ドラゴンは滅びない




血染めの凱歌



 迎撃地点は、ゼレイブと平原の境目だった。
 敵影は遥か遠くにあり、肉眼では目視しづらかったが、感覚を逆立てる威圧感は風に乗って漂ってきていた。
空気中に含まれる魔力は普段のそれよりも刺々しく、周囲の気配が殺されてしまうほど強いものがそこに在る。
 再編成されたヴァトラス小隊は、扇形に陣形を組んで立っていた。その中心には、ギルディオスとヴィクトリア。
右にはブラッド、左にはアルゼンタムと化したラミアンがおり、上空にはルージュとフリューゲルが待機している。
ゼレイブの入り口である魔力の蜃気楼の前にはレオナルドとピーターが構えており、それぞれで警戒している。
 空は晴れていても、吹き付ける風は冷たかった。だが、ヴィクトリアは眉一つ動かさずに、敵の気配を読んだ。
風に入り交じっている魔力は強く、鋭い。だが、前に感じたものよりも抑えが効いていて、流れが変わっている。
ジム・マクファーレンという脱走兵の一件で接触した時には、魂はなかったものの荒々しい魔力が溢れていた。
けれど、今は違う。明らかに魂が存在している。ヴィクトリアが訝っていると、ルージュが左腕の砲口を挙げた。

「来やがったか!」

 バスタードソードを抜き、ギルディオスは身構える。ルージュは目元を細めて遠くを見据えていたが、呟いた。

「あれは…」

「くけけけけけけけけけけけけけけ! あの裏切り野郎じゃねぇかこの野郎ー!」

 フリューゲルは高笑いし、両翼を広げて魔力を漲らせた。ルージュは砲身を下げ、フリューゲルを制する。

「待て、まだ撃つな! 状況を見極めてからにしろ!」

「ンーンンー?」

 アルゼンタムは首を前に突き出していたが、げたげたと笑い出した。

「うかかかかかかかかかかかかかかっ! 鳥野郎の言う通りダッゼェエエエーイイイ!」

「てぇことは、マジで」

 ブラッドがルージュを見上げると、ルージュは頷いた。

「アンソニー・モーガンだ」

 ギルディオスは信じがたかったが、既に見えていた。人ではない体の視力であれば、見える距離だったからだ。
ルージュの示した先、アルゼンタムの視線の先には、私情に駆られて同胞を裏切った異能者の男が立っていた。
だが、遠目に見ても解るほど様子がおかしかった。アンソニーは両腕をだらりと垂らし、虚ろな目を見開いている。
こちらに歩いてきているが、足取りもおぼつかない。平たい雪原には、ナメクジが這ったような足跡が続いている。
顔色も土気色で目の焦点も失っており、生者とは思えなかった。だが、アンソニーはこちらに向かって歩いてくる。
ギルディオスの脳裏に、魔法で蘇らされた死体の姿が蘇った。今のアンソニーは、それの状態に酷似している。
ならば、彼は生きているわけではなさそうだ。ギルディオスは指揮官に切り換えた頭で判断し、二人に命令を下す。

「ルージュ、フリューゲル、砲撃開始!」

「距離、千五百! 照準固定、出力調整完了!」

 ルージュは左腕を突き出して、照準を雪原をよろよろと歩くアンソニーに合わせた。

「ド派手にかましてやるぜこの野郎ー!」

 フリューゲルはばさりと翼を一振りすると、魔力で成した光を金属製の翼の先端で集束させた。

「発射!」

 ルージュの凛とした掛け声と同時に、ルージュの右腕の砲とフリューゲルの翼の先から魔力の閃光が迸った。
白い閃光は一直線にアンソニーへと向かい、着弾した。途端に着弾した箇所と周囲の雪原が溶け、土が現れる。
そして、土が膨れ上がり、破裂した。鼓膜を揺さぶる爆発音と共に土が舞い上がり、一足早い春の匂いを散らす。
 地表の焼け焦げた土から、蒸気で出来た白い煙が立ち上る。だが、着弾地点にあるはずの死体が消えていた。
勢い余って、吹き飛んだのだろうか。ルージュとフリューゲルが顔を見合わせると、土の破片が僅かに動いた。
 白い雪の上に散らばった柔らかく湿っぽい土が寄せ集まり、ぼろぼろと土が剥がれると、赤い肉片に変化した。
肉片は重なり合って大きな肉塊に成長すると、土に埋もれて隠れていた魔導鉱石が飛び出し、肉片に埋まった。
その後ろでもう一つの肉塊も完成し、やはり土中から魔導鉱石が現れて飛び込み、粘り気のある水音を立てた。

