ドラゴンは眠らない




燻る炎



銀の刃が、白を散らす。切り裂かれた虚空に、細かな雪が舞っている。
無駄のない動きで、彼の剣が翻される。細身ながらも長さのある中世時代の剣が弱い日光を撥ね、煌めいた。
僅かに上がった息が、雪に負けないほど真っ白くなっている。彼の周囲からは、ほのかに湯気が立ち上っている。
それを、鋭利な銀が薙ぎ払った。吹き付けてきた寒風で白いもやが掻き消されると、彼の姿がはっきりと見えた。
腰を落として足を広げ、肩を上下させている。下へ向けられた刃に映っている顔は、普段以上に険しかった。
この寒さだというのに、レオナルドの額にはうっすらと汗が滲んでいた。彼は呼吸を整え、ぐいっと額を拭う。
無意識に力が高まっていたのだろう、レオナルドが立ち回っていた場所だけ雪が溶け、土が露わになっていた。
鬱陶しそうに汗を拭っているレオナルドに、フィリオラはつい見取れていた。彼は、戦士の顔をしていたのだ。
いつになく凛々しい顔付きで、迷いのない眼差しで、剣を振っていた。それが、格好良く見えないわけがない。
寒さとは違った意味で頬を赤らめたフィリオラは、コートの襟元を合わせた。やはり、修練を見に来て良かった。
昨日の朝食の際に、レオナルドはギルディオスと戦うと宣言し、その日からすぐに剣の修練に打ち込んでいた。
昨日は、危ないから近寄るな、と言われてしまったのでフィリオラは見に来なかったが、ブラッドは見に行った。
ブラッドは過剰なまでにカッコ良いを連発していたので、さすがにフィリオラも気になって、見に来たのである。
期待以上だった。長年に渡る修練の積み重ねとレオナルド自身の才能があるからだろう、美しいほどだった。
フィリオラは、寒さを忘れて見惚れていた。背景が旧王都の南区の公園であっても、恰好の良さは変わらない。
レオナルドに据えていた目の焦点が弱まると、まばらに生える細い木々が雪の重みでたわんでいるのが見えた。
頭上の針葉樹の枝がしなり、雪が落ちた。どさっ、と重みのある落下音に、フィリオラははっと意識を戻した。
気付くと、すぐ背後に雪の固まりが落ちていた。フィリオラは慌てて針葉樹から離れ、彼の傍に駆け寄った。
レオナルドは身を屈め、雪の中に放り投げていた鞘を拾った。しゃりっ、と硬質な音をさせながら剣を納める。

「帰るなら帰れ。このままオレに付き合ったところで、風邪を引くだけだ」

「いえ、平気です」

フィリオラは首を横に振り、レオナルドを見上げた。レオナルドは手を握り、自分の指先の熱さを確かめた。
そして、おもむろに彼女の頬に触れた。ひゃあ、とフィリオラは声を上げたが、己の頬よりも彼の手の方が熱い。
レオナルドの汗ばんだ手が、フィリオラの丸みのある頬を包んだ。真正面にいる彼の眼差しは、真摯だった。
また、見惚れてしまった。こんなに真っ直ぐに見られたことあったっけ、などとフィリオラは高揚しながら考えた。
冷え込んでいる外気温とは正反対に、胸の内はどんどん熱くなる。意思とは無関係に、心臓が跳ね上がっていく。
頬に触れている彼の手が熱く、火傷してしまいそうに思えるほどだった。フィリオラは、上目に彼を見つめる。

