ドラゴンは滅びない




運命共同体



 翌日。フリューゲルは、竜の城を訪れていた。
 ゼレイブの住人の中で、連合軍と政府とまともにやり合える者はフィフィリアンヌの他は考えられない。 昨日、思念と感覚を通じて感じ取ったリリの気持ちが心中に残留していた。鈍い痛みと共に、熱も帯びていた。 リリは少し寂しげな顔をすることはあったが、笑顔を見せていた。思念の内にも、苦悩は一切流していなかった。 だから、知らなかった。フリューゲルが寂しいようにリリもまた寂しいのだと、当たり前のことに気付かなかった。 誰よりもリリの傍にいるのに、そんなことにも気付けない自分が腹立たしい。リリだけが堪えるのは、絶対に変だ。
 竜の城の中を駆けながら、フリューゲルはフィフィリアンヌの気配を探していた。最上階の書斎に彼女はいる。 飛行すると壁に衝突する危険があるので翼を使わずに、階段を駆け上り、登って登って最上階に辿り着いた。 石造りの長い廊下の先では、かつての城の主の家紋であるスイセンの浮き彫りが刻まれた扉が待ち構えていた。

「おいこらトカゲ女!」

 フリューゲルはすぐさま扉を開け放ち、書斎に駆け込んだ。本の山と埃だらけで、歩くたびに埃が舞い上がる。

「なんだ、騒々しい」

 窓際の大きな机に向かっていたフィフィリアンヌは、さも迷惑そうに細い眉を吊り上げた。

「貴君が窓から入らずに扉から入ってくることからして、まず珍妙なのである」

 ごぼり、と机の端に置かれたフラスコの中でスライムが気泡を吐き出した。

「オレ様もリリと一緒に行くんだぞこの野郎!」

 大股に歩いて机に歩み寄ったフリューゲルは、窓を震わすほど激しく叫んだ。

「何を言い出すかと思えば、予想通りの文句だな」

 フィフィリアンヌは机に視線を戻し、古びた本の活字を追った。フリューゲルは、だん、と机を乱暴に叩く。

「話を聞けってんだよこの野郎! オレ様はリリと別れたくない、だから一緒に行くって決めたんだ!」

「声を下げんか。貴様のさえずりが聞こえぬほど、耳は遠くなっておらん」

「リリだけが我慢するんじゃおかしいんだよこの野郎! だって、オレ様はリリの契約獣なんだぞこの野郎!」

「貴様にしては、なかなか筋の通った意見だな」

「だからお願いだ、トカゲ女!」

 フリューゲルは机を両手に付き、フィフィリアンヌへ顔を突き出した。

「オレ様もリリと一緒に行けるようにしてくれ! オレ様、リリのためだったらどんなことだって平気だ!」

「それが人に物を頼む態度か?」

「なんだとこの野郎!」

 フリューゲルが思わず言い返すと、フィフィリアンヌは恐ろしく冷たい眼差しで見返してきた。

「フィリオラから、人として最低限の礼儀と目上の者に対する言葉遣いを教えられたはずではなかったのか?  それとも、貴様は私と対等だとでも思い込んでおるのか?」

「う…」

 フィフィリアンヌの眼差しには、竜の威圧感が満ちていた。フリューゲルは思わず気圧され、僅かに後退した。 確かに、フィフィリアンヌの言う通りだ。魔物は竜に勝てない。だが、自己嫌悪と焦燥のせいですっかり忘れていた。 しかし、ここで怯んではいけない。魂が痺れるほどの畏怖と威圧感を堪えながら、フリューゲルは肩を上下させた。

「この女に頼みたい事柄があるとするならば、要約して述べるが良いぞ、フリューゲルよ。この女の機嫌を これ以上損ねてしまわぬためには、時間の浪費を避けることが最も有効な対策なのであるぞ」

 伯爵はにゅるりと触手を伸ばし、フリューゲルを指した。

「オレ様は、リリと離れたくないんだ」

 フリューゲルは不本意ではあったが、床に膝を付いて頭を下げた。

「お願いだ、トカゲ女、じゃない、フィフィリアンヌ。リリがこの国から出ていく時には、オレ様も一緒に行きたいんだ。 だから、連合軍と政府にオレ様も行かせてくれるように頼んで欲しいんだ」

