銀色の影が舞い降り、両者の視線を断ち切った。 銀色の仮面。銀色の手足。銀色の爪。銀色のマント。骸骨に酷似した魔導兵器は、仮面の奥で目を輝かせた。 魔導鉱石製の瞳は黒竜の男らと人ならざる三人を睨め回していたが、怯えた目をしている己の妻を見定めた。 ファイドは身を乗り出そうとしたヴィンセントを制し、フィフィリアンヌもまた身動いだギルディオスを制していた。 ラミアンの仮面には、妻の姿が映っていた。ジョセフィーヌは夫の登場に驚き、それ以上に戸惑ってもいた。 妻は、見たこともない表情をしていた。ラミアンはその様をじっくりと眺め回していたが、竜の少女に声を掛けた。 「会長。事の次第は、聞かせて頂きました」 「貴様は眠っていなかったのか」 フィフィリアンヌが尋ねると、ラミアンは胸元の魔導鉱石を押さえた。 「愚かなことに、私も弛緩した夢に浸って深く眠っておりました。ですが、施しておいた魔法封じが働いたおかげで、こうして目を覚ますことが出来ました。空気中の魔力濃度を始めとしたあらゆる部分に異常が見られたので、何が起きているのかを把握するべく外へ赴いたところ、会長方とファイドどの、シライシ卿、そして我が妻が対峙していたのです。ファイドどのの語られた真相を全て聞くことは敵いませんでしたが、事の次第は充分飲み込めました。私もファイドどのには多少なりとも疑念を抱いておりましたので、それほど驚いてはおりません。ですが」 ラミアンの眼差しが、ジョセフィーヌを捉える。 「ジョセフィーヌ。君は、過ちを犯したようだな」 「ラミアン…」 ジョセフィーヌは血の気を失いながら、フィフィリアンヌの返り血に濡れた両手を握り締めた。 「違うの、あれは」 「ラミアン。貴様の爪が震えるならば、私が牙を剥こう。これもまた、私の蒔いた種だ」 フィフィリアンヌが片手を上げてジョセフィーヌへ向けると、ラミアンはその手を阻むように立ちはだかった。 「いえ、彼女は私の妻であり家族です。私の手で、事を終わらせます」 「どうするんで、旦那?」 ヴィンセントは少々不安になったが、ファイドは悠長だった。 「何、このまま見守っていたまえ。それに、事態がどのように転がろうとも、結果は変わらんのだからね」 「へぇ」 仕方なしに頷いたヴィンセントは、ラミアンとジョセフィーヌを見やった。ファイドの横顔は、自信に満ちている。 彼がそう言うのだから、そうなるのだろう。ヴィンセントは活劇を見るような気持ちで、異形の夫婦を眺めていた。 ラミアンと対峙したジョセフィーヌは、フィフィリアンヌの血で汚れた手をエプロンで拭ったが拭い切れなかった。 吹き付ける風で乾いた竜の血は肌に貼り付き、爪の間にも入り込んでいる。ラミアンは、無言で歩み寄ってくる。 逃げようとするも、動揺で足がもつれて転んでしまった。起き上がった頃には、銀色の骸骨が傍に立っていた。 狂気の笑みを貼り付けた銀色の仮面に見下ろされると、今まで彼に対して感じたことのなかった感情が湧いた。 それは、強い恐怖だった。ジョセフィーヌは奥歯を鳴らしながら体をずらそうとするも、足に力が入らなかった。 「なぜ逃げる、ジョセフィーヌ」 「だって、私…」 あれほど恋焦がれていた人なのに、その視線を自分自身が受けているのに、まともに顔を合わせているのに。 なのに、とても恐ろしかった。願望が叶えられて嬉しくてたまらないはずなのに、心臓が握り潰されそうだった。 一人で生きる世界があまりにも寂しくて、半身に全てを奪われている現実が悔しかったから、黒竜の手を取った。 