ドラゴンは眠らない




割に合わない仕事



ブラッドは、必死に逃げていた。
気を張って泣き出したいのを堪えながら、手の上に光球を作る。魔力の固まりのようなそれを、背後に投げた。
どぉん、と衝撃音の後、すぐ後ろの黒が仰け反る。竜の形をした黒いスライムは姿勢を戻し、翼を広げた。
精一杯マントで作った翼を動かして、出せる限りの速度を出して間を開けていくが、数歩でそれは詰められた。
悠長な動きで歩く竜の形のスライムは、逃げ惑うブラッドの背後にぴったりと付き、投げられる光球を受ける。
ブラッドは一度体を反転させ、高度を上げた。すぐ真下にいる黒いスライムは、じっとこちらを見上げている。
単眼のようになっている白い魔導鉱石が、光を強めていた。ブラッドは荒くなった息を整え、汗ばんだ額を拭う。

「なんでだよ」

ぼやいたが、声に覇気はなかった。後方を窺うと、地上ではフィリオラが杖で地面に溝を作りながら歩いている。
その姿は元に戻っていて、翼は消えており、ツノも髪も普段通りだ。魔法で成らした野原を、杖の先で削っている。
草を刈られたような状態になった草原には、巨大な二重の円があった。彼女は、その中心に六芒星を描いている。
上から見ていると、その速度が遅いことが嫌でも解る。少女は六芒星の最後の線を引いていたが、立ち止まった。
えーとー、などと呟きながら空を仰ぎ、首をかしげている。ブラッドはどうしようもなく苛々してきて、歯噛みした。
黒いスライムに注意を戻すと、首を突き出してきていた。ぐばりと大きく口を広げ、長い舌を伸ばしてくる。
ブラッドは慌てて飛び退いて上昇し、両の拳を強く握った。大分減ってきた魔力を絞り出し、拳に力を込み上げる。
握っていた手を開くと、最初の頃よりも一回り縮んだ魔力弾が生まれた。黄色い光を放つ球を、真下に投げる。

「こんのやろう!」

真っ直ぐに投げられた光は、黒いスライムの舌へと当たった。だが、炸裂することはなく、喉の奧に滑り落ちる。
ブラッドの魔力を腹へと納めたスライムは、ごきゅりと喉を鳴らした。満足げに、口元を長い舌で嘗め回す。
彼女への苛立ちと全身の疲労の中で、ブラッドは、先程に空中でフィリオラと行ったやり取りを思い出していた。
結局、フィリオラに逆らえず、囮となってしまった。竜の気配もさることながら、あの状態の彼女には逆らいがたい。
彼女が言うには、この黒いスライムはブラッドの魔力と相性が良いらしい。なので、追いかけているのだそうだ。
囮の役割は何も自分でなくても良いのでは、と一応意見したが、フィリオラに鼻で笑われ、簡単に論破された。
小父様に魔力があったら考えないでもないですけど、小父様には魔力が欠片もないんですから無理なんですよ。
それに私が囮になったら、誰が魔法陣を描いて誰が魔法を発動させて誰がスライムを片付けるんですかねぇ。
出来ませんよねぇブラッドさんあなたには。出来るはずがないですよねぇ魔法陣を描いて魔法を操るなんて。
ねーえ、と何度も強調され、ブラッドは頷いてしまった。脅されたのと変わらないじゃないか、と今更思った。
そしてブラッドはフィリオラに命ぜられるがまま、黒いスライムの囮となり、空中戦を繰り広げているのである。
全ての元凶である黒いスライムを睨んでいると、表面の艶の色が変わった。光沢を失い、氷のように硬化する。
滑らかだった翼も固まっていき、ばしり、と皮が張り詰められた。ツノの先まで固まると、うにゅりと舌を伸ばす。

「うげ」

ブラッドが身を引くと、黒いスライムは太い牙の並ぶ口を大きく広げた。喉の奥まで見え、その底に水がある。
やばい、とブラッドが思った瞬間、冷たい痛みが全身に押し寄せた。汚水の放射が、易々と少年を押し上げる。
なんとか空中に留まろうとしたが、無理だった。圧倒的な力の流れに押されるうち、マントの変化が解けた。
ただの濡れた布と化したマントが、落下と共に背中に貼り付いた。再び変化を起こそうとしたが、力が湧かない。
目を開こうとしたが、疲労と汚水で視界が霞む。姿勢を戻そうとしてもそれだけの余力すらなく、落ちていく。
ひゅるひゅると耳の脇で風を切る音がしていたが、背中に柔らかく生温い衝撃が当たると、風音は消えた。
腕から足から頭まで、ずぶずぶと容易く沈んでいく。気を失う寸前に見えたのは、白い魔導鉱石だった。
ああ、喰われた。ブラッドはそう感じたが、次の瞬間に、意識が飛んだ。


