ドラゴンは眠らない




迷子の思い出



フィリオラは、レオナルドを待っていた。


雑踏から少し離れた建物の角に背を預け、足元を見つめていた。革靴のつま先で、石畳を軽く小突いてみる。
だが、気は紛れず、きょろきょろと周囲を見回した。しかし、行き交う人々の間にレオナルドの姿はなかった。
フィリオラは、何十回目か解らないため息を吐いた。体の前で組んでいる手に、自然と力が入ってしまう。
肩に掛けたカバンが重く、下ろしてしまいたかったが、体から離したら忘れてしまいそうなので下ろせない。
ポケットから懐中時計を取り出して開いたが、あまり時間は進んでいない。フィリオラは、またため息を吐く。

「レオさん、何してるんだろう…」

通りの両側は、それなりに値の張る商品を並べる店が並んでいた。通りかかる人々も、身なりが良かった。
こんなところに、用事があるとは思えないのに。今日、出掛けてきた理由は、旅支度をするためだった。
旧王都に帰る日も近付いてきているので、必要なものを買い揃えておこう、ということで宿屋から出てきた。
ブラッドは外に出たくないようだったので、留守番をしている。彼としても、色々と思うところがあるのだろう。
フィリオラはツノを隠すための帽子を目深に被り直してから、顔を上げた。レオナルドを、捜しに行こう。
このまま待っていても埒が明かないし、時間ばかりが過ぎてしまう。そう思い、一歩、踏み出そうとした。
その瞬間、不意に記憶が蘇った。捜しに出て迷っちまうぐらいだったら、最初から来るんじゃねぇよ馬鹿。
それは、レオナルドの声で、言葉だった。いつの頃のことだろう、とフィリオラは思い出して苦笑した。

「そんなこともあったっけ」

懐かしくなりながら、フィリオラはまた壁にもたれかかった。あの頃から考えれば、今など想像出来ないだろう。
もう、十二年も前になるのだ。フィリオラは遠い目をして、長らく思い出すことのなかった記憶を呼び起こした。
それは、六歳の頃の出来事だった。




十二年前。フィリオラは、ヴァトラスの屋敷に連れられていた。
ギルディオスの手をしっかりと掴んで、離れないようにしていた。甲冑の足に寄り添って、屋敷を見上げていた。
重厚な屋敷は、高い塀に取り囲まれている。正面の門は開け放たれていて、手入れの行き届いた前庭が望める。
ギルディオスはフィリオラの手を引いて、歩き出した。ゆっくりとした歩調だったが、それでも幼女には早い。
遅れそうになるたびに小走りになり、玄関に付く頃には少し疲れてしまった。玄関前の階段を、懸命に昇った。
見上げるほど大きな両開きの扉には、スイセンの浮き彫りの家紋があった。フィリオラは、精一杯背伸びをする。

「わたしのお屋敷とはちがいます」

「そりゃそうだろう。ストレインはハヤブサだからな」

ギルディオスは微笑ましくなり、フィリオラを撫でた。ツノを隠すための帽子を、ずらさないように気を付ける。
フィリオラはいつもより優しい手付きに、嬉しくなって表情を緩めた。普段は、痛いくらいに撫でてくるのだ。
肩より少し下まで伸びたクセのない髪を撫で付けてやってから、ギルディオスは手の甲で、扉を何度か叩いた。

「オレだ」

フィリオラはギルディオスの背を見上げていたが、ふと、妙な感覚を受けた。何か、内側から聞こえてきた。
そうかそうだねそうなんだ。君は君が君に。私に私が私を知り知り得、会い会うのは、最初で初で初めてだ。
男とも女とも付かない不思議な声が、どこからともなく聞こえてくる。フィリオラは怖くなってしまい、びくりとした。

