三人は、住宅街近くの商店街を歩いていた。 ひっきりなしに行き交う人々の間で浮いた存在の甲冑の腕に、ツノの生えた少女がべったりとしがみ付いていた。 二人の数歩後を、黒いマントを羽織った少年が続いていた。彼の腕には、柔らかなぬいぐるみが抱かれていた。 赤茶けた布地で出来たクマのぬいぐるみに顔を埋め、うぁー、とブラッドは嫌そうに呻いた。かなり、恥ずかしい。 「オレ、これ持つのやだ…」 「仕方ないじゃないですか。私の片手が空けば持つことが出来ますけど、離してくれないんですもん」 ほら、とフィリディオスは体を寄せてくるジョーを指した。十八歳の体の幼女は、ふにゃっと表情を崩す。 「くーまさーんだー」 「ていうかさ、そいつ、ご機嫌取りがいらないくらい機嫌良くね?」 ブラッドが怪訝そうにすると、フィリディオスは首を横に振る。その動きに合わせ、トサカに似た頭飾りが揺れる。 「甘いですよブラッドさん。小さい子というものは、いつ何時不機嫌になって大泣きするか解らないんですから」 「だからって、そんなにごっそりお菓子を持ってくことないじゃん。カゴに一杯なんてさぁ」 ブラッドは呆れたように、多少くたびれているクマのぬいぐるみを背負った。 「もしかして、フィオが喰いたいだけ? 自分が喰えないから、ジョーに喰わせる気だったりするんじゃね?」 「ちっ、違いますよ!」 いきなり慌てたフィリディオスは、お菓子の詰まったバスケットを持っている手でジョーを指す。 「ただ、間が持たない時が来たら必要かなーって思っただけですってば!」 「やっぱ喰いたいんじゃん」 ブラッドがにんまりするとフィリディオスは、うぅ、と小さく唸って顔を背ける。 「…だって、朝から何も食べてないんですもん。いいじゃないですか、気分だけでも」 「その辺、おっちゃんとの違いだよなー。おっちゃんは何も喰いたがらないんだもん」 少し感心したように、ブラッドはフィリディオスを見上げた。フィリディオスは、ヘルムに手を触れる。 「小父様は、体を失われてから大分経っていますからね。食欲自体、かなり薄らいでいるんだと思いますよ」 ふーん、とブラッドは気のない返事をした。フィリディオスは、ジョーの体重で傾いでしまった姿勢を戻した。 髪を整えるような気持ちで頭飾りを撫で付けてから、目線を動かした。視点が高いと、色々と物珍しく思えた。 普段は絶対に見下ろせない人々が見下ろせることが、不思議だった。妙であったが、どこか楽しい感覚だった。 背中に乗せてきたバスタードソードも、様になっている。使うことはないだろうが、格好だけ付けてみた。 一度だけ手にしたことはあったが、恐ろしく重たかった上に持ち上がりもしなかったが、今は易々と担げている。 やはりそれは、ギルディオスとしての体力だろう。フィリディオスは体を動かしたくなったが、今は出来ない。 フィリオラの体に取り憑いたジョーが離れようとしないし、離れて手を繋ごう、と言っても嫌だと言ってくる。 なので、仕方なしにこの状態になっていた。無理に引き剥がして機嫌を損ね、肉体を乗っ取られたら大変だ。 ぬいぐるみを負ぶったブラッドは、動きづらそうなフィリディオスを見上げ、巨大な剣を乗せた背を仰ぐ。 「なぁ、フィリディオス。これから、どこに行くつもりなんだ?」 フィリディオスは振り返り、ブラッドに返した。 「南区の公園です。旧王都から出るのは危ないと思うので」 「なんでだよ?」 「迷子になっちゃうんですよ、私が」 情けなさそうに、フィリディオスは照れ笑いした。ブラッドはその理由に拍子抜けし、彼女を追い越した。 「あほくせー」 「わ、私だって情けないって思いますけどね、解らなくなっちゃうものは解らなくなっちゃうんです!」 だって道って色んな方向に繋がってるじゃないですか、とフィリディオスは弁解するが、少年は聞き入れない。 クマを担いだブラッドの背は、さっさと先へ進んでしまう。フィリディオスは、小走りにそれを追っていく。 甲冑に引っ張られて駆け出したジョーは、最初は少し戸惑っていたが、すぐに調子を合わせて走り出していた。 視点が高いおかげで、何もかもが良く見える。しがみ付いている腕も大きくて太く、心の底から安心出来ていた。 なので、自然と顔が綻び、少しのことでも嬉しくて仕方なかった。ジョーは、目の前にある甲冑の背を見上げた。 大きくて頼りがいのある、戦士の背中だった。 住宅街の外れの南側に、緑化されて整備された公園があった。 