手の中の戦争




第二話 任務の名はデート



日曜日。私は、自宅から最寄り駅のロータリー付近で待っていた。
時折、駅舎のガラスに映る自分を見てみるけど、着慣れない服を着ているので、なんだか変な感じがした。
昨日買った、白いシフォンのワンピースの中にピンクのキャミソールを着て、下はロールアップのジーンズだ。
足元は、本当ならミュールでも突っかけるべきなのだろうけど、動きづらいのでスニーカーにしておいた。
髪もちょっといじってあって、ワックスで軽い感じにしてある。そして、お母さんに薄化粧までされてしまった。
朝、私がこの恰好に着替えたら、お母さんが妙に張り切ってしまって、逃げる間もなく化粧されたのだ。
ああ、やっぱりやりづらい。ふわふわするシフォンのワンピースを押さえつつ、ポシェットの肩紐を直す。
今日も、昨日と同じようにマーカー弾入りの拳銃が入っているので、ずっしりと重たくて肩に食い込んでくる。
戦闘服だったら武器を仕込みやすいのに、などと思いながら、ベンチでぼんやりしていると、車が近付いてきた。
駅前の交差点を曲がってやってきた、黒のジープラングラーが、真っ直ぐ私の元へと走ってきて止まった。
運転席から降りたのは、神田隊員だった。昨日とはまた違った私服を着ていて、こちらの方が動きやすそうだ。
やあ、と手を挙げながら近付いてきた神田隊員は、私の恰好をまじまじと眺めた。なんだか、恥ずかしい。

「変ですよね、これ」

「可愛いなぁ、礼子ちゃん。見違えたよ」

神田隊員に褒められた私は、もっと恥ずかしくなって肩を縮めた。

「私は…やりづらいんですけど」

「さ、行こうか」

神田隊員は、昨日と同じように手を差し伸べてきた。私はちょっと躊躇ったが、その手を取った。

「あ、はい」

すると。私が耳の中に仕込んでいる無線の小型イヤホンから、浮ついた口調の声がした。

『カンダタのくせに、礼ちゃんになーにしてんだよ。そういうの、マジやばいんじゃね?』

南斗の声だった。私は手首を挙げて腕時計を口元に寄せ、その中に仕込んだマイクで言い返した。

「南斗、うるさい。ていうか、用事もないのに喋らないで欲しいんだけど」

『礼ちゃん、良くないぜーそういうのー。北斗の野郎がいるくせにぃ。カンダタなんかと手ぇ繋いだら怒るぜ、あいつ。ド修羅場じゃん、やばくね?』

「○五一より○六六へ。無用な通信は任務の妨げとなる、以上」

私は声を潜めながらも語気を強め、言い返した。神田隊員も、同じように腕時計に仕込んだマイクに言った。

「○五三より○六六へ。以下同文。以上」

『ちょっとそれ、マジ冷たくね?』

不満げな南斗の声が返ってきたが、しぶしぶフェードアウトした。北斗も厄介だけど、南斗も充分に厄介なのだ。
南斗は、軍人気質の固まりみたいな北斗とは違い、ちゃらちゃらしていて、どこぞの男子高校生みたいなのだ。
ノリが軽いというか、言動にちっとも重みがないというか、とにかく、へらへらしていて扱いづらいのである。
北斗の意固地な部分と南斗の軽い部分を足して二で割ったら丁度良くなる気がするけど、そうもいかない。
今回の任務の使用機は、北斗ではなく南斗だ。なんでも、北斗のメンテナンスと改造が手間取っているらしい。
南斗の声が落ち着いたので、私は神田隊員とずっと手を繋いだままだったことに気付き、戸惑ってしまった。

「あ、えと」

私が照れて身を引こうとすると、神田隊員は私の手をぐいっと引き寄せ、車に戻る。

「とにかく、早く行こう、礼子ちゃん」

私の手を掴んでいる神田隊員の手が熱くて、困ってしまう。助手席の扉を開けられたので、その中に入った。
そこでようやく手が離されたので、私はほうっとため息を吐いた。気付かないうちに、緊張していたらしい。
ポシェットを外してダッシュボードに置き、シートベルトを締めながら、ちらりと神田隊員を窺ってみた。
神田隊員はイグニッションキーを回し、エンジンを作動させている。同時に、カーナビも軽く操作している。
といっても、それも本当はカーナビではない。カーナビに偽装した、特殊機動部隊のものと連動したレーダーだ。
私は、神田隊員に握られた手を握ったり開いたりしていた。昨日といい今日といい、なぜ手を握るのだろう。
神田隊員に尋ねてみようと思っても、神田隊員はエンジンを噴かし、ハンドルを回して車を発進させていた。
私は、彼が手を握ってきた真意を尋ねるタイミングを失ってしまい、ジープラングラーのシートに身を沈めた。
車通りの多い道路を走りながら、思っていた。同じジープでも、こちらは軍用ジープより余程乗り心地が良い。
特に、北斗が運転するジープと比べたら、こっちは天国だ。




