その頃。レオナルドは、苛々していた。 首都の大通りの片隅にある軽食屋の、屋外の席にブラッドと共に座っていたが、食事は捗っていなかった。 捜査の際に使う手帳を広げて得た情報を書き込もうとしても、何もない。それが、余計に苛立ちを煽った。 レオナルドは乱暴に手帳を閉じると、上着の内ポケットに押し込んだ。ちぃっ、と腹立たしげに舌打ちする。 「理不尽だ!」 「うん。オレも変だと思う」 ブラッドはレオナルドの態度の険しさに恐れを成していたが、なるべく平静を装ってパンを囓る。 「まるっきりフィオ姉ちゃんの行方が解らないなんて、マジでおかしいよ」 「大体、あの女ほど目に付く輩が誰にも目撃されずに迷子になるはずがないんだ!」 レオナルドは湯気の消えたコーヒーを砂糖を入れずに呷り、喉に流し込むと、がしゃん、とソーサーに叩き付ける。 「誘拐なら誘拐で、ストレイン家に脅迫文でも来るだろう。だが、それもない。挙げ句に、当局にも届けも何もないというのが更におかしい。あの女が、市民の味方である国家警察に助けを求めないのは有り得ない。となれば」 「レオさん、心当たりでもあんの?」 ブラッドが問うと、レオナルドは言葉を濁らせた。 「いや。あまり、考えたくないことだが、有り得ないわけではない。しかし…」 レオナルドは不意に不安げな顔をしたが、すぐに消して険しくさせる。 「ブラッド。お前はストレインの屋敷に帰れ」 「なんでだよ。オレだって、フィオ姉ちゃんを捜したいよ!」 椅子に立ち上がったブラッドが反論すると、レオナルドも腰を上げて声を荒げる。 「ここから先は、お前みたいな子供が手出しするべきではないんだ!」 「どうしてだよ! どうしてそんなこと言うんだよ!」 ブラッドは腹立たしくなってきて、レオナルドを睨んだ。急に子供扱いされるのは、不可解だった。 「そりゃオレは子供かもしんないけどさ、レオさんの役に立ちたいしフィオ姉ちゃんを見つけたいんだよ!」 「役には立てん! ここから先は、足手纏いだ!」 レオナルドは、テーブルを強く殴り付ける。その衝撃で食器が跳ね、激しく鳴った。 「いいか、オレの心当たりはお前にとっては最悪の場所だ! そしてオレも、出来るならばそうでないと信じたいが、ここまで調べても手掛かり一つないとすれば、そうであるとしか考えられないんだ!」 「だから、それって何なんだよ!」 「ここでは言えん。場所を移す」 レオナルドはどっかりと座り直すと、手を付けていなかった料理を食べ始めた。味わわずに、押し込んでいく。 ブラッドは苛立ちながらも、残っていた料理を食べた。むかむかしていたせいで、味はまるで解らなかった。 ストレインの別邸での料理よりも好みだったが、フィリオラの作る料理の方が余程おいしい、と思っていた。 温かくて優しい味付けで、簡単に見えてさりげなく手が込んでいる彼女の料理が、無性に食べたくなっていた。 ブラッドは少し辛めの鶏肉のスープを食べていたが、手を止め、旧王都よりも大きさがある高層建築を仰ぎ見た。 隙間から見える空は、薄く雲が掛かっていた。 足早に歩いたレオナルドが行き着いた先は、海岸だった。 人通りの少ない倉庫街の更に奧へと進んだ先にある、市街地からも倉庫街からも離れた、静かな場所だった。 延々と伸びていた岸壁も切れて、荒削りの岩が剥き出しになっている。足場も悪く、多少歩きづらかった。 レオナルドは岩の隙間を縫うようにして進んでいくので、ブラッドは無言のまま、その背を追いかけていった。 不意に、目の前の視界が開けた。ごろごろしていた岩がなくなると、砂浜と言うには小さすぎる砂浜があった。 漂流物が流れ着いていて、泡立った波が前後に揺れている。レオナルドは、その砂浜に突っ立って待っていた。 ブラッドは、物珍しくなって周囲を見回した。海岸からは、岩に遮られているせいでこの場所は見えないようだ。 レオナルドが手近な岩に腰を下ろしたので、ブラッドもその辺りにあった岩に座る。濃い潮の匂いが、満ちている。 「ここ、何?」 ブラッドに問われ、レオナルドは懐かしげな顔になる。 「オレの憂さ晴らしの場所だ」 レオナルドは、波打ち際すれすれを睨んだ。一瞬、空気が熱を帯びたかと思った直後、砂の上に炎が現れた。 可燃物がなくとも、ゆらゆらと炎は燃え盛る。