ドラゴンは眠らない




過去の息づく屋敷



ヴァトラは、話す。


 兵器であるということは兵器であるということで兵器であるというものは兵器であるからして、兵器である。
 だがだけどだけれども私は兵器ではなく兵器にはあらず、兵器というべき兵器という存在ではなく存在でない。
 兵器は兵器であり道具であり道具なので、使われて使われる使える使い物になる物質であり物体である。
 だがだけどだけれども私は私であり私であるから、無機であり無機なので有機でなく、家であり屋敷である。
 屋敷であり屋敷なので建物であり建物でしかなく、それ以上でありそれ以上でもそれ以下でも以下ですらない。
 兵器は兵器で兵器たるものは動き動けて動くべき動かなければならないならず。しかしだがいやしかし。
 私は私の私が動く動けて動くことすらならずなれず、使う使えて使われる使うことすら出来ず出来や出来ない。


「まぁ、確かにそうだよな」

ブラッドは頭の中でヴァトラの言葉を要約した。つまりヴァトラは、使えなければ兵器ではない、と言っている。
そうだそうなのさそうなのだよそうなんだ。と、ヴァトラは返してきた。ブラッドは、大きな本棚を見上げる。

「なぁ、ヴァトラ。お前、やっぱり生き物だよ。考えてるじゃん」


 考える考えて考えるということは、思考し思案し想像するための脳が脳髄が必要で入り用で。


「頭がなくたって考えてるのはいるじゃんか。他にも。ギルのおっちゃんとか伯爵とかさぁ」


 ギルギリィギルディギルディオスはギルディオス・ヴァトラスは、人であり人間であり生きて生きていた有機物。
 伯爵軟体生物単純生物粘着生物ゲルゲリィゲルシュタイン・スライマスも、有機であり有機物であるのだ。
 だがだけどだけれども、私が私を私の私は無機で無機物なので無生物であるので有機で有機物ではあらず。


「結構理屈っぽいのな。オレだったら、お前みたいなのも生き物だって思うけど」


 なぜなぜにどうしてなぜかしら。


「だって、喋ってるじゃん。オレと話してるじゃん」


 話す話して話すということは会話で会話は、音を震動を言葉を言語が会話で会話だが、これは違う違っている。


「そうか?」


 そうだそうなのだそうなんだよ。これはこのこいつは、君が君を君の中に内側に記憶にある言葉を語彙なのだ。
 力を魔力を用いて使って使用して、君の君が君の記憶の追憶の中に底にある言葉を出して出している。
 だからだからよだからさぁ、厳密には本当にはマジでマジなところ、これのこれは私の私が私の言葉ではない。


「細かいこと言うなよ」


 細かく細かい細かいのではなく、確かな確かで確かに言って言わなくちゃ言わなきゃならないならないんだ。


ブラッドは、聞き覚えのある言い回しに少し笑った。確かに彼の言う通り、聞いたことのある語彙ばかりだ。
記憶の中から引き出して繋ぎ合わせ、言葉にしているのは間違いないだろう。なんとも、器用なことをする。
最初は気味が悪かったが、こうして話していると、ヴァトラは悪い相手ではないと次第に解ってきた。
言い回しは滅茶苦茶で言葉もあまり足りていないが、尋ねれば説明してくれるし、ブラッドを無下にしない。
床に埋め込まれた赤い魔導鉱石は、ほんのりと光を増している。鉱石ランプの光と相まって、薄紫になっていた。
本の塔に背を預けてから、ブラッドは足を組んだ。着慣れないフィリオラの服は、すっかり埃にまみれている。
ヴァトラが黙ったので、ブラッドも自然と黙った。そうしていると、少し、ヴァトラの立場が羨ましくなってきた。
建物であれば、着たくない服を着せられることもないだろうし、やりたくないことをやらされることもないからだ。
そうなれば、どれだけ楽だろう。不愉快な思いもしなくて済むし、嫌々に人の言うことを聞かなくていいのだから。
すると、ヴァトラが中性的で抑揚のない声で言った。どうやら、ブラッドの思念を読み取ったらしい。


