ドラゴンは滅びない




穢されし過去



 目覚めた場所は、天国でもなければ地獄でもなかった。
 半球状に丸みを帯びた石組みの天井が淡い光を放っており、水よりもやや重たい液体が流れる音がしていた。
空気は冷え切っていたが、吸い込めたのは少しだけだった。口と鼻が、金属製の覆面に覆われていたからだ。
背中から貫かれた傷は治り、翼も無意識のうちに引っ込んだらしいが、かなり出血したので頭がぼんやりする。
回復の程度から考えれば、あれから十日程度は時間が過ぎたのではないだろうか。だが、ここはどこだろう。
石組みの天井から察するに建物の中なのは間違いないが、窓も見当たらず、見たこともない構造をしている。
地下なのかもしれない。肌には絶え間なく魔力を感じているので、恐らく魔法で造り上げた場所ではないだろうか。
 身を起こそうとすると、両手首と首に硬いものが食い込んだ。それは鎖の付いた拘束具で、足にも付いている。
背後にある台形の台座のようなものに鎖は繋がれていて、それは短かったのでほとんど身動きが出来なかった。
なんとか動こうとしたが、じゃりじゃりと鎖が軋むばかりで台座は微動だにしない。魔法を放とうにも、魔力がない。
肌寒いと思ったら、何も身に付けていなかった。局部を隠す下着すら奪われたらしく、完全に裸身になっていた。
もがきながら目線を落とすと、半球状の部屋の床には青い水が流れる溝が走っており、六芒星を成していた。
水音の正体は、これなのだ。水源もなく傾斜もないのに水が動くのは異様だったが、これもまた魔法なのだろう。
よく見ると、ルージュが拘束されている台座は六芒星の中心に据えてある。その事実に、ルージュは身動いだ。
 魔法陣の中心に縛り付けられているということは、ルージュは魔法の媒体か魔法を成す魔力の源にされたのだ。
道理で、魔力がないはずだ。魔法陣と青い水に吸い取られているらしく、体の芯の魔力中枢は冷え切っていた。
誰の仕業だ。誰の魔法だ。ルージュは悔しさとやるせなさで呻きながら辺りを見回していると、空間が歪んだ。
 ルージュの目の前に、唐突に扉が現れた。二重の円に囲まれた六芒星が描かれた扉は、軋みながら開いた。
そこから歩み出てきたのは、見知らぬ老人だった。皮膚は弛んで肌は乾燥し、骨と皮だけの指が杖を持っている。
だが、顔付きには精気が漲り、青い瞳はぎらぎらしていた。黒いローブを着た老人は、ルージュの元へ近付いた。

「思った通り、吸血鬼は強靱だな」

 ルージュに一歩ずつ近付くにつれ、老人の肌が張りを取り戻していく。

「あれだけの魔力を吸い出しても、弱るどころか意識を取り戻すとは」

 覇気のなかった声に力が戻り、骨張っていた手足に肉が戻る。

「これなら、大分使えそうだ」

 老人がルージュの目の前に現れた頃には、老人ではなくなっていた。背筋の伸びた、壮年の男になっていた。
それは、ルージュを捕らえたあの魔導師だった。ルージュが戸惑っていると、魔導師の男は少し頬を緩めた。

「お前の経歴を洗わせてもらったが、これといった犯罪歴がないのとは珍しい」

 当たり前だ。吸血鬼に産まれたからといって誰もが罪を犯すわけではない。ルージュは、内心で反論した。

「そうか、魔力がほとんど抜かれていたのだな。それでは思念も使えぬか」

 魔導師の男がルージュの胸元に手を差し伸べると、ルージュの魔力中枢に僅かに魔力が戻った。

「お前は誰だ」

 ルージュが発した思念は、声と化して聞こえてきた。恐らく、思念を声に変える魔法も掛けられたのだろう。

「そういえば、まだ名乗っていなかったな。私はアルフォンス・エルブルス。魔導師協会会長だ」

「そのような地位の高い男が、なぜ私のような魔物を捕らえる?」

「私がお前に目を付けたのは偶然だ。あの森には、私の愚かな娘の家があったのでな」

「家…?」

 ルージュの脳裏に、手狭だが素晴らしい家の情景が過ぎる。あれが燃やされてしまったと思うと、切なくなった。
アルフォンスと名乗った男は愉悦に満ちた目で眉根を歪めるルージュを眺めていたが、杖を抱えて腕を組んだ。