「あの」

「こんなになるまでいやがって。さっさと帰れ」

レオナルドはフィリオラの頬から手を放すと、背を向けた。フィリオラは、むっとする。

「いいじゃないですか、別に!」

「良くない」

「何がですか!」

フィリオラがむきになると、レオナルドは竜の少女に振り向いた。

「ただでさえ孕みにくい体なんだ。体を悪くして、出来なくなっちまったらどうするつもりなんだ」

「あ…」

珍しく優しい言葉に、フィリオラは目を丸くした。レオナルドは、細身の剣の鞘を腰のベルトに付ける。

「とにかく、もう帰れ。いくら仕事がないからったって、一日中オレに付き合うのは無理だ」

「いけませんか?」

フィリオラは顔を伏せると、体の前で手を組んだ。厚手の手袋を填めていても、指先は冷えて固まっている。

「だって、私、レオさんが心配なんですもん」

「死ぬような戦いはしない。別に、殺し合うために戦うわけじゃないんだ」

「ですけど、その」

フィリオラはおずおずと目を上げて、上着を着込んでいるレオナルドを見上げた。

「レオさん、ずっと怒っているみたいだから」

「そりゃ怒っているさ」

「そんなに、小父様が許せないんですか?」

フィリオラの声が沈み、口調も弱くなった。レオナルドは、横目に彼女を見やる。

「ああ」

フィリオラの、寒さで縮こまっていた肩が更に縮まった。かなり不安げな表情をしていて、唇も軽く噛んでいる。
レオナルドはその表情にちくりと胸が痛んだが、戦意は全身に漲っている。一刻も早く、彼と剣を交えたい。
異能部隊の件や、戦争などに対するやるせなさを発散する意味でも、ギルディオスと戦いたくて仕方なかった。
八つ当たりだと解っているし、いい加減にギルディオスを許すべきだとは頭では解っているが、抑えられない。
それに、とレオナルドはフィリオラから目を外した。目に見える力を、自分自身にも示しておきたかった。
この状況では、彼女を守り切ることが出来ないかもしれない。キースの件も、未だに解決していないのだ。
戦火、或いは、キースの手でフィリオラが危機に陥ったとしても、その時に自分は役に立てるのか不安になる。
魔法の腕はフィリオラや兄には劣るし、刑事として生きてきたから、ダニエルらに比べれば実戦は頼りない。
だから、己を安心させる意味でも、剣を振るわずにはいられない。まだ自分には力があるのだ、と思うために。
だが、実際は不安は消えなかった。それどころか、体が鈍っていたことを実感して、情けない気分になっていた。
フィリオラには無駄のない立ち回りに見えたらしいが、レオナルドにしてみれば、足元の弱さを痛感した。
剣を振り抜いた際の踏み込みも多少甘くなっていたし、腰をしっかりと据えておくことが出来なくなっていた。
もっと走り込みをしておかないと、ギルディオスと一度切り結んだだけで足腰が立たなくなってしまうだろう。
本当なら一ヶ月ぐらい時間を掛けて体を作り直しておきたかったが、一週間後に、と言った手前変更は出来ない。
ギルディオスの斬撃は、恐ろしく重たい。彼の体重を遥かに超えた重みが、剣と言わず体全体に訪れるのだ。
十九歳頃に一度だけギルディオスに相手をしてもらったが、一撃も喰らわせられなかった上に、立てなくなった。
なのに、ギルディオスは本気ではないと言った。だから、彼の本当の実力がどれほどのものか、計り知れない。
今回もまた、本気は出してこないだろう。それでも、やれるだけやってみよう、とレオナルドは決意を固めた。
まだ自分の体温が残っている剣の柄を、握り締めた。すると、背中に温かな重みが掛かったので、振り返った。
フィリオラが、レオナルドの腰に腕を回していた。不安を紛らわせてしまいたいのか、強く押し当ててくる。

