私は、北斗の操るバイクに身を任せていた。 流れていく景色は、見覚えがある。道路の上にある看板には、海沿いの国道の番号とその先の地名がある。 それに気付いて、私は不可解になった。その方向では、駐屯地とは逆方向だ。どこに行くつもりなんだ。 北斗を見上げると、彼は真っ直ぐ前を見てハンドルを握っている。表情は見えないが、集中しているようだ。 何がしたいのか解らないが、ろくなことではない気がする。国道に入ってから少し走ると、海岸線が見えた。 海岸沿いに道路が長く伸びていて、冷え切った潮風が容赦なく吹き付けてくる。結構どころか、凄く寒い。 北斗はいいだろう、ロボットだしライダースーツなんて着込んでいるから。だが、私はそうはいかない。 普通に、コートとジーンズを着ているだけだし、その中だって厚着ではない。防寒装備なんてしていない。 私が身を縮めると、北斗はそれに気付いたらしかった。バイクのエンジン音に負けない程度の声で、言う。 「どうしたのだ、礼子君」 「クソ寒い」 私も、エンジン音に負けないように語気を強めた。北斗は、ちょっと首をかしげる。 「そうか? 自分は別に」 「あんたの感覚と私の感覚を一緒にするな!」 私が言い返すと、北斗は少し俯いた。 「そう怒らないでくれたまえ…」 「こんなに寒いと、怒りたくもなる!」 本当に、本当に、本当に寒いんだ。背中に感じる北斗のエンジンの熱で、なんとか凌げているようなものだ。 私はあまりの寒さに、次第に苛々してきた。手袋なんてしていないから、指先の感覚なんてとっくにない。 街中でも充分寒かったけど、海の近くは三割、いや、十割増しになってしまう。ああもう、寒いったら寒い。 北斗は困っているのか、私を見たり前を見たりしていたが、前に向き直った。かなり、申し訳なさそうにする。 「もうしばらく堪えてくれたまえ」 「しばらくってどれぐらい」 私が苛立ち紛れに言い放つと、北斗はすぐさま答えた。 「黒王号の時速と距離から計算して、あと十五分程度で目的の場所に到達する」 「それで、どこに行くの?」 いい加減、それを知っておきたかった。私の問いに、北斗は顎でしゃくって行き先を示した。 「この先の海だ。何、心配はいらん。人目に付かない場所であるし、自分が傍におるから安全だ」 「小銃は?」 「分解して、トランクに入れてある。ソーコムは服の下、コンバットナイフは四本装備済みだ。弾薬も充分にある」 と、北斗は親指を立ててバイクの後部を指した。トランクボックスの中身は、武器だったようだ。 「だから、礼子君が不安になる必要はないのだ」 「そりゃ、そうかもしれないけどさ。でも、さっさと駐屯地に行った方がいいんじゃない?」 私は北斗の体越しに、空を見上げた。バイクの騒音に混じり、軍用ヘリと思しき激しい騒音が聞こえてきていた。 多少離れた位置ではあったが、ぴたりと私達に貼り付いている。あれは間違いなく、陸自の使う大型ヘリだ。 きっと、私と北斗を回収するために付いてきているのだろう。北斗の我が侭に振り回されて、ご苦労なことだ。 私は申し訳ない気持ちになっていたが、その間にも黒王号は先へと進んでいき、水族館を通り越していった。 その先に進むと、資材倉庫が見えたが、すぐに通り過ぎた。あの頃の任務は、まだ穏やかなものだったよなぁ。 そして、更に先へと行き、海沿いの土産物屋なども周囲からなくなった頃、ようやく黒王号は速度を緩めた。 国道を外れて海に繋がる細い道に入ると、道は砂で白っぽくなっていた。タイヤの音にも、砂が混じってくる。 砂浜と道路が接している場所までやってくると、北斗はそこで黒王号を止めた。ブレーキを掛け、エンジンを切る。 