ドラゴンは笑わない




仮面舞踏会




ばん、と突然、正面の扉が全開になった。
途端にざわめきが静まり、人々の視線がそちらに向かう。カインも、必然的にそちらに振り向いた。
開け放たれた扉の間で、ギルディオスが大きな袋を担いで立っていた。その中身は、一万五千枚の金貨だ。
いきなり注目されてしまい、彼は戸惑っているようだった。とりあえず、がちゃりと袋を足元に置く。

「…えー、と。何?」

「こいつだぁ!」

廊下側から、振り絞るような絶叫が響いた。それは、扉の反対側を守っていた槍の男だった。
駆け出てきた槍の男は、ひゅおん、と槍をギルディオスに突き付けて構えた。そして、もう一度叫んだ。


「こいつが、フィフィリアンヌ・ドラグーンだぁ!」


「…は?」

がしょり、とギルディオスは首をかしげた。状況が全く把握出来ず、何がなんだかさっぱり解らなかった。
奥に見える壇の前で、なぜか倒れているフィフィリアンヌとカインを見つけたが、カインは必死に頷いていた。
カインは何かを言いたいようだったが、口が動いていないので解らない。ギルディオスは、ヘルムを掻く。

「オレが、フィル? えと、それってどういう」

「お黙りなさい、ドラグーン!」

張りのある女の声が、空気を震わせる。こん、とシルフィーナは床に舞い降り、姿勢を正した。
シルフィーナはつかつかと歩きながら、近くのメイドから細長く装飾の多い杖を受け取り、向かってきた。
逃げることも否定することも出来ず、ギルディオスは突っ立っていた。女が近付くにつれ、血の匂いが濃くなる。
呆然としているギルディオスに、金色の杖が突き出された。シルフィーナは、もう一方の手で後方を指す。

「あなたがあの子を操り、私を罠に填めようとしたことは解っていましてよ!」

絹に包まれた指先が示したのは、卒倒しているフィフィリアンヌだった。カインは、苦笑いしている。
ギルディオスは、ようやく事態を察した。これは全て、フィフィリアンヌの策略なのだ。

「いや、むしろオレが罠に填められているような」

「卑しい竜族のくせに、私に口答えするおつもり?」

「いや口答えっていうか、オレは別にドラゴンでもなんでもない、ただの剣士で…」

と、ギルディオスは一応否定した。すると、槍の男が絶叫気味に叫ぶ。

「嘘を吐くな! お前、さっき、竜族の眷属だとか血がどうとか言っていたじゃないか!」

「うへぇ…」

ギルディオスは溜まらなくなり、ヘルムを押さえた。これ以上、言い訳するのは無駄のようだった。
変な笑い声が出そうなのを押さえながら、伯爵に小声で問いかける。腰のフラスコは、大人しかった。

「おい伯爵、やっぱりこいつもフィルのせいか? ていうかあんたのせいだろ」

「はっはっはっはっは。ようやく気付いたか、ニワトリ頭よ。我が輩は、ああ言うように指示されていたのでな」

こぽん、とスライムは細かな気泡を吐き出す。伯爵は、少々自虐的に答えた。

「そうとも。我が輩達は、囮として利用されているのである。フィフィリアンヌ・ドラグーン、本人にな」

「証人がいるのであれば、話は早いですわ」

かしゃり、とシルフィーナは重たそうな杖を構えた。ギルディオスは後退したが、背後に槍が突き出される。
マントに槍の穂先が当たりそうになり、ギルディオスは小さく肩を竦めた。これでは、剣も抜けない。
お前のせいかよ、と恨みを込めてフィフィリアンヌを睨んだ。彼女はカインに縋り付いていて、顔を伏せていた。
どうやら、無視を決め込んでいるようだ。文句は後で言おう、とギルディオスはげんなりしながら思った。
下手に抵抗してフィフィリアンヌ本人が怪しまれたら、元も子もない。ギルディオスは、後ろ手に背後の槍を掴む。