ファイドが長々と語った話とフィフィリアンヌの先程の言葉からすると、ジョセフィーヌはファイドに利用されている。 しかし、信じたくない。このままファイドに付いていれば、この嫌な世界は滅び去り、いずれ未来は変わるのだ。 きっと変わる。変わらないわけがない。そのために皆を裏切り、フィフィリアンヌの胸に剣を突き立てたのだから。 「ラミアン」 ジョセフィーヌは愛する男へ手を差し伸べたが、ラミアンはその手を取らずに手の甲で払った。 「ジョセフィーヌ。君は、何をしたのか解っているのか?」 「何って…」 「答えられないのならば、教えてやろう」 ラミアンの語気は、いつになく険しい。 「君は未来予知で事の真相を知りながらも、それを私達に伝えなかった。そして、ファイドどのに荷担し、会長を殺めようとしたのだ。更には、主人格であるジョーを滅ぼそうとしていた。違うかね?」 「予知したことを教えなかったのは、教えても誰も信じてくれないと思っていたからよ」 「本当にそうなのかね?」 「そうよ!」 「言葉足らずのジョーが悪い、と?」 「当たり前じゃないの!」 「ならば、なぜ君が私達に伝えようとしなかったのだね? それが君の役割ではないのかね?」 「責めるならジョーを責めなさいよ、何もかもあの女が悪いんだから!」 「話を逸らすな、ジョセフィーヌ」 ラミアンの口調は穏やかだったが、声音は威圧的だった。ジョセフィーヌは、声を上擦らせる。 「逸らしてなんか、ないじゃないの」 「君はいつもそうだ」 ラミアンは辟易したように首を振り、嘆息した。 「自分のことしか考えていないではないか。それでは、いくら私でも愛しようがない。愛されたいと思うのならば、まず他人を愛することから始めなくてはならないだろう。だが、君は半身であるジョーはおろか、私のことも愛していないではないか」 「愛しているわよ、誰よりも!」 「ならば、なぜ他者を傷付けるのだね? ルージュとの一件も、本を正せば君がルージュに敵意を抱いて攻撃的な態度を取ったために、ルージュが反発してしまったのではないか。確かに、私も当初は彼女に懸念を抱いていた。だが、ブラッディの真摯な姿勢と皆に溶け込もうとするルージュの懸命さを見るうちに考えも変わってね。我が息子はまだまだ青い部分も多いが、だからこそ手を離してみるべきだと思ったのだよ。体は大きくなったが心はまだ幼い息子が、一回り大きく成長するためのいい機会だと思ってね。だが、君の勝手な考えがそれを台無しにしたのだよ。おかげで我らに心を開き掛けていたルージュは心を閉ざしてしまい、君はブラッディからの信頼を失ってしまった。君は、彼らをなんだと思っているのだね?」 「どうしたのよ、ラミアン。なんで、そんな、ひどいこと言うの?」 「どうもこうもしていないさ。君は私を求めるあまりに、私の愛する者達を傷付けてきたのだよ。それを、今一度知らしめているだけに過ぎない。私は家族を、そして友人達を愛している。だが、君はそれが気に入らないのだね。私の興味が他へ逸れていることが、愛情という仮面を被った執着を注がれないことが、私を囲んでいる全てのものが。私も、若い頃はそんな思いを抱いたことがあったよ。ジョーがギルディオスどのを好いていることが無性に腹立たしくなったり、妬ましくなった時があった。だが、私はその醜悪な嫉妬を露呈するほど愚かでもなければ、幼くもなかったのだ。しかし、君は何かにつけて嫉妬心を剥き出しにしては他者を攻撃する。それが愛であると言い張れば、何もかもが許されると思っているのか? 愛のためならば、剣を振り上げ、手を血に染めることも厭わないのか?」 