先頭を駆けるのは、アルゼンタムだった。 足場の悪い雪原を物ともせずに、骨のような形状の長い足を素早く動かして弾丸のように突き進んでいった。 その後ろにはルージュとブラッドが平行して飛行し、雪原に立ち尽くしているアレクセイへと真っ直ぐ向かっていく。 アレクセイの足元からは、再び骨の砲身が突き出してきた。三人に砲口を据えると、溜めずに撃ち出し始めた。 先程の巨大な砲撃に比べれば威力は劣るものの、その分速度があった。三人は散開して、魔力弾を回避した。 アルゼンタムはいつものように飛び上がることはせず、出来る限り身を低くして砲台の根本へ突っ込んでいった。 素早く砲台の根本へ爪を立てて切り裂き、次から次へと倒していくが、その傍から新たな砲台が生えてきていた。 一方、空を往く二人は追撃してくる魔力弾の連射を回避しながらも、砲撃の中心であるアレクセイを目指していた。 だが、近付こうとしても的確な砲撃に阻まれ、上手く接近出来ない。ルージュの砲撃を溜める隙も与えてくれない。 ブラッドはルージュと適度な距離を保ち、懸命に回避を続けた。必死に目を動かして、アレクセイの隙を探した。 けれど、アレクセイは砲撃の威力も速度も弱まらず、再生能力も未だに衰えておらず、次々に砲身を造り出す。 やはり、相手を消耗させるしか勝ち目はないらしい。ヴィクトリアの読みが当たっていることが、少しだけ癪に障る。 エカテリーナの方はレオナルドが善戦したおかげで再生能力が鈍っているようだが、こちらはまだまだ元気だった。 ブラッドは真横から薙ぎ払うように放たれた魔力弾を避けて上昇し、こちらに接近してきたルージュに目を向けた。 ルージュはブラッドの傍で制止すると、左腕の砲身に魔力を溜めながらもアレクセイの周囲を見渡し、舌打ちした。 「奴の懐に入らなければ、埒が明かない」 「あっちが消耗するのを待っているんじゃ、そのうちオレらは撃ち落とされちゃうしなぁ」 それだけはごめんだ、とブラッドは急降下して移動しながら、すぐ隣を同じ動きで飛ぶルージュに向いた。 「うかかかかかかかかかかかかかかかかか!」 真正面に生えてきた砲身を切り、更に左右に生えた砲身を倒しながら、アルゼンタムは笑った。 「セイゼイ頑張りヤガレェエエエエエエエ、オイラは地上で手一杯ダカラナァアアオゥイェー!」 ウォウ、とアルゼンタムは素っ頓狂な声を上げて跳ねると、体の真下から生えてきた太い砲身に爪を立てた。 芋虫に酷似した気味の悪い砲身に銀色の爪が食い込み、縦に五本の線が走る。爪が抜けると、砲身は割れた。 だが、割れた傍から次の砲身が現れる。アルゼンタムはアレクセイの前に進もうとするも、砲身に邪魔をされる。 周囲への被害を考慮しないのであれば砲身を全て振り切って突っ込むのだろうが、そういうわけにもいかない。 息子とその恋人を撃ち落とされては戦闘に支障を来すし、ゼレイブに被弾する可能性もないわけではないのだ。 ゼレイブ全体を包み込んでいる魔力の蜃気楼は、戦闘に備えて多少強化したが、元々強度の強い魔法ではない。 魔法を成す際に魔法攻撃と物理攻撃を弾く機能は備えたが、先程の巨大な砲撃に耐えられるほどではなかった。 もう一度あれを造られ、至近距離から撃ち込まれたら最後だ。ゼレイブだけでなく、その周囲も焼け野原と化す。 そうなれば、何もかもが無に帰す。アルゼンタムは理性の飛んだ思考であっても、そのことだけは忘れなかった。 切り倒した砲身を足場にして、力を込めて蹴った。雪原よりも遥かに力が入った。他の砲身も蹴って加速する。 