ドラゴンは眠らない




燻る炎



レオナルドは、苛立っていた。


未だに、怒りは収まらない。あの日から大分時間が過ぎているのに、彼への腹立たしさが消えることはなかった。
ギルディオスがフィリオラを攫った件からはもう何ヶ月も過ぎたというのに、気持ちの整理が付けられなかった。
かつて、炎の力と異能部隊での過去を引き摺って荒れていた頃、ギルディオスに傾倒していた時期があった。
揺るぎのない信念と五百年以上も生き延びてきた逞しさ、圧倒的な破壊力を持つ剣術などに、心を奪われていた。
異能部隊から戻ってきた後も以前と変わらずに接してきてくれたから、ということもあり、彼に憧れてすらいた。
成長するに連れてその憧れも薄らいでいたが、決して失ったわけではなかった。だからこそ、許せなかった。
レオナルドの中ではある種の英雄でもあったギルディオスが、我が子も同然のフィリオラを裏切ったことが。
燻っていた怒りが、徐々に熱を増してくる。レオナルドは体から放出され始めた熱を感じ、ちぃ、と舌打ちした。
その熱を感じたからか、傍らで眠りこけていたフィリオラが身動きした。何度か瞬きして、気の抜けた欠伸をする。
布団の下で身を捩り、レオナルドに向いた。虚空を睨んでいるレオナルドから、魔力が高まる気配がしていた。

「なにおこってるんですかぁ、れおさん」

「お前は、もう許しているのか」

レオナルドが起き上がると、布団がめくられてしまい、フィリオラは寒さを感じて背を丸めた。

「さっ、寒いですよぉ!」

「あ、すまん」

レオナルドは平謝りして、裸身のフィリオラの背に布団を被せた。そのついでに、滑らかな背をついっと撫でた。
うひゃあ、と情けない悲鳴を上げた彼女は、枕に顔を埋めた。レオナルドは、それほど寒いとは思わなかった。
自分自身が念力発火能力によって発熱しているせいで、外気温が解らなかったが、窓の外を見て実感した。
薄く曇った窓の向こう側を、無数の白がちらほらと落ちている。周囲の建物の屋根に、うっすらと積もっていた。
雪が降っていた。昨日からどうにも寒いと思ったら、この前兆だったらしい。レオナルドは、息を吐いてみた。
部屋の中にいても、吐息は白くなった。レオナルドは、布団の下で丸まっているフィリオラの首筋に手を触れた。

「あうあ!」

また変な声を上げたフィリオラは、びくっと肩を震わせたが、横目にレオナルドを見上げた。

「あ、冷たくないですね。むしろあったかいです」

レオさんだからかな、とフィリオラが呟いたので、レオナルドはもう一方の手を自分の頬に当ててみた。

「さっき、熱が起きちまったからな。それが残っているんだ。今は落ち着いているが」

「これからの季節、便利になりますねぇ」

「何がだ」

「レオさんで燃料費の節約が出来ます」

面白そうにしたフィリオラに、レオナルドは彼女の首筋から手を放した。

「下らんことを言うな」

「言ってみただけですよーだ」

フィリオラは、服を着るために布団から抜け出た。空気の冷たさを全身に感じ、また悲鳴を上げた。

「あう!」

タンスから出した服を着るたびに、いやぁ、つめたいぃ、などと声を上げるので、レオナルドはうんざりした。

「黙って着ろ」

「というか、事が済んだら服を着させて下さいよ。その方が、どっちも楽だと思うんですけど」

生地の厚いエプロンドレスを着込みながら不満げにむくれるフィリオラに、レオナルドはにやりとした。

「服を着る前に寝ちまうのは誰だ」

「…う」

寒さで白くなっていた頬を紅潮させたフィリオラは、服を着終えると、レオナルドに背を向けた。

「そ、そんなことよりも、さっさとレオさんも着替えて下さいよ! 風邪引いても知りませんからね!」

フィリオラは寝室の扉を開けかけたが、立ち止まった。

「そういえば、レオさん」

「ん?」

布団から体を出したレオナルドがフィリオラに向くと、フィリオラは目のやり場に困りながらも言った。

「さっき、何が言いたかったんですか。許しているのか、って」

「ああ、あれか」

レオナルドは、隣室に面した壁に顔を向けた。穏やかだった眼差しが、険しくなる。

「お前はあの人を、ギルディオスさんを許しているのか」

「…はい」

間を置いてから、フィリオラは頷いた。

「小父様が私を裏切ったことには理由があったわけですし、それは部下の皆さんのためでもあったわけですから、私は小父様を真っ向から責めるなんて出来ません。そりゃ、最初は、ひどいなぁとか思いましたけど、理由を知ってしまったらそんな気持ちはなくなったんです。小父様は小父様なんだなぁ、って思いましたから」