「レオさん」

フィリオラのか細い声に、レオナルドは腰の前で上着を握り締めている彼女の手に手を触れた。

「だから、心配するな」

フィリオラはレオナルドの背に、顔を埋める。

「そんなの、無理ですよ」

レオナルドの熱い体温が、上着越しでも感じられる。その熱で、フィリオラは少しだけ不安な気持ちが和らいだ。
ギルディオスとレオナルドは剣を交えるだけだと解っているのだが、戦いそのものが、まず恐ろしくてたまらない。
リチャードがいなくなったように、レオナルドもいなくなってしまうかもしれない。そんな不安が、湧いていた。
すぐにそうなるはずがないし、そうなるとは限らない、と何度思い直しても、心に根付いた不安は消えなかった。
体を繋げた翌朝に、彼が傍にいることをちゃんと確かめないと怖い。触れていないと、泣き出しそうになる。
今はなんとか我慢出来ているし、自分よりも相当辛いであろうキャロルの心中を考えると、表には出せなかった。
フィリオラは、レオナルドの背から顔を離し、腕を解いた。彼の手が触れていた手も下げると、背を向ける。

「それじゃ、私、帰りますね。熱いスープでも作っておきますから」

レオナルドが振り向いた時には、フィリオラは駆け出していた。時折転びそうになりながら、去っていった。
小柄な背が雪の向こうに見えなくなってから、レオナルドは手に残っているフィリオラの頬の感触を確かめた。
氷のように冷え切っていたが、柔らかだった。部屋に戻ったときにもう一度触れたら、今度は温かいのだろう。
レオナルドは、走り込みをするべく駆け出した。すっかり積もった雪を蹴り上げて、息を弾ませながら駆ける。
不安と焦燥が、勝手に力を高める。やるせなさと悔しさで奥歯を強く噛み締めながら、走る速度を上げていった。
雪に包まれた旧王都は、ひっそりと静まっていた。戦争が激しくなるに連れて、人の数は目に見えて減っていた。
家々の窓は固く閉ざされていて、子供の声も聞こえなくなり、一時はあれほど目にした若い兵士達もいなくなった。
フィリオラの料理も、味は相変わらず優しいが、日に日に食材が減ってきており、スープの具がない日もあった。
雪を踏み締める自分の足音と、がしゃがしゃと剣が揺れる音、せわしない呼吸だけしか、聞こえてくる音はない。
駆けても駆けても、不安は付きまとう。そして、理不尽だと解っていながらも、ギルディオスへの戦意が高まる。
彼が、全て悪いわけではない。彼が、この状況を作ったわけではない。だが、どうしても、彼と戦いたかった。
それ以外に、焦燥を晴らす手立てが見当たらなかった。




その翌日。ギルディオスは、フィフィリアンヌの城にいた。
別に何をするでもなく、彼女の研究室にいるだけだった。ベランダに面した窓の傍に座り込み、雪を眺めていた。
大量の本が押し込められた本棚と、無数の本で出来ている本の要塞、そして、棚に並んだ魔法薬の瓶の数々。
それらに囲まれている大きな机で、フィフィリアンヌは無言で本を読んでいた。時折、紙がめくれる音がする。
ワイングラスに入っている伯爵は机の片隅に置かれていて、今は眠っているらしく、こぽ、と気泡を出した。
ギルディオスは、古びて薄汚れた窓にヘルムを当てた。こち、と金属とガラスが触れ合い、ヘルムが冷たくなる。
ベランダの奧に見える湖は空と同じく重たい鉛色をしていて、無数の白が音もなく平坦な水面に吸い込まれていく。
吹き付ける風で窓が揺れ、がたがたと鳴る。ギルディオスは、全身に染み入る寒さで、熱した魂を冷ましていた。
レオナルドから戦うよう言われた時、不謹慎にも心が浮き立った。まともに剣を振るえると思うと、楽しくなってくる。
彼の剣術はまだまだ未熟だが、素質は充分にある。そんな相手と戦うのは久々なので、余計にわくわくしていた。
こんな気分は、数十年ぶりだ。ギルディオスは組んでいた腕を解いてだらりと下ろし、石組みの天井を見上げた。
固い決意で戦おうとしているレオナルドには悪いが、純粋に楽しみだった。決闘の日が、待ち遠しくて仕方ない。
だが、これは現実逃避だ。レオナルドにとっても、そして自分自身にとっても、現実から目を逸らすための手段だ。
戦争で不安になっているのは、誰でも同じだ。フィフィリアンヌとて、顔に出さないだけで心中は穏やかではない。
挙げ句に、キースの件がある。事態の解決のためにキースを填めるとはいえ、思惑通りになるとは限らない。
キースは、最後の抵抗が恐ろしい男だ。東竜都でも、異能部隊でも、そしてジョセフィーヌの時も、そうだった。
追い詰められれば追い詰められたほど、抗う力も強くなる。だからこそ、キースへの懸念は高まる一方だった。
キャロルやグレイスの話で、リチャードが特務部隊に、実質的にキースの手中に落ちたことも気掛かりだ。
グレイスが手を貸しているといえど、戦場の最前線に出ているリチャードが、生きて帰ってくる保証はない。
そんな状況では、いくらなんでも不安になるというものだ。何度経験しても、戦争と死への恐怖は変わらない。
だから、レオナルドの気持ちは手に取るように解る。増して、彼はフィリオラと恋仲になって、まだ日が浅い。
そして、あの性格だ。怒りと焦燥を限界まで腹の内に溜め込んで方向を違えるよりも、剣を交えた方がいい。
ギルディオスは、ガントレットの手を挙げて目の前に出し、固く握り締めていると、幼い声が掛けられた。