私はバイクから降りてから、ヘルメットを外した。フルフェイスって、長い間被っていると、苦しくなってくる。 乱れた髪を直してから、北斗にヘルメットを渡した。北斗もヘルメットを外そうとしたが、その手を止めた。 「…礼子君」 「何」 「少しの間で良いのだが、別の方向を向いていてくれまいか?」 北斗が、消え入りそうなほど情けない声で呟いた。私は訳も解らず、首を捻る。 「なんで?」 「は」 北斗の大きな背が丸められ、情けなさが増す。私は、北斗の言葉を繰り返す。 「は?」 肩まで縮めた北斗は私に背を向け、ヘルメットごと頭を抱えてしまった。これはもう、情けなさ過ぎる。 「恥ずかしいのだ」 「何が」 私が変な顔をすると、北斗はやけに慎重な動作でこちらに向いた。 「その、これを外すと、だな、頭部に何も装備しておらん状態になってしまうのだ」 「まぁ、その下にテッパチを被るのは無理だもんね」 「それで、だな。その、自分は、その何も装備していない状態が極めて恥辱的なのだ!」 北斗の姿は、女々しいほど弱々しくなっている。私はその状態を想像したが、そんなに恥ずかしいとは思えない。 「そりゃ、多少締まりはないかもしれないけど、スキンヘッドみたいなのになるだけじゃないの?」 「自分はそれが嫌なのだっ! どこがどうと言われたら具体的に言い表せんが、とにかく恥辱なのだ!」 八つ当たり気味に喚いた北斗は、私を押してあらぬ方向に顔を向けさせた。 「とにかく、あちらを向いていてくれたまえ礼子君、命令だ!」 「アイサー」 私は投げやりに、敬礼した。正直、付き合っていられない。何がそんなに恥ずかしいんだ、たかがヘルメットで。 十数秒後に、もう良いぞ、と言われたので北斗に向いた。北斗は普段通りの、自衛隊のテッパチを装備している。 「うむ、やはりこちらの方が落ち着くな!」 事が済んだ途端に元気になっていて、胸を張っている。私は呆れてしまいそうになったが、諦めることにした。 こんなに下らないことで、いちいち苛立っていたり怒っていたら切りがない。そう思い、私は海に向かった。 背中に、待ちたまえ礼子君、と北斗の声が掛かったが無視した。海に近付くと寒いけど、動かないともっと寒い。 氷みたいになってしまった指先を温めるべく、息を吐きかけた。少し血の巡りが戻ると、指先がじんじんと痛む。 でも、冷たいよりはマシだ。私が手を温めることに専念していると、北斗がやってきて、銀色の筒を差し出した。 「大したものではないが、これでも飲みたまえ、礼子君」 「それ、水筒?」 私は、いかにも自衛隊らしい無骨な外見の水筒と、それを持つ北斗を見上げた。北斗は、水筒を私に渡す。 「中身はコーヒーだ。甘くはないがな」 「いいよ、温かかったらなんだって」 私は、辺りを見回した。座れる場所がないか、と思っていると、急に持ち上げられてしまった。 「さあ行くぞ、礼子君!」 私が抗議するよりも先に、私を物のように担いだ北斗は駆け出した。だから、あんたはどこに行く気なんだよ。 ずかずかと前進して波打ち際に来ると、私を下ろし、北斗は直に砂に座って私は北斗の足の上に座らされた。 胡座を掻いた腿の上に載せられ、私は北斗との距離のなさにちょっと戸惑ったが、まぁいいか、とも思った。 今は、なんでもいいから体を温めたい。水筒のキャップを外して内蓋の栓を開けると、湯気が立ち上った。 コップ代わりのキャップに中身を注ぐと、微かな湯気と共にコーヒーの香りが漂ってきた。結構、良い香りだ。 ブラックコーヒーを啜ると、意外に熱く、火傷しそうになった。それを堪えて飲むと、胃の中が熱くなる。 コーヒーの味は、苦い中にも酸味が混じっていて、私が好きな味ではなかったが今は気にしないことにする。 