「…ばれたのなら仕方ねぇ」

「棒読みであるぞ、フィフィリアンヌよ」

「うるせぇやい!」

伯爵に言い返しながら、ギルディオスは槍をぐいっと引き寄せる。下に押して少し抜き、手首を返して上へ突く。
どん、と手応えがあった。横目に槍の男を見ると、喉元を突かれて息を詰まらせていたが、どさりと倒れた。
引き抜いた槍を、後方に放り投げてから、ギルディオスは体勢を整える。戦う羽目になりそうだった。
目の前に杖を突き付けているシルフィーナから距離を開けつつ、背中に手を回す。ずっ、と剣を抜いた。

「オレはなぁ、爬虫類と芝居と読み書き計算だけは苦手なんだよ!」

「こらこら、フィフィリアンヌの一人称は私であるぞ、わたし」

「だったら伯爵、お前がやれよ!」

バスタードソードを構え、ギルディオスはじりじりと廊下に出た。左右を窺うと、守衛達が攻撃の準備をしていた。
杖を下ろしたシルフィーナは、ギルディオスの前に悠然とやってきた。余裕を見せつけるかのように、笑う。

「さあ、どうなさいますの、フィフィリアンヌ・ドラグーン?」

シルフィーナの唇の端が、上向いていく。

「逃げないのであれば、私があなたを狩りましてよ?」

「出来るもんならな。出来ねぇだろうがよ」

へっ、と笑い声を洩らし、ギルディオスは壁際まで身を下げた。動くにつれて、守衛達は距離を詰めてくる。
ギルディオスが剣を持ち直す音が、いやに響いた。それが合図であったかのように、彼らは飛び出してきた。
目の前に、高々と斧が振り上げられる。ギルディオスがしゃがんだ直後、どごん、と頭上の壁に刃が埋まった。
ギルディオスは素早く身を引き、斧の男の下から脱した。だがすぐに、別の剣士が斬り掛かってくる。
頭目掛けて、細身の剣が振り下ろされてくる。ギルディオスはバスタードソードを上げ、ぎん、と受けた。
その剣を押しながら中腰に立ち上がり、片足を前に出した。剣士はもう半歩踏み込もうと、足を僅かに浮かせた。
ギルディオスは相手の足が浮いた途端に、前に出した足で蹴って転ばせ、剣を振り抜いて弾き飛ばした。
強引に後退させられた剣士は、がしゃり、と守衛達の間によろけながら下がった。ギルディオスは、剣を構え直す。

「馬鹿が。力の差ってやつを考えろ」

ギルディオスはひょいと身を引き、片足を前に出した。すると、後方から突っ込んできた戦士が引っかかった。
勢いが止まらなかったのか、戦士は、べしゃり、と盛大に顔から転んだ。ギルディオスは、うわー、と漏らす。
ギルディオスは壁を背にしながら、足元に転んでいる戦士を掴んだ。都合の良いことに、気を失っている。
戦士の襟首を掴んで持ち上げ、シルフィーナに投げた。きゃっ、と彼女は避けたが、足が衣装に引っかかった。
走ろうとしたが、スカートの下で足がもつれ、床に倒れ込んでしまう。がらん、と手から落ちた杖が転がる。
シルフィーナに歩み寄ったギルディオスは、彼女を立たせ、抱えた。どうせなら、悪に徹しようと思った。

「さっさと道を空けな。でなきゃ、こいつの血ぃぶちまけるぞ!」

じゃきり、と太い剣がシルフィーナの首筋に当てられる。守衛達は、困惑気味に顔を見合わせている。
大方彼らは、ドラゴン絡みの仕事だと聞かされていなかったのだろう。士気はあるが、威勢は鈍い。
要するに、恐れているのだ。ドラゴンかもしれないギルディオスを前にして、戦意が喪失しているらしい。
そうなってしまえば、もうこっちのものだ。ギルディオスはシルフィーナの首に、刃を押し当てながら考えた。
シルフィーナを前に出して盾にし、ギルディオスは左右を一度見比べた。どちらが出口に近いか、思い出す。

「それともなんだ、全員、オレに喰われてぇのか! あん!」

先程、正門へ出るために通ったのは右側だ。ギルディオスはかちりと剣を動かし、右側を睨み付ける。
守衛達は掲げていた武器と構えを、少し緩めた。ギルディオスは内心で、にやりと笑う。

