フリューゲルはヴィクトリアを指した。ヴィクトリアはぐりんと首を曲げ、口元を上向けた。
また、笑っている。そのおぞましい笑みに少々怯えを感じてしまったフリューゲルは、手を下げると、顔を背けた。

「オレ様、もうやだ。こいつ、マジで嫌いだ。殺してやるんだぞこの野郎」

「フリューゲル」

 ギルディオスは、幼い子供へ語り掛けるかのように口調を和らげた。

「お前は、今までにとんでもない失敗をやらかしたことがあるか?」

「んー、んー、んー…。うん、ある。この体になったばっかりの時に、加速に失敗してブリガドーンにぶつかった」

「それで、どうした」

「んーとな、ルージュが色々教えてくれた。マリョクチュースーがどうとか魔力のハイブンがどうとか聞かされたけど、よく解らなかった。でも、ちょっとは役に立った。オレ様はもう二度とぶつからなくなった」

「そりゃ良かったな」

「うん。でも、ルージュが優しかったのはそれっきりで、それが終わるとまたつんけんに戻った」

 フリューゲルは首を回して、ギルディオスを見上げた。

「じゃあ、ニワトリ頭。お前も、とんでもないのをやらかしたのかこの野郎?」

「ああ。それも、二度もやらかしちまったんだよ。オレが躊躇ったり迷ったりしたせいで、色んな連中に迷惑を掛けちまったんだよ。どっちも昔の話だが」

「それで、ニワトリ頭はそれからどうしたんだ? やっぱり、誰かに何か教えてもらったのかこの野郎?」

「いや」

 ギルディオスは首を横に振ると、ヴィクトリアの痩せた肩に手を置いた。

「どっちも一人でなんとかしようとしたが、出来なかった」

「じゃあ、どうしたんだこの野郎?」

「逃げたんだよ」

「なんで逃げるんだ。どいつもこいつも、どうしてそんなに逃げたがるんだ。てめぇも他の連中と一緒なんだな」

 なんかつまんねぇ、とフリューゲルは拗ねている。ギルディオスは、乾いた笑いを零す。

「そうだ。オレは弱い。強いのは腕力だけで、他はどこも強くねぇんだよ。だが、今度ばかりは逃げないつもりだ」

「他の連中もそうなのか? てめぇみたいに逃げるのか?」

 フリューゲルに問われ、ギルディオスは顔を上げてゼレイブ全体を見下ろした。

「そうだ。例外なんて誰一人としていやしねぇ。リリや他の連中がヴィクトリアを避けるのは、憎悪の真っ直中にいるヴィクトリアを見て自分の憎悪を思い出したくないからだ。自分の周りにいる奴らを、憎みたくないからだ」

