ドラゴンは滅びない




屈さぬ心




 ブラッドは、懸念を抱いていた。


 そろそろ限界かもしれない。ルージュとのいつもの密会へ向かっていたが、背後が気になって仕方なかった。
むしろ、今まで見つからなかったことが幸運だ。皆、勘が良い者ばかりなのだから、気付かれない方が変だ。
ルージュと会う約束をする日も不定期にして規則性を持たせず、外出する時間も前後させ、方向も変えていた。
しかし、それも限界がある。ゼレイブから出る方向を変えたとしても、行き着く先は決まってあの湖なのだから。
それさえ解ってしまえば、どんな手段を使おうとも必ずばれる。それに、半月と少し前に湖畔で戦闘があった。
魔導兵器三人衆の一人であったラオフーとロイズとヴェイパーが戦い、戦闘とそれに関わる一件は収束した。
だが、油断は出来ない。あの湖では貴重な蛋白源である淡水魚を釣っているので、皆も関わりが多い場所だ。
見つからないためには、密会場所を変える必要がある。ブラッドはそのことを思案しながら、大きく羽ばたいた。
 程なくして、眼下に湖が広がった。どす黒い水面は不気味なほど平坦で、さざ波すらなく冷え冷えとしていた。
ブラッドは翼を広げて乾いた夜風を孕ませ、速度を殺してから、ぐるりと滑空しながら湖畔へと降下していった。
長靴のかかとを地面に擦り付けて着地したブラッドは、両翼を縮めて背中に戻し、捲り上げていた服を直した。
 魔法を応用すれば翼なしでも空を飛べないこともないのだが、手間が掛かる上に翼よりも魔力をかなり喰う。
なのでブラッドは、季節が初冬へと変わっても頑なに翼を使い続けていたが、さすがに寒いと思い始めていた。
服を破らずに翼を出すためには、服の背中を捲り上げる必要があるのだが、当然素肌もほとんど出てしまう。
半分は魔物の身とはいえ、寒さには勝てない。そのせいで腹を下してしまったことも、ないわけではなかった。
さすがに、移動方法を考え直す必要がある。ブラッドはすっかり体温の下がった背をさすりながら、考え込んだ。
 外気に劣らぬほど張り詰めさせていた感覚に、何かの気配が掠めた。ブラッドは彼女かと思い、顔を上げた。
しかし、ルージュのそれに比べれば魔力出力は低かった。ブラッドは気配と足音のする方向へ向くと、身構えた。
闇に溶けた輪郭が目視出来るようになるまで、時間は掛からなかった。気配は、鉱石ランプを下げていたのだ。
青白い光を放つランプが、ゆらゆらと左右に揺れながら近付いてくる。ブラッドは、逃げるべきか、と歯噛みした。
納めたばかりの翼を再び出そうと背に力を込めていると、今度こそルージュの気配と駆動音が接近してきた。
 なんて間が悪いんだ。ブラッドは内心で毒突いたが、ルージュが推進翼から放つ青い炎は次第に近付いてくる。
すると、彼女も気付いたのか、炎が止まった。接近者の足音も止まったが、途端にルージュの砲口が上がった。