ばたばたと風を切って鳴る魔導金属糸製のマントに魔力を込めて硬直させ、滑空翼として開き、低空で飛行する。 速度を落とさないように気を配りながら両手両足の爪を振るい、砲身を余さず切りながら本体のアレクセイを狙う。 普段なら一瞬よりも短く感じる移動時間が、やたらと長く感じる。近いはずのアレクセイとの距離も、妙に遠かった。 銀色の仮面に撥ねた日光が目に入り、視界を狭める。アルゼンタムは腕を広げ、渾身の力で切った砲身を蹴る。 「うけけけけけけけけけけけけけけけ!」 挑発と陽動を兼ねた叫声を放ちながら、アルゼンタムは至近距離に迫ったアレクセイへと鋭利な爪を伸ばした。 その切っ先がアレクセイの頭部へ向かい、目を抉ろうとしたその瞬間であってもアレクセイは微動だにしなかった。 が、次の瞬間、アルゼンタムの銀色の手は真下から突き上げられた。次に、頭、胴体、足も強い力で弾かれた。 勢いを殺され、姿勢の均衡を失ったアルゼンタムが後方へ倒れ込もうとしたが、その背は雪ではなく骨に触れた。 硬い物と硬い物が衝突し、鈍い音を出す。アルゼンタムが振り返るよりも先に、背の下から熱と閃光が溢れた。 そのまま、砲撃の直撃を喰らった。アルゼンタムの体重の軽い体は砲撃で空高く飛ばされ、ぐるりと一回転した。 そこへ、もう一撃加えられた。真昼の日差しよりも鮮烈な太い光が銀色の骸骨を包み込み、その影が消え失せた。 「父ちゃん!」 ブラッドは動揺し、撃ち上げられた父親へ叫んだ。大出力の光線が途切れても、父親から反応は返ってこない。 素早く飛び出したルージュが、雪原へ落下していくアルゼンタムを受け止めたが、銀色の骸骨は脱力していた。 全身がひどく過熱して、関節の潤滑油が燃えて薄く煙が漂っていた。魔導鉱石は無事だが、それ以外は重傷だ。 「おい、ラミアン! しっかりしろ!」 ルージュがアルゼンタムを揺さぶると、銀色の骸骨は潰れた声を漏らしながら仮面を付けた顔を動かした。 「コンチクショオオオオ…。オイラとしたことガァアアア、馬鹿鳥と同じヘマ、ヤッチマッタァゼェエエエエエ…」 「動けるか?」 「ソイツァ無理ダァアアアアア…。神経の糸が何本か飛ンジマッタァアアア…」 アルゼンタムはぎぢぎぢと嫌な軋みを立てる腕を上げ、爪先で仮面を剥がし、ルージュに渡した。 「後ハァ、テメェラでナントカシィヤガレェエエエエ…」 「解った。お前は一旦下がれ、私達で何とかする」 ルージュは頷き、加速した。一瞬にも等しい時間でレオナルドらが守る後方に来ると、アルゼンタムを横たえた。 二人に彼を任せてから、仮面を持って再び加速してブラッドの元へ戻る。仮面には、かなりの熱が籠もっていた。 ブラッドは父親の仮面を凝視していたが、ルージュの手から父親の仮面を取り、地上に立つアレクセイに向いた。 「よくもオレの父ちゃんを落としやがったな」 ブラッドの目は据わり、怒りが漲っていた。 「フリューゲルだけならまだしも、アルゼンタムまで落とすとはな」 ルージュは左腕の砲身に込められるだけの魔力を注ぎ、右腕の刃に纏わせた光の刃の幅を広げ、強化させた。 「ルージュ、先行け。援護する」 ブラッドは父親の仮面を被り、表情を消した。めき、と背中から生えた翼が震え、骨が太く、皮が厚くなっていく。 「ブラッド。気持ちは解るが、怒るのは後回しにしておけ」 「解ってるって」 ルージュの忠告に、ブラッドは仮面の下で口元を歪めた。もっとも、自制がどこまで効くかは自分でも解らない。 銀色の獣への変化はしてはならない。あれは強烈な力を引き出すが、その弊害として理性が飛んでしまうのだ。 