日が昇ってきたため、初春の風も少しばかり冷たさを失っていた。降り注ぐ日差しが優しく、芝を照らしていた。 石畳の歩道とレンガで囲まれた芝生が広がり、その奧には頼りない木々が植えられていた。人工の林だった。 整然とした歩道の脇には、ベンチがいくつか置かれていたが、それらは語り合う人々によって埋まっていた。 フィリディオスは空いているベンチを捜したが、近くにはなさそうだった。歩き出そうとすると、ジョーがぐずった。 「やーだー」 歩き疲れたのか、ジョーはしゃがみ込んでしまった。両足を広げて背を丸め、頬を膨らます。 「あるくのやー」 「えと、とりあえず、前を隠して下さい。丸見えですよ」 フィリディオスはしゃがむと、ジョーのスカートを前に引っ張り下げた。白い下穿きが、丸出しになっていた。 不機嫌そうにむくれているジョーを宥めながら、フィリディオスはブラッドを捜したが、近くにはいなかった。 捜しに行くと言って先に奧に入っていったが、まだ戻ってきていない。だが、もう戻ってきてもいい頃のはずだ。 フィリディオスが周囲を見回していると、黒いマントを広げて少年が駆け寄ってきた。喜々として、手を振っている。 「フィリディオスー、いいとこあったぞー」 「あ、そうですか。じゃ、行きましょう」 立ち上がったフィリディオスは、ジョーを立たせた。ジョーは上目遣いに、甲冑を見上げる。 「すわれるの?」 「はい。そうですよ。だから、後少しだけ歩きましょう」 「ほんとに、ちょっとだけ?」 「はい、そうですよ。だから、もう少しだけ頑張って下さいね」 フィリディオスは、クマのぬいぐるみを言葉に合わせて動かした。布の丸い手が、少女の頭を撫でる。 「ジョーは強い子でしょう?」 「ん」 ジョーは少し表情を緩め、クマ越しにフィリディオスを見上げた。フィリディオスは彼女の手を引き、歩き出した。 ブラッドは二人が付いてきているのを確かめてから、先を歩き始めた。歩道を曲がり、更に細い歩道に向かう。 少年の足は、公園の奧へ奧へと向かっていった。成長し切れていない木々の間を抜けながら、迷わず進んでいく。 芽吹き始めたばかりの木々の林とはいえ、薄暗さがあった。狭い歩道を歩きながら、ジョーは不安げにする。 フィリディオスが彼に行き先を尋ねようとすると、目の前が開けた。丸い空間を、まばらな木々が囲んでいた。 芝の植えられた地面は柔らかく、人の入った気配は少ない。あまり、知られていない場所のようだった。 フィリディオスがジョーの手を引きながら歩いていくと、あ、とブラッドが声を出し、太さのある木に目を向けた。 痩せぎすな他の木々に比べて、確かな太さを持っている乾いた幹に背を預け、地べたに座っている人影がいた。 その姿に、フィリディオスは仰け反った。まさか、こんなところに彼がいるとは思ってもいなかったのだ。 「あいやぁあ!」 「…なんですか、その声は」 木の根元に座っていた男は、呆気に取られたようで警察手帳を取り落とした。出来る限り、目を見開いている。 レオナルドの目線に、フィリディオスは反射的に身を引いた。じりじりと身を下げながら、手を振り回す。 「違うんですよ違うんですよ、私なんですよレオさん!」 「何がどうなってるのかまるで把握出来んが、とりあえず説明しろブラッド」 レオナルドは警察手帳を拾うと、バスケットを抱えている少年を示した。ブラッドは、苦笑する。 「そーれがさぁ…」 ブラッドが事の次第をレオナルドに説明している間、フィリディオスはかなり動揺し、取り乱してしまっていた。 幼児の言動をする己の肉体に対する羞恥と、取り憑かれたことをなじられるかも、という恐怖のせいだった。 頭を抱えて項垂れる大柄な甲冑をツノの生えた少女が、いいこいいこ、とクマのぬいぐるみを使って慰めていた。 それは、恐ろしく違和感のある光景だった。 円形の芝生のほぼ中心に、四人は円になって座っていた。 その中心にバスケットが置かれて敷物が敷かれ、中身は出されていた。大量の菓子が、敷物に広げられている。 紅茶の葉が練り込まれたケーキ、ドライフルーツが散らされた大振りなクッキー、ほのかに甘みのある丸いパン。 細かく砕かれた木の実を固めた飴菓子、綺麗なきつね色の細長い揚げ菓子、缶に入ったチョコレートがあった。 それを、レオナルドが手当たり次第に食べていた。フィリディオスは敷物の前で膝を抱えていたが、肩を落とす。 「レオさん。少しは、遠慮して下さい…」 「給料日前なんだぞ。