風に煽られて勢いを増すかと思われたが、海水が打ち寄せてきた。 じゅっ、と容易く掻き消された炎は、その名残として湯気を昇らせていた。レオナルドは、声を落として呟いた。 「オレはな、五歳から八歳ぐらいまでの三年程度、首都にいたんだ。無論、オレの意思じゃない。三歳半頃に現れた念力発火能力を親父が持て余して、オレを軍に売ろうとしたんだ」 「軍に?」 「そうだ。三十年くらい前、共和国政府は魔導技術の保存と研究に力を入れていたんだ。丁度同じ頃に魔導兵器の登録制度が出来上がり、一番最初に魔導兵器として登録されたのがヴァトラス屋敷のヴァトラなんだが、ブラッドはヴァトラを知っていたな」 「うん。ヴァトラとは話したことがある」 ブラッドが頷くと、レオナルドは続ける。 「その、ヴァトラのような魔導兵器が軍事用などではびこるに連れて、共和国軍は魔導兵器と同等に戦える人員を探し始めたんだ。最初は腕利きの魔導師達だったんだが次第に見境がなくなってきて、魔導師以外にも、つまりは特殊能力を有している者達にも手を出すようになってきた。オレは、そのうちの一人にさせられたんだ」 レオナルドは、遠い目をする。二十年以上も前の出来事だったが、ありありと覚えている。 「五歳の誕生日の、次の日だった。オレはいきなり親父に連れられて、家族で首都にやってきた。その時は、初めて乗る機関車や船が面白くて浮かれていたし、最初の二日は兄貴やおふくろも旅行として楽しんでいた。だが三日目が過ぎると、親父はオレを軍の基地に引っ張っていった。でかい島を丸ごと基地にした場所で、その島と陸を繋げる橋がやたらと長かったのを妙に覚えている。オレはその基地に入ると、親父にこう言われた」 レオナルドは、苦々しげに口元を歪める。 「今日からお前は、ここの子だ。お前は、ここで生きるんだ、とな」 実の親の言う言葉ではない、とブラッドは思った。突き放した他人の視点からの、相当に投げやりな言い草だ。 レオナルドは、苦しげだった。普段の強気な表情は窺えず、怯えたように目線が落ち、奥歯を噛み締めている。 「今でもたまに夢に見るよ。余程、オレは怖かったんだろうな。親父の言葉も、基地に取り残されたことも」 沈痛な声に、潮騒が混じる。 「オレは、その基地で二年半も暮らした。たまに休みの時に基地の外に出られたが、ちゃんと会ってくれるのは兄貴ぐらいで、親父とおふくろは魔導師のくせに政治家みたいなことをやってやがって、オレの顔を見ることもなかった。厄介払いをした気分だったんだろうな」 レオナルドは、過去を少しずつ吐き出していく。 「基地にいる間、毎日のように燃やさせられたよ。それは物だったり、訓練の相手だったり、隣国の人間だったり、政府が処理しきれない犯罪者だったり、製作に失敗した人造魔物だったり、色々だ。オレは歳が歳だったから戦闘には参加させられなかったが、一回りくらい年上の念動能力者の奴は、前線に出ていたようだった。まぁ、そいつもやっぱり子供だったんだが、今はどうしているんだろうな。オレは、何度も基地から逃げ出そうとした。だがその度に捕まって、何度も何度も言い聞かされた」 膝の上に置かれた拳が、きつく握られた。 「他に行く場所はない。君と我々は同じだ。だから、ここにいろ。ここでしか、生きられない」 次第に、語気が強くなる。 「誰も君を恐れたりはしない、君は仲間だ、友人なんだ」 耳障りの良い言葉だったが、レオナルドはそれらを明らかに嫌悪し、吐き捨てていた。 「何が友人だ、何が仲間だ! 誰も彼も、己の立場を知っていながらもそれを認めようとしていないだけだ!」 潮騒が、叫びに掻き消される。 「オレ達は道具なんだ! 政府と軍の、都合の良い道具の一つに過ぎん! そんなものが、そんな場所が、オレのいるべき場所であるものか! 人として扱われないような場所で生き続けることなど、死にも等しい!」 叫びが、少しばかり穏やかになった。 「だからオレは、焼けるだけ物を焼いて壊せるだけ基地を壊して逃げ出したんだ。あのままでいては死んでしまう、気が狂ってしまいそうだったから、逃げて逃げて探して探して、オレは家族のいる屋敷に辿り着いた。そこで、親父はオレになんて言ったと思う?」 卑屈で自虐的な笑みが、レオナルドの顔に浮かんだ。 「帰れ。ここはお前の家じゃない。