ドラゴンは眠らない




罪と罰



そして、ラミアンはジョセフィーヌを連れて、生まれ故郷であるゼレイブに戻った。
フィフィリアンヌの側近の仕事で得ていた多額の報酬があったので、苦労することなく、二人で長い旅をした。
船や機関車に乗ったジョセフィーヌは、キースが殺された夜のことなど忘れたかのように、はしゃいでいた。
だが時折、寂しげに遠くを眺め、少し泣いていた。その理由は、ギルディオスと会えなくなったからだった。
ジョセフィーヌにとって、ギルディオスは父親そのものだ。だから、何も言わずに離れて、心苦しかったのだ。
ラミアンは、彼女がギルディオスに会いたいと繰り返すのがあまり面白くなかったが、表情には出さなかった。
子供の父親に対する態度に嫉妬してどうなる、と自嘲したが、収まることはなく、日に日に強まる一方だった。
二人は、ゼレイブに到着すると、街外れの古い屋敷で暮らした。そこは以前、ラミアンが住んでいた屋敷だった。
ラミアンが寝て起きるだけの場所だったので、手入れなどほとんどしておらず、増して何十年も帰っていなかった。
恐ろしいほど荒れ放題の屋敷に、ジョセフィーヌは面白いと笑った。ラミアンもそれに釣られて、笑ってしまった。
一年が過ぎ、五年が過ぎ、十年が過ぎても、彼女は幼いままだった。体は成長したのだが、心は成長しなかった。
言葉も舌っ足らずなままで、自分のことはジョーと呼び続け、魔力数値は高かったが魔法は一切覚えなかった。
どれだけラミアンが教えても、数も五以上は数えられなかった。どうやら、先天的に知性が発達しないようだった。
なので、ジョセフィーヌの実年齢を把握するまで、時間が掛かった。体の成長の具合で、なんとか把握していた。
最初に出会ってから十年が過ぎた頃、ジョセフィーヌは体付きだけは立派な女性になっており、美しくなった。
街で見掛ける年頃の娘達と大差のない体形になったので、ラミアンは、彼女は十五歳程度だ、と認識していた。
ジョセフィーヌは事ある事に、ジョーはラミアンのおよめさんになるの、と嬉しそうに言い、へばり付いてきた。
彼女自身は幼女の頃と変わらぬことをしているだけなのだが、ラミアンは、日々、理性と欲情を戦わせていた。
ジョセフィーヌに出会うまでは情欲にも淡白だったから、ある意味では初めての経験で、かなり苦労した。
彼女が解らないうちに事を進めてはいけない、と思い、ラミアンはジョセフィーヌに男女の何たるかを教えた。
ジョセフィーヌはそういったことを文字や計算以上に理解せず、教え込んでいるうちに五年が過ぎてしまった。
彼女が恐らく二十歳程度になった頃、ようやくジョセフィーヌは情交を理解したので、やっと事が進めた。
異能部隊基地で二人が出会ってから、十四五年ほど過ぎた頃。ラミアンとジョセフィーヌは、密やかに結婚した。
そして、彼女が予知していた通りに男の子が生まれたので、ラミアンがブラッドと名付けてから、半年後。
ジョセフィーヌは、突然姿を消した。未だに上手く書けない文字で、ごめんね、とだけ書き置きがされていた。
ラミアンは途方に暮れたが、何も出来なかった。探し出そうにも痕跡がなく、魔力の気配もどこにもなかった。
苦し紛れにフィフィリアンヌに手紙を出してみると、驚いたことに返事が返ってきたが、彼女の情報はなかった。
ラミアンは、彼女が姿を消したのは、己への罰だと感じた。罪を重ねながらも、償うことをしなかった罰なのだと。
彼女のいない日々の中、ラミアンは幼い息子を育てるしかなかった。