時間を掛けて、注いだ半分ほどを飲んだ。飲んでいるうちにどんどん冷めてきて、アイスコーヒーになりそうだ。 北斗の胸に寄り掛かって、その腕の中にいると、北斗のエンジンから生じた熱がじわりと私に伝わってきた。 それが心地良くて、私は北斗に体重を預けた。北斗は私の肩を支えるように手を回すと、軽く引き寄せた。 革製のライダースジャケットの下には、ソーコムがある。拳銃の太いグリップが、私の背中に触れている。 「礼子君」 「ん」 私はコーヒーを飲み終えると、水筒にキャップを被せた。北斗は、私を見下ろしてくる。 「礼子君は、自分を殺せるか?」 「その状況は?」 私が呟くと、北斗は私の肩を掴んでいる手に力を込めた。 「自分が理性を失い、ただの破壊兵器と化した場合。或いは、敵に乗っ取られてしまった場合。その他諸々だ」 「じゃあ聞くけど」 私は北斗のライダースジャケットの、胸の部分を掴んだ。 「あんたも、私を殺せる? 私が自衛隊を裏切って、殺さなければ戦況がひっくり返せない場合とか、諸々でさ」 「それは…」 北斗は顔を押さえ、目線を逸らした。私は、北斗の胸に頭を預ける。 「まぁ、私だったらやるけど」 「れっ、礼子君!」 慌てながら、北斗は私に目線を戻した。私は、にやりとする。 「壊さない程度に痛め付けてから、機能停止させて回収してあげる。言ったでしょ、死なせないって」 「それは自分も同じだ! 礼子君に致命傷を与えずに、戦闘不能状態にして確保することを約束しよう!」 北斗は意気込み、拳を掲げた。私が裏切ることはないだろうし、北斗はそういう状況に陥らないと信じたい。 でも、もしも、ということもある。戦いは何が起きるか解らないのだから、そうなってしまうとも限らない。 まぁ、今の私の腕では北斗を痛め付けるどころかダメージを与えることも出来ないので、訓練に励まなくては。 しかし、殺伐とした会話だ。これが恋仲にある男女の会話か、と思うが、これはこれで私達らしくて良いか。 空の色を映した海は黒ずんだ青で、寒々としている。夏のような色鮮やかさはなく、どこか不気味にも見える。 私は、冷静な自分が意外だった。日常から乖離した世界に入るのに、嘆きもしないし、あまり泣かなかった。 こちらの世界に足を突っ込んで大分経つから、慣れてしまったと言うこともあるが、諦めているからでもある。 自分でもちょっと、冷めすぎているかな、と思うけど、そうなのだから仕方ない。状況には、適応しなくては。 波打ち際から飛んでくる海水の細かな飛沫が、時折当たる。潮風に乱れた前髪を掻き上げて、耳に引っ掛けた。 北斗は背を曲げると、私との距離を狭めた。片腕だけで抱えていたのを、両腕でがっちりと抱え込んできた。 片方の腕が腰に回されて、もう片方が肩に回される。なんてことはないのだけど、ちょっとどきどきした。 腰に触れる手の大きさとか、背中に感じる熱とか、肩を包む指先とかを意識すると、体の内が温かくなる。 もしかして、私って体格差に弱いのか。そういえば、北斗のことを意識し始めたのもこれだったような気がする。 なんて解りやすく、かつ安直な好みなんだ。私が勝手に照れていると、北斗は私に顔を寄せ、ちょっと拗ねた。 「なんだか、帰還したくなくなってきたぞ」 「帰らなきゃ敵が来るでしょ。我が侭言わない」 私が北斗の顔を押しやると、北斗は子供のようにむくれる。 「しかしだな。礼子君は滅多なことでは近付いてきてくれないのだから、この機会を逃せば次はいつになるか」 私だって、本心としては北斗に近付きたい気持ちはある。でも、普段は照れと意地が邪魔をしてしまうのだ。 