「いよぉーし、良い子だ」

壁沿いに横歩きし、ギルディオスは右側の廊下へと向かっていった。じりじりと間合いを開け、進んでいく。
怯え切って抵抗もしないシルフィーナをなんとか歩かせながら、ギルディオスは、廊下の暗がりに入った。
本館に繋がる渡り廊下を、重たい足音が通る。ギルディオスは闇の中を進みながら、剣を握る手に力を込めた。
がしゃん、と途中で足を止めた。遠くに見える大広間への廊下が、ぼんやりと薄黄色く光っていた。
甲冑の足音が消えると、シルフィーナの震える吐息が聞こえた。がちがちと歯が鳴り、声にならない声が出ている。
ギルディオスは、シルフィーナの首筋から剣を外した。胴を抱えていた手を放すと、力なく座り込んでしまった。
必死に逃げようとしているのか、力の入らない手で床を這い、肩を震わせる。しきりに、しゃくり上げていた。
今、殺そうと思えば殺せる女だ。ギルディオスは、白竜の血の匂いと、その時に感じた衝動を思い出した。
だがあれは、今にして思えば、自分の感情ではない。むざむざと殺されてしまった、あのドラゴンの感情なのだ。
かちり、とギルディオスが剣を持ち直すと、シルフィーナは小さく悲鳴を上げた。嗚咽に、言葉が混じる。


「…さぁいで、おねがい、ころさないでぇ」


泣きじゃくっているせいで、その言葉は明瞭ではなかった。それでも、充分に内容は解った。
シルフィーナの言葉に、ギルディオスは強い怒りを覚えた。目の前の女の身勝手さに、腹が立った。

「殺すなだとぉ!?」

シルフィーナは、何度も何度も頷く。ギルディオスは、怒りのままに叫んだ。

「何を都合の良いこと言ってんだ! じゃあ聞くが、お前は、あのドラゴンがそう言ったら殺さなかったか!?」

おずおずと、シルフィーナは首を横に振る。ギルディオスは、だん、と剣を床に突き立てる。

「そうだろうなそうだろうさ! あのドラゴンが口を開けた途端に、喋ろうとした途端に攻撃したんだからな!」

剣から手を放し、ギルディオスはシルフィーナの襟元を掴んだ。勢い良く、ぐいっと引き寄せた。
目の前に迫った無機質なヘルムから、必死にシルフィーナは顔を逸らす。だが、ギルディオスはそれを許さない。
シルフィーナの襟元を何度か揺さぶりながら、ギルディオスはのしかかるように顔を寄せる。

「しかもなんだ、あんなガキの死体に馬鹿みてぇに高い値段付けやがって! 情けないと思わねぇのか!」

がくがくと震え続けるシルフィーナを、ギルディオスは床に放り投げた。床に、どさりとスカートと髪が広がる。
ずしゅり、と床に突き立てたバスタードソードを抜き、肩に担ぐ。怯えた女の横顔を、強く見据えた。

「貴族だかなんだか知らねぇが、恥を知りやがれ! 遊びで殺される方は、溜まったもんじゃねぇんだからよ!」

けっ、とギルディオスはシルフィーナに背を向けた。少し歩いたが、立ち止まった。
腰のベルトに下げた物入れを開け、中から布の包みを取り出した。それを、じゃりんと床に放った。

「守衛の報酬、返すぜ。あんたの金なんざ、受け取りたくもねぇ」

床には、こぼれ落ちた金貨が輝いていた。ギルディオスは、その光と、泣き伏せるシルフィーナを見た。
殺されるかもしれない恐怖で、次から次へと涙が床に落ちていた。美しかった化粧も崩れ、髪も乱れている。
シルフィーナの胸元に付けられたドラゴン・スレイヤーの証が、無性に馬鹿馬鹿しく、安っぽいものに見えた。
ギルディオスは真正面へ向き直り、駆け出した。もう二度と、後ろへは振り返らなかった。
殺す価値もない女だ。そう、思っていた。