「撃つな、ルージュ!」

 ブラッドが反射的に叫ぶと、左腕の砲口を上げたルージュは強張った声を上げた。

「だが、しかし!」

「…え?」

 二人の緊迫したやり取りの合間に、驚きすぎて気の抜けた声がした。馴染み深い、彼の声に間違いなかった。

「なんで、こんな時間に、こんな場所に来たんだよ」

 ブラッドはその声の主に向き、苦々しく思いながら彼の名を呟いた。

「ヴェイパー…」

「え、えっと」

 ラオフーの部品を使って修理したために外装の大部分が金色に変わったヴェイパーは、身を縮めた。

「よ…夜釣りに…」

「なんでこんな時に来たんだよ!」

 ブラッドが荒々しく叫ぶと、ヴェイパーはびくっと肩を跳ねて鉱石ランプを落としてしまった。

「なんでって言われても…。やっと体が治ったから、少しはロイズや皆に恩返しをしようと思って、だから、僕は…」

「どうする、ブラッド」

 ブラッドの背後へ着地したルージュは、右腕に備え付けられている刃を出した。

「必要とあらば、あれを破壊するが」

「だから戦うなって、ルージュ!」

 ブラッドは混乱のあまりに、髪を掻き乱した。

「ああ、もう! どうすりゃいいんだよ!」

「ブラッド。僕、そんなに悪いことをしたの?」

 混乱したヴェイパーはブラッドに歩み寄ろうとしたが、ブラッドが顔を背けたので、ルージュを見やった。

「ルージュ、だよね。ブリガドーンで大破したんじゃなかったの? 目視出来るし、魔力反応もしっかりしているから、幽霊とかじゃないよね?」

「ヴェイパーだったな。私に会ったことは、誰にも口外しないと約束しろ。さもなければ、破壊する」

 右腕の刃を光の刃で包んだルージュは、ヴェイパーへと突き付ける。ヴェイパーは釣り道具を置き、構える。

「それは無理だよ。そっちがそのつもりなら、僕は戦わなくちゃならない。僕は、皆を守る義務があるんだから」

「だから、やめろって言ってんだろうが!」

 ブラッドは二人の間に割り込むと、双方へ手を突き出した。

「どっちも退け! さもねぇと、二人ともぶっ飛ばすぞ!」

 痛いくらいに心臓が高鳴っているのに、背筋は寒気がするほど冷たかった。どうして、こんなことになるのだ。
二人へと向けている手には、言葉通りに魔力を込めていた。あまりの混乱と動揺に、喉の奥が乾き切っていた。
瞬間的に、ブラッドは判断を巡らせた。ルージュを攻撃し、敵として追いやる。ダメ。最初のやり取りと矛盾する。
適当な嘘を並べてヴェイパーを丸め込む。ダメ。そこまで口が回らない。二人とも攻撃する。ダメ。勝ち目はない。
自分だけ逃亡し、ほとぼりが冷めるのを待つ。最低だ。それではルージュを守れず、ヴェイパーを裏切ってしまう。
 どうすればいい。どう行動すれば、この事態を動かせる。ブラッドは乾いた唇を舐めてから、二人を見比べた。
ルージュは冷静な表情で、攻撃態勢を取るヴェイパーにいつでも反撃出来るように左腕の砲口も挙げている。
ヴェイパーもまた、全力で攻撃出来るように蒸気圧と魔力出力を高めたらしく、関節から熱い蒸気が噴き出した。
とても短いようでいてひどく長いような、強張った沈黙が続いた。それを破ったのは、全く別の人物の声だった。

「何を騒いでやがる」

 その声に、ブラッドは戦慄した。

「…おっちゃん」

 ヴェイパーの背後には、釣り道具を担いだギルディオスが立っていた。彼もまた夜釣りに来たらしい。

「ヴェイパー、下がれ。どうも今夜は、釣りをするには向かねぇみてぇだな」

 ギルディオスは釣り道具を置いてから、拳を突き出しているヴェイパーの腕を押さえて前に出た。

「ですけど、少佐」

「命令だ」

 ギルディオスに強く言われ、ヴェイパーは渋々従った。

「了解」

「よう、ラッド」

 ギルディオスに親しげに挨拶されても、ブラッドは少しも嬉しくなかった。むしろ、ここから早く逃げ出したかった。
一番見つかりたくない相手に見つかってしまった。ブラッドが答えられずにいると、ギルディオスはルージュを見た。

「そうか。女か」

 ギルディオスの零した呟きには、呆れと落胆が混じっていた。

「けど、おっちゃん。ルージュは、もう前とは違うんだ! フリューゲルの例もあるし、解ってくれるだろ!?」

 ブラッドは意を決して叫んだが、ギルディオスの態度は変わらなかった。

「だから?」

「お願いだ、見逃してくれ! ルージュはもう誰も殺さないし、何も壊さないって約束出来る! だから!」

「だから、何だってんだよ」

「だから、って…」

 ブラッドは、信じられない思いで甲冑を見上げた。この人が、こんなに冷たい声を出したことがあっただろうか。
少なくとも、聞いたことがなかった。それ以前に、ギルディオスがブラッドの言葉を聞こうとしないのも初めてだ。
子供の頃の拙い話であっても、熱心に聞いてくれた。どんな時も対等の立場に立ち、目線を合わせてくれていた。
だが、今の彼は違う。明らかにブラッドを拒絶している。ブラッドが身動ぐと、ギルディオスは冷たく言い捨てた。

「事実はどうあれ、命令違反は命令違反だ。きっちり処分してやらねぇとな」

「命令違反だと?」

 ルージュが訝しむと、ギルディオスはブラッドを顎で示した。

「ああ。ブリガドーン戦でオレがラッドに命じたのは、ルージュ、お前の撃破だ。お前とラッドを戦わせるのはどう考えても不釣り合いだったんだが、この若造はオレの言うことをろくに聞かなくてよ。甘ったれた考えを潰してやるために、お前を殺せって命令したのさ。フィルにもお前が死んだと確認したはずだったんだが…詰めが甘かったな」