「でも、それって変だぞ。ここの連中は、皆がトモダチなんじゃないのか? フィリオラはそう言っていたぞ?」

「好き合っていても、切っ掛けさえありゃいくらだって憎めるさ。好きだからこそ憎くなることなんて、よくある話だ」

「じゃあ、じゃあ、他の連中がヴィクトリアを殺さないのはどうしてだ? 怖いなら、殺せばいいじゃんか」

「ゼレイブで誰かを殺したら、ゼレイブは外の世界と同じになっちまう。この平穏を守りたいから、目を逸らすんだ」

「それでいいのか? フィリオラもジョセフィーヌもいいって言っていたけど、オレ様は違う気がするぞ」

「どんなふうに違う気がするんだ?」

「うん、なんか、上手く言えねーけど」

 フリューゲルは頭上に広がる夜空を仰ぎながら、乏しい語彙を探った。

「なんて言うんだろう、こういうの。オレ様、そんな言葉、知らない」

「言えるだけでも言ってみたらどうだ」

「んーとな…」

 フリューゲルは痺れが大分和らいできたので、上半身を起こした。

「ぶつかる、かな。うん、そうだ。ぶつかるのって、そんなにいけないことなのか? 悪いことなのか?」

「悪くねぇし、嫌いじゃねぇ。でも、痛いんだ」

「そっか。痛いならやりたくねぇよな、オレ様も痛いのだけは好きになれねぇもん」

 ギルディオスの言葉にフリューゲルは納得しかけたが、またすぐに首を捻った。

「じゃあ、なんでヴィクトリアは他の連中みたいに笑ったりしないんだ? その方が痛くないんだろ?」

「したくても出来ねぇんだよ、ヴィクトリアの場合は。傷が深すぎてな」

「ふーん」

 フリューゲルはギルディオスに倣い、ゼレイブを見下ろした。

「なんか、ここって変だな。楽しくて気持ちいいけど、なんか違う。うん、あれだ」

 フリューゲルの眼差しが、僅かに険しくなる。

「見えない檻があるみたいだ」

「行き着く先は、結局同じか…」

 ギルディオスはいつのまにか寝入ってしまったヴィクトリアを抱きかかえながら、頬杖を付いた。

「やりきれねぇなぁ、おい」

「うん。よく解らねーけど、オレ様もやりきれない」

「意味が解らねぇんだったら言うんじゃねぇよ、この鳥頭」

 ギルディオスは中指を曲げ、フリューゲルの頭を弾いた。何しやがんだてめぇこの野郎、などと言い返された。
だが、それらを全て聞き流した。そのうちにフリューゲルも飽きてしまったらしく、ふて腐れて寝入ってしまった。
話し相手がいなくなったことで、急に静かになった。ギルディオスは退屈にはなったが、ようやく気が休まった。
ヴィクトリアは細い寝息を立てて、ギルディオスに寄り掛かっている。その体は以前より軽くなり、骨張っている。
小さな体に収まりきらないほどの憎悪は、当分薄らがないだろう。そして、ヴィクトリアを解放してくれないだろう。
 フリューゲルの言う通り、檻だ。いや、牢獄だ。苦しみは枷となり、憎しみは鎖となり、手足に絡み付いてくる。
憎悪に身を焦がすことを恐れるあまりに目を逸らし続けていると、その恐れが鉄格子となってゼレイブを囲む。
 異能部隊の時と似ている。あの時は、生きる場所を与えることが異能者達の幸福だと思い込んでしまった。
だが、それは違っていた。力を持っているからと言えど、誰も彼もが戦うことを望んでいるわけではないのだ。
その時と、よく似ている。良かれと思ってしていることであっても、行き着く先は暗澹であるのも酷似している。
 やはり、現実には抗えない。




 翌朝。ギルディオスは、寝不足だった。
 いつもはヴィクトリアに合わせて昼頃まで眠っていられるのだが、早朝から窓の外で喚き散らされてしまった。
甲高い鳴き声の主は、当然ながらフリューゲルだった。窓の外に逆さに貼り付いて、部屋を覗き込んでいる。
ヴィクトリアはうんざりしたらしく、頭からすっぽり掛布を被ってしまった。外では、鳴き声が繰り返されている。
ギルディオスも彼の相手はしたくなかったが、放置しておくわけにはいかない。仕方なく、上下式の窓を開けた。

「何してんだよ、お前」

「くけけけけけけけけけけけけけけ」

 窓を開けた途端、フリューゲルが頭を突っ込んできた。その声は、いやに上機嫌だった。

「うん、あのな。オレ様、ヴィクトリアと遊びたいんだぞこの野郎!」

「あん?」

 昨夜、あれほど嫌いだと言っていたではないか。ギルディオスが変に思っていると、フリューゲルは笑った。

「ガキのくせに、このオレ様を叩きのめすなんてマジやるじゃねーか! ちょっと痛いっちゃ痛かったけど、仮面野郎に魔力を吸われた時に比べたら全然大したことねーしよ! それに、ここには吸血鬼女もネコジジィもいねーだろ? オレ様に付いてこれるような奴は、一人だっていねぇんだよこの野郎!」

「だから、何なんだよ」

「オレ様が特別に遊んでやってもいいって言ってんだぞこの野郎! リリとロイズと一緒に遊ぶのも楽しいけど、たまに暴れ回りたいって思うんだ。だから、オレ様はヴィクトリアと遊びたい!」

 フリューゲルの声色は、いつも以上に弾んでいる。ギルディオスは戸惑いながらも、ヴィクトリアに向いた。

「だとさ。どうする?」

 すると、掛布の下に、石盤と白墨が引き摺り込まれた。石盤を白墨が叩く硬質な音が、何回か繰り返された。
それが止むと、にゅっと掛布の下から石盤が押し出された。ギルディオスは石盤を取ると、内心で頬を緩めた。

「ほれ」

 ギルディオスが石盤を向けると、フリューゲルはそこに書かれている文字を読み取った。

「んー、と。気が向いたら、ってことは、オレ様と遊んでくれるってことでいいんだな?」

「ああ。ヴィクトリアにしちゃ、好意的な返事だからな」

 ほらよ、とギルディオスはヴィクトリアの枕元に石盤を返してから、窓の外のフリューゲルに向いた。

「だが、今はまだ時間が早すぎる。リリとロイと一緒に仕事もしなきゃならねぇんだろ?」

「うん! だから、仕事が終わったら来るぞ! 夕方かもしんねー! ちゃんと待っていろよこの野郎ー!」

 くけけけけけけけけけけけけけ、といつもよりも多少浮かれた笑い声を撒き散らし、銀色の鳥人は飛び去った。
やれやれ、と思いながらもギルディオスは、フリューゲルの子供っぽく好戦的な性格に今度ばかりは感謝していた。
フリューゲルにとっては、ヴィクトリアの斧は戯れに過ぎないらしい。あの二人といたのなら、当然かもしれない。
ルージュには砲撃され、ラオフーには金剛鉄槌で叩かれていたと言っていたので、打たれ強さも折り紙付きだ。
これは、いい展開かもしれない。ギルディオスが掛布を被ったままのヴィクトリアを撫でていると、扉が叩かれた。

