ドラゴンは眠らない




反逆の傷痕



ギルディオスは、部下を待っていた。


薄暗い路地に立ち、レンガ造りの壁に背を預けていた。赤いマントと壁の間に、巨大な剣が挟まっている。
その傍らには、窮屈そうにしながら巨体の機械人形が立っていた。路地の隙間に、ぎりぎりの幅で入っている。
体を横にしても胸部が球状なのであまり変わらないのだが、せめてもの抵抗ということで横向きに入っていた。
全体的に丸っこい巨体の機械人形、ヴェイパーは甲冑を見下ろした。赤い頭飾りの目立つ、兜を見下ろす。

「たいちょう」

「んあ」

やる気のない返事をしたギルディオスに、ヴェイパーは横向きに一歩手前に歩いてから、情けなく言った。

「せまい」

「ああ、そうだな。だが、もうちょいそこにいろ。オレらの用事が終わるまでな」

ギルディオスはヴェイパーを見上げ、こんこん、と太い腕を小突く。ヴェイパーは、うう、と唸って俯いた。

「せまいと、くるしい。せまいの、やだ」

「文句ならフローレンスに言ってくれよ。お前をここに引っ張り出したのは、あいつなんだから」

と、ギルディオスは肩を竦めてみせる。そして、狭い路地の隙間から見えている、雑然とした街並みを仰ぎ見た。
首都の中心街から離れた、どちらかと言えば庶民の街だった。建物の壁の、建材の質が明らかに落ちている。
路地の手前を通りかかる人々の服装も簡素で、豪奢な装飾品に身を固めた貴婦人の姿など、一度も見掛けない。
路地から首を出して周囲を見回していると、通りの反対側の歩道を駆けてきた作業服姿の女性が、手を振った。

「たーいちょー!」

「おう、お帰りぃ」

ギルディオスは右手を挙げる。金髪の女性は馬車が通りすぎるのを待ってから、足早に通りを渡ってきた。
油染みの付いた作業服の上半身を脱いでいて、その袖を細身の腰で結んでおり、大きな胸が目立っている。
後頭部で一括りにした金髪をなびかせながら、二人の元へやってきた。フローレンスは、甲冑の背後を見上げる。

「ヴェイパー、良い子にしてたー? あー、でも不機嫌だねぇ、あんた」

「そと、でたい。ここ、いや」

うー、と機嫌の悪い声を漏らしながら、ヴェイパーはフローレンスを見下ろした。フローレンスは、背伸びをした。
手を伸ばし、前傾姿勢気味になっているヴェイパーの頭部に指先を触れさせると、軽く撫でる仕草をする。

「お願いだから良い子にしててね、ヴェイパー。今日は任務じゃないから、戦わなくていいんだから」

「にんむ、ちがう? じゃあ、なに」

ぎち、とヴェイパーは首をかしげた。ギルディオスは、親指を立てて通りを指す。

「フローレンスの精神感応とオレの感覚によれば、この近くにはフィオがいるはずなんだ。だから、会いに行くのさ。この間のことを、謝りにな」

「ふくたいちょう、おかえり」

ヴェイパーは首を動かし、ギルディオス越しに通りを見下ろした。表情を固めた褐色の肌の男が、立っていた。
この界隈に似合う簡素な服装の男、ダニエルはギルディオスの前を過ぎてヴェイパーを見上げ、顔をしかめる。

