ドラゴンは滅びない




異能の申し子




 ヴェイパーは、悩んでいた。


 数歩ほど先を、釣り竿を担いだロイズが歩いている。彼は隣に歩いているリリと、楽しげに言葉を交わしていた。
二人の周りをフリューゲルがくるくると飛び回っていて、やかましく声を上げて二人の会話に混じろうとしている。
ロイズはフリューゲルが厄介なのかあしらおうとしているが、リリは声を掛けられるたびにフリューゲルに返した。
ゼレイブを出てからはずっとこの状態が続いているので、ヴェイパーが会話に参加出来るような余地はなかった。
だが、話し掛けられてもろくな答えは出来ないだろう。ヴェイパーは、自分用の一際大きな釣り竿を担ぎ直した。
 ロイズの横顔は明るく、子供らしい。彼のそんな姿を見ていると、あの事実は隠し通すべきなのだと改めて思う。
ヴェイパーをこの世に生み出した魔導技師であり、ロイズの母親であるフローレンスを殺したのはラオフーだ。
その事実をラオフー自身から伝えられた時、ヴェイパーは受け入れたくないと思ったが、間違いなく現実だった。
ラオフーの金剛鉄槌に染み着いていた思念の波長も感触も記憶も何もかもが、フローレンスのそれだったのだ。
だから、フローレンスがラオフーの操る金剛鉄槌によって命を奪われたことは、逃れようのない事実なのである。
だが、ヴェイパーはその事実を己の中に封じ込めた。ギルディオスも知っているが、言わないでくれと頼み込んだ。
 ロイズも、フローレンスが何物かに殺されたことは知っている。だが、殺したのが知っている者だと大きく変わる。
ロイズは、良くも悪くもダニエルに似ている。真面目で自分に厳しく、背伸びをしているので生意気な部分がある。
顔付きにはフローレンスの血が濃く出ているが、性分はダニエルの血が濃い。だから、行動の予測は付けられる。
フローレンスを殺したのがラオフーだと知ったら、ロイズは真っ向からラオフーを憎悪し、すぐに戦いに行くだろう。
そうなったら、ヴェイパーにはロイズを止められる自信がない。彼の憎悪も怒りも、手に取るように解るからである。
ヴェイパーも、母であると同時に戦友でもあったフローレンスを失ってから、怒りや憎しみを感じるようになった。
年月と共に成長した自我のおかげで希薄だった感情が厚みを持ち、昔は見えなかったことが見えるようになった。
それは仲間達の感情の機微であったり、微妙な言い回しであったり、笑顔の裏に隠された悲しみであったりした。
 人間の複雑さを知ると同時に、難解さに苦しんだこともあった。だが、怒りや憎しみはあまり知ろうとしなかった。
それは知らなくてもいい、その方が生きやすい、とフローレンスから教えられていたから忠実に守っていたのだ。
その言葉は事実だった。フローレンスが死んでから感じるようになった荒々しい感情は、自分の心をも傷めた。
彼女を殺した者を殺したい、と思ったことは何度もある。思い余って、異能部隊を飛び出しそうになったこともある。
ロイズの存在やダニエルの言葉でなんとか押し止められたが、その時の感情は未だに胸の内で燻り続けていた。
この感情は、感じているだけで動力機関を過熱させてしまいそうになり、魂が錆びてしまいそうな気にもなってくる。
ただの無機物の固まりに過ぎない自分が他人を憎み、あまつさえ破壊衝動を覚えてしまうなど、醜くてたまらない。
ラオフーへの憎悪だけでなく、とても醜悪な自分の心への嫌悪感が生じて、心がぎしぎしと軋みを上げてしまう。
こんなものを、ロイズに与えてはいけない。だからやはり、ラオフーがフローレンスを殺したことは隠し通すべきだ。
すると、ロイズが足を止め、振り向いた。リリも釣られて足を止めてヴェイパーを見上げ、不思議そうにしている。

「どうしたの、ロイ」

「…別に」

 ロイズはヴェイパーから目を逸らすと、進行方向にある湖へ向いた。ヴェイパーは、思わず顔を伏せてしまった。
隠し事をしていることを、ロイズは感付いている。ヴェイパーとロイズは魂を繋げているので、思念も繋がっている。
だから、ヴェイパーの心の軋みを感じ取っているのだろう。思念そのものは押さえ込んでいるが、感情は流れる。
もっと修行しないと、とヴェイパーが内心でため息を零していると、不意に目の前が陰って赤く鋭い瞳が近寄った。