ジョセフィーヌが姿を消してから、十年が過ぎたある夜。
ラミアンは、屋根の上に立っていた。弱い月明かりに照らされている閑散とした街並みを見下ろし、呆けていた。
十歳になった息子、ブラッドに関する悩みが絶えなかった。口も達者になってきて、言葉も少々荒くなってきた。
礼節と教養を持った吸血鬼に育てたいのだが、ブラッドは勉強に興味を持たず、父親を無下にする始末だった。
最近では、近寄ろうとしてもそっぽを向いてしまう。幼かった頃であれば、鬱陶しいほど甘えてきたというのに。
どうすれば息子の心を掴めるのか、さっぱり解らなかった。ラミアンは肩を落とし、ひっそりとため息を零した。
明日こそ、ブラッドにちゃんと勉強を教えてやらなくては。そう思いながらラミアンは、屋根から下りようとした。
すると、屋敷の門の前に人影が立った。足音も気配も一切なかったはずなのに、唐突に、線の細い影が現れた。
空間転移魔法だな、とラミアンは察し、その人影を見下ろした。分厚く重たい暗闇の中に、女性が佇んでいた。

「ラミアン」

舌っ足らずな、甘えた言い方。ラミアンは意識するよりも先に、彼女の名を口に出していた。

「ジョー…」

門の前に立っているのは、歳は重ねていたが紛れもなくジョセフィーヌだった。にこにこと、上機嫌に笑っている。
ラミアンは夢かと思ったが、感覚には確かに彼女の気配がある。魔力も魂も間違いなく、愛しい妻のものだった。
急いで屋根から飛び降り、門柱の上に着地した。ばさり、と黒いマントをはためかせ、吸血鬼は膝を付いた。
錆び付いた門から離れたジョセフィーヌは、ラミアンを見上げた。幼女の頃と変わらぬ表情で、微笑んでいる。

「ごめんね、いなくなっちゃって」

「いや。帰ってきてくれたのだから、それだけで充分だ」

ラミアンは再び彼女に会えた嬉しさで、顔が緩んでいた。ジョセフィーヌは、門柱の上にいる彼に歩み寄る。

「ラミアン、あのね、ジョーね、ぐんじんさんになってたの」

ほら、とジョセフィーヌは軍服に付いた階級章を引っ張ってみせた。その階級に、ラミアンは目を丸くした。

「…大佐だと?」

「そうなの、たいささんなの。たいちょーさんよりもうえなの」

ジョセフィーヌは自慢気に胸を張った。ラミアンは少し呆気に取られていたが、笑った。

「そうか、それは良かったな」

「それでね、ラミアン、あのね」

ジョセフィーヌは気恥ずかしげにしたが、上目にラミアンを見上げた。

「ジョーね、ラミアンと、いっしょにいたいの」

「私も同じだ」

ラミアンは門柱から下りると、ジョセフィーヌの前に立った。ジョセフィーヌは、すぐさま彼の胸に飛び込んできた。
だいすき、と腕を回してくるジョセフィーヌを、ラミアンは抱き締めた。十年ぶりに感じる柔らかさが、嬉しかった。
ブラッドが目を覚ましたら、すぐに教えてやろう。この人が母なのだと、出会いから何もかもを息子に話してやろう。
そう思いながら、ラミアンはジョセフィーヌの栗色の髪に頬を触れた。軍服の中に、何か、硬い感触があった。
それが何であるかを気にするほどの、余裕はなかった。


ラミアンは、自室である地下室にジョセフィーヌを招き入れた。
ジョセフィーヌは終始ラミアンにしがみ付いていて、腕を緩めようともせずに、とても嬉しそうにはしゃいでいた。
壁には本棚が造り付けてあり、魔導書がみっちりと詰まっていた。机の上には、読みさしの本が広げてある。
ジョセフィーヌは感心した様子で、ベッドの代わりに棺桶が置いてある地下室を見回し、わー、と声を上げる。
ラミアンはテーブルのグラスを取り、半分ほどワインを注いだ。それを少し飲んでから、彼女に顔を向けた。
ジョセフィーヌは軍服を探っていたが、何かを取り出した。銀縁で横長のメガネを、慣れた仕草で鼻先に載せる。
その動きに、ラミアンは息を飲んだ。見張っているうちに覚えてしまった、キースの動作と寸分違わぬ動きだった。
ジョセフィーヌはメガネを整えてから、ラミアンに向いた。表情は一変して、狡猾な笑みが口元に浮かんでいた。