「…だから置いてこいと言ったのに」

「だぁってー、ヴェイパーを一人っきりにするのは可哀想じゃないのよぉ」

ヴェイパーの腰にしがみ付き、フローレンスはむくれた。ダニエルは、額を押さえた。

「だからと言って、連れてくることはないだろうが。それになんだ、その口調は。砕けすぎてやしないか」

「基地の外に出たらいいかと思って」

あっけらかんとしているフローレンスに、ダニエルは少々呆れた。

「お前は上下関係を何だと思っている」

「まぁいいじゃねぇか。基地がぶっ壊れちまったんだから、なんだってよ」

壁から背を外したギルディオスは、ダニエルの肩を叩いてから先を歩いた。ダニエルは、その背に渋い顔をする。
ダニエルはあまり腑に落ちなかったが、それ以上言わないことにした。外へ出たのは、自分の意思なのだから。
異能部隊が実質的に崩壊している今は、あまり厳しく言うべきではないと思っているが、クセになっていた。
長年軍隊の中で暮らしていたせいで、上下関係は絶対だという感覚が染み付いていて、すぐには払拭出来ない。
なんとかしなくては、とは思っているが、たった三日ではどうにもならなかった。ダニエルは、甲冑に続いた。
その後にフローレンスも続いたが、すぐに追い越していった。ギルディオスの傍に立ち、行く先を示している。
ダニエルに比べて、フローレンスは切り替えが早かった。基地が壊滅した当初は、かなり落ち込んでいた。
ギルディオスに実質裏切られたということもあり、最初は押し黙っていたが、そのうちに元気良く喋り始めた。
元々がお喋りで快活なので、ずっと黙っていられなかったらしい。ギルディオスとの関係も、多少回復した。
以前のように盲目的な信頼はしていないが、父親のように慕っていることには変わりなく、彼もまた同じだった。
ギルディオスは、フローレンスを部下ではなく娘のような存在の一人として扱っていて、前よりも態度が砕けている。
二人が足を止めたので、ダニエルも足を止めた。そして、通り沿いに立っている古びた高層建築を見上げた。
雨の筋の付いた壁は汚れ、階段の一段の端が崩れていた。扉には、宿屋、と書いた看板が打ち付けてあった。
ダニエルは薄汚れた窓に、目を配った。縦に三つ、横に二列の、六つある窓の左端の一番上で視線を止めた。

「ああ、あそこにいるな」

ギルディオスはダニエルが見上げている先を見、頷いた。フローレンスも頷く。

「あー、いますねぇ。他の二人も一緒です。二人とも人外みたいなもんだから、無意識の思念がビンビン来ます」

「読めるか」

ダニエルが問うと、フローレンスは遠くを見るように目を細めた。

「うん、読めた読めた。カニだわ、カニ」

「なんだ、そのカニというのは?」

ダニエルが声を裏返すと、フローレンスは頬を緩める。

「カニなのよ、カニ。市場で一杯買い込んできたみたい。それを料理して、これからお昼だってさー」

「いや、そういうことじゃなくてな」

ダニエルが狼狽えると、フローレンスは足取りも軽く階段を昇り始めた。

「さっさと行きましょ、副隊長。せっかくなのでご馳走にならなきゃ勿体ないじゃんかー」

「いや、だがな」

困り果てたダニエルに、フローレンスはにんまりしながら振り向いた。

「大丈夫大丈夫。私が視た感じでは、どっさり作ったみたいだから。喰える喰えるぅ」

「フローレンス! お前、図々しいにも程があるぞ!」

声を荒げたダニエルの背を、ギルディオスが押した。ギルディオスは、楽しげに笑っている。

「いいじゃねぇか、それぐらい。フィオなら、喰いに行かなくても逆に喰わせに来るだろうしな」

「しかしですね…」

ダニエルは困惑しながら言い返そうとしたが、肩を落とした。これ以上は、何を言っても無駄なようだった。
釈然としなかったが、ダニエルはフローレンスの後を追った。彼女は、奧にある狭い階段を先に昇っていた。
こめかみを押さえて悩んでいるダニエルに、ギルディオスは可笑しくなった。彼にしては珍しい表情だ。
ダニエルは副隊長という地位にいたせいもあるが、大抵の場合は、厳しい顔や険しい顔しかしていなかった。
笑う姿など滅多になかったし、今のように困ったような表情を見せるのも少なかった。骨の髄まで、軍人なのだ。
これから、もっとダニエルの表情は増えることだろう。そうなれば、機械的だった彼も大分人間らしくなる。
やはり、基地を壊して正解だったんだ。そう思いながら、ギルディオスはせせこましい宿の廊下を歩いていった。
階段の上からは、温かな料理の匂いがしていた。