「わあっ」

 驚いたヴェイパーが仰け反ると、ヴェイパーの目の前でフリューゲルは首を曲げた。

「なんだどうした蒸気野郎! ロイズとケンカでもしたのかこの野郎?」

「ううん、別に」

 ヴェイパーが手を横に振ると、フリューゲルは首を反対側に曲げた。

「ずっと黙ってるし、ハッセーキノーでも故障したのかこの野郎?」

「ちょっと考え事してただけだから。気にしないで、フリューゲル」

「くけけけけけけけけけけけけけけけけ! ああ、だからか! さっきからゴチャゴチャしたのが頭の中に入ってくるって思ったら、お前が変なこと考えていたからなんだなこの野郎!」

「え?」

 思念が漏れていたのか、とヴェイパーがぎくりとすると、フリューゲルは自分の側頭部を平たい指で弾いた。

「うん、あのな。オレ様とお前って、同じ魔導兵器だろ? だから、あんまり近くにいると、魔導金属がキョーメイするらしいんだぞこの野郎。でも、お前の考えていることの中身までは解らないけどな。だけど、オレ様が解るのは蒸気野郎のだけで、吸血鬼野郎とかニワトリ頭のは全然解らないんだ。なんでだ?」

「それは、二人とも思念の扱いが上手だからだよ」

 ヴェイパーが歩き出すと、フリューゲルはヴェイパーのすぐ上を飛行した。

「じゃ、お前は下手だってことなのかこの野郎?」

「僕の専門は近接戦闘だから、思念の扱いはそうでもないんだよ。フローレンスから色々と教えられて叩き込まれたんだけど、フローレンスのやり方は僕にはちょっと難しすぎて、全部は覚えきれなかったんだ。思念の扱いなら、僕よりもロイズの方が上手だよ。ロイズは、僕を操るための訓練も受けていたから」

「ふーん」

 興味が失せたのか、フリューゲルは気のない返事をした。少し前を行く少年と少女の足取りが、再び止まった。
すると、フリューゲルも動きを止めた。つい先程までの雰囲気から一変し、銀色の翼がぴんと伸びて硬直している。
リリは釣り竿を両手で握り締め、ひどく困った顔で振り向いた。フリューゲルはするりと飛び、彼女の前に立つ。

「ねぇ、あれって…」

 リリは、湖畔に視線を向けた。その先には、釣りの先客がいた。分厚い装甲を纏った、巨体の魔導兵器がいた。
彼はいつかの時と同じように、釣り糸を垂らしていた。その身の丈の半分ほどもありそうな、長い竿を使っている。
頭には尖った耳が一対備わり、巨大で頑強な手で頬杖を付き、大きな背を丸め、円筒を連ねた尾を振っていた。
 その姿を視覚に捉えた途端、ヴェイパーは思考が停止した。一番会いたくない相手が、なぜこの場にいるのだ。
釣り竿と魚を入れるためのカゴを取り落としたヴェイパーは、後退った。怯えたためではなく、混乱したからだった。
ひゅっと小気味よい音を出して糸を上げた巨体の魔導兵器は、針の先端に獲物がないことを知ると舌打ちした。