「それだけか?」

 フィフィリアンヌは冷淡な言葉で切り返し、跪いているフリューゲルを見下ろした。

「それだけじゃいけないのか? リリとずっと一緒にいたいって思うのは、いけないことなのかよこの野郎!」

 フリューゲルは立ち上がりそうになったが、フィフィリアンヌの手に制された。

「貴様は物事を表面的にしか捉えておらんな。リリが国外退去処分を受けねばならん理由の一つとして、 リリと貴様を引き離すためというのもあるのだ。貴様は、現時点の性能でも複葉機数十機分の爆撃能力と 驚異的な飛行能力を備えた兵器なのだ。連合軍と政府の連中がリリと貴様の関係をどう捉えているのかは知らんが、 主とその兵器であることには変わりない。連中にとって、リリ・ヴァトラスとは念力発火能力者であると同時に 恐ろしい兵器を手にした子供なのだ。貴様がリリの傍にいる限り、リリもまた貴様と同一視されてしまうのだ。 リリのことを本当に思うのなら、貴様はこの機会にリリと別れるべきなのだ。そうしなければ、リリは未来永劫 危険視されてしまうのだからな」

「ルージュも似たようなこと言ってたけど、そんなのオレ様は納得出来ねぇんだぞこの野郎!」

「貴様が納得しようがしまいが、これが現実なのだ」

 フィフィリアンヌは、やや語気を強めた。フリューゲルは拳を固め、冷たい床を殴り付けた。

「そんなこと、知ったことじゃねぇよ! オレ様はリリと一緒に行くんだ、行くったら行くんだ!」

「やかましい!」

 唐突にフィフィリアンヌは声を張り上げ、机を強く叩いた。その声と音に驚き、フリューゲルは身動いだ。

「これまでのように喚いておれば我が侭が通るとでも思っているのか、この馬鹿鳥が。私を含めた者達は、 ファイドの目論見が潰えた時点で連合軍に敗北し、国際政府連盟の管理下に置かれておるのだ。ファイドの 起こした過ちの償いと、これまでの所業の報いを受けねばならんのだ。そのためにも、常識的な範疇だけでは あるが、連合軍と政府の命令を受け入れねばならん。無様に処刑されぬためには、そうする他はないのだ。 貴様の幼稚な我が侭を貫き通したとしても、事態は悪化するだけであって好転することはないのだ。それでなくても、 ファイドのせいで私達の立場は悪くなっておる。私達が再び日の当たる世界で生きるためにも、今ばかりは 堪えねばならんのだ。私とて、何もしておらんわけではない。子供らの処分を国外退去処分だけで止めるために、 連合軍と政府を丸め込んだのだ。放っておけば、連中は子供らを処刑するやもしれなかったからだ。私も私なりに 善処を尽くしておる」

「そうなのか? 処刑って、それって本当なのか?」

 思い掛けない言葉に戸惑ったフリューゲルが伯爵に向くと、伯爵は触手を曲げて鋼鉄の鳥人を指した。

「現時点では、共和国新政府と国際政府連盟には人造魔導兵器を裁く法がないのである。ブリガドーンや ファイドの絡んだ件のほとんどはリチャードに押し付けて処理したとはいえ、魔導兵器三人衆が行った大量殺人と 大規模破壊活動については未だに手付かずなのである。しかし、政府も国際政府連盟も建前があるのである からして、いつまでも放っておくわけにはいかないのである。そこで目を付けられたのが、ヴィクトリア、ロイズ、 そして貴君の主のリリの三人なのである。それぞれが魔導兵器三人衆の主だとでも仕立て上げれば、数も事情も 丁度良いのであるからして、処刑するには打って付けだったのである。その上、子供らを殺せば我々の血筋も 途絶えるのであるからして、連合軍と政府にとっては都合が良すぎるほど良いのである。だが、紆余曲折の末に 成し得たゼレイブと人外の平和を乱さぬためにも、連中の好き勝手にさせるわけにはいかないのであるからして、 我らが冷血トカゲ女は貴君らの与り知らぬところで度重なる交渉と会談を繰り返していたのである。その結果、 子供らの処分を処刑から国外退去まで甘くさせることが出来たのであるが、これ以上はさすがに厳しいので あるからして、貴君の我が侭を聞き入れられる余地などないと思われるのである」

「そりゃ、オレ様達は一杯悪いことしたかもしんねーけど、リリは関係ねぇじゃねぇかこの野郎…」

 フリューゲルが居たたまれなくなって俯くと、今度はフィフィリアンヌが続けた。

「そうだ。だが、連中にとってはそうではないのだ。連中は私達がどんな関係であってどんな境遇であろうとも、 気に留めてくれるほど優しくはない。誰かを生かすためには、何かを失わねばならん。今回は、その程度が 大きかったとでも思えばいい」

