ドラゴンは眠らない




反逆の傷痕



ギルディオスがキースと邂逅し、一年後。彼は、異能部隊で着実に戦果を上げていた。
人の世界を見る、と言ったことは間違いではなく、戦闘に置いても何に置いてもまずは人間を観察していた。
メガネの奧から、赤い瞳でじっと人を見ていた。穏やかな微笑みを崩さず、忠実に上からの任務をこなしていた。
ギルディオスは部下としてのキースは信頼していたが、キースの行動はいつも気掛かりで気が抜けなかった。
初めて会った日、彼が言った言葉が忘れられない。彼は後で冗談だと笑っていたが、とてもそうは思えなかった。
例え冗談であろうとも、人の世界を滅ぼす、などという言葉はそう出てくるものでもないし、口にするものでもない。
キースは人当たりが良いので上からも下からも評判は良かったが、不意に眼差しが冷たくなることが時折あった。
ギルディオスは、それを見るたびに不安が増した。いつ、彼が人に手を掛けてしまうのか、心配で仕方なかった。
フィフィリアンヌもやはりそれを危惧していて、よく異能部隊に顔を出しては、キースとしばしば対面していた。
だが、キースはフィフィリアンヌの言葉をのらりくらりとかわしてしまい、相変わらずの微笑みを浮かべていた。
魔法の才能もあり、兵士としては忠実で、戦略家としての才もある。だが、何を考えているのかまるで解らない。
穏やかで優しい微笑みは、かつてギルディオスらを謀ったルーの末裔、デイビット・バレットの表情に似ていた。
一見すれば優しげでも、細められている目は笑っていなかったからだ。それが、一層恐ろしく、不安を掻き立てた。
ギルディオスは心中穏やかではなかったが、キースばかりに構っていられるはずもなく、忙しい日々を過ごした。
そんなある日。異能部隊の基地には、いつものように、共和国内から連れてこられた異能者がやってきていた。
だが、今回は普段とは様相が違っていた。


ギルディオスは、隊長室で異能者の到着を待っていた。
任務に出ている間に溜まってしまった書類仕事をキースと共に片付けていると、廊下の足音が近付いてきた。
扉が叩かれ、部下の声がした。ギルディオスがすぐに返事をすると扉が素早く開かれ、兵士が一礼してきた。
その足元には、一人の幼女が立っていた。薄汚れた服を着ていて、痩せ細った幼い子供がこちらを見ていた。
澄み切った黒い瞳が、甲冑を映していた。ギルディオスの傍に立つキースに気付くと、その目が伏せられる。

「しんじゃうよ」

「は?」

いきなりの言葉に、キースは眉根を曲げた。幼女は大きな目を瞬きさせて、幼い声を張った。

「お兄ちゃん、くろいひとにころされちゃうよ」

「あ、こらこら」

兵士は幼女を制止してから、すみません、とギルディオスをキースに向いた。いいさ、とギルディオスは返す。

「んで、その子は何なんだ」

「旧南王都の貧民街で見つけました、異能者です。私の精神感応に引っ掛かったので、調べてみたのですが」

兵士は屈むと、幼女の小さな肩に手を添えた。

「希に見る力の強さがあります。彼女がいれば、我々が敗北することもなくなるでしょう」

「予知能力者、ということですか」

キースはあまり興味のなさそうな目で、幼女と兵士を見比べた。兵士は頷く。

「はい。彼女の記憶を探ってみましたら、こうして我々に会うことすら予知していたようです」

言ってごらん、と兵士に言われ、幼女はこくんと頷いた。頼りない足取りで、ギルディオスの傍へと寄ってきた。
ギルディオスは椅子から立ち、机から離れて屈んだ。幼女と目線を合わせると、幼女は嬉しそうに笑った。

「ずっとずっと、まってたんだよ。ジョーはね、たいちょーさんにあうのを、ずっとまってたの。だからね、おかーさんがしんでもへいきだったの。たいちょーさんにあえるってわかってたから」