「ああ、馬鹿だ。つくづく馬鹿だねぇ、男って生き物は」

「…お前は」

ラミアンが身構えると、ジョセフィーヌはくつくつと喉の奥で笑った。声こそ同じだが、口調が別人だった。

「僕は僕さ。思い当たっているのなら、さっさと言ったらどうなんだい」

ラミアンは、目の前の女を眺めてみた。かっちりとした共和国軍の軍服を綺麗に着込んでいて、髪も整っている。
栗色の長い髪を後頭部に結ってあり、後れ毛もなくまとめてある。うっすらとだが、小綺麗な化粧もしていた。
いくつになっても子供っぽさの残る目元、長い睫毛、しっとりと濡れた漆黒の瞳、嘲笑を形作っている唇。
混血なので白人よりも若干色の濃い肌色、ほっそりとした指、きちんと揃えられた長い足と革靴、そして、声。
どこをどう見ても、ジョセフィーヌだった。だがその口調は、あの日ラミアンが脳天を貫いた竜の青年だった。

「あんな知恵遅れが大佐になんてなれるはずないし、そもそも軍服だってまともに着られるはずがないじゃないか」

可笑しげに、瞼が細められた。

「それを、ちょっと甘えただけで疑いもせずに受け入れるなんて、とことん甘いよ。ラミアン・ブラドール」

「やはり、お前は」

ラミアンは動揺しながらも返すと、そう、とジョセフィーヌの外見をした彼は頷いた。

「僕の名は、キース・ドラグーン。お前に殺された竜だよ」

「なぜ、お前がジョーの中に」

ラミアンの困惑しきった問いに、爽快そうにキースは高笑いした。

「いいねぇその反応! そんなに驚いてもらうと、楽しくなってきちゃうよ!」

ひとしきり笑ってから、キースはにやりと目を細めた。ジョセフィーヌならば、絶対にしない表情だった。

「いやなに、ちょっとした魔法だよ。お前に脳天を撃ち抜かれて死んでしまう寸前だったから、僕も、まさか成功するとは思っていなかったけど、実に上手い具合になってくれたのさ。ジョセフィーヌには、感謝してもしきれないね。人間にしてはそれなりの魔力を持っているおかげで、僕は大佐にまで上り詰めることが出来たんだから」

背中を、嫌な汗が伝い落ちていた。ジョセフィーヌの顔で、ジョセフィーヌの声で、おぞましいことを言っている。
それでは先程の、以前のジョセフィーヌのような言動は何だったと言うのだ。硬直しているラミアンに、彼は言う。

「ああ、さっきのあれ? 軽いお芝居さ。あれぐらい出来なきゃ、大佐になんてなれやしないよ」

愛おしい妻の姿で、悪しき竜の男が笑っている。

「この体と頭に染み付いている甘ったれた幼児の思考のおかげで、僕は、かなり楽をさせてもらったよ。僕は普段、結構つんけんして尖った言動をしていてね。そういう気位の高い女を演じていると周囲の男共の態度は面白いほど攻撃的で威圧的になるんだけど、そういう男共を陥落させるのは、至って簡単なんだよ。さっきみたいに甘ったれてみせれば恐ろしいほど簡単に隙を見せてくれるのさ。僕の方から擦り寄ることもあるし、逆に男の方から寄ってくることもあるけど、まぁ半々だね。普段はあれほど威張り散らしている軍人が、僕の手の内に陥落する様は、楽しくて仕方ないよ。引き摺り込まれたベッドの中で、体ばかりで頭のない男に縋り付いてやって、僕はこう言ってやるのさ。あなたの力が必要なのよ、あなたでなくてはいけないの、愛しているわ、とね」

程良く恥じらいながらも甘えた声で言ってから、キースはメガネを直した。

「まぁ、その後にすっぱり切り捨てて叩き落とすんだけどね。ほとんどの男が、ただ力任せなだけで事が下手だったこともあるしね。この地位を得るまでに、何人もそうやってきたよ。本当に、男って生き物は、単純に出来ているよ。笑えてくるね」

