戦傷病院は、遠く離れた場所にあった。 エカテリーナは機関車と馬車を乗り継いで、戦傷病院に向かった。その間、不安で胸が押し潰されそうだった。 同じ目的の人間も少なくなく、そういった者達は一様に暗い表情なので一目でわかる。それは、無理もないことだ。 共和国と連合軍との戦争は激化しており、戦地も拡大しつつあるので戦死者が毎日山のように出ているらしい。 その苛烈な戦いを生き延びたはいいが、ひどい傷を負ってしまったのでは復員したところで働けるとは思えない。 アレクセイの傷が少しでも軽いことを祈りながら、エカテリーナは古びた馬車に揺られながら戦傷病院へ向かった。 町を出てから五日後に、エカテリーナは戦傷病院に到着した。市街地から大分離れた場所に、建てられていた。 薄暗い森に囲まれているせいもあり、病院には暗澹とした雰囲気が漂っていたが、気にしている暇はなかった。 エカテリーナは廊下を歩いていた看護婦を捕まえて、アレクセイの病室を聞き出すと、足早に病室へ向かった。 廊下に面した病室の窓からは、負傷した兵士達の姿が見えた。皆、腕や足がなく、体中を包帯に覆われていた。 そこかしこから苦しげな呻きが聞こえ、殺してくれ、との叫びも上がる。ここには、重傷患者ばかりがいるようだ。 兵士の中には、ほとんど身動きもせず、呼吸も浅い死体も同然の者もいた。きっと、もうすぐ死んでしまうのだろう。 病院の空気には、消毒液の匂いと死体の発する饐えた匂いが混じっていた。毎日、誰かが死んでいる証拠だ。 たまに擦れ違う看護婦や医師の表情も暗く、病人のように顔色が悪かった。これもまた、戦争なのだと思い知る。 エカテリーナのいる田舎町にも戦争の影響は出ていたが、こうして現実として目の当たりにしたことはなかった。 不安と恐怖と混乱で息が詰まりそうになりながら、エカテリーナはアレクセイの病室を探し、そして見つけ出した。 アレクセイの病室は、西側の一番奥にあった。これまで見た病室と同じく、その病室も大人数の相部屋だった。 エカテリーナは負傷と病で痩せこけた兵士達が横たわるベッドの脇を抜け、右奥にあるベッドの前で足を止めた。 ベッドには名前と所属が書かれた札が掛けられ、ベッド脇に置かれた焼け焦げた兵服には弾痕も開いていた。 陸軍歩兵部隊、二等兵。アレクセイ・カラシニコフ。エカテリーナは、看護婦から聞いた情報と照らし合わせた。 アレクセイ・カラシニコフ。この国では在り来たりな名前だ。誰かと間違うかも知れないから、と入念に確かめた。 違っていてくれ、と願いながらエカテリーナは視線を動かした。だが、包帯が半分以上巻かれていても顔は解った。 何度となく思い起こして瞼に焼き付けた顔だ、忘れるわけがない。エカテリーナは唾を嚥下し、彼を見下ろした。 ベッドの上に転がされているアレクセイには、左腕と両足がなかった。包帯の下には、左目もないようだった。 耳も千切れて形を止めておらず、包帯と入院着の隙間から見える皮膚はひどく焼け爛れて赤黒く変色していた。 包帯に覆われていない右目も動きが鈍く、エカテリーナを見定めるまで間があった。エカテリーナは、怖々呟く。 「アレクセイ…?」 アレクセイと思しき人物は乾いた唇を開いたが、答えなかった。すると、病室にいた看護婦が近付いてきた。 「その患者さんは、声を出せないんですよ」 「どうして、ですか」 エカテリーナは困惑したが、中年の看護婦は淡々と述べた。 「至近距離で味方の大砲が暴発した時に大砲の破片が飛び散って、それで手足を持っていかれたんですよ。爆風で喉が焼けた時に耳もやられてしまったので、あなたの声も少し聞き取れるぐらいだと思いますよ」 「そうですか…」 エカテリーナがか細い声で返すと、中年の看護婦は、何かあればお呼び下さい、と言って患者の看護に戻った。 せっかく会えたのに、そんなのってない、ひどすぎる。エカテリーナは涙ぐみながら彼に向き直り、手を差し伸べた。 「アレクセイ、私が解る?」 アレクセイは、僅かに頷いた。エカテリーナは、半分以上包帯に覆われた顔に触れる。 「会いたかった…」 だが、手に広がる感触は以前のそれではなかった。柔らかくもなければ暖かくもなく、老人の肌のようだった。 