「ふあ」

「どしたー?」

ギルディオスは、顔を引きつらせているフィリオラを見下ろした。フィリオラは甲冑を見上げ、両耳を押さえた。

「へんな声が、きこえるんです」

変で変だと変に思い思われ思うのは、必然で当然で当たり前なのだ。と、また聞こえ、フィリオラは頭を抱える。

「またなにか聞こえてきましたぁー!」

「ああ、それか。それはヴァトラっつってな、この屋敷にくっつけられてる魔導兵器さ」

ギルディオスは、すっかり怯えてしまったフィリオラを抱き上げた。フィリオラは、甲冑に縋り付く。

「じゃ、じゃあ、ヴァトラスのお屋敷は生きているのですか?」

「ちょいと違うな。だが、意思があるのさ。お前と魔力の波長を合わせて、話し掛けてきただけさ」

何もしねぇから怖がるなよ、とギルディオスはフィリオラの柔らかな頬に触れる。フィリオラは、肩を縮める。

「でも、こわいです」

「だとよ、ヴァトラ。悪いが、ちぃと黙っててくれねぇか? フィオを泣かせちゃ悪ぃしな」

ギルディオスは、屋敷を仰ぎ見た。するとまたフィリオラに、それはそれならば仕方が仕方のない、と聞こえた。
フィリオラは恐ろしさでぎゅっと目を閉じたが、それ以降は聞こえてこなかった。本当に、黙ってくれたようだ。
ギルディオスがぽんぽんと背中を叩いてくれたので、フィリオラは安堵し、ほうっと深く息を吐いて力を抜く。
すると、扉が開かれた。フィリオラがそちらに向くと、青年が立っていた。ヴァトラス家の長兄、リチャードだった。

「せんせー!」

フィリオラがぱっと表情を明るくさせると、やあ、とリチャードは片手を挙げる。

「元気そうだね、フィオちゃん。でも、その先生っていうのはやめてくれないかなぁ。なんか、変な感じがするんだよ。僕は魔法は扱えるけど、ただの学生に過ぎないんだから」

「だって、せんせーはせんせーです。わたしに、いっぱい魔法を教えてくれたからせんせーなんです」

フィリオラは機嫌良くなり、にこにこと笑う。ギルディオスはフィリオラを下ろし、リチャードに向く。

「レオはいるか?」

「えー、まぁ。いるっちゃいるんですけどねぇ」

あまり浮かない顔で、リチャードは返した。嬉しそうに近寄ってきたフィリオラを撫でながら、表情を曇らせる。

「今はまだ寝てるんですが、またやり合ったみたいで、帰ってきた時は返り血まみれでしたよ。よくもまぁ、そんなにケンカばっかり出来るよなぁ。僕にはとても信じられないや」

「そうか。相変わらずだなぁ、レオは」

そう言ったギルディオスの声は、落ちていた。今にして思うと、それは、レオナルドへの罪悪感なのだろう。
フィリオラは、幼い頃は、彼らの複雑な事情を何一つ知らなかったので、ただ心配しているのだと思っていた。
無論それもあるのだろうが、その根底にあったのは、異能部隊が根源にあるかなり複雑な感情だったに違いない。
やり合う、というのが何を指すのかも今一つ掴めていなかったが、リチャードの口調でいけないことだと思った。
あまりいいことではないし、好ましいことではない、と。フィリオラは不安に苛まれ、リチャードにしがみ付いた。

「わたしは、そのレオナルドのお兄さんに会わなきゃいけないんですか?」

フィリオラは眉を下げ、また泣きそうになった。今日、ヴァトラスの屋敷に連れてこられた理由はそれだった。
以前からヴァトラス家の者達とは顔を合わせていたが、次男であるレオナルドには一度も会ったことがなかった。
ストレインの屋敷に招くように行っても絶対に来ないし、外で顔を合わせようにも難癖を付けて逃げている。
なので、こっちから行ってやろう、とギルディオスが言い、フィリオラを連れてヴァトラスの屋敷にやってきたのだ。
フィリオラは気が進まなかったが、ギルディオスに押し切られてしまい、半ば引っ張り出される形で訪れていた。
レオナルドという少年がどんな人間であるか解っていないし、父親や母親が話している彼の評判は良くなかった。
粗暴で態度が悪く、人と関わることを好まない、というものだ。フィリオラは、それを真っ当に受け止めていた。
そのせいで、本人と会ったこともないのに、勝手にレオナルドの人間像を自分の中に造り上げてしまった。
とても怖くて、とても嫌な人。そんな印象ばかりが先走って、それ以外の面は見えなかったし、聞かなかった。
ギルディオスはレオナルドの性格を、荒いだけではない、と言っていたが、フィリオラにはそうは思えなかった。
子供故の視野の狭さで、優しい人は怒るはずがない、というように、怖い人は全てが怖い、と感じていたからだ。
だから、そんなに怖い人と会わなくてはならない、と思うと怖くてならなかった。正直、もう帰りたくなっていた。