あまりのことにラミアンが言葉を失って青ざめていると、キースは上体を逸らして笑った。

「ああもう、楽しいねぇ! 復讐は最高の娯楽だよ!」

凄絶な笑い声が、地下室に反響していた。妻の姿形をした妻でないものが、とても楽しげに、笑い続けている。
ラミアンは、迷っていた。彼女の中身が本当にキースであれば、自分はおろか、ブラッドの身も危うくなる。
だが、戦えなかった。戦おうと思っても、先程抱き締めた時のジョセフィーヌの温もりが、まだ腕に残っていた。
抱いた感触も、匂いも、間違いなく妻だった。ジョセフィーヌをを殺してしまうことなど、出来るはずもない。
ラミアンが歯痒い思いをしていると、キースは笑うのを止めた。笑いすぎて涙が出たらしく、目元を拭った。

「だが、まだ終わりじゃない。僕の復讐は、これから始まるんだ」

キースは軍服を探り、緑色の魔導鉱石を取り出した。拳大の大きさがあり、艶やかに磨き上げられていた。
何を、とラミアンが言う前に、その石がラミアンの魔力中枢に押し当てられた。硬いものが、ぐりっと鳩尾を抉る。

「たった今からね」

魔導鉱石が、押し込まれた。服も皮も貫いて肉を抉り、冷たいものがずぶずぶと腹の内側へ埋まり込んでくる。
魔力の込められた彼女の手が魔導鉱石を捻ると、血が噴き出した。熱が腹を伝い、飛沫が足元に散らばった。
ラミアンは、身動きが取れなかった。抵抗しようと思っても体はまるで動かず、魔法を掛けられた、と察した。
恐らく、彼女を抱き締めた時にでも、掛けられたのだろう。だが、今更気付いたところで、もう遅かった。
緑色の球体が、胸に埋まった。不思議と痛みはなく、あるのは冷たい異物感と血の濡れた感触だけだった。
べっとりと赤黒く濡れた指先を、彼女は舐め上げた。異様な色気を含んだ眼差しが、ラミアンを見上げてくる。

「さあ、堕ちろ。僕の手の中に」

「誰が、お前などに従うものか」

ラミアンは心臓付近を抉っている石の重たさを感じていたが、痛みを感じないために、余裕のある笑みを作った。
キースはその反応に、ふぅん、とだけ呟いた。血濡れた指先が石の表面をなぞると、途端に、痛みが迸った。
皮を破られ肉を抉られた激痛が、ラミアンの全身を貫いた。喉を迫り上がってきた血が、口元からこぼれる。
魔力を吸い取られる感覚もあり、徐々に頭がふらついてきた。姿勢を保とうとしても、血と力が抜けていく。
無意識に、声を上げていた。獣じみた絶叫を地下室に響かせているラミアンの耳元に彼女は顔を寄せ、囁いた。

「僕に従え、ラミアン。僕の道具と成り下がれ」

吸血鬼の血に汚れきった手のひらが、ぐぶっ、と石を肉の中に押し込む。

「従わなければ、どうなるか教えてやろう」

蠱惑的な甘い声で、身の毛もよだつ言葉が紡がれる。

「僕は、この女の体を滅ぼす。無論、切り裂くだけじゃない。内側から腐らせて手足を切り落とし、脳髄を掻き乱してから、ジョセフィーヌ・ブラドールの意識を表面に出してやるのさ。さあ、どうなると思う」

