ドラゴンは眠らない




首都への旅路



翌日。四人は、港にいた。
夜行寝台列車の終点である、港町の駅を出てしばらく歩いた先の場所だ。広大な空と海は、どちらも鉛色だった。
春の真っ直中とはいえ冷たい風が吹き付けてきて、波と雲を散らしており、白い泡が暗い波間で揺れている。
港には客船が停泊していて、乗船口に繋げてある橋を人々が渡っていく。フィリオラは、客船に目をやった。
決して大きいとは言い難い客船は、蒸気船だった。空に向けて伸びている煙突からは、煙が吐き出されている。
ブラッドは、またはしゃいでいた。港町の駅前でフィリオラに買ってもらった機関車の模型を手に、歓声を上げる。

「すっげー! 船も蒸気機関で走るのかぁ!」

「最近のはそうなってんのさ。その方が足が早いからな」

ギルディオスは、蒸気客船を見上げながら恍惚としているブラッドに向いた。ブラッドは、三人に振り向く。

「なあ、あれに乗るんだろ! あれに乗って首都に行くんだろ!」

「えー、まぁ…」

フィリオラは、半ば絶望しながら口元を上向けた。絶え間なくやってくる強い風で、髪がばさばさと揺さぶられる。
絶対、今日の船は揺れる。間違いなく揺れる、そして酔う。フィリオラはその気分の悪さを想像し、嘆いた。

「酔い止めが効いたら、いいんですけどねぇ…」

「雨も降りそうだしなぁ」

レオナルドもげんなりしながら、空を見上げた。一面に広がった雲は所々が薄くなっているが、色は重たい。
二人とは対照的に、ブラッドは本当に喜んでいる。早く客船に乗りたいのか、ギルディオスを急かしている。
ギルディオスも、ブラッドをたしなめながらも楽しそうだった。楽しげな子供を見るのが、楽しいらしい。
フィリオラとレオナルドは、どちらからともなく顔を見合わせた。フィリオラは情けない表情で、力なく呟いた。

「レオさん、覚悟しておきましょうか」

「するだけしておこう」

「どうしてこう、私達だけ乗り物に弱いんでしょうか」

「こういったものは体質だとは解っているが、多少理不尽な気がしないでもないな」

レオナルドは多少苛立ってはいたが、それを向ける矛先が見当たらなかったので、表情には出さなかった。

「ですよねぇ」

フィリオラは、諦めきった顔をしていた。レオナルドは彼女から目を外し、機関を暖めている蒸気客船を見上げた。
船体の後方に三本の太い煙突がそびえていて、それぞれから煙を吐き出していた。それが、灰色の空に昇る。
全体的に黒く塗られているのは、軍用船だった名残である。以前は、足の早い海戦用船として従軍していた。
それを鉄道会社の子会社である客船会社が買い付け、内装と設備を作り直して、首都と大陸を繋げる足とした。
首都は、かつての王国や帝国が存在した大陸に添って存在する島の南端に位置しているので、海路がいる。
共和国が繁栄するにつれ、首都への海路を行く人間も増えたので、近頃では運航する船の数も大分増えた。
だが、そのどれもが大きな船であるはずはなく、大半は中古の船舶を作り直したものであり、大きさも小さい。
小さい船は料金は安さに比例して、酔いやすいとの定評がある。海峡を抜ける風が、強いせいもあるのだが。
レオナルドは、ばたばたと頬に当たるコートの襟元を直した。首都へ行くのは、これだからあまり好きではない。
フィリオラが隣にいることを意識してはいたが、それよりも先に船への嫌悪感が出てきて、顔をしかめた。
どれだけ酔うか、考えただけでうんざりした。




三時間後。案の定、二人は酔っていた。
二等船室の片隅で、フィリオラは真っ白な顔をして死んだように横たわっている。吐きに吐いて、疲れ果てた。
フィリオラから離れた位置で項垂れるレオナルドも、顔色が悪かった。先程から、一言も言葉を発していない。
口を開けば出てしまいそうだ、という危機感からだった。二人が黙っているので、部屋の中は静かだった。
風に煽られ波に揺られた船はさすがにきつく、ブラッドも押し黙っている。少年の顔色も、あまり良くない。
ギルディオスは、少しも動かない三人を眺めていた。肉体が失われているので、一人だけ酔っていなかった。