ギルディオスは、黙々と夜道を歩いていた。
本当ならもう少し早く、二人と落ち合う場所へ向かうつもりだったのだが、追っ手を撒くのに手間取ってしまった。
振り返ると、遠くにはディアード家の巨大な屋敷が見える。ギルディオスはしばらく眺めたが、顔を逸らした。
月だけが煌々と輝き、道の両脇に薄く積もっている雪を照らし出している。それは、ひどく幻想的な眺めだった。
ざしゅざしゅと雪を踏みしめながら、ギルディオスは森の中へ入った。しばらく進むと、小川と橋が現れる。
ギルディオスが奧を見ると、夜の森には不釣り合いな馬車が止まっていた。ストレイン家の家紋が付いている。
馬車の前では、厚いコートを着込んだカインが寒そうにしていた。ギルディオスに気付き、少し笑った。

「どうも。ご無事でしたか」

「フィルは?」

ギルディオスが尋ねると、カインは馬車を顎で示した。肩を竦め、コートのポケットに手を突っ込む。

「着替えています。あの格好のままじゃ、落ち着かないから、なんだそうです」

「まぁ、オレも落ち着かねぇしな。また笑っちまいそうになるし」

多少笑いながらギルディオスが言うと、カインはむくれた。冷え切った頬に、髪の影が落ちている。

「あんなに綺麗で可愛らしいのに、なんであなた達は笑うんですか。ひどいですよ」

「綺麗で可愛いから、可笑しくてならねぇのさ」

と、ギルディオスは肩を竦めて両手を上向けた。カインは理解しがたいのか、首をかしげた。
がちゃり、と馬車の扉が開けられた。白い衣装を座席に追いやりながら、フィフィリアンヌが降りてきた。
いつもの闇色のローブを着て、背中には小さなドラゴンの翼がある。ツノはなく、髪の色は黒いままだった。
また元のように尖った長い耳に、簡素な銀色のピアスを填め込んだ。ぱちり、と硬い音がする。

「ご苦労だった。だがギルディオス、貴様があの女を脅すのは計算外だったぞ。おかげで金は戻ってきたがな」

「あのなぁフィル、オレを囮にするならするって最初から言えよ! 驚いたじゃねぇか!」

ギルディオスが叫ぶと、フィフィリアンヌは嫌そうに眉を曲げた。

「言ったところで、貴様に私の作戦は理解出来まい。それに、下手に教えて不自然になるよりはいいだろうが」

「でも、シルフィーナ・ディアードって言えば、剛胆な女性で有名だったんだけどなぁ」

社交界では、とカインは付け加えた。ギルディオスを見上げ、白い息を漏らす。

「それが、ギルディオスさんに脅されたぐらいで、コルグ君の剥製をタダにするなんて。ちょっと不思議だな」

「化けの皮が剥がれただけだろ。それも、絹みてぇにつるっつるで薄っぺらいのがな」

けっ、とギルディオスは不機嫌そうに吐き捨てる。シルフィーナへの怒りは、まだ納まっていなかった。
腰のベルトから伯爵の入ったフラスコを外し、フィフィリアンヌにぽいっと放り投げた。

「本当に強い女ってのはな、目の前で旦那が死んでも戦い続けられるような女のことを言うんだよ」

「伯爵。ギルディオスは、シルフィーナに何かされたのか?」

フラスコを受け取ったフィフィリアンヌは、伯爵を見下ろした。その中で伯爵は、にゅるりと身を捩っている。
内側からコルク栓を押し上げて、ぽん、と栓を抜く。細長く伸ばされたワインレッドが、ふらりと揺らされる。

「いや。このニワトリ頭があの女を殺そうとしたが、殺さなかったのだ。それだけのことである」

「最初は殺そうと思ったさ。だがな、萎えたんだよ」

苛立った口調で、ギルディオスはまくしたてた。開いた右手に、どごんと拳をぶつける。

「ちょーっと人質に取られたくらいで、大泣きしやがったんだよ。やる気もなくなるってもんさ」

「貴様に人質に取られたら、誰でも泣くと思うぞ」

馬車の中からコートを取り出しながら、フィフィリアンヌはギルディオスに言った。カインは、何度も頷く。
ローブと同じく真っ黒なコートを着込んでから、その上にマントを羽織る。最後に、先の尖った帽子を被った。
フィフィリアンヌは、束ねていない髪を背中に放った。黒が更に深い黒に馴染み、見えなくなった。

