ドラゴンは眠らない




邪なる策謀



崩れかけた屋敷は、門が開け放たれていた。
右半分が抉られたかのように崩壊していて、朽ちた屋根と壁にはツタが這い回り、庭は雑草が生い茂っていた。
かつては美しく整備されていたであろう前庭には、女神を模した石の彫刻が据えてあったが、ひび割れている。
天へ差し伸べられている手は肘から先が砕け、穏やかな顔には涙のようにヒビが走り、豊かな胸は抉れていた。
その女神の脇を通り過ぎ、三人は開け放たれた正面玄関へと向かった。雑草が、人の足で踏み分けられている。
一歩一歩確実に、屋敷に近付いていく。ヴェイパーの盛大な足音がやかましかったが、二人は息を潜めていた。
異能の気配が、強まってくる。感覚そのものに触れる、触手じみた細かな精神感応波が、繰り返し飛んでくる。
フローレンスは、たまらずに眉間をしかめた。そう何度も触れてこられると、気分が悪くなってきてしまう。
淡い色合いの藍色の夜空を背負った廃墟の屋敷は、静まり返っていた。まるで、墓場のような雰囲気だった。
正面玄関の前で、三人は立ち止まった。後ろの壁が崩れている広間の中に、どす黒い人影が五つ並んでいた。
彼らは皆、闇色の戦闘服に身を固めていた。同じく闇色の覆面で顔を覆い、身構えるでもなく、待っていた。
ダニエルは階段を昇り切ると玄関前の広間に入り、足を止めた。靴底で踏み締めた砂利が、床と擦れて鳴る。
一歩、間を狭めた途端、異様な出力の気配を感じた。臨界まで高められた異能の力が、彼らから溢れていた。

「我らの言葉を、聞いてくれたようだな」

小隊長らしき男が、前に出てきた。覆面の奧から、くぐもった声で話す。

「お前達に通用するということは、人工物と言えど、我らの力が本物である証だな」

「うげぇ最悪」

フローレンスはあからさまに嫌悪して、舌まで出した。ダニエルもそんな気分だった。

「なるほど。特務部隊の情報が流れてこないわけだ。改造人間の部隊ならば、当然と言えば当然か」

「もう少し穏やかに言って欲しいものだな。我々は、能力強化兵、と呼称されている」

右脇に立っていた兵士の一人が、抑揚のない言葉を返してきた。だが、それと反比例して思念は強烈だった。
頭を貫くような電撃に似た痛みに、フローレンスは顔を歪めた。精神の深層に踏み入ろうと、力を増してくる。
相手の力を遮るため、フローレンスは魔力を高めた。高めに高めて、逆に同じ出力で送り返してやった。
すると、左手奥に立っていた兵士がよろめいた。姿勢を戻すと身構えて腰を落とし、彼女に向かおうとした。
小隊長は左手奥の兵士を制止すると、二人に向き直った。覆面の隙間から覗く鋭い目が、徐々に細められる。

