ドラゴンは滅びない




猛虎、現る



 ダニエルは、憤っていた。


 完全に自分の失態だ。自分さえしっかりしていれば、少なくともこれほど情けない事態に陥らなかっただろう。
両手両足は縛り付けられ、側頭部には小銃の銃口が突き付けられている。刺激のある、硝煙の匂いが鼻を突く。
周囲には、同じように縛り上げられた同胞が転がされている。腕や足を銃撃されて、痛みに呻きを漏らしている。
 勘が鈍った、としか言いようがない。連合軍の動きが戦時中に比べて統一性がないから、読みづらくなっていた。
それを踏まえた上で、行動していたつもりだった。だが、敵の兵器が格段に進歩していたことを僅かに侮っていた。
銃を備えた蒸気自動車の後方には、上下二枚の翼と回転翼を鼻先に付けた最新鋭の兵器、複葉機が二機ある。
戦時中にもちらほらと目にしていたが、戦後になって連合軍は相当な数を増産したらしく、目にする回数が増えた。
そのうちの一機に、見つけられていたらしい。どれほど入念に道を選んで進んでも、上から見れば一目瞭然だ。
 ダニエルは怒りと共に念動力が迫り上がってきたが、溢れ出さなかった。何かに力を阻まれてしまっている。
吐き出そうとしたものを無理矢理喉に押し戻されるような、不快感がある。恐らく、念力封じが仕掛けられている。
だが、どこにあるかが解らない。味方も数人負傷している。下手に動けば、却って危険が増してしまうだけだろう。
 しかし、希望はある。全員が捕まったというわけではない。異能部隊最大の戦力、ヴェイパーは逃げおおせた。
だが、ヴェイパーの居所が掴めない。連合軍の兵士達は廃墟の街に散らばっているようだが、銃声は聞こえない。
戦闘は行われていない、ということはヴェイパーはまだ無事でいるだが、それでもまだ安心することは出来ない。
彼は大柄な機械人形だが、無敵というわけではない。頑強だが、近代兵器の砲撃を受ければ一溜まりもない。
連合軍の蒸気自動車が引き摺ってきた迫撃砲は、今は沈黙しているが、戦闘が起きれば砲撃が始まるだろう。
そうなれば、いくらヴェイパーでも逃げ切れるとは思えない。彼は腕力は凄まじいが、足はあまり速くないのだ。
戦闘が起きる前に、ヴェイパーと合流しなければ。そうは思うが、念力封じが作用している空間では力は鈍る。
 それに、今の異能部隊には精神感応能力者はいない。ダニエルも精神感応能力は有しているが、かなり弱い。
せいぜい、傍にいる者達に思考を伝えることぐらいしか出来ず、ヴェイパーの位置を探り出すことは無理だ。
だが、この事態を早く打開しなければ。念力封じの魔法陣を見つけて破壊さえすれば、こちらが有利になる。
そのためにはどうすればいい。手持ちの駒は少なく、その上最も有効な駒は手元にいない。動きようがない。
 ダニエルが押し黙っていると、小銃とは違う銃口が眉間を抉った。顔を上げると、軍服を着た男が立っていた。

「全員拘束まで五分も掛からなかった。実に呆気ない。これがあの異能部隊とは、語るに落ちる」

「訓練不足かもしれないな」

 ダニエルが自嘲すると、男は銃口を更に押し付けた。硬い鉄が皮を歪め、骨に当たる。

「すぐに殺しはしない」

「悪いが、連合軍への誘いは断らせてもらおう」

 ダニエルの険悪な言葉に、男は表情を変えずに答えた。

「お前達に意見する権利はない」

「あの機械人形も回収し、我々の兵器とする」

 男の隣に、女が立った。男と同じような軍服を着ている。男が女に続ける。

「あの巨大な空中浮遊物の調査と突入要員の確保が、我々の任務だ」

「…ブリガドーンのことか」

 ダニエルの呟きに、男は僅かに頷いた。

「話が早い。我々の任務はブリガドーンの攻略だ。我々の作戦に協力せよ、ファイガー大尉」

「残念だが、私達はそれほど有能ではない。期待外れだ。魔導師にでも当たれ」

 ダニエルが吐き捨てると、今度は女が言った。

「共和国内の魔導師のほぼ全ては、連合軍が駆逐した。よって、ブリガドーン攻略に有効な人材は限られている。その中でも最も有効であると判断したのが、異能部隊だ」

「お前達の殺害は命じられていないが、抵抗した場合は殺害を許可されている」

 男が言った。二人とも、西方とは違う顔立ちをしている。肌の色も白く、瞳の色は青の混じった銀色をしている。
男は背が高く、軍服に包んだ体は屈強だ。女もまたすらりとしているが、二人ともあまり特徴のない顔をしていた。
目鼻立ちこそすっきりしているが、目立つ顔立ちではない。無表情だから、余計にそんな印象を受けるのだろう。