出来るものか」 飴菓子を奥歯で噛み砕きながら、レオナルドは苦々しげにした。 「刑事ってのは仕事量の割に薄給でな、オレも色々と切羽詰まって来てるんだ」 「それなら、私の方がよっぽどきついんですけど。収入ありませんし、賠償金を払わなきゃいけませんし」 「だったら菓子を買い込むな」 「だってぇ、甘いものがないと寂しいじゃないですかぁ!」 フィリディオスは、ねぇ、とブラッドに同意を求めた。ブラッドは、ケーキを食べる手を止める。 「それはオレにも解るかも」 「うん。おかしはおいしいもんねー」 にこにこしながら、ジョーはクッキーを囓っている。食べ方が下手なせいで、ぼろぼろと破片が落ちていた。 保温瓶から温い紅茶をカップに注いだレオナルドは、ぐいっと飲み干した。一息吐いてから、甲冑に目をやる。 「しかし、お前が霊媒体質だったとはな。ならば、なぜ霊媒師にならない?」 「私は憑依されちゃうだけで、その手の方々は少しも見えないんですよ。霊感がちっともないんです」 フィリディオスが気恥ずかしげにすると、レオナルドはにやりと口元を上向ける。 「オレは見えるが」 「え、ええ、本当ですかぁ!」 「大抵は見えるだろう。そこそこの魔力と感覚さえあれば。なぁ、ブラッド?」 レオナルドに振られたブラッドは、ケーキを飲み下した。半分ほどになったケーキを持ったまま、頷く。 「うん、見える見える。ていうか、見えない方が少ないんじゃね?」 「そう、なんですか?」 フィリディオスが内心で目を丸くすると、レオナルドは二杯目の紅茶をカップに注ぎ込む。 「ああ、そうだと思うぞ。オレの同僚の奴に、魔力は大したことがないのにやたらと見える奴がいてな。現場に行くと良く言うんだ、ガイシャが自分の死体を見てたりオレらの回りにいたりするってな。他の連中もうっすらと見えたり、見えなくても解ったりするらしい。だから、大抵の人間には霊感と呼ぶべき感覚があると判断していいだろう」 「じゃ、じゃあレオさん、魔導師なのにさっぱり見えない私ってなんなんですかぁ!」 泣き出しそうな声を上げるフィリディオスに、レオナルドは言い放った。 「恐ろしく鈍感、或いは無能、もしくは感覚が途切れている」 「うぅー…」 ぺたっと座り込んだフィリディオスは、がっくりと項垂れた。この姿になっていても、レオナルドは容赦がない。 口の回りに食べかすを付けているジョーは、フィリディオスの頭を撫でた。いいこいいこ、と何度も繰り返す。 顔を上げたフィリディオスは、バスケットの中からハンカチを取り出した。それで、少女の口の回りを拭ってやる。 「ありがとうございます。あなただけですよ、ジョー。私をなじったりしないのは」 「だって、おねえさん、いいこだもん。ジョーにおかしくれたもん」 無邪気に笑うジョーに、レオナルドは目をやった。フィリオラの姿形をしているが、口調も声も性格も違う。 最初は違和感があったが、いつのまにかこの状態に慣れていた。恐らく、フィリオラの顔立ちが幼いためだろう。 これで、フィリオラの姿形が大人びていたりしたら、今以上に不気味な状態になっていたに違いないだろう。 レオナルドは口の中の甘みを紅茶で流してから、カップを下ろした。捜査の合間の休憩が、妙なことになった。 以前に旧王都を案内した時に、ブラッドにこの場所のことを教えたので、ここに来るであろうとは思っていた。 だが、丁度鉢合わせるとは思ってもみなかった。しかも、ギルディオスに乗り移ったフィリオラと一緒とは。 フィリディオスという名の少女の心を持つ甲冑を、何の気なしに眺めてみた。異様といえば、異様な光景だ。 端々に垣間見える女性らしい仕草や身のこなしが、少々気色悪かったが、慣れてしまえばどうということはない。 このおかしな状況にすぐに適応してしまう自分が少し信じられなかったが、普段の生活が珍妙だからなのだろう。 隣人が、竜族の末裔の少女とハーフヴァンパイアの少年、五百年以上長らえている甲冑という面々なのだから。 そんな連中といちいち関わっていれば、元々普通でないレオナルドが、大抵のことに慣れてしまうのは当然だ。 適応能力が高いのは良いことだ、とレオナルドは内心で自負しながら、缶入りのチョコレートに手を伸ばした。 すると、ブラッドが上空を見上げた。クッキーを食べ終えてから、目線を上に向けて見据え、変な顔をする。 「なんだありゃ」 「何がですか?」 