ってな」 今でも、覚えている。忘れようと思っても記憶から薄れることはなく、捨てたいと思っても捨てられない過去だ。 必死に探して、やっと見つけた自分の家族。助けてくれる、助けて欲しいと思ったはずが、強烈に拒絶された。 その場に崩れ落ちて泣き喚いて、どれだけ基地が嫌か、どれだけ自分の仕事が苛烈なものか叫ぶように訴えた。 燃やせと言われて燃やすものは物ではなく、生きていた者、生きている者ばかりで、断末魔が耳から消えない。 それ以外に炎の力の使い道はないからだ、と上官に説明されても納得が行かず、抵抗したが逃れられなかった。 母親が父親に激昂しているのが解ったが、兄が宥めてくれたのは覚えているが、父親の言葉の影に隠れていた。 それほどまでに、強烈だった。子供としての意義を否定する上に存在までも否定するほどの、言葉なのだから。 だが、それでも、再び基地に戻る気にはなれなかった。同じ地獄でも、こちらの地獄の方がまだマシだった。 灰色の塀にも囲まれていないし、恐ろしい上官にも殴られないし、おぞましい命令も下されないのだから。 レオナルドは、深くため息を吐いた。恐怖と同情が入り混じった顔のブラッドは、おずおずとしながら言った。 「それが、レオさんの心当たり?」 「そうだ。恐らく、あいつは軍に攫われたんだ。そして、オレと同じく引っ張り込まれたに違いない」 レオナルドは、眉根を歪めた。 「異能部隊にな」 「いのう、ぶたい」 聞き覚えのない名前を、ブラッドは繰り返した。レオナルドはブラッドに、険しい目を向ける。 「これで、解っただろう。オレが行こうとしている場所は、あいつがいるかもしれない場所は、やばいんだ」 レオナルドは立ち上がると、ブラッドの髪を乱した。屈んで目線を合わせると、少年の両肩を掴む。 「下手をしたら、お前まであちらに引き込まれるかもしれない。そうなったら、取り返しが付かないだろう」 「けど、オレ、それでも、フィオ姉ちゃんを助けたい」 ブラッドが声を震わせると、レオナルドは少年を腕の中に納め、背中を叩いてやる。 「お前は、そんなにあいつが好きか」 「だって、姉ちゃんなんだもん。そりゃ、頼りなくてすぐ泣いて弱っちいけどさ、オレの姉ちゃんなんだもん」 泣き出しそうなブラッドは、ぎゅっとレオナルドの服を握り締めてきた。レオナルドは、彼を抱き竦める。 「あの女は、ちゃんとオレが連れて帰ってきてやる。だからブラッド、お前は留守番をしていてくれ。帰ってきた時にお前がいなかったら、あいつはどれだけ泣くと思っているんだ」 「ん」 頷いたブラッドは、滲んできた涙を拭った。 「でも、なんでおっちゃんも帰ってこないんだろ。おっちゃんにも、なんかあったのかな」 「まぁ、ギルディオスさんのことだから、心配はいらないだろうとは思うが」 だが、今、姿を消すのはいくらなんでも不自然すぎる。レオナルドはそう思ったが、口には出さないことにした。 不用意にブラッドを不安がらせてはいけないし、充分怖がらせてしまっている。また泣かせたら、可哀想だ。 レオナルドはブラッドを放すと、落ち着けるために笑ってみせた。ブラッドは心配げに、レオナルドを見上げる。 「けど、レオさん、本当に大丈夫なのか? そんなやばいところに、一人で行くなんてさぁ」 「心配するな。オレは刑事である以前に魔導師なんだぞ、そう簡単にやられはしない」 レオナルドの強気な言葉に、ブラッドは少しだけ安堵した。 「そうだもんな。レオさんだもんな。でも、ちゃんと帰ってきてくれよ?」 「ああ、約束する。あの女も、フィリオラも一緒に連れて帰ってくる」 レオナルドはブラッドに背を向けて歩き出そうとしたが、足を止めて振り向いた。 「ブラッド。お前は方向音痴じゃないから、一人でストレインの屋敷まで帰れるな?」 「うん。大体の道は覚えたから、大丈夫だと思う」 ブラッドは、首都の地理の知識はまだあやふやだったがそう答えた。もし迷っても、空を飛べばいいだけのことだ。 レオナルドは、後ろ手に手を振った。行ってくる、と言い残して岩陰の間に入り、砂を踏む足音は遠ざかった。 彼の足音が聞こえなくなると、波音が急に耳に入ってきた。ブラッドは、マントの襟を揺らす潮風を浴びていた。 背後に広がる海は、広大ではあったが色はくすんでいた。