「お前達の荷物を検分する」

 男が冷淡に言い放ち、女を連れ立って、異能部隊の面々から連合軍が奪い取った荷物へと歩いていった。
 なんとかしなくては。このままでは、どうにもならない。ダニエルは縛られた仲間達に目を向け、奥歯を噛んだ。
体格の良い男達に混じって、浅黒い肌の少年が転がされている。顔立ちはまだ幼いが、その表情は硬かった。
髪や肌の色こそダニエルに似ているが、顔立ちには妻の面影がある。少年の澄んだ目が、ダニエルに向いた。
 息子の目には、凄まじい軽蔑と怒りが籠もっていた。ダニエルは多少苛立ちを覚えたが、目を逸らさなかった。
この責任は、全て自分にあるのだから。今の異能部隊は、ギルディオスではなくダニエルが率いている部隊だ。
皆は、ダニエルに命を預けている。だからダニエルはその命を守り、生き延びることを考えなければならない。
右足を撃ち抜かれてしまったピーターが流す血が、地面に溜まっていた。早く止血しなければ、命に関わる。
 時間はあまりない、だが焦ってもいけない。ダニエルは仲間の内の一人、ポール・スタンリーに目線を向けた。
地面に横倒しにされていたポールは、ダニエルに気付いて目を上げた。彼の上腕にも、銃弾による裂傷がある。

  ロイズは逃がせるか。

 ダニエルは念じ、思念をポールに向けた。ポールは薄い眉をひそめていたが、返してきた。

  大分厳しいが、出来ないこともない。だが、どこへ飛ばす。あまり近くだと見つかるだけだぜ、隊長どの。

  ヴェイパーの居所を掴めるか。ヴェイパーの元へ飛ばして、合流させてくれ。

 ダニエルの音ではない声を聞き、ポールは表情をあまり変えずに答えた。

  だが、どうする。ロイズを逃がしたところで、それが知れたら戦闘になるぞ。

  その時は暴れるまでだ。力が使えずとも、私達には手足がある。それに、退屈だからな。

 ダニエルの軽口に、ポールは布を噛んで皮肉混じりの笑みを殺した。

  言うねぇ、ダニー。確かに、オレも退屈だ。

 ダニエルはポールの笑みに少し気を緩めたが、すぐに態度を改めた。思念を、息子に向けて飛ばす。

  ロイズ。お前を、今からヴェイパーの元へ飛ばす。

 ダニエルの視界の隅で、息子の背がひくっと動いたのが見えた。

  念力封じの魔法陣を見つけて破壊しろ。それさえなければ、すぐにでも状況を覆せる。行け。

 息子の返事は、遅れて返ってきた。

  了解。

 その思念は幾分弱く、声も小さかった。ダニエルはその弱さに軽く不安を感じたが、表情には出さなかった。
ポールの力強い思念が、飛んでくる。ダニーの息子だ、オレの誇りに掛けてヴェイパーの元に飛ばしてやるよ。
 空間の歪みが起きたかと思うと、息子の姿が消えた。その両手両足を縛っていた縄が緩み、地面に軽く落ちた。
ロイズのいた場所を隠すようにして、仲間の一人が身を捩った。ポールは苦しげに顔を歪め、喉の奥で呻いた。
念力封じが掛けられている中で力を放ったポールには、相当な負荷が掛かって激しい頭痛が起きたのだろう。
ダニエルもまた、思念を放ったことで頭痛に襲われていた。嫌な汗が吹き出し、痛みを堪えるために拳を固めた。
 連合軍の兵士達は横目にこちらを見たが、男達の中に隠れていた少年がいなくなったことに気付かなかった。
だが、それも時間の問題だ。連合軍兵士に、ロイズが消えたことを気付かれてしまっては手遅れになってしまう。
確実ではない、不安ばかりが多い作戦だ。だが、これしかない。それ以外の方法があれば、とっくにやっている。
ダニエルは息子とヴェイパーの無事を願うと共に己の無能さを痛烈に思い知り、自嘲することしか出来なかった。
 所詮、自分は副隊長止まりなのだ。