「我々がお前達を呼び出したのは、他でもない、将軍閣下のご命令を伝えるためだ」

「だったら手紙で送ってよ。思念なんかビンビン出すんじゃないわよ、頭痛くなったじゃない」

フローレンスの文句に、小隊長は一笑した。

「それは失礼した。お前達とは違い、我々は力の限界を知らないのでな。つい、限度を忘れてしまった」

「用件を聞こう。雑談は結構だ」

ダニエルは、小隊長を射抜くようなつもりで目を強めた。小隊長は胸元から書簡を出すと、広げて突き出す。

「将軍閣下からの命令状だ。ダニエル・ファイガー大尉、フローレンス・アイゼン少尉、軍用人造魔導兵器二種登録番号十号機ヴェイパー。貴君らに辞令が言い渡された」

「辞令だと?」

ダニエルが訝しむと、小隊長は淡々と続ける。

「本日付で、貴君ら三名は特務部隊の隊員となった。将軍命令には拒否権はない。以上だ」

「…あ?」

思い切り嫌そうに、フローレンスは口元を引きつらせた。ヴェイパーは両の拳を握り、構える。

「どういう、こと?」

「聞いた通りだ。異能部隊が解散した今、貴君らの所属はない。よって、将軍閣下が命令を下された。光栄と思え」

書面を折り畳んで胸元に入れた小隊長に、ダニエルは穏やかに返した。

「その命令を受けなかったら?」

「反逆と見なし処分せよ、との命令だ。だが、我らの上官である大佐は、貴君らに恩情を掛けて下さった」

「おん、じょう?」

ヴェイパーが首をかしげると、小隊長は小馬鹿にした口振りで答えた。

「ありがたく思え。大佐は、貴君らが命令に背いても処分せよとは命令していない。確保せよ、との命令だ」

「要するに生け捕りでしょ。で、あんたらみたいに頭の中いじくられて改造されちゃうわけね」

まっぴらごめんよ、とフローレンスが腹立たしげにすると、小隊長はうっすらと笑った。

「我らの実情を知れば、お前達はおのずとそれを望むはずだ」

「我らは苦痛を感じないのだ。力の放出に伴う脳髄の鈍痛も、魔力過多の肉体の過負荷も、精神の疲弊もな」

右手に立っていた兵士は、全く感情を含めずに言葉を並べた。

「我らは改造の際に精神接続手術も施され、一個の部隊である以前に一個の存在となっている。故に、貴君ら異能部隊よりも遥かに優れた効率で作戦を遂行している。我らは選ばれた存在なのだ。人間の限界を超越した能力を得ることで、人間を凌ぐ戦闘能力と連帯を成し得、確実で正確な兵力として将軍閣下からも多大なる信頼を受けている。特務部隊は、政府上層と直結した部隊だ。入隊さえすれば、政府から、地位も命も補償されるのだ。どうだ、素晴らしいことだとは思わないか。栄誉ある軍属として、将軍閣下と国家に奉仕出来るのだからな」

冗談じゃない。ダニエルは、話を聞くに連れて込み上げてきた怒りと、それと共に荒ぶる念動力を押さえていた。
ギルディオスがいたら、その場でこの兵士達を切り倒していたことだろう。彼は、そういうことが一番嫌いだ。
人が人を人でなくし、人が人を道具として扱い、人が人を軽んじる。ダニエルも、そういったことは嫌いだった。
異能部隊の方針とは真逆だ。異能部隊は、兵士の持つ異能の力を一番優れた場所で引き出す任務が多かった。
ギルディオスの性格による影響も多かったが、兵士達がそれを望んでいた。だから、皆、箱庭の中で生きられた。
彼らは、生まれ持った力を、正しいと思われる方向に向けて活用することを望んでいたから異能部隊に入った。
ギルディオスも、そのために異能部隊を守ってきた。異能部隊とは、異能者に居場所を与えるための部隊なのだ。
だが、特務部隊はそうではない。最初から、人を軽んじている。挙げ句に改造まで施し、道具に貶めている。
共和国軍は、芯から腐ってしまったようだ。ダニエルの知らぬところで、いつのまにか腐敗が進んでいたらしい。
ダニエルは、フローレンスに目配せした。フローレンスはその意図を察し、瞼を徐々に細めて兵士達を睨んだ。
空気が、変わった。生温い夏の夜の空気に緊張感が走り、威圧感のある精神感応の力が範囲を広げていった。
フローレンスは、両耳に付けていた魔導金属の耳飾りを外し、床に放り投げた。かしゃん、と硬い音が響く。
そして、目が見開かれた。途端に精神感応の力は出力を増し、強い念波が放射され、雷撃に似た衝撃が訪れた。
ダニエルが身動ぐと、兵士達は仰け反っていた。ヴェイパーもその影響を受けて、関節から蒸気を漏らしている。

「…う」

ヴェイパーは、苦しげに呻いた。フローレンスは微動だにせず、直立している。

「あら、おかしいわねぇ。あんたら、心の底じゃ痛い痛いって言ってんじゃないの。体も、心も、魂も、何もかも」

「詭弁だ。我らには苦痛など存在しない」

覆面の口元を押さえ、小隊長が呟いた。フローレンスの見開かれた瞳が、ぎゅっと収縮する。

「そう。それじゃ、これは何?」

再び、雷撃のような衝撃が放たれ、精神を揺さぶってきた。これにはさすがにダニエルも辟易し、眉間を歪めた。
雷撃が通りすぎると、兵士達は動きを止めた。動けずにいる彼らを見渡したフローレンスは、声を沈めた。