「酔ってるか?」

「酔ってますよぉ」

かなり気分の悪そうな声を絞り出したフィリオラは、うう、と唸った。船の揺れに合わせ、船室の壁が軋む。
ギルディオスは彼らに同情しながらも、何も出来なかった。三人とも酔い止めの薬は飲んだが、効果がないのだ。
というより、飲んだ傍から酔ってしまうので意味がない。その上、飲んでも消化する前に吐き戻してしまった。
フィリオラとレオナルドはまるで死体のようになっていて、ブラッドも眉間をしかめて表情を強張らせている。
また、船体が揺れた。藍色の闇が広がる窓の外では、高く迫り上がった波が砕け、風で水滴が散らばった。
ギルディオスは立ち上がると、バスタードソードを手に取った。がしゃり、と背中に背負い、扉を開けた。

「どーこいくんですかぁー」

気力の抜け果てたフィリオラの言葉に、ギルディオスは振り返った。

「ちょいと歩いてくるだけさ。すぐに戻ってくらぁ」

じゃな、とギルディオスは手を振ってから通路に出た。扉を閉めると、ランプの灯りが揺れる通路を窺った。
壁に掛けられた鉱石ランプが、船が動くたびにぎぃぎぃと左右に振れている。それに合わせ、彼の影も揺れた。
もう一度周囲を見回してから、慎重に狭い通路を歩いていった。湿っぽい床板を踏み締め、甲板に向かった。
狭い通路が広くなると、多少大きめの扉の前に出た。ギルディオスはその取っ手を握って回し、押し開いた。
途端に、強烈な風雨が吹き込んできた。冷たく痛い粒がひっきりなしに装甲に叩き付け、足元を濡らしていく。
ギルディオスは甲板へ出ると、滑らないように気を付けながら慎重に歩き、一等船室に繋がる階段を昇った。
風と雨に辟易しながら階段を昇り切り、明かりの漏れている扉に手を掛けた。開いて中に入り、後ろ手に閉めた。
二等船室よりもいくらか派手な装飾が施された扉が、左右にずらりと並んでいる。それを見回し、肩を竦める。

「随分と様変わりしたもんだな」

奥へと進むと、貴族の屋敷と見まごうような扉が現れた。特一等船室、と印された金の表札が輝いている。
ギルディオスはその扉に、手の甲を当てた。素早く三回叩いてから扉に顔を近付け、落ち着けた声で言った。

「オレだ」

すぐに鍵が開けられ、取っ手が回った。隙間から顔を覗かせていた女性は、ギルディオスを認めると笑う。
扉が開けられると、ギルディオスは中に入った。柔らかな絨毯が敷き詰められた床に、水の足跡が付いた。
華やかに着飾っている女性は、背中で扉を閉めた。慣れた手つきで鍵を掛けると、甲冑に駆け寄る。

「たーいちょー!」

ギルディオスが振り向くと、女性は勢い良く飛び付いた。かなり嬉しそうに、高い声を上げる。

「元気してましたか私は元気してました、ていうかマジで寂しかったですよー!」

「こらこら」

ギルディオスは、深赤の礼装を着ている女性を引き剥がした。値の張る滑らかな布が、すっかり濡れている。
金髪を結い上げている女性は、不満げに膨れた。ギルディオスは軽くため息を吐き、部屋の奥へと向いた。
幅のあるソファーに、礼装を着込んだ男が陣取っていた。褐色の肌で彫りが深く、黒髪を後ろに撫で付けている。
彼はギルディオスにしがみ付こうとする女性を見、呆れたような目をした。やれやれ、とため息と共に呟く。