「さて」

灰色から濃い赤に戻った目が、夜の森を見上げた。

「そろそろ顔を出してもいい頃だと思うぞ」

ギルディオスは、フィフィリアンヌの視線の先を辿った。カインも同様に、背の高い木を見上げる。
大振りな枝と枯れた葉の間に、人の姿があった。月明かりを受けた丸メガネが、きらりと反射している。
枝の上に座る男は、にぃっと楽しげに笑った。傍らに座っていた幼女は、ぽんと足を前に放り、飛び降りた。
幼女は、とん、と軽く地上に降り立った。着地と同時に、バネのような濃い桃色の髪が、ぽよんと上下する。
メイド姿の幼女の隣に、男も同じように飛び降りてきた。どん、と足を付き、曲げていた膝を伸ばした。
灰色のコートの肩に、黒髪のゆるい三つ編みが乗っている。灰色に包まれた男は、ゆらりと立ち上がった。

「なかなか面白い見せ物だったぜ、フィフィリアンヌ。未来は大女優だな」

「好きでやったわけではない、これも仕事なのだ。しかし、貴様はいつも面倒なことをする」

暗がりに潜む男を、フィフィリアンヌは見据えた。灰色の男は、ちょっと肩を竦める。

「そうか? まぁ、シルフィーナ・ディアードをのし上げて白竜族を狩らせるまでは、多少手間が掛かったがね」

「…この人、誰ですか?」

不思議そうに、カインは灰色の男を指してギルディオスを見上げる。甲冑は、思い切り顔を逸らす。

「名前も言いたくねぇ野郎だよ。えげつなくて趣味の悪い、変態の呪術師さ」

「そりゃひどいな、ギルディオス・ヴァトラス。シルフィーナには言葉を選んだくせに、オレにはそれかよ」

不満げに、灰色の男はむくれた。ギルディオスは、横顔だけ灰色の男に向ける。

「…聞いてたのか、あれ」

「そりゃ聞こえるともよ。あんなに気分の良い啖呵は、久々に聞いたなぁ」

すぐに表情を変え、灰色の男はにっと機嫌良さそうに笑った。そりゃどうも、とギルディオスは力なく返す。
その足元で、幼女が頷いた。無邪気そうな笑顔になり、ギルディオスを小さな手で指さした。

「あれ、ぜーんぶ覚えてますからー。丸々言っちゃいましょーかぁー?」

「言わないでくれ。恥ずかしいから」

項垂れたギルディオスに、幼女はくすくす笑う。そして、今度はカインを指した。

「んーと、こちらはストレイン家の三男坊でしたっけー? ですよねー、御主人様ー」

「ああ、そうだ。確か名前は、カインとか言うんじゃなかったかな」

幼女に屈み込んで撫でながら、灰色の男は頷いた。幼女は、わーい、と嬉しそうな声を上げる。
名乗る前に名前を言われ、カインは面食らってしまう。フィフィリアンヌは、面倒そうに二人を指した。

「この男はグレイス・ルーという、性格も根性も性癖も悪い呪術師だ。足元のはレベッカ・ルー、ただの木偶人形だ」

「口の悪い連中だなぁ。友達なくすぞー、お前ら」

そうは言いながらも、グレイスはへらへらしていた。カインは、思わず後退る。

「…呪術師? それがどうして、僕を知っているんですか」

「なに、ちょっと興味がね。政治軍事その他諸々の利用価値は微塵もないが、見ている分には面白いから」

悪気なく、グレイスは笑った。人の良さそうな顔立ちと表情と、言動がまるで合っていない。
その落差に、カインは多少変な気分になってしまった。人は外見に寄らない、ということらしい。
フィフィリアンヌはグレイスとカインを見比べていたが、一歩前に出た。帽子の鍔を上げ、グレイスを睨む。

