「これは御挨拶だな、ニワトリ頭。出会い頭に銃口とは、穏やかではないな」 魔導師協会の礼服である紺色の上下と黒いマントを着ている少女、フィフィリアンヌは無表情に甲冑を一瞥する。 彼女は素早く、小型の銃を握る右手を持ち上げた。肩に乗っていたクセのない長い髪が、音もなく滑り落ちる。 銀色の小さな拳銃が、甲冑の胸元を睨んだ。フィフィリアンヌはギルディオスの背後に立つ、ダニエルを窺う。 「貴様。念動力など使うな。跳ね返るように仕掛けしてある」 「そんなものは」 どこに、とダニエルが問おうとすると、フィフィリアンヌは僅かに目を細めた。 「貴様の足の下だ。絨毯の下の床板には、様々な魔法陣を施してあるのだ。この部屋では、魔法、及び魔力を根源とした技術を使えるのは、私だけなのだ。あらゆる魔法が無効となるように手を加えてあるのだ。仕事柄、下らん輩に魔法を撃たれることは少なくないのでな」 触れたら爆ぜてしまいそうなほど、緊張感が張り詰めていた。銃口を互いに向け合う二人は、微塵も譲らない。 躊躇いも迷いもなく、ギルディオスの銃口はフィフィリアンヌの額を狙い、竜の少女の銃口は彼の胸を狙っていた。 ダニエルは、二人の様子を静観するしかなかった。どちらも、下手に手を出して無事でいられる相手ではない。 だが、魔導師協会の会長がフィフィリアンヌ・ドラグーンだとは予想もしていなかったので、素直に驚いていた。 魔導師協会の会長は、長らくその存在が闇に包まれていた。ここ五十年ほど、正体を見せることはなかったのだ。 以前はあったのだが、ステファン・ヴォルグ、すなわち、フィフィリアンヌ・ドラグーンの代になってそうなった。 魔導師協会の役員達にすら姿を見せない徹底した秘密主義は、反発もあったが、仕事の確実さで消えたほどだ。 そして、共和国政府ともより一層深い関わりを持つようになり、魔導師協会会長の影響力は多大なるものだった。 その地位に、半竜半人の女が。ダニエルはあまり腑に落ちなかったが、別に違和感のない位置付けだ、と思った。 フィフィリアンヌ・ドラグーンは、五百年以上を長らえてきた手練の魔導師であり、弁も立つし頭も冴えている。 竜であるから生半可なことでは死なないし、何より彼女自身が強い。上に置くには、最適な女なのかもしれない。 だが、そうなれば、余計に納得が行かない。なぜこの女は、異能部隊を潰すように圧力を掛けてきたのだろうか。 半竜半人ならば、異能部隊に生きる者達の気持ちなど手に取るように解るはずなのに、なぜ潰そうとするのだ。 フィフィリアンヌは、表情を変えない。きち、と細い人差し指が銀色の引き金を軽く絞る音が、やけに響いた。 「ニワトリ頭。貴様如きに邪魔をされるとは、心外だな」 「こっちこそ。お前に手ぇ出されると、面倒で仕方ねぇんだよ」 ギルディオスは無理に明るく言い、ヘルムの奧から竜の少女を睨んでいた。 「全く、妙な偽名を使ってやがるぜ。娘婿の、リリエールの旦那の名前じゃなくて、自分の名前にしやがれってんだ」 「これが一番安全だと踏んだのだ。男名前でいた方が、大抵の人間はそれらしく捉えてくれるのでな」 フィフィリアンヌの白い肌に、長い睫毛の影が落ちている。 「貴様こそ、さっさと佐官の地位から下りたらどうだ。似合ってはおらんぞ」 「ああ、オレもそう思うよ。だがな、やることやってから退くつもりなんでな」 ギルディオスは引きつった笑みを作っているのか、声が少し上擦っている。 「フィル。お前の算段はここで失敗だ。フィオは、フィリオラはオレらの手の中にある」 「ほう?」 