「フローレンス。いい加減にしないか」

「だぁってー、ずっと隊長がいなくて寂しかったんだもん」

ギルディオスの腰に抱き付きながら、金髪の女性、フローレンスはむくれる。礼装の男は、立ち上がる。

「すいません、隊長。こいつを一緒に連れてくるつもりはなかったんですが、ヴェイパーの部品の発注に行く用事があったもので」

「ああ、なるほどな。そればっかりは、大陸にある工場に発注しねぇとならねぇもんな」

ギルディオスは、腰にしがみ付いているフローレンスを見下ろした。

「フローレンス。お前、またヴェイパーの武装強化したのか?」

「そーりゃあもう! 今度のはすっごいから楽しみにしてて下さいねー!」

ギルディオスから離れたフローレンスは、自慢気に胸を張って笑った。礼装の男は、眉根をしかめる。

「経費を無駄遣いしているだけだろうが」

「んで、ダニー。お前の方はどうだった。ジョーは見つかったか?」

「まるでダメです、手掛かりもありません」

ギルディオスに問われ、男、ダニエルは首を横に振る。ギルディオスは腕を組み、濡れた背を壁に預けた。

「そうか」

「隊長の方はいかがですか」

ダニエルの言葉に、ギルディオスはつま先で床板を小突く。

「上々だよ。上陸次第、作戦開始だ。手筈を整えるよう、連中に伝えておけ。姫君はここにいる」

「あら。でも、その人は」

ギルディオスを見ていたフローレンスは、目を細めた。青緑色の瞳が、甲冑を映している。

「ああ、あの子ね。炎の子供も一緒にいるのね?」

「一緒だ。だが、あいつには手を出すな。標的は、あくまでもお姫さんだってのを忘れるな」

ギルディオスの言葉に、ダニエルは頷く。

「了解しています」

「それで、隊長。ここにあの人はいるんですね?」

フローレンスは、徐々に瞼を細めた。ギルディオスは腰のホルスターに手を突っ込み、その奧を探った。
そこから、緑色の魔導鉱石を取り出した。フローレンスはギルディオスに歩み寄ると、魔導鉱石に手を伸ばす。
触れるか触れないかの位置で手を止めると、じっと艶やかな緑の石を凝視したが、ゆっくりと首を横に振る。

「なぁんにも見えません」

「フローレンスでもダメか。モニカでもダメだったから、そうじゃないかとは思っていたんだが」

ギルディオスは、少し落胆してしまった。もう一方の手で、緑色の魔導鉱石を小突く。

「おい起きろ、アルゼンタム」

しかし、アルゼンタムの返答はなかった。もう何度か小突いてやると、ようやく甲高い唸り声が漏れてきた。
眠っていたらしく、変な声しか聞こえてこない。しばらく間を置いてから、緑色の魔導鉱石は返事をした。

「ナンダァーヨォー」

「お前、こいつらのこと、解るか?」

ギルディオスは、アルゼンタムの魂が込められた緑色の魔導鉱石を、ダニエルとフローレンスに向けて掲げた。
石の内側にいるアルゼンタムは、意識を強めて視点を作り、焦点を絞った。ぼやけていた視界が、明確になる。
魔力を高め、感覚も研ぎ澄まさせた。ざあざあと騒がしい波の音や、船を叩く雨の音、吹き付ける風の音が解る。
部屋の中に何があるのかも、次第に見えてきた。煌びやかな家具、美しい刺繍が施された絨毯、そして人間。
右手に立つのは、舞踏会にでも行くかのような格好をした女。金髪と青い瞳を持つ、可愛らしさのある女だ。
背は割に高く、体形も良い。姿形は上流階級だが、立ち姿は優雅とは言い難く、表情にもあまり品はない。
左手の奧には、褐色の肌の男。こちらも礼装に身を包んでいるが、女に比べて着慣れている雰囲気があった。
だが、雰囲気は張り詰めている。一見しただけでは解らなかったが、よく見ると体付きががっしりしていた。
見たことがあると言えばあるような気がするが、それは二人に似た人間を喰った経験があるだけかもしれない。
アルゼンタムは、少々申し訳なさを感じてしまった。ここまで来てもまだ、自分の過去は見えてこなかった。