「私には一人娘がいた。名をマルグリットといい、魔力値もそれなりに高い将来有望な魔導師だった。妻を早くに亡くした私にとって、マルグリットは私の宝も同然だった。だが、マルグリットは私の弟子の一人と恋仲になり、突然姿を消してしまった。弟子の名はレイモンといい、それもまた腕の立つ魔導師だったのだが、二人は私の与えた魔導書も魔導服も杖も何もかもを捨てていった。マルグリットの残した置き手紙には、こんな戯れ言が書いてあった。魔物も人も殺したくない、と。馬鹿げている。私は部下を使って二人の行方の捜索したが、どちらも腕に覚えのある魔導師だったために簡単には見つけ出せなかった。だが、数年前、魔物討伐で辺境の村へと赴いた魔導師の一人が噂話を聞いた。誰も住んでいないはずの森から煙が上るのが見える、見知らぬ男と女がいる、どうも駆け落ちしてきたようだ、と。部下が入手してきた情報と二人の特徴を照らし合わせると、その男女は私の娘と弟子に間違いがなかった。そこで私は、その地に部下を送り込んだのだが、それ以降は情報がまるで入手出来なかった。どうやら二人は、すぐさま別の地へ移動したらしい。だが、手掛かりを掴んだのだから追わぬわけにはいかないと、私は二人を追い続けた。それは数年間続いたが、ある時二人の動きが止まった。遂に逃げ切ることを諦めたのだろうと思い、視察の名目で二人が逃げ延びた地へと赴いたのだが、二人がいるであろう場所の近くに現れたのは死人のような肌をした奇妙な女だった。それがお前だ」

「これで筋が通った。あの家にいたのは、お前の娘とその恋人だったのか」

「そうだ。部下の報告によれば、二人は当の昔に死していたようだがな。二人の墓はお前が作ったのか?」

「野晒しにしておくのは気分が悪かったからだ」

 ルージュの言葉に、アルフォンスは意外そうな顔をした。

「魔物にしては、人間くさい言葉だな」

「私が喰うのは血だけだ。人の肉にも骨にも興味はないからな。するとお前は、娘に人殺しをさせていたのか?」

 ルージュの問いに、アルフォンスは平坦に答えた。

「魔導師協会と政府の意志に反した魔導師を粛清するのは、魔導師の仕事だ。魔法は実に素晴らしい技術であり文化だが、若い連中は力を求めてばかりいる。だが、過ぎた力がもたらすのは破壊と混沌だけだ。あの黒竜戦争のような大乱が起きてしまえば、取り返しが付かなくなる。その前に、火種を潰しているに過ぎん」

「魔物を殺しているのも、そういうことなのか?」

「大筋ではな」

「だが、魔物族には力はない。竜族とて、数えるほどしか残っていない。お前達が抱くような懸念は起こらない」

「お前達がそうは思わなかったとしても、私達にはいくらでもあるとも。人血を餌にする吸血鬼族は、人間にとっての最大の恐怖であり脅威なのだ。だから、生かすわけにはいかない」

「ならば、なぜ私を生かしている?」

「私の意志に背いた娘と弟子には処罰を下そうと思っていたが、死していたのならば仕方ないが、それでは私の気は晴れないままだ。マルグリットもレイモンも私が手を掛けて育ててやった恩も忘れて、せっかく与えてやった魔導師協会の地位も安易に捨てて、私の苦労を台無しにしてしまった。私の元に留まり、高位魔導師としての役割を果たし続けるならば結婚でもなんでも許してやったものを、逃げ出してしまったのでは許せるものも許せん。だが、死体に鞭を打ったところで、乾いた骨が砕けて飛び散るだけで何の面白味もない。しかし、お前は生きている。そして、人よりも遥かに死にづらい」