「なんでオレがこんな場所にいなきゃならねぇんだ、こんな気色悪い連中を捕まえなきゃならねぇんだよ、ああくそう、頭に刺さった金属が痛ぇ、早く女房と子供の元に帰らないといけないのに、あいつ寂しがってんだろうな、そろそろ首都もやばいってのに旧王都になんかいる暇はねぇんだ、あの野郎め、よくもこのオレを道具になんかしやがって、ああ、だが、こんなことを考えちまったら殺されるな、血も涙もねぇからな」

フローレンスの目が、小隊長を捉える。

「大佐のクソ野郎には」

ダニエルは、兵士達の覆面を見据えた。高ぶっていた念動力を放つと、呆気なく引き千切れて、床に舞い落ちた。
黒い布に隠されていた、彼らの表情が露わになる。無表情を装ってはいるが、畏怖に、口元が引きつっている。
兵士の一人は何か言おうとしたが、言葉にはならず、空気が漏れただけだった。呪術も、施されているようだ。

「失言の呪いだな」

ダニエルが言うと、そうだ、と兵士の口は動いたが言葉にはならなかった。フローレンスは力を弱め、吐き捨てる。

「こんなの拷問じゃん。あんたら、意思がちゃんと残っているのにこんなことされて、辛くないわけがないじゃない」

「我らには苦痛など存在しない。我らに存在するのは絶対的な忠誠心、そして、人を越えた力のみ」

小隊長はそう声を上げたが、フローレンスに響いてきた声は違った。お願いだ、殺してくれ、自由を与えてくれ。
フローレンスはその思念を、そのまま二人に流した。途端にダニエルは舌打ちし、ヴェイパーも低く唸った。
よくも将軍は、こんな部隊を認めているものだ。耄碌してきたのか、それとも、特務部隊隊長の言うがままなのか。
どちらにせよ、許せないことには変わりない。軍人としても、人間としても、この所業は目に余るものがある。
フローレンスはヴェイパーを見上げ、彼の人造魂と精神感応の力を繋げた。ヴェイパーは、拳を握って身構えた。

「りょうかい」

「精神感応接続、感度良好! 精神同調率、最大値! 蒸気機関、全機関稼働! 魔力活性率、臨界点!」

フローレンスは両足を広げて踏ん張ると、腰を落とす。それと同じ動作を、背後のヴェイパーも行った。

「行くぞヴェイパー、蒸気の限りっ!」

どしゅ、どしゅ、と床を踏み砕く勢いでヴェイパーは駆け出した。身構えた兵士達が、力を放つ前に拳を振る。
大きく振られた巨大な手が壁を砕き、破片と粉塵が舞う。隙のない動作で背後に回った兵士は、銃を抜いた。
その銃口が向いた先はヴェイパーではなくフローレンスだったが、フローレンスは身動ぎもせず、強く叫んだ。