波に映る空の色は青かったが、薄暗くぼやけていた。 海を行く船の姿も見えず、首都の建物も見えず、世界の中でたった一人になってしまったような気分になっていた。 レオナルドはこんな寂しい場所で、有り余る炎の力を海に向けて迸らせて、孤独に怒りを発散していたのだろうか。 ブラッドは切なくなり、物悲しくもなった。壮絶な過去を経たレオナルドは、今は平穏なのだろうか、とも思った。 そうであってほしい。そうでなければ、ひどすぎる。ブラッドは、レオナルドとフィリオラの無事を強く祈った。 狭い砂浜に、絶え間なく波が打ち寄せていた。 二人は、魔導師協会の会長室に通された。 扉を入ってすぐには、また応接間があった。だが、秘書と思しき女性は応接間を素通りし、更に奧の扉に向かう。 最初の扉ほど豪奢ではないが、造りのしっかりした片開きの扉だった。深い飴色に、金の取っ手が付いている。 秘書の女性は、二回扉を叩いた。中から返事はなかったが、取っ手に手を掛けて回し、静かに押し開いた。 「失礼します。会長、ヴァトラス少佐とファイガー大尉をお連れしました」 秘書の女性は、どうぞ、と二人に言った。ギルディオスは先に部屋に入ると、ダニエルがそれに続いて入る。 床には柔らかな絨毯が敷き詰められていて、二人の足音は消えた。秘書の女性は頭を下げて、部屋を出た。 滑らかに動いた扉は、閉められた。表情を強張らせたダニエルは、部屋の中央にある大きな机をじっと睨んだ。 あまり大きさのない調度品が並び、応接するためのテーブルとソファーがあり、両の壁は本で埋め尽くされていた。 分厚い本の背表紙が、天井まで届く本棚にびっしりと詰まっていた。一見すれば、魔法の専門書が多かった。 横幅のある立派な机の上は、乱雑としていた。書類が散らばり、本が積み重ねられ、整理整頓がされていない。 塔の如く積み上げられた本の頂点には、大振りなワイングラスがあり、中には赤紫の液体が充ち満ちていた。 なぜ、あんなところに。ダニエルはそれを少し訝しんだが、こちらに背を向けている椅子へと注意を戻した。 机に似合う黒い革張りの椅子が、反対側を向いていた。大人がすっぽり隠れるほど、大きな背もたれだった。 ギルディオスは、けっ、と吐き捨てた。肩に引っかけていた軍服を揺らしながら、大きな机に近寄っていく。 「おい」 腰のホルスターから大振りな軍用拳銃を引き抜くと、弾倉を回して装填する。銃口を上げ、椅子へと向ける。 「こっち向けよ。散々人を待たせておいて、その態度はねぇだろうが、あ?」 上官の乱暴な言い草に、ダニエルは驚いた。そのことを言おうとすると、ギルディオスは口元に指を立てる。 待て、ということだろう。ダニエルはあまり腑に落ちないまま、身構えた。せめて、戦う準備はしておこう。 相手は魔導師協会の会長だ。ギルディオスの接し方に対して、どんな魔法でどんな対応をするのか解らない。 もしそうなってしまったら、戦うまでだ。自分の身もそうだが、ギルディオスを守らなければならないのだから。 ぎっ、と革張りの椅子の背もたれが小さく軋んだ。背もたれの向こうから白い手が差し出され、机に触れる。 机を押すようにして、椅子が回転する。妙に悠長な速度で回った椅子は、こちらを向き、その主が視界に入る。 ギルディオスは銃口を下げて、その者の頭部に合わせた。大きすぎる椅子に納まっているのは、少女だった。 出来の良い人形を思わせる、少々きつめながら美しく整った顔立ち。折れてしまいそうなほど、華奢な体形。 「ふん」 尊大な態度の息を漏らしたのは、薄く艶やかな唇。白い肌の頬が引きつり、吊り上がった赤い瞳が細められる。 すらりと伸びたツノ。尖った耳。色鮮やかな濃緑の髪を肩から背中に流した小柄な少女の背には、翼がある。 若草色の翼には薄い皮が張り詰めていて、広げられていた。それが少しばかり下げられると、彼女は足を組む。 「ニワトリ頭如きに」 少女は、竜族特有の赤い瞳に二人の軍人を映した。 「命令される筋合いはない」 ギルディオスは、軍用拳銃の引き金を絞る指を緩めなかった。それどころか、彼の声は笑っていた。 「そりゃ悪かったな。だが、会えて嬉しいぜ」 竜の少女を見据えたギルディオスは、彼女の名を叫んだ。 「フィフィリアンヌ・ドラグーン!」 06 1/10 |