 老いた男の唇が、悪意に歪んだ。

「やめろ、やめてくれ」

 ルージュは髪を振り乱して首を横に振るが、アルフォンスは先の尖った金属製の杖を掲げた。

「更に、魔力には底がない。お前の魔力を使えば、私は延命魔法を保つことが出来る。こんなにも利用価値のあるものを、放り出してなるものか!」

 アルフォンスの杖が振り下ろされ、ルージュの右の乳房と肋骨を荒々しく貫いた。肺も破られ、息が出来ない。
喉の奥から迫り上がった血が覆面の中に溜まり、顎を伝っていく。突然の痛みに痙攣し、ルージュは崩れ落ちた。
杖が引き抜かれると、折れた肋骨の破片も抜け落ちた。肉と筋が付いた骨が、足元に出来た血の海に転がる。

「さあ、泣け、喚け、叫べ!」

 アルフォンスは奇妙に歪んだ表情を浮かべながら、唸りを上げて杖を振り下ろした。

「ぁぎぁがぁああああああっ!」

 肩と鎖骨が砕かれて、ルージュはびくんと身を跳ねた。杖の先端に填った魔導鉱石が、砕けた骨を更に抉る。
どくどくと血が流れ出し、あまりの痛みに空っぽの胃から胃液が溢れ出した。血飛沫が飛んだ目元に、涙が滲む。
そのまま、ルージュはアルフォンスに打ち据えられた。抵抗することも出来ず、全身の骨と肉を砕かれていた。
生かすためなのか、心臓と頭だけは攻撃してこなかった。だが、目を抉られるのも時間の問題だろう、と思った。
 これまでにも、虐げられたことはあった。自分が何者か解らなかった子供の頃、人間に紛れて生きようとした。
無知な子供達は遊んでくれたが、すぐに大人達によって連れ戻され、どこからともなく現れた魔導師に拘束された。
魔導師はルージュを大衆の前に引き摺り出して、首を切り裂いた。その傷が塞がる様を見せて、魔物だと示した。
つい先程まで笑顔を向けてくれた子供達はルージュに石を投げつけ、魔導師は手にした剣で手足を切り落とした。
魔導師にとどめを刺されそうになった時に、ルージュの意識は飛んだ。後から思うに、銀色の獣と化したのだろう。
気が付くと、辺り一面が血の海になっていた。切り落とされたはずの手足は元に戻り、胃の中は血で満ちていた。
爪先にこびり付いた肉片には、一緒に遊んでくれた子供が着ていた服の切れ端が赤黒く濡れて絡まっていた。
それを見た時、とてつもなく空しくなった。それからルージュは、殺さないために人間には近付かないようにした。
人を犠牲にしなければ生きていけないなら、せめて殺さないようにしたい。殺してしまえば、全て失われるからだ。
だから、戦わなかった。戦える力があっても振るわずに逃げ出して、身を隠すことだけを考え、ひっそりと生きた。
 だが、今度ばかりは逃げ出せそうにない。失血で意識を失いかけながらも、ルージュは直感的に悟っていた。
大量の返り血でローブを汚したアルフォンスは、ルージュから剥がれた皮膚が付いた杖を振るい、笑っていた。
 きっと、ここで死ぬのだ。