肘から先がない左腕は痩せて肌がたるみ、血色も悪かった。両足も膝から下がなく、随分と縮んだように見える。 アレクセイの頬はがさがさに荒れ、脂っ気どころか水分も抜けている。目鼻立ちも潰れ、輪郭にしか面影はない。 「手紙、ありがとう。嬉しかったわ」 エカテリーナはカバンを開けて手紙を取り出すと、アレクセイは少しだけ頬を緩め、笑ってくれたように見えた。 「もっと手紙を書いてくれるようにって思って、インクと紙を買ってきたの。ほら」 エカテリーナはベッドの脇にある台を引き寄せて、その上に真新しいインク瓶とペンと、紙の束を置いた。 「これなら、話が出来るわよね?」 エカテリーナはペン先にインクを浸し、アレクセイの右手に握らせた。アレクセイは、先のない足で体を動かした。 見るからに辛そうだったのでエカテリーナはアレクセイの背を支え、台まで近寄せた。彼の体は軽くなっていた。 四年前はあんなにも逞しく、立派だったのに。その落差で切なくなったが、ぐっと奥歯を噛み締めて涙を堪えた。 アレクセイは右腕の力すらもなくなっているのか、ペンを取り落としそうになりながら、紙の上に震える字を綴った。 『エカテリーナ』 「なあに?」 エカテリーナはベッドに腰掛けて、アレクセイの手元を覗き込んだ。アレクセイは、かすかに目元を歪めた。 『子供、流れたみたいだね』 「うん…」 エカテリーナは腹を押さえ、項垂れた。 『良かった』 アレクセイの書いた文字に、エカテリーナは目を見張った。 『君が妹だってことは、大分前から知っていた』 何が。良かったのだろう。 『あの時は、本当にごめん。僕もどうかしていた。死ぬのが怖かったから、君に逃げてしまった』 彼は、何を言っているのだろう。 『正直言って、君に会うのが怖かった。だから、ここを教えたくなかったんだ』 何を。何を。何を。何を。何を。 『僕は君を愛しているけど、それは家族としてだ。女性としてじゃない』 「でも、手紙じゃ…あんなに…」 エカテリーナは肩を怒らせ、シーツを握り締めた。アレクセイは続ける。 『君を悲しませたくないと思ったから、あんなことを書いてしまったんだ。でも、あれは僕の本心じゃない。嘘なんだ』 嘘なんだ。エカテリーナは、てらてらと光る生乾きのインクの文字を凝視した。 『もうすぐ、僕は死んでしまう。だから、僕のことは忘れて生きてくれ。可愛い妹、エカテリーナ』 ああ、これは、きっと。 『ここまで来てくれてありがとう。だけど、すぐにお別れだ』 悪い夢だ。 『さようなら、僕の愛する』 反射的に、アレクセイの手からペンを弾き飛ばしていた。インクの飛沫を散らしながら、ペンは床に転げ落ちた。 エカテリーナはアレクセイが書いたばかりの紙を手が汚れるのも構わずに握り潰すと、頬を引きつらせて笑った。 アレクセイは疲れているのだ。だから心にもないことを言う。本当のアレクセイは、もっと優しい言葉を掛けるのだ。 妹だとは言わず、恋人だと言ってくれる。流産したことを悲しんでくれる。邪魔な父親を殺したことを褒めてくれる。 エカテリーナはアレクセイの乾いた唇に口付けた。木の皮に触れたような感触だったが、愛おしくてたまらない。 エカテリーナは目を大きく見開いて口だけ上向けた奇妙な笑みを浮かべて、アレクセイの細った体を抱き締めた。 「そうね、すぐに帰りましょう。あなたの子が待っているわ」 あの子は死んでいない。この体の一部となって、再び生まれる時を待っている。 「あなたは私の大事な恋人よ、アレクセイ」 アレクセイは恋人だ。夫だ。ただの兄なんかじゃない。 「愛しているわ、アレクセイ。この世の誰よりも」 アレクセイは藻掻くように身を捩ったが、エカテリーナは腕に力を込めてそれを封じた。 「私は、いつまでもあなたと一緒よ」 好き。好き。大好き。 「さあ、家に戻りましょう。私とあなただけの家に」 エカテリーナの手から逃れた右手を伸ばし、アレクセイはインク瓶の端に指先を当て、しわくちゃの紙に書いた。 『まさか、父さんを』 「だって、いらないでしょう?」 エカテリーナはアレクセイの右腕を掴み、紙から引き離す。アレクセイは口を歪ませ、驚愕の表情を浮かべた。 