この状況で前後不覚に陥ることは、死を意味している。ブラッドは太さを増した牙を剥き、拳を強く握り締めた。 ルージュはやや不安げな顔をしていたが、滑るように下降した。アレクセイからは、また砲撃が注がれてきた。 ルージュは光の刃で魔力弾を跳ね飛ばしながら回避し、アレクセイへと向かうも、やはり距離が狭められない。 あと一歩で近付ける、というところで障害物として新たな砲身が出現したり、出力の高い砲撃が放たれたりする。 ブラッドは翼を縮めて、急降下した。ルージュと対角線上になる位置に降りると、両手に魔力を注いで高めた。 ルージュが砲撃を放つと同時に、それよりも威力は低いが魔力弾を放った。一刻も早く、敵を消耗させなくては。 ブラッドが思念を用いてルージュにそれを伝えると、ルージュはブラッドの意図を把握して動きを合わせてきた。 思念を強めて感覚も繋ぎ合わせると、二人の動きも重なる。ブラッドが魔力弾を撃てば、ルージュも同時に撃つ。 上空から見下ろせば、お互いを鏡に映したかのような戦いだった。アレクセイを中心に、二人は揃って戦った。 雪の積もった地面から無数に生える触手じみた骨の砲身を蹴り、叩き潰し、撃ち抜き、骨の破片を雪原に撒く。 絶え間なく放たれる魔力弾を避けながらも、お互いの姿を常に視界へ収め、視線を合わせて呼吸も揃えていた。 ブラッドは雪に足を擦り付けながら速度を殺し、仮面の下で唇を広げた。アレクセイの動きが、少し鈍っている。 途端に足元が蠢き、土を撒き散らしながら新たな骨の砲身が出現したので飛び上がると、ルージュも上昇した。 精一杯翼を動かして空気を叩き、上昇する。それに追いつこうと骨の砲身も伸びるが、速度が遅くなっていた。 ひっきりなしに魔力砲撃と分裂増殖を繰り返していたため、魔力が減少してきたのだ。これならいける。勝てる。 ブラッドは足に食らい付こうとする砲身に魔力弾を叩き込み、内側から粉砕してから、深く息を吸い込んだ。 右手を突き出し、左手で腕を支える。ルージュもまた左腕の砲を構え、魔力を砲へと注ぎ込んで充填していく。 「出力!」 ブラッドは右腕が痺れるほど溜めた魔力を、ルージュと同時にアレクセイへ撃ち込んだ。 「最大!」 今の自分が出せる最大限の力で魔力弾を放った反動は思いの外強く、ブラッドは後退しそうになってしまった。 翼を広げて羽ばたき、堪える。ブラッドの右手とルージュの左腕から溢れた魔力弾は、アレクセイに向かっていく。 アレクセイは顔を上げて、足元から無数の骨の砲身を生えさせると、砲身を平らに変化させて一斉に展開した。 それらを自分自身に重ねて繭のような防御壁を造り、二人の放った荒々しい魔力を受け止めると、弾き飛ばした。 骨で出来たいびつな鎧には薄い焦げ跡しか残らず、ヒビも入っていない。二人は舌打ちし、再度魔力弾を撃った。 しかし、またもや通じず、鎧を貫けなかった。ブラッドは息を荒げながら策を練ろうとしたが、何も思い浮かばない。 ルージュの思念にも、焦りが垣間見えている。自分はともかく、彼女の砲撃が通じないのだから余程のことだ。 背後を窺ったが、ギルディオスとヴィクトリアはエカテリーナと戦っており、レオナルドとピーターは援護している。 こちらに戦力を回せる余裕はない。また、増援を呼ぶ時間もない。しかし、いずれブラッドとルージュは力尽きる。 この勢いを保ったまま進めればいつか押し切れるだろうが、ブラッドもルージュも魔力の上限というものがある。 それを越えてしまえば魔力中枢と魂が爆ぜ、死んでしまうだろう。