 その頃。ヴェイパーは、大きな体を引っ込めていた。
 どこもかしこも、連合軍の兵士だらけだ。その手には銃剣が握られており、すぐにでも戦闘に移れる状態だ。
どうやら、罠を張られたらしい。今回選んだ道は、ダニエルや仲間達が入念に調べた末に選んだ安全な道だった。
異能部隊が共和国軍配下の一部隊であった頃に使っていた街道から離れた裏道で、山岳地帯の下を通る道だ。
その途中にある小さな街で野営をしようということで進んでいたのだが、そこへ突然、空から機影がやってきた。
複葉機、というものらしかった。共和国戦争時にも何度か空襲を行っている様を見たが、恐ろしい兵器だと思った。
竜族には劣るが、相当な速度で飛行出来る。そんなものが空から爆弾を落とすのだから、たまったものではない。
 今回は空爆ではなく、機銃掃射だった。そのせいで、ヴェイパー以外は連合軍の包囲から逃れられなかった。
応戦したかったが、身構えるよりも先にダニエルから先へ行けと命令されてしまった。命令されたら、逆らえない。
どうやらダニエルは、ヴェイパーを遠方に置いて反撃に使おうとしたようだったが、それよりも先に皆は捕まった。
ヴェイパーもなんとかして皆の元に戻り、助けたいとは思っていたが、連合軍の兵士の数が予想以上に多かった。
複葉機から遅れてやってきた車両部隊には、迫撃砲や戦車までもがあり、ヴェイパーも単独で戦うのは苦しい。
自壊を覚悟で突っ込めば、多少状況は変わるかもしれないが、銃撃部隊の的になってしまうのがオチだろう。
だが、このまま手を拱いて、隠れているわけにもいかない。敵の隙を突いて突撃し、仲間達を全員助けなくては。
ヴェイパーは古びた民家の影に、身を隠した。どうやって戦うべきか、と思案していると唐突に声が掛けられた。

「こいつぁ困ったことでごぜぇやすねぇ、虎の御隠居」

 ヴェイパーが反射的に振り返ると、民家の裏手には白いネコを肩に載せた巨大なものがいた。

「全くのう。儂らの用事が終わらんではないか」

「お前はっ」

 ヴェイパーが戦闘態勢を取ろうとすると、その者は手にしていた金色の鉄槌でヴェイパーの頭を押さえた。

「そう焦るな、若人。あまり騒ぐと、連合軍に見つかってしまうぞ」

「う…」

 ごりっ、と鉄槌に頭部装甲を押さえられながらヴェイパーは唸った。白ネコは、二本の尾をゆらりと振る。

「そうでごせぇやすよ、ちょいと大人しゅうしておくんなまし」

 鉄槌を握っている手は金属製で、ヴェイパーの手よりも一回り大きく、体格もまた大きい人造魔導兵器だった。
特に目立つのが、頭部の両脇から生えているネコの耳のようなものだ。両腕の上にも、太い爪が三本付いている。
臀部からは短めの円筒を連ねた、尾のようなものが伸びている。顔のマスクにも、ヒゲのような刻みが三本ある。
左胸には五角形の台座に埋め込まれた、紫の魔導鉱石が光っていた。ヴェイパーも魔導兵器だが、初見だった。
外見こそヴェイパーに近いが、構造は明らかに違っている。ヴェイパーのように、煙突も蒸気釜も備えていない。
その代わりに、並々と漲った魔力が感じられた。この魔導兵器は、魔力のみを動力源にして動いているのだろう。