「あなただって、少佐だって、あの竜の女だって、皆、そうしてきたじゃないの。だから、私だけが悪いなんて」 ヴィンセントはそう言ったのだから、嘘ではないはずだ。薄く笑ったジョセフィーヌに、ラミアンは激昂した。 「愚か者が!」 仮面の奥で、魔導鉱石の瞳が憤怒の光を帯びる。 「私の爪が、私の牙が、望んで人を殺したとでも思っていたのか!」 ラミアンはジョセフィーヌに歩み寄り、爪先でその襟元を貫いて持ち上げ、仮面の顔を近寄せた。 「私は、キースの人形と化していたことを悔やまない日はない! 本能のままに殺し、喰らってしまった人々の魂の平穏と来世の幸福を願わない時もない! ジョーを生かすためになるならばと身勝手な思いを抱き、キースに抗わなかった己を責めない夜もない! 会長を裏切り、キース・ドラグーンを殺し、ブラッディに母親のいない孤独を味わわせ、その挙げ句に殺戮人形と化して旧王都を荒らし尽くした己を憎まないわけがなかろう!」 あまりの剣幕に、ジョセフィーヌは圧倒された。 「だけど…」 「私に言い訳を聞かせるな。もっとも、君の言葉は二度と私の心には届かないがね」 ラミアンは物を捨てるような手付きで、ジョセフィーヌの襟元を払った。ジョセフィーヌはよろけ、倒れ込んだ。 「ラミアン…」 「ジョセフィーヌ。私は、君を愛せない」 ラミアンが一際強く言い放つと、ジョセフィーヌはわなわなと震えた。 「どうして、そんなこと言うの?」 「まだ解らないのか。君は私に愛されようとするあまり、私の愛を遠ざけているのだ」 ラミアンはジョセフィーヌの目の前に爪先を差し出して指を開き、彼女の両目のすぐ前に切っ先を掲げた。 「君の望む未来とは、一体どんな未来なのだね?」 「私の、未来…」 ジョセフィーヌは心底怯えながら、必死に言葉を紡いだ。 「私がいる世界よ。あの女なんかじゃなくて、私があなたを愛しているのよ。あなたも、私を愛しているのよ」 「だが、私の瞳には、君の姿は映りそうにない」 ラミアンは内心で僅かに目を細めると、右腕を振り上げた。ジョセフィーヌは小さく悲鳴を上げて、身を縮めた。 骨に似た形状の銀色の腕がしなるように振り下ろされたが、途中で手のひらが反転し、平坦な手の甲が下りた。 直後、ジョセフィーヌの頬はラミアンの銀色の手の甲で張り飛ばされ、悲鳴を撒き散らしながら地面に転がった。 ラミアンは妻の頬を張った手の甲を下げ、無様に倒れ込んでいるジョセフィーヌを見下ろし、冷ややかに言った。 「私は全ての女性を敬い、尊び、愛している。だから、出来れば手を挙げたくなかった。しかし、私は決して聖人君子などではなく、人並みに怒りを抱くのだよ。それを、忘れないでくれたまえ」 ううぅ、とジョセフィーヌはくぐもった泣き声を漏らしている。ラミアンは心の底から、もう一人の妻に落胆した。 「残念だよ、ジョセフィーヌ」 すると、多数の足音が駆け寄ってきた。ラミアンが顔を上げると、皆がこちらに向かって駆け寄ってきていた。 ブラッドが立ち止まると、他の者達も足を止めた。皆、何が起きているのか把握出来ていないらしく、動揺している。 皆が皆、沈黙していた。あまりにも異様で、正常とは言い難い光景を受け止めるのに、時間が掛かったからだ。 不意に、静寂が破られた。この状況に極めて不似合いな乾いた破裂音が続いたが、その主は黒竜の男だった。 演劇を褒めるような明るい調子で拍手を繰り返しながら、中央に歩み出てきたファイドは、愉快げに笑っていた。 「なるほど。君らしい結末だよ、ラミアン」 「私の妻を謀るとは許し難い蛮行です、ファイドどの」 ファイドはラミアンの敵意の漲る視線を浴びたが、笑みを崩さなかった。 