三階の角部屋、三○三号室。その扉を叩くと、高い声で返事がした。
ちょっと待って下さいねー、との返事の後、扉は開かれた。短いツノの生えた少女が顔を覗かせ、目を丸めた。
ギルディオスは、片手を挙げた。フィリオラは扉の隙間からギルディオスを見上げていたが、一度、瞬きする。

「あ、小父様。お二人も」

ギルディオスの背後に立っている二人を見上げ、フィリオラはもう一度瞬きをしてから、ふにゃりと笑う。

「どうぞ。丁度お昼の時間ですから、食べてって下さい」

ほらな、とギルディオスはダニエルに振り向いた。ダニエルは戸惑っていると、フローレンスに急かされる。

「ほぉらー、早くぅ」

「全く」

渋々、ダニエルは足を進めた。外見と同じく手狭な部屋に踏み入ると、そこは居間で、空気が暖かかった。
中央のテーブルには様々な料理が載った皿が並び、少年が腰掛けていた。その奧に、男が胡座を掻いている。
男は足の間に拳銃の部品を置くと、ダニエルではなくギルディオスを睨んだ。男、レオナルドは、口元を歪める。

「よくこんな場所に顔を出せますね、あんたは」

「まぁ、な…」

ギルディオスは肩を竦め、ヘルムを掻く。少年、ブラッドは椅子から下りるとギルディオスの元に駆け寄った。
声を掛けようと口を開いたが、躊躇いがちに閉じてしまった。恐る恐る、テーブルの向こうのレオナルドを窺う。
レオナルドは明らかに不機嫌そうで、眉根をしかめていた。当然だよな、とギルディオスは内心で苦笑した。
フィリオラが攫われたと知った彼は、基地に単身で乗り込むほど怒っていたのだから、すぐには冷めないだろう。
あの出来事から三日は過ぎているが、怒りはそう簡単に納まるものでもないし、レオナルドならそれは尚更だ。
ダニエルは、拳銃の手入れを続行するレオナルドを眺めた。苛立った表情は、幼い頃となんら変わっていない。
彼がこちらを見る様子がないので、ダニエルは少々落胆してしまった。どうやら、彼は気付いていないのだろう。
無理もない。彼が異能部隊を逃げ出してから二十年近く経っているし、ダニエルもその分年齢を重ねている。
フィリオラを攫う以前からレオナルドを見張っていたダニエルは気付いていても、彼は気付かなくて当然だ。
仕方ないと思いながらも、やはり残念だった。だがダニエルは表情に出すこともなく、レオナルドから目を外す。
台所から戻ってきたフィリオラは、両手に料理の皿を持っていた。それをテーブルに置くと、二人を手招く。