「甘い!」

直後。ヴェイパーの足が後方に振られ、兵士は容易く蹴られて壁まで飛んだ。衝突の衝撃で、壁にヒビが走る。
壁に背を埋めて昏倒している兵士に目もくれず、残りの四人は二人ずつに別れた。その片方が、飛び出してきた。
念動力を放ちながら前に出た兵士は、崩れた床を浮かばせる。広げられた手を中心に、大きな破片が上昇する。
もう一人の兵士は膝を付け、軍用拳銃を構えた。その引き金が絞られた瞬間、床の破片と弾丸が直進してきた。
ダニエルは手を上げることもなく、それらを見据えた。床の破片と弾丸が近付くより先に、空中に固定される。
ずん、とダニエルの足元から円形に抉れた。直後、床の破片と弾丸が急降下し、円の抉れのすぐ傍に埋まった。
兵士は念動力で再度床の破片を持ち上げたが、今度は投げるよりも先に、空中で砕かれて粉々にされてしまう。
銃声も何度か轟いたが、やはり結果は同じで、弾丸はダニエルを貫かずに宙に留まり、そして真下に落下した。
破片と弾丸の形状そのままの床の穴は、次第にヒビが広がっていく。同時に、ダニエルの足元の抉れも拡大する。
兵士はもう二三度発砲したが、弾が尽きてしまった。弾の切れた銃に彼の視線が向くと、べきっ、と銃身が曲がる。
銃身だけでなく、弾倉も押し潰されて黒い鉄の固まりとなった。兵士の手に相当な重量が掛かり、指から抜けた。
どん、と床に穴を空けた銃であった物体は、更に潰されて握り拳程度の大きさの、黒い金属塊と化してしまった。
それでも、二人は動揺すらせずに身構えた。ダニエルに追撃を加えるべく、二人は念動力の出力を高めてきた。
二人の足元にダニエルと同様の抉れが生まれ、それが範囲を広げてくると、双方の力による加圧が発生した。
互いの力が接し合っている位置で力が摩擦し、閃光が走った。ダニエルが動かずにいると、二人は力を強める。

「魔力鎮静剤を服用しているようだが、そんなものは飲むべきではない。あれは、力を失わせるだけだ」

離れた場所に立ち、戦闘を傍観している小隊長の言葉を、ダニエルは一笑に付した。

「無理に出力を上げたところで、制御力を失っては意味がない」

「ならば、試してみようではないか」

小隊長がそう言った直後、二人の兵士は念動力の出力を大幅に上げた。鬩ぎ合う力と力の摩擦が、激しくなる。
床から少し浮かんだ破片は摩擦の地点に吸い寄せられたが、そこに行き着くよりも先に、砕けて粉と化した。
両手を前に付き出して力を高め続ける二人の兵士は、ダニエルを押していた。彼らの抉れが、ダニエルに近付く。
砕け散る寸前の円形の抉れがどんどん広がり、ダニエルの足元にまで辿り着き、摩擦の位置も近寄ってきた。
手を出しもしないダニエルの、すぐ目の前で光が爆ぜた。加圧の威圧感と重量を受け、足が床にめり込んだ。
勝利を確信したのか、小隊長は満足げに目を細めた。ダニエルはポケットに入れていた手を出し、前に掲げた。

「はっ!」

覇気のある掛け声に合わせ、床の抉れは一挙に拡大した。びしびしと破片を打ち砕きながら、広がり続ける。
摩擦で光が生じていた力の壁が突然吹き飛ばされ、二人の兵士を押した。瞬時に後方に飛び、壁も抉れた。
二人の兵士は壁ごと吹き飛んでしまい、粉塵が立ち込め、小隊長の背後に出来た大穴からは森が見えていた。
兵士達の後方にいた小隊長は、己の力を放ってダニエルの力を凌ぎ、よろけもせずにその場に立っていた。
彼の足元にも、抉れが出来ていた。ダニエルの作った抉れがその抉れには及ばず、また、力の壁が出来ていた。

「派手なことをするものだ」

小隊長の念動力が高まるのを感じ、ダニエルは表情を固めた。

「そちらほどではない」

「やーるぅ」

フローレンスは精神感応の力を弱め、兵士と戦っていたヴェイパーの手を止めさせ、ダニエルに振り向いた。
ダニエルが、それどころではないだろう、と言い返そうとすると、フローレンスの背後に兵士が瞬間移動した。
着地音がする寸前に背後に向き直ったフローレンスは、足を振り上げた。兵士の首筋に、叩き込もうとする。
だが、叩き込む前に足を取られ、逆に捻られた。背中から床に転ばされたフローレンスに、兵士は銃を向ける。
ハンマーが起こされて弾倉が回るより前に、兵士の脇に拳が飛んできた。蒸気を振りまきながら、鉄塊が飛ぶ。
一瞬の後、その兵士は巨大な拳によって壁に埋められていた。辺りには、むっとした熱い蒸気が立ち込めた。
壁を殴り付けたままになっている拳は、ヴェイパーの肘から先だった。それが、独りでに壁から抜け出た。
引き戻されるように宙を飛んでいった拳は、がしゅっ、と待ち構えていたヴェイパーの肘に付き、接続された。
拳によって作られた壁の穴には、黒い戦闘服に赤黒い染みを滲ませた、兵士であったものが埋まり込んでいた。
ヴェイパーは、血の付いていない方の手をフローレンスに差し出した。フローレンスは、その指を取って立つ。