フィリディオスは、ブラッドに吊られてその方向を見上げた。レオナルドは、二人の目線の先を凝視する。 「鳥、にしては機械じみているようだが」 銀色の光沢を持った平べったいものが、上空をくるくると回っていた。翼のような形状の、金属板が飛んでいる。 風を孕んでいるのか、薄い金属板は膨らんでいる。そして、銀の翼の下には、同じく銀色の骸骨が付いていた。 やたらと大きな両手が付いた骨ばかりの腕をだらりと垂らし、風に乗っていた。時折、甲高い声が聞こえる。 ジョーもそちらを見上げ、首をかしげた。風向きが公園に向いてくると、その変な物体はこちらに向かってきた。 埃っぽい乾いた風を受け、ブラッドは目を見開いた。濃厚な血の匂いが、吹き付けてくる空気に混じっていた。 三人を窺ってみたが、彼らは気付いていないようだった。どうやら、人間に近い彼らには感じられないらしい。 ブラッドは恐ろしく嫌な予感を覚えながら、目を凝らした。銀色の物体は姿勢を傾けると、こちらに落下してくる。 銀色の骸骨は、甲冑を直線上に捉えていた。フィリディオスが身を引こうとすると、それは、真正面に降ってきた。 「イィヤッホゥウウウウウウ!」 銀色の翼は硬度を失い、ふわりとなびくマントとなった。その下に付いていた銀色の骸骨は、腕を伸ばした。 骨そのものの体格に比例していない巨大で鋭い指先が、甲冑の頭を鷲掴みにし、勢いのままに押し倒した。 激しい金属音と共に、フィリディオスは背中から転げた。それを、銀色の骸骨は落下の速度を使って押していく。 土を抉りながら、バスタードソードを背負った赤いマントが削れた芝生に埋まる。その上に、骸骨が跨った。 「うくくくくくくくくくく」 がしゅり、と巨大な手がヘルムを握る。ゆらりと体を起こした銀色の骸骨は、甲冑の頭部を引き抜き、掲げる。 「お久しヒサブリ超お久ァアアアアア! アルちゃんアルっちアルゼンタムのご登場ダゼィイイイイイ!」 「い、痛い痛い痛いですってばぁ!」 アルゼンタムと名乗った骸骨に踏まれながら、フィリディオスは外されてしまった兜のあった部分を押さえる。 頭部が切り離されてしまっても、痛覚はありありと残っていた。強い力で締め付けられる音と痛みが、響いてくる。 アッソウ、とアルゼンタムは手を緩め、フィリディオスの首のあった部分に兜を落とした。仮面の顔を、突き出す。 「ンーンーンンー?」 奇妙な笑みを浮かべた仮面を甲冑に寄せたアルゼンタムは、首をかしげる。 「違う違うぜ違うジャネェカァアアアア! てめぇ、ギルディオス・ヴァトラスじゃネェナァアアア!?」 甲高くもあり、恐ろしげな叫び声にブラッドは身を固めた。強烈な血の匂いが鼻どころか胸を突き、気分が悪い。 口を押さえていても、吐き気がする。生々しい血の臭気が、無理矢理に喰われた臓物の味が、伝わってくる。 それは、ある種の残留思念だった。アルゼンタムという名の機械人形に染み付いた、死者達の壮絶な断末魔だ。 かなりの人数を殺してきたのだろう、様々な魔力の声で聞こえてくる。腹を割かれた恐怖と、死に際の感情が。 ブラッドが青い顔をしていると、レオナルドは眉間を歪めていた。ジョーを背後に隠してから、拳銃を抜く。 アルゼンタム。その名には、聞き覚えがあった。グレイス・ルーの造った、殺人狂の魔導兵器の名だった。 魔導金属製と思しき胸装甲には、緑色の魔導鉱石が埋められている。その中に納められた、魂が感じられた。 理性の欠片もない、殺戮と捕食の本能ばかりが漲った魂だった。レオナルドは背筋が冷たくなったが、堪えた。 拳銃を構えて、銃口を銀色の骸骨の胸に向けた。すると、甲冑を踏み付けているアルゼンタムは、刑事に向く。 「ハッハッハァーン。ンーナモン、効ぃくわけネェダァロォウウウウウウウウ?」 「それは、どうだかな」 レオナルドが引き金を絞ると、アルゼンタムは腰を落とした。素早く踏み込み、バネ仕掛けのように飛び出す。 鉛玉が発射されるより先に、銀色の影は刑事の腕を取っていた。左手でレオナルドの右手を掴み、押し上げる。 「うかかかかかかかかかかかっ」 とち狂った叫声と同時に、アルゼンタムの細い腰が曲がった。軽く捻った後に、巻き戻すように足が振られる。 刹那、肉のない足がレオナルドの脇腹に叩き込まれた。レオナルドは勢い良く吹き飛ばされ、転倒する。 芝と土に肩を擦り、頬が痛みで熱くなる。レオナルドが起き上がろうとすると、どっ、と背中に足がめり込む。 