「椅子、足りていませんけど、どうぞ適当に座っちゃって下さい」

フィリオラは背を向けているレオナルドを見下ろし、彼も手招きした。

「ほらぁ、レオさんも。あ、食べる前に手を洗って下さいね。機械油で汚れてますから」

「ガキじゃないんだ、いちいち言われなくてもそれぐらい解っている」

レオナルドは腰を上げると、足早に台所の方へ向かった。ブラッドは、ギルディオスの背後の二人を見比べる。

「この人達って、フィオ姉ちゃんが言ってた、おっちゃんの部下なん?」

「おう、そうだ。男の方のがダニエルで、女の方がフローレンスだ。仲良くしろよ、ラッド」

二人を示してから、ギルディオスはブラッドの頭に手を置いた。ブラッドは抵抗することもなく、撫でられた。

「ん」

フローレンスは後ろ手に扉を閉め、ダニエルの背を押した。ダニエルは背後の彼女を見たが、仕方なく進んだ。
部屋に踏み入ると、台所から戻ってきたレオナルドの目がダニエルに向いた。だが、合うよりも先に逸らされた。
レオナルドは、ダニエルから目を外し、あらぬ方向に向けた。彼と視線を合わせることには、躊躇いがあった。
異能部隊基地で一目見た時から、彼が異能部隊時代の友人であることは思い出したが、口には出せなかった。
いくら彼がかつての友人でも、すぐには許せなかった。ギルディオスと共に、フィリオラを攫ったのだから。
レオナルドは表情を変えていないが残念そうなダニエルに、少々申し訳なくなったが、目を向けられなかった。
それはそれ、これはこれだ。友人関係であったこととフィリオラを攫った罪は、まるで関係のないことだからだ。
ブラッドは今し方まで座っていた椅子に戻ると、フィリオラはその隣に座った。二人は、必然的に向かいに座る。
台所から戻ってきたレオナルドは手を拭いていたが、出窓の窓枠に腰を下ろした。足を組み、不愉快げにする。
フィリオラはテーブルの上から、ワタリガニとトマトのパスタの皿を取ると、フォークと一緒にレオナルドに渡した。

「はい、どうぞ。自信作ですよー」

「その前に二日も失敗しているがな」

レオナルドがにやりとすると、フィリオラは不愉快げにむくれ、椅子に座り直す。

「だ、だってぇ、カニをお料理するのは初めてだったんですもん」

「今日のはちゃんと大丈夫みたいだぜ。カニの身が硬くなってないし、生じゃないみてぇだし」

ブラッドはフォークの先に、ぶつ切りのカニの足を突き刺して持ち上げた。フローレンスは、フィリオラを見た。
むくれているフィリオラから漏れている思念は、料理を失敗した記憶と成功したことの嬉しさが大半だった。
だが、残りの半分はレオナルドに対する文句だった。何も言わなくてもいいじゃないですか、と拗ねている。
フローレンスはそれが微笑ましくて、表情を緩ませた。やはり、フィリオラは妹のように思えてならない。
フィリオラは、ダニエルとフローレンスに気付くと、テーブルに並ぶ料理を勧めた。皿を、二人の前に押し出す。

「冷めないうちに食べちゃって下さい。調子に乗って一杯作っちゃったんですよ」

パスタ以外の料理も、見事にカニだらけだった。ワタリガニのグラタンは焼き立てらしく、端がまだ煮えていた。
カニのハサミが突き出た魚介類のスープ、カニの身と葉物野菜を炒めたもの、山盛りの生野菜のサラダなど。
ダニエルは躊躇していたが、フローレンスが食べ始めたので、釣られるようにカニとトマトのパスタに手を付けた。
平打ちのパスタに絡められたトマトのソースは、細かく切った野菜と共に良く煮詰めてあり、程良く甘かった。
殻ごと入れられているカニの身を引き摺り出すため、ダニエルは片手を出した。指先を、手前に軽く曲げる。
途端に、カニの身が殻から滑り出る。それを見たフローレンスはフォークを置き、思い切り嫌な顔をした。