微かな吐息が、ラミアンの耳元をくすぐる。

「ラミアン。ドラゴンのお兄ちゃんのいうことをきいて、ジョーをたすけて。おねがい、ラミアン」

甘ったれた幼児の声の後、笑みを押さえた声になる。

「さあ、どうする? 早く答えなければ、この場でこの女の目を抉ったっていいんだけど?」

ラミアンは激しい痛みの最中、霞んだ視界を無理に強めた。目の前の女の肩を震える手で掴んだが、滑り落ちた。
言葉にならない言葉で、わかった、とだけ答えた気がした。その後、意識は失ったが、なぜか記憶は残っていた。
離れた視点から、己の死体とジョセフィーヌの恰好をしたキースを、漠然としながら傍観している自分がいた。
キースはラミアンの心臓を、魔導鉱石で押し潰した。ぶしゃっ、と今まで以上に血が噴き出し、壁まで散った。
その石がくいっと捻られると、ラミアンの手足から色が失せた。細かな灰となって、さらさらと流れ落ちていく。
肉も骨も皮も髪も内臓も、全てが灰と化した。それが袖口や裾から抜け出ると、中身を失った服が崩れ落ちた。
多少凝血した血の海に粉が散らばり、多少色が和らいだ。キースの手の中には、緑色の魔導鉱石が残っていた。
彼は軍服から取り出した布で石の表面を磨くと、滑らかな表面に己の顔を映し、にたりと邪悪な笑みを見せた。
何か独り言を言いながら身を屈め、ラミアンの血に舌を滑らせると、喉を鳴らして飲み下し、高笑いを放った。
ラミアンの体であった灰を掬うと、ぎゅっと握り締め、更に笑った。肩を震わせて、とても楽しげに笑った。
キースは灰の付いた手で、飲みかけのワイングラスを取った。グラスを傾け、灰と化した彼に赤紫の滴を零す。

「祝杯だ、ラミアン。今日からお前は僕の物だ!」

狂気と愉悦に満ちた笑い声が、間近から聞こえていた。いつのまにか、ラミアンの視点は彼の手元に映った。
石の内側から、笑い続けるキースを見上げていた。魂を取り出されたのだと認識した直後、意識は落ち込んだ。
次に目覚めた時は、狂気の機械人形と化していた。




「正気を取り戻すまでの間のことは、全て記憶している」

穏やかで理性的な口調で、銀色の骸骨は話し続けていた。体格に比例しない大きな手を、顔の前に出す。

「この手が何をしたのか、この手がどれだけの人を傷付けてきたか、そして、その時の愉悦と快感も、何もかもを。私は、魂を剥き出しにされていたのだと推測している。どのような生き物であれ、生きるに当たって持っている知性や理性を全て剥がされて本能のみの状態とさせられていたように思う。その上に、グレイスどののあの仕掛けだ。たまったものではなかった。魔力と血を喰らっても腹に仕込まれた魔導鉱石に吸い取られるようにされていて、魂が潤う時は片時もなかった。飢えを凌ごうとすれば更に飢えに襲われ、喰ったと思っても喰えていないのだから、あの状態でなければ本当に気が狂っていたかもしれないよ。私のような魔物族は、人間よりも一際食欲が強いのでね」

窓から差し込んでいた日差しが、いつのまにか鋭い橙色になっていて、仮面をぎらつかせていた。

「これは全て、私への罰だ。会長の命に背き、キース・ドラグーンを殺し、ジョセフィーヌを手に入れた、欲望に充ち満ちた愚かな吸血鬼へ、神が下された処罰なのだと思っている。罪を重ねながらも何一つ償わずにいた、どうしようもなく馬鹿な男に対する報いであるとね。だから私は、この姿の私を、否定してはいない」

ラミアンは、視線を向けてくる彼らを見回し、内心で目を細めた。

「あなた方が、己の力や血を受け入れているように、私も私を受け入れる。今の私が私であるように、本能のままに旧王都の人々を食い散らかした私も、紛うことなき私なのだから」

ラミアンの言葉が止まると、それぞれが息を吐いた。長々と話されていた重たい過去を、受け入れるためだった。
だが、彼らは黙っていた。何か言うべきなのだろうが、何を言うべきか思い当たらない、といった様子だった。
ラミアンは静かに立ち上がると銀色のマントを翻し、彼らに背を向けた。足を踏み出すと、ぎち、と膝が軋んだ。