「私は彼女の思いを汲んだだけに過ぎん。そして、今も」 ファイドは倒れているジョセフィーヌへ右手を向けると、ごく簡単な魔法を用いて地面から浮かび上がらせた。 ファイドは踏み込んで間合いを狭め、右腕を突き出した瞬間に変化させ、竜と化した指から伸びる爪で貫いた。 宙に浮いていたジョセフィーヌの体が躍動し、エプロンドレスの胸元を突き破って、血塗れの竜の爪が現れた。 「せん、せ…?」 目を見開いたジョセフィーヌは、爪の主であるファイドを凝視した。 「らみあぁん…」 唇の端から粘り気のある血が糸のように落ち、喉から迫り上がってきた血が動きの鈍った舌を伝って零れた。 「いたい、よぉ」 その言葉はジョセフィーヌではなく、ジョーだった。 「なあに、すぐに痛みなど消えるとも。永久にな」 ファイドはジョセフィーヌから爪を乱暴に引き抜き、彼女を投げ捨てた。すぐさま、ラミアンが駆け寄る。 「ジョー!」 鈍い音を立てて転がったジョーをラミアンはすぐさま抱き起こしたが、心臓を破られたのか、出血量は凄まじい。 ラミアンの銀色の体は妻の鮮血で染められていくが、対照的にジョーの顔からは見る間に血の気が失せていく。 「ごめんね、ジョー、また、わるいこ…」 ジョーは震える手を伸ばし、ラミアンの仮面に触れたがずるりと滑り落ちた。 「ジョー、ジョー、ああ、なんということだ!」 ラミアンはジョーの手を取り、胸に押し当てた。妻の身体から流れ出す血が膝を濡らし、足元に溜まっていく。 「ごめんね、ラミアン。ごめん、ね」 ジョーは激しい痛みで息を荒げながらも、残った力を振り絞ってラミアンと手を握り合わせた。 「さむいよ、くらいよぉ…。らみあん、どこにいるの…?」 ジョーの視線が彷徨い、吐き出される言葉が吐息に変わる。ラミアンはジョーを抱き締め、懸命に名を呼ぶ。 「ジョー! 私はここにいる、だから逝かないでくれ、ジョー!」 だが、その声は妻の耳には届かず、ジョーの瞼は閉ざされた。 「お願いだ。起きてくれ」 意識を失った妻を抱き締め、ラミアンは肩を震わす。 「私はここにいる。だから、目を覚ましてくれ、ジョー…」 だが、ラミアンがどれほど懇願しようともジョーの目が再び開くことはなく、出血だけが滝のように続いていた。 生温かった血も徐々に冷え始め、指先からも体温が抜け、呼吸も止まり、そして腕の中で愛する妻は事切れた。 「ぉおおおおおおおおおおおおっ!」 その瞬間、ラミアンは我を忘れて吼えた。今までに出したことのない激しい声を放ち、妻を抱いて猛り狂った。 これほどまでに取り乱しているラミアンは、初めてだった。感情を表に出さない男だからこそ、尚更痛々しかった。 「母ちゃん…」 ブラッドはよろけながら、両親の元に駆け寄った。母親の手を取ったが、その冷たさに愕然とした。 「何しやがんだ、てめぇっ!」 ブラッドが立ち上がってファイドを睨むが、ファイドは彼女の血が滴る爪先をその息子へ向けた。 「いい加減に気付きたまえ。我々のような異端が、この世界で生きていくことなど出来ないのだよ。竜族も魔物族も異能者も、所詮は少数に過ぎない。いずれ淘汰され、滅びる運命にある。我々は、正に淘汰の最中にいるのだよ。人ならざる力を持ち、人を越える体格と能力を持ち得ていようとも、敗北したのが何よりの証拠だ。我々がこのまま長らえ続ければ、今以上に人に利用されてしまうことだろう。フリューゲルのような劣化した人造魔物が増産され、死者達は醜い兵器の体を与えられ、異能者達は生ける害悪となり、竜は世界を脅かす魔王と称されるだろう。