「ギルディオス」

フィフィリアンヌは分厚い本から顔を上げずに、抑揚のない口調で言った。

「貴様らは、この城のどこで戦うつもりなのだ」

「雪が降っちまったからなぁ。そうじゃなかったら、城の前ででも戦ったんだが」

ギルディオスは上半身を傾けて、城の前を見下ろした。フィフィリアンヌは、目だけを甲冑に向ける。

「ならば、湖面でも凍らせてやろう。それでなくても貴様らは過熱しやすいのだ、延焼されては困るのでな」

「そいつぁありがてぇや」

ギルディオスは、少し笑った声を出した。フィフィリアンヌは、ぱらり、と本のページを捲った。

「しかし、無駄なことをするものだ。貴様らが剣を交えたところで、何がどうなるわけでもあるまいに」

「何にもならねぇって解ってても、やりたくなっちまう時があるんだよ」

ギルディオスは、無表情に本を読み続ける竜の少女を見上げた。

「正直、オレもやりてぇんだ。レオと」

「明らかに格下の相手と戦い合ったところで、それこそ意味などない」

「まぁ、手は抜くさ。それなりにな」

ギルディオスは壁に寄り掛かり、頭の後ろで手を組んだ。フィフィリアンヌは、本に栞を挟み、閉じた。

「しかし、ギルディオス」

「んあ」

ギルディオスが気の抜けた返事をすると、フィフィリアンヌは訝しげにする。

「なぜ貴様は、キースとは戦おうとせんのだ。ラミアンに、キースを殺すように頼んだらしいではないか。今更、何を躊躇う。ジョセフィーヌの体であろうとも、キースはキースなのだぞ」

ギルディオスは、しばらく黙っていた。虚空を見つめていたが、小さく漏らした。

「フィルは、自分の子を殺せるか?」

「何を唐突に」

フィフィリアンヌが眉根を歪めると、ギルディオスは呟いた。

「たったの一年と三ヶ月だったっつっても、ろくでもねぇ奴だったっつっても、あいつはオレの部下だったんだ。間違いなくな。そして、オレの子供だったんだよ。もちろん血なんざ繋がってないし、親子の関係なんてねぇけどよ。お前に似て全然素直じゃねぇし、根性ねじ曲がってて性悪な野郎だが、子供なんだよ。だから、殺せやしねぇ」