フィフィリアンヌが片方の眉を吊り上げると、ギルディオスはフィフィリアンヌの額に銃口を寄せる。 「どうせお前は、適当なことを言ってオレら異能部隊を潰そうとしているんだろうが、フィオがこっちにいりゃあお前は手を出せねぇ。言うことやることきっついフィルも、肉親にだけは甘っちょろいからな」 「さあて、どうだかな」 動揺の欠片もないフィフィリアンヌを、ギルディオスは一笑する。 「言ってろ。いくらお前が実力行使をしようが、オレは部下達を守る。どんなことをしてでもな」 「ふん」 素っ気なく息を漏らしたフィフィリアンヌは、目線を上向けた。その先には、ワイングラスがある。 「だ、そうだが」 「はっはっはっはっはっは。ニワトリ頭よ、我が輩達も似たような言葉を返そうではないか」 ごぼごぼと、ワイングラスの中身が泡立つ。粘り気のある赤紫の液体はにゅるりと伸び、先端を振ってみせる。 「貴君ら異能部隊がどれほど画策しようとも、我が輩達は我が輩達の信念を貫くのである。貴君ら異能部隊を滅し、全ての異能者達に自由と解放をもたらすのである」 「うるせぇな、軟体生物。それが余計なお世話だっつってんだよ!」 ギルディオスは、本の上に載せられたワイングラスに声を荒げた。 「自由と解放だぁ? そんな綺麗綺麗な言葉なんざ、お前らの口から出ると馬鹿みたいだぜ。どうせ政府のお偉方にどっさり金を積まれて、オレらの厄介払いを頼まれたんだろうが」 「解っているではないか」 フィフィリアンヌは苛立ち始めたギルディオスを見上げ、にやりとした表情を目に浮かべる。 「今度のことでの報酬は、国家予算の二十分の一だそうだ。たかが一部隊を滅する報酬にしては、破格だろう?」 「何を言って煽りやがった」 ギルディオスが唸るように漏らすと、はっはっはっはっはっは、とワイングラスの中のスライムが蠢く。 「何、至って簡単なことであるぞ。いかに貴君らの存在が危ういか、いかに貴君らの存在が人にとって脅威であるか誇張半分事実半分で、説明しただけである。そして、戦争が起これば混乱に乗じて何かをしでかすかもしれない、と政府の高官達を煽り立てたのである。かもしれない、と言っただけあって、そうであるとは言っておらんのだから嘘ではないのであるぞ」 「どこまで根性腐ってやがるんだ、お前らは」 ギルディオスは、力一杯毒づいた。フィフィリアンヌはそれを気にもせず、澄ましている。 「腐ってなどおらん。ただ、多少遣り口が強引なだけだ。そうでもせんと、貴様らに手出し出来んのでな」 「フィル。お前は何の権利があって、オレ達を脅かすんだ。異能部隊がなくなっちまえば、あいつらがどうなっちまうのか解ってるはずだ」 「ああ、解っている。解っているからこそ、私は異能部隊を潰すのだ。ギルディオス、貴様の方こそ己の所業を理解しているのか。部隊と言えば聞こえはいいが、要するに貴様の部下達である異能者共は軍と政府の手駒に過ぎん。持って生まれた力を、殺戮と破壊に使われる場所でしかない。貴様は、それを正しいとでも思っているのか?」 美しい少女の、目元が歪む。 「貴様こそ、何の権利があって奴らを道具とするのだ。本当に部下達を思い遣るならば、部隊など解散して人らしい暮らしを与えてやれば良いではないか。軍隊など、人間の尊厳を貶めて戦いの歯車とし、兵士を人と思わずに消耗品として消費するだけの組織ではないか。そんな場所に止めていたところで、いつか全員が滅びるだけだ。戦争が始まってしまえば、誰一人としてまともには生き残れん。異能部隊は確かに使える部隊だが、その力の強大さ故に軍からも恐れられている。