「でも…」

 フリューゲルは床に押し当てていた拳を、震えるほど強く握り締めた。

「リリが好きなんだ。大好きなんだ。オレ様がリリと別れたくないって思っているのと同じぐらい、リリも オレ様と別れたくないって思っているんだ。オレ様が寂しいって思うのと同じぐらい、リリも寂しいって思っているんだ。 オレ様、リリにそんな思いをしてほしくないんだ。リリには、ずっと笑っていてほしいんだ」

 体の構造上、涙は一滴も出ないはずなのに、声は泣き声のように引きつっていた。

「そう思うことって、いけないことなのか? そんなに悪いことなのか?」

 声にならない泣き声が溢れ出し、背を丸めて床に突っ伏した。昨日よりも激しい苦しみが、胸中を襲ってきた。 この世の誰よりも愛おしい少女を苦しめているのは、他でもない自分だという事実が苦しみを膨れ上がらせた。 だが、どれほど好きでも事実は変わらない。過去に犯した過ちを消すことも、やり直すことも出来ないのだから。
 不意に、扉が叩かれた。フリューゲルが顔を上げて振り返ると、開けっ放しの扉の先に見慣れた影が現れた。 手土産と思しきバスケットを提げているフィリオラだった。フィリオラは軽く頭を下げてから、書斎へと入ってきた。

「お取り込み中失礼します、大御婆様、伯爵さん」

「丁度いい。フィリオラ、それを連れ帰ってくれ。この鳥の馬鹿さ加減に愛想が尽きたのだ」

 フィフィリアンヌは、フリューゲルを顎で示した。フィリオラは、バスケットをテーブルの上に置いた。

「私もそのことで参りました」

「ほう?」

 訝しげにフィフィリアンヌが眉を曲げると、フィリオラはフィフィリアンヌと向き直った。

「大御婆様。私も、リリとフリューゲルを引き離すべきではないと思うんです」

「なぜそう考えるに至ったのだね、フィリオラよ」

 伯爵に促され、フィリオラは頷いた。

「では、述べさせて頂きます。二人の思いの強さもそうなんですが、リリとフリューゲルはお互いの存在で 力の均衡を保っているんです。リリは過剰に生み出してしまう魔力をフリューゲルに受け流し、フリューゲルは リリから流れ込んでくる余剰分の魔力で命を保っています。リリの異能力の成長は私の予想を遙かに超えていて、 私の施した魔法と魔導鉱石に魔力を吸収させて押さえるだけではいずれ暴発してしまう危険があります。アレクセイと エカテリーナに襲撃された時の件もありますし、リリの感情とは無関係にリリの力が誰かを傷付けてしまうかもしれません。 リリの発する炎は普通の炎ではありませんから、燃焼速度も速ければ温度も高いですし。何かが起きてから 対処するのでは遅いんです。何も起こさないためにも、何も起きないうちに事を進めるべきだと思うんです」

「筋は通っておるな」

「ですけど、それだけの理由で連合軍や政府の方々が納得して下さるとは到底思えませんので、私なりに 対処方法を考えてきました。大御婆様、よろしければ聞いて下さいますか?」

「良かろう、話せ」

 フィフィリアンヌは椅子に座り直し、腕を組んだ。フィリオラは、フリューゲルを手で示す。

「あちらを納得させるために最も有効な方法としては、フリューゲルを兵器でなくさせることだと思うんです。 あの方々の懸念はフリューゲルの破壊能力と飛行能力だけであり、フリューゲルの人格そのものではないんです。 ですから、思い切ってフリューゲルの戦闘能力を大幅に下げてみてはどうでしょう。もちろん、本人の同意の上ですが」