「ありがと」

「ふくたいちょう、えんご、する?」

立ち上がったフローレンスに、ヴェイパーは尋ねた。フローレンスは、ダニエルと小隊長に目をやる。

「こういう場合は、邪魔しない方がいいんじゃなくて?」

ダニエルと小隊長は、睨み合ったまま動こうとしない。双方が突き出している手からは、力が強く溢れていた。
だが、先程のような力の競り合いはなく、逆に沈黙していた。どちらかが動くのを、待っているようだった。
破壊音が失せると、二人の息遣いと森のざわめきが明確に聞こえた。生温い風が通り、砂埃を巻き上げた。
かつ、と何かの破片が転がり落ちた。それが合図であったかのように二人は動き、互いに向けて力を放った。
ダニエルは、弾丸のような形状に凝結させた念動力を撃った。小隊長はそれを防ぐべく、力の壁を強めた。
目視出来ない念動力による弾丸が、やはり見えることのない念動力の壁に接した瞬間、双方は激しく発光した。
金属を溶接する際に発生する火花に似た強烈な瞬きが繰り返されていたが、僅かに、力の壁が揺らいだ。
その光の中央が、貫かれた。刹那、骨の砕ける音と肉が破られる音がし、生温い飛沫が後方に飛び散った。
心臓の位置を貫かれた小隊長の胸から、鮮血が噴き上がる。胸の穴からは後ろが覗き見え、肋骨が爆ぜた。
叫び声を上げることもなく、小隊長はよろけた。びしゃびしゃと血の滴る水溜まりに足を落とし、膝を折る。
呼吸しようと口を開いて喘いだが、俯せに倒れ伏した。どちゃっ、と粘り気のある水音がし、鉄の匂いがした。
ひゅるひゅると掠れた吐息が漏れ、僅かながら声がした。音にもならない、弱々しい思念の断末魔が聞こえた。

 この、化け物め。

急速に、魔力の高まる気配がした。ダニエルがそれに感付くよりも先に、フローレンスは彼の腕を掴んで引く。

「逃げなきゃ死ぬよ、副隊長!」

駆け出したフローレンスと共に、ダニエルはヴェイパーに抱えられた。力強い足が、砕けた床を踏み壊した。
前庭を駆け抜けながら女神を打ち砕き、雑草を蹴飛ばして門まで辿り着いたその瞬間、爆発音が鳴り響いた。
年月と戦闘で崩れた屋敷が、どん、どん、どん、どん、どん、と兵士の人数分だけ揺さぶられて崩れていった。
その衝撃で、辛うじて保たれていた屋敷の均衡が完全に失われた。まだ残っていた左側の屋根が、ずれ始める。
穴の開いた壁が折れ曲がり、古びたレンガが砕け散り、前庭はおろか塀にまで飛んできてぶつかり、割れた。
二人を担いだまま、ヴェイパーは崩壊する屋敷を見ていた。兵士達の姿は大量の瓦礫に埋まり、見えなくなった。
血の匂いも、粉塵と砂が混じったせいで大分弱まっていた。フローレンスは、機械人形の腕の中で息を零す。

「うぇ…」

「ここまで、やるとはな」

ヴェイパーの肩に担ぎ上げられているダニエルは、力なく呟いた。屋敷の崩壊は弱まり、瓦礫の崩れも止まった。
辺りには、蒸気のような白いもやが掛かっている。ダニエルの背後で、ヴェイパーの煙突から蒸気が噴き出た。