「知ィラネェーナァー…」

「ね、じゃあ、ジョーは知っている? モニカの報告によれば、あんた、ジョーの名前を言ったらしいじゃない」

フローレンスは、アルゼンタムの魔導鉱石に顔を寄せた。アルゼンタムは、間近に迫った彼女から視点を外す。

「イィーヤァー、知ィラネェナァー。確かにオイラァ、ンーナコト言ったが、それが何かは解ッラネェーナァー」

「やっぱり、その機械人形が我らの仲間だったというのは、隊長の思い過ごしじゃないでしょうか」

怪訝そうなダニエルに、ギルディオスは彼にヘルムを向ける。

「相手はグレイスだぜ。あいつに掛かりゃ、アルゼンタムの素性はおろか記憶も過去もいくらでも造り替えることが出来る。じっくり調べもしねぇで、仲間じゃなかったなんて決め付けんじゃねぇ」

「申し訳ありません」

ダニエルが平謝りすると、ギルディオスはアルゼンタムの魔導鉱石を目の前に持ち上げた。

「だが、ダニー。なぜ、あいつらを旧王都に放った? お前だったら、グレイスの暗号の罠なんざ見抜けただろうが。それをわざわざ、生体魔導兵器になっちまったあの八人を送り込むたぁどういうことだ。オレが部隊を離れている間、お前に指揮権を預けてはいたが、あれは独断が過ぎたんじゃねぇのか。上から承認はちゃんと取ったのか」

「ええ。上は私の作戦を良しとしました。だから、私は彼らを放ちました。アルゼンタムを撃破するために」

ダニエルは、表情を僅かも変えなかった。ギルディオスはダニエルの方を見ずに、言う。

「あいつらの腰から銃を抜いたのはどうしてだ。生体魔導兵器にも、帯銃許可は下りているはずだ」

「一度死んだ者に、身を守る武器は必要ないと判断しました。敵に奪われでもしたら、問題だと思いまして」

「もういい」

ギルディオスはアルゼンタムの魔導鉱石をホルスターに押し込め、ダニエルに背を向けた。

「今から、異能部隊の全権限をオレに戻す。命令だ」

「了解しました」

機械的に、ダニエルは答えた。ギルディオスは彼に横顔を向けたが、すぐに扉に顔を向けて取っ手を握った。

「オレは姫君のお守りに戻る。本隊への連絡をしておけ。それと」

「なんでしょうか」

ダニエルは、少々訝しげに聞き返した。

「なんでお前ら、船酔いしねぇんだ?」

ギルディオスは不思議そうに、首をかしげる。するとフローレンスは、くるりと回ってみせる。

「そりゃー、ここは隊長のお部屋で特一等船室ですもん! ちっとも揺れないんですよー!」

「あー、そういうことかー…」

ギルディオスが苦笑したような声を出してから、足元を指した。

「いやな、あいつらがでろでろに船酔いしてるんで、この船ってそんなにひどかったかなーって思ったんだが、そりゃそうだよなぁ。二等船室は船底に近いから、揺れて当たり前だよなぁ。オレが前に使っていたときはこの部屋にいたから、下の様子なんて知らなかったもんなー。捕虜共には悪いことしたな」

足元を見下ろし、ギルディオスは過去を思い出していた。この蒸気船は、数年前まで異能部隊の持ち物だった。
主に移動や作戦時に使っていて、その際にギルディオスは指揮を執るために、この特一等船室の部屋にいた。
下の階層は、部下達の部屋や任務で捕まえた捕虜の牢として使っていたが、その様子までは知らなかったのだ。
改めて、自分は上の地位にいるのだと認識した。ギルディオスは、中世時代の自分の立場との格差に苦笑する。