「そうか、お前はジョーってのか」

ギルディオスは、ジョーと名乗った幼女の汚れた栗色の髪を撫でた。幼女は、満足げににんまりする。

「えっとね、たいちょーさんはね、しょーささんなの。でね、ずっとずっとむかしからいきていて、よろいなの」

「おう、そうだ。良く知っているな」

ギルディオスが笑うと、ジョーはギルディオスの膝に縋ってくる。

「だって、ぜーんぶぜんぶみえちゃうんだもん。でね、たいちょーさんはね、ギルっていうんだよね!」

「正解だ。ギルディオス・ヴァトラスってんだ、これからよろしくな」

「ジョーはね、ジョーっていうの」

幼女は、はしゃいだ様子でぴょんぴょんと跳ねた。扉の手前に立っている兵士は、彼女の言葉に付け加える。

「本名はジョセフィーヌ・ノーブルと言います。父親は企業経営者で母親である娼婦を囲っていましたが、企業の失墜と共に親子共々手放されてしまったようです。父親は国外へ姿を消して、母親は数週間前に病死したようです」

「なるほど。孤児の典型のような孤児ですね」

キースは手にしていた書類を机に置くと、幼女、ジョセフィーヌに近寄ろうとしたが、ジョセフィーヌは身を引いた。
怯えた眼差しで、竜のツノと翼の生えたキースを見回している。キースは、彼女を落ち着けるために笑った。

「怖がらなくても良いですよ。僕は君に何もしないのだから」

ジョセフィーヌは、首を横に振った。キースが手を伸ばそうとすると、ジョセフィーヌは目元に涙を滲ませた。

「だめぇ。ジョーにちかづいたら、しんじゃうの。ドラゴンのお兄ちゃん、くろいひとにころされるの」

「僕は竜だ、そう簡単には死にはしないですよ。それに、君に近付いたくらいでどうにかなるはずがない」

そう言いながらキースは、一瞬目線を泳がせた。ギルディオスは彼の視線の先を辿り、背後の窓だと気付いた。
幅のある机の後ろの窓は、固く閉ざされていた。外側には鉄格子が填め込まれているし、鍵も施錠されている。
外から差し込む日差しは柔らかく、昼下がりの温かさを持っていた。空は青く、一片の穢れも窺えなかった。
キースは何を見たのだろうか。ギルディオスはそれが少しだけ気になったが、別に問う必要もないと思った。
ジョセフィーヌは兵士の手によって涙を拭われ、笑顔を取り戻していた。異能者である彼に、懐いているようだ。
この分だと、ジョセフィーヌは異能部隊に入隊しても平気そうだ。ギルディオスは安堵しながら、幼女を眺めた。
澄んだ黒い瞳は、楽しげに笑っていた。


三ヶ月後。ジョセフィーヌは、来た時よりも更に元気になっていた。
汚れた服を軍服に着替え、ざんばらだった栗色の髪も梳かれ、栄養のある食事を摂ったおかげで体も丸くなった。
骨と皮ばかりだった手足も大分子供らしくなり、遥かに年上の隊員達に甘えることもどんどん上手くなっていた。
だが、キースだけは別だった。初対面の時と同じように、距離を開けて接し、怯えた目で彼を見上げていた。
キースはそれが気に食わないようだったが、あまり口には出さず、人の良い優しげな微笑みで彼女と接していた。
ギルディオスは、ジョセフィーヌが怯える原因はキースが竜であるからだ、と思ったが、他にもある気がした。
なので何度か彼女に聞いてみたが、ジョセフィーヌは首を横に振った。いっちゃいけないから、とだけ言った。
恐らく、彼女は何かしらのことを予知しているのだろう。他者に言えないほどの事柄なのだから、余程のことだ。
キースの危うさは日に日に増していて、ギルディオスの不安は膨れ上がる一方だったが、どうにも出来なかった。
なんとかして彼を他者を思いやれる人物にしたいとは思ったが、キースは、そんなことはない、と言ってきた。
あなたが不安がるほど僕は残酷じゃないし、一年以上も前のことを引き摺っていて欲しくないな、とも言われた。
そう言われた時、ギルディオスは言い返せなかった。確かに、たった一言にそこまで固執するのはどうかと思った。
フィフィリアンヌは、以前ほどではないがキースの動向を見に来ていた。不安なのは、彼女も同じだったのだ。
彼を異能部隊から除隊させてはどうか、と二人で話し合ったが、キースを除隊させることは出来なかった。
共和国軍の将軍が彼を気に入ってたびたび訪問しており、ギルディオスの独断だけでは動けなくなっていたのだ。
将軍閣下の機嫌を損ねれば異能部隊の先が知れないぞ、と、ギルディオスは上官から釘を刺されたこともある。
よって、もどかしい日々が続いていた。それとは対照的に、ジョセフィーヌは明るく笑ってはしゃいでいた。
ある日。ギルディオスが部下達を連れて任務から帰ってくると、門の脇で待っていたジョセフィーヌが追ってきた。
必死に走ってギルディオスに追い付こうとするが、大人と子供では勝ち目などなく、そのうちに距離が出来た。
ギルディオスが気付いた時には、ジョセフィーヌは盛大に転んでいた。起き上がった彼女は、砂にまみれていた。
小さな膝には擦り傷が出来てしまい、鮮血が溢れていた。ジョセフィーヌは大声を上げて、泣き出していた。
ギルディオスは部下達に先に行くように言ってから、ジョセフィーヌの元に駆け寄って、手を差し伸べた。

