ドラゴンは滅びない




鋼鉄の乙女



 ブラッドは、困っていた。


 進行方向に、検問が見える。連合軍の旗を掲げた重武装の蒸気自動車が何台も並び、兵士達が立っている。
風に乗って漂ってくる硝煙の匂いが鼻を突いてくる。嗅ぎ慣れたものとはいえ好きではないので、顔をしかめた。
大型の蒸気自動車を道の左右に配置して、簡易の検問所が造られている。普通に、通してもらえるわけがない。
 ブラッドは砲撃で破壊された建物の影に身を戻すと、襟元を緩めた。闇に馴染む暗黒のマントの裾が揺らめく。
こんな時に礼装というのは、動きづらくて仕方ない。だが、これも吸血鬼の礼儀だと父親から言い聞かされている。
ブラッドとしては時と場合に応じて服装を変えたいが、父親のラミアンは長く生きているので古い考え方をする。
頭も良ければ気品もあり、魔導の才能もある優れた男なのだが、己が正しいと思ったことは凝り固まってしまう。
価値観が一定というか、妙なところで融通が利かないというか。ブラッドは、短く切った金に近い銀髪を乱した。

「仕方ねぇな」

 適当に回り道をして、途中から飛んでいこう。そうしなければ、検問所の向こうの街には入れそうになかった。
走り出そうとしたが、マントが邪魔だった。ブラッドはマントを外すと折り畳み、布地に六芒星と二重の円を描いた。
魔力を込めると、マントはするすると縮んでハンカチ程度の大きさになった。それを、ズボンのポケットに入れる。
戦後のご時世にしては豪勢な礼装の黒い上着も脱ぐと、同じ魔法を掛けて縮め、同じポケットの中に突っ込んだ。
襟元も緩めて首を楽にし、もう一度ため息を吐いた。検問の兵士の目が届かない場所まで、歩いていくしかない。
見たところ、どの兵士も普通の人間のようだ。感じられる魔力も弱々しく、魔導を心得ている雰囲気はなかった。
だが、油断は出来ない。以前、誰も魔法を使えないのだとタカを括って挑んで、危機に陥ってしまったことがある。
 ブラッドは、いわゆる魔導師の仕事をしている。といっても、その内容は、戦前のような真っ当な仕事ではない。
魔導師協会が壊滅し、その機能を果たせなくなってしまった今、魔導師の存在は単なる異端者でしかなくなった。
以前は、共和国政府が魔導師協会の後ろ盾としてあったので社会的な立場もあったが、共和国政府も潰えた。
そして戦時中には、魔法や魔導兵器を強力な兵器として操って戦果を上げた特務部隊なる部隊も存在していた。
特務部隊は、能力のない人間に手術を行って強引に能力を与えたり、敵も味方も関係なく広範囲に攻撃していた。
その事実が人々に伝わると、特務部隊自体だけではなく、特務部隊が操っていた魔法にも畏怖が生まれていた。
それ自体は前々からあったことなのだが、戦中戦後の恐怖が不安を煽り立て、その矛先が魔法に向けられた。
 なので、魔導師の立場は危うい。希に魔法を扱える魔導師を敬う人間もいるが、大半の人間は恐れている。
だが、そんな状況でも魔導師を頼ろうという人間はおり、たまにではあるが、ブラッドの元にも依頼が入ってくる。
 ブラッドが一人前の魔導師になったのは、たったの三年前だ。二十歳になった今でも、まだまだ腕は未熟だ。
師匠であるフィリオラ・ヴァトラスや、魔法に長けている父親のラミアンには、未だに心配がられてばかりいる。
ブラッドとしては、もう成人したのだからそこまで心配されなくても、と思うのだがそれが余計に心配を誘うらしい。
つまり、大人になったのに未だに子供に見られていると言うことだ。それは少し癪に障るが、事実でもあるのだ。
二十歳になっても女性を好むどころか子供と遊ぶ方が楽しいと思うし、好きな食べ物の趣味も幼い頃と同じだ。
どうにかしなければ、と自分でも思わないでもないがこればかりはどうにもならない。成長するまで待つしかない。
 ブラッドは壁の影から体を出そうとして、止めた。鋭い針に突かれたような違和感が、感覚の端を掠めていった。
周囲を見回してみるが、人影はない。ちくりと尖った感覚は一瞬にして遠のいたが、残滓が神経にこびり付いた。
気に掛かるが、いつまでも気にしてはいられない。今は、この街に入って依頼主に会って仕事を全うしなければ。
 最優先するべきは、それだ。