「おじさま、せんせー。わたし、いやです。怖いです」

「そう言わないでくれよ、フィオちゃん。せっかくうちに来たんだから」

ね、とリチャードは安心させるように笑い、フィリオラと目線を合わせた。フィリオラは、俯いた。

「本当ですか?」

「まぁ、レオが何かやらかしそうになったらオレが止めるから。だから、な?」

ギルディオスは優しい声で言い、フィリオラの小さな肩に手を載せる。フィリオラは、二人を何度も見比べた。
どちらも、大好きな人だ。ギルディオスは父親のようで大好きだし、リチャードも兄のようで大好きだった。
そんな二人に頼まれては、断るのは悪い気がしてきた。断ったら二人とも困ってしまうだろう、とも思った。
なのでフィリオラは、仕方なしに頷いた。ほんの少し怖いのを我慢していれば良いんだ、と内心で決意を固めた。

「わかりました」

「偉いね」

リチャードは嬉しそうに笑み、フィリオラを抱き寄せた。彼の腕の中は、ギルディオスとは違った心地良さがある。
フィリオラは褒められたことと抱き締められたことで、嬉しくなっていた。これならきっと、怖いのは我慢出来る。
頑張ろう、と思いながら、フィリオラはリチャードに体を寄せた。ギルディオスほどではないが、彼も大きい。
短い腕を精一杯伸ばしてしがみ付き、甘えられるだけ甘えた。家族の中は、こうしてくれる人はいないからだ。
父も母も兄も姉も、恐る恐る触れてくる程度で、リチャードやギルディオスのように抱き締めてはくれないのだ。
せんせーが本当のお兄様だったらいいのに、とフィリオラの頭をそんな考えが過ぎったが、口には出さなかった。
リチャードの肩越しに見えるスイセンの浮き彫りが、日光で輝いていた。


フィリオラはギルディオスと共に、居間に通された。
窓際に並べてあるソファーの窓際にはフィリオラとギルディオスが座り、向かい側にはリチャードが座っていた。
メイドが運んできてくれた紅茶に口を付けたフィリオラは、熱いのを堪えて飲んだ。子供には、温度が高かった。
眉間をしかめながら紅茶を飲むフィリオラに、紅茶を飲もうとしていたリチャードは手を止め、可笑しげに笑う。

「無理しなくても良いよ。熱いんだったら、冷めてから飲めばいいじゃないか」

「だって、冷めるとおいしくないじゃないですか」

フィリオラはむくれ、ティーカップを下ろそうとしたがテーブルとの間隔が空いていて、手が届かなかった。
このままではこぼしてしまいそうだったので、ギルディオスはフィリオラの手からティーカップを取って置いた。

「だから、無理すんなって」

「やあ、来たね」

リチャードは半分ほど飲んだ紅茶を置いてから、居間の扉に向いた。フィリオラも、釣られてそちらに目をやる。
半分だけ開かれていた両開きの扉の片方が、唐突に蹴り飛ばされた。どばん、と盛大な音を立て、乱暴に開く。
無理矢理開かれた扉の先には、少年がいた。背が高く、体付きはしっかりしていて、日に焼けた頬には傷がある。
薄茶の瞳は鋭利な刃物のように、危なげな光を帯びていた。明らかに苛立っていて、かなり不愉快げだった。
ぎいぎいと揺れ動いている扉をもう一度蹴ってから、リチャードの背後にやってくると、少年は声を荒げる。