「ブラッディ。来てくれないか」

ブラッドは一瞬戸惑ったが、こくんと頷いた。銀色の骸骨が歩き出したので、その背後に黒衣の少年が続く。
ラミアンは縦に長い大きな扉を開くと、廊下に出た。ブラッドはそれに従って出ると、薄暗い廊下を進んだ。
外見と同じく灰色の石で組まれた長い廊下には、機械人形の硬質な足音と、少年の体重の軽い足音が響いた。
しばらく歩いて、廊下の先にあったベランダへと出た。眩しい西日の差し込む中に、銀色の骸骨は歩み出た。
骨に酷似した長い両手が、ぶらりと揺れて止まる。ブラッドは、父親の装甲に撥ねた光が眩しくて目を細めた。
逆光の中から、ラミアンは息子を見下ろした。母親に良く似た色合いの瞳が、強い日光で煌めいている。

「私を、殺してくれまいか」

ブラッドの目が、大きく見開かれた。ラミアンは、内心で笑った。

「簡単なことだ。私の魂を納めている魔導鉱石を撃ち抜けば、一発だ。今のお前なら、それが出来る」

「だ、けど」

長い間黙っていたせいで、ブラッドの声は掠れていた。ラミアンは鋭い指先で、こつ、と胸の石を小突く。

「昨日の戦いでもう解っているとは思うが、私にはお前の魔法だけなら通用するのだ。キースとグレイスどのは、そういう仕掛けを私に施したのだ。私とお前とジョーが戦い合うように、とね。それが、キースの復讐なのだ。私の家族を痛め付け、苦しめ、挙げ句に滅ぼすことが、私をアルゼンタムとした目的なのだ」

ラミアンは、絶句している息子に微笑みかけた。

「すまない、ブラッディ。全て、私のせいなのだ。私は、その罪を償うべきなのだよ」

ブラッドは、全身から力が抜けてしまいそうだった。緊張していた体に、父親の優しい声がいやに心地良かった。
そんなことは出来ない。出来るはずがない。そう言おうとしても、ラミアンの表情が感覚的に解ってしまった。
父は、それを望んでいる。罪を償うために、死にたがっている。ブラッドは、その気持ちが解るのが嫌だった。
どうしようもなくなってしまった時、どうにも出来なくなった時、目の前の現実から逃げる気持ちと同じだからだ。
逃げてしまえば、楽になる。一時でも、現実から目を逸らして背を向けてしまえば、全てなかったような気になる。
それじゃ、いけない。そう言おうと思ったが、無意識に溢れた涙で喉が潰れてしまい、すぐに声が出なかった。
ブラッドが肩を震わせていると、背後に足音がした。二人がそちらに注意を向けるより先に、幼い声が響いた。


「死は逃避に過ぎない」


影から歩み出てきたのは、竜の少女だった。フィフィリアンヌは、真っ直ぐにラミアンの元に向かってくる。

「我が子に下らん相談をするな、ラミアン。貴様の魂程度を砕くぐらいなら、私の牙で充分だ」

「会長…」

ラミアンが呟くと、フィフィリアンヌは銀色の骸骨の前に立ち、真下から見上げた。

「ラミアン。仕事だ」

「は?」

思い掛けない言葉に、ラミアンは声をひっくり返した。フィフィリアンヌの人差し指が、仮面を指し示す。

「これから、私を含めた諸々の者達がキースを填める。その手伝いをしろ」

「と、仰いましても…。それに私は、もう魔導師協会の所属ではありませんし、会長の側近などでは…」

ラミアンは訳が解らなくなり、少々情けなく言った。フィフィリアンヌは腰に手を当て、眉を吊り上げた。

「私はあの時、魔導師協会に顔を出すなと言っただけであって首は刎ねておらん。貴様はまだ、私の部下なのだ。その証拠に、私は貴様に手紙を返してやったではないか」

「そうなん?」

ブラッドがきょとんとすると、フィフィリアンヌは素っ気なく返した。

「そうだ。これほど使い勝手が良くて頭の冴えた男を簡単に切り捨ててしまうのは、惜しいではないか」

「しかし、私は」

ラミアンが言葉に詰まると、フィフィリアンヌは吊り上がった目を僅かに細める。

「キースは、お前が殺さなくても、いつか誰かが殺していただろう。それが、私であるかニワトリ頭であるか、お前であるかの違いだけだ。私は確かにあの子を愛そうと思ったが、一度ぐらいは愛してやってから殺すべきだ、と思っておったのだ。二十五年も経てば、さすがに私も頭が冷えた。あの状況であればキースを殺さないわけにはいくまい。むしろ、お前が殺しておかねば、あの子の暴走による被害は更に増えていたはずだからな。行動として正しいとは言えないかもしれないが、判断としては間違っておらん」