「大丈夫か、ジョー?」

「いーたーいー」

泣きじゃくりながらも、ジョセフィーヌはギルディオスの指を掴んだ。立ち上がると、膝を見下ろした。
ギルディオスは腰のベルトに挟んでいた布を引っ張り抜くと、小さな膝に当ててやり、血と汚れを拭った。

「あんまり急いで走っちゃいけねぇって言ってるだろうが。すぐに転んじまうんだから」

「でも、しょーささん、これからかいぎだもん。にんむからかえってきたら、いつもかいぎだもん」

だから、とジョセフィーヌは涙をぼたぼた落としながら唇を噛んでいる。ギルディオスは、彼女の頭を撫でる。

「明日になれば、また遊んでやる。だから、ちょいと我慢してくれや。な?」

「…うん」

小さく頷いたジョセフィーヌを抱え上げ、ギルディオスは抱き締めてやった。

「よぉし良い子だ! 偉いぞ、ジョー!」

「うん、ジョー、がまんする。きょうは、たいしょーさんじゃなくて、くろいひとでいいや」

ギルディオスの腕の中で、ジョセフィーヌはぐいぐいと涙を拭った。ギルディオスは、首をかしげる。

「黒い人?」

「うん、くろいひと。ジョーのおともだちなの」

ジョセフィーヌは擦り傷の痛みのせいで明るいとはではいかなかったが、笑顔を見せた。ギルディオスは笑う。

「そうか。良かったな、ジョー。その友達、そのうちオレにも紹介してくれよ?」

「ううん、だめなの」

首を横に振ったジョセフィーヌは、小さな唇を突き出して人差し指を立てた。眉間が、ぎゅっとしかめられた。

「くろいひとはね、ほかのひとにはあっちゃいけないんだって。たいちょーさんでもだめなんだって」

「そっか」

ギルディオスは、ジョセフィーヌを抱いたまま歩き出した。ジョセフィーヌは、甘えた仕草で胸に縋ってくる。
彼女の言う黒い人のことが気になっていたが、大方、夢の中の友達だろうと思った。もしくは、魔物か精霊か。
遠い昔、息子のランスが幼かった頃に似たようなことがあった。ランスは、しきりにギルディオスに言ってきた。
川で遊んでいたら川の精霊が出てきて僕と遊んでくれたんだ、と嬉しそうにしながら、まとわりついてきた。
彼の場合は本当に精霊と接しているのだが、そうでない場合も多い。幼い子供は、夢と現実を混同しがちなのだ。
事実、異能部隊にはそれほど肌の色が濃い黒人はおらず、軍服も戦闘服も色は黒ではなく、暗い赤だった。
なので、彼女の言うような黒い人はいない。だが、その黒い人がどんな人なのか、後で聞いてみようと思った。
上官ではなく、親としてそう思っていた。