「へいしを、ふきとばすのは、しょうこの、いんめつには、かくじつで、あんぜんな、ほうほう。だけど…」

「超絶えぐい」

フローレンスは、瓦礫の山を睨んだ。ダニエルは、部下達を見回す。

「そうだな、ヴェイパー。特に、上官としては最悪のやり方だ」

「そんなことばっかりやってるとねー、友達なくすわよ友達ー!」

あらぬ方向に喚いたフローレンスに、ダニエルは変な顔をする。

「お前、誰に言っているんだ?」

「んー、ああ。あいつらの上官の、大佐にでも届くかなーって。思念ビンビンに混ぜたから」

憂さ晴らしよ憂さ晴らし、とフローレンスは腕を組んだ。気持ちは解るが、とダニエルは苦笑する。

「届くか解らないものを適当に放つんじゃない。力の無駄遣いはするな、と隊長もいつも言っていただろうが」

「無駄なもんですか。あいつらのやってたことの方が、余程無駄で無茶苦茶よ」

フローレンスはヴェイパーの腕の間から、身を乗り出した。んー、と目を細めて辺りを見回す。

「あ、いた。副隊長、おネコ様を発見したよ」

「どこだそれは!」

いきなり声を上げたダニエルに、フローレンスはぎょっとしながらも崩れた屋敷の奧を指す。

「ええと、あっちの倉庫に。改造されている子とされていない子、半々ぐらいだけど全部生きているわ」

「助けに行くぞ!」

ヴェイパーの肩から飛び降りたダニエルは、駆け出していった。フローレンスは、ヴェイパーを軽く小突いた。
ヴェイパーは腕を緩め、フローレンスを解放した。地面に着地したフローレンスは、一心に駆ける上官に呆れる。

「そっちが本題なわけ?」

当たり前だぁ、と即座に返事が返ってきた。フローレンスはギルディオスがするように、肩を竦めてみせた。

「副隊長も、意外に馬鹿?」

「かも」

可笑しげに、ヴェイパーの語尾が上擦った。しゃーないなぁ、とフローレンスは面倒に思いながらも歩き出した。
瓦礫の山の脇を通った二人は、木々の隙間に隠されていた古びた倉庫を見つけたが、扉は吹き飛んでいた。
フローレンスが恐る恐る中を覗いてみると、鉱石ランプの淡い光が照らし出していたのは、大量のカゴだった。
その全てに、ネコが入っていた。突然の崩壊と闖入者に、全員が全員混乱していて、いずれも大暴れしていた。
ネコ達の混乱した鳴き声と思念が重なり合っていて非常にやかましく、フローレンスは、げ、と首を縮めた。
ふぎゃふぎゃと暴れているネコ達の中心で、ダニエルが表情を崩していた。とても幸せそうに、呆けている。
早くここから出せとかお前は誰だとか喚いているネコ達を眺め回していたが、深く、感嘆のため息を零した。

「…天国だ」

「そお?」

顔を引きつらせたフローレンスに、ヴェイパーは首をかしげた。

「ねこ、うるさい。なのに、てんごく。ふくたいちょう、へん」

「お前らにはネコの良さが解らないのか!」

不愉快げに声を上げたダニエルは、ネコの入ったカゴの一つを取った。蓋を開けた途端に、ネコが飛び出した。
牙を剥いて毛を逆立てて尾を膨らませたネコは、にやけるダニエルを睨んだが、弾かれるように逃げ出した。
ダニエルは極めて上機嫌のまま、すいっと手を回した。大量のカゴが浮かび上がり、一つ残らず蓋が外された。
蓋が外れると、ネコ達は我先にと逃げ出した。フローレンスの足元を駆け抜け、ヴェイパーの股をくぐった。
ネコの一団は森に入ると散り散りになり、方々へ走っていった。そのうち、鳴き声も聞こえなくなった。
フローレンスは訳が解らず、目を瞬かせた。舞い上がっているネコの毛を払ってから、ダニエルに尋ねた。