「これ、おぬし」

 耳の生えた魔導兵器の声は、老人の如く嗄れていた。ごん、と鉄槌でヴェイパーの頭を軽く叩く。

「連合軍に捕まっとる連中は、見たところおぬしの仲間のように思えるのう。仲間なら、早う助けにいかんか」

「だけど…」

 ヴェイパーは首を動かし、敵兵の様子を見やった。ヴェイパーの姿を探しているのか、小銃を持って駆けている。
必死に逃げて奥へ奥へと進んでいったため、ダニエルらが捕まっている場所からは相当離れてしまったようだ。
あの複葉機の姿も、建物に隠れて見えない。このままここにいても、取り囲まれているのでいつか見つかるだろう。
 その前に、なんとかしなくては。連合軍の目的がどのようなものであろうとも、彼らの身は危険に曝されている。
異能部隊は、戦時中に大量の人間を魔法を用いて殺害していた特務部隊と、同一視されている節があるのだ。
名前こそ近いものがあるが、特務部隊は共和国政府寄りの特殊部隊で、異能部隊は共和国軍内の一部隊だ。
目的も違えば、存在理由も大いに違う。その上昨今では、国際政府連盟は魔導に関わるものを駆逐し始めた。
 以前から、古代から伝わる魔法は危険視されていた。近代の人間の手には余る、強力な術が多かったからだ。
戦前はステファン・ヴォルグことフィフィリアンヌ・ドラグーンがまとめる魔導師協会のおかげで、市民権を得ていた。
だが戦時中に、魔法を扱える者達は最前線に出され、都合の良い兵器として共和国軍に酷使されてしまった。
連合軍が操る近代兵器より遥かに威力の高い、共和国軍の魔法によって戦死した兵士の数は数え切れない。
その結果、魔導師協会を始めとした魔法絡みの組織や魔導師達は、国際政府連盟に目を付けられてしまった。
 魔導師達はその持てる技術の全てを使って逃亡したり、連合軍と戦ったが、死していったのだと聞いている。
どれだけ魔法が優れていても、多数の人間に囲まれて銃撃されれば誰だって死ぬ。それは、異能者とて同じだ。
 異能者もまた、魔導師と同列に扱われて危険視された。大雑把極まりないが、戦後の空気がそうさせている。
異能部隊も、特務部隊も訳が解らない術を使う恐ろしい存在。だから、異能者達も恐ろしいものだと見られている。
戦前にもそういった空気はあったが、戦後の不安が差別意識をより強め、それが連合軍全体に広がったのだ。
そんな連合軍に捕まったのだから、早く助けなければ。ヴェイパーが必死に考えていると、頭上の空間が歪んだ。

「うわあっ」

 ヴェイパーは手を差し出し、歪みから落ちてきたものを受け止めた。手に重量が掛かり、関節が軽く軋んだ。
大きな手の中には、変な姿勢で倒れている子供が収まった。その両手足には、縄と思しき赤い痕が付いている。

「ロイズ! どっ、どうして瞬間移動してきたんだよお!」

 ヴェイパーが慌てると、少年は姿勢を直して起き上がり、ずんぐりとした体形の機械人形を見上げた。

「ポールさんが、隊長の命令で僕を飛ばしてくれたんだ。でも、あの辺りには強い念力封じが仕掛けてあったから、二度は使えない。状況は良くないよ、ヴェイパー。早く、皆を助けに行かないと」

 浅黒い肌の少年は、黒い瞳で鋼の仲間を見上げた。表情こそ見えないが、機械人形は驚いているようだった。
横長のゴーグルにマスクの顔、左側頭部に付けられた金色の円筒、蒸気釜のように丸く大きな胸部と太い腕と足。
胸の台座に埋め込まれた青い魔導鉱石が、光を帯びている。ロイズの胸元に下げている石も、少し熱していた。
ヴェイパーの魂を込めた魔導鉱石の欠片を使って造られた首飾りを服の上から握り、ロイズは表情を固めた。

「それで、そこのは敵?」

「まぁ、有り体に言えばそうかもしれんのう。じゃが、あの連中が邪魔なのは儂も同じじゃて」

 ロイズが力一杯睨んでも、金色の鉄槌を担いだ魔導兵器は朗らかに笑うだけだった。

「のう、小童こわっぱ。儂とおぬしらが戦うても、おぬしらが死ぬだけじゃ。一つ、手を組まんか?」

「組む理由が見当たらない。それに、僕達はそんなに弱くない」

 ロイズはヴェイパーの肩に登り、手を翳して力を放とうとした。それを見、白ネコがうにゃあと笑う。

「おやめなせぇ、ろくなことにはなりゃしやせんぜ。どんな力を持っちょるのかは存じ上げやせんが、こちらの御隠居はちゃちな異能力で吹っ飛ばせるほど軽くはありゃあせん。そっちの鋼の兄貴には、お解りになりやしょう?」

 白ネコは鼻先で、ヴェイパーを示した。ヴェイパーはロイズを肩に乗せたまま、魔導兵器の足元を見下ろした。
乾いた土と石の散る地面に、ヴェイパーの足が埋まっている。だが、魔導兵器の足はそれよりも深く埋まっていた。
どう見積もっても、ヴェイパーの二倍以上は重量がありそうだ。金色の鉄槌の重さも含まれているからなのだろう。