「それで。貴様の目的は、もう果たされたのか?」

「ちゃあんと果たすのは、もう少し後さ。ヒビの入った一族のヒビを広げて、確実に陥落させてからだな」

面白いぞー、とグレイスは楽しげに目を細めた。すいっと手を挙げ、ディアード家の屋敷を指す。
そして、ぱちん、と軽く指を弾いた。間を置かずして、屋敷の本館から人間の甲高い悲鳴が、聞こえてきた。
グレイスはにやけた顔で含み笑いながら、かちゃりと丸メガネを直した。平たいガラスが、つやりと光る。

「さぁーて、これから忙しくなるぞー。ディアード家の長女の役目は、これでお終いだ。あ、フィフィリアンヌ達もだな」

「ディアード家は帝国に通じてる一族なんですー。御主人様は、そこから帝国に揺さぶろうって思っているんですー」

にんまりと笑い、レベッカはグレイスに寄り添った。小さな手が、灰色のコートを握る。

「うふふふふ。皇帝陛下は、どんな顔をなさるのかしらー。せっかく苦労して作った王国出身のドラゴン・スレイヤーが何者かに殺されちゃったせいでー、王国の攻略が、これでまた一歩後退しちゃうんですからー」

「あ、別にオレはこの王国を守ろうってんじゃないよ。帝国も王国も、滅びない程度に傾けたいだけさ」

と、グレイスは尋ねられてもいないことを言った。カインは、グレイスの笑顔に嫌悪感を抱いた。

「王国の味方、ってわけでもなさそうですね。味方なのであれば、ここまで面倒なことはしないはずですから」

「オレは暇なのさ。ただそれだけだ」

グレイスはフィフィリアンヌを見据え、にぃっと口元を広げた。

「帝国は領土拡大のために、長年この国に手を出したがってる。理由は、至って簡単さ。この国を占領しちまえば、北方に繋がる山脈と南方の海と島々を一気に掌握出来、魔導金属も鉱石も取り放題。その上、戦争でも仕掛けて王国を丸々焼いちまえば、まだ殺してねぇドラゴン、緑竜族と青竜族の大半を一気にあぶり出せるって寸法だ」

「…死んでる間に、この国も随分とやばいことになってんだなぁ」

呆気に取られつつ、ギルディオスは顔を上げた。月明かりで青味掛かった夜空には、星の運河が流れている。
そうだともよ、とグレイスは頷いた。腰に手を当てて胸を張ると、片手で自分を指し、にやりとする。

「オレが、ずうっと双方を傾けてきたからな」

「それだけのことをするのならば、あなたには目的があるんじゃないですか?」

カインの声には、嫌悪と恐怖が混じっていた。フィフィリアンヌは、首を横に振る。

「いや。この男には目的も何もない。ただ、己の娯楽と快楽のために、他人を陥れ、滅ぼすのだ」

「…ドラゴン・スレイヤーよりもタチが悪いや」

顔をしかめ、カインは吐き捨てた。幼子を手に掛けたシルフィーナも許せないが、彼女がまだ甘く思えた。
けっ、とギルディオスはツバを吐くような仕草をした。あらぬ方向を睨み、腹立たしげに声を上げる。

「だからオレは、こいつが嫌いなんだよ!」

「別に好かれようとも思わんさ。面倒だからね」

レベッカを抱いたグレイスは、軽々と持ち上げ、肩に乗せて座らせる。レベッカは、グレイスに縋った。
グレイスは片足を伸ばし、靴のつま先で地面を擦る。ぐるりと丸く、二重に足元に円を描いた。
ざりざりとその間に魔法文字を書き加え、簡単な魔法陣を書き上げた。その中心を、とん、と足で突く。

「あ、そうそう」

グレイスは思い出したように、ギルディオスへ顔を向けた。


「ギルディオス・ヴァトラス。あんた、呪われてるぞ?」


とん、とグレイスのつま先が魔法陣を叩いた。弱い風が起こって抜けたかと思うと、二人の影は失せていた。
ギルディオスが聞き返す前に、グレイスは空間移動してしまった。しばらくすると、地面の魔法陣も消えた。
まるで水を流したかのようにでろりと浅い溝が溶け、平らになってしまった。さあ、と冷たい風が抜ける。
底冷えする風に髪を揺らがされながら、フィフィリアンヌはギルディオスを見上げた。少し、帽子を上げる。