「公安か、公安なのか、公安なんだなァアアアアア? デェモッテー、オッマッエは普通ジャアネェナァー?」 「…だったら、どうなんだ」 レオナルドが振り返ってアルゼンタムを睨むと、アルゼンタムはぎらりと輝く爪先を突き付ける。 「目ぇ抉って喉かっさばいて腹ぁ開いて血ぃ啜ってはらわた飲んで、喰ってヤルゼェエエエエエエエ!」 レオナルドは、その爪先を凝視した。力を引き絞って一気に放つと、衝撃と熱波で金属製の手が仰け反る。 オゥワ、と半身を下げたアルゼンタムを更に睨む。どこからともなく溢れた炎が、仮面を被った頭を包んだ。 そのまま数歩、銀色の骸骨は後退した。足の下から逃れたレオナルドは立ち上がり、右手を挙げて銃を構える。 威勢良く燃え上がる炎の奧、隙間の空いた目元を狙った。引き金を押し込もうとすると、炎が、破れた。 「うけけけけけけけけっ!」 ぼひゅっ、とアルゼンタムは炎を喰らった。笑っている口の中に全て吸い込むと、そこから蒸気を昇らせる。 「バッカじゃネェノゥー? オイラにゃ、ドーンナ魔法もドーンナ攻撃も効かネェンダァヨォウー? グレイスの野郎がソーウ造ったンダカラァーナァアアアアアア」 超最強ってヤツゥー、と語尾を上げながらアルゼンタムは肩を震わせる。レオナルドは、素早く後方を顧みた。 フィリディオスは頭を押し込んでから、立ち上がっていた。まだ痛みが残っているらしく、唸っている。 そして、ジョーと共にいるブラッドを窺った。ブラッドは真っ青になっていて、かなり気分が悪そうだった。 ジョーはといえば、驚いたようにきょとんとしている。だが不思議なことに、怯えているわけではなさそうだった。 大方、何が起きているのか、解っていないのだろう。子供だからな、と思いながらレオナルドは呼吸を整えた。 アルゼンタムは、得意げに笑い転げていた。魔法がまるで通用しない、というのは、嘘ではないようだった。 レオナルドの炎は、魔力の固まりだ。それを直接喰らっても変化がないのは、影響が出ていないということだ。 この分だと、銃撃も通用しないだろう。魔導金属はある種の魔法を用いれば、鉛玉を弾く硬度にまで強化出来る。 発射して、その上で万が一跳弾でもしたら、どこへ飛ぶか解らない。レオナルドは奥歯を噛み、銃口を下げた。 ぎち、とアルゼンタムは首を回した。奧の見えない空洞の目が向けられ、黒衣の少年はびくりと身を縮めた。 「…う、あ」 ブラッドがずり下がっても、ジョーはきょとんとしているだけだった。アルゼンタムは、ジョーを見定める。 「オーンーナーカァー」 「うん。ジョーはおんなのこだよ」 ジョーがにっこりと笑うと、アルゼンタムは弾かれるように飛び出した。 「野郎より女の方が好きだ好きだぜ大好きだァアアアアア! 喰うぜ喰らうぜ喰っちまうゼェエエエエエ!」 銀色のマントを羽織った背が、少女に向かっていく。レオナルドが声を上げようとすると、すぐ傍を何かが飛んだ。 空を切ったカップが銀色の背に命中し、砕け散った。カップに残っていた紅茶の滴が垂れ、骸骨の動きが止まる。 「アーァーン? オイラの邪魔する気ナァノカヨォーウ?」 首を回したアルゼンタムは、カップを投げた主を見据えた。敷物の手前にしゃがんだ甲冑が、肩を怒らせている。 フィリディオスは膝を伸ばして立ち上がると、レオナルドの背後に歩み寄ってきた。彼に顔を近付け、小さく呟く。 魔導拳銃持ってますか、と小声で尋ねられ、レオナルドは腰の後ろを指した。フィリディオスに、怪訝な顔をする。 「だが、何に使うんだ」 「魔導師の戦い方を、お見せするために使うんですよ」 お借りします、と魔導拳銃をレオナルドの腰から抜いたフィリディオスは、それをアルゼンタムに向けた。 「私は小父様ではありませんが、あなたは小父様をご存知のようですね?」 「オウ、ご存知ダゼェーイ? ギルディオスのクソ野郎はナァー、このオイラを壊してくれやがったのさぁ!」 アルゼンタムは甲冑に振り向き、踏み出してきた。フィリディオスの前に立つと、仮面の顔を傾げる。 「ダァーカラオイラは、その仕返しに来たんだァヨォオオオオオオオ!」 瞬時に曲げられた膝が、フィリディオスの腹部を抉る。アッハァ、とアルゼンタムは小さく笑い、腕を曲げる。 ごしゃっ、と甲冑の首に腕が叩き込まれ、装甲が軋む。フィリディオスがよろけると、骸骨は爪先を広げた。 「モォラッタァアアアアア!」 爪先は、甲冑の胸部を狙っていた。一気に貫くと思われたが、その直前で彼女は体を捻り、突撃から逃れた。 