「逃がしちゃっていいの?」

「ああ、いいんだ」

爽やかなほど清々しい笑みで、ダニエルはフローレンスに振り向いた。フローレンスは、ますます変な顔をする。

「でも、逃がしちゃったら可愛がれないじゃん。そんなに好きなら、一匹ぐらい残しておけば良かったのに」

「私は、ネコは自由だから好きなんだ。身勝手で傲慢だが、そこがいい。そんなネコを、束縛するべきではない」

ダニエルは名残惜しげだったが、倉庫から出てきた。フローレンスの傍を通り過ぎる様に、彼女の肩を叩く。

「帰るぞ、フローレンス。レオに酒代を支払わなければならないしな」

「あ、了解ー」

フローレンスは、歩き出したダニエルとヴェイパーの背後に続いた。森の中の道を通り、旧王都に向かっていく。
薄暗かった空は深みを増して、藍色は濃くなっている。星々と月の輝きも、明度を増しているように感じた。
森の中は、ぎちぎちと何かの虫が鳴いていた。フローレンスは、魔導金属の耳飾りを忘れたことに気付いた。
替えはちゃんと作ってあるから問題はないが、精神感応波を遮る魔導金属がないと、少々困ったことになる。
思念の傍受と放出を妨害するものがないと、精神感応の力を出来るだけ押さえ込んでいても感じてしまう。
虫や植物からの言葉にならない思念が、ぴりぴりと頭に伝わってくる。フローレンスは、顔をしかめていた。
頭の奧には、小隊長の断末魔が消えずに残留している。化け物、と言われたのは初めてではないが、久々だ。
もう、今は違う。人の世界で、普通に生きている。ダニエルもヴェイパーも、そして自分も化け物なんかじゃない。
だが。背後に振り返ると、崩壊した屋敷が見えた。屋敷の名残などどこにもなく、あるのは瓦礫だけだった。
こんなことをするのは、人でない証だ。人でないから、こんなことをしてしまう。フローレンスは、拳を握る。
やはり、異能者は完全な人間にはなれないのだ。胸ポケットに入っている魔力鎮静剤が、軽く揺れている。
普通であればこんなものも飲まないし、頭の中に聞こえてくる声に苦しめられることもないはずなのに。
フローレンスは歩調を緩めなかったが、押し黙った。どうやっても、異能者は普通の人間にはなれないのか。
やり切れない感情を内に押し込め、フローレンスは歩いた。早く戻って寝ないと、明日の仕事に響いてしまう。
そう思うことで、思考を紛らわさせた。




あまり、事の進みが芳しくなかった。
ここへ来て、急に計略が行き詰まりを見せていた。まさか、これほど呆気なく五人も兵士が倒されてしまうとは。
やはり、付け焼き刃の異能力ではダメだったようだ。長年異能力と付き合ってきた彼らとは、経験が違いすぎる。
ダニエルとフローレンスをこちら側に付け、能力強化兵として改造してしまうつもりでいたのだが、失敗した。
思い掛けず、二人は反抗してきた。もう一度彼らを引き入れるために画策したいが、そのための暇がなかった。
もう少し時間さえ取れれば、確実に二人を引き入れられたはずなのに。どうやら、焦りすぎてしまったようだ。
共和国軍の侵略戦争に掛かり切りだったせいだろうか、所々に綻びが出来始めている。これでは、いけない。
ある程度の軌道修正を行わなければ、このままずれてしまう。だがそのためには、アルゼンタムが必要だった。
しかし、アルゼンタムの行方は依然として解らないままだ。首都から出たのか、出ていないかも解らなかった。
いくら感覚を強めようとも、旧王都からでは感じられるはずがない。精神接続の適応範囲は、割と狭いのだ。
彼は部下達の死亡報告書を見つめていたが、小さく舌打ちした。一体どこだ、どこから綻びが始まっている。
事を起こす経緯から今に至るまでを思い出してみたが、思い当たらない。全て順調に、思い通りに進んでいる。
なのに、何がいけないのだろうか。なぜいきなり、アルゼンタムとギルディオスの行方が掴めなくなったのだ。
どこかで食い違いを起こしている。だが、それはどこなのだ。彼はしきりに考えを巡らせたが、見えてこなかった。
苛立ち紛れに紅茶を飲み干し、カップをソーサーに叩き付けた。息を荒げる彼に、向かい側に座る男が笑う。