「ですが」

「くどいぞ、ラミアン」

フィフィリアンヌの、語気が強まった。

「私は貴様に、手を貸せ、と命令したのだ。さっさと従わぬか」

「…了解しました」

押し切られた形で、ラミアンは頷いた。それでいい、とフィフィリアンヌはラミアンに背を向けて歩き出していった。
小さなドラゴンの翼が生えた背が薄暗い廊下に遠ざかっていくと、なんとなく、父と子は顔を見合わせてしまった。
どちらも、困惑していた。そこへ、大柄な甲冑が足音を響かせながらやってきたので、二人はそちらに顔を向けた。
よう、と片手を挙げたギルディオスは、ぐしゃぐしゃとブラッドの髪を乱暴に乱した。そして、ラミアンを見下ろす。

「アルゼンタム、じゃなかった、ラミアン。お前、フィルと付き合い長くねぇから、解らねぇんだなぁ」

「何がです?」

ラミアンが不思議げに問うと、ギルディオスはにやにやした声を出した。

「フィルの奴、お前に機会を与えてやるって言ったのさ。そのついでに、ちったぁ許してやるってもな」

ギルディオスのヘルムが、銀色の骸骨を映す。その落ち着いた態度に、ラミアンは察した。

「ギルディオスどの。あなたは、既に存じていたのですね。ジョーのことを」

「ああ、まぁな。つっても、フィルの推察に過ぎなかったんだが、ほとんど当たっててぞっとしたぜ」

ギルディオスは、フィフィリアンヌの去った方に向いた。流線形の隙間が空いたヘルムが、つやりと光を撥ねた。

「オレは、ジョーにもキースにも手は出せねぇ。きっと、寸前で殺せねぇはずだ。二人ともオレの大事な大事な部下で、可愛い可愛い子供なんだよ。実際、キースの言ったことは正しいんだ。オレは、部下は殺せねぇんだ。どんな奴であっても、異能部隊に少しでもいた奴は、オレの子供みてぇなもんだからな」

淡々とした口振りだったが、葛藤が滲んでいた。ギルディオスの苦しみが、言葉の端々に現れていた。

「だからよ、ラミアン。オレからも、ちょいと命令していいか?」

ラミアンが答えずにいると、ギルディオスは絞り出すように漏らした。

「キースとジョーを、殺してやってくれ」

ブラッドがギルディオスに反論しようとすると、ラミアンは息子を制止し、俯いている甲冑に言った。

「ジョーを、楽にしてやりたいのですね」

「…ああ」

ギルディオスは、涙を堪えるかのようにヘルムを押さえた。

「もちろん、助けてやれるもんなら助けてやりてぇし、お前らと幸せに生きてって欲しい。けどな、これ以上、キースがジョーの体で悪いことするのは見ちゃいられねぇんだよ。ジョーももちろんなんだが、キースも楽にしてやりてぇんだ。確かにキースは悪い奴だし、根性はねじ曲がってるし、やることなすこと無茶苦茶だし、ガキ臭ぇことばっかりしてるけど、もういい加減に止めてやりてぇんだ」