「アンソニーを殺して、その死体の中に隠れていやがったのか」

 その趣味の悪さに、ギルディオスは毒突かずにはいられなかった。ヴィクトリアですらも、顔を曇らせる。

「美しくなくってよ」

 手前の肉塊はほっそりとした長い足を作り、丸みを帯びた胴体が生まれ、細長い腕が伸びていき、頭が出来た。
胸に魔導鉱石を埋めた女は、長く伸びた髪を掻き上げて顔を露わにした。女は、エカテリーナ・ザドルノフだった。
だが、雰囲気が違っていた。以前は感情の起伏が全くない人形のような女だったが、だらしなく口元を緩めている。
 エカテリーナの背後で完成した男、アレクセイ・カラシニコフは以前と同じく無機質な顔だが、彼女だけが違った。
エカテリーナは、笑っていた。華奢な肩を揺すって豊満な乳房を震わせながら、上体を反らして高らかに哄笑する。

「うふふあふはははははははははははははははははは!」

 エカテリーナは笑う。

「あひゃはぁうははははへはふははははははははぁあああ!」

 エカテリーナは雪を踏み散らしながら、笑う。

「いらない、いらない、いぃーらない。あんた達なんか、全部いらない、いらないの、いらないったらいらない!」

 柔らかな素肌を突き破り、骨と皮の翼が現れる。腕が内側から膨れ上がり、骨の外装に包まれ、爪が伸びる。

「この世にいていいのは、アレクセイと私だけ! 私とアレクセイだけ! 他は全部、死ね!」

 エカテリーナは腕よりも長く伸びた白い爪で、己の体を切り裂いた。

「死ね!」

 頭と胴体が切り離され、肩と二の腕が落ちる。無垢な新雪を穢すように、赤黒い液体がびしゃびしゃと流れた。
切り離された頭の下から首が生え、胴体からは再び手足と頭が生え、転げ落ちた腕からも新しい体が生えた。
腕と頭が再生したエカテリーナは爪を出してぐるりと身を捩り、増えた自分を更に切り裂いて、腕や足を落とした。
すると、先程と全く同じ過程を経てエカテリーナは十数体にも増えた。どうやら、分裂増殖させているようだった。

「うげ」

 気味の悪い光景に、ブラッドが思わず声を潰した。エカテリーナは酩酊したような口調で、けたけたと笑う。

「みぃーつけたぁ」

 べきべきと硬質な音を立てて全身を骨の外装で覆い尽くした複数のエカテリーナは、不意に笑顔を消した。

「死ねぇ、ヴィクトリアぁああああああっ!」

 突然、エカテリーナが激昂した。それまで揃って笑い転げていたエカテリーナ達は、笑い声をぴたりと止めた。
大量に増殖したエカテリーナは多少ぎこちないながらも同じ恰好で腰を落とし、雪原を蹴って一斉に飛び出した。
飛びながら、複数のエカテリーナは揃った動きで両腕を伸ばして長い爪を出し、骨の翼を広げて更に加速した。
ルージュとフリューゲルがすかさず砲撃するも、するすると滑らかな動きで直撃を逃れ、こちらに向かってくる。

「げらげらげらげらうるっせぇなあ!」

 ギルディオスは駆け出し、目の前に迫ってきた一体のエカテリーナに斬り掛かった。

「っだあ!」

 幅広く分厚い剣を振り抜くと、分身エカテリーナは頭部から縦に真っ二つに割れ、ギルディオスの両脇に落ちた。
落下する時に溢れ出した血を浴びたが、気にしている暇はない。案の定、ヴィクトリアへも一体が向かっている。
 ヴィクトリアは分身エカテリーナとの間合いが詰まる前に浮上すると、バルディッシュを掲げて、振り下ろした。
分身エカテリーナの頭部を叩き割ったヴィクトリアは、再度バルディッシュを振り抜き、翼の骨も折ってしまった。
翼と頭を失った分身エカテリーナが転げ、痙攣する。ヴィクトリアはとんと舞い降りると、乱れた髪を耳に掛けた。