「うん。そうだね。ダニーじゃなきゃ、吹き飛ばせないだろうね」

 ヴェイパーはロイズを片手で支え、身構えた。

「だけど、見ず知らずの相手と手を組むほど僕達は愚かじゃない。場合によっては、戦わせてもらうよ」

「ならば、名乗ってしんぜよう。儂の名はラオフー、見ての通りの魔導兵器じゃ」

 ラオフーと名乗った魔導兵器は、太い指で肩の上の白いネコを指した。

「ほいで、こっちの妙なのがシライシ・ヴィンセント・マタキチと申すが、面倒じゃからヴィンセントじゃな」

「ヴェイパー」

 ヴェイパーは拳を突き出して警戒しながら、名乗った。ロイズもまた、力を放つ姿勢のままだった。

「ロイズ・ファイガー。名乗られたら、名乗り返すべきだしな」

「ほう…」

 ラオフーは、意味ありげに声を漏らした。ヴィンセントはラオフーの肩から下りると、二人に近寄る。

「あっしが、ちゃっちゃと説明してやりやしょう。あっしらの目当ては、連合軍が持っている禁書なんでごぜぇやすよ。そいつを奪取するのが、あっしと虎の御隠居の仕事なんでごぜぇやす」

「簡単に言えば、強盗じゃな。泥棒とも言えるかもしれんが、奴らの方が余程ひどいことをしちょる」

 ラオフーは、赤い光だけで成された瞳を強めた。

「昨日今日現れた連中に、古からの文化を壊す権利はありゃあせん。それなのに、近頃の若いモンは限度っちゅうもんを知らん。儂らは目的が目的だけに、魔導師が連合軍に殺されとる様も何度も見てきたが、ありゃあ良くない。魔導師なんぞ殺したところで、魔法は絶えるもんでもない。増して、魔法を駆逐したからと言って近代文化が世界を支配するわけでもない。そういうことは、時の流れに任せるのが一番良いんじゃがなあ。全く、困ったもんじゃて」

「まぁ、あっしもちょいと前の時代の方が生き易かったとは思いやすがね。最近は、忙しなくていけやせん」

 ヴィンセントは青い瞳を細め、狡猾さの滲む笑みを浮かべた。

「そこで、でごせぇやす。鋼の兄貴、異能の坊っちゃん。虎の御隠居が暴れちょる隙にお仲間を助けてやったらどうでしょうや。悪い話じゃございやせんよ、お二方」

「…ちょっと待って」

 ヴェイパーが二人に手を翳すと、ラオフーは少し首を曲げた。

「なんじゃい」

「なんで、連合軍が禁書なんて持っているの? 禁書って、魔導師協会が封印していた魔導書のことでしょ? 連合軍は国際政府連盟からの命令で魔導師を排除しようとしているんだから、禁書なんて持っているはずがないんだ。それ、何かおかしくない?」

 ヴェイパーが訝しむと、ヴィンセントは小さな鼻をひくつかせて長いヒゲを動かした。

「あっしらには、そこまで解りやせんよ。ブリガドーン絡み、っちゅうことは解りやすがねぇ」

「ブリガドーン?」

 ロイズは不可解そうに、眉をひそめた。ラオフーは鉄槌を持ち上げ、肩から外した。

「そうじゃ。奴らの考えちょることはよう解らん。あの山は、別に大したもんじゃないんじゃがのう」

 ラオフーは、山に隠れて半分しか見えないブリガドーンを仰ぎ見た。

「ありゃあ、単なる石の固まりじゃ。なんでもありゃあせん」

「そうそう。ただ、ちょいと浮かんどるだけでごぜぇやす。他の山と違うのは、それぐれぇでごぜぇやす」

 ヴィンセントが頷く。ロイズは、ますます不可解そうにする。

「お前らは、ブリガドーンのことを知っているのか?」

「坊っちゃん。あっしらの素性を探るよりも、先にやることがあるんじゃありやせんか?」

 ヴィンセントに言われ、ロイズはぐっと唇を歪めた。

「解ってるさ。でも」

「そこで、儂の出番ちゅうわけじゃ」

 ラオフーは自分の身の丈ほどもある鉄槌を、放り投げた。樽ほどの大きさがある円筒の頭部が、ぶうんと唸る。
大きな手に柄を収め、また肩に担いだ。ラオフーは金色の鉄槌の柄に腕を絡めると、ずしん、と前に踏み出した。