 ブラッドブラッディラッドブラドール。君は君の君が考えて考えた考えていることは、いいはずがいいことはない。


「そうかなぁ」

思念を読まれたことは多少不愉快だったが、ブラッドは返した。


 そうだそうだよそうなのさ。無機であり無機であって無機なのは、いいはずがいいことは皆無でないんだ。


ヴァトラの声は、僅かに沈んだ。


 私は私であって私でしかなく私としてしか存在が存在していない。だからだからこそだからね、私は私なんだ。
 だがだけどだけれども、私が私である私は無機であって無機なので無機であるからして、有機では有機でない。
 有機は有機で有機物は生命で生命体で生き物で生物であるのだが、無機は無機であって生物ではないんだ。
 無機でなく無機ではない有機で生命である君は、君が君の君は、記憶を時間を時を重ねる以上が出来る。
 それはその名はその名称は成長で進化で躍進でありあって、私が私には私では出来ず出来ない出来ないんだ。
 だからだからこそだからね、私は私が私にとっては、君が君で君のような君を羨望し羨み羨ましいんだ。


「けどさ、やなことばっかりなんだもん」


 嫌だ嫌よ嫌という嫌だということは、君の君が君を自らを自らに自我を自我が強く強まっているからだ。


「自我?」


 自我だ自我だよ自我は自我という名だ。それはそれがそれを自分が自分で自分を認識し認知し認めることだ。


「よくわかんねぇ」


 自我は自我であり自我なのだから、それはそれがそれで成長が成長するという証で証拠であるのだよ。


「自我、ねぇ」


 そうだそうなのさそうなのだよ。私には私で私を私が、持って持たずに持ち合わせていないいないものだ。


「けど、喋ってるじゃん」


 これはこれでこれというものは喋りでは会話ではない。私が私の意識を君に君が受け、言葉としているだけだ。
 だからだからこそだからね、私は私の意識と意思で君と君へ君に話し話しているのではいるのではないのだよ。
 つまりつまりはつまるところ、私の私が私が持って持ち合わせているのは、僅かの少しの意識と意思だけだ。
 それはそれというのはそういうものは、自我と自我では自我と言い難く言えず言えるものではないのだ。


その、自我が何なのか。ブラッドはヴァトラに尋ねようとしたが、足音がしてきたので開け放った扉に向いた。
埃で白っぽくなったスカートを翻しながら、フィリオラが駆け寄ってきた。その背後には、リチャードもいる。
狭い階段を下りて倉庫に入ってきたフィリオラは、目線を下ろし、床板に埋まっている赤い魔導鉱石に気付いた。

「あ、それって確か」

「ヴァトラの魂だねぇ。話し相手がいるから、彼も元気になったようだね」

フィリオラの肩越しに、リチャードは床の赤い魔導鉱石を見下ろした。ブラッドは、二人に振り返る。

「なんか、やたらと難しい話になっちゃったよ。ユーキとムキが違うとか、ジガがどうとか」

「彼は無機だからね。有機である僕らが、その中でも成長をする子供が大好きなんだよ」

リチャードは、床に座っているブラッドを指した。あからさまに子供と言われてしまい、ブラッドは顔を背けた。

「特に、思春期に入る前の子供だな。自分のことも解ってないくせに回りのことを解ったみたいに振る舞うけど実のところは何も解ってなくて、自尊心だけが高くなっちゃってる頃の子供がね。丁度、君ぐらいの年頃かなぁ」

「ブラッドさん、正にそれですもんねー」

フィリオラは、可笑しげに笑う。何が可笑しいのかよく解らないが、ブラッドは笑われたことにむくれた。

「なんで笑うんだよ」

「それで、ヴァトラの声はどんな感じに聞こえたのかな?」

リチャードはしゃがみ込み、ブラッドと目線を合わせた。ブラッドは、ヴァトラの魔導鉱石を見下ろす。

「男だか女だか解らない声」

「それで?」

「同じことばっかり繰り返して言うんだけど、それでもちゃんと会話になってた」

「ほうほう。それと言うのは、私が私に私であってー、みたいな感じかい?」

「うん。大体そんな感じ」

ブラッドが頷くと、リチャードはやたらと楽しげに笑う。

「じゃ、合格」

「何が?」

「魔導師免許試験の第一項目の、感覚の鋭敏さを計る試験だよ。一般の試験じゃ、魔導鉱石に言葉を吹き込んだものを使うんだけどね」

リチャードは腕を組み、ブラッドを見下ろした。人の良さそうな笑顔に、別の感情が混じる。

「これで、第一関門はあっけなく突破したってことだ。どうだい、ブラッド君。魔導師、なってみない?」

言われたことがすぐには飲み込めず、ブラッドは何度か瞬きした。立ち上がってから、まじまじと彼を見上げる。
うん、とリチャードは深く頷いた。フィリオラは多少照れくさそうにしていたが、起伏の少ない胸を張る。