「して、どう思う」

 フィフィリアンヌの視線を受け、フリューゲルは二人の竜の女を見比べた。

「そんなことしたら、オレ様はオレ様じゃなくなっちまう気がするんだぞこの野郎」

「ですが、どう考えてもそれが一番だと思うんです。大御婆様は、どの程度力を下げるべきだと思われますか?」

 フィリオラがフィフィリアンヌに問うと、フィフィリアンヌは即座に返した。

「二十分の一だ。連中が納得するほどとなれば、それぐらいまで下げねばなるまいて」

「ニジュウブンノイチって、どのくらいなんだ?」

 意味が解らずにフリューゲルが首をかしげると、フィリオラは持ってきたバスケットを開き、皿を取り出した。

「このケーキが、フリューゲルの全力だとします」

 フィリオラは、大皿に載せられた円形のケーキをフリューゲルの前に出してよく見せた。

「それを半分に分けた片方が、二分の一になります。それは解りますね?」 

 フィリオラは皿の脇から小振りのナイフを取り出すと、ケーキを半分に切り分けた。

「二十分の一とは、その半分にした二分の一を更に十分の一に分けたもののことを指します」

 フィリオラは半分にしたケーキを器用に切り分けて、十分の一にした。

「それが、これです」

 フィリオラはその一つを小皿に載せて、フリューゲルに見せた。ケーキは、薄っぺらく小さな一片になっていた。 元の大きさに比べれば、かなり小さかった。フリューゲルはあまり理解出来なかったが、なんとなく意味は掴めた。

「あれがいつものオレ様で」

 フリューゲルはほぼ円形のケーキを指してから、小さな二十分の一のケーキを指した。

「これがニジュウブンノイチのオレ様…。めちゃめちゃしょぼくなってねぇか、これ?」

「貴様の意図が読めたぞ、フィリオラ」

 フィフィリアンヌは薄っぺらいケーキを見下ろし、目を細めた。

「この馬鹿鳥を兵器ではなく、ただの友人に格下げさせるつもりだな?」

「さすが大御婆様、ご理解が早いです!」

 フィリオラは手を組んで喜んでから、切り分けたケーキを皿に載せてフィフィリアンヌの前に置いた。

「飛行能力も破壊能力も腕力も人間並みにしてしまえば、フリューゲルは兵器ではなくなりますからね。 ですが、それだけではまだ不安なので、もう一つ対処策を考えてあります。フリューゲルに空間転移魔法を施して、 リリの影の中に作った異空間に収めてしまうんです。元々、二人は契約獣と召喚術師の関係なんですから、 無理はありません。リリとフリューゲルの影を共有させてしまえば一定距離以上は離れられませんから、フリューゲルは 暴れられませんし、リリの魔力もより効率的に吸収出来るようになります。異空間生成を行うためにリリは常時魔力を 消費しなければなりませんし、魔力中枢に少しばかり負荷が掛かりますが、リリは魔力が有り余っていますから 特に問題はないでしょう。影からの出入りもリリの任意にすれば、文句の付けようもないでしょうしね」

「影の中か。ふむ、悪くない」

 フィフィリアンヌはフィリオラのケーキを一囓りしてから、フリューゲルに目を向けた。

「だが、問題がある。肝心の貴様が、弱体化改造を受け入れるかどうかだ」

 フィフィリアンヌはフィリオラのケーキを食べ終えると、指先を舐めた。

「力を取るか、主を取るか。二つに一つだ」

「そんなもん、最初から決まってるんだぞこの野郎!」

 フリューゲルは勢いよく立ち上がると、両翼を大きく広げた。

「オレ様は、リリのためだったらなんだって出来る! だから、力なんかいらねぇんだよこの野郎!」

 フリューゲルは心中に残っていた迷いを振り払うために胸を張り、強大な力への名残惜しさを切り捨てた。 リリの傍にいられるなら、力など必要ない。破壊衝動とはまた違った疼きが起こり、思わず身震いしてしまった。 力を失えばリリと離れずに済むのなら、喜んで失おう。あの寂しさと苦しみを、これ以上リリに味わわせたくない。

「貴様にしては良い答えだ」

 フィフィリアンヌは手近なワイングラスにワインを注ぎ、呷った。

「主の影の中に造り上げた異空間で生きるようになれば、貴様の命はリリに掌握されることになる。普段は 影の中に封じ込めると言うことは、貴様という物質と生命を影の異空間に固定するということになるが、その異空間を 生成するためにはリリから魔力を絶えず供給されていなければならん。だが、その魔力が途切れてしまうと影の中の 異空間を成すことが出来なくなり、消滅してしまう。となれば、その中に封じ込められている貴様も影の中で人知れず 命を落とすことになる。それでも良いのなら、魔法を施してやろうではないか」