「なんだって、朝っぱらからこんなガキと会わなきゃいけねぇんだよ」

「僕に聞かないで欲しいなぁ。フィオちゃんは、ギルディオスさんが連れてきたんだから」

リチャードはさらりと返し、悠長に紅茶の続きを飲んだ。少年は余計に苛立ったようで、目付きが険しくなる。

「こんなことのために、わざわざ起こすんじゃねぇよ馬鹿兄貴」

「低出力の雷撃の一発を浴びせたぐらいで、何だっていうのさ。あんなものぐらいじゃ、人間は死んだりはしないよ。それに、あれぐらいしないと、レオは僕に従ってくれないだろう?」

にたりと笑ったリチャードに、少年は更に言い返す。

「死ぬっつうんだよ!」

二人のやり取りに、フィリオラは目をまん丸くしていた。いきなりのことに、何が何だか解っていなかったのだ。
少年は、きょとんとしている幼女を見たが、すぐに目を逸らした。そして、その隣に座っている甲冑を睨む。

「こんなガキ、どうだっていいじゃねぇか。ヴァトラスなら、ヴァトラスに来るのが常識だろうが」

「オレにも色々と事情があるのさ。弁えてくれよ、レオ」

ギルディオスは、肩を竦めた。レオと呼ばれた少年は不愉快そのものの顔をしていたが、甲冑に背を向けた。
リチャードは紅茶を飲み干すと、ティーカップをソーサーに載せた。片手を挙げて、少年の背を指し示す。

「紹介しよう、フィオちゃん。この態度が悪くて跳ねっ返りで無礼な馬鹿野郎が、僕の弟、レオナルドだ」

「あ、あの、はじめまして」

フィリオラは帽子を外して置いてから、立ち上がり、頭を下げた。レオナルドを窺うが、彼は振り向きもしない。

「フィリオラ・ストレインと申します」

「ほら、レオも挨拶して」

リチャードに促されても、レオナルドは背中を向けたまま微動だにしない。それどころか、文句を言ってきた。

「誰が言うかよ。どうせ、お前らドラグーンは、ヴァトラスを下に見てるんだ。そんな相手に気ぃ使っても、何にもならねぇだろうが。それどころか、付け上がられるだけだ。大体、こんなガキがなんだってんだよ。竜の血の発現者だかなんだか知らねぇが、いい気なもんだぜ。天下のギルディオス・ヴァトラスを従えさせるぐらいだから、どんなに自己制御の下手な竜かと思えば、ただのメスガキかよ。てっきり、自我も何もないただのトカゲかと思ってたから、マジな話、拍子抜けしちまったな」

「レオ!」

諫めるようにリチャードが声を上げたが、レオナルドは一笑する。

「トカゲと人間が仲良くしろったって無理なんだよ。馬鹿なこと考えるんじゃねぇよ、馬鹿が」

「なんか、日に日に口が達者になるな、お前」

ギルディオスは、レオナルドの口の悪さに呆れてしまった。レオナルドは、ちらりと甲冑に目をやった。

「悪かったな、それ以外は何も良くならなくて」

「ごめんね、フィオちゃん。絵に描いたような賢兄愚弟で」

申し訳なさそうに眉を下げたリチャードに、レオナルドは馬鹿馬鹿しげに呟いた。

「自分で言うなよ、そんなもん」

フィリオラは、驚いたまま固まっていた。レオナルドの使った言葉の乱暴さに、呆気に取られてしまっていた。
間を置いてから、感覚的にひどいことを言われたのだと解った。意味は理解しきれなかったが、そうなのだろう。
我慢しようと思った怖さが出てきて、フィリオラは涙が滲んできた。ぎゅっとスカートを握り締め、項垂れる。