魔法陣を描く手を止め、フィリオラは顔を上げた。
黒い竜の形のスライムの動きが、止まっている。空中に噴き出されていた水も止まり、少年の姿もない。
得意げに頭を反らしている黒いスライムは、一度吼えた。フィリオラのそれを真似た咆哮は、どこか嬉しそうだ。
額に埋まった白い魔導鉱石は光を増し、硬化した表面を淡い光が舐めている。フィリオラは、後方に向いた。

「小父様ー。ブラッドさん、喰われちゃいましたー」

「早くしてやれよ。いくら吸血鬼ったって、あんな中に長いこといたら死んじまう」

巨大な魔法陣からも大分離れた位置にいるギルディオスは、何度も吼えている黒い竜のスライムを仰ぎ見た。
ブラッドから得た魔力で、すっかり姿形が変わっていた。もう、堀に詰まっていたスライムとは思えない外見だ。
背中の二枚の翼は風を孕めそうだし、ふにゃふにゃしていた牙は鋭くなっている。魔力で、自己進化している。
空気を震わす咆哮には、一定の波がある。それに覚えがある気がしたが、ギルディオスは考えないようにした。
疑ったら確信になる。首を振ってその思考を払拭したギルディオスは、髪を縛っていない彼女の背に向いた。

「んで、フィオ。お前、どうやってこいつを片付けるつもりだ?」

「えーとですね、最初の予定で行こうと思います」

かなり拡大した魔法文字を書いていたフィリオラは、ギルディオスに振り返り、黒いスライムの額を指す。

「あの魔導鉱石はまだ使えるみたいですから、使わない手はありません。ですけど、ちょっと問題が」

「なんだよ」

「小父様が囮になって、あのスライムを、この魔法陣の中に誘い込んでくれませんか? 他の適当な魔法を使って誘い込めれば、それでいいんでしょうけど、そうも行かないんです。この魔法、魔法陣を拡大してありますから、この魔法を発動している最中に他の魔法を使うと、魔力値の均衡が崩れて、上手く発動出来なくなってしまいます。そうなったら、もう一度この魔法を発動させなくてはいけませんが、それには時間が掛かります。ですけど、そんなことをしていたら、ブラッドさん、溺れちゃいます」

情けなさそうに、フィリオラは眉を下げた。ギルディオスは魔法陣を一瞥してから、スライムを見上げる。

「仕方ねぇな。オレの銃、突っ込んできたか?」

「一応入れてきました。弾は七番の雷撃と八番の氷撃が半分ずつ入ってます」

ギルディオスに返したフィリオラは、次の魔法文字を書き始めた。ギルディオスはカバンを下ろすと、蓋を開けた。
魔法薬の瓶を押し退けて、魔導拳銃の入ったホルスターを取り出す。ホルスターから銃を抜くと、立ち上がる。