ならば敵国も同様だ。戦争が始まれば真っ先に集中砲火を浴びて、全滅するのが目に見えているではないか。そうならぬ前に、皆が死んでしまう前に、解放してやるべきであると言っているのだ。どうせ死ぬのであれば、無益な戦争で殺されるよりも、人として生き人として死んだ方が余程良いとは思わんか」 「思わねぇな」 ギルディオスは、即座に言い返した。 「お前らが言うように、オレはオレの信念で異能部隊の頭をやってんだ。そんなこたぁ、今更フィルに言われなくともとっくの昔に解ってるさ。軍隊である以上、オレ達は上の手駒だ。道具に過ぎない。だが、お前の言う人らしい暮らしってなんだよ、今のオレ達は人間らしく生きてねぇとでも言うのか? オレ達にはオレ達の暮らしがあって、オレ達にはオレ達の世界がある。そりゃ、基地の中でだけかもしれねぇが、あいつらは笑いもするし怒りもするし、充分人間らしく生きている。異能部隊に入るまでは、特殊能力があるせいで我を殺してた連中が、気持ちよさそうに笑う姿を見たら、そんなことは言えなくなっちまうんだよ。戦いになればいつ死ぬかなんて解らねぇし、今だってどんな任務で誰が死ぬかは解らねぇさ。だがな、どうせ死ぬんだったら、目一杯笑わせてやってから死なせてやりてぇんだよ」 「それこそ綺麗事だ。人として生きていたとしても、道具として死しては意味がない」 フィフィリアンヌの平坦だった声に感情が込められ、語気が強まる。 「ニワトリ頭。貴様は、やはり馬鹿だ。そうして異能者共に理想を押し付けて、軍に縛り付けているだけではないか。異能部隊に入っている者達の皆が皆、貴様の思うような生き方を出来ていると思うのか。彼らは軍の一部ではあるが、それ以前に部隊の一隊員であり、確固たる人格を持った一個の人間だ。それぞれの考えを持ち、それぞれの価値観を持ち得ている。誰も彼も、貴様や貴様に付いてくる者達と同じように器用だと思うな。そして、自惚れるな。貴様如きに、何もかもを救えるなどと、異能者達を全て生かせるなどと思い上がるな!」 「てめぇこそな!」 ギルディオスは怒りで魂が熱するのを感じながら、叫ぶ。 「フィル、てめぇも大概にしやがれ。いくらてめぇらに権力と金があるからっつって、何もかもが思い通りになると思うんじゃねぇ。何もかも、解ったような口を利くんじゃねぇよ。いかにもオレが間違っていると言いたげだが、間違っているのはそっちだ。一方的な外からの価値観を無理に押し付けることが、間違ってねぇとは言わせねぇぞ!」 「ならば言おうではないか、ギルディオス。貴様とて、十二分に間違っている!」 フィフィリアンヌは立ち上がると、声を荒げた。机に膝を付き、ごっ、と銃口を甲冑の胸に押し当てる。 「なぜフィリオラに手を出した。あの子は貴様らには何の関わりもなく、今日この日まで人である竜として生きてきただけだ。貴様を父親のように慕い、誰よりも信頼していたことは貴様が一番知っていることだろう。貴様は、それを裏切ったのだ。下らん理想に捕らわれすぎて、何も見えなくなっているようだな。あの子の存在で、貴様ら異能部隊がその場凌ぎの存続をしたとしよう。だが、それが潰えるのは時間の問題なのだ。私が直接手を下さずとも、政府の高官共は貴様らを疎ましく思い始めているのだ。特にギルディオス、貴様の存在だ。貴様はグレイスと関わりすぎている。あの男が高官共にちょっかいを出して遊んでいるせいで、貴様や私まであれのような存在であるという認識が水面下で広がっているのだ。だから私は、政治家共の薄汚い手で貴様らが潰されてしまう前に、一思いに潰してやろうと言っているのだ!」 