「副隊長。それ、変だよ。ご飯ぐらい手を使わなきゃ」

「汚れるだろうが」

ダニエルは空になった殻を皿の端に押しやり、続きを食べた。彼の向かい側に座るブラッドは、目を丸くする。

「今の、魔法かなんか?」

「いや、違うぜ。ダニーの力は魔法とは違ってな、念動能力っつって、レオの発火能力みてぇなもんなんだ」

離れた位置のソファーに座り、ギルディオスは足を組んでいた。ブラッドは、へぇ、と素直に感心した。

「なんかすげぇ」

「ちなみに、フローレンスは精神感応っつー力があってな、他人の思念、つまり思考を読めちまうのさ」

ギルディオスは、銀色の太い指で側頭部を小突いた。ブラッドはカニの身を食べてから、フローレンスに向く。

「マジ?」

「マジもマジよー。あ、疑ってるねー、大したことなさそうだなんて。今、何を考えてたか言ってあげようか」

にんまりとしたフローレンスは身を乗り出し、ブラッドに顔を寄せた。ブラッドは、思わず後退る。

「別に、何も考えちゃいねぇよ」

「この姉ちゃんがいるってことは、レオさんが言ってたでっかい機械人形がいるはずなんだよなー」

フローレンスの言葉に、ブラッドはぎょっとした。今し方、頭を掠めた事柄だったのだ。

「え、あ、なんで!」

「だーから言ったでしょ、マジだって。疑ってくる相手には、こうやるのが一番なんだよね」

フローレンスは座り直すと、パスタの続きを食べた。フィリオラはグラタンを皿に取り分け、レオナルドに差し出す。

「はいどうぞ」

「いちいち寄越さなくても、喰いたくなったらそっちに行く。下らんことで世話を焼くな」

レオナルドはグラタンの載った皿を受け取ると、顔を逸らしたが、すぐに振り向いてフローレンスを見据えた。
彼の目線には、炎の力を込める寸前の気配があった。恐らくそれは、思念を読むな、との警告なのだろう。
フローレンスは、仕方なしに精神感応の力を押さえ込んだ。読んでみたいのは山々だが、燃やされたくはない。
黙々とカニのグラタンを食べるレオナルドの横顔を、フィリオラは眺めていた。つい、彼の感想を期待してしまう。
ストレインの別邸を出て宿屋に泊まって、今日で三日目になる。だが、レオナルドだけは料理の感想を言わない。
文句は言うが、褒めはしない。それがいつもだ、と思おうとするが、三日前の出来事が頭を離れてくれないのだ。
異能部隊の基地を破壊し尽くした後に、レオナルドがツノに口付けてくれたことが、未だに忘れられなかった。
あれほどとまではいかなくとも、また触れて欲しくてたまらない。求めてしまいたくなるほど、欲求は強くなる。
だが、求めたら拒絶されるかもしれない、という躊躇いがあるため、その欲求は胸の奥底に深く沈めていた。
レオナルドはグラタンを食べ終えると、カニのパスタの残りを啜っている。なんだかんだで、食べてくれるのだ。
フィリオラはそれが嬉しくて、つい笑ってしまった。機嫌良くなりながら、ようやく自分の分の料理に手を付けた。
彼らの様子を、ギルディオスは壁際のソファーから見ていた。会話は少ないものの、楽しげな食事風景だった。
特に楽しげなのがフィリオラで、にこにこしながら料理を取り分けて、ダニエルやフローレンスに渡している。
ほんの三日前に、巨大な緑竜に変化して、異能部隊の基地を破壊し尽くした存在と同一だとは思えなかった。
ギルディオスは頬杖を付いた。彼女の平穏が再び戻ったのは嬉しいが、それを一度、崩壊させたのは自分だ。
罪悪感は、日に日に強まっている。レオナルドの言う通り、フィリオラの前に姿を出すことは躊躇われた。
だが、逃げてばかりでは始まらない、と思い、彼女らの居場所を突き止めた。そして、部下達と共に訪れた。
思っていたよりも、フィリオラは明るかった。ストレインの別邸から離れたと聞いて、ついにか、と思った。
ストレイン家とフィリオラの折り合いが悪いのは、彼女達の間近にいたギルディオスが一番良く知っている。
フィリオラを家族ではなく恐ろしい竜として扱っている彼らに対して、ギルディオスは何度となく意見した。
だが、ストレイン家の者達は態度を変えることはなく、フィリオラをまともに家族として扱ったことはなかった。
常に距離を置き、機嫌を窺い、媚びへつらう。そんな状態から、フィリオラが脱したくなるのも当然のことだ。
フィリオラは性格は幼いが、頭は良い。この状態が続けばどちらもダメになる、と以前ギルディオスに言っていた。
だからいつの日か、ストレイン家を離れなければならない日は来る。数年前に、フィリオラはそうも言った。
先日の出来事は、別離の原因ではなく切っ掛けに過ぎない。長い間、彼女に家族の間に燻っていたのだから。
本当に、ここしばらくでフィリオラは随分と成長した。ギルディオスに甘えてくる頻度も、徐々に減っていた。
小父様と呼んで慕ってくるのは変わっていないが、べったりと体を寄せて抱き付くことはなくなってきた。
ブラッドと弟にも近しい関係になったことや、レオナルドと真正面からぶつかり合っているおかげなのだろう。
むやみやたらにギルディオスに頼ってくることもなくなったし、多少なりとも前に出て行動するようになった。
やはり、この辺りはカインの血だ。頼りなく情けないように見えても、芯に確かな強さがある部分は似ている。
これなら、話しても大丈夫だろう。ギルディオスは、彼らが料理の大半を食べ終えたのを見て、言った。