「まぁ、確かに、あの人らしいっちゃらしいんだがな…」

「ですけど、なんで急にこんな話をするんですか?」

不思議そうに、フィリオラは首をかしげた。レオナルドはベッドから下りると、自分の服を取り出した。

「朝メシの時にでも話すさ」

「あ、今日は私の部屋でですからね。ラミアンさんもいますし」

それでは、と頭を下げたフィリオラは扉を閉めた。レオナルドは冷え切った服を着込みながら、呟いた。

「そういえば、そうだな」

先日、アルゼンタムがブラッドの父親であるラミアンへと戻った。理知的な男だが、気障な言い回しが癪に障る。
生前の肉体は灰と化してしまっているので、中身はラミアンでも、外見はアルゼンタムのままになっていた。
ついこの間まで殺人を繰り返していた存在と同一だと思うと吐き気がしてくるが、彼女はそうでもないらしい。
ブラッドさんのお父様ですから、とのことで、どういうわけだが三○一号室でフィリオラら三人と同居している。
ラミアンも最初は遠慮していたのだが、麗しきご令嬢の願いをお断りするのは申し訳ない、と結局は承諾した。
ギルディオスは以前のようにフィリオラの部屋にいるので、滅多なことがあったら戦ってやらぁ、と言っていた。
ブラッドは喜ぶべきなのか怒るべきなのか解らないらしく、終始顔をしかめていて、異形の父親を見上げていた。
レオナルドは当然ながら反対したのだが、フィリオラはこういったことになると、妙に強気になる部分がある。
なので隣室では、以前にも増して珍妙な同居が行われていた。普通の人間のいない、人外ばかりの生活だった。
レオナルドは厚手の上着を羽織ると、自室から出た。廊下に出ると、冷えは一段と強くなったように感じた。
扉の取っ手を握ると、氷のようだったが、しばらく触れていると熱くなった。今なら、簡単に炎が迸ることだろう。
まだ、力は燻っている。そして、彼への怒りも。レオナルドは改めて意志を固めると、三○一号室の扉を開けた。
その居間には、素っ頓狂な光景が広がっていた。


三○一号室の食卓は、かなり異様だった。
甲冑と、その隣の竜の少女、彼女の向かいに半吸血鬼の少年、そして、少年の隣には銀色の骸骨が座っている。
レオナルドは食卓の台所側、つまり、フィリオラとブラッドの間の位置に座り、このおかしな光景を眺めていた。
狂気の笑みを貼り付けた仮面を輝かせながら、ラミアンは礼儀正しく足を揃え、優雅な手付きで紅茶を取った。
見た目が明らかに変なのに仕草だけが洗練されていて、それが不気味でならず、レオナルドは変な気分だった。
ブラッドは焼き立てのパンを囓っていたが、隣に座る父親に向いた。あ、と息子が声を掛けたが、遅かった。
ラミアンは仮面の口元に紅茶を注いだが、そのまま流れ出た。テーブルに、びしゃっ、と琥珀色の染みが出来る。
口元からぽたぽたと水滴を落としながら、ラミアンは残念そうに首を横に振っていたが、布巾で紅茶を拭いた。

「失礼」

「父ちゃん…何しようとしたんだよ」

ブラッドが呆れていると、はははは、とラミアンは快活に笑った。

「血が食せるのだから他のものも食せるかと思っていたのだが、口を塞いでしまったことを忘れていたのだよ」

「フローレンス姉ちゃんに、口んとこ溶接してもらったじゃんか」

忘れんなよ、とブラッドはラミアンの仮面に隠れた口元を指した。ラミアンは、紅茶に汚れた仮面を丁寧に拭く。

「申し訳ありません。とんだ無礼を」

「…いえ」

フィリオラは反応に困っているのか、変な笑顔を作った。ギルディオスは、可笑しげに笑った。

「オレはその気持ち、解るぜ。オレも昔は、なんとかして喰えねぇもんかって思ってたもんさ。けど、どうやっても噛めないし飲み込めねぇしで、おまけに体の中は空っぽだからどんどん下に落ちて、足の中に溜まっちまうんだよなぁ、食い物が。その感触がまた気色悪くてなぁー」