「何か、文句があって?」

 ギルディオスに視線に気付き、ヴィクトリアが返した。ギルディオスは、腰を落として前に向く。

「いや、特にないね」

「やるじゃねぇか、ヴィクトリア」

 その様子を横目に見つつ、ブラッドは翼を広げて浮かび上がる。直後、足元に分身エカテリーナが突っ込んだ。
一体だけでなく、二体三体と折り重なって雪に埋もれる。一番下にいた分身は、上の二体を強引に押し退ける。
両手の爪を真上に伸ばしてブラッドに掴み掛かろうとしてきたので、ブラッドは両足でその腕を払い、顔を踏んだ。
女を痛め付けるのは少し気が引けたが、四の五の言っている場合ではない。つま先で顎を持ち上げ、首を折る。
ごぎりと鈍い音がし、再度踏み付けると骨の外装に覆われた首が曲がり、筋っぽい肉が破れて頸椎が飛び出た。
それを蹴り飛ばして転ばせると、左右から他の二体が掴み掛かってきたので、両腕を突き出して魔力を高めた。
爪を振り下ろされる直前に、二体に向けて魔力弾を放った。閃光の後、蛋白質の焼ける嫌な匂いが立ち上った。
焼け焦げた二体が首の折れた一体の上に落ち、どちゃりと水っぽい音を立てた。ブラッドは着地し、息を吐いた。

「ま、こんなもん?」

「コウイウ時ハナァアアアアア、オイラの超超超出番ナンダゼェオゥイェエエエエエエー!」

 甲高い声を上げたアルゼンタムは雪を蹴って駆け出し、ギルディオスの背を踏み台にして空高く跳ね上がった。

「援護ヨロシクゥウウウウウウウ!」

 身を捩ったアルゼンタムは上空の二人に仮面を向けてから、ぐるりと体を反転させて雪原へと落下していった。
更に増えた分身エカテリーナの集団の中心に向かい、落下の勢いのまま爪を振って手前の一人を切り裂いた。
血を吹き上げながら崩れ落ちた一体の上に着地したアルゼンタムは、銀色の爪を広げて真横に振り抜いた。
すると、擦れ違おうとしていた一体の腹がぱっくりと割かれ、ずるりと色の悪い臓物が零れ落ちて血が溢れた。
それに気付き、数体のエカテリーナがアルゼンタムへと方向転換した。だが、アルゼンタムは回避しなかった。
それらがアルゼンタムへ飛び掛かろうとした瞬間、上空から鋭い閃光が放たれ、分身の頭を貫通していった。
恐ろしく狙いが正確な魔力砲で撃ち抜かれた頭は途端に爆ぜ、頭蓋骨と外装を砕きながら派手に吹き飛んだ。
掴み掛かろうとした恰好のまま崩れ落ちた分身エカテリーナを一瞥し、アルゼンタムは上空の彼女へ手を振る。

「イイィ腕シィテルゼェー、姉チャァアアン」

「…どうもまだ慣れないな、アルゼンタムには」

 ルージュが困惑しながら呟くと、地上でブラッドが肩を竦めた。

「慣れていくしかねぇよ、そっちの父ちゃんには。オレだって昔は慣れなかったんだから」

「くけけけけけけけけけけけけ! オレ様はこっちのラミアンの方が好きだけどなこの野郎ー!」

 フリューゲルは上機嫌に笑っていたが、ぐいっと首を前に突き出し、突然加速した。

「次はあの野郎だぜこの野郎ー!」

「あっ、待て!」

 ルージュが諫めるよりも早く、フリューゲルは銀色の矢のように翼を狭め、冬の風を切り裂いて飛んでいった。
赤い瞳が見据える先には、雪原に立ち尽くしているアレクセイがいた。エカテリーナとは真逆で、微動だにしない。
体こそ白い骨の外装を纏っているが、両手をだらりと垂らしている。攻撃してこい、と言わんばかりの恰好だった。
あれは罠だと言っているようなものだ。ルージュは仕方なしに左腕の砲を上げ、フリューゲルの向かう先へ向けた。