「ちょっと、いいか?」

「はい?」

カニの殻を皿の上に落としてから、フィリオラは振り向いた。ギルディオスは、組んでいた足を解く。

「お前らに、話しておくことがある。今回のことの、まぁ、原因みたいな話だ」

「原因、ですか」

レオナルドは訝しげな目を、ギルディオスに向けてきた。そうだ、とギルディオスは頷く。

「それは、ダニーに探させたが見つからなかった、ジョーにも関係のある話なんだ」

「ジョーって、あのジョー? フィオ姉ちゃんに取り憑いた?」

ブラッドが不思議そうにすると、ギルディオスはもう一度頷く。

「ああ。あれが本当なら、どれだけ嬉しいことか」

「でも、ジョーさんは幽霊じゃありませんでしたか?」

フィリオラは椅子に横向きに座り、ギルディオスに向かい合った。ギルディオスは、ソファーに背を沈める。

「死んでいるにせよ生きているにせよ、魂があることには変わりねぇ。もう一度、会って話したいのさ」

「隊長。話が見えませんが」

ダニエルが言うと、ギルディオスは片手を上向ける。

「これから話せば、解ってくるさ。だが、長話になるから覚悟しろよ。何せ、二十五年も前の話だからな」

「二十五年って…隊長が左遷されてた頃のことじゃないですか」

フローレンスは食べ終えた皿を押しやると、ギルディオスを見下ろした。ギルディオスは、天井を仰ぐ。

「ああ、そうだ。オレが左遷された原因でもあるのさ。だがその前に、ちょいと前提も知っておいてくれ」

「前提ですか?」

フィリオラの問い掛けに、ギルディオスは頷く。

「色々と面倒なことになっちまってるからな。今度の事の原因は、オレだけじゃねぇんだ」

「異能部隊を潰そうと画策していた者の正体、というか、根源は魔導師協会だった。そして、その会長は」

ダニエルは、一呼吸置いてから語気を強めた。

「フィフィリアンヌ・ドラグーンだったんだ」

「やはりか」

レオナルドは、腑に落ちたように漏らした。フィリオラも薄々そうでないかと思っていたので、驚かなかった。
フィフィリアンヌは、異能部隊基地が破壊し尽くされた時に、あの場におり、その上魔導師協会の礼装を着ていた。
そうなれば、今回の出来事に無関係であるはずがないし、魔導師協会との関わりも深いと思っていいだろう。
彼女の地位が会長であることには多少なりとも驚いたが、ここ最近は驚いてばかりなのでそれほどでもなかった。
だが、事前に何も感付いていなかったブラッドは本気で驚いていて、うぇー、と変に裏返った声を上げている。
フローレンスは、他の三人の思念で大体が解っていたので、やはりそうでもなかったが、逆に物足りなかった。
新しく物事を知る前に、先に概要を掴んでいてしまうと、新鮮味がないのだ。その辺は、少々不便だと思った。