翌々日。その日は、ジョセフィーヌの力を使う日だった。
薄暗い部屋の床には魔法陣が描かれ、中央に幼女が立っていた。大きさの合わない軍服を、引き摺っている。
襟元は止めてあるが肩は両方ともずり落ちていて、捲り上げた袖も腕を下ろすと両手が隠れてしまっていた。
着ているのは上着だけなのだが、スカートのような長さになっていた。その上、士官用の軍帽を頭に載せていた。
手を放すとすぐに落ちてしまう軍帽の鍔を持ち上げ、ジョセフィーヌは魔法陣の周囲を見回し、上官を見つけた。
ギルディオスは魔法陣の外に立っていて、手を振った。幼女は、ギルディオスから借りた軍帽を直して敬礼する。
張り切った顔のジョセフィーヌは、魔法陣の六芒星の中心に立った。背筋を伸ばして息を深く吸い、目を閉じた。
薄暗い部屋の四隅に備えてあった鉱石ランプが、途端に光を灯した。ジョセフィーヌの、魔力を受けたからだ。
生暖かかった空気もぴんと張り詰め、緊張感で満ちてくる。鉱石ランプの青白い光が、次第に光度を増していた。
魔法陣の二重の円の間には細かな魔法文字が書き連ねてあり、更に三重の円が、合計五重の円が出来ていた。
これは、ジョセフィーヌの持つ予知能力を高めると同時に、彼女の魔力を強化させるための魔法陣だった。
そうすることにより、ギルディオスの脇に控えている精神感応能力者の兵士が、より明確な映像を受信出来る。
幼くて拙いジョセフィーヌの言葉よりも遥かに解りやすいし、その方がどちらにとってもやりやすかった。
ジョセフィーヌも苦労して難しい事柄を説明しなくても良いし、ギルディオスも彼女の言葉を解読する手間がない。
ギルディオスはジョセフィーヌが予知に集中する様を見ていたが、左隣に立つキースを、ちらりと窺ってみた。
キースは、面白くなさそうだった。元々ジョセフィーヌとの仲も良くないし、この空間が嫌いだと言っていた。
なんでも、人間用に出力を弱められた魔法陣が気に食わないらしい。基本的に、竜の尺度で考えるのだ。
普段にしても、そうだった。己が人を越えた存在であるが故に、何にしても奢っていて、上から見下ろしている。
フィフィリアンヌにもその気がないわけではないが、彼女は半分は人間であるし、昔ほど態度は尊大ではない。
だが、キースは、一年程度では直らなかった。むしろ悪化していて、近頃ではギルディオスも見くびっている。
一昨日の任務にしても、ギルディオスの作戦に口を挟んできて、やり方を変えるべきだと進言してきた。
作戦の内容は、要人警護と要人を狙う暗殺者の逮捕或いは殺害だった。ギルディオスは、逮捕するつもりだった。
その方が後に役立つ証言も引き出せるだろうし、なにより、異能者達の能力を最大限に引き出せると思った。
だが、キースは殺害を優先した。泳がせて仲間を見つけるよりも先に、見つけ次第殺してしまえばいい、と言った。
だから、ギルディオスは彼を作戦に参加させなかった。当初は参加する予定だったが、その言葉で考えを改めた。
例え敵であろうとも命を軽んずるような者がいては、結果として味方をも破綻させてしまう、と思ったのだ。
当然、キースはギルディオスの判断に文句を言ってきたが、最後には仕方なさそうに折れて引き下がった。
ギルディオスは、キースの整った横顔を見つめた。魔導鉱石が発する青白い光で、いつにも増して肌は白い。
彼は、かなり機嫌が悪そうだった。赤い瞳には、時折見せる暗い表情が滲んでいて、口元も歪められている。