「手ぇ貸さねぇつもりだったんだがなぁ」

ギルディオスは魔導拳銃の弾倉を出し、じりっ、と回した。七番、と弾丸の底に書かれた鉱石弾を一番上にする。
弾倉を戻してハンマーで固定させ、銃口を上げた。腕を伸ばして構え、気持ちだけ目を細めて照準を合わせる。
銃身の先端に付けられた照準器の向こうには、高笑いするかのように吼える竜の形をした黒いスライムがいる。
硬く張り詰めた肌、骨張っている関節、鋭い牙の伸びた口、立派な太さの首などを見ていたが、舌打ちした。
どこにブラッドがいるのか解らない。彼の服が黒なので馴染んでしまったこともあるし、なにより気配が掴めない。
魔力が残っていたら少しだけでも解ったかもしれないが、今のブラッドは魔力を使い果たしてしまっている。
いい加減に狙撃したら、ブラッドまで撃ち抜いてしまう。ギルディオスは躊躇しながらも、軽く引き金を絞った。
きち、と引き金が金属の指と擦れる。ギルディオスはフィリオラに目線を向けたが、彼女は魔法陣に集中している。
あの状態では、フィリオラにブラッドの位置を感知してもらうのは無理だろうし、魔法陣が未だに未完成だ。
さて、どうする。ギルディオスは魔導拳銃を下ろすと弾倉を開き、中に入れてある鉱石弾を確かめた。
弾倉の右半分には、青い魔導鉱石で作られた氷撃の弾丸。左半分は、黄色の魔導鉱石で作られた雷撃の弾丸。
氷撃が水流であったなら、使えたかもしれない。勢いを弱めて発射させれば、スライムを誘き寄せられるだろう。
だが、どちらも本格的な攻撃に使う鉱石弾だ。対魔物用なので威力も強いし、殺傷能力は有り余るほどある。
どの弾丸も、魔力の固まりから魔法を生み出している。魔法陣で制御をしていない、荒々しい力そのものだ。
ふと、そこでギルディオスは思い付いた。弾倉を傾けて手の中に鉱石弾を落とすと、じゃらっ、と握り締める。
これが魔力そのものならば、充分餌になるはずだ。囮になる、ということと、攻撃を混同して考えてしまっていた。
ただ引き寄せるだけであれば、別に撃つ必要はない。ギルディオスは数歩踏み出ると、巨大な魔法陣を見渡した。
フィリオラは、書き始めた場所に戻りつつあった。あと数文字で魔法陣は完成する、といった様子だった。
ならば、間に合うだろう。ギルディオスは内心でにやりと笑いながら、魔法陣の中心に向かって駆け出した。

「来やがれ単純生物!」

ギルディオスの声に反応し、黒いスライムは振り向いた。ギルディオスは走りに走って、二重の円の内側に向かう。
巨大な六芒星の中心で立ち止まると、右手を掲げてみせた。六つの鉱石弾を高々と突き出し、甲冑は叫んだ。

「てめぇは力が欲しいんだろう! だったら、喰わせてやらぁ!」

そぉらよっ、とギルディオスは鉱石弾を空に放り投げた。黒いスライムは翼を広げると、空気に強く叩き付けた。
強烈な風が過ぎると、黒い影が浮かんでいた。竜の形をした闇はギルディオスの頭上に浮かび、首を突き出す。
大きく口を開いたかと思うと、ちかちかと輝いていた六つの石をくわえ込んだ。どぶっ、と水音がし、汚水が散る。
黒が、空を覆い尽くした。ギルディオスは腰を落として足を踏ん張ると、真上に振ってきた首を受け止めた。
圧迫感のある粘液の中に、ずぶずぶと腕が埋まっていく。硬くなったと思っていたが、見た目だけだったようだ。
ギルディオスは黒いスライムの首に両腕を埋めながら、フィリオラを窺った。彼女は、最後の文字を書いている。

「早くしろぉ!」

「あー、はい。出来ました」

顔を上げたフィリオラは、がりっ、と杖を地面から外した。魔法陣の中では、巨大な黒い竜が居座っている。
鉱石弾を咀嚼しているらしく、もごもごと顎を動かしている。その奧の首の下では、銀色の甲冑が踏ん張っていた。

「だーから、さっさと発動させろっての!」

ギルディオスは首まで埋まりながら、彼女を急かした。フィリオラは杖を振りかざし、魔法陣に突き立てた。

「はーい」

ひゅお、と二重の円の内側で風が巻き起こった。横たえられた草を揺さぶりながら、弱い流れは上り詰めていく。
フィリオラは一度目を閉じてから、開いた。杖を握る手に力を込めると、黒い竜の額に埋まる白を見据える。

「万物に漲りし、万物を司りし、万物を戒めし力よ! 我が言霊の支配を受け、我が言霊の従者となれ!」

黒い竜が、動きを止める。風は一気に強さを増して、スライムで出来た翼や尾をぶるぶると震わせる。
少女の叫びに合わせて、黒い竜の単眼となっていた白い魔導鉱石は光を強め、閃光を放ち始めた。

「彼の者を繋ぎ止めし魔性の漲りを、魔性の石へと流れを変えよ! 力は、力と共にあるべし!」

白い光が、影を消した。一瞬、凄烈な閃光が辺りを満たしたがすぐに消える。そして、黒は形を失い始めた。
ツノが歪み、牙がずり落ち、顎が伸び、首が崩れ、胴体を支えていた四本の足は壊れ、胴体は地面に広がった。
でろでろと、黒々とした海が野原を満たす。魔法陣の六芒星を完全に覆い尽くし、固体は液体と化していった。
最後の名残だった尾も崩壊し、流れ落ちた。徐々に平たくなっていくどす黒い粘液の中に、何かが突出している。
水を含んで艶を増した黒いマントを背中に貼り付けた少年と、ぐったりと俯せに倒れている大柄な甲冑だった。
フィリオラは杖を抱えると、ばちゃばちゃとスライムの海を蹴散らしていった。甲冑の元に、駆け寄る。