滑るように姿勢をずらしたフィリディオスは、アルゼンタムの背後を取った。剣を引き抜くと、振り下ろす。 力任せに、銀色のマントの中心に剣先が押し込まれた。金属同士が擦れ、刃と金属糸製の布が軋み合う。 前傾姿勢になっていたアルゼンタムは、俯せに地面に倒された。フィリディオスは剣を投げ、飛び上がる。 「とぉっ!」 膝を曲げ、アルゼンタムの背中に落ちようとした。が、膝が届く前に、アルゼンタムは仰向けになった。 「甘い甘過ぎ甘っちょレェエエエエエ!」 がっ、と大きな両手が甲冑の膝を受け止めた。フィリディオスは前につんのめり、きゃう、と高い悲鳴を上げる。 アルゼンタムは指先を徐々に縮めていき、分厚い装甲に押し当てていく。だが、その手の動きが止まった。 前のめりになったフィリディオスは、魔導拳銃の銃口をアルゼンタムの胸部、緑色の魔導鉱石に当てていた。 ごりっ、と冷たい銃口が石を押さえ込む。アルゼンタムは膝を握る手に力を込め、ぐいっと頭を持ち上げた。 「ナーニシタッテ無駄だぜ無駄なの超無駄なんだヨォオオオ! オイラにゃ、何の魔法も通じネェエエエ!」 「そうかもしれませんけど、そうじゃないかもしれませんよ?」 フィリディオスは、魔導拳銃の引き金に掛けていた指を外した。引き金の後ろに指先を入れると、前方に押し込む。 かちり、と軽い金属音がした。途端に、熱を持った風が巻き起こり、アルゼンタムとフィリディオスを包んだ。 芝生と立ち木を揺さぶりながら、上昇していく。次第に勢いが弱まってくると、銀色の骸骨はがくんと頭を反らす。 風が掻き消えると、アルゼンタムの両手はフィリディオスの膝を解放した。がしゃん、と力なく倒れてしまう。 アルゼンタムの上から身を引いたフィリディオスは、魔導拳銃の弾倉を開いた。一番上の弾が、煙を上げている。 「すいません、レオさん。鉱石弾、一個ダメにしちゃいました」 「なかなか、考えたな」 レオナルドは彼女の作戦を察し、少し笑った。確かにその手であれば効率も良いし、確実に動きを止められる。 魔導拳銃は、魔力を充填して魔法を放つ武器だ。だから、魔力を充填、すなわち吸収することも可能なのだ。 アルゼンタムは、魔導鉱石に魂と動力である魔力を納めて動いている。ならば、その動力を抜いてしまえばいい。 なるほど、魔導師らしいやり方だ。力で押すだけでなく、その力の流れを変えてやるのも、魔導師の得意技だ。 レオナルドがフィリディオスを褒めようとすると、彼女は脱力した。アルゼンタムから離れると、力なく座り込む。 どうかしたのかと思って近付くと、甲冑の少女は肩を落としていた。レオナルドを見上げると、震えた声を上げる。 「怖かったです怖かったです、すっごい怖かったんですー!」 泣き出したらしい彼女は、しきりにヘルムの目元を擦った。出てもいない涙を、拭っている。 「だ、だって、げたげた笑うし、なんかおかしいし、手なんか刃物だし、もう、怖くて怖くて怖くって…」 「そんなんで、よく戦えたな」 レオナルドが呆れ半分感心半分で言うと、フィリディオスはジョーとブラッドにヘルムを向ける。 「だ、だって、レオさん、役に立たないし、でも、小父様は出てこられないし、私ぐらいしか戦えないと思って…」 「ほう」 役立たずと言われたことで、レオナルドは口元を引きつらせた。フィリディオスは、慌てて手を振り回す。 「あ、いえ、レオさんが弱いとかそういう意味じゃなくって、ただ、その、状況がですねぇ!」 「そうかそうか、よーく解った。お前はオレを見下しているんだな?」 「ち、違いますよぅ! 変な方向に受け取らないで下さい!」 フィリディオスが必死に喚くと、レオナルドは彼女の手から魔導拳銃を奪い、背を向けた。 「ダメになったのは炎撃二種の弾か。千二百ネルゴ、弁償しろ」 「それ、国家警察の備品じゃないんですか?」 「馬鹿言うな。オレの私物だ。どこの警察が、警官に魔導拳銃なんて酔狂な武器を持たせるんだ」 全く、とレオナルドは不機嫌そうにしながら、コートをめくってベルトの間にまだ熱い魔導拳銃を差し込んだ。 「あとで請求書を書いてやる。お前の部屋の扉にでも挟んでおく」 「ごめんなさい…」 フィリディオスが項垂れると、レオナルドはそれを一瞥する。 「結果を考えて行動しろ。せめて、弾を全部抜いてから吸えば良かったんだ」 「あ、あの」 「なんだ。オレは正論しか言っていないぞ」 「いえ、そうでなくて。