「もう一度、子供を作りましょう? ねえ、アレクセイ?」 アレクセイはエカテリーナの手を振り解こうと右腕を上げようとしたが、筋肉の落ちた腕はほとんど動かなかった。 対するエカテリーナは、少女らしからぬ力を出していた。アレクセイへの愛情と同等の憎しみが、力になっていた。 子供さえ出来ればまた元に戻る。いや、前以上に素晴らしい日々が始まる。だって、アレクセイがいるのだから。 エカテリーナは恍惚としながら、包帯の巻かれたアレクセイの頭に頬を寄せた。病人特有の匂いが感じられた。 だが、それすらも愛おしかった。アレクセイの焼け爛れた皮膚や惨い傷口にも、口付けの雨を降らせてやりたい。 病室には、エカテリーナの乾いた笑い声だけが響いていた。他の患者達も、一様に怯えた眼差しを向けている。 しかし、アレクセイしか目に入らないエカテリーナは気にならなかった。医師がやってきても、彼を抱き締めていた。 白衣を着た医師はアレクセイを愛おしんでいるエカテリーナを見、困ったように眉を顰めると、大きく咳払いをした。 エカテリーナは鬱陶しく思いながらも、渋々目を上げた。医師は連合軍に所属しているらしく、紋章を付けていた。 「君は彼の恋人か?」 「そうよ。私はアレクセイの恋人よ」 恋人、という言葉にエカテリーナは酔いしれた。医師は、やたらと親しげな笑みを見せた。 「ならば、君に許可を取っておかなくてはな。彼はこれから、連合軍の医療施設へ移送されるのだよ」 「なぜ?」 「魔力数値、体組織の損傷の程度、魂の活性、そして年齢も、生体改造を行うには打って付けの素体でね。身内や恋人がいないのであれば今日中にも移動させようと思っていたのだが、恋人がいるのであれば話は変わる。君に、彼を改造する許可をもらう必要がある」 「生体…改造?」 「そうだ。この国ではそれほど魔法文化は発展していなかったようだから、知らないのも無理はないがね。生体改造手術を受ければ、君の恋人は手足が再び生え左目も光を取り戻す。その代償として魂を、つまりは自我を失うことになるが、兵士としての性能は格段に上がる。それに乗じて階級も上がるだろう。そうだな…少尉程度には上がるはずだ。任務を終えたら、彼の心である魂を返すことを約束しよう」 「本当に、アレクセイが元に戻るんですか?」 「戻るとも。もっとも、そのためには材料も必要だがね」 医師の笑みは不気味なほど明るかった。エカテリーナは、アレクセイを思い切り抱き締めた。 「やりましょう、アレクセイ!」 「では、後で書簡に必要事項を記してもらおうか。上に報告しなければならないからな。それと、カラシニコフ二等兵の意志も確かめておかなければならん」 医師の目線が、人形のように抱かれているアレクセイに向いた。アレクセイは唇を動かしたが、声は出なかった。 医師の明るく冷たい笑みと、エカテリーナの異様に高揚した笑みが右目に映る。アレクセイは、必死に身を捩る。 声を出そうとするも、爆風で焼けた喉からは掠れた息しか漏れなかった。指を紙に向かわせるも、届かなかった。 「了承、と判断して良いな」 医師の態度は至極穏やかだったが、その目には有無を言わせぬ迫力が込められていた。 「お医者様」 エカテリーナは頬を緩め、至福の笑みを零した。 「その手術、私も受けさせて下さいませんか?」 「君は健康体だろう。その必要はないと思うがね。だが、損傷の少ない素体の手術例はまだ少なかったな」 医師は品定めをするように、エカテリーナを見下ろした。エカテリーナは、アレクセイの頬に頬を寄せる。 「アレクセイが軍隊で偉くなってしまったら、私はアレクセイと会えなくなるでしょう? だから、私も同じ仕事をしたいんです。アレクセイと一緒にいられるんだったら、どんなことだって出来ます。命だって惜しみません」 「その言葉に二言はないかな」 「ありません」 結婚の誓いをしている気分で、エカテリーナは頷いた。またアレクセイから離れてしまうのは耐えられなかった。 愛するアレクセイの傍にいるためなら、どんなことも出来る。アレクセイさえ隣にいれば、どんなことだって怖くない。 アレクセイはなんとか声を出そうと腹に力を込めたが、咳き込んでしまった。