「上官としてなのですか、それとも、父親としてなのですか」

「さぁな。どっちも、かもしれねぇけどよ」

顔を上げたギルディオスは、泣きそうな顔をしているブラッドをまた撫でた。

「ラッド。お前は悪いことをするんじゃねぇぞ。悪いことをしたらしただけ、自分に返ってくるんだからな」

「おっちゃん…」

ブラッドは、その声の明るさが痛々しくて仕方なかった。ギルディオスは身を屈め、少年と視線を合わせる。

「オレも、そうなんだよな。お前らを裏切って異能部隊を守ろうとしたが、結局どっちも守れず終いだ。フィオはぶっち切れちまうし、レオを怒らせちまうし、お前にも多少なりとも辛い思いをさせちまっただろうし、フィルともひでぇケンカをした。そんなにひどいことになっちまうまで、オレは目が覚めなかったんだ。本当に、オレは馬鹿なんだよ」

「けど、それは、おっちゃんが正しいことをしようとしたから…」

と、言ったが、ブラッドは口籠もった。甲冑は、少し笑う。

「ああ、そうだな。オレは正しいことをしようとしたが、そのやり方がまずかったのさ。かなぁり、な」

「それは私も同じだ、ブラッディ。私は、私の幸せを得るために、キースを殺し、ジョーを奪い去った」

ラミアンは、俯いている息子を見下ろした。

「そのことで誰が傷付くか考えもせずに、あの子と私の幸せばかりを考えていた。恋は盲目と良く言ったものだが、私の場合は、特にそれがひどかったようでね。あの子が私の元を去るまで、気付かなかったのだよ。私は、会長の信頼もキースの命もジョーの意思もギルディオスどのの思いも何もかもを踏みにじって、手前勝手な幸せを得ていたのだとね。だが、それに気付くのが、少々遅すぎたんだ。だから私は、このような罰を受けたのだよ」

銀色の大きな手を挙げ、その指先を曲げてみせる。

「だから私は、ギルディオスどのの命を受ける。ジョーを、お前の母を、キースの呪縛から救い出すために」

ブラッドは、何も言えなかった。ギルディオスは、ぽんぽんと少年の頭を軽く叩いてから、廊下へと戻っていった。
ラミアンは息子を急かしたが、ブラッドは俯いたままで、父親は先に行った。二人の重たい足音が、続いていく。
二人の姿が完全に見えなくなってから、ブラッドは深く息を吐いた。ベランダの外に目をやると、旧王都が見えた。
いつのまにか太陽は西に没していて、空は薄暗くなりつつあったが、旧王都の窓の明かりは数が少なかった。
父の話とギルディオスの痛々しい姿が、頭を離れなかった。この場にいる誰も彼もが、何かしらを背負っている。
自分の信念を貫こうとすればするほど、周りを傷付けてしまい、罪を重ねてしまう。決して、器用とは言い難い。
皆、ただ幸せになりたいだけなんだ。だけど、力任せじゃ幸せになれないんだ。ブラッドはそんなことを思った。
ならば、今回の事の原因を作り続けているキースは、幸せなのだろうか。悪事を重ね続けて、平気なのだろうか。
父の話やギルディオスの話などに出てくるキースは、実に良く笑う。だが、幸せからの笑みではなく、嘲笑だ。
きっと、キースって人は幸せじゃない。そう思ったら、ブラッドはキースに対して同情してしまいそうになった。
だが、すぐに思い直した。あんなに悪い奴に同情してどうなるってんだよ、と自分が腹立たしくなってしまった。
ブラッドは、アホくせぇ、と内心で自嘲しながら中に戻った。ひっそりと静まった廊下を進み、居間に近付いた。
居間からは、フィリオラとキャロルがレベッカと夕食の相談をする声が漏れてきて、妙に明るい気持ちになった。
今日の夕飯は何だろうと思うだけで、多少なりとも浮かれてしまう。ブラッドは背の高い扉を開け、居間に戻った。
フィリオラはブラッドにすぐに気付き、お帰りなさい、と笑ってきたので、ブラッドも釣られて笑い返していた。
それだけのことなのに、とても幸せだと思った。




竜の青年を手に掛けた吸血鬼が、狂気の機械人形となるまでの経緯。
それは、未来を視る幼女と吸血鬼が心を通わせたことから起きた、悲劇だった。
幸せを得るために罪を重ね、その罪による罰を受けながらも。

それでも、彼らは生きていくのである。







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