「小父様ぁー、大丈夫でしたかぁー?」

よろけながら起きたギルディオスは、フィリオラを手で制した。フィリオラが立ち止まると、ヘルムを開ける。
そこから、大量の黒いスライムが溢れ出した。体を少しでも動かすと、関節という関節から液体が流れ出してくる。
首を回して頭を外したギルディオスは、前屈みになって胴体に入っていたスライムを出していった。力なく、呟く。

「大丈夫なもんか…。体ん中、ぐっちょんぐっちょんで気持ち悪ぃに決まってんだろ」

腕も外して、黒い液体を足元に落とした。ギルディオスは外した方の腕で、倒れている少年を指す。

「オレよりも、あっちの方がやばいだろ。いくら気ぃ失ってたつっても、ちったぁ飲んじまったはずだ」

「あ、じゃあ、魔法薬がいりますね」

服を探ったフィリオラは、青い薬液の入った小瓶を取り出した。

「簡単な解毒剤ですけど、ないよりはマシでしょうから」

フィリオラは魔法薬入りの小瓶を握り、ブラッドに駆け寄っていった。少女の後ろ姿を見送り、甲冑は肩を落とす。
辺りは、ひどいことになっている。魔法陣の中と言わず外までも崩れたスライムが流れていて、異臭を放っている。
工業廃水と廃油をそのままぶちまけたのと同じであるから、浄化するには手間と時間と金が大分掛かりそうだ。
ギルディオスはげんなりしつつ、ブラッドを起こすフィリオラに体を向けた。もっとも、本当に大変なのは彼女だが。
フィリオラはブラッドを揺さぶっていたが、口を開かせた。小さな牙の生えた歯をこじ開けて、口中に指を差し込む。

「えいっ」

ぐいっと、ブラッドの舌は押し込まれた。いきなりの異物感と嘔吐感に目を開いたブラッドは、咳き込んだ。
激しく咳き込みながら、黒いスライムの混じった消化途中の内容物を吐き出した。全て吐き出すと、体を起こす。
吐瀉物とスライムで汚れた口元を拭いながら、フィリオラに向いた。彼女は、ブラッドの舌を押さえた指を拭った。

「吐き出させるにはこれが一番ですから」

ぐいっと乱暴に口元を拭ったブラッドは憤りながら、彼女に詰め寄る。

「いきなりなにすんだよ!」

「私を責める前に、何か言うことがあるんじゃないですか?」

そりゃ私にも責任はありますけど、とフィリオラは言いながら、ブラッドの口に小瓶を押し当てて傾けた。
強引に喉に流し込まれた甘い薬液を、ブラッドは無理矢理飲み下した。そして、黒い海と化した周囲を見渡した。
考えるまでもなく、こんなに大事になってしまったのは自分のせいだ。ブラッドは項垂れると、小さく呟いた。

「…ごめんなさい」

「人の目を見て」

「ごめん、なさい」

ブラッドは、フィリオラの青い目を見上げた。フィリオラは、よろしい、と頷くとハンカチを出して彼の頬を拭う。

「これに懲りたら、勝手なことはしないことです。魔法は便利で使い勝手のいい技術ですが、使い方を間違えば今回みたいにえらいことになっちゃうんですからね? それと、いくら人間じゃないからって、タカを括らないこと。私達のような人でない人でも、死んじゃう時は死んじゃうんですからね? 何事も過信は禁物ですよ、ブラッドさん」

「続き、後にして…」

フィリオラの小言を聞き流しながら、ブラッドはぐらりと上体を傾けた。魔力を消耗しすぎてしまい、力が入らない。
人の姿を維持しようとしたが、無理だった。手や足はあっけなく縮み、視界は狭まり、体が変化していくのが解る。
中身のなくなった黒服の袖や足が潰れ、マントは崩れた。黒い液体に広がる黒に、ぺちゃっ、と灰色が落ちた。
ブラッドのいた空間、黒服の襟元に、身を縮める小さなコウモリがいた。硬く目を閉じて、僅かに震えている。
フィリオラはブラッドが変化したコウモリをそっと両手で包むと、濡れそぼった灰色の毛を指先で撫でてやった。