エカテリーナは、彼の背をさすった。 アレクセイの体が元に戻れば、また子供も出来るはずだ。任務さえ終わらせれば、二人きりの暮らしに戻れる。 欠けていた日常も元に戻り、再び明るく楽しい日々が始まる。エカテリーナはうっとりしながら、未来を夢想した。 翌日、二人は連合軍の蒸気自動車に乗せられ、基地へ移送された。そこで魔力出力や耐性の計測を行った。 魔導師や医師が使う魔法陣や魔法の言葉はエカテリーナの知らないものばかりで、なんだか楽しい気分になった。 計測の結果、アレクセイもエカテリーナも生体改造手術を行うために充分な魔力出力と魔力耐性を持ち得ていた。 改造する前に体に魔力の扱いを染み込ませておく必要がある、と言われて簡単な魔法の成し方も教えてもらった。 アレクセイと一緒に出来ないのが残念だったが、エカテリーナは覚え立ての魔法を振るって共和国軍を砲撃した。 飛行船の船内から地上の歩兵部隊を撃っただけだが、自分の力で地面が爆ぜて人が吹き飛ぶ様は楽しかった。 アレクセイにもこの楽しさを教えてやろうと思い、アレクセイの枕元で喜々として語った。彼も楽しんでくれただろう。 そして、一通りの魔法と魔力の扱いを教え込まれたエカテリーナは、アレクセイと共に魔導技術研究所に移った。 最初にエカテリーナとアレクセイの魂の摘出手術を行ったのだが、その際に地下の魔導球体で事故が発生した。 魔導球体の内部に魔力と共に蓄積していた人造魔物の残留思念が暴走し、アレクセイの魂を弾き飛ばしたのだ。 幸い、魔法に長けた者が多かったので残留思念の暴走は鎮圧されたが、アレクセイの魂が戻ることはなかった。 魔導鉱石に移植されたのはエカテリーナの魂だけで、手術を終えてすぐに魔導球体に入れられ、封印を施された。 後で他の魔導兵器に移植出来るかもしれない、というのが理由だった。事実、他の基地でも研究はされていた。 生体魔導兵器とは根本的に違う機械仕掛けの魔導兵器が三体造られていて、そのうちの一体は女性型だった。 実験用に入手した魔物族の魂の移植を失敗した場合の予備として、エカテリーナの魂は魔導球体に保存された。 改造手術は無事に終わり、生体魔導兵器となったエカテリーナはアレクセイと共に連合軍少尉の地位に就いた。 当初の任務は、連合軍に取り入って暗躍を始めた特一級危険指定国際犯罪者、グレイス・ルーの暗殺だった。 それから派生してロザリア・ルーとヴィクトリア・ルーの暗殺、魔導兵器のレベッカ・ルーの破壊も任務となった。 エカテリーナの魂は肉体から遠く離れていたが、肉体と魂は思念で繋がっているので、外を見ることが出来た。 自分の意識の外で戦い続ける自分の体を見るのは不思議だったが、圧倒的な破壊力を持つ自分は素敵だった。 それ以上に、アレクセイが素晴らしかった。元の精悍な姿を取り戻しているだけでも素敵なのに、とても強かった。 正に、生きた兵器だった。以前にも増して魅力的になったアレクセイと暮らせるようになるのが、楽しみだった。 ブリガドーンでの戦いで二人はの任務を終えるはずだった。だが、娘のヴィクトリア・ルーだけ逃がしてしまった。 あれさえ殺せば、アレクセイとエカテリーナの任務は終わる。任務さえ終われば、二人だけの日々が戻ってくる。 連合軍の上官も二人を改造した医師も、それを約束してくれた。だから、エカテリーナは戦わなければならない。 彼との幸せを得るために。 四肢に漲る力が、心地良かった。 胸部に埋まる魔導鉱石は心臓の鼓動に合わせて光を点滅させ、増幅された魔力が指先まで流れ込んでいく。 足元に散らばる骨片や千切れた人皮、毛髪、血液、体液、髄液が、剥き出しの組織に触れると吸い込まれる。 それらが蛋白質に変換され、体組織を再生させていく。弛んだ皮膚が張り、柔らかな脂肪が胸や尻に蘇ってくる。 骨と筋だけだった右腕に脂肪と皮膚が戻り、爪も生える。顎だけだった頭蓋骨が戻り、皮が張り、髪が伸びる。 両耳、鼻、眼球、瞼、唇、歯が造られ、人の顔になる。再生したばかりの瞼を瞬きさせると、視界がはっきりした。 上部が割れた球体の中に、戦闘服姿の男とネコがいた。大量の瓦礫が丸く退けられ、魔法陣が出されていた。 