「…うぐ」

「これぐらいで泣くか、普通? うざってぇな」

嘲笑するようなレオナルドの言葉に、フィリオラはぎちぎちと奥歯を噛み締めた。意地でも泣くか、と思った。
だが、一度出てしまったものは止められず、ぼたぼたと涙が落ち、スカートに丸い染みがいくつも出来た。
声を上げるのだけは堪えようとしたが、無理だった。スカートを握る手を震わせ、フィリオラは唇を噛む。
悲しさと怒りが混じり合い、感情と力を高ぶらせていく。鼓動が暴れ回り、体を巡る血が熱くなってきてしまう。
一度目を閉じて開くと、ティーカップの傍に置かれたスプーンに映る幼女の瞳が、青から深紅に変わっていた。
いけない。このままでは変化する。フィリオラはなんとか竜の力を自制したが、全ては押さえ切れなかった。
ばっ、と服の背中を破って翼が飛び出した。幼女の体を悠に越えた大きさの竜の翼が、ゆっくりと下げられる。
中途半端とはいえ変化してしまった情けなさと悔しさで、フィリオラは涙の量が増え、頬はびしょ濡れだった。

「やっぱり、トカゲはトカゲだな。理性なんて持ってねぇんだな」

レオナルドに煽られたが、フィリオラはぶんぶんと首を横に振った。荒い息を、何度も繰り返す。

「ちがいます。でちゃった、だけです」

「堪え性がねぇな。いくらオレでも、所構わず火は出さねぇよ」

これだからガキは、とレオナルドは鬱陶しそうにした。フィリオラは深紅の瞳を上向け、レオナルドを見据えた。
こんな人、怖くて、悪くて、嫌いだ。竜の力を押さえ込もうとしても感情ばかりが高揚し、ウロコの範囲が増す。
翼の根元である背中から腕にまでウロコが現れてきたのが解り、フィリオラは嫌になったが、止まらなかった。
レオナルドは、竜へと変化してしまいそうな幼女を睨んだ。嫌悪感を剥き出しにした口調で、吐き捨てる。

「人の世界を滅ぼしたくせに、人の世界になんか入ってくるからそうなるんだよ」

「いい加減にしねぇか!」

ギルディオスは素早く立ち上がり、凄んだ。それにはさすがにレオナルドも気圧されてしまい、言葉に詰まった。
リチャードも怒った顔で、レオナルドを睨んでいる。レオナルドは一歩後退ってから、足早に居間を出ていった。
足早に足音が遠ざかると、ようやくフィリオラは感情が落ち着いてきた。背中の翼を折り畳み、肩を上下させる。

「うぅ…」

「一度ぐらい本気でしばくべきだな、ありゃ」

ギルディオスは、呆れ果てて首を横に振る。全くですよ、とリチャードは肩を落としてしまう。

「父さんも母さんも手に負えないもんだから、余計に増長しちゃってるんだもんなぁ。本当に、タチが悪いよ」

「ごめんな、フィオ。本当にごめんな」

ギルディオスは、フィリオラの背中から突き出た竜の翼を撫でた。若草色のウロコは、滑らかで冷ややかだった。
フィリオラは何度も何度も深呼吸を繰り返し、自分を宥めた。高まっていた力が弱まると、ウロコが失せていく。
翼も縮んで背中に張り付いて消え、赤くなった瞳も青に戻った。だが、涙は止まらずに、未だに流れ続けていた。
ひどい、ひどい、ひどい。確かに、竜族の長い歴史の中には、竜族は人の国を滅ぼした歴史はいくつかある。
けれど、その竜族とフィリオラは違うものだ、とギルディオスもリチャードもフィフィリアンヌも言ってくれていた。
事実、フィリオラ自身は緑竜族なので、黒竜戦争を起こした黒竜族との血縁はないので名実共に関連性はない。
人の世界になんか、なんて言われたくない。自分は人間だ、竜だけど普通の人間なんだ、と言い返したかった。
最初から人間なのだから、人間の世界で生きるのが当然のことなのに。それを否定される筋合いなんてない。
フィリオラは、次第に苛々してきた。レオナルドの言い分が理不尽極まりないと解ると、腹立たしくなってきた。