竜の少女は、怒りに声を震わせる。 「私が生半可な考えで動いているとでも思っていたのか? 私が何も考えなしに、目先の利益だけで動くような女だと思っているのか? 全て先を見越した上での、判断であり行動なのだ。いいか、ギルディオス。私は貴様と同じく、いや、貴様以上に異能者達に同情をして止まない。彼らの境遇も不幸も悲しみも、手に取るように解るのだ。だからこそ、下手な優しさよりも辛辣な愛情を与えてやるべきなのだ!」 「愛だと、これが愛だと!? 笑わせんじゃねぇ!」 ギルディオスはフィフィリアンヌの襟首を掴むと、ぐいっと目の前に引き寄せる。 「じゃあてめぇは、軍から放り出されたあとで連中がどうなるのかも解っていてそんなことを言うんだな! 外に放り出されたあいつらに、昔と同じように疎まれて嫌悪されて避けられて、心を閉ざして死んでいけって言うんだな!」 「だから貴様は馬鹿なのだ、ギルディオス!」 フィフィリアンヌは牙を剥き、甲冑のヘルムに額を寄せて睨み上げる。 「なぜそれだけしか考えないのだ! なぜそれだけしか未来の形はないと思い込む! 外の世界に出さえすれば、いくらでも未来が開けるということを貴様は知っているはずだろう! 塀の中に閉じこめておくことの方が、余程未来を狭めているではないか!」 激しい口論を聞き流しながら、伯爵はするりと触手を動かした。二人の叫び声で、柔らかな体が痺れていた。 視点を動かして、ダニエルへと向けた。まだ若さの残る軍人は、二人の言葉を真摯に受け止めているようだ。 表情を強張らせて、身構えている。だが、戦闘に至るような緊迫感はなく、むしろ論戦を聞き入っている。 どちらの意見も正しくて、どちらの信念も決して間違ってはいない。ただ、噛み合っていないだけなのだ。 現状を維持するべきだと主張するギルディオスと、未来を見据えるべきであると譲らないフィフィリアンヌ。 伯爵には、どちらの気持ちも良く解っていた。二人とも、己が信ずるままに行動し、叫んでいるだけなのだから。 だが、フィフィリアンヌがここまで感情的になるのも珍しい光景だ。相手がギルディオスだから、なのだろう。 同じ目的を持ちながらも道を違えてしまったということもそうだが、彼は彼女の掛け替えのない友人の一人だ。 友人であるからこそ、許せない。そして、受け入れられないのだ。一度ずれた歯車は、なかなか噛み合わない。 伯爵は、ごとり、と本の上で前進した。上官の背と荒ぶる竜の少女を見つめているダニエルに、声を掛けた。 「して、ダニエルとやらよ」 ダニエルが振り向くと、伯爵は艶やかな赤紫の触手を彼に伸ばした。 「貴君は、どうしたいのかね?」 穏やかな低い声に、二人の言葉も止んだ。ダニエルは躊躇っていたようだが、本の上のスライムを見上げた。 「…しかし」 「貴君は、この二人の言い争いの当事者なのである。意見する権利も立場も、あるのである」 伯爵は、困惑気味のダニエルを指す。 「この際だから、言うだけ言ってしまうが良いのであるぞ。上官に従うか、あの女の言葉を受け入れるか、それとも、他の道を見出すのか。決めるのは貴君自身である。貴君は、一個の自我を持ち得た人間であるし、いい歳なのであるからそれくらいの判断は出来るであろう?」 ダニエルは戸惑ってしまい、目線を彷徨わせる。ギルディオスの理念も解るし、それが正しいのだと思える。 だが、フィフィリアンヌの意見も受け入れるべきなのかもしれない、という思いが、ちらりと頭を掠めた。 その場凌ぎで部隊を存続させても、いつかは滅びてしまう。