見覚えのある、五芒星の魔法陣だった。足元から這い上がる魔力は熱かったが、頭上では雪がちらついていた。 いつのまにか、冬になっていたらしい。だが、共和国の冬は、大国の厳しい寒さに比べたら春先のように軟弱だ。 「…ここは」 出来たばかりの喉を震わせ、声を出した。 「魔導技術研究所でやんすよ。もっとも、見る影もありやせんがねぇ」 白いネコはすっと立ち上がると、瓦礫を身軽に飛び越えて五芒星の魔法陣に近付いた。 「お目覚めですかい、エカテリーナ」 「今までのことは覚えているわ。私は、ギルディオス・ヴァトラスの魔導拳銃で吹き飛ばされて、それで…」 エカテリーナは意志の宿った目を動かし、無表情に立ち尽くす彼を見定めると、とろりと顔を緩めた。 「アレクセイが、私を助けてくれたのよね?」 「ええ、そうでやんすよ。よござんしたねぇ、エカテリーナ」 茶化すように笑い、ヴィンセントは二本の尾を振る。エカテリーナは歓喜し、アレクセイに駆け寄る。 「愛しているわ、アレクセイ! 本当に素敵だわ、あなたって人は!」 エカテリーナはアレクセイに噛み付かんばかりに荒く口付けをし、裸の腕を伸ばして抱き締めた。 「エカテリーナを再生させる材料の死体の調達はちょいと面倒でやんしたが、アレクセイがこの寒い中を飛び回ってくれやしたからねぇ。それなりに肉付きのええのじゃねぇですと、再生の具合が悪ぃでごぜぇやすからねぇ」 ヴィンセントは雪が積もった魔法陣の上を歩き、小さな足跡を点々と付けた。 「お二方には、まだ大事な任務が残っちょるからこそ再生して頂いたんでやんす。ですが、ブリガドーンでの戦闘でエカテリーナが受けた損害は結構ひどいもんでしてねぇ。肉体の自己修復機能はちゃあんと機能するんでやんすが、人造魔力中枢機関、つまり胸の魔導鉱石なんでやんすが、それがちょいとダメになっておりやしてねぇ。眠っていた魂を掘り出して入れたのも、損傷部分を補うためなんでやんすよ。アレクセイも、グレイス・ルーの魔法攻撃でちょいと人造魔力中枢をやられちまいやして、こっちもまた手酷くやられると危ねぇんでやんすよ。だから、そこんところを気に掛けて戦って下せぇな」 「うふふふふぁはははははは、あはふふはははははは」 「聞いてねぇんでやんすか…」 ヴィンセントは上擦った笑い声を漏らすエカテリーナに呆れて、耳をぺたりと伏せた。 「まあ、大事な点だけを忘れなきゃええですぜ。お二人の任務は、ヴィクトリア・ルーの暗殺なんでやんすからね」 「ふはぅふははははぁ」 アレクセイの首に腕を回し、エカテリーナはとろけた眼差しで男を見つめた。 「ねえアレクセイ、私、幸せよ。だって、あなたが傍にいるんだから、あは、あふぁはひゃははははは」 寒空に、理性の外れた笑い声が響き渡る。ヴィンセントは白けた気持ちで、男に縋る裸身の女を見つめていた。 女の我が侭で死なせてもらえなかったアレクセイを哀れに思う時もあったが、彼は同情に値するような男ではない。 実の妹だと解った上でエカテリーナを手込めにした事実は消えないし、その挙げ句に孕ませたのだから大罪だ。 また、二人が実の兄妹だと告げることなく一つ屋根の下で暮らさせていた父親にも、多少なりとも非はあるだろう。 だが彼女は、邪魔だと感じたからというだけで父親の頭を叩き割り、兄であり恋人である男の人生を狂わせた。 一番悪いのは、他でもないエカテリーナだ。彼女の望む幸せとは、彼女だけが幸せな世界でしかないようだった。 傍から聞いていても、エカテリーナの話は自己中心的だった。アレクセイの意志を、欠片も汲んでいないのだから。 それは恋愛ではなく、ただの依存だ。何度もその言葉が喉から出かかったが、出したら殺されるので飲み込んだ。 この二人との付き合いも、もうすぐ終わるだろう。ヴィンセントは顔を上げ、雪が吹き込んでくる天井の穴を仰いだ。 今頃は、ゼレイブにも雪が降っていることだろう。 幸せの形は、人それぞれに違っている。 限りがあるからこそ必死に求め、掴み取り、手の中に握り締める。 だが、それを握り締めすぎたばかりに、幸せそのものが歪んでしまうこともある。 歪んだ幸福ほど、美しく見えるものなのである。 07 10/19 |