何かしようがするまいが、人はお構いなしに罪を被せ、悪とするはずだ。私はそれが許せないのだよ。そして、君達を誰よりも愛しているのだよ。だからこそ、君達には死んでもらわねばならない」 「下らねぇことをぐだぐだ並べてんじゃねぇっ! よくもオレの母ちゃんを殺しやがったなあ!」 ブラッドが怒りに任せて喚き散らすと、ファイドはブラッドの喉元に爪先を向けた。 「私は、下らないなどとは思わんね。君達は、コルグ・ドラゴニアのように剥製となって上流階級の薄汚れた欲望を満たしたいのかね? 或いは、ガルム・ドラグリクのように人を憎んで戦い抜き、無様に滅びたいのかね? もしくは、キース・ドラグーンのように残虐の限りを尽くし、狂気の海に溺れたいのかね? または、フィフィーナリリアンヌ・ロバート・アンジェリーナ・ドラグーン・ストレインのようにつまらない偽善を通した挙げ句に何千人もの罪もない兵士達を死に追いやりたいのかね?」 ファイドの爪先がブラッドの喉の皮に埋まり、一筋の血が流れ落ちた。 「我が一族が成したことが、少しでも世界のためになったかね? 人と歩み寄らずに驕り高ぶった末に、愚劣な殺戮に手を汚してきただけではないか。君達も君達だ。存在自体が罪であると気付きたまえ。生きているだけで、我々は害を成すのだよ」 「黙れ!」 ブラッドはファイドの手を振り払い、牙を剥く。 「だからって、皆殺しにしていいわけがねぇだろうが!」 「伏せろ、ブラッド!」 唐突に、ルージュの叫声が轟いた。ブラッドは一瞬呑まれてしまったが、その言葉に従って姿勢を低くした。 ブラッドの上半身があった場所を太い閃光が駆け抜け、直線上に立っていたファイドはそれをまともに浴びた。 反射的に身を引いたが、右腕と右翼が閃光に包まれて押し切られた。骨の砕ける音と共に、肉が焼け焦げる。 ブラッドが身を引いた瞬間に、加速したルージュが飛び込み、右腕から出した刃をファイド目掛けて突き出した。 焼け爛れた右腕と右翼を下げ、ファイドは左腕を挙げた。胸の前に差し出し、ルージュの刃を腕で受け止める。 鈍い衝撃の後、銀色の刃の切っ先は白衣の胸元のすぐ手前で止められたが、新たな血が溢れて噴き上がる。 ルージュはすぐさま腕全体を捻り、ファイドの左腕を切り落とす。そのまま踏み込み、ファイドとの間合いを狭める。 「その首、私が落とさせてもらおう!」 どん、とルージュの刃はファイドの首筋に深く埋まった。真っ二つに断ち切られた動脈から、血潮が噴き出す。 勝利を確信したルージュは僅かに唇を緩めたが、即座に異変を感じた。刃を押し込めず、首を切り落とせない。 刃に当たっている骨が、硬いわけではない。だが、何かがおかしい。まるで、刃を固定されてしまったかのようだ。 「性能は、悪くないな」 ファイドは切り落とされた左腕を再生させると、首筋に埋まるルージュの刃を掴んだ。 「だが、それだけだ」 「うぐあっ!?」 右腕の刃を通じて注がれた膨大な魔力に全身を貫かれ、ルージュが身動ぐと、右腕の刃は呆気なく砕けた。 ルージュが体勢を崩した隙に、ファイドは焼けた右腕も再生させると、よろけたルージュへ向けて魔力を放射した。 思わぬ反撃に応じきれなかったルージュは、破損した右腕を引き摺りながら倒れ、関節から薄く煙を昇らせた。 「あ、ぅ…」 「ふむ」 ファイドは首筋に埋まったままになっていたルージュの刃の破片を引き抜くと、投げ捨てた。 「人造魔導兵器は膨大な魔力を有しているために強大な戦闘能力を持つが、その弊害として、常時強烈な魔力を浴びているために部品や外装の劣化が激しいのが難点なのだよ。