相打ち、という言葉も頭を掠めたが、振り払った。 死んでしまっては何の意味もない。戦いは、勝利して初めて戦った意味が生まれるのであり、敗北は無意味だ。 ふと、ルージュは顔を上げた。ブラッドもそれに気付いた。アレクセイの周囲の地面から、低く地鳴りがしている。 何が原因だ、と戦況に気を向けながら目を動かすと、唐突に地面が吹き飛んだ。だが、砲撃は加えられていない。 アレクセイが包まれた骨の鎧を囲むように、爆発が続く。爆風には、雪だけでなく骨の破片と土も混じっていた。 足跡や砲撃の後が残る雪面がぼこぼこと盛り上がり、進む。それが通り過ぎた後に、爆発が起きているようだ。 モグラが地中を進んだような痕跡だが、やたらと動作は速かった。雪面を隆起させながら、その何かは猛進する。 アレクセイの骨の鎧へ近付いた時、その隆起が消えた。すると、球体の骨の鎧が、急に真下から持ち上げられた。 「オレ様ぁあああっ!」 雪と土にまみれた鋼鉄の鳥人が、両手で骨の鎧を担ぎ上げていた。 「超絶究極激烈最大復活なんだぜこの野郎ー!」 「フリューゲル!」 ブラッドは歓喜し、彼の名を呼んだ。フリューゲルは浮上すると、球体の骨の鎧を高々と放り投げた。 「くけけけけけけけけけけけけけけけっ!」 「これならいけるぞ!」 ルージュは両の拳を握り、加速して発進する。ブラッドは、彼女を追う。 「空中なら、不意打ちも出来ねぇからな!」 「どうだすげぇ考えだろ、オレ様を褒めやがれってんだよこの野郎ー!」 フリューゲルは得意げに笑いながら、表面に骨の砲身を生やしてイガに似た姿になった骨の鎧の下に回った。 「お前にしては上出来だ!」 ルージュはブラッドと向かい合う位置に来ると、素早く砲撃した。棘のように細い砲身は脆く、呆気なく貫けた。 ブラッドもまた、乱射するように魔力弾を散らした。手から撃つのは手間が掛かるので、小さな魔力弾を成した。 手を振り下ろすと、ヴィクトリアが行った砲撃のように降り注ぎ、骨の鎧を砕いた。そのうち、一発が貫通した。 フリューゲルは地上へ落下しそうになる骨の鎧へ魔力弾を乱れ撃ち、再度高く上昇させてから両翼を展開した。 「行くぜ行くぜ行くってんだぞこの野郎ぉおおおおっ!」 フリューゲルは翼に炎を纏わせると、骨の鎧の穴の空いた部分に突っ込んだ。 「炎嵐!」 光に追いつかんばかりの速度まで加速したフリューゲルの頭突きは、骨の鎧を簡単に砕くほどの威力があった。 骨の鎧の内側には、下半身を骨の鎧と同化させていたアレクセイがいた。フリューゲルは、迷わずそれに向かう。 上半身を捻って炎を纏った翼でアレクセイの首を飛ばし、胸を真っ二つにし、骨の鎧と結合した下半身を切った。 汚れた血に濡れた胸元に埋まっていた魔導鉱石を捻り取り、フリューゲルは先程開けた穴から外へと脱出した。 フリューゲルが骨の鎧から脱すると同時に、ルージュとブラッドは残された魔力を振り絞って骨の鎧を攻撃した。 主を失って魔力も失った骨の鎧は、枯れ木のように軽く砕け、燃え出した。雪原に落ちる頃には、灰と化していた。 肉片も少しあったが、再生しなかった。フリューゲルの手中に握られた紫の魔導鉱石も輝きを失い、割れている。 「それ、貸してくんね」 ブラッドが手を出すと、フリューゲルはブラッドへと投げ渡した。 「ちゃんと壊せよこの野郎」 「当たり前だろうが」 ブラッドは仮面を外すと、尖った部分を魔導鉱石に叩き付けた。度重なる再生で劣化した石は、呆気なく砕けた。 さすがにフリューゲルも疲れたらしく、あうー、と変な呻き声を上げた。ブラッドは父親へと、仮面を振ってみせた。 