「仕方ありませんね。今は、ゆっくり休んで下さいね」

「やれやれ、だ」

ギルディオスは外していた腕を元に戻すと、足元に落ちていた白い魔導鉱石を拾った。輝きは、強さを増している。
がしゃり、と首を押し込んで繋げてから、白い魔導鉱石を握り締めた。野原の遥か遠くで、役人が突っ立っている。
何をどうしたらいいのか解らないらしく、曖昧な表情を浮かべている。ギルディオスは、彼に心底同情した。
こんなにスライムに大暴れされた上に土壌に汚水をぶちまけられてしまっては、損害は依頼金など軽く上回る。
魔導師協会からの援助金にも限界があるし、増して、行政は更に制限が掛かる。すぐには浄化出来ないだろう。
ギルディオスは粘ついているヘルムを手で拭ってから、そっとため息を漏らした。そして、内心で呟いた。
大赤字だ、と。




一週間後。フィリオラは、泣きそうになっていた。
自室の居間で食卓に座り、魔導師協会から届いた報告書の受取状と通知状を目の前に並べ、肩を落としていた。
通知状は、先日の大失態に関する処分を書き記してあった。冷徹な印字機の文字で、文章が連ねてある。
フィリオラの向かいに座っているブラッドは、肩を縮めていた。罪悪感と情けなさで、目を伏せてしまっている。
力なく丸められたフィリオラの背を、ソファーに座って見ていたフィフィリアンヌは、冷ややかに弁舌した。

「通知状。フィリオラ・ストレイン女史。先日の魔導商用に関する失態の報告書を受け取り、魔導師協会役員による会議にて、貴殿への処分を決定した次第であり、本状にて貴殿の処分を通知する。魔導師協会規則第一条一節、魔導師免許を有する魔導師は、魔導商用行為の際には原則として共和国法魔導師免許規則に従う義務がある、魔導師協会規則第三条二節、魔導商用行為の最中に土地及び建物に必要以上の損害を与えてはならない、共和国法魔導師免許規則第一条二節、無免許者を魔導商用行為に関与させてはならない。以上の規則に違反したとみなし、本日付より、貴殿の魔導商用を三ヶ月間の謹慎処分とする。尚、貴殿の報告書の状況から判断するに、共和国法魔導師免許規則第一条二節違反行為に関しては止む終えなかったと認識し、特例として国家警察への通達はしないが、再びこのような失態を起こした場合には、国家警察へ通達するものとする。損害賠償の総額は別紙に記載してあるので、そちらでご確認頂きたい。魔導師協会会長、ステファン・ヴォルグ」

「要するに?」

暖炉の前に座るギルディオスは、ソファーを一人で陣取っているフィフィリアンヌを見上げると、少女は返した。

「今回は見逃してやるが次はない、だ」

「てか、なんで中身知ってるんだよ」

通知状とフィフィリアンヌを見比べ、ブラッドが怪訝そうにする。フィフィリアンヌは、組んだ足の上に本を広げる。

「横から見ただけだ。印字機の文面は読みやすいのでな、覚えやすいのだ」

ブラッドは不可解そうにしていたが、それ以上問わなかった。フィリオラの前にある通知状に、目線を戻す。

「つうかさ…あれだけの大事になっちゃったのに、よくもまぁ、それだけで済んだよな…」

「私が書くはずの報告書を、大御婆様が勝手に書いて勝手に出してしまいましたから…」

そろそろと顔を上げたフィリオラは、背後のソファーに伯爵の入ったフラスコと共に座る竜の少女に向いた。

「なんで、あんな報告書を書いてしまわれたんですか。ブラッドさんの不用意な攻撃でスライムが活性化して増殖の挙げ句に暴走しました、って報告をするはずでしたのに、偶然通りかかったブラッドさんがうっかり魔力入りの魔導鉱石をスライムに落として活性増殖させちゃいましたー、ってなんですかそれ。嘘もいいところじゃないですか」