どれほどの出力で魔力を注げば魔導金属が劣化し、崩壊するかを把握していれば、容易に応戦出来るのだよ」 「ルージュ!」 ブラッドは恋人に駆け寄り、怒鳴った。 「ルージュ! おい、生きてんだろうな! しっかりしろ!」 ブラッドは全ての関節から蒸気を噴き出すルージュを抱き起こそうとしたが、近付いただけで猛烈な熱を浴びた。 少し触れただけで手に火膨れが出来、皮膚が焼け爛れていく。だが、躊躇っている場合ではないと服を脱いだ。 脱いだ服をルージュに覆い被せてから、改めて抱き起こした。それでも、過剰な熱はブラッドの肌を容赦なく焼く。 今は、そんなものはどうでもよかった。自分の傷など放っておけば治るが、ルージュはそうもいかないのだから。 「すまない」 関節を軋ませながら顔を起こしたルージュは、弱々しく呟いた。 「私は、役に立てなかった」 「無茶苦茶しやがって! 今度死んだら次はねぇんだぞ、解ってんのかよ!」 「解っている。だが、私は」 ルージュは刃の砕けた右腕をブラッドに伸ばしたが、己の手から立ち上る蒸気に気付いて下げた。 「解ってねぇ、ちっとも解ってねぇよ!」 ブラッドはルージュが下げた右腕を握り締め、痛みと熱で一瞬顔を歪めたが、苦痛を振り払って叫んだ。 「今度死ぬ時は、オレも一緒だ! だから、その時まで死ぬんじゃねぇぞ、解ったか!」 涙と共に放たれた強い言葉に、ルージュは弱りかけていた瞳の光を戻した。 「…ああ」 ルージュは安堵と歓喜で頬を緩め、ブラッドの手を握り返した。ブラッドは機械仕掛けの恋人を、抱き締める。 肌と肌を触れ合わせると、彼女の内でファイドから注ぎ込まれた魔力が嵐のように荒れ狂っているのが解った。 ブラッドは魔力を沈静化させる魔法を急いで成し、ルージュの胸の魔導鉱石に触れ、竜の魔力を抜いてやった。 魔力の大半が抜けると、ルージュの全身に満ちていた強烈な熱も抜けたが、ルージュの意識も遠のいてしまった。 ブラッドはルージュの体を支えてやりながら、ファイドを睨んだ。ファイドは再生したばかりの左腕を動かしていた。 「君達は、世間的にはとっくに死んでいるのだよ。それが現実に死したところで、誰も何も思わんさ」 ファイドは左腕の動きを確かめ終えてから、人ならざる者達を見渡した。 「貴族の末裔である名家のストレイン家から放逐された次女、家長が大犯罪人となったヴァトラス家の次男、その間に生まれたツノの生えた娘、共和国軍から切り捨てられた異能部隊の生き残り、特に強い異能者の血を継ぐ子供、戦闘以外には役に立てない魔導兵器、特一級危険指定犯罪者とその妻である連続殺人者の娘、大量殺人者の夫を持つ孤児の妻、その幼い娘、数々の魔導師を暗殺した上に大量の人々を惨殺した吸血鬼、その存在の危険さ故に共和国軍はおろか連合軍からも存在を抹消された女、人にもなれないばかりか魔物にもなり切れない半吸血鬼の息子、死に損ないの魂を持つ魔導兵器の女、無意味に量産された末に廃棄処分された人造魔物」 ファイドの目線が、フィフィリアンヌらに定まった。 「世間の闇と金を喰らって生き長らえてきた半竜半人、口先ばかりが達者で行動が一切伴わない魔物崩れ、死して尚も意地汚く生に縋る重剣士。そして、医療とは名ばかりの生体実験を繰り返してきた竜族の生き残りだ」 最後に、ファイドは叩き付けるように言い放った。 「私達に、生きている価値があると思うのかい?」 答える者はいなかった。不気味に思えるほど重たい沈黙が流れ、激しく吹き付ける潮風が耳元で騒いでいた。 「事を終えたら、私も死を選ぶとも。