「なーに苛々してんだー、お前?」

「別に、どうということはないよ。部下が死んでしまっただけさ」

彼は、テーブルの上に足を載せて組んでいる男、グレイスに向いた。グレイスは、にやにやしていた。

「しっかし、お前も変な商売してるよなぁ。特務部隊の隊長なんてよ」

「まぁね。お偉方が僕を気に入ってくれているから、やめるにやめられなくなっちゃってさ」

でも、と彼は唇の端を持ち上げた。

「形はどうあれ、この仕事は僕の願いに沿っている。敵にせよ味方にせよ、人は死んでくれるのだから」

「侵略戦争の切っ掛けって、お前が作ったんだっけか?」

あまり興味なさそうに、グレイスは頭の後ろで手を組んだ。彼は、少し自慢気に笑む。

「経済の面で、共和国と隣国は摩擦を起こしていたからね。政治家と通じている実業家達に少々魔法を含ませて、上位軍人と政治家を煽ったらあっけなく起きたのさ。まぁ、僕は作ったというより、燻っていた火に油を注いでやっただけなんだけどね」

「オレだったら、そういう回りくどいことしないで、もうちょっと素直にやるかな」

「どんな具合に?」

彼が尋ねると、グレイスはけらけらと笑った。

「全部ぶっ殺しちまうのさ」

「短絡的だね」

「実直と言って欲しいね」

グレイスは椅子を後方に傾け、ごっ、と壁に背もたれを当てた。傍の窓からは、明るい日差しが差し込んでいる。

「んで、オレに用事ってのはなんだ?」

「解り切ったことだよ。アルゼンタムとギルディオス・ヴァトラスの行方を、探してきて欲しいんだ」

「やだね」

グレイスがあっさりと切り捨てると、彼は不愉快げに眉根を歪めた。

「なぜだい?」

「オレはあんたに手ぇ貸してはいるが、あんたの手駒じゃねぇよ。オレにもオレの、事情があるんだよ」

グレイスは立ち上がると、椅子を戻した。扉へと近付いていく三つ編みを下げた背に、彼は声を上げる。

「待て、グレイス! どういうつもりなんだ!」

「別に、どうもこうもねぇよ。オレはこれから用事があるんだ。ここんとこ暑い日が続いたもんだから、ヴィクトリアが汗に負けちゃって可哀想なことになっちまってるから、薬を買ってきてやらなきゃならねぇんだ。それに、ロザリアがバテてぐったりしちまってるから、精の付くものでもと思ってよ。レベッカちゃんは二人の世話で手一杯だから、今日はオレが買い出しなのさ」

んじゃな、とグレイスは後ろ手に手を振って扉を閉めた。扉が閉まると、彼は歯を食い縛りながら座り直した。
そうだ、別に、グレイス・ルーの手助けなど必要ない。あの二人がいなくても、事は進められるのだから。
策略に思考を戻そうとしたが、すぐには戻らなかった。悔しさと腹立たしさで、奥歯を強く噛み締めていた。
グレイスの言葉から垣間見えた家族への愛情が、どうしようもなく嫌でたまらず、苛立ちが激しく沸き上がった。
そんなもの、どうだっていいじゃないか。腹を立てるだけ無駄だ、と思っても、感情は納まってくれなかった。
くそ、と小さく呟いてから、彼は煮出されて渋くなった紅茶をティーカップに注いだ。乱暴に、それを飲み干す。
ついこの間までは、思っていた通りに事が進んでいたのに。そう思うと、余計に悔しくなってきてしまった。
だが、必ず事は成し遂げてみせる。いつか見た、あの清浄な白い世界を、求めている世界を手にするために。
そのためには、多少つまづきがあったぐらいでどうだというのだ。力に任せて押し通してしまえば、いいことだ。
首筋に、汗が伝い落ちた。これは焦りから生じたものではない、暑さによるものだ、と彼は自分に言い聞かせた。
だが、メガネの奧の目には、くっきりと焦燥が現れていた。




彼の造りし異能者達と、邪心にまみれた策謀。
だがそれは、人ではなくとも人である彼らによって、打ち砕かれた。
生けとし生ける者を力で歪ませ、生けとし生ける者を軽んじているがために。

彼の計略は、徐々に崩れていくのである。







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