「馬鹿鳥が!」

 ルージュは目元を細めて照準を合わせ、魔力を高めて光線を放った。鋼鉄の鳥人が飛ぶよりも早く、光が走る。
フリューゲルの直線上の雪が一瞬にして溶けたかと思うと、ルージュの砲口から伸びる光線はまともに着弾した。
先程よりも小さめだが破壊力は充分ある爆発が起き、煙が舞う。その煙を切り裂き、フリューゲルは再加速する。
両翼を広げ、煙の中に見える人影へと突っ込んだ。僅かに身を横へずらして、翼を最硬直させて鋭利な刃と化す。
そして、フリューゲルは手応えを感じた。腕と肩に硬いものが当たった衝撃が伝わり、ぎぃっ、と翼の端が軋んだ。
このまま飛び抜ければ切り裂ける。そう思い、後方を見やった時、フリューゲルの巻き起こした風で煙が晴れた。

「え」

 突如、顔を鷲掴みにされ、フリューゲルは困惑した。その手は腕に付いてはおらず、地面から突き出していた。
芋虫のような奇妙な円筒に節くれ立った指を付けたような手は、恐ろしい力でフリューゲルの頭を握り締めてきた。
逃れようと暴れるも、手は緩まない。すると、顔に押し付けられている円筒の底に光が生じ、迫り上がってきた。
 閃光が視界を焼き、強烈な熱が顔面を焦がす。フリューゲルは悲鳴を上げる間もなく、衝撃で高く舞い上がる。
幸い頭は吹き飛ばなかったが、意識は遠のいた。糸の切れた人形のように手足を放り出し、雪原に落下していく。
雪の中に頭から突っ込んだ瞬間、フリューゲルは気絶した。銀色の翼はだらしなく広がり、体の下で雪が溶ける。

「あははははははははははは、あはははははははははははははは」

 倒れていたエカテリーナ達が、一斉に笑い出した。アレクセイの周囲から、背骨じみた円筒が無数に生える。

「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」

 咄嗟の判断で、ピーターは念動力を最大出力で放ち、全員を浮上させてルージュの高度近くまで持ち上げた。
直後、雪原を赤く染めていた分身エカテリーナの死体がバネ仕掛けのように起き上がり、げたげたと笑い転げた。
そして、また増殖した。切り裂かれて肉片と化した肉体を一斉に再生させ、先程の倍数以上に増えてしまった。
その中心のエカテリーナはぐるりと首を回すと、絶え間なく笑いを零しながら、円筒の腕に囲まれた男を見やる。

「アレクセイ、撃ってぇ」

「レオ! お前の力で、アレクセイの光線を誘爆させろ!」

 ギルディオスは後方を固めているレオナルドへ指示を飛ばしながらも、アレクセイからは目を離さなかった。
数十本の円筒はうねうねとしなりながら、魔力を充填していく。レオナルドは右手を突き出し、照準を合わせる。

「随分無茶な注文だが、やって出来ないことはない!」

 骨で出来た円筒の腕が動きを止め、ゼレイブへと向いた。それらから強烈な閃光が溢れ、太い光が放たれた。
レオナルドは炎の力を高めて、腕を真横に振り抜いた。直後、魔力の光線の先端が一斉に燃え盛り、破裂した。
力で力を押さえ付けたのだ。爆発は連鎖して更に連鎖を生み、雪原全体を揺さぶるほどの激しい爆音が続いた。
乱れた雪原に骨の灰を散らし、雪が溶けていく。レオナルドは更に力を高めて、もう一度腕を振って地面を狙った。