「キース」

小声で、ギルディオスは彼に声を掛けた。キースはちらりとギルディオスを見たが、すぐに目線を外す。

「隊長。あなたには失望しました」

「そう言うな。また次の作戦で、成果を上げてくれりゃいいんだ」

ギルディオスは片手を挙げ、振ってみせた。キースは、唇の端を引きつらせた。

「それはどうですかね。あなたは僕を好いていない。僕には、使う価値がないと思っている」

「違ぇよ。そういうんじゃねぇ」

「じゃあ、どういうことなんですか。確かに僕は、あなたの作戦を良しとしませんでしたが、それぐらいのことで任務を解くことはないでしょう」

キースの赤い瞳が動き、滑らかに輝く甲冑のヘルムを捉える。

「それとも。僕が佐官になるのが、そんなに気に食わないんですか?」

「来たのか、辞令が」

ギルディオスが問うと、ええ、とキースは嫌味の混じった笑みを作った。

「近いうちに、僕はあなたの地位を手に入れることでしょう。あなたが僕を認めていなくても、上は僕を認めてくれていますからね。嬉しい限りですよ」

「金でも流しやがったのか」

「まさか。僕は姉さんとは違う、あの人のような極端な手法は好きじゃない」

ただ、とキースは暗い表情のまま、目を細めた。

「少々、魔法を使っただけですよ。魔法と言うには力の足りない、ごくごく軽いものでしたけどね」

「…てめぇ」

ギルディオスが唸ると、キースは澄ました顔になる。

「僕を殴りますか、それとも斬りますか? ですが、そんなことは出来ませんよね、この部屋の中では」

キースは、喉の奥で笑った。ギルディオスは苦々しく思いながら、予知に集中しているジョセフィーヌに向いた。
悔しいが、キースの言う通りだった。この部屋は手狭で戦闘には向いていないし、何よりジョセフィーヌがいる。
もしも流れ弾でも飛んでしまったり、攻撃が反れてしまったり、ジョセフィーヌを盾にされてしまってはいけない。
ギルディオスは、内心で奥歯を噛み締めていた。いつのまにか握り締めていた拳を緩め、キースを睨み付けた。

「てめぇ。どうしてそこまで、他人を虚仮にしやがる」

「簡単なことです。人が竜を忘れ始めているからですよ」

キースは、とても楽しげな笑みになっていた。

「太古の昔に魔法を造り出し発展させたのは、どこの誰ですか。文明を進歩させる手助けとなった魔導技術は、どこから来た技術ですか。そして、この世界の当初からの住人である我ら竜族を滅ぼしかけるなど、人間は我らを一体何だと思っているのですか。他にも、やろうと思えばいくらでも理由は出てきますよ。僕は、それを思い知らせてやるために人を滅ぼそうと思っているんです」

キースの白い指先がメガネを押し上げ、ちゃきりと直した。

「…それだけじゃねぇだろう」

ギルディオスが声を落とすと、キースは頷く。

「ええそうです。ですが、一番最初の計画はこれなんです。僕はあなたを利用するために、あなたに取り入りました。従順な部下として、今日この日まで生きてきました。この一年間と三ヶ月は、なかなか楽しかったですよ、あなたの思考がどれだけ単純で解りやすいか調べることが出来ましたし、戦い方も作戦の形も大分掴めました。ですがそれも、もうそろそろ終わりです。僕が異能部隊なんかを選んだのは他でもありません、予知能力者を手に入れるためです。他の異能力と違って、こればかりは魔力だけではどうにも出来ませんからね。未来を知る力さえあれば、僕は誰にも負けないし、誰にも僕を止めることなど出来ない」

「だが…」

「予知の未来は変えられない、という法則でしたっけ? それは間違っているんですよ」

キースは、ギルディオスにおぞましい笑顔を向けた。

「未来というものは無限大だ。僕は、ジョセフィーヌの言葉に逆らってみる実験も何度かしましたからね。その結果、彼女の予知が絶対でないことが解ったんです。十回中八回は予知の通りになりましたが、残り二回は違った結果になったんです。つまり、彼女の予知は完全でないんです。ということは、未来を変えることは可能なんですよ」

「キース。てめぇ、何をしてぇんだ」

怒りを押し込めた声を漏らしたギルディオスを、キースは一笑した。

「だから言ったでしょう。僕は人を滅ぼし、竜族の栄華を取り戻すんです。そのために、僕はここに来たのだから」

キースは、白い手を徐々に上げていった。魔力が漲った右手には電流がまとわりつき、輝きながら爆ぜている。
ギルディオスが一歩後退すると、身構えていた兵士達がキースを取り囲んだ。彼は表情を崩さず、笑っている。
メガネの奧の赤い瞳は、甲冑も兵士も捉えてはいなかった。魔法陣の中心で魔力を高める、幼女に向いていた。
キースの右手がジョセフィーヌへと向けられ、電流が収縮され、閃光の刃を手にした彼が踏み出した、その時。