「だ、そうだ。呪術に関してはあの男に勝る者は知らぬから、嘘ではないと思うぞ。たぶんな」

「呪いねぇ…」

他人事のようにしか、ギルディオスには思えなかった。いきなり言われても、実感が沸かない。
いつどこで誰に呪われたのか、まるで見当が付かなかった。がりがりとヘルムを掻き、考えてみた。
だが、いくら記憶を掘り起こしても、出てくる気配は皆無だった。ギルディオスは、見当を付けることを諦めた。

「ま、そのうち解るだろ」

「楽観的っていうか、なんていうかだなぁ…」

ギルディオスの神経の太さに、カインは感心してしまった。同時に、それは羨ましくも思えていた。
ふと、カインはエリカと交わした約束を思い出した。遠くに見えるディアード家の屋敷は、騒ぎになっている。
先程グレイスが指を弾いたときに、シルフィーナが死んでしまったようなので、当然といえば当然のことだった。
となれば尚のこと、エリカを迎えに行かなくてはならない。カインはげんなりしたが、気を取り直す。

「あの、僕の馬車を使って良いですから、皆さんは先に帰って下さい」

「エリカとかいう女を迎えに行くのか」

真っ直ぐに、フィフィリアンヌの目がカインを捉えた。月明かりを帯びた赤い瞳は、少し色が淡い。
化粧もすっかり落としてあり、顔立ちからは華やかさが消えている。いつもの、見慣れた幼い魔女だ。
寒さと月明かりで、死人のように顔の白いフィフィリアンヌに、カインは返す。無性に、自分が情けなく思えた。

「…はい」

「貴様は信念は固いようだが、根性は弱いのだな」

「みたいですね」

笑おうと思ったが、曖昧な表情にしかならなかった。居たたまれなくなったカインは、彼女に背を向ける。
背後からギルディオスに何かを言われたが、駆け出していた。鋭い寒さの夜道を、ひたすらに走っていった。
遥か先に、大きく解放されているディアード家の門が見える。カインはそれを見据えながら、思っていた。
いつまでもこんなことじゃいけない、いつかなんとかしなければ、と。




数日が経ち、フィフィリアンヌは日常を取り戻していた。
日の当たる窓際の椅子に座り、古い薬学書をめくっていた。ページを開くたび、カビ臭さが漂ってくる。
埃と薬に汚れた床に落ちた影には、小さなドラゴンの翼と二本の短いツノが付いている。また、生えてきたのだ。
髪の色も元に戻してあり、濃緑の長い髪が一括りにされ、垂れ下がっていた。ふと、彼女は顔を上げる。
薬学書に栞を差し込んでから閉じ、窓枠に載せる。窓を開けて外を見ると、ギルディオスが上を指している。

「フィル。ありゃあ、お客さんか?」

銀色の指が示した先には影があり、空が何かによって覆われていた。巨大な白い腹が、頭上に見えている。
薪を割っていた手を止め、ギルディオスは身を引いた。ばさり、と激しい風が吹き付けられ、雪が舞う。
フィフィリアンヌは窓枠に置いたワイングラスに、少しワインを注いだ。その中の伯爵が、起きる気配はない。
ばん、と窓を閉めてから、フィフィリアンヌは外へ出る。玄関前で、ギルディオスは子供じみた声を上げた。

「うっはぁ!」

雪景色に馴染む艶やかな白いドラゴンが、ずしりと舞い降りた。どん、と長い尾が下ろされる。
玄関から出てきたフィフィリアンヌは、白いドラゴンに軽く頭を下げた。そのドラゴンも、頭を下げる。
白いドラゴンは片手に持っていた袋を雪の上に置いてから、大きな頭をもたげる。ぐるぅ、と低く喉が鳴る。