魔力の蜃気楼の付近に座り込んでいるアルゼンタムは、骸骨に酷似している素顔で、息子へと頷き返してくれた。 ルージュは小さくため息を零すと、右腕の刃に纏わせていた光の刃を消して折り畳んでから、ブラッドに向いた。 ブラッドは戦闘で熱を帯びているルージュの肩へ腕を回して、引き寄せた。そして、もう一方の戦闘を見下ろした。 あちらの戦いも、そろそろ収束しそうだった。 エカテリーナは、笑っている。 耳障りな甲高い笑い声は止まることはなく、右腕が切られても笑い続けていた。意識など、飛んでいるのだろう。 右腕を再生しようとしたらしいが、傷口から吹き出てきた肉と骨は形を保てずに崩れ、ぼろぼろと零れていった。 零れた肉片へ、瞬時に炎が走った。レオナルドの援護射撃は寸分の狂いもなく、肉片を全て焼き尽くしていた。 ギルディオスはエカテリーナの血に汚れたバスタードソードを握り締めていたが、足腰の弱りを改めて実感した。 前のように、強引な踏ん張りが効かない。先程の斬撃も、少し前だったら腕だけでなく胴体まで斬れていたのに。 それが今はどうだ。腕しか切れないとは、情けなくて涙が出そうだ。彼女を守っているのではなく、守られている。 だが、幸いヴィクトリアはそれに感付いていないようだし、再生能力の落ちたエカテリーナであれば勝ち目はある。 「うふはふはああうはえへはへははははは」 エカテリーナは左右へぐらりと体を揺らしながら、つま先の折れた足を引きずって歩いた。 「あれくせぇ、あれくせい、あれくせいいいいいいいいいい」 ヴィクトリアはバルディッシュの穂先で地面を付いて支えにして浮き上がり、エカテリーナの頭上へと移動した。 ヴィクトリアは前転するようにバルディッシュを振り下ろし、エカテリーナの頭部を縦断しながら降下していった。 ギルディオスはすかさず駆け出して剣を振り、縦断されたエカテリーナの胴体を横断して、四分割に切り裂いた。 だが、ずるりと身が崩れる前にエカテリーナは傷口を繋ぎ合わせた。醜悪な傷が付いた頭を揺らしながら、笑う。 「あへはあうははははははははは」 エカテリーナは爪を伸ばした手を出したが、すぐさまヴィクトリアのバルディッシュが手首を切り落とす。 「遅くってよ」 「大分ガタが来ている。これなら勝てる」 レオナルドは切り落とされたエカテリーナの手首を焼き尽くし、額に滲んだ脂汗を拭う。 「頑張って下さい、少佐!」 アルゼンタムを守るように立ちはだかり、ピーターはギルディオスの背に声援を送った。 「おうよ!」 ギルディオスは重心を動かしてエカテリーナの背後に回り、その治ったばかりの腰へ向けて剣を振り抜いた。 背骨と骨盤が割れ、不完全な内臓が飛び散る。正面にいたヴィクトリアはその血飛沫を浴びても、動じなかった。 頬に付いた血を拭わずに駆け出したヴィクトリアは、ギルディオスが下がった瞬間にバルディッシュを横に振る。 身長が低いために斬撃の位置も低く、ヴィクトリアが切ったのはエカテリーナの腰ではなく足の付け根付近だった。 右の太股を付け根から切り離されたエカテリーナはよろけ、転倒した。残った左足と腕で、立ち上がろうとする。 そこへ、ヴィクトリアはバルディッシュを叩き込んだ。ギルディオスも首を真横から切り落とし、蹴って転がした。 それをレオナルドが焼き、一塊の灰にした。ヴィクトリアはエカテリーナの両肩を分断させて、両腕を落とした。 右の太股は最早再生出来ないため、傷口からはうねうねと気味悪く動く肉片が出ていたが、それも切り捨てた。 