「しんじゃうよ」



ジョセフィーヌはうっすらと瞼を開き、虚ろな目をしていた。黒い瞳が動き、キースを映す。

「ジョーをころそうとすると、ドラゴンのお兄ちゃんはしんじゃうんだよ。くろいひとが、ころしにきちゃう」

「まだそれを言うのか。だが、その予言は外れている!」

キースは兵士達を薙ぎ払ってギルディオスへ閃光の刃を投げ、炸裂させた。素早く、魔法陣へと踏み出した。
五重に掛かった円を踏み、六芒星へと身を躍らせる。キースは翼を大きく広げ、小さな幼女を抱え上げた。
正気に戻って怯えたジョセフィーヌが暴れるのも構わず、キースは幼女を腕に抱き、もう一方の手を上げる。

「なぜなら僕は、君を殺しはしない! 奪うからだ!」

直後。呪文も使わずに放たれた荒々しい魔力が、部屋の壁を吹き飛ばした。爆風が砂埃を飛ばし、視界を隠す。
ギルディオスは気を失った兵士の下から出ると体を起こし、爆風に揺れる軍服を押さえながら、立ち上がった。
視界が晴れると、状況が掴めてきた。壁の一方はキースの衝撃波によって貫かれており、大きく抉られていた。
兵士達は、一撃で息絶えていた。余程強烈な魔力を打ち込まれたのか、魔力中枢のある胸が焼け焦げている。
鉱石ランプの中の魔導鉱石も、急激に受けた強烈な魔力で破損している。ギルディオスは、背筋が冷たくなる。

「無茶苦茶だ…」

壁の穴の先は、夕暮れだった。穴から差し込む赤い日光で砂埃が照らされていて、線のように見えていた。
西日を浴びながら、竜の青年は戦っている。幼女を腕に抱いたまま、踊るように兵士達を蹴り飛ばしていた。
高笑いが聞こえる。愉悦に満ちた、非常に気持ちよさそうな笑い声は、狂気を含んでいるようにも感じた。
ギルディオスは、駆け出した。穴から外に出ると背中からバスタードソードを抜き、竜の青年へと向かった。
恐ろしい予感がする。フィフィリアンヌの魔力を受けて得た竜に近しい感覚に、魂を逆撫でする気配が感じられた。
倒れた兵士達を更に蹴飛ばしてから、キースは、ギルディオスに向いた。腕に抱かれた幼女は、震えている。
メガネに西日が眩しく撥ねていて、キースの表情は窺えなかった。剣を構えたギルディオスを見、彼は笑う。

「これであなたは用済みです、ギルディオス・ヴァトラス。そして、ここも、ここの兵士達も、全て」

「だめ、だめ、だめぇえええ」

怯えながらも声を上げるジョセフィーヌを、キースは腕から落とした。地面に倒れた幼女を、見下ろす。

「黙っていろ。僕はやかましいのは嫌いなんだ」

「おい、まさか」

ギルディオスは、キースから威圧感を感じていた。巨大な竜の力を押さえていた彼の、魂が漲るのが解る。
キースはメガネを外すと、かしゃん、と足元に落とした。軍服の襟元を緩めると、一気に脱ぎ捨てた。

「ええ、そのまさかですよ。僕は竜らしく、竜であるからこそ出来るやり方で、あなた方を滅します」

夕暮れの空の下で、竜の翼が大きく広がった。細かった白い手が大きさを増し、爪が伸び、鋭くなっていく。
華奢な肩が膨らんで硬く骨張り、緑色のウロコが浮き出てきた筋肉質の太い腕が、びちびちと服を破いた。
ツノも太さを増し、顎が突き出て長い牙が迫り出し、首と喉も硬いウロコに包まれたものへと変化していった。
キースは、厚い瞼を上げて赤い瞳を見開いた。縦長の瞳孔が、野生の荒々しい光が潜んだ瞳の中心で細くなる。
人でもなく、竜でもない姿だった。ギルディオスは竜人と化したキースを見据え、剣の柄を固く握り締める。
彼を、殺さなければいけないかもしれない。躊躇ってしまっては、ジョセフィーヌが死んでしまうかもしれない。
ギルディオスは、怒りによって体が熱し始めていることを知った。じり、と足の下で土が焼ける匂いがする。
キースは力強い顎を僅かに開き、牙の隙間から真っ赤な舌を覗かせた。太い爪の生えた手を、拳に固める。

「最初はあなただ、ギルディオス・ヴァトラス!」

キースが踏み込むのと同時に、ギルディオスも駆け出した。剣を振り翳しながら、渾身の力で叫んでいた。



「この、馬鹿野郎がぁあああああっ!」





 


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