「ああ、やはりそうですか。生前の感覚というものは、すぐには忘れられないものですからね」

ラミアンは共感してくれる相手がいたので嬉しくなり、口調が明るくなった。ギルディオスは、うんうんと頷く。

「意味もねぇのに出すもの出そうとしちまったり、入れるものなんてないのに入れてぇ気分になっちまったり、抜こうにも抜けねぇからやりてぇ衝動ばっかり溜まっちまったりよー。体がねぇのって、マジで不便なんだよなー」

「朝っぱらからシモの話をしないで下さい」

レオナルドが不愉快げにすると、悪ぃ、とギルディオスは平謝りした。

「ついな、つい。今まで、こういう感じを解ってくれる奴がいなかったからさ。なんか、嬉しくってよ」

ブラッドは熱々としたスープを掬って飲んでいたが、言葉の意味が解らなかったのでレオナルドに問うた。

「レオさん、抜くって何を抜くのさ?」

「朝メシ喰ってる最中に言えるか、そんなこと」

レオナルドは腹立たしげに言い、食事に戻った。フィリオラは意味が解っているので、意味もなく赤くなった。
ブラッドは二人を見比べていたがやはり意味が解らなかったので、パンを千切ってスープに浸し、口に放り込んだ。
暖炉で薪が爆ぜ、ぱちん、と鳴った。出窓の外でははらはらと雪が舞い、街並みを柔らかな白に染めていく。
ブラッドは、つい雪が降る様子に見入っていた。ゼレイブは旧王都より大分南なので、雪はあまり降らないのだ。
降ってもほんの少しで、一日と経たずに溶けてしまう。だが、旧王都には沢山降る、と昨夜にフィリオラに聞いた。
暖かな季節よりも雪の季節の方が長いので、これからが本番だ、とも。ブラッドには、よく解らない感覚だった。
雪が積もることは、ゼレイブなどの南部の子供にとっては催し物のようなもので、一時だけの楽しい出来事だ。
だが、それが長く続くとなると、楽しいなどとは言っていられないのだろう。確かに、雪が降ると足場が悪くなる。
畑も埋まってしまうし、大事な家畜も死んでしまうことがある。他にも、ブラッドの知らない厄介事があるのだろう。
しかし、今はただ嬉しかった。ここまで寒くなれば、ヴェイパーの魔導蒸気機関の過熱の心配をせずに遊べる。
水溜まりには氷が張っているだろうし、真っ白くなった森や木々などは、見ているだけで浮かれてしまう。
勉強を早く終わらせたら、服を着込んで遊びに行こう。ブラッドは一刻も早く遊びたくて、たまらなくなった。
レオナルドは朝食を食べ終えると、二杯目の紅茶を飲んだ。砂糖を入れないまま、酒のようにぐいっと呷った。
がしゃん、と多少乱暴にティーカップをソーサーに叩き付けると、フィリオラがその音に驚いてびくっとした。

「なっ、なんですか?」

「ちょっと黙ってろ」

レオナルドはフィリオラを睨め付けてから、ギルディオスを見据えた。甲冑は、ん、と彼に向いた。

「なんだ、レオ」

炎を発する直前のように、レオナルドの目には強い力が宿っていた。ギルディオスは身構え、背筋を伸ばした。
何か、考えている。それも、あまり穏やかでないことを。瞳に宿る感情は鋭くなっていて、空気も僅かに熱い。
フィリオラはおどおどとレオナルドとギルディオスを見比べているが、何も出来ず、弱り果てて眉を下げている。
レオナルドは、ギルディオスを燃やす気持ちで見ていた。力は込めなかったが、それと同等の怒りを込めていた。

「この女はあんたのことを許しているようだが、オレはそうじゃない」

「だろうな」

ギルディオスは、すぐに異能部隊の件だと察した。あの日、異能部隊基地に攻め入ってきた彼は凄まじかった。
その後、レオナルドはギルディオスへの態度を険悪なものにした。いつ何時でも、多少なりとも敵意を見せていた。
ギルディオスはその怒りを尤もだと思い、真っ向から受け止めていた。下手にはぐらかすと、返って煽ってしまう。
恐らく、彼は燻らせていた怒りを露わにするつもりだ。その方法がなんであれ、受け止めることには変わりない。
レオナルドは一度フィリオラを窺い、沸き上がる怒りを腹の内に押し込めてから、ギルディオスを強く睨んだ。