だが、異能部隊がなくなれば、行く道が解らない。 幼い頃から、ずっと軍の中で生きてきた。だから、これからもずっと軍の中で生きていくのだと信じていた。 ギルディオスを越えるような隊長となって異能部隊を率い、共和国のために、この力で戦い抜いていくのだと。 戦って死ねるなら、本望だと思っていた。持って生まれた力を使って生きるためには、戦い続けるしかなかった。 だが、もしも。力を持っていても、大衆のように生きていくことが出来るなら、そうしてみたいという願望はある。 遠い昔に一度だけ感じた感情が、蘇ってくる。灰色の塀の外へ逃げ出した、炎の子供。彼が、羨ましかった。 炎の力で破壊し尽くされた基地の中に立ちながら、立ち込める煙に霞んだ空を見上げながら、思ったことはある。 家に帰りたい。戦いのない朝を迎えてみたい。だが、それは叶わぬ夢だ。人でない自分は、外では生きられない。 ダニエルは、外の世界に対する羨望と使命感の狭間に揺れていた。軍人としての己と、人間としての己がいる。 目線を上げると、二人はこちらに向いていた。どちらを取るのか、とでも言いたげに、じっと見つめている。 ダニエルは、口を開いた。 その頃。フィリオラは、フローレンスに異能部隊基地の中を案内されていた。 朝と同じく塩辛い昼食の後、宿舎から外に連れ出された。本当はいけないんだけどね、と彼女は笑っていた。 訓練場と思しきだだっ広い敷地を通りすぎて、塀から離れた位置に連ねてある倉庫にも似た建物にやってきた。 フィリオラは、フローレンスの後ろ姿を見上げていた。彼女の長い金髪は、後頭部の高い位置で括ってある。 馬の尾にも似た形で結ばれている金髪が、白い首筋を隠している。そこから繋がる胸は、たっぷりと大きい。 フィリオラは目線を下げ、自分の起伏の少ない胸を見、幻滅した。ある人にはあるのになぁ、と思ってしまう。 フローレンスは、背の高く厚い金属の扉に手を掛けた。力を込めて横に押していき、ごろごろと扉がずれる。 「ヴェイパー、出ておいで!」 フローレンスが薄暗い屋内に呼び掛けると、うん、と低い声で返事があった。そして、重たい足音がする。 その音のたびに、地面が軽く揺れた。フィリオラは自慢気なフローレンスと、倉庫の中を交互に見比べた。 次第に、金属の軋む音が混じった足音が近付いてきた。昼間の日差しの下に現れたのは、巨大なものだった。 蒸気釜のような丸い胸部と太い腹部に、がっしりと太い円筒状の両手足が繋がっていて、球の上に顔があった。 球状の胸部には、六角形の台座が付いており、中心には同じく六角形の深い青の魔導鉱石が填められている。 覆面にも似た顔の脇には、蒸気弁のような細長いものがある。目があるべき部分には、横に一本、線がある。 フローレンスは呆然としているフィリオラの前に出ると、その巨大な機械人形に手を差し伸べ、上機嫌に笑う。 「紹介するわ、フィオちゃん。この子がヴェイパー、あたしの可愛い機械人形であり相棒なのよ!」 「ど、どうも初めまして」 フィリオラが丁寧に頭を下げると、ヴェイパーという名の機械人形も頭を下げた。ぎしり、と関節が軋む。 「はじめまして。けど、はじめてじゃない。う゛ぇいぱー、きのう、よるにあっている」 「え、っと…」 フィリオラが思い出そうとすると、フローレンスはやりにくそうに苦笑する。 「ああ、そうだったわね。昨日の夜、フィオちゃんを確保する作戦にあたしとヴェイパーも参加していたのよ。あたしはあなたの精神に強烈な精神波を送って、気を失わせる役目で、ヴェイパーは」 「う゛ぇいぱー、かべだった。