「砕けろっ!」

 レオナルドの視線の先で、アレクセイが僅かに眉を動かす。骨の円筒の照準を炎の男へ定めたが、暴発した。
地面から伸びていた数十本の円筒の腕の根本が次々に燃え、強烈な過熱でヒビが走ったところへ追撃を加える。
煙が晴れると、そこには煤けた円筒の腕の残骸だけが転がっていた。レオナルドは笑みを作ろうとして、止めた。
砕けた円筒の腕がびくりと動き、骨片を吸い集めて飲み込んだ。がしゃがしゃと耳障りな音を立て、立ち上がる。
ヘビのように鎌首をもたげて身を起こしていくに連れて、他の割れた円筒の腕も寄せ集まり、吸収されていった。
ぱらぱらと煤と土を零しながら起き上がったそれは、人よりも家よりも遥かに大きい、不気味な骨の巨砲だった。

「撃ってぇ、撃って撃って撃ってぇえええええええええ!」

 大量のエカテリーナが、甲高い叫びを上げた。アレクセイはやはり無言のままだったが、彼女の指示に従った。
竜の尾の如く巨大な砲身が、真っ直ぐに戦士達を見つめる。ピーターは一瞬迷ったが、皆を更に高く飛ばした。
だが、砲身はその動きを読んでいるかのように滑らかな動作で追尾し、底の見えない砲口の内側に光が集まる。
空へ向かわせれば砲が、地上へ降ろせば増えたエカテリーナが。ピーターは両手を固く握り締め、歯噛みした。

「オレの力でこの人数じゃ、あの砲撃よりも早く動けません!」

「あの馬鹿鳥が! 早く落ちすぎだ!」

 宙に浮かばされた戦士達の一団からルージュは飛び出し、左腕の砲を突き出した。

「仕方ない、私だけで処理してみせる!」

「ルージュ!」

 ブラッドが不安に駆られた声を上げたので、ルージュは恋人へ柔らかな笑みを向けた。

「あまり心配するな、私はお前よりも強いんだ」

「ええ、そうね」

 ギルディオスの傍らに浮かんでいたヴィクトリアが、バルディッシュの先端を巨大な骨の砲身へと定めた。

「こんなもの、簡単に押さえられるわ」

「相変わらず、お前は大口を叩いてくれるな」

 ルージュは嘲笑混じりに呟いてから、巨大な骨の砲身へ急降下した。

「ならば、その才を示してみろ!」

 銀色の髪を踊らせながら、鋼鉄の乙女は砲身へ向かった。右腕から刃を跳ね出し、それに魔力を帯びさせる。
今正に砲撃を放とうとする巨大な砲身の真下へ滑り込み、身の丈以上に伸ばした光の刃を振るい、身を捻った。
骨の砲身とルージュの光刃が鬩ぎ合って火花が散ったのはほんの一瞬で、直後には骨の砲身は分断された。
砲口を失って照準が乱れたのか、斜めに切られた砲口からはでたらめな閃光が溢れ、流星のように飛び散った。
ルージュは滑るように上昇して砲身を螺旋状に切り裂いていき、最後に地面と繋がっている根本を断ち切った。
だが、閃光は収まらない。フリューゲルの無差別爆撃のように降り注ぐ光が着弾するたびに、爆発が起きている。

「全ての魔性なる力よ、我が言霊に」

 ヴィクトリアはバルディッシュを高く突き上げ、力強く命じた。

「打ち震えよ!」

 時が止まったかのように、光が固まった。雪の上へと降りようとしている閃光も、地面を抉ろうとしている閃光も。
ゼレイブの魔力の蜃気楼へ着弾して波紋を広げているものも、分身エカテリーナの胸を貫こうとするものでさえも。
星が真昼の空に出たかのような、奇妙な光景が出来上がった。これには、敵も味方も呆気に取られてしまった。

「そう、良い子ね」

 ヴィクトリアは満足げに目を細めると、薄い唇を悪意に歪めた。

「あの女を焼きなさい」

 ヴィクトリアのバルディッシュが、分身エカテリーナを示す。言葉が止むと同時に、全ての閃光が息を吹き返した。
獣じみた荒々しい絶叫を迸らせる分身エカテリーナに、無数の光弾が叩き付けられ、肉が抉られて骨が砕けた。
再生させたばかりの脳髄から脳漿を散らし、生温い色合いの腸や心臓を零しながら、エカテリーナ達は踊り狂う。
 程なくして、ヴィクトリアの操る砲撃が収まった。じゅうじゅうと煮え立つ雪解け水に、赤黒い体液が混じっている。
折れた骨を軋ませ、胴体が吹き飛んだが腕が残った一体が起き上がろうとしていると、円形に炎が駆け抜けた。
エカテリーナの残骸を取り囲んだ炎の円陣に更にもう一つ円が重なり、二つの円の炎壁が立ち上がり、燃え盛る。