「全く、オレも偉くなっちまったもんだぜ」

ギルディオスは扉を開くと、開けた。通路に出たが立ち止まり、二人に振り向く。

「じゃな。虹の果ての天上で」

「戦女神の加護の元に」

そう返しながら、ダニエルとフローレンスは揃って敬礼した。ギルディオスは後ろ手に手を振り、扉を閉めた。
扉が閉まると、壁の向こうを重たい足音が過ぎていった。金属が擦れ合う音が、次第に遠ざかっていく。
上官の気配が、一等船室の階層から完全に失せてから、ダニエルは表情を固めた。相変わらずだ、と思った。
ギルディオスは戦士としては優れているが、兵士を統率するには甘い部分がある。部下を、冷徹に扱わないのだ。
それが弱みなのは、明白だった。いざというときに部下を切り捨てられないと、部隊全員がやられてしまう。
しかも彼は、かつては傭兵だったという。使役される側が使役される側に就いても、良い結果は出ないと思う。
確かに、不死身にも近しい存在のギルディオスは、異能者ばかりを集めた異能部隊を率いるには似合っている。
人が良いから隊員達も彼を慕っているが、それとこれとは違う。今度の作戦も、彼の甘さが目に見えていた。
自分であれば、この場であの少女を確保する。陸に揚げてからでは、標的が離れてしまって後が面倒になる。
だが、ギルディオスは、上陸まで待てと言う。それは時間の無駄なだけのような気がして、ならなかった。
乗客や少女の連れに気を遣っているのだろうか、それとも、己の正体を彼女に知らせる時を延ばしたいのか。
どちらにせよ、無駄だと思った。冷徹に任務をこなしてこその部隊なのに、なぜ、いつも温情的になるのだ。
先程だってそうだ。あの八人は生体魔導兵器となっていたが、生ける屍も同然で、戦闘能力も格段に落ちていた。
そんな者達が、アルゼンタムから身を守れたはずはないし、守るために銃を授けても使えなかったことだろう。
それに、当初の任務はそのアルゼンタムの破壊のはずだ。グレイス・ルーの手駒を減らすことが目的だった。
なのにギルディオスは、事もあろうにアルゼンタムの魂が込められた魔導鉱石を奪取し、実質助け出した。
ダニエルにとっては、信じがたい行為だった。佐官ともあろう軍人が、私情に任せた行動を取るべきではない。
副隊長が不愉快げな顔をしているのを見、フローレンスは彼を見つめていた。だが、何も見えてこなかった。
フローレンスの精神感応能力が通用しないように、思念を押さえているのだ。異能者だから、出来ることだ。
心を塞いでいるも同然のダニエルに不安を覚えながら、フローレンスは髪留めを外し、編んでいた髪を解いた。
編んだクセの付いた長い金髪を背に投げてから、目を細めた。この船にいる、竜の少女の思念を捉えてみた。

「うえ」

フローレンスがいきなりえづいたので、ダニエルは変な顔をした。

「何を見たんだ」

「姫君の思念なんだけどさぁ…。もう、ものすっごく酔ってて、だから、船酔いが移った…」

口元を押さえて涙目になったフローレンスに、ダニエルは呆れ果てた。

「馬鹿が。お前の場合、思念と一緒に感覚まで拾ってくるからいけないんだ」

「だぁってぇ…」

徐々に青ざめていくフローレンスは、座り込んでしまった。ダニエルは、先程自分が座っていたソファーを指す。

「座るか寝るかしろ」

「動いたら出るぅ」

弱々しく返したフローレンスは、それきり黙ってしまった、余程、竜の少女の船酔いはひどいものなのだろう。
ダニエルは、再び後悔した。フローレンスの精神感応能力は便利だが、時として余計なものまで見てしまうのだ。
こうもひどく酔ってしまっては、戦闘は期待出来ないだろう。何か起きたらどうするんだ、と内心で毒づいた。
ダニエルはソファーに座ると、後ろの壁に付いた円形の窓を見上げた。雨は弱まっていて、雨粒が減っている。
深かった闇も、少しだけ柔らかくなっていた。東側から滲み出てくる日光で、そちら側の雲は明るくなっている。
夜明けは近い。そして、異能部隊の行く末が決まる時も近い。ダニエルは、白み始めた空を見据えていた。
雲の切れ間からは、淡い朝日が漏れていた。