ろじ、ふさいだの、う゛ぇいぱー」 ヴェイパーは円筒を連ねたような太い指で、自分を示した。フィリオラは少し思い出してから、ああ、と頷く。 「あれはあなただったんですね。いきなり道が見えなくなっちゃって、おまけに喋ったものですから何かと思ったら、そういうことだったんですねー。これですっきりしました」 「ごめんなさい」 ヴェイパーが重々しい動きで頭を下げると、フィリオラは手を左右に振る。 「いえ、謝らなくてもいいですよ。ヴェイパーさんもお仕事だったんですし、私は無事なんですから」 すると、ヴェイパーは嬉しそうな唸り声を漏らした。フローレンスは二人の様子を見ていたが、倉庫の中を指す。 「あたしさ、ちょっと仕事の続きをしなきゃならないんだよね。だからヴェイパー、フィオちゃんに倉庫の中でも見せてやってあげてくれない?」 「ぐんじきみつ、いろいろあるけど」 ヴェイパーが困ったように声を落とすと、フローレンスはあっけらかんと笑う。 「いいのよ、どうせ素人目には解らないんだから。フィオちゃんが魔導技師だったら別だけどね」 「ふろーれんす。それじゃ、また、ふくたいちょうにおこられる」 「知られなきゃいいのよ。だって、副隊長も隊長も夕方まで帰ってこないって言っていたし」 フローレンスの言葉に、フィリオラはそれでいいのかと思っていると、ヴェイパーは呆れたような声を出した。 「それじゃ、よくない。きそく、まもるの、だいじなのに」 「決まり事ってのは破るためにある、って隊長なら言うわよ」 くるりと背を向けたフローレンスは、軽やかな足取りで倉庫に入っていった。フィリオラは、苦笑いする。 「いくら小父様でも、それは言わないと思いますけど…」 「うん。ぜったい、いわない」 こくんと頷いたヴェイパーは、大きな手を挙げて倉庫の奧を指した。 「ひめぎみ。あっち、いこう。いろいろ、あるから」 「あの、ヴェイパーさん。その、姫君、というのはなんですか? 私は別に、王族でも皇族でもありませんが」 フィリオラが不思議そうにすると、ヴェイパーは答えた。単語ばかりだが、的確な答えだった。 「ひめぎみは、さくせんのうえでの、いんご。りゅうのまつえい、おんなのこ、だったから、そうなった。それだけ」 「そうだったんですか。でしたら、もうその呼び方はやめて頂けませんか?」 「どうして?」 ヴェイパーが首をかしげると、フィリオラは気恥ずかしげに眉を下げる。 「なんていうか、その、私はお姫様なんて柄じゃないですし、恥ずかしいんです。ですから、普通に呼んで下さい」 「それ、めいれい?」 ヴェイパーは、反対方向に首をかしげ直した。フィリオラはその仕草に愛嬌を感じ、表情を緩めた。 「命令なんてもんじゃないですよ。ただのお願いです」 「じゃ、ふぃお、か、ふぃりおら?」 「どちらでも構いませんよ」 「じゃ、ふぃお。いこう」 ヴェイパーは再度倉庫の奧を指し示してから、ゆっくりと歩き出した。フィリオラは、その後ろに続いて進んだ。 一歩中に踏み込むと、空気が重たくなった。機械油と鉄のつんとした匂いが、埃っぽい空気に濃密に満ちていた。 機械を加工するための作業場には、フィリオラにはよく解らない道具が色々とあり、小型の溶解炉もあった。 加工途中の魔導鉱石や魔導金属が、魔法陣が描かれている作業台に置かれ、ほのかな弱い光を帯びていた。 あしもと、きをつけて、とヴェイパーに言われ、フィリオラは下を見ながら歩いた。確かに、物がやけに多い。 しかもそれは金属ばかりなので、引っ掛けたら痛そうだ。