「温いな、ヴィクトリア!」

 その炎を成した主は、当然ながらレオナルドだった。レオナルドは右手を縦に振り、炎の壁を更に生み出した。

「焼くってのは、こうやるんだよ!」

 その壁は二重の円の中を駆け抜け、固まった。そして炎の壁は六枚も造られ、見事な六芒星を描いた。

「天まで焦がせぇええええっ!」

 レオナルドの猛々しい叫声が炎の魔法陣を揺らすと、地震にも等しい震動が発生して雪原に割れ目が走った。
炎の魔法陣を抱くように冷ややかな風が巡り、集まり、上昇する。渦を巻きながら、炎の魔法陣が勢いを増した。
そして、噴火した。炎の熱で生み出した上昇気流が風で煽られて膨れ上がり、一気に数十倍の太さに成長した。
ピーターは急いで腕を振り、皆を後退させた。だが、一瞬遅く、ヴィクトリアの三つ編みの先が少し焦げてしまった。
火山の如く高く噴き上がる炎は留まるところを知らず、本当に空まで届いてしまいそうなほど、高く、高く、盛った。

「…頭の血管が全部切れそうだ」

 膨大な炎を操っていたレオナルドは、奥歯を噛み締めて顔を歪めた。その隣で、ピーターは苦笑する。

「ていうか、あれだけ力を出したのに、よく死にませんねーレオさん。オレはそっちの方が凄いと思います」

「レオ、死ぬなよー」

 中央に浮かんでいるギルディオスは、レオナルドに手を振った。レオナルドは、こめかみを押さえる。

「死にませんよ」

「でも、もういいんじゃね?」

 ピーターの念動力から脱して自力で羽ばたいたブラッドは、炎の柱を指した。レオナルドは、少し力を緩める。

「オレがやれる限りの高温を出したんだ、あれなら魔導兵器だって溶けちまうだろうさ」

「けれど、たったこれだけで片付いたら誰も苦労しなくってよ」

 焦げた三つ編みの先を振りながらヴィクトリアが忌々しげに言ったので、レオナルドは言い返した。

「そりゃそうだが、少しは期待させてくれてもいいだろう」

 レオナルドの制御を失った炎の柱は、旋風のように回転しながら熱風を巻き起こしていたが、次第に弱まった。
雪は綺麗な円形に溶け、露わにされた地面と枯れた草は真っ黒に焦げ、粉雪のように軽い煤がちらほらと落ちる。
地表に触れた途端に煤は崩壊し、黒い粉になる。骨と思しき固まりもあったが、乾いた音を立てて崩れていった。
目の穴が開いた頭蓋骨も、黒い糸のような筋が付いた太い骨も、ばらけた背骨も、割れた骨盤も、粉と化していく。
炭化してしまえばさすがのエカテリーナも再生出来ないだろうが、油断は禁物だ。ヴィクトリアは、神経を尖らせた。
 炭のように黒ずんだ骨が散った地面が、不意に割れた。女の細い腕がにゅっと現れ、地面にきつく爪を立てる。
水中から這い上がるように二本の腕が焦げた土を押し退けながら、頭をだらりと垂らした上半身が地上に現れた。
再生が不充分なのか、左右非対称で不格好な乳房の間には魔導鉱石があった。本体は、焼き損ねたようだった。

「ほうら」

 なぜか得意げにヴィクトリアがにやけたので、レオナルドは年甲斐もなく苛立った。

「ああ悪かったよ、オレの読みが甘かった、だからそうなじるな!」

 顔の再生も不充分らしく、片目がないエカテリーナは、口中から湿った土をぼろぼろと落としながら屹立した。
笑い声らしき音を口から発しているものの、声帯が完成していないのか、喉からは濁った音しか出てこなかった。
腕を折り曲げて落とすも、再生しなかった。傷口から流れる血は汚らしい錆色で、体液に煤が混じったらしい。
顔を上げたエカテリーナは片目を再生させて出来上がった瞼を瞬かせると、憎々しげに歯を剥き、眉を歪める。