「なんじゃい、また喰い逃げされてしもうた。今日は良くないのう」

 ラオフーは太い指先で器用に針へ餌を付けると、再度湖面に放り込んだ。

「久しいのう、フリューゲル。おぬしは相も変わらず馬鹿なようじゃのう」

「なんでここにいるんだネコジジィ! てめぇ、トカゲ女をウラギッタんだろうがこの野郎!」

 威勢良く叫んでから、フリューゲルはぐりっと首を曲げた。

「で、ウラギッタってなんだ?」

「主の命に背くこと。つまり、反逆。命令違反よりもずっと重たい罪で、僕も嫌いなこと」

 ロイズはラオフーを見据えながら、呟いた。ヴェイパーは駆け出すと、二人の子供の前に立ちはだかった。

「二人は下がっていて!」

「くけけけけけけけけけけけけけけけけけ! だったら釣りはお休みだ、久々に暴れてやるぜこの野郎ー!」

 フリューゲルは両翼を全開にして両腕を広げ、見せ付けるように掲げた。だが、ラオフーは素っ気なかった。

「ふん。主を得ても、おぬしの頭ん中は相変わらず空っぽのようじゃな。儂はおぬしになんぞ興味はない」

「なんだてめぇこの野郎ー! オレ様を舐めやがってこの野郎ー!」

 フリューゲルはむっとして、言い返した。ラオフーの視線は、ヴェイパーに向いた。

「儂はおぬしに会いに来たんじゃ、蒸気の男」

「僕に…?」

 今度こそ倒そうというのか。ヴェイパーがラオフーを睨んでいると、フリューゲルは不満げに羽ばたいた。

「えー、そんなのオレ様つまんねー! オレ様も混ぜろってんだよこの野郎ー!」

 子供染みた態度のフリューゲルに苛立ち、ヴェイパーはつい声を荒げた。

「これは遊びじゃないんだ! ラオフーがどういう相手なのか、フリューゲルも解っているでしょ!?」

「ヴェイパー、怒ってない?」

 リリはロイズに寄り添い、少々戸惑いながら言った。ロイズは思念に流れ込む彼の感情を受け、頷いた。 

「うん。凄く怒ってる」

「あ…」

 二人の様子に気付いたヴェイパーは、身を下げた。

「ごめん、フリューゲル」

「ふん」

 ラオフーは釣り糸を引き上げると、釣り竿を捻って糸を巻き付かせてから地面に横たえ、立ち上がった。

「蒸気の男よ。おぬし、儂の放った餌を未だに喰らうておるようじゃのう。なかなかええ引きもしちょるわい。ならば、儂はおぬしの喰らった糸を引き上げようぞ。さぞやええ獲物が上がるに違いなかろうて」

 ぎち、と首を軋ませて動かしたラオフーの目線が射抜いたのは、ロイズだった。

小童こわっぱ。察するに、おぬしはまだ知っちょらんようじゃのう」

「やめろ、言うな!」

 ヴェイパーがその言葉を遮るために叫んでも、ラオフーは止まらない。

「なぜ隠し立てする。事実は現実であり、真実でもある。それを知ったぐらいで崩れるような男であっては、おぬしらを率いる長にはなれんじゃろうて。それともなんじゃ、戦う宿命を背負っちょる男を、大事に大事にカゴの中に収めて飼い殺しにでもするつもりか?」

「お願いだから、言わないでくれ!」

 ヴェイパーが右腕を突き出して構えても、ラオフーは全く動じなかった。

「長は王と同じじゃ。王たる者は、決して揺らがず、決して負けず、決して屈せずに立っておるのが仕事なんじゃよ。これしきのことで折れるようでは、小童はおぬしらの王にはなれぬぞ」

「やめろ、それ以上話すな!」

 右腕の内部で歯車を噛み合わせて回転させながら、ヴェイパーは猛った。それを、ラオフーは一笑する。

「おぬしでは儂の口は閉ざせまい。儂も、一度開いた口を閉じる気はないのでのう」

「黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇえええええ!」

 たまらなくなってヴェイパーが駆け出すと、ラオフーは一際強い眼差しでロイズを見据えた。

「小童。この男は、おぬしに隠し事をしておる。それも、とても大事なことをのう」

「うっおおおおお!」

 ラオフーの前に踏み込んだヴェイパーは、回転する拳を突き出した。だが、ラオフーは容易くそれを受け止めた。
ラオフーの手の中で高速で回転する拳と手のひらの装甲が擦れ合い、火花が散り、二人の魔導兵器を照らした。

「おぬしの母、フローレンス・ファイガーを殺めたのは」

 ラオフーはヴェイパーの拳を押し返しながら、にいっと目を細めた。

「この儂じゃて」

 途端に、ヴェイパーの拳が回転を止め、落ちた。それはヴェイパーの意志ではなく、ロイズの意志であった。
ヴェイパーの体から、潮が引くように力が抜けていく。ラオフーの視線の先で、ロイズは俯き、拳を握っていた。
凄まじい力の激突に怯え、リリは後退った。少女の不安げな顔を見た途端に、フリューゲルは怒って喚いた。