 ギルディオスはブラッドを押し退けると、ルージュの前に立ちはだかった。

「余計な前置きは面倒なんでな、簡潔に言おう。ラッドにぶっ壊されたお前を修理したのはフィルだな? フィルは、お前に何をさせようとしているんだ?」

「答えれば、ブラッドは許されるのか?」

 ルージュは、ブラッドとギルディオスを見比べた。ギルディオスは、首を横に振る。

「それとこれとは別問題だ」

「そうか…」

 ルージュが目を伏せると、ギルディオスの右手が素早く伸び、ルージュの首を掴んだ。

「答えろ。さもなければ、攻撃対象として認識させてもらうぜ」

「おっちゃん!」

 突然のことに、ブラッドはぎょっとして振り返った。ギルディオスはブラッドに横顔を向け、内心で目元を歪めた。

「あん?」

「やめろよ、ルージュはそんなんじゃねぇ!」

「お前はこの女の何を知っている? お前がこの女を破壊してくれると信じたからこそ、任せてやったんだぜ?」

 ギルディオスの指先に力が込められ、ルージュの首を握り締める。肌に感じる圧迫感と、息苦しさが迫ってくる。
ルージュは、この時ほど触覚を恨んだことはなかった。こんな感覚さえなければ、簡単に吹き飛ばせたものを。
だが、苦しさに負けて手に力が入らない。辛うじてギルディオスの手首を掴んだが、力なく滑り落ちてしまった。

「この女がお前を利用していないという根拠はどこにある? 答えられるか、ラッド」

 ギルディオスの言葉は鉛よりも重たく、寒風よりも厳しかった。ブラッドは声を張るも、悔しさで震えていた。

「オレはルージュが好きだ! ルージュもオレが好きだ! それだけじゃダメなのかよ!」

「馬鹿か、お前は」

 ギルディオスはルージュの首から手を離したが、直後に拳を握って振り下ろし、ルージュの腹部へと叩き込んだ。
息苦しさから解放された瞬間、少し気が緩んでしまったらしく、ルージュは応戦態勢を取る前に吹き飛ばされた。
起き上がろうとすると、ギルディオスの足がルージュの魔導鉱石を踏み締めた。その痛みで、ルージュは呻いた。

「う…」

「そんなに簡単に他人が信用出来たら、この世で戦争なんて起きねぇよ」

 このままではやられる、とルージュは砲口を挙げてギルディオスの胸に向けたが、彼もまた魔導拳銃を挙げた。
砲口の中にそれよりも遥かに細く小さな銃口が差し込まれると、同時にハンマーが起こされて弾倉が回転する。

「おっと、撃つんじゃねぇ。フリューゲルを見ていて解ったんだが、お前らみてぇな大出力の魔導兵器は攻撃に転じる前に武装に魔力充填をしなきゃならねぇんだが、その時にちょっとした間が出来ちまうんだよな。だが、魔導拳銃は違う。小型で出力もイマイチだが、だからこそ反応も早く魔力充填も必要ねぇ。オレの言いたいことが解るな?」

「私が撃つよりも先に撃つ気か」

 ルージュが苦々しげに唇を歪めると、ギルディオスは引き金に掛けた指を少し絞った。

「魔力は魔力に連鎖する特性がある、ってリチャードが言っていたよ。だから、砲撃が暴発すれば被害が大きいのはお前の方だ、ルージュ。その綺麗な顔を鉄屑に変えたくなかったら、抵抗するな」

 まさか、本気で撃つ気か。ブラッドは恐る恐るギルディオスの手元を見、引き金に指が掛けられているのを見た。
信じたくなかったが、信じるしかなかった。ブラッドは涙が出そうなほど悔しかったが、拳を固めて理性を保った。

「おっちゃんは本気だ。だから、退いてくれ、ルージュ」

「ああ、私にも解る」

 ルージュは左腕の砲を下げると、右腕の刃も元に戻した。ギルディオスは、彼女の魔導鉱石から足を上げる。

「素直で結構だ」

 だが、ギルディオスは魔導拳銃を下げず、即座にブラッドの額へ銃口を据えた。

「ラッド。ブリガドーンは吹き飛んだが、ヴァトラス小隊は解散しちゃいねぇし、戦いも終わっちゃいねぇ。つうことは、オレとお前の上下関係も切れちゃいねぇってことだ。つまり、オレはまだ隊長でお前は一兵士に過ぎねぇんだ」