「後は、私一人でも出来るのだわ」 ヴィクトリアはエカテリーナの腹部に、刃を叩き込んだ。 「だがな」 ギルディオスが懸念を示すも、ヴィクトリアはエカテリーナの崩れた腹部にバルディッシュをねじ込み、切った。 「こんなものが、私を殺せると思って?」 「思うね。最後の最後まで油断しちゃならねぇんだよ、戦いってのは」 ギルディオスはバスタードソードを上げ、その切っ先をエカテリーナの魔導鉱石に向けた。 「これ以上長引かせると面倒だ。片付けちまおうぜ」 「ええ。少し、飽きてきたのだわ」 ヴィクトリアも、エカテリーナの魔導鉱石へ血と脂で汚れたバルディッシュの切っ先を向けたが、顎が上がった。 首が後ろから引っ張られている。何をされた、とヴィクトリアが振り向こうとすると、ピーターが心苦しげに叫んだ。 「すまない、ヴィクトリア!」 首の後ろで、長い髪が千切れる。髪の重みが失せると引っ張られている感覚も失せ、頭の自由が戻ってきた。 振り向くと、ヴィクトリアの千切れた三つ編みが肉片に握られていた。エカテリーナの左足から生えた手だった。 ピーターは、本当にごめん、と謝罪を繰り返している。どうやら、ヴィクトリアは三つ編みを掴まれていたようだ。 彼はそれを念動力で切り、助けてくれたのだ。ヴィクトリアは苦い思いを感じたが、これは油断した自分が悪い。 エカテリーナの歪んだ手のひらに口が出来、三つ編みをずるりと飲み込んだ。すると、ごぼ、と傷口が沸騰した。 ヴィクトリアとギルディオスが飛び退くと、エカテリーナは起き上がった。頭を再生させ、腕も足も腹も再生する。 ヴィクトリアの髪を喰い、再生するための材料にしたようだった。エカテリーナは女の姿に戻り、立ち上がった。 「あんたの髪ぃ、不味い」 エカテリーナはでたらめに伸びた髪を揺らしながら、ヴィクトリアに向く。 「でも、これで、わたしは」 ヴィクトリアへ踏み出したつま先が、真下から貫かれた。ぎゅるぎゅると回転しながら、白いものが伸びていく。 エカテリーナはつま先を引き抜こうと足を上げたが、背後からもそれは十数本も突き出し、背中から胸を貫いた。 胸を迫り出したエカテリーナは、それに持ち上げられた。アレクセイが操っていた骨の砲身と、全く同じものだった。 エカテリーナは、何が起きたのか解らない、という顔で、胸の皮を破って飛び出している血塗れの突起に触れた。 「あ、れぇ?」 アレクセイは死んだはずだ。肉体は完膚無きまでに砲撃され、魔導鉱石も砕かれ、意志もなくなっているはずだ。 ならば、この骨は一体何なのだ。皆が呆気に取られている間に、エカテリーナを貫く骨の槍は次々に生えてくる。 背後だけでなく、正面から胸、腹、両腕、両足、頭部までもを貫き、槍にはエカテリーナの血が伝って流れていた。 「あ、あれ、あれぇえええ、あれくせい、あれ、くせい?」 エカテリーナは骨の槍に両手を破られながらも、アレクセイを求めて指を蠢かせる。 「なんで、なん、で、どうし、てぇえ?」 「ヴィクトリア」 ギルディオスが戸惑いながらヴィクトリアに向くと、ヴィクトリアは感覚を高め、感じ取った。 「アレクセイの魂は最初からなくってよ。けれど、この骨を操っているのは間違いなくアレクセイの思念なのだわ」 「どういうことだ?」 ギルディオスが訝ると、一際太い骨の槍が出現し、エカテリーナの胴体を真っ二つに割りながら成長していった。 上半身と下半身に分断されたエカテリーナが転げ落ちると、その二つにも新たな槍が向かい、前後左右から貫く。 エカテリーナの表情は驚愕で固まり、槍に壊されて半分以上が砕けた顔には、絶望が色濃くこびり付いていた。 