「おいこらネコジジィ! リリが怖がっちまったじゃねーか、いきなり何しやがるんだこの野郎!」

「相も変わらず、ピーチクパーチクとやっかましいのう。外野はちぃと黙っちょれ」

 ラオフーはさも鬱陶しげにフリューゲルを一瞥してから、ロイズへと歩み寄ってきた。

「儂はおぬしらを屠るのが仕事でのう。じゃが、そのまま屠ってしもうては面白くないんじゃ。儂は戦いたい。この魂に火を入れてくれるほどの者と拳を合わせ、命懸けで戦いたいんじゃ。戦って、戦って、戦い抜いてこそ、真の王となれるんじゃよ」

「どうして」

 ロイズは小さいながらも強い口調で、呟いた。その声に、ラオフーは一旦足を止めた。

「うん?」

 ロイズは急に顔を上げると、涙を溜めた目でヴェイパーを睨んだ。

「そんなに大事なことを、僕に黙っていたんだよ!」

 ロイズの激しい言葉に、ヴェイパーはびくっと肩を震わせた。

「ごめん、ロイズ。でも、僕は…」

「言い訳なんか聞きたくない!」

 ロイズは釣りの道具を投げ捨てると、憎悪と憤怒の滾る目で巨体の兵器を見据えた。

「お前が母さんを殺したのか、ラオフー!」

 音もなく宙を滑ってリリの元に戻ったフリューゲルは、ロイズとヴェイパーを見比べながら、リリに囁いた。

「なんか、こいつら、仲間割れしてないか? それってすっごくやばくないかこの野郎?」

「思うけど…どうしよう」

 リリは身を縮めていたが、フリューゲルを見上げた。

「とりあえず、ブラッド兄ちゃんとかギル小父さんとか呼んで来なきゃ! このままじゃ、ロイもヴェイパーも死んじゃうかもしれないよ! 行くよ、フリューゲル!」

 リリがフリューゲルに手を伸ばすと、フリューゲルはリリを抱えて浮上した。

「リョーカイだあ! だからお前ら、ニワトリ頭とかが来るまでは大人しくしてろってんだよこの野郎!」

 くけけけけけけけけけけけ、と笑い声をなびかせながら、リリを抱えたフリューゲルの姿はゼレイブに向かった。
ラオフーはその後ろ姿を見送ってから、いきり立つロイズと正反対に憔悴しきってしまったヴェイパーを見比べた。

「戦うんじゃたら、早うせい。他の連中が来てしもうたら、おぬしらも全力で戦えまい」

「戦う。それが僕の役目なんだから」

 怒りのあまりに声を若干震わせながら、ロイズはヴェイパーに右手を伸ばした。

「ヴェイパー。あれ、行くよ。精神感応、接続。精神同調率、最大値。蒸気機関、全機関稼動。魔力活性率」

 ロイズの手が握られた直後、ヴェイパーは精神に衝撃を感じ、痙攣するように仰け反った。

「臨界点!」

 だめ、と掠れた声でヴェイパーが制しても、ロイズは止まらなかった。ヴェイパーの内に、ロイズの心が入り込む。
フローレンスと繋がり合っていた時よりも遥かに深く、滑らかに、ヴェイパーの精神はロイズに浸食されていった。
本体に繋げていた意識が断ち切られ、ヴェイパーのそれに成り代わってロイズの意識が魔導兵器に接続される。
ヴェイパーの意識は遠のき、ロイズの意識が全面を支配する。違和感が全身を襲い、いつしか包み込まれた。
最早、この体はヴェイパーのものではない。ロイズのものだ。ヴェイパーは抵抗しようとしたが、押さえ付けられた。
 どしゅう、と各関節から一斉に蒸気が噴き出した。いつもの体はくたりと崩れて倒れ、眠ったような顔をしている。
拳を握り締めて力の伝達を確かめ、体中に漲る魔力と蒸気圧が心を高ぶらせる。ロイズは、ぎりっと首を回した。
目線と同じ高さに、ラオフーがいた。完全にヴェイパーと同調したことを確認したロイズは、一度肩を上下させた。

「合体完了」

 ロイズの魂を持つヴェイパーは、猛虎を威嚇するように猛った。



「我が名は、ヴェイズ!」







07 9/2