「うー」

「フィオちゃん。言葉で喋ったら?」

リチャードに言われ、フィリオラはレオナルドの文句を並べる。

「レオナルドのお兄さん、なんでああなんですか! あんな人、嫌いです、大嫌いです!」

「根は良い奴なんだけどね、根は。それ以外は、本当にどうしようもない男なんだよ」

リチャードは疲れたように、ため息を零した。フィリオラは目を吊り上げ、膨れた。

「けっとばしていいですか」

「おう、蹴ってこい蹴ってこい。復讐されない程度にな」

ギルディオスは、服が破れて素肌が出ているフィリオラの背を軽く叩いた。フィリオラは頷く。

「では、いってきます」

ソファーから飛び降りたフィリオラは、床を踏み付けるようにしながら歩いていき、居間から出て行った。
どーこですかー、と舌足らずな叫びが廊下に反響している。レオナルドがどこへ行ったのか、探しているらしい。
しかし、レオナルドは一階にはいないのか、その叫びは次第に上に昇っていき、そのうち聞こえなくなった。
ギルディオスはリチャードを顔を見合わせると、意外だと言わんばかりに、両手を上向けて肩を竦めた。

「驚いたな」

「余程怒ったんでしょうねぇ、フィオちゃん。ありゃ怒るよな、うん。僕でも怒る」

リチャードは、フィリオラの去った方へ細い目を向ける。ギルディオスは足を組み、ソファーにもたれかかる。

「やっぱり、そう上手くは行かねぇか。あの二人、立場が似ているから仲良くなれると思ったんだがなぁ…」

「かたや念力発火能力者、かたや竜の末裔ですからね。どちらも人でありながら人外、ってやつですから」

リチャードはティーポットを傾け、空になった自分のティーカップに香りの良い紅茶を注いだ。

「仲良くなるべきと言うか、仲良くならざるを得ないというか、仲良くあるべきである者同士なのになぁ」

「どうしてこう、十代の野郎って扱いが面倒臭ぇんだよ。頭も体も大したことねぇのに、妙な自尊心ばっかりでかくなりやがってよー。扱いづらいったらありゃしねぇ」

ギルディオスがやりにくそうに漏らすと、リチャードはにやりと笑む。

「十代の少年はガラス細工ですから」

「レオがそういうタマか?」

勢い良く吹き出してから、ギルディオスは可笑しげに声を上擦らせる。リチャードは、紅茶を傾ける。

「まぁ、レオの場合は鋼で出来ている気がしますけどね」

「言えてるな」

ギルディオスは半笑いで返してから、天井を仰いだ。フィリオラのものと思しき軽い足音が、動いている。

「フィオの奴、迷ってなきゃいいんだが」

「まさかぁ。そりゃあフィオちゃんは方向音痴かもしれないですけど、屋敷なんかで迷いますか、普通?」

「オレもそうは思うんだが、フィオだからなぁ…」

不安げに呟いてから、ギルディオスは腕を組んだ。取り越し苦労かもしれないが、それでも気掛かりだった。
リチャードは真に受けていないのか、紅茶の続きを飲んでいる。しばらくすると、上の階から幼女の泣き声がした。
階を重ねているので言葉は若干不明瞭だが、ここどこなんですかー、とフィリオラの困り果てた嘆きが響いている。
本当に、道に迷ってしまったらしい。リチャードは、彼女が道に迷う早さと場所に、変な意味で感心してしまう。

「あら本当だ」

「フィルの末裔だからなぁ…」

ギルディオスは、がりがりとヘルムを掻いた。微笑ましいような情けないような、馬鹿馬鹿しいような気分になる。
今頃、フィリオラは泣きじゃくっているのだろう。助けに行こうと思い、ギルディオスは腰を上げ掛けて止めた。
せっかく、フィリオラがレオナルドにやり返す気になっているのだ。それを邪魔してはいけない、と思った。
本当に困ったら、魔法でなんとかするだろう。ポケットには白墨があるし、簡単な空間転移魔法ぐらいは使える。
レオナルドも、いくらなんでもフィリオラを攻撃することはしないだろうし、幼女に本気にはならないだろう。
ギルディオスは先行きが不安ではあったが、楽しみでもあった。ソファーに深く座り直すと、天井を見上げた。
幼女の足音と気配は、右往左往していた。







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