ふと、ヴィクトリアは懐かしい感覚を感じ取った。馴染み深く、愛おしささえ込み上げてくる気配がすぐ近くにある。 視線を巡らすと、その根源は特に太い骨の槍だった。なぜ、とヴィクトリアが考えていると、骨の内側から声がした。 「死んでくれ、エカテリーナ」 後悔と懺悔、そして憎悪が込められたアレクセイの声だった。骨の槍は膨らみ、エカテリーナを吹き飛ばした。 その瞬間、醜悪な断末魔が響いた。エカテリーナの骨という骨は、死ぬほど愛した男の骨で粉々に砕かれた。 潰れた眼球も崩れた脳髄も爆ぜた内臓も、骨の槍に壊された。女だったものは、最後には生臭い液体となった。 出来の悪いスープのような赤黒い体液の海に、制御を失ったために白い粉となった骨の槍が降り積もっていった。 雪よりも重たく、黄色っぽい粉が積もった。骨の粉の中にエカテリーナの魔導鉱石が転げたが、再生しなかった。 「これはきっと、お父様の呪いだわ」 ヴィクトリアはバルディッシュを足元に突き刺すと、ベルトに差し込んでいた母親の拳銃を抜いた。 「きっと、お父様はこれと交戦した時に呪いを仕掛けたのだわ。魂を持たない生体魔導兵器へ呪いを掛けるために、魔力を凝固させた擬似的な魂を造り出す呪いを施したのだわ。けれど、お父様はそれを活用する前に…」 「グレイスめ。味な真似をしやがって」 ギルディオスはバスタードソードを下ろし、ヴィクトリアに背を向けた。 「後始末はお前の仕事だ、ヴィクトリア」 「言われなくても、解っていてよ」 ヴィクトリアはエカテリーナの魔導鉱石へ銃口を据えると、慣れた仕草でハンマーを起こし、引き金を絞った。 銃声と共に一発目が貫通し、魔導鉱石に無惨な穴が開いた。ヴィクトリアは躊躇うことなく、弾倉を回転させた。 二発、三発、四発、五発、六発。鉛玉を全て撃ち込まれた魔導鉱石は完膚無きまでに砕け、硝煙が薄く漂った。 「ねえ」 熱を帯びた拳銃を下げたヴィクトリアは、血飛沫が貼り付いた頬を拭った。 「お父様とお母様は、私を褒めて下さるかしら」 「きっとな」 ギルディオスは振り向かずに、ヴィクトリアへと手を差し伸べた。 「帰るぞ、ヴィクトリア」 「あなたは、私を褒めてくれないの?」 「相手が何であれ、理由がどうであれ、人殺しは人殺しだ。褒められることでもねぇし、誇れることでもねぇ」 「そうね。そうなのだわ」 ヴィクトリアは、ギルディオスの冷え切ったガントレットに手を重ねた。 「けどよ」 ギルディオスはヴィクトリアの血塗れた手を握り締め、そして振り返った。 「お前が頑張ったってことは、オレが誰よりも知っている。それだけは確かだ」 ヴィクトリアは手を引かれ、歩き出した。今ばかりはギルディオスに抗う気も起きず、足を前に進めていった。 エカテリーナの返り血を吸った服が重たく、手足に鋭い痛みが走り、自分も負傷していることにやっと気付いた。 ブリガドーンでの戦いの後から燻っていた戦意と殺意を全てぶつけ、憎悪の相手を滅ぼした達成感はあった。 だが、それ以上の空しさも感じていた。家族の死を現実として受け止めた時のような、やるせなさが広がった。 きっとそれは、戦いが終わったからだ。誰にも等しく死が訪れるように、物事にもいつか必ず終わりが訪れる。 一時ばかり戦場となった雪原から、ゼレイブを包む魔力の蜃気楼の内側に入り、ヴィクトリアは立ち止まった。 手を離したギルディオスが屈んでヴィクトリアと目線を合わせてくれただけなのに、ヴィクトリアは涙が出てきた。 悲しいわけではないのに、涙が止まらない。