 かすかな違和感を感じ、ふと、ギルディオスは顔を上げた。
 しかし、それが何なのかまでは解らなかった。まぁ、なんでもいいか、とギルディオスはすぐに興味を失った。
蒸気自動車の運転席に腰を沈め、ハンドル両脇に足を投げ出した。傍の地面には、彼女がしゃがみ込んでいる。
 ヴィクトリアは石畳に手を当て、神妙な顔をしていた。細い指先で、泥と砂に汚れた石の表面をなぞっていく。
通りすがる人々は、蒸気自動車を物珍しげに見ていく。ギルディオスは、それなりに賑わう街並みを眺めていた。
狭い街だが、人々がひしめき合っている。市場らしきものが開かれているが、ろくなものは売られていなかった。
資材が調達出来ないので、造りが良いとは言いがたい家ばかりが並んでいるが、それでも家があるだけまともだ。
復興、とまではいかないがそこそこ栄えている。連合軍の目がそこかしこに光っているが、彼らはこちらを見ない。
 というより、見ても見えたことにならない呪いをヴィクトリアに掛けられたのだ。全く、呪いとは便利なものである。
この街の前後左右に設置されている連合軍の検問を、いちいち全て通り、そのたびに兵士達に呪いを施した。
ヴィクトリアによれば、彼らの目には。蒸気自動車は荷車でギルディオスは馬に見えるようになっているらしい。
それ以外の人間には、見たままの姿が見える。だが、目にしても石ころ程度の関心しか持たないのだそうだ。
どういう理屈でそうなっているのかは、魔法に疎いギルディオスには解らない。だが、使えるものは使うべきだ。
危険な目に遭うよりも余程良い。ヴィクトリアは石畳に鼻先が付きそうなほど顔を寄せていたが、顔を上げた。

「あら」

「どした?」

 ギルディオスがやる気なく尋ねると、ヴィクトリアは立ち上がってスカートに付いた砂を払った。

「あの人」

 そう言いながら、ヴィクトリアは三階建てのレンガ造りの建物の屋上を指した。ギルディオスは、その先を辿る。
砂に薄く汚れたヴィクトリアの指先が示した先には、人影が立っていた。手足の長い、すらりと背の高い男だった。
ギルディオスは起き上がると、上半身を捻った。逆光になっていたが、じっと目を凝らすとその男の顔が見えた。
印象的なのは、切れ長の銀色の目だった。次に、形の良い鼻筋に凛々しさのある口元、そしてほっそりとした顎。
部品だけ見れば女と見紛いそうだが、首筋は太く肩はしっかりしている。ギルディオスは気を緩め、片手を挙げた。

「よう、ラッド!」

 ギルディオスに声を掛けられた途端、男は顔を綻ばせた。片手を挙げ返してから、屋上から軽く飛び降りた。
吸い込まれるように地面に落下したが、石畳に足が触れる直前に勢いが弱まり、ふわりと風が巻き上がった。
簡単な魔法を使ったようだった。男は革靴を履いた両足を地面に押し当ててから、背筋を伸ばし、姿勢を正した。
男は真っ直ぐに蒸気自動車までやってくると、ギルディオスに親しげに笑いかけた。快活な、明るい表情だった。

「おっちゃん、久し振り!」

「しばらく見ない間に、すっかり立派になっちまいやがって。背も大分伸びたじゃねぇか」

 ギルディオスは蒸気自動車の運転席から下りると、男の髪を乱した。男は、甲冑の手の下から顔を上げる。

「どうってことねぇって」

 ヴィクトリアはひどく整った外見の青年を見上げ、灰色の瞳を瞬かせた。

「あなた、ブラッド・ブラドール?」

「ああ、まぁな。そういう君は、そうか、ヴィクトリアか!」

 青年、ブラッドはギルディオスの手から逃れると、ヴィクトリアを見下ろした。

「顔付きとか声とか、ロザリアさんにそっくりだな。目の色はグレイスさんだけど」

「ええ、そうよ。あなたのことは、お父様から聞いたことがあるわ」

 ヴィクトリアが返すと、ブラッドは身を屈めてヴィクトリアと目線を合わせた。

「ヴィクトリアが赤ん坊だった頃に会ったことがあるんだけど、さすがに覚えてねぇよな」

 途端に、ブラッドは固まった。硬く冷たいものに股間を握り締められる感触に背筋を貫かれ、顔を引きつらせた。
気付かないうちに脇に回っていたギルディオスの大きな右手が、ブラッドの股間を荒っぽい手付きで掴んでいる。