「つまり、オレとフィルが意地と理想を張り合ってたのさ。異能部隊を間に挟んでな」

ギルディオスは、五人を見渡した。

「オレは異能部隊を守ろうとした。だが、フィルは異能部隊を潰して、あいつらに未来を与えようとしていた。根本はどっちも同じ考えで、異能者達を幸せに生かしてやりたいってのだったんだが、ちょいと歯車がずれちまったのさ。オレが軍でフィルが魔導師協会にいたせいもあったんだが、そんな状態が長いこと続いていて、何年か張り合っていたんだが、とうとうフィルが本気で潰しにかかってきたもんだから、オレも本気でやり合っちまった。それが、フィオを攫った原因であり理由だ。フィオ、つまり竜を部隊に引き入れて、まだまだ異能部隊は使えるんだって上に示せばなんとかなるって思っちまってたからよ。だが、そうはならなかった。オレが殺せずにいた連中のせいでフィオは竜になっちまうし、挙げ句に何もかもがぶっ壊されちまうし、一つだってオレの思い通りにはなっちゃくれなかった」

けどよ、とギルディオスは声を落とした。

「それで良かったんだ。そうなった方が、良かったんだよな。あのまま異能部隊を存続させたって、結局は皆、戦争で死んじまうからな。情けねぇ話さ。昔のことを引き摺ったままだったせいで、今どうあるべきか見失っちまってた。昔は昔で、今は今なのにな。今、どうにかしたって、昔のことがどうにかなるはずなんてねぇにな」

ギルディオスは、ヘルムの中で目を閉じたような気持ちでいた。視界を塞ぐと、ありありと過去が蘇ってくる。
三日前の光景に良く似た、破壊し尽くされた基地。その中心に立つ、巨大な竜の姿。そして、小さな幼女。

「今から、二十五年前のことだ」




二十六年前。異能部隊が出来て、四年後のことだった。
その日、ギルディオスは魔導師協会に呼び出されていた。会長である、フィフィリアンヌからの命令だった。
任務を終えてからでいい、とのことで、夕方頃に魔導師協会を訪れた。西日の中、巨大な建物がそびえていた。
魔法陣を元にした紋章が建物の壁に印されていて、六芒星の中心には、魔導師協会、と魔法文字で書いてある。
ギルディオスは少佐の階級章が付いた軍服を翻し、階段を昇った。すぐに、魔導師協会の人間がやってきた。
黒い礼服を着た職員に案内されて、最上階の一番奥の部屋に通された。そこは、魔導師協会の会長室だった。
天井に魔法陣が印された広間を抜けて、応接間を通った奧の扉がある。ギルディオスは、それを何度か叩いた。
すぐに、入れ、とフィフィリアンヌの声で返事があった。ギルディオスは扉を押し開け、部屋の中に踏み入った。
正面にある幅広い机には、ツノの生えた少女が座っていた。フィフィリアンヌは、机上の書類をまとめた。
とんとん、と端を揃え、積み重ねてある本の上に載せた。様々な本で出来た塔の上には、ワイングラスがある。