ヴィクトリアは声を殺して肩を震わせていたが、太い腕に抱かれた。 泣け、と声を掛けられて、ヴィクトリアは何度も頷いた。子供をあやすように背中を叩く大きな手が、優しかった。 初めて、ギルディオスに素直に甘えた。 戦場は、炎に支配されていた。 ヴィクトリアはざんばらに切られたままの黒髪を掻き上げて耳に掛け、朱色に包まれている平原を眺めていた。 消毒と徹底的な殲滅を兼ねて、リリがフリューゲルと共に放った炎だ。念のため、三日三晩燃やすのだそうだ。 生体魔導兵器との戦いを終えて、丸一日が過ぎた。全身に返り血を浴びたヴィクトリアは体を洗い、食べ、眠った。 だが、神経は立ったままだったので深く眠れずに、目を覚ましてしまった。戦いの後は、なかなか落ち着かない。 外へ出れば落ち着くかもしれない、とブラドール家の屋敷を出てみたところ、ゼレイブの出口付近が燃えていた。 夕方が近付いているので空は薄暗かったが、周囲は炎で明るい。退屈凌ぎには丁度良い、奇妙な景色だった。 「もうちょっと休んだら?」 背後から声を掛けられて振り向くと、ロイズが立っていた。炎で照らされ、少年の背後には濃い影が伸びている。 「休めないのだわ」 ヴィクトリアは髪が長かった頃の感覚で肩を払おうとしたが、髪が短くなっているので何も払えなかった。 「切ったの? それとも切られたの?」 ロイズはヴィクトリアの隣に立ち、肩に触れぬ程度の長さになった後ろ髪を指した。 「切られたのだわ。まあ、油断した私がいけないのだけれど」 ヴィクトリアが不満げに漏らすと、ロイズはヴィクトリアの横顔を見上げてきた。 「ふうん」 「何よ」 ヴィクトリアがその視線を見返すと、ロイズは少しだけ笑った。 「案外似合うね」 「そう?」 「嫌なら撤回しようか」 「うるさいのだわ」 ヴィクトリアは、反射的に言い返した。ロイズは、大地を覆い尽くす炎を見渡した。 「これで、全部終わったってことだよね」 「一応はそうなるのだわ」 「少しは、いい春が来そうだね」 「ええ。少しはね」 ヴィクトリアは、ロイズに倣って炎を見つめた。春が来れば、旧王都を出た日から季節が一巡したことになる。 ロザリアが灰色の城から旅立つヴィクトリアを見送ってくれたことが、まるで昨日のことのように思い出された。 あの時は、ただ力を手に入れたかった。共和国中に散らばる禁書を奪って、より強い魔法を覚えるためだった。 だが、禁書は海に沈み、家族は死に、一度は魔法も声も失った。求めれば求めるほど、大切なものは逃げた。 ギルディオスらに支えられたおかげで声と魔力は戻ったが、家族を殺した者を殺しても家族は戻ってこなかった。 それは、充分解り切っていたはずだった。けれど、心の奥底に、幼稚な希望を少しだけ抱いていたようだった。 だから、落胆も感じていた。憎らしい敵を滅ぼしたのに、誰一人家族が生き返らないという現実がやるせない。 けれど、それでいいと思う自分もいる。現実の苦々しさが心と魂を締め上げ、甘ったれた考えを押し出していく。 外の世界へ出れば出るほど、夢や希望は潰される。物事を知れば知るほど、美しい幻想が薄っぺらくなっていく。 大人になるとは、こういうことなのだろう。ヴィクトリアは切なさと共に胸苦しさを覚えたが、薄い唇を引き締めた。 もう、涙は出なかった。 世界は広い。故に、全てが見通せるわけではない。 手の届く場所だけが世界だと信じ、生き続ければ、いずれ人は歪む。 だが、ほんの一握りの勇気を手にして、無限に広がる外界へと踏み出せば。 人は、どこまでも成長出来るのである。 07 10/24 |