「でもって、私がお師匠さんになりますので」

「…え?」

「考えてもみたまえよ。君はこのまま、フィオちゃんの家の居候のままでいたら居づらいだろう?」

ブラッドが言い返す暇を与えずに、リチャードは言う。

「それに、何かしらやることがあった方が日々に張り合いも出るし、魔導師免許を取っちゃえば今後の役にも立つ。見たところ、何も勉強してないから魔力の扱いが下手なだけで、魔力数値はそれなりに高そうだしね。空も飛べるって言うし。だから、どうかなーって思って、フィオちゃんと話し合ってたわけよ」

「オレの…意見は?」

「意見があれば言ってみたまえよ、聞くだけ聞いてあげるから。でも、中身は大体想像が出来るね。フィオちゃんが師匠で大丈夫なのかとかだろうね。でも、問題はないから。魔導師修練教授のために必要な条件は、魔導師免許取得後の経験と生徒となる者の素質ぐらいだから」

言いたかったことを全て先に言われ、ブラッドは詰まってしまった。無性に悔しくなったが、言い返せない。
リチャードは、フィリオラの肩に手を乗せた。彼女の肩を軽く叩きながら、ブラッドににんまりと笑う。

「フィオちゃんは多少抜けてるけど、それ以外は優秀だから」

「えと、これからは師弟関係になりますけど、よろしくお願いしますね」

頭を下げたフィリオラに、ブラッドは変な顔をする。

「まだ、やるなんて言ってないんだけど」

「じゃ、他にやることがあるのかい? フィオちゃんから聞くところに寄れば、君は最初、復讐をしに旧王都へやってきた。ところがどうだ、その復讐の相手はいなかったじゃないか。復讐劇をしようにも、相手がいなきゃどうにもならないよなぁ。ん?」

リチャードは、隙を与えずにまくし立てた。ブラッドは一度、床にめり込んでいるヴァトラの魔導鉱石に目をやった。
ヴァトラは何も言わない。それどころか、ほのかに放たれていた光が消え、ただの赤い石と化してしまっている。
責任を取らないつもりのようだった。ブラッドは彼の石から目を外して二人に戻したが、逸らすに逸らせなくなった。
期待に満ちた表情で、フィリオラがこちらを見下ろしていた。師匠になれることが嬉しいのか、にこにこしている。
断ってしまったら、泣かれてしまいそうだった。そうなっては後が面倒だと思い、ブラッドは仕方なしに頷いた。

「そんなに言うなら、やってみるよ」

「それじゃ、後で諸々の書類を書いてもらわなきゃね。正式に師弟関係を結ぶ契約とか、僕が君を雇用するとか」

やることは一杯あるぞ、とリチャードは指折り数えている。ブラッドはリチャードに、填められた気分になった。
いや、考えなくても、リチャードの言われるがままの答えてしまったに過ぎない。明らかに誘われていた。
意志が弱い自分にも、なんだかんだで従ってしまう自分にも嫌気が差しながら、ブラッドは赤い魔導鉱石を見た。
ヴァトラは言った。男とも女とも付かない不思議な声色で、少年の腹の底から少年の言葉を使って話していた。
そうそうだよそうなんだよそれでいい。君は君の君が大きく立派に成長し躍進していくには必要で不可欠なんだ。
喜ぶ喜べ喜ばしい喜ばしいことではないか。私が私に私は踏み出し踏み出せないすることが出来ないことなんだ。
だからだからこそ、私は私が私には、君が君に君が、だから、私は、君が、これから、成長することを祈る。
願って願わずには願いながら、私を私には私は、在って在るべきで在るのだから、私は、ここで、願っている。
少しの余韻だけを残して、彼の声は聞こえなくなった。ブラッドの感覚に接触することを、やめたのだろう。
ブラッドはずり落ちた袖の中で、ぎゅっと拳を握っていた。魔導師の修業など、やりたくもないしなりたくもない。
面白くない。とにかく面白くなかった。内心でむかむかしながらも、ブラッドは澄ました表情を作っていた。
下手に怒るのは、子供っぽいと思ったからだ。