「こっちの方も立派になったじゃねぇか、なあ!」

 ひたすらに明るいギルディオスの声が、すぐ傍から聞こえた。ブラッドは慌てて飛び退き、甲冑と距離を開けた。

「何すんだよ、おっちゃん!」

「いやなに、成長の確認をだな。しっかし、昔はあんなに小さかったのに、随分としっかりしてきたもんだ」

 右手を握ったり開いたりしながら、ギルディオスはにやにやしている。ヴィクトリアは、にやりと唇の端を上げる。

「あら。そうなの?」

「それ以上、言わないでくれねぇかなぁ…」

 ブラッドは握り締められた感触が残る股間を気にしつつ、身を下げた。羞恥で、顔が少し火照ってしまった。
それをまたヴィクトリアが笑い、ギルディオスは下品な笑い声を上げている。ブラッドは、逃げ出したくなった。
立派になった、と褒められるのは嬉しいが、子供の頃と現在の一物の大きさを比べて褒めるのはどうかと思う。

「ところで、ラッド。お前、なんでこんなところにいるんだ?」

 笑い声を収めたギルディオスが言うと、ブラッドは少々戸惑いつつもギルディオスを見上げた。

「おっちゃん達こそ、なんでだよ? 旧王都にいたんじゃねぇのか?」

「はっはっはっはっはっはっはっはっは。無粋な質問であるな、ブラッドよ」

 助手席から飛び上がったフラスコが、ごとり、とボンネットの上に落ちた。その中で、伯爵が震える。

「我が輩達は、退屈凌ぎという崇高であり素晴らしき目的のために彷徨いているのである」

「なんだよそれ。で、フィルさんは一緒じゃねぇの?」

「んー、ちょっとな」

 ギルディオスの曖昧な答えに、ブラッドは訝った。

「珍しいの。おっちゃん達って、なんだかんだ言っていつも一緒にいたのにな」

「それで、あなたは何をしてきたのかしら。聞いてみたいわ」

 ヴィクトリアは一歩前に出、ブラッドを仰ぎ見た。ブラッドは、苦笑いする。

「魔導師の仕事なんだよ。だから、あんまり話しちゃいけねぇんだ」

「へぇ…」

 ヴィクトリアは手を伸ばし、ブラッドの骨張った指に華奢な白い指を絡めてきたので、ブラッドは多少驚いた。
埃っぽいがひんやりとした指先に力が込められ、ブラッドの指に食い込む。接した部分から、魔力が注がれた。
それが、電撃のようにブラッドの内を貫き、途切れた。ヴィクトリアは指先を絡め合わせたまま、目を細めた。

「あなた、死体に触ったわね? 映像までは解らないけど、あなたの手に残った気配で解るのだわ。それも、魔導師の死体なのだわ。あなた、この街へ何をしに来たの?」

 ブラッドはヴィクトリアの手を振り解くと、目線を彷徨わせた。ギルディオスは、彼の肩に手を添える。

「どういう仕事なんだ、お前の仕事は」

「少し、遅かったんだよ」

 ブラッドはしばらく黙っていたが、重たく口を開いた。

「父ちゃんの知り合いだった魔導師から魔導書簡が来て、逃亡の幇助を頼まれたんだ。途中まででいいから、国外逃亡を手伝ってくれってさ。その人は戦時中に徴兵されて前線に出ていたんだけど、脱走して恋人のところに戻ってきたんだ。それからずっと逃げ回っていたんだけど、そろそろやばいから、国外逃亡をしようってことになったんだ。だけど、オレがその人達の隠れ家に行ったら、もう…」

「連合軍だな」

 ギルディオスの言葉に、ブラッドは声を沈めた。

「それ以外には考えられない。けど、悔しいぜ、こういうのは」

「だから、目を付けられているのね」

 ヴィクトリアは目線を動かし、行き交う人々に目を向けた。疲れた表情の人々の間を、擦り抜ける影があった。
その者の身のこなしは隙がなく、動きも機敏だった。ブラッドも人混みを注視していたが、三人に視線を戻した。

「まあ、そういうこと。振り切れないこともないんだけど、他にもやることがあってさ」

 ブラッドは、この街に来る前に父親から言われたことを思い出した。余裕があれば動いてくれ、と。

「ここは割と大きな街だから、魔導師協会の支部もそれなりに立派だったんだ。だから、そこの書庫にもそれなりの魔導書があったらしいんだ。その魔導書の中には会長の認定が付いた禁書もあったみたいで、父ちゃんはそれが盗まれてないか気になっているんだ。だから、禁書の有無を確かめてきてくれって言われたんだけど、肝心の魔導師協会の建物がぶっ壊されちまってるから、確かめようがないんだ。禁書が奪われてどこかに流れたのなら、それを確かめておかなきゃならないって思って調べてんだけど、なかなか上手くは行かねぇや。連合軍に目ぇ付けられちまったから、あんまり派手なことは出来ないしよ」