雨の弱まってきた甲板に、甲冑は立っていた。
背中のマントと頭飾りがなびき、はためいている。手すりに寄り掛かって、荒れている海の先を見ていた。
ぼんやりとした朝靄の奧に、陸地が見えた。近代的な高層建築が平らな大地から突き出ていて、長い影がある。
冷え切ったガントレットの手中には、緑色の魔導鉱石が握られていた。ギルディオスは、その中の彼に言う。

「陸が見えてきたぜ」

魔導鉱石の中のアルゼンタムは視点を動かし、銀色の指の隙間から海上を見、視点を上げてその先を捉えた。
次第に近付いてくる港が、目的の首都らしかった。近付くに連れ、重厚で巨大な軍船がいくつもあるのが解る。
港の周囲も、まるで要塞を固めるかのように砲台が据えられている。兵士と思しき人影が、砲の傍に見えた。
灯台もいかつく、薄らいだ闇を切り裂くように強い光を回転させている。やはりそこにも、兵士の姿があった。
ギルディオスの手から伝わる冷たさを感じながら、アルゼンタムはじっと港を見つめた。だが、何も感じなかった。
アルゼンタムが何も言わないので、ギルディオスはすぐに察して肩を竦めた。やはり、何も思い出さないようだ。

「まだダメか」

「ナァーオゥイー、ギィールディーオスゥウウウウウ」

間延びした声を出しながら、アルゼンタムは視点を上げて甲冑を見上げる。

「テメェラァー、あの竜の小娘でナァーニしようとシィーテンダァーヨォー? 姫君ッテェーノハァ、あの竜の小娘のコトダァーロォーウ?」

「じきに解るさ」

「ナンカァーヨォー、ロォークデモネェ相談にしか聞ィコエナカッタァーゼェエエエエエエ?」

「否定はしねぇよ。実際、オレらがフィオにやろうとしてることはろくでもねぇ」

ギルディオスは甲板を囲む柵の手すりに背を預け、緑色の魔導鉱石を目の高さまで持ち上げる。

「本当は、あんまりやりたくはねぇんだ。だがよ、やらなきゃならねぇんだ」

「ドォーシィテーダァー?」

「事が終わったら、教えてやるよ。その時には、お前の正体も解っているといいんだがな」

「ソォーダァーナァー。うかかかかかかかかかっ」

ギルディオスはアルゼンタムの魔導鉱石をホルスターに戻すと、東側にヘルムを向けた。朝日が、昇ってきた。
武装した灯台や砲台を照らした白く鮮烈な輝きが、装甲をぎらつかせた。それが眩しく、内心で目を細めた。
どれくらいぶりだろう。こうして首都に来るのも、異能部隊の部下と接するのも、彼らの居場所に戻るのも。
出来ることなら今すぐにでも基地にすっ飛んで行き、異能部隊の面々と会いたかったが、そうもいかない。
表向きは軍を退役したことになっているのだから、あからさまには動けないし、部下達との接触も限られている。
やりづらかったが、仕方ない。これも全て、部下達のためだ。ギルディオスは、昇ってきた朝日を見つめていた。
首都に入れば、あの者との戦いも待っている。先日、旧王都を出たと聞いているから、間違いなく顔を合わせる。
負けるわけにはいかないし、負けてはならないのだ。何が何でも勝利して、異能部隊の未来を勝ち得なくては。
そのために、ここまでやってきた。そのために、離別したのだ。失うものは大きいが、得るものも大きいはずだ。
ギルディオスはフィリオラに対して、罪悪感と申し訳なさを感じていたが、それでも、やらなくてはいけない。
それが、異能部隊隊長としての役目なのだ。




異能者達の思惑を乗せて、漆黒の船は首都へと向かう。
荒れ狂う波を抜け、激しい風を受けながら、港へと突き進んでいく。
その先に在る、異能者達の未来に、一条の光をもたらすものは。

異能の姫君、竜の末裔の存在なのである。







05 12/23