「儂は連合軍の車両部隊を襲い、目当てのモンを奪う。おぬしらは、その隙に仲間を助けりゃええ」

「え、でも…」

 ヴェイパーは、迷った。そんなことを言われても、出会ったばかりのラオフーを頭から信用出来るわけがない。

「無理に信用せんでもええわい。どうせ、儂らは無頼の者じゃ。おぬしらにその気がないなら、手加減せんぞ。儂はおぬしらと違って、人間の区別なんぞ付けちょらんからのう。連合軍だろうとおぬしらの仲間だろうと、どっちも変わらんのじゃ。邪魔だと思うたら屠る、それだけのことじゃい」

 ラオフーは顔を突き出し、ヴェイパーの肩に乗るロイズを見据えた。赤い瞳には、獣じみた気迫が漲っている。

「儂は、じれったいのは好きじゃのうてな。おぬしらも邪魔だと思うたら、鉄槌で潰しちゃるわい」

「皆に手を出してみろ。僕も、手加減はしない」

 ロイズはラオフーに負けずに気を張ったが、押されたままだった。ラオフーは、にやりと赤い瞳を細める。

「心意気だけは立派じゃが、それだけじゃなんにもならんぞ、小童」

「行こう、ロイズ。時間がないんだろう?」

 ヴェイパーは、肩に乗るロイズに顔を向ける。ロイズは、ラオフーとヴェイパーを見比べる。

「でも」

「ロイズの気持ちは解るさ。僕だって、こんな連中を信用したくはない。でも、今はとにかく時間がないんだ」

 ヴェイパーはぐっと両の拳を握り、関節から白い蒸気を噴き出した。

「これ以上ヘマをしたら、フローレンスに笑われちゃうよ」

 その名に、ロイズは表情を硬くして頷いた。ヴェイパーは辺りの様子を窺い、兵士の姿が失せてから飛び出した。
ラオフーは建物の影から身を出し、ごきりと首を曲げた。ヴィンセントはラオフーを見上げていたが、頭を下げた。

「そいじゃ、ちゃあんとお仕事をしておくんなせぇ、虎の御隠居」

「ヴィンセント、おぬしはちぃーとも働かんのう。なんじゃ、不公平な気もせんでもないのう」

「あっしはあっしで、やることがあるんでさぁ」

「まぁ、なんでもええわい。仕事をせんことには、事が前に進みゃあせんからのう」

「全くで」

「のう、ヴィンセント」

 ラオフーは歩き出したが足を止めて、ヴィンセントに振り返った。

「あいつは、元気にしちょるか?」

「そいつぁもう」

「そうか。そんなら、ええわい」

「頑張ってきておくんなせぇ、虎の御隠居」

 ヴィンセントの言葉を背に受け、ラオフーは廃墟の影から出た。既に戦闘は始まっているのか、騒がしかった。
振り返ると、白ネコの姿は失せていた。現金なものだ、とラオフーは内心で毒突いたが気にせずに進み続けた。
 ラオフーの姿に気付いた連合軍の兵士が、飛び出してきた。一瞬立ち竦んだが、小銃を構えて引き金を引く。
その銃声に気付いて駆け寄ってきた兵士もラオフーに向けて銃を放ち、その人数はあっという間に増えていった。
幾重にも銃声が連なり、硝煙が視界を煙らす。だが、鉛玉の雨の中に立つ巨漢は、尾の先も動かさなかった。
そのうち、銃声が弱まってきた。兵士の手持ちの弾丸が尽きてきたのだ。それを、ラオフーは待っていたのだ。
 ぶん、と鉄槌の一振りで硝煙が払われた。煙の残る中から踏み出した巨体の魔導兵器は、退屈そうに言った。

「もう、終わりかのう?」

 滑らかな装甲には弾痕一つ付いておらず、鮮やかに日差しを跳ね返していた。手前の兵士は、再び銃を構えた。
だが、引き金を引いても何も出てこなかった。ラオフーは足元に散らばる鉛玉を踏み潰すと、鉄槌を突き出した。
後方の兵士が、我先にと逃げ出した。ラオフーは金色の鉄槌を一振りすると、兵士の一団に向けて投げ飛ばした。
 持ち主に負けず劣らず巨大な金属塊が、呆気なく人間を薙ぎ払う。骨を砕き、血を飛ばし、臓物を散らしていく。
悲鳴すら押し潰しながら、鉄槌は回り続けた。小銃や装備も、回る鉄槌に触れた途端に紙屑のように潰された。
鉄槌が持ち主の手に戻った頃には、原形をとどめているものは何一つなく、大量の血溜まりに肉塊が沈んでいた。
 金色の鉄槌は、緋色に彩られていた。







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