これ以上長らえたところで、生き恥を曝すだけに過ぎないのだからね」 ファイドは、初めて悲しげに目を伏せた。 「これまでに私が積み重ねてきたことは、全ての事実を闇から闇へと葬るためだ。連合軍だけでなく、国際政府連盟の威厳に傷を付けるような出来事ばかりを起こしたのだからね。手塩に掛けて造った自軍の兵器に大部隊を呆気なく倒されたこと、特一級指定犯罪者である男の手を借りていた後ろめたい事実、たった八名の小隊によって自慢の大艦隊が撃墜されたこと、国際政府連盟自身が禁じたはずの魔法を使って改造された強化兵士の存在、どれもこれも公表すれば世間がひっくり返ることばかりだ。君達はゼレイブに長いこと引っ込んでいたから知らないだろうが、大国と連合軍は事実上の完全勝利宣言を掲げたのだよ。よって、近いうちに大国と国際政府連盟の指導によって新政府が旗揚げされ、その間は連合軍が統治と治安維持を行うそうだ。魔導師協会の残党は見つけ次第処刑にし、魔導書は歴史的価値の高い書物から子供の落書きに至るまで全てを焼き捨て、魔法に通じるものなら占いから民間伝承に至るまでを罰する、と言っている。十数年前は多少なりとも魔法を擁護する発言があったのだが、最近では一言もないのだよ。それで、私は確信したのだよ。世界の流れには逆らえない、とね」 「それが、てめぇの言い訳か?」 怒気を含んだ声が、黒竜の言葉を断ち切った。 「お医者先生のくせして人の命をなんとも思っちゃいねぇ。死んだ存在だとか、生きている価値とか、存在自体が罪だとか、そんなことはどうだっていいんだよ」 ギルディオスはファイドの目の前まで歩み出ると、担いでいたバスタードソードを降ろした。 「てめぇはオレの目の前で、ジョーとジョセフィーヌを殺した。それだけで、戦う理由にゃ充分だ」 「他に御託はあるのかい?」 ファイドの挑発に、ギルディオスは一笑した。 「聞きたいなら、聞かせてやるぜ。但し、体の方にな」 「面白い」 ファイドは白衣を脱ぎ捨て、襟元を緩めた。 「ならば、ギルディオス。私と賭をしようではないか。君が私を倒すなら、私は君の答えを聞こう。だが、私が君を倒したなら、私は異形の楽園と共に人ならざる者達を原初の海へ葬り去ろう。それでいいかね?」 「いい度胸じゃねぇか。生半可な覚悟で、オレに勝てると思うなよ」 ギルディオスは皆へ横顔を向けると、軽く手を振った。 「お前らの命、預からせてもらうぜ」 フィリオラはギルディオスへ手を伸ばしかけたが、下げた。とてもではないが、止められる雰囲気ではなかった。 レオナルドはフィリオラの肩を抱いて引き寄せると、その手を握り締めた。どちらの手も、不安で汗が滲んでいた。 ヴィクトリアはギルディオスを信じ、傍観することに決めた。ヴェイパーもロイズも、身構えることすらしなかった。 フリューゲルは身を乗り出したが、リリに手を引かれて下がった。ルージュは愛する男の腕を信じ、身を預けた。 物言わぬ死体となった妻を抱き締めていたラミアンは、妻の手を胸の上で重ねてやってから、黒竜を見据えた。 キャロルは騒がしさで目を覚ましてしまったウィータをあやすが、皆の不安を感じ取り、赤子は泣き叫んでいた。 ピーターは厳粛な気持ちで、かつての上官であり、血縁者以上に父親らしい父親でもあった男の背を見送った。 だが、それが最期の力であることは誰もが知っていた。死に瀕した戦士を再び立ち上がらせたのは、怒りだ。 しかし、怒りは一時的な感情に過ぎない。ギルディオスの弱り切った魂を奮い立たせている炎は、いずれ消える。 命を懸けた、最期の戦いが幕を開ける。 07 11/12 |