「リリが死ねば、オレ様も死ぬのか?」

「理屈の上ではそうなる。それが嫌だと思うのなら、考え直すが良い」

「いっ、嫌なわけがあるか! リリが死ぬわけねぇだろうが、オレ様が守るってんだよこの野郎!」

 頭を掠めた死への恐怖を振り払い、フリューゲルは叫んだ。

「リリがいるから、オレ様はオレ様でいられるんだぞこの野郎! 絶対に死なせたりなんかしないし、悲しませたりも しないんだぞこの野郎! 絶対に絶対なんだってんだよこの野郎!」

「その言葉、裏切らないで下さいね」

 フィリオラから笑みを向けられ、フリューゲルは大きく頷く。

「当たり前なんだぞこの野郎!」

「傍目に見ているだけでも背筋が痒くなるほどの羞恥心を煽り立てられるくらいに青臭いどころか子供じみた主張と 言葉の数々であるが、まあ、魔物にしては上等な方なのである。だが、我が輩には未だにあの小娘の良さが解らぬのである。 顔立ちはそれなりに可愛らしいかもしれぬが、やかましい上に鬱陶しく、頻繁に泣く、どこにでもいる子供でしかないので あるからして、貴君がそこまで執心する理由が見当たらないのである」

 さも可笑しげに伯爵は身を震わせたので、フリューゲルはスライムを睨み付けた。

「うるせぇ黙れこのネバネバ野郎! リリはなー、すっげぇ可愛くてすっげぇいい子なんだぞこの野郎!」

「せっかく良い感じに盛り上がってきたんですから、そこで水を差さないで下さいよ」

 伯爵のフラスコを掴んだフィリオラは、その中に持参した牛乳を注ぎ入れた。赤紫のスライムが、白く染まる。

「おおおおおう! こらこらやめたまえというかいきなり何をするのであるか!」

 牛乳まみれになった伯爵がじたばたと暴れ、フラスコの中で白い水滴が飛び散った。

「あ、おう、お…」

 更に暴れようとしたが、伯爵の動きが鈍り始めた。牛乳が染み渡るほどに、低い声の勢いも弱っていった。 その様子に、フィリオラは意外そうに目を丸くした。フィフィリアンヌは笑いを堪えているのか、口元を引きつらせた。

「フィリオラ。貴様が行った実験の成果、後で書き留めておくとしよう」

「牛乳だと眠くなるんでしょうか」

 フィリオラは瓶に残った牛乳と、すっかり動かなくなった伯爵を見比べた。小さく気泡を吐くが、微動だにしない。

「そのうち目を覚ますだろうて。そのまま永久に起きてくれなくとも、一向に構わぬのだがな」

 フィフィリアンヌはワイングラスを傾け、飲み干した。フィリオラは牛乳瓶に蓋をし、バスケットに戻した。

「ですけど、リリも幸せですよね。こんなに思ってくれる方がいるんですから」

「執着心が強すぎると思わぬでもないが、双方の幼さを考慮すれば仕方ないことやもしれんな」

 フィフィリアンヌは二杯目のワインを注いでから、そのグラス越しに機械仕掛けの鳥人を見据えた。

「生だけでなく、その先の死すらも共にすると定めたか。貴様とあの子の関係に相応しい言葉としては、 運命共同体だろう。恋人とも言えず、家族でもなく、守護者と主とも違うとすれば、それしかあるまいて」

「ウンメーキョードータイ?」

 言葉の意味が解らず、フリューゲルはきょとんとした。すかさず、フィリオラが注釈を入れる。

「生きるも死ぬも一緒、ってことですよ。もっとも、どちらにも死んでほしくはありませんけどね」

「そっか、オレ様はリリのウンメーキョードータイなのか! なんか凄ぇな、格好良いな!」

 それこそがフリューゲルの望んでいたことだ。その意味は上手く掴めないが、感覚としてぴったりだと思った。 いつまでも傍にいて、どこまでも付いていく。リリがいる場所にいることこそが、フリューゲルが生きている意味だ。 力が邪魔なら、捨てていけばいい。姿が邪魔なら、隠してしまえばいい。その代わり、気持ちは全て曝し出すのだ。 力任せに大暴れするのは好きだが、リリほどではない。あの壮絶な出来事を経た後は、戦闘衝動も落ち着いた。 この世界には、戦い以外にも楽しいことがいくらでもあると知ったからだ。それまでは、戦うことしか知らなかった。 だが、人を大量に殺すよりも、リリや皆と遊んでいる方が余程いい。戦いでは満たされないものが満たされる。
 だから、離れたくない。





 


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