西日の差し始めた書斎で、ギルディオスは机に腰掛けていた。
その手には、鮮烈に夕陽を反射する小さな鏡があった。枠に収められた丸い鏡は、中央にヒビ割れがある。
丁度真っ二つにする位置を走っている割れ目は、所々に小さな隙間が出来ていて、そこだけ光が失せていた。
大きなガントレットの手の中にあると、小さすぎるようにも思えた。枠を握る指先に力が入り、僅かに軋む。
ギルディオスは鏡を持ち上げ、顔の前に出してみた。奧が見えないヘルムがぎらぎらと照り、眩しかった。
映るのは、甲冑の姿と背後の本棚ぐらいなものだった。本棚は陰っていて、斜め半分は闇に染まっている。
鏡を見つめながら、気持ちだけ目を細めた。鼓動のように脈打つ魔力の波が、石に納めた魂を揺らしている。
本当に、これでいいのか。本当に、このままでいいのだろうか。本当に、間違っていないのだろうか。
一度疑念を持つと、次々に呼び起こされた。考えないようにしていたが、一人になると、つい考えてしまう。

「なぁ、イノ」

なるべく落ち着けた声で、ギルディオスは虚空に呟いた。そこに、片割れがいてほしかった。

「オレぁ、間違ってるかもしれねぇ」

鏡に映るのは、人でない姿をした弟だけだった。

「だがよ、オレにとっちゃ、こいつが正しいんだ。それが、正しいとしか思えねぇんだ」

ギルディオスは鏡を下ろし、項垂れた。肩から滑り落ちた赤い頭飾りが、するりと胸元を撫でる。



「オレは、アルゼンタムを助けようと思うんだ」



沈痛な独り言が、広がって消えた。肩を落とした甲冑の影絵が書斎の扉にまで伸び、そこだけ闇が出来ていた。
迷いは躊躇いを生む。躊躇いは、弱さを作る。そう何度も自分に言い聞かせ、判断に余念を入れないようにする。
戦いの始まりだ。自分との戦いだ。誰でもない自分が、誰でもない自分と、剣を交えてぶつかり合う戦いだ。
ぎち、と鏡を持っていない方の拳を強く握った。廃工場で見たアルゼンタムの姿と、その声が脳裏を過ぎる。
殺されていた部下達。喰われていた部下達。戦場でもないのに殺される人々。魔物でもない者に喰われる人々。
甲高い叫声が蘇る。血を滴らせた仮面が視界に浮かぶ。バネ仕掛けのような身動きと、けたたましい笑い声。
彼らを喰ったアルゼンタムに対する怒りはある。煮え滾って弾けてしまいそうなほどに、漲ってもいる。
しかし。彼は、元々ああだったのだろうか。意味もなく殺戮を繰り返す者がいるなら、軍人の頃に知るはずだ。
しかも、グレイスが一枚噛んでいる。何かしらの呪詛を施された者の魂である可能性も、否定出来ない。
だとすれば、彼を解放するのに理由はいらない。同じ魔導兵器として、いや、人間として解放してやらなくては。
戦意を高めながら、ギルディオスは深く息を吐いた。小さな鏡を机に置いてから、その上に散らばる紙を取った。
それは、リチャードが投げていった魔導師協会の連絡状だった。役員定例会議延期のお知らせ、と書いてある。
その一番下には、黒インクで会長の署名がされていた。流れるような文字で、ステファン・ヴォルグ、とある。
ギルディオスは、その名前には覚えがあった。積み重なった記憶の底から、その名を持つ者を思い起こした。
そして、その正体を察していた。ぐしゃりと連絡状を握り潰したギルディオスは、けっ、と吐き捨てた。

「いい気なもんだ」

すっかり、会長職を楽しんでいるようだ。最近の魔導師協会が過激になってきたのも、彼が全ての原因だろう。
そんな中だからこそ、フィリオラへの処分の甘さは異様だった。いくら彼女が若いとはいえ、奇妙でならない。
何か、狙いがあるはずだ。その狙いがなんなのか、朧気ながら想像が付いてしまったが、すぐに払拭した。
いくらなんでも、そこまではしないだろうと思いたかった。だが、あの者なら、躊躇なくやりかねない。
考えることは、やることはいくらでもある。あの少女、彼女が生きているのであれば、それも助けなければ。
何から始めたらいいのか解らなくなりそうだったが、今は一番間近にいるアルゼンタムのことが先決だ。
彼を救うことから、始めるしかないのだ。




遠き過去より在り続ける古き屋敷に、作り物の魂が宿っている。
それは、情報だけを積み重ね、心を持たず、そこに在るだけの存在なのだ。
生きることも死ぬこともならない彼の望みは、ただ一つ。

成長し、進化し、生きることなのである。







05 11/19