 虐げられる日々は、長く続いた。
 最初は日数を数えていたが、数えれば数えるほど悲しさが増すだけだったので途中から数えないことにした。
この半球状の部屋にやってくるのはアルフォンスだけで、毎日来る時もあれば一ヶ月以上も来ないこともあった。
ルージュの命が本当に尽きてしまいそうになると、アルフォンスの仕掛けた魔法が発動し、魔力が流れ込んだ。
それのせいで、ルージュは死ねなかった。首をへし折られても内臓を引き摺り出されても、決して死ななかった。
回復すると生への希望が湧いてくるが、アルフォンスに再び虐げられるとあまりの痛みで絶望し、死にたくなった。
希望を持った傍から叩き潰されて絶望になり、絶望の底からかすかに希望を抱こうとすれば、また叩き潰される。
その希望と絶望の繰り返しは、体だけでなく心も蝕んでいった。気が狂った方が楽だったが、理性は残っていた。
それもまた、アルフォンスの魔法のせいだった。抗わないならば人形と同じだ、などと言い、理性を保たせたのだ。
だが、理性が残っている方が圧倒的に辛い。自分にされていることを自覚してしまうから、泣き喚くことも多かった。
アルフォンスは、錯乱したルージュを見に来ることもあった。殺せ、と何度も叫んだが、殺されることはなかった。
たまにだが、身勝手な欲望を注がれることもあった。そのたびに腹を殴られて抉られて、孕まないようにされた。
その頃になると、もう生きたいとは欠片も願わなくなった。頭の中を満たすのは、死への渇望と絶望だけだった。
 時折、餌が与えられることもあった。餌とは、当然人間だった。アルフォンスが、扉の向こうから連れてくるのだ。
意識を失った状態で放り投げることもあれば、魔法で拘束した者を飢えたルージュの前に放り出すこともあった。
 その日は、後者だった。久々に拘束から解かれたルージュは、魔法で手足を固められた魔導師の前に立った。
顔立ちには幼ささえ残る女の魔導師は、必死に這いずってルージュの前から逃れようとするが、動けなかった。
僅かに動く肩や背中は恐怖で激しく震え、怯えるあまりに失禁していた。がちがちと歯を鳴らし、身を捩っている。

「来ないで、お願いだから来ないで、ああ、嫌、嫌、嫌ぁあ!」

 だが、ルージュの耳にはその言葉は届かなかった。変な気を起こさないように、と先に鼓膜を破られたからだ。
目に映るのは、血がたっぷり詰まったものだけだ。暴れたせいではだけた女の襟元から、柔らかな肌が見える。
無様に涎を垂らしながら口を動かしているが、聞こえない。アルフォンスに命乞いをしているのか、叫んでいる。
しかし、アルフォンスは扉の前で楽しげに笑っていた。きっと、この女はアルフォンスの機嫌でも損ねたのだろう。
アルフォンスは見た目こそ知的な雰囲気を漂わせているが、その内側は加虐に快楽を感じているような外道だ。
全く、運の悪い女だ。ルージュも人のことは言えないが、悪魔も同然の男に関わってしまったのが運の尽きだ。
 拘束され続けていたために皮が擦り切れて肉が覗いている腕を伸ばして、激しく暴れる女の服を握り締めた。
それだけで、女の震えは増した。ルージュは女の服に手を掛けると、力任せに引き裂いて白い肌を露わにした。
べっとりと脂汗の浮いた肌は滑らかで、まだ若々しい。青ざめた皮膚の下では、心臓が高鳴っているのが解る。
荒い息と共に上下する喉には太い血管が浮かび上がり、血が流れている。血が、血が、血が、血が血が血が。

「けけけけけけけけけけけけけ」

 疲弊した理性では、荒ぶる本能には勝てなかった。背筋を這い上がった欲望が、体中を駆け巡る。

「けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ!」

 死にたくない、と喚いた女の頭を押しやって頸椎を折り、更に力を込めて曲げると皮の下から骨が飛び出した。
途端に、勢い良く血が溢れ出した。ルージュは欲望のままに頸椎が突き破った傷口に喰らい付くと、啜り上げた。
生温く鉄臭い液体が喉を潤し、胃を満たす。乾き切っていた手足を柔らかな感触が濡らし、ぼたぼたと零れる。
いくら飲んでも、足りなかった。女の首筋から出る血の勢いが弱まったので、はだけた胸元に爪を突き立てた。
薄い皮を切り裂いて肺と肋骨を握り潰し、心臓を取り出す。既に脈の止まった心臓を噛むと、残った血が溢れた。
心臓の中に溜まっていた新鮮な血を飲み干すと、やっと本能が落ち着いた。欲望が満たされると、恍惚とする。