いくら戦闘服の生地が厚くても、痛いものは痛いのだ。 歯車や鉄板の入った箱が積み重なり、迷路のようになっているが、ヴェイパーは迷わずに奧へ奧へと進む。 気付けば外の光は遠のいて、倉庫の出入り口から大分離れていた。闇は深まり、機械の匂いは一層濃くなる。 フィリオラは、少し不安になった。視界が暗くなったこともそうだが、どこに行くのか解らないからだった。 すると、ヴェイパーが立ち止まった。がしゅり、と重たい足音が止まったので、フィリオラはそちらに向いた。 ヴェイパーは、周囲とは違って整頓された棚の前に立っていた。棚の下には、白い塗料で書いた魔法陣がある。 フィリオラは、床に描かれた魔法陣を何の気なしに読んだ。それは、魔力安定と鎮静の作用を持つ魔法だった。 なぜ、こんなところにそんな魔法陣があるのだろう。フィリオラは少し不思議に思いながら、棚に向かった。 「これ、なんですか?」 「ともだち」 ヴェイパーはゆっくりと体を反転させ、棚に向き直った。棚の段には、ずらりと魔導鉱石が並べられていた。 魔導鉱石の色は様々で、大きさもそれぞれ違っていた。加工されているものもあるが、原石のままのものもある。 背後から差し込んでくる日光を浴びて、荒削りな表面が光っていた。フィリオラは、慎重に魔法陣に踏み入る。 「あなたの、お友達?」 「そう」 ヴェイパーは頷く。フィリオラは訳が解らないながらも棚に近付き、ふと、覚えのある気配を感覚に感じた。 視線を左右に配り、上下に動かす。棚に並ぶ魔導鉱石の中で、一際強い気配を発する緑色の石に目を留めた。 フィリオラは恐る恐る、棚に近付いた。上から四段目、フィリオラの視線ほどの高さの段に、それはあった。 見覚えのある、緑色の魔導鉱石。薄暗さを消すかのように、その魔導鉱石が発していた光が、僅かに強まった。 「ナンダァーヨォーウ」 甲高い、裏返った声が唐突に聞こえた。フィリオラはその声を発した緑色の石に、手を伸ばす。 「あなたは、もしかして、アルゼンタムさんですか?」 「ハッハッハーン。オイラを一発で見ィツケルターァ、サァースガ竜ダゼィイイイイ!」 ごとり、と緑色の魔導鉱石は身動きする。フィリオラは、アルゼンタムの魂の入った石を手に取った。 「どうして、あなたがこんなところにいるんです? 私みたいに、攫われてきたんですか?」 「イィンヤァー、ちょいと違ィガウゼェエエェー。ダーガァ、似ィータヨォーナモンカァーモナァアアアアア」 甲高かったが、アルゼンタムの口調は若干抑制が利いていた。フィリオラは手の中の石に、安堵する。 「でも、良かったです」 「ナァーニガダァヨォー?」 アルゼンタムに聞き返されると、フィリオラは微笑んだ。 「アルゼンタムさんが無事で。小父様に破壊されたって聞きましたけど、体だけだったんですね」 「ナァーニガそんなに嬉しいノォサァー?」 にこにこしているフィリオラに、アルゼンタムは不可解そうにする。フィリオラは、ちょっと困った顔になる。 「そうですよね。普通は、そんなに喜んじゃいけませんよね。アルゼンタムさんは色んな人を沢山殺してしまったし、私もあなたに傷付けられました。ですけど、私、あなたが無事でいたことが本当に嬉しいんです。変な話ですけど、ああ良かったな、って心から思っちゃったんです」 「マーァアー、オイラも悪い気はシィネェーケドヨォー」 フィリオラを見上げ、アルゼンタムも釣られるように笑う。フィリオラは、緑色の魔導鉱石をそっと棚に戻した。 うかかかかかかか、と彼は気持ちよさそうな笑い声を上げる。その様子に、フィリオラはほっとした気分になる。 