「フィフィリアンヌ。私だ。弟は、あの子は、どこに?」

巨体からは想像も付かないほど、澄んだ声が発された。フィフィリアンヌは、一旦家の中に戻った。
純白のドラゴンを眺め、ギルディオスはただただ感心していた。白竜族など、今まで見たこともなかったのだ。
野性味のある緑竜、フィフィリアンヌとは違い、どこか神々しさもある。天の使者、と言われても違和感がない。
どばん、と扉が全開にされる。ギルディオスが振り向くと、フィフィリアンヌが大きな何かを担いでいた。
真新しく白い布に覆われた、台座の付いたものだった。慎重に階段を下りてくると、白いドラゴンの前に置いた。
フィフィリアンヌは布を掴み、するりと外して落とした。赤い首飾りを銜えた、コルグの剥製が現れた。

「ここに。コルグの魂は、口の首飾りへ納めてある。だから、共に墓へ埋めてやるといい」

「そうか。感謝するぞ、フィフィリアンヌ。謝礼はもう少し、増やしても良かったかもしれんな」

微笑むように、白いドラゴンは目を細めた。フィフィリアンヌは、いや、と首を振る。

「別に、大したことはしていない。金貨百枚、それで充分だ」

コルグという名の幼いドラゴンの剥製と、白いドラゴンの手元に置かれた袋を、ギルディオスは見比べた。
ああそうだよな、と納得しながらも、多少腑に落ちなかった。相手は同族なのに謝礼をもらうのか、と。
白いドラゴンは頭を持ち上げ、口の中で一言二言、何かを唱えた。白い布は途端に広がり、ふわりと剥製を覆う。
剥製が少し浮かぶと、その下に布は滑り込んだ。独りでにするすると動き、四隅が結ばれ、巾着のようになる。
白いドラゴンは幼子の包まれた巾着を、下顎の牙に引っかけた。ばさり、と翼を広げて上下させた。
フィフィリアンヌがまた頭を下げると、白いドラゴンも少し頷いた。風が強くなるにつれ、巨体は持ち上がる。
そのまま、高く高く昇っていった。青い空に白が馴染み、雲のようになり、そして見えなくなった。
不意に、どこからか声がした。幼い子供の声が、フィフィリアンヌの感覚に直接聞こえてきた。


 ごめんなさい。そして、ありがとう。

 はんぶんどらごんのおねえさん。


「なぁーフィルー」

ギルディオスの不満げな声に、フィフィリアンヌは意識を戻した。顔を下げ、甲冑の方へ向く。
雪上に置かれた麻袋を掴んだギルディオスは、がちゃりと持ち上げた。それを、フィフィリアンヌへ差し出す。

「今度こそ、オレにもちょっとはくれよ。手ぇ貸したろ?」

「貴様は貴様で、シルフィーナから金貨十五枚をもらっていたではないか。くれてやる義理はない」

雪を掻き分けて進み、フィフィリアンヌはギルディオスに近付いた。背を伸ばし、彼の手から袋を奪う。
フィフィリアンヌが奪い取った金貨の袋を、ギルディオスは名残惜しそうに見下ろした。

「カッコ付けて突っ返しちまったんだよ」

「だから貴様は馬鹿なのだ、ギルディオス」

ずるずると麻袋を引き摺り、フィフィリアンヌは家へ向かっていった。雪の上に、いびつな抉れが出来る。
玄関の前で立ち止まると、振り返った。重たい金貨の袋をがしゃりと肩に担ぐと、ギルディオスを指した。

「雇い主がいかなる相手であろうとも、金は金なのだ。受け取れるものは受け取るのが普通だ」

「そーりゃそうだけどさぁ…」

がちゃり、と玄関の扉が閉められた。ギルディオスは薪割りに使っていた斧を肩に乗せ、軽く息を吐いた。
家の前には、巨大なドラゴンが着陸した痕跡がありありと残っていた。日差しで、大きな足跡が煌めいている。
ギルディオスは石造りの家を取り囲む針葉樹と、その先の青空を見、小さく呟いた。

「皆が皆、お前みたいに、すっぱり割り切れるわけじゃねぇんだよ。フィル」




竜と人との戦いは、静かに、そして密かに続いている。
終わりが見えず、先の掴めない、犠牲ばかりの増える戦い。
だが、それは。

相容れない種族達の、宿命なのである。








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