「ふむ。相変わらず、その階級章も軍服も貴君には不相応なのであるぞ、ニワトリ頭よ」

「うるせぇな。オレだって似合ってるなんて思っちゃいねぇよ」

ギルディオスはワイングラスの中身、伯爵に言い返してから、机に座るフィフィリアンヌに近付いた。

「んで、何の用事だ。魔導師絡みの任務だったら、上を通してから伝えてくれよ」

「そんな無粋なものではない」

フィフィリアンヌは黒い革張りの椅子から下りると、甲冑の傍を通りすぎ、背後の扉に声を掛けた。

「入れ」

すぐに、扉が開いた。礼儀正しく頭を下げてから、一人の青年が入ってきた。彼は、扉の脇で姿勢を正す。
背筋を伸ばし、貴族のような高貴な服装をしていた。顔立ちは整っていて、横長のメガネがよく似合っていた。
メガネの奧の瞳は、深い赤だった。瞳孔も縦長で耳も長く尖っており、色の暗い緑髪からはツノが突き出ていた。
マントの下からは緑の皮が張り詰めた翼が見え、折り畳まれていた。見るからに、この青年は竜族の者だ。
だが、見たことのない顔だった。竜族は戦争に負けて滅びを進み、数が減ったので、大体は把握している。
ギルディオスは、緑竜族であろう青年を眺め回した。だが、緑竜にしては翼の色が暗いので、混血のようだ。
若干青味掛かっているので、青竜族との混血だろう。青年の顔立ちには、どこか見覚えがあるような気がした。
切れ長の吊り上がった瞳、すっきりと通った鼻筋、細めの顎、腺病質に見えるほど白い肌。彼女に似ていた。
ギルディオスは、フィフィリアンヌに目をやった。やはり、青年とフィフィリアンヌは似通っているように見える。

「なぁ、フィル。こいつって」

「貴様の推察など聞くよりも、紹介した方が余程早い」

フィフィリアンヌはギルディオスに向き直ると、青年を手で示した。

「紹介しよう。私の五百歳差の姉弟で、種違いの弟であるキース・ドラグーンだ」

「弟だと?」

ギルディオスは、驚いてぎょっとした。フィフィリアンヌは、細い腕を組む。

「ああ。正真正銘のな。私は、キースが母上の産んだ卵から孵化する様も見ているし、間違いはない」

「だが、どうしてそれをオレが知らなかったんだ? 確かに、ここ百年ぐらいはアンジェリーナに会えてねぇけど」

ギルディオスは、内心で妙な顔をした。フィフィリアンヌは、眼差しを遠くへ投げた。

「それは母上の意地だ。母上はキースを産んでから、めっきり弱ってしまっていてな。近頃では、立てぬなのほどだ。私と伯爵には、キースの存在と自分の病状を口外するなと命じていたのだ」

「母上どのが黒竜戦争で受けた傷と呪いは、深まる一方なのである。あれは、実にひどい戦争であったからな」

伯爵はワイングラスから触手を伸ばし、ふらりと振った。ギルディオスは、キースへと振り向いた。

「なるほど。アンジェリーナらしいぜ。で、こいつの親父は誰だ?」

「僕の父親は、青竜族の長だったそうです。黒竜戦争の影響で東方諸国でも危うくなった竜族の地位を確かなものとするために、竜王都の守護魔導師であった母と交わりましたが、父は、僕が産まれる前に殺されてしまいました」

キースは、穏やかな口調で言った。メガネの奧の、瞳の表情は変わらなかった。

「母に」

「当然の報いだ。母上は父上しか愛してはおらん。例え同族であろうとも、他人は他人なのだ」

ふん、とフィフィリアンヌは不愉快げにした。

「だが、それはそれだ。今回の用事に、キースの出生など関係ない。あるのは貴様だ、ニワトリ頭」

「ええ。僕は、姉さんにお願いに来たのです。ギルディオスさん、あなたに会わせて頂けるように」

キースは、ギルディオスに向き直った。ギルディオスは、きょとんとする。

「オレに?」

「はい。あなたの率いる部隊に、僕を入れて下さるようにお願いに来たのです」

キースは、ギルディオスに手を差し伸べた。白く滑らかな、女のような手だった。

「異能部隊に」

差し伸べられた手と、その向こうにある整った顔を見比べてから、ギルディオスは戸惑いながら返した。

「そりゃあ、構わねぇけど、なんでまた異能部隊なんかに?」

「僕は、人の世界を見てみたいのです。何千年も続いた竜族を、たった数百年で滅びに追い込んだ人間の姿を」

キースは伸ばしていた手を握り締める。

「そして、充分に検証してから、僕の判断が正しいかどうかを決めたいんです」

「何を」

嫌な予感はしていたが、ギルディオスは尋ねずにはいられなかった。キースは、微笑む。



「人の世界を、滅ぼすかどうかを」








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