「まだ奪われてはいないと思うわ。ただ、見つけられていないだけ」

 ヴィクトリアは、宝物を見つけたかのような笑みを浮かべた。

「この街の魔力は、地下に向かっているわ。その流れの形から考えるに、地下に空洞があるようなの。けれど、空洞そのものが魔法の産物だし、深度が深すぎて普通の人間では見つけられないわ。あなたは、どういう探し方をしていたのかしら?」

「怪しいものを見つけたからって、それが目当てのものだとは限らねぇだろ?」

 馬鹿にされた気がして、ブラッドは少しむっとした。

「まぁ、そりゃあな。そこに禁書があるとは限らねぇし、あったとしても罠でも張ってあるんじゃねぇのか?」

 ギルディオスが頷くと、ヴィクトリアは不服げに唇を曲げる。

「あればあったでいいじゃないの。あなたが行きたくないのであれば、私一人で行くわ」

「はっはっはっはっはっはっはっは。だが、辿り着けたとしてもそれはあの女の所業である。いかに貴君があの下劣な呪術師の娘であろうとも、あの女の冷酷かつ無情な策略には足元も及ばぬのである。いっそ、禁書探しなど潔く諦めて城に帰るが良い、ヴィクトリアよ!」

 伯爵が喚き立てると、ヴィクトリアはきっと眉を吊り上げて手を翳した。

「お父様を愚弄することは許さなくってよ」

「はっはっはっはっはっはっは、何をしようというのかね、この高貴なる我が輩に!」

「簡単な拷問だわ」

 ヴィクトリアは背伸びをしてフラスコを掴むと、それを急に振り下ろした。ガラスの球体の内側で、粘液が弾ける。
べちゃっ、と形を歪めた伯爵は、力なくずり落ちた。ヴィクトリアは、容赦なくフラスコを力一杯振り下ろしていく。
そのたびに伯爵が情けない悲鳴を上げたが、ギルディオスもブラッドも助ける気はなかったので放っておいた。
助けを求められたが、無視した。伯爵の言うことにも一理あるが、ヴィクトリアの気持ちも解らないでもなかった。
 ブラッドは中途半端な笑みを作っていたが、あの鋭い感覚が駆け抜けた。すると、ギルディオスも反応していた。
ブラッドが見上げた先を、ギルディオスも見上げた。ヴィクトリアだけは、伯爵をいびり倒すことに熱中している。
一体、何なのだ。ブラッドが気を張り詰めていると、街外れにある崩れかけた塔の頂点に立っている者がいた。
感覚を目一杯引き上げて視力に回し、凝視する。睨み付けるように見据えた先にいたものは、人間ではなかった。
 日差しが、その者を輝かせる。最初は装甲が光っているのかと思ったが、全身が滑らかな光沢を帯びている。
体形は華奢で、女性らしい丸みがある。腰は細いが、胸の部分は大きく迫り出ている。だが、両腕が異様だった。
身の丈ほどもあろうかという長物を右腕から生やしていて、左腕にも何かが付いている。そして、胸には紫の石。
紫色の魔導鉱石が、胸部に埋め込まれた台座に据え付けられている。これは、間違いなく魔導兵器の類だろう。
顔は見えないが、目は赤かった。吊り上がった形状の両目には瞳孔がなく、生き物でないことを知らしめている。
それと目が合った。ブラッドが身動ぐと、視線の先にいたそれも身動いだ。銀色の長い髪が、揺れたのが見えた。

「女…?」

「女性型とは珍しいな。だが、一体どこの魔導兵器なんだ?」

 ギルディオスは警戒心を滲ませていたが、ブラッドは別の感情を抱いていた。訳の解らない、動揺が生まれた。
交わった視線を解くのが、惜しいと思った。疑問を感じるよりも先に、その者は塔の上から高々と飛び上がった。
ブラッドは思わず身を乗り出したが、すぐに視線の先から失せてしまった。遠くに行ったらしく、もう見えなくなった。
ギルディオスが話し掛けてきたが、よく聞こえなかった。ブラッドは動揺が収まらないまま、ただ呆然と立っていた。
体の中に半分流れる、獣の血がざわつく。危険に怯えた時の焦燥感とは全く逆の、不思議な感覚が溢れていた。
ブラッドはそればかりが気になって、ヴィクトリアが無表情ながら得意げに話す禁書奪還作戦も聞こえなかった。
いつのまにか禁書を奪還する実働部隊に加えられていたが、頭が一杯だったので反論する余裕すらなかった。
 あの女は、一体何なのだ。







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