「けけけけけけけけけけけけけけけ」

 心臓からずるりと伸びた血管を噛み切り、ルージュは笑った。全身にくまなく浴びた血が温かく、心地良い。

「満足したか」

 事が終わったと判断したアルフォンスは、ただの骸と化した女を蹴ってルージュに近付いた。

「けけけけけけけけけけけけけけけけけ…」

 本能に支配されていたために言葉らしい言葉が出ず、ルージュは喉と腹を引きつらせて笑声を出すだけだった。
アルフォンスが手を挙げると、ルージュの体は浮き上がった。独りでに手足と喉に拘束具が絡まり、錠が止まる。
口にも金属製の覆面を被せられ、いつもの姿になった。束の間の自由が終わると、弱まっていた理性も戻った。
虚ろな視線を彷徨わせていると、頭を千切り取られた死体が目に入ってきた。だらしなく、四肢を投げ出している。
胸元は強引に開かれて心臓は喰い千切られ、切れた血管からは少しだけ残っていた血がぽたぽたと落ちていた。
これで何人目だろう。少なくとも百人は越えている。アルフォンスは死体に近付き、手を差し伸べて呪文を唱えた。
途端に死体は燃え上がり、あっという間に一山の灰と化した。アルフォンスは灰を蹴散らすと、ルージュに向いた。

「そろそろ耳も治る頃だろう」

 ルージュの耳の中で、かすかな物音がした。それが収まると、アルフォンスの放った言葉の残滓が聞こえてきた。
鼓膜は薄いので、比較的治るのは早い。治らなければ少しは楽なのに、とは思うが、治るものはどうしようもない。

「本当にお前は素晴らしいよ」

 アルフォンスは、極めて上機嫌だった。

「お前がいるおかげで、私は常に最上の娯楽を味わえるのだから。お前が生み出す際限のない魔力と若さを搾取し続ければ、我が命は決して尽きない。この場に満ちた濃厚な魔力とお前に喰い散らかされた死霊共の怨念を使えば、どんなことも出来る。そう、私の手は全てを動かせるのだ!」

 自分の言葉に酔い、アルフォンスは笑った。胸の悪くなる哄笑が球体の天井に反響し、治ったばかりの耳を叩く。
悦に浸っているアルフォンスを眺めながら、ルージュは絶望の底に沈んでいた。何のために、自分は生きている。
外の世界にいる時は、少しは生きている意味を持っていた。とても寂しかったが、生きる幸せを知っていたからだ。
夜の静けさや月明かりの柔らかさ、パンの甘さ、水の冷たさ、土の温かさ。それらを味わうために、生きていた。
誰にも望まれずに生まれたのだから、せめて自分だけは自分自身を肯定してやろうと思ったからこそ生きたのだ。
だからこそ、マルグリットとレイモンの家を借りた。半年と少ししか過ごせなかったが、今までで一番幸せだった。
あのまま、ひっそりと生きてさえいければ良かった。他には何も望まない。ただ、平穏な日々だけを求めていた。
 なのに、なぜこうなるのだ。どこで間違えたのだろう。何を踏み外したのだろう。ルージュは、ぼんやりと考えた。
だが、快楽に酔った頭はろくに動かなかった。とろりとした甘美な味が喉を潤し、新鮮な血が胃を満たしている。
目覚めないことを願いながら、ルージュは目を閉じた。このまま永遠に眠ってしまえれば、どんなにも楽だろうか。
だが、いつも願いは叶わない。飢えと渇きで目覚めるか、アルフォンスの虐げの痛みで目覚めるかのどちらかだ。
どちらも苦しく、辛いばかりだ。小さな家での静かな日々は思い出すだけで切なくなるので、思い出さなかった。
夢に見るのは悪夢ばかりで、心地良い夢を見たことはない。いつもいつもいつも、殺される寸前で目を覚ます。
殺されたままで眠り続けられたらいいのに、といつも思う。いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、苦しかった。
 死ぬことだけが、救いだった。





 


07 10/4