お菓子、どうでしたか? チョコレート以外は、私が作ったんですけど」 おずおずと尋ねてきたフィリディオスに、レオナルドは顔を逸らした。なるべく、素っ気なく返した。 「丁度良い腹の足しにはなった。まずくはなかった」 「あ、なら良かったです。レオさん、甘いものは嫌いじゃないんですね」 フィリディオスは両手を合わせ、嬉しそうな声を出した。レオナルドは振り返ることもなく、まぁな、と小さく呟いた。 レオナルドは掠り傷の付いた頬に手を当て、言葉を紡いだ。手のひらから起きた力が、破れた皮膚を繋げる。 茶色のコートの袖に付着した草や土を軽く払ってから、歩き出した。いい加減に、仕事に戻らなくてはならない。 いってらっしゃーい、と気の抜けた少女の声を背に受けながら、足取りを速めた。一刻も早く、立ち去りたかった。 アルゼンタムと図らずも接触してしまったことや、己の力が通用しなかったことが、苛立ちを起こし始めていた。 可燃物の少ない場所に行って放ってこなければ、堪えられなくなる。熱を溜め込みながら、彼は公園を後にした。 レオナルドの後ろ姿が林の奧へ消え、見えなくなってから、フィリディオスはブラッドとジョーへと振り向いた。 地面に座り込んでしまっているブラッドは、顔色が悪かった。血の気が失せていて、目線を泳がせている。 フィリディオスが近寄ると、少年は涙の滲んだ目を閉じた。がりがりと二の腕を掻き毟りながら、背中を丸める。 「お願いだ、あれ、壊してくれ…」 震える手で、ブラッドは倒れているアルゼンタムを指した。フィリディオスは、ブラッドの肩に手を添える。 「大丈夫ですよ、ブラッドさん。魔力を全部抜きましたから、もう動きませんよ」 「そうじゃない…そうじゃない…あれは、やばいんだ」 ブラッドはがちがちと歯を鳴らし、体を縮めた。あれの剥き出しの本能は、吸血鬼に眠る捕食の本能と似ている。 触れてしまいたくない。触れてしまえば、呼び起こされてしまいそうだった。それが、どうしようもなく怖かった。 人でなくなってしまいそうで、同じように理性を失ってしまいそうで、おぞましかった。少年は、嗚咽を漏らす。 フィリディオスはマントで手を拭ってから、ブラッドの背中に手を回した。腕の中に、怯えている少年を納める。 「大丈夫ですよ、ブラッドさん。大丈夫ですから、私も、小父様もここにいますから」 「ジョーもいるよぉ」 ぴょんと跳ねたジョーは、ブラッドを覗き込んだ。けど、とブラッドが苦しげに声を詰まらせると、少女は笑う。 その邪気のない笑みに、ブラッドは潤んだ目を開いた。フィリディオスの胸の底からは、温かさが滲んでいた。 フィリオラとギルディオスの体温のような感覚に、ブラッドは荒い呼吸を落ち着けた。何度も、肩を上下させる。 目元を擦ってから、深く息を吐いた。本能を見た動揺と混乱に乱れ、脈打っていた鼓動は、大人しくなってきた。 彼女の手が、穏やかに髪を撫でていた。母親の胸に抱かれているような錯覚を覚え、ブラッドは照れくさくなる。 「もう、いいよ」 「じゃー、次、ジョー!」 ジョーにもジョーにも、と拗ねたように繰り返すジョーに、フィリディオスはブラッドを離してから向き直る。 「はいはい、解ってます」 フィリディオスが腕を広げると、ジョーは体を傾けた。甲冑の両脇に腕を滑り込ませて体重を預け、目を閉じる。 満ち足りた表情の少女を抱き締め、フィリディオスは肩を軽く叩いてやった。胸に、柔らかな頬が押し当てられる。 ジョーは一度目を開いてから、もう一度閉じ、甲冑を抱き締めた。少女の細い腕が、逞しい腰に巻き付けられる。 柔らかく暖かなものが、装甲の中を抜けていった。その温度と気配に、魔導鉱石の底で眠っていた彼は覚醒した。 覚えのある気配。聞き覚えのある口調。鮮やかに蘇る記憶から出た名を呼ぼうとしたが、その前に、呼ばれた。 たいちょーさん。 「え?」 幼い少女の声が聞こえた気がして、フィリディオスは顔を上げた。だが、腕の中のジョーは気を失っている。 フィリディオスはジョーを起こそうとしたが、気付いた。魂が抜けている。少女の肉体は、抜け殻となっていた。 魂を戻すため、彼女は自分を抱き締めた。腕から腕へ、足から足へ、胸から胸へ、中枢から中枢に意識を移す。 感覚を強め、目を開く。ずしりと重たい倦怠感と貧血にも似た気分の悪さに苛まれながら、フィリオラは起きた。 目の前には、あまり温度の高くない体温が移っている、鋼鉄製の胸装甲があった。それに、額を当てて呻く。 