この人は、まだ生きている。まだ、死んでいなかった。恐ろしい敵かもしれないが、それでも、また会えて嬉しい。 フィリオラは淡く輝くアルゼンタムの魂を見つめ、思い直した。やはり、この部隊にいるべきではないようだ。 一度は異能部隊で生きるのも悪くないかもしれない、と思ったが、他人を滅ぼすことなど到底出来やしない。 戦う力は持っているが、戦うことは好きになれない。拳を振るうのも、攻撃するのも、傷付けるのも嫌いだ。 たとえそれが正義のためであろうとも、正しいことだと言われても、むやみやたらに他人を傷付けるのは嫌だ。 その人にはそれまでの人生があり、その上でその場に立っているのだから、それを終わらせる権利はない。 それに、自分の力で誰かが苦しむのは見たくはない。竜の力の存在に苦しむのは、自分だけでいいのだから。 ギルディオスが帰ってきたら、そのことを言おう。戦えない、という意思をはっきり伝えなくてはならない。 フィリオラは、背後に立つヴェイパーに向いた。彼とも別れなくてはならないが、それは仕方のないことだ。 「あの、ヴェイパーさん。私」 「ふぃお」 ヴェイパーは、がしゅりと踏み出してきた。フィリオラが見上げてきたので、彼は棚を掴み、手前に傾けた。 「ともだち、たすけて」 「え?」 フィリオラが呆気に取られた直後、ばらばらと無数の魔導鉱石が落下してきた。硬い音が、何度も繰り返し響く。 赤、青、緑、黄色、白、紫、水色、その他の様々な色が足元に転がり、いくつかがフィリオラの背中にぶつかった。 フィリオラは背中の痛みに辟易しながら、魔法陣を埋め尽くした魔導鉱石に手を伸ばし、一つを手に取った。 死にたい。 強烈な意思が、強い意識の言葉が、フィリオラの背筋を逆立てた。指先から伝わる苦しみと痛みが、迫り上がる。 殺してくれ。死なせてくれ。もう嫌。逝かせて。逝きたい。生きたかった。生きたかったのに。 フィリオラは、鼓動が高まっていた。複数の人間の苦しみの声が、魂に直接語り掛けてくる感覚は、強すぎた。 ああ、取り憑かれる。そう思ったが、遅かった。足元の魔導鉱石がかたかたと震え出し、それらは輝き始める。 薄暗かった倉庫の奧を一気に白ませるほどの光の中に、影が出来る。背中に突き出してきた翼が、服を破った。 焼け付くように、魂が熱い。今までになく漲ってきた怒りと憎しみが全身の血を滾らせ、竜の血を呼び起こす。 喉の奥から漏れる吐息は熱を持ち、視界は光に潰されている。巨大な翼を生やした少女の、影が膨れ上がる。 太い尾がずるりと伸び、顎が突き出し、ツノは太く逞しくなり、小柄だった体が次第に体積を増していく。 視線を後ろに向けると、ヴェイパーを見下ろしていた。光を受けて立つ機械人形は、なぜか嬉しそうに見えた。 フィリオラは、頭に何か当たったことに気付いた。それは倉庫の天井だったが、容易く突き破ることが出来た。 崩壊した屋根と天井が崩れ落ち、空が見えた。一歩前に踏み出すと、足元の魔導鉱石が砕け、壁も壊れた。 ぐるぅ、と喉が低く鳴る。フィリオラは自分の姿を見下ろし、巨大な緑竜へと姿を変えていることを確認した。 血が熱く滾っている。怒りが納まらない。泣きたいほどの憤怒と狂いそうなほどの悲しみが、咆哮となる。 竜の猛りが、灰色の箱庭を激しく揺さぶった。 それぞれの思惑と、それぞれの理想のために。 彼らの策謀に翻弄された竜の末裔は、その身に他者の怒りを宿した。 魔導鉱石に宿りし意思達の怒りを浴び、受け入れてしまったが故に。 異能の姫君は、竜へと化したのである。 06 1/11 |