それに、むやみやたらにべたべたしているのはどうかと思うし、私自身がそういうのがあまり好きではないのだ。 北斗には悪いが、こればかりは我慢してもらうしかない。北斗はまだ不機嫌そうだったが、私を押さえ込んだ。 上空では、軍用ヘリがやかましく飛んでいる。北斗はそれを見上げると、面白くなさそうに口元をひん曲げた。 「無線が入った。あと十分程度したら、自分と礼子君を回収しに来るそうだ。全く、無粋極まりない」 「仕方ないよ。仕事なんだから」 私は体を抱え込んでいる北斗の腕をぐいっと押しやって、外させた。あのままでは、身動きが取れないのだ。 水筒に被せていたキャップを外し、二杯目のコーヒーを飲んだ。苦みと酸味が舌を刺し、私は顔をしかめた。 やっぱり、砂糖とミルクが欲しい。でも、この状況では我が侭は言えない。私は、二杯目もなんとか飲み干した。 口に残る苦みを気にしつつ、私は水筒にキャップを被せた。北斗から離れようと思ったが、その気が起きない。 温かいのもあるし、安心するのもあるし、何より抱えられていると心地良いのだ。だから、離れたくなかった。 でも、さっさと離れなければヘリが降下してくるだろうし、回収してもらわなければ駐屯地には向かえない。 今になって、北斗の気持ちが解った気がした。こうもべったりくっついていると、離れるのが惜しくなってくる。 すると、北斗は側頭部に手を当てた。耳の部分から生えているアンテナを押さえていたが、ちぃ、と舌打ちする。 「降下開始、だそうだ」 「そっか」 仕方ない、と思いながら私は立ち上がった。背中に感じていた熱が遠のいてしまって、途端に冷えが戻ってくる。 ヘリの着陸地点の近くまで行こう、と私がヘリの動きを確かめるために振り返ると、北斗が身を屈めてきた。 くいっと顎を持ち上げられて、身動ぐ前に唇を塞がれた。外気よりもずっと冷たくて硬い、金属の唇が重なる。 それが、少し深められた。顎だけでなく背も引き寄せられてしまい、私は北斗から逃れられなくなっていた。 たっぷり三十秒くらい経ってから、北斗は名残惜しげに離れた。思い掛けないことに、私は頬が熱くなった。 「あっ、あんたねぇ!」 「嫌ではあるまい?」 北斗は、満足げににんまりした。私は言い返せずに、熱を持った頬を押さえて俯いた。 「…そりゃ、まぁ」 唇に残る北斗の感触が、なかなか消えなかった。これで三回目になるけど、さすがにまだ慣れてはいなかった。 胸の内を締め付けられるような苦しさが湧いて、体の熱も増してくる。苦しいけど、困るけど、でも、嬉しかった。 ダメだ、どんどん好きになる。限度なんてない。私は目線を足元に落としたまま、胸の熱さを持て余していた。 「嫌、じゃない」 ヘリの騒音に掻き消されそうなくらいに、小さく呟いた。北斗はそれだけで嬉しいのか、表情を緩めている。 恋って、不思議だ。誰かを好きになって、好きだと言っても終わりじゃなくて、その先があるのだから。 どこまで好きになってしまうのかなんて解らないけど、きっと、もっと北斗を好きになってしまうだろう。 私は、目の前にある北斗の胸に、とんと頭を当てた。嬉しいんだけど恥ずかしくて、顔を見せたくなかった。 今、どれだけ赤くなっているか考えるのも嫌だ。たまにだけど、気障な不意打ちをしてくるから侮れない。 考えてみれば、私が平和な日常を捨てた理由って、北斗と南斗の傍にいたいから、というようなことだった。 そしてよくよく思い出してみれば、私って、あの頃から北斗のことをちょっとずつ意識していた気がする。 つまり、私は自分の平和よりも恋を選んだということだ。実に私らしくことないけど、でも、それは事実だ。 なんて、照れくさい理由なんだ。 06 8/15 |