「うー、あー…」 しなだれかかるフィリオラを支え、ギルディオスは意識を戻した。意識を沈めていても、何があったのかは解る。 疲れましたぁ、と漏らす少女を見下ろしていたが、顔を上げた。鷲掴みにされて歪んだヘルムから、外を見る。 顔色が戻っていないブラッドと、襲撃で散らかされてしまった様々な菓子、そして、倒れている銀色の骸骨。 だが、そのどれにも意識は向かわなかった。魔導鉱石を擦り抜けた魂が発した言葉が、思考を支配している。 たいちょーさん。たいしょーさん。しょーささん。先程の幼い少女の声で、様々な言葉が浮かんでは過ぎる。 ギルディオスはその記憶を苦々しく思いながらも、一抹の希望を感じていた。彼女は、生きているのかもしれない。 肉体は失っているのかもしれないが、魂が現存しているのであれば、まだ望みはある。彼女に、償いが出来る。 ギルディオスはフィリオラをきつく抱き締めながらも、彼女ではない別の少女を思い浮かべて、抱き締めていた。 かつて、守ることが出来なかった彼女として。 夜空に切れ込みを入れたかのような、細い月が浮かんでいた。 淡く弱々しい光の下、銀色の骸骨は仰向けに倒れていた。夜露が泥と草に汚れた装甲に降りて、冷たかった。 無数に散る星々が瞬く様を、無心に見上げていた。吸い取られて尽き果ててしまった魔力が、戻らない。 自己再生の出来ない体は、自己回復も出来ないのだ。グレイスに見つけられるまで、こうしているしかない。 虚ろな意識と眠りの狭間で、思考を繰り返していた。体が動かなければ、本能は僅かながら押さえられている。 強烈な喉の乾きと飢餓感に襲われていたが、夜露が冷え切った口の中を濡らしていたので、少しは我慢出来た。 夢が、繰り返されている。いつの頃の夢か解らない、どこであるかも解らない、情景が視界を過ぎっては消える。 また眠りに落ちようとすると、足音が近付いてきた。鉱石ランプを下げた人影が、骸骨の頭上で立ち止まった。 「ナァー、オゥーイ」 その影は、彼は顔を伏せていた。鉱石ランプの青白い光に、表情のない口元が照らされている。 「オイラァ、夢ェ、見てタンダァーヨゥ」 彼は黙っている。アルゼンタムは、きち、と微かに指先を動かした。 「ナァー、オイ。教えてクレヨォーウ、黒幕サァーン」 アルゼンタムは首を上向け、彼を見上げた。仮面の底にある、緑色の魔導鉱石で出来た瞳に光が宿る。 「私は、誰だ」 その声に、彼は腰から銃を抜いた。じゃきり、と弾倉を素早く回して銃身に叩き込むと、ハンマーを起こす。 彼は、魔導拳銃の引き金に指を掛けた。まだ不安定だ。まだ理性が残っている。完全に、支配出来ていない。 道具に意思は必要ない。ただ、喰って喰らい続けて、こちらの思うがままに殺戮を繰り返せば良いだけなのだ。 アルゼンタムの仮面に、ごっ、と銃口を当てた。彼はにたりと邪悪な笑みを作りながら、引き金を絞り切った。 衝撃も何も、放たれなかった。だがその代わりに、アルゼンタムの胸が跳ねるように上がり、声が洩れた。 力を失っていた魔導鉱石が強い輝きを放ち、脱力していた手足に熱が沸き起こり、ぎちぎちと機械が駆動する。 彼が銃口を下げると、仮面の底から光は消えた。バネ仕掛けのように起きて首を曲げ、大きな手を引き摺る。 がくがくと肩を震わせ、仮面の下でがくがくと顎を鳴らし、甲高く突き抜けた笑い声を発し、上体を逸らした。 「うけけけけけけけけけっ!」 アルゼンタムは、夜空に猛った。 「ナァオイナァオイナァナァナァ、喰ってきていいかッツウカ喰いたくって喰いたくって仕方ネェンダヨォオオオ!」 彼が頷くと、ヒャッホゥウウウウイ、と喚き、アルゼンタムは地面を蹴った。高々と跳ね、マントを変化させる。 夜風に乗って滑空していく銀色の影は、住宅街へと向かっていった。一瞬、月がアルゼンタムの影に隠れた。 やかましくも楽しげな叫声が、遠ざかっていくのが解る。これで、もうしばらくは支配が緩むことはないだろう。 そして、歯車は動き出した。これで、何もかもが思うままに進むはずだ。彼はメガネを直し、思考に耽った。 とても、楽しくて仕方なかった。 幼き少女の亡霊は、一時の安らぎと、重剣士へ追憶をもたらした。 重剣士は過去に沈むが、狂気の機械人形は、過去に沈むことすら許されない。 彼に命ぜられるままに、彼の意図するままに、今夜も人を喰らいに出向く。 道具である人形には、休息すら与えられないのである。 05 11/14 |