「んじゃまあ、二回戦と行こうじゃねぇか」

 ギルディオスは着地すると、バスタードソードの剣先をエカテリーナに据えた。

「さあ、踊りましょう」

 その隣に降りたヴィクトリアは、ギルディオスと同じようにバルディッシュをエカテリーナへ突き出した。

「い゛ら゛な゛い゛っ、い゛ら゛な゛い゛っ!」

 喉の奥に物を詰めたような声で喚いたエカテリーナは、腕と不釣り合いな長さの爪を両手の先に造った。

「お前ら全部、いらないぃぃぃぃいぃぃぃいぃぃっ!」

 爪の表面が割れ、その中から更に大きな爪が出てきた。背骨と肩胛骨から出来た翼が伸び、皮が張り詰める。
ギルディオスはその様子を見つつ、背後の者達へ目線をやった。片手を上げて、雪原のアレクセイを指し示す。
ブラッドは頷くとルージュを促し、共に飛び出した。滑空する途中でアルゼンタムとも合流し、三人で向かっていく。
エカテリーナは余程頭に来ているのか、アレクセイへ三人が向かったことに気付かずに罵倒を叫び続けていた。

「死ね腐れ滅びろ潰れろ砕けろ、邪魔、邪魔、邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔あっ!」

 骨の外装に包まれた頭を振り乱し、エカテリーナは引き摺りそうなほど長い爪を振り回す。

「邪魔なんだよおおおおお!」

 エカテリーナの醜悪な罵声に、ヴィクトリアは少し眉根を歪めた。

「やかましいわ」

 エカテリーナはヴィクトリアを見定め、耳元まで裂けた顎をぐばりと開き、赤い舌をだらしなく零した。

「死ね、死ね、しねしねしねしね、私とアレクセイ以外の全部、死ね!」

「そう」

 ヴィクトリアはその言葉で、彼女が何を言いたいのかを悟った。

「あなた、彼を愛しているのね?」

 その言葉に、エカテリーナは制動を掛けた蒸気自動車のようにびくんと止まった。

「けれど、彼はあなたを愛しているの?」

「うるさい黙れ」

「愛し合っているなら、なぜ彼は黙っているの?」

「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい」

「だったら、なぜ彼はあなたを助けに来てくれないの?」

「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいぃいいいい!」

「そう…」

 ヴィクトリアは慈愛に似た哀れみの眼差しを、エカテリーナに向けた。

「ただの片思いなのね」

 ヴィクトリアの言葉を掻き消すためか、エカテリーナは全力で叫んだ。

「うるさぁああああいっ!」

「まるで子供なのだわ」

 ヴィクトリアが顔をしかめると、ギルディオスが首を縮めた。

「お前に言われちゃお終いだな」

「ええ。真理だわ」

 ヴィクトリアは聞き分けの悪い子供のように喚き散らすエカテリーナを睨みながら、バルディッシュを握り締めた。
エカテリーナとアレクセイがどんなものを背負って、どんな道程を経て、人ならざる兵器と化したのかは知らない。
ゼレイブに集った者達に劣らぬほどの悲劇や不幸の末に兵器と化すことを選び、理性を失ったのかもしれない。
だが、それは問題にもならない。どんな不幸を味わっていたとしても、二人が家族を殺した事実は変わらない。
 エカテリーナの狂いぶりに畏怖を感じたのは、最初の一瞬だけだった。それ以降は、潮が引くように冷めてきた。
エカテリーナばかりが暴れ、アレクセイは動かずに砲台と化している。それだけで、二人の関係は読み取れた。
二人は、恋人でもなければ夫婦でもなければ友人でもない。恐ろしく身勝手な女と、それに振り回されている男だ。
そんなものに殺されてしまった家族が不憫でならず、ヴィクトリアは涙が込み上げそうになったが、必死に堪えた。

「覚悟なさい、エカテリーナ」

 ヴィクトリアは家族への愛と等しい重みの殺意を込めて、バルディッシュを構えた。



「あなたを、殺してあげる」





 


07 10/23