しかも私の筆跡をそっくり真似ていましたし、とフィリオラは不愉快げにした。ギルディオスは、半笑いになる。

「だがこの通知状にゃ、役人の証言がまるで書かれてねぇんだよな。フィル、お前がどっかで潰したろ?」

「いや。あちらの方からなんとかしてくれと頼まれたのだ」

フィフィリアンヌは分厚い本のページをめくりながら、目線も上げずに答えた。

「フィリオラに仕事を頼んだ役人が、私に泣き付いてきたのだ。あれほどの大事を起こしてしまった魔導師を雇ったと知れれば首を切られる、と懇願されてな、事実の改ざんとスライムの除去と土壌浄化を十万ネルゴで依頼されたから請け負ったまでだ」

「大人ってやつぁ…」

居たたまれなくなり、ブラッドは顔を背けた。フィフィリアンヌは、ちらりと隣のフラスコに目をやる。

「まぁ、原因がこちらにあるのだから、金をもらう必要はなかったのだが、もらえるものはもらう主義でな」

「あ、やっぱ? 途中から、ありゃ伯爵の眷属じゃねぇかなーって思ってたんだよな」

ギルディオスは、ごぼごぼと泡立つスライムの入ったフラスコを指した。伯爵は、先程から一言も喋っていない。
フィフィリアンヌの赤い瞳が、ガラスの球体に納まっている赤紫を捉える。伯爵はびくりと波打ち、泡を止めた。

「い、いや、違うのである! 我が輩ではない、断じて我が輩ではない! 我が輩はただ、この女に言われて肉体の一部を切り離しただけであり、あのように大増殖させるつもりは毛頭なかったのであるぞ!」

「あなたのせいですか伯爵さん」

抑揚なく、フィリオラが漏らした。フィフィリアンヌは素知らぬ顔で、あらぬ方向を見上げる。

「出来心だ。先日、ここから帰る際にふと思い立って、この軟体生物を千切って堀に放ってみたのだが、まさかああいう結果になるとはな。伯爵の一部が、汚染された水によって化学反応を起こし、突然変異でもしたのやもしれん。いや、面白いな」

「う、あ、うあぁぁん…」

フィリオラは、テーブルに倒れ込んだ。べしゃっ、と通知状の上に顔を突っ伏してしまう。

「すいません泣いていいですか。ていうか、誰を恨むべきなんでしょうか、この場合」

「とりあえず、全員恨んどいてみたら?」

ギルディオスの投げやりな提案にフィリオラは、あーそーですねー、と脱力し切った様子で返事をした。
泣き出す気力もなくなって、フィリオラは黙り込んでしまった。ブラッドは次第に罪悪感に苛まれ、深く俯いた。
ギルディオスは足元に横たえていた魔導拳銃を取ると、弾倉を出した。手の中から鉱石弾を出し、装填する。
かちり、かちり、かちり、と赤い魔導鉱石で出来た弾丸で六つの穴を埋め、じゃきりと弾倉を銃身に戻した。
その作業を見ていたフィフィリアンヌは、僅かに吊り上がった目を細めた。幼い声は感情がなく、平坦だった。

「ニワトリ頭」

「んだよ」

「暇があれば、城に来い。私もやることがないのでな」

「その気になったらな」

素っ気なく返し、ギルディオスは魔導拳銃の銃身に布を当てた。くたびれた布で、黒光りする武器を磨いている。
テーブルに伏せたフィリオラは、ギルディオスの素っ気なさが気になったが、すぐに思考から外れてしまった。
今は、それどころではない。フィフィリアンヌの仕業で魔導師協会からの処分は軽減されたが、処分は処分だ。
なるべく見ないようにしていた賠償請求書に、恐る恐る目線を向けた。細々とした請求の最後に、総額がある。
総額、二十五万ネルゴ。どれだけ働けば返せるのだろう、とフィリオラは深い絶望感に襲われ、項垂れた。
この失態で今後の仕事に差し障りが出ることは間違いないし、なにより、仕事がなければ収入もなくなってしまう。
そして、この失態をどれほどレオナルドになじられることか。フィリオラは、想像しただけで胃が痛くなってきた。
フィリオラは顔の方向を変えて、三○二号室と三○一号室を区切っている扉に向く。幸い、まだ彼は帰っていない。
このままレオさんが知らないでいますように、と内心で願いながら、フィリオラはきりきりと痛む胃を押さえた。
何もかも、仕事の割に合わなかった。




過ちは過ちを呼び、力は力を求め、代償は代償を生む。
ただの一つの出来心から、ただの一つの過信から、物事は増殖する。
そしてそれは、竜の末裔の胃をひたすらに痛め付けていた。

代償を被る方は、堪ったものではないのである。







05 11/1