「そんなの」

「この状況と関係ねぇとかほざきやがったら、脳天吹っ飛ばすぞ」

 次に言おうとした言葉をギルディオスに言われてしまい、ブラッドは硬直した。ギルディオスは、語気を強める。

「ラッドにとって、この女は家族や友人よりも大切なのか? お前の手で殺したはずなのにすっかり元に戻っているなんて、それだけで充分怪しいじゃねぇかよ。そんな女に好きだとかなんとか言われて、舞い上がってんじゃねぇぞ。そんなのは、たらし込まれただけなんだよ。この女は、いつ手のひらをひっくり返して、お前もろともオレ達を殺しに掛かるか解らねぇような存在だ。ブリガドーンでの戦いを忘れたのか。ダニーが命懸けで守った大事な大事な子供らを、お前の身勝手でみすみす死なせようってのかよ、ラッド!」

「オレとルージュは、そんなんじゃねぇ!」

 遂に耐えられなくなり、ブラッドは叫び散らした。しかし、ギルディオスは微塵も動じなかった。

「だから、それがなんだってんだよ。ラオフーがロイを殺しに来たことを忘れたとは言わせねぇぞ」

「なあ、ルージュ。違うよな、そんなんじゃねぇよな?」

 ブラッドは祈るような気持ちでルージュを見やったが、ルージュの視線は僅かに揺れた。

「確かに、私は」

「言うな、それ以上言うな、ルージュ!」

「お前の言う、竜の女に使われている」

 ルージュは躊躇いながらも、呟いた。ギルディオスは、肩を竦める。

「だろうと思ったぜ。だが、案外白状するのが早かったな。一戦交えてから、と思っていたんだが」

「私の知ることは全て話そう。だからお願いだ、ブラッドには手を出さないでくれ。彼は、何一つ悪くないんだ」

 ルージュはブラッドを見、かすかに微笑んだ。ブラッドはその切なくも弱々しい笑みに、胸が締め付けられた。

「ルージュ…」

「お前も馬鹿だな、ルージュ。色恋に目が眩むと、どいつもこいつも頭の構造が単純になりやがる」

 人のことは言えないが、とギルディオスは付け加えてから、魔導拳銃を腰に提げたホルスターへ差した。

「それとこれとは別だ、ってさっき言っただろうが。白状してもらったところで、ラッドの処分はなんら変わらねぇ」

 ギルディオスは右手の拳を、左手に叩き付けた。

「ついでに、ルージュの処分もな。事が終わり次第、解体処分させてもらう」

 頭の中で、何かが切れる音がした。ブラッドは自分でも訳の解らない声を上げながら、甲冑に殴り掛かった。
渾身の力を込めた拳は、甲冑の胸元も叩けなかった。冷たくも硬いガントレットに、受け止められていたからだ。

「ちったぁ根性あるじゃねぇか」

 ギルディオスは一笑すると、空いている左手を握り、振り上げた。

「だが、なっちゃいねぇ!」

 直後、ブラッドの頬に重たい痛みが打ち込まれた。呆気なく吹き飛ばされたブラッドは、硬い地面に転倒した。
枯れ草の中に転げ、肩が土と擦れた。歯で口中を切ってしまったらしく、馴染み深い鉄臭い味が舌に広がった。

「ヴェイパー。手、出すなよ」

 ギルディオスが命ずると、呆然としていたヴェイパーははっとして答えた。

「りょ、了解!」

 ついでに唇も切れたのか、口元を生温い液体が伝った。ブラッドは手の甲で血を拭ってから、立ち上がった。
一発殴られただけで、意識が飛びそうになった。ギルディオスにまともに殴られたのは、これが初めてだった。
頬も痛ければ、首も痛かった。殴られた部分が腫れてきたらしく、熱を持っている。だが、怯むわけにはいかない。
 ルージュに謀られていたことも衝撃的だったが、それよりもずっと、処分されるという言葉の方が凄まじかった。
ギルディオスの言う通り、ルージュの全てを知っているわけではない。気持ちが噛み合わず、ケンカする時もある。
過去も知らなければ魔導兵器になった経緯も知らず、知っているのは恐ろしい敵であった頃と今の彼女だけだ。
それでも、会うたびに表情が増えて、ぎこちないながらも感情表現をしてくれる彼女が愛おしくてたまらなかった。
好いているはずなのに守れなかった彼女を、今度こそ守ると誓った。愛する女の美しい笑顔を、曇らせたくない。

「…上等だ」

 ルージュを、守り抜いてみせる。

「かかってきやがれ、ニワトリ頭ぁ!」

 ブラッドは怖じ気付きそうな心を奮い立たせて、吼えた。



「吸血鬼を舐めるんじゃねぇえええええええ!」







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