「だから一度、きっちり蹴りを付けとこうと思いましてね」

「へぇ、どんなんだ?」

ギルディオスが敢えて普通に返すと、レオナルドは語気を強めた。

「決まっています。あんたが相手なら、やることも出来ることもただ一つです」

「まぁ、そうだろうな。それでレオがすっきりするってんなら、オレはいくらでも付き合ってやるぜ?」

ギルディオスはにやりとしたような声を出すと、レオナルドは嘲笑のような表情を作る。

「言ってくれますね」

「んで、どうする。銃か、剣か、それともお前さんの得意な魔法か?」

「せっかくですから、剣にでも」

「そういやぁ、むかーしむかしにちょいとだけだが教えたことがあったなぁ。まだ、修練してんのか?」

「ええ、一応は」

レオナルドは、頷いた。フィリオラは、二人の雰囲気に呆気に取られていたが、察した。

「えっ、まさか、あの、お二人は」

「黙っていろと言っただろうが」

レオナルドはフィリオラに強く言ってから、立ち上がった。ギルディオスも、レオナルドと同じように立ち上がる。
空気が、熱している。怒りを高めたレオナルドから放出される熱と、ぴんと張り詰めた緊張が居間に満ちていた。
ギルディオスは、一笑した。圧倒的な余裕と剣で戦える喜びと、レオナルドへの軽い挑発も含めた笑いだった。

「勝てるもんなら、勝ってみやがれ」

「言われなくとも」

レオナルドは表情を強張らせながらも、笑みにした。ギルディオスは、壁に立て掛けておいた己の剣を取る。

「んじゃ、しばらく修練してくるわ。いつ頃にする?」

「では、一週間後にでも。場所は」

「そうだなぁ…。フィルの城だな、うん。あそこなら広いし、被害も出ねぇだろうから」

あばよ、とギルディオスは手を振りながら扉を開け、出た。扉が閉められると、重たい足音が階段を下りていく。
その足音が聞こえなくなると、レオナルドは崩れ落ちるように椅子に座った。多少なりとも、圧倒されてしまった。
まだまともに戦ってもいないのに、気圧されてしまいそうだ。あの余裕が、ギルディオスを更に強く見せている。
無論、実力の差など口にするのもおこがましいほどある。それでも、レオナルドもレオナルドなりの自負があった。
異能部隊での日々もそうだが、刑事としての日々や自分なりの魔法と剣の修練である程度の自信が出来ていた。
それが、いきなり砕かれてしまいそうだった。剣を交えてすらいないのに、彼の強さが肌で感じられていた。
勝てるわけがない。だが、戦わなければならない。レオナルドが気を取り直していると、フィリオラが小さく呟いた。

「このこと、だったんですね」

「ああ」

力なく答えたレオナルドは、俯いているフィリオラに目をやった。

「止めるなよ」

「レオさんは、止めても聞きませんでしょうから、止めません。ですけど」

フィリオラはエプロンをきつく握り締めながら、不安げな眼差しで、レオナルドを見上げた。

「ケガ、したりとか、しないでくださいね」

怯えた小動物のような目に、レオナルドはぎくりとした。ああもう可愛い可愛い、と顔が緩んでしまいそうになる。
この場で思い切り抱き締めてしまいたくなったが、堪えて顔を背けた。ブラッドは、二人の様子にげんなりした。
ラミアンは、顔を背けているレオナルドと心配げなフィリオラとげんなりしているブラッドを、興味深く眺めた。
彼らの関係は、事前にフィリオラから説明されているので理解していた。息子は、なんとも居づらい場所にいる。
男女の付き合いを始めてそれほど日の経っていないレオナルドとフィリオラの傍に終始いるのは、かなりきつい。
二人とも一番幸せな時期であるし、甘い恋に溺れて周囲があまり見えなくなっている、というような状況なのだ。
ブラッドは、その空気をまともに喰らっている。ラミアンは、息子が思春期でなくて良かった、と変な安心をした。
これでブラッドも十代中盤か後半だったら、自分だけ相手がいないことにやさぐれてしまうのは、目に見えている。
だが、子供の教育にはあまりよろしくない。こんなに早いうちに、その手のことに触れてしまうのはどうかと思う。
幸い、ブラッドにその手の知識がないので理解していないのが救いだったが、今はまだ興味を持つ年代ではない。
それでなくても、子供というものは散漫だ。その上で更なる刺激を与えてしまえば、勉強どころではなくなる。
それどころか、妙な方向に進むかもしれない。この年代でおかしな知識を得てしまうのは、絶対に良くない。
ラミアンは次第に不安になってきて、照れくさそうなレオナルドと不安そうなフィリオラを見渡し、手を挙げた。