「愚か者が」

フィフィリアンヌは本を押しやり、頬杖を付いた。

「ただそれだけのことで、渋るというのか?」

「なら、お前は殺せるんだな」

ギルディオスが聞き返すと、フィフィリアンヌは細い足を組んだ。深いスリットから、白い太股が出る。

「ああ。私なら、躊躇なく奴の首を刎ねる。その方が、結果として奴のためになると思わんか?」

「思うね。結果としてキースを楽に出来るだろうし、これ以上罪を重ねることもなくなるんだからな」

「ならば、なぜ」

「結局よー、オレとお前の違いって、そこなんだよなぁ。同じような立ち位置で似たようなことやろうとしても、最後の最後で食い違っちまうんだよなぁ。どうやっても、オレはフィルみてぇに冷酷にはなれねぇんだよ。なりたくったって、なれやしねぇんだよな」

「それが貴様の美徳でもあるが、弱点でもあるのだ」

フィフィリアンヌが言うとギルディオスは、違ぇねや、と笑った。そしてまた、甲冑は窓の外へ顔を向けた。
雪は、しんしんと降り積もっている。止む気配などなく、世界の全てを白に染め上げて、色彩を失わせていく。
戦いに戦いを重ね、罪に罪を重ねている日々が嘘のようだ。見ているだけで、すっきりと清浄な気分になった。
だが、雪景色から目を外して現実に戻れば、また、戦いが始まる。逃れてはいけない苦しい戦いが待っている。
優しい、夢の中のような穏やかな光景だった。しかし、夢は覚める。辛辣な現実へと、戻らなければならない。
そして、戦わなければならないのだ。




二人の決闘の前夜。異形の親子は、暖炉の前に座っていた。
三○一号室の居間で、ラミアンはブラッドと共にいた。この部屋にいると、これといってやることはなかった。
時折ブラッドの勉強を見てやることもあるが、それは基本的にフィリオラの仕事であり、彼女が息子の師匠だ。
隣で床に座り込んでいるブラッドは、大分厚着をしていて動きづらそうだった。寒さが苦手なのは、父と同じだ。
ラミアンも、寒さはあまり得意ではなかった。元々、吸血鬼という種族は、体温の高い生き物ではないのだ。
見た目は人間に限りなく近い形をしているが、体の構造は魔物そのもので、どちらかといえば擬態の竜族に近い。
内臓の配置や機能は人間に酷似しているが、構造がまるで違っているので、人間ほど高い体温を持たないのだ。
高魔力で生体構造を保っているので、魂ごと魔力中枢を破壊されてしまえば、生体構造が呆気なく崩壊する。
吸血鬼が死して灰になるというのは、生体構造が一気に破損すると炭化してしまうから、灰に見えるだけなのだ。
ブラッドは魔力中枢と魂は吸血鬼のものなのだが、肉体だけが人間のものだ。なかなか、面倒な体をしている。
体の構造が懸け離れた種族同士の交わりによって生まれた息子は、最初、まともに育つかかなり心配だった。
だが、蓋を開けてみれば、なんとかなっている。物質に多大なる作用を与える魔力さえ高ければ、良いようだ。
その息子は、中級魔法の魔導書に読み耽っている。今日は雪がひどいので、ヴェイパーと遊べなかったのだ。
なんでも、ただでさえ大柄で巨体のヴェイパーが、転んで雪の中に埋まってしまったら大変だから、とのことだ。
そのヴェイパーの上官達、ダニエルとフローレンスは昼間に出ていった。何か、やることがあると言い残して。
ラミアンはその内容が少し気になったが、悪いことではないだろう、と思った。あの二人は、悪い人間ではない。
息子に注意を戻すと、ブラッドはラミアンを見上げていた。妻に良く似た、深い色合いの黒い瞳が輝いている。