「おう」

 ギルディオスが生返事をすると扉が開けられ、銀色の骸骨、ラミアンが姿を現した。

「何やら、騒々しい来客がいらしていたようですが」

「フリューゲルだよ。ヴィクトリアと遊んでくれるんだとさ」

 ギルディオスが両手を上向けると、ラミアンは安堵して胸に手を当てた。

「それは喜ばしい申し出です。傷付けはせずとも、女性へ爪を向けるのは憚られましたので」

「あいつ、馬鹿だけど悪い奴じゃねぇよな?」

 オレみたいに、とギルディオスは冗談めかして言ったが、ラミアンは笑いもせずに返した。

「フリューゲルは、私の爪が命を刈り取れなかった二人目の相手です。私も随分と腕が落ちたようで、情けない限りです。ですが、これが大いなる意志に導かれた結末であるならば、私はその意志に背かず、従いましょう」

「おーいなるいし?」

 詩人のように気取った言い回しに萎えてしまい、ギルディオスは変な声を出した。ラミアンは、少しむっとする。

「彼の存在は異物です。異物が故に、我々の行く先を変えるやもしれません」

「ラミアンも、ここが箱庭だって思っているんだな?」

「思わぬわけがありません。私自身の手で造り上げた平和ですが、かつてあなたが造り上げた異能の箱庭と重なることは少なくありません。異能の箱庭と同じく、いずれ崩れ去る時が来るでしょう」

「フリューゲルが言うには檻で、オレが思うには牢獄だな。互いが互いを縛り合う、いやあな牢獄だ」

「秩序と束縛は、似て非なるものです」

「じゃ、打開策を講じねぇとな。まずは、ヴィクトリアが新しいお友達と仲良くなることからだ」

 ギルディオスはヴィクトリアに近付くと、掛布の端をめくり上げてその中に隠れているヴィクトリアに話し掛けた。

「ヴィクトリア。フリューゲルが相手なら、お前も思い切り暴れられるはずだ。手加減しなくていいぞ」

 すると、掛布の中にまた石盤が引っ込められ、白墨が石盤を叩いた。そして、すぐに石盤が押し出された。

『手加減なんて、してあげるつもりはなくってよ』

「どうやら、ヴィクトリアではなく、フリューゲルの身を案じなくてはならないようですね」

 ラミアンは軽く肩を竦め、大きな両手を上向けた。ギルディオスは、ヘルムを引っ掻く。

「後でリリにも事情を話さねぇとなー。泣かれたら後味が悪い」

「私からも口添えをいたしましょう」

「頼むぜ」

 ギルディオスが返すと、ラミアンは深々と礼をしてから部屋を出ていった。硬い足音が、廊下を遠ざかっていく。
ギルディオスはヴィクトリアのベッドに腰を下ろすと、掛布にくるまれているヴィクトリアの頭をゆっくりと撫でた。
これで、少しはヴィクトリアの気が紛れるといいのだが。斧を振り回している最中は、ヴィクトリアの生気も戻る。
斧には、家族との幸せな記憶が詰まっている。斧の使い方は、最愛の両親と姉から教え込まれたものなのだ。
あの笑みも、狂気の笑みではない。至福の笑みだ。家族が生きていた頃の幸福感に浸るが故に、出る笑みだ。
ヴィクトリアは、狂気に囚われていない。あまりにも残酷な現実と向き合って、砕けそうな己の心と戦っている。
 闇の中にいる彼女だけが、闇から目を逸らしていない。周りに光などなく、闇しかないからこそ向き合えるのだ。
そして、物を知らないが故に疑問を抱いた鋼鉄の鳥人も、光なき世界からやってきたからこそ闇を見据えられる。
 時として、光は目を眩ませてしまう。




 狭き世界を包むのは、光を模した深き闇。
 嘘で作られた平穏を守らんとすればするほどに、現実は歪んでいく。
 禍々しき闇から目を背け、逃れられぬ現実から逃れようと足掻く愚者達よ。

 いざ、その目を開き、各々の闇を見据えるのである。







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