「申し訳ないが、お二方。もう少し、場所と状況を弁えて愛を確かめ合ってくれないだろうか。息子の情操教育に差し障りが出てしまう可能性が、少なからずあると思うのでね」

「もう出てるよ、父ちゃん」

あーうざってぇ、とブラッドが口元を歪めたのでラミアンは、ああ嘆かわしい、と仮面を押さえた。

「最近の若人というものは…」

「そっ、そんなつもりじゃなかったんですけどぉ」

フィリオラが狼狽えると、ブラッドは鬱陶しげに目を逸らす。

「フィオ姉ちゃんとレオさんがそのつもりじゃなくても、オレにはいちゃついてるようにしか見えねぇの」

「若さに任せて、屋外で事に及んでしまってはならんよ」

ラミアンの窘めるような言葉に、レオナルドは即座に言い返した。

「それだけはしない!」

「やってらんねぇ…」

ブラッドは本当に嫌になって、大きくため息を吐いた。こうなったら、さっさと勉強を終わらせて外に遊びに行こう。
多少冷めてしまったスープを飲みながら、ギルディオスの出ていった扉を見た。彼は、レオナルドと戦うつもりだ。
だが、なぜこんなときに。今更戦い合っても何の意味もないだろうし、ギルディオスが勝つのは目に見えている。
ブラッドは、まだラミアンに言い返しているレオナルドを見上げた。先程の緊張感などなく、ただ苛立っている。
もちろん、フィリオラと同様にレオナルドの身は心配だが、同時に、レオナルドが羨ましいとも思ってしまった。
ギルディオスと戦える。彼の剣をまともに受けて、真正面からぶつかり合える。それが、とてもいいことに感じた。
何が良いのかは自分でもよく解らないが、そう思った。考えてみたら、彼が戦う姿をまともに見たことはない。
一度だけ見たのは、リチャードの造った紛い物のアルゼンタムとの戦闘だったが、それだけでも充分に痺れた。
素早くも重たい斬撃、無駄のない動き、恐るべき破壊力。思い出しただけで、ブラッドは背筋がぞくぞくした。
それを、また見られるのかもしれない。いや、前回よりも、もっと凄い戦いが見られるかもしれないのだ。
ブラッドは、想像しただけで胸が躍った。勢い良く立ち上がり、レオナルドに期待に満ちた眼差しを向ける。

「頑張れよ、レオさん!」

「…何をだ」

ラミアンへの文句を中断して、レオナルドはブラッドに返した。ブラッドは、わくわくしている。

「だから、おっちゃんとの戦いだよ! レオさんも剣術出来んのか?」

「ああ、まぁな。大したことはないが」

「うわぁ凄ぇ!」

ブラッドは、途端に目を輝かせた。浮かれている少年に、フィリオラは眉を下げる。

「そりゃ凄いかもしれませんけど、そんなに浮かれることですか? 私は、怖くて仕方ないんですけど」

「わっかんねーかなー、こういうの」

「解りません」

フィリオラは、かなり不可解そうにした。ブラッドは椅子に座り直すと、ラミアンに向く。

「じゃあ、父ちゃんは解る?」

「いや。私は、戦いは無駄だと思っている」

「どうしてだよ」

不満げな息子に、ラミアンはしゃりっと銀色の鋭い指先を擦り合わせる。

「敵を倒すのに当たって、競り合う意味はないだろう。それだけ消耗してしまうし、第一、利点が一切見当たらないではないか。相手が剣を振り上げた隙に腕の筋を切り、首を刎ねてしまうのが一番楽ではないかな」

「そういえばラミアンさんって、暗殺者でしたもんね」

大御婆様専属の、とフィリオラが付け加えると、うむ、とラミアンは頷いた。

「かなり扱いは荒かったがね」

ブラッドは面白くなくて、むすっとしてしまった。確かに戦いは荒っぽくて恐ろしいが、見ていて面白いではないか。
それに、能率を重視して敵を倒すだけのものではないからこそ、格好良いのではないか、と力説したくなった。
だが、これ以上話しても、二人とも理解してくれそうにない。ブラッドは、理解してもらうのを諦めることにした。
一週間後の戦闘に思いを馳せながら、スープの続きを食べた。あれほど熱かったのに、すっかり冷めていた。
レオナルドはティーポットを引き寄せ、三杯目の紅茶を注いだ。本当はコーヒーがいいのだが、文句は言えない。
竜族の体にとってコーヒーはあまり良くないから、という理由で彼女の食卓に出ないのだが、少し物足りなかった。
怒りが落ち着いて熱が引いていくと、朝起きた時よりも大分冷え込んでいるのが解った。雪も、量を増している。
この方が、都合が良い。剣を振り回して修練すると、体も力も高まってかなり熱してくるので、寒い方が楽だ。
窓の外は、白一色だった。







06 3/10