「父ちゃんはさ」

「ん?」

ラミアンが仮面の顔を息子に向けると、ブラッドは床に寝そべって頬杖を付いていた。

「剣術とかってしねぇの?」

「私は魔法にしか興味がなかったからな。残念ながら、ギルディオスどののようなことは出来んよ」

ラミアンは大きな両手を上向け、軽く肩を竦めた。ブラッドは、暖炉の炎が映り込んだ銀色の仮面を見上げる。

「なー、なんで父ちゃんは戦いが無駄だって思うん? オレは、カッコ良いって思うんだけど」

「ほう。どうしてだ?」

ラミアンが尋ねると、ブラッドはにんまりと笑む。

「だってさ、凄ぇじゃん! オレ、あんなこと出来ないから、ギルのおっちゃんもレオさんも凄ぇって思うんだ」

「凄いから、好きなのか?」

ラミアンの言葉に、ブラッドは満面の笑みで頷いた。ラミアンは、暖炉の中で揺らめく炎を見つめる。

「確かに、私も彼らの技には感服してしまうよ。だがな、ブラッディ。戦うということは、それだけ痛みを得るということでもあるのだよ。私と戦い合って解っているだろうが、戦いというものは、傷付け合うものなのだ。殴られた方が痛いのは当然なのだが、殴る方はそれ相応に痛い。痛みの応酬だ。そして、その痛みが大きければ大きいほど、また与える痛みも、与えられる痛みも大きくなる。その結果、待ち受けているのは、双方の破滅だけとなる。その方法が剣であれ魔法であれ何であれ、結末は変わらないのだよ、ブラッディ。だから私は、戦いは不毛だとしか思えない。形はどうあれ、結局はただの潰し合いに過ぎないのだから」

「でもさ、おっちゃんとレオさんが戦うのはそういうんじゃねぇよ?」

ブラッドが首をかしげたので、ラミアンはそちらに向いた。

「だが、あのギルディオスどのが無益な戦いを好むとは思えない。何か、理由でもあるのだろうか」

「あるかもしれないけど、ないんじゃねぇの?」

「その根拠は?」

「ない!」

きっぱりと言い切ったブラッドに、ラミアンは可笑しげにした。

「お前がそう思っているのならそうかもしれないな、ブラッディ」

「でも、父ちゃんの言ってることも解るな。オレ、父ちゃんを殴った時、すっげぇ痛かったもん」

ブラッドは自分の手を目の前に差し出し、軽く握った。

「で、ちょっと思ったんだけどさぁ。キースって人は、父ちゃんとか母ちゃんとか色んな人を傷付けてきたけど、自分の方が痛くなったことってあるのかな」

「他人の痛みが解るような男であれば、ジョーの体を奪ったり、私を機械人形にしたりはしないだろうさ」

ラミアンは、苦みを含んだような口調で呟いた。ブラッドは、目を伏せる。

「だよなぁ…」

ぱちん、と薪が爆ぜて火の粉を散らした。ブラッドは目線を下げ、自分のまだ大きさのない手を見下ろした。
今はもう傷跡は残っていないが、アルゼンタムであったラミアンと戦ったあとは、しばらく痛みが残っていた。
青痣が出来てしまい、それが消えるまで時間が掛かった。父の言う通り、殴れば殴った分、痛みが返ってくる。
ブラッドはその痛みを思い出しながら、ぐっと手を握り締めた。だからカッコ良いんじゃねぇか、と内心で呟いた。
傷付くことも傷付けられることも厭わずに戦いに身を投じているギルディオスの後ろ姿には、重みがあるのだ。
異能部隊だけでなく、様々なことから逃げ出さずに、その背に剣と共に背負っている。戦士と言うに、相応しい。
一時期は実の父のラミアンよりも父らしいと思っていた時もあるし、彼の罪を知った今も、尊敬の心は変わらない。
ブラッドは、明日の戦いが楽しみだった。ギルディオスが戦う姿も、レオナルドの剣術も、どちらも凄いからだ。
ますます、強くなりたくなった。魔法の勉強が一段落付いたら、ギルディオスに頼んで剣の扱いを教えてもらおう。
二人のようにはいかないかもしれないが、やるだけやってみたい。ブラッドは魔導書を閉じると、体を起こした。
出窓は白く曇っていて、外の闇が柔らかく見えた。レオナルドは先程帰ってきたが、ギルディオスはまだだった。
雪は、降り止まない。





 


06 3/12