神田隊員の運転する黒のジープラングラーは、海沿いの国道を走っていた。
私は、久し振りに傍で見る海に見入っていた。近頃は、海を見る時は常に上空のヘリから見ていたからだ。
軍用ヘリに揺られながら、遙か下で波打っている海面を見ていると、ちょっとだけ恐怖心が湧いてしまう。
あそこに放り出されたら骨が折れちゃうな、とか、撃墜されたら間違いなく死ぬな、とか思ってしまうからだ。
海は、嫌いじゃない。天気が良いので、清々しい色合いの海を見つめていると、神田隊員が声を掛けてきた。

「窓、開ける?」

「開けたら、風音で通信の聞こえ具合が悪くなっちゃうと思うので、いいです」

私は、本当は窓を開けたい気持ちがあったけど、別に開けても開けなくてもいいや、と思って座り直した。
その答えに、神田隊員は少し残念そうな顔をした。ハンドルを握ったまま、私の方に目だけ向けてきた。

「海に敵はいないよ。船影もないし、潜水者の反応もないってさ。だから、開けても平気だよ」

「今回のデートの相手って、国内の企業でしたっけ?」

私は、数日前に寄越された、任務の資料の内容を思い出した。今までは海外ばかりだったから、少し意外だ。

「ああ、そうだよ。どこの企業か、ってことは、さすがに礼子ちゃんにも言えないけどね。機密の事情で。といっても、相手が使っているエージェントは日本人じゃない。こういうことに慣れた連中の下っ端で、大陸系だ。捕まっても素性が割れないようにするためだ。まぁ、良くある手段だね。その外人エージェントを動かして自衛隊の目を惹き付けている間に、日本人のエージェントを動かしてくる可能性もあるから、今回は本隊とは別行動ってわけさ」

「そんなんじゃ、防刃装備をしろって指示があって当然ですね」

私はシフォンのワンピースの上から、腹を押さえて、硬い板の感触を確かめた。

「ああ、まぁね。その恰好じゃ、防弾装備までは出来ないだろうからね」

神田隊員は、道の脇に現れた水族館の看板を見ていたが、通り過ぎていったので視線を前に戻した。

「何かあったら、迷わずオレを盾にするといい。北南兄弟と同じようにね」

「あいつらは撃たれても平気ですけど、神田さんはそうじゃないですから、出来る限り撃たれないようにします」

私が言うと、神田隊員は苦笑した。

「出来れば、オレも撃たれたくはないよ。防弾装備をしていても、至近距離で撃たれたら骨が折れるしね」

「お互い、頑張りましょう、神田さん」

そう言ってから、私は前方に向き直った。海沿いに長く伸びる道路は、日曜日だからか、走る車の数が多い。
今日の作戦は、少々面倒なものだった。なんでも、どこぞの企業が私を誘拐する計画をしているらしい。
その目的は、私の命を盾にして北斗や南斗に使用された技術やプログラムを奪うことらしい、とのことだった。
当然、自衛隊はそれに気付いている。けれど、敢えて気付いていないふりをして、相手を誘き出す作戦なのだ。
敵が誰であるかは把握出来たけど、その人数や背後関係などがはっきりしないので、炙り出そうというのだ。
つまり、今日もまた、私は囮である。いい加減に慣れたとは思っていたけど、今度ばかりはぐったりしていた。
正直な話、神田隊員から、水族館に行こうと言われた時は嬉しかった。久々に遊びらしい遊びが出来る、と。
だが、蓋を開けてみれば例によって作戦で、とてもじゃないが遊べるはずもないと解り、一気に気力が削げた。
これで、私が自衛隊に関わっていたり北斗と南斗の情報を握っていたりしなければ、どうだったのだろうか。
きっと、私は大いに喜んでいる。神田隊員は見た目も悪くないし、優しいので、デートの相手には最適だ。
もしかしたら、意識してしまっているかもしれない。私の周りには、神田隊員のような男はいないからだ。
同じクラスの男子達は、どいつもこいつも漫画かゲームか女かしか頭にはなく、まともだと思うのは数人だ。
だから、神田隊員のような落ち着きのある男性はある意味では新鮮で、私も彼のことは嫌いではない。
むしろ、好き、の範疇に入るかもしれない。手を握られても嫌ではなかったし、思わず照れてしまったほどだ。
横目に、運転に集中している神田隊員を窺った。射撃訓練の時にも似た、凛々しい表情で前を見据えている。
戦闘服姿も良いけれど、私服も悪くない。そんなことを考えながら、私は、遠くにある水族館の建物を見つめた。
水族館の壁には、大きくジャンプしたイルカが描かれていた。




水族館に入った私と神田隊員は、当たり前だが、魚を眺めていた。
二階の天井まで繋がるほど巨大な水槽の中で、様々な種類の魚がぐるぐると泳いでいて、銀色に輝いている。
ブルーの背景を背負い、ゆらゆらと揺れる水面を通した光に照らされた魚達は、見取れるほど美しかった。
魚達の間を、ゆったりと泳ぐ大きなマンタが擦り抜けていく。下から見上げているので、横長の口が見えた。
私は、不覚にも感動してしまっていた。魚ってこんなに綺麗だったんだ、水ってこんなに素敵だったんだ。
水槽の周囲では、親子連れがはしゃいでいたり、高校生と思しき数人の男女がやかましい声を上げている。
だけど、そんなのが耳に入ってこないくらい、私は魚に心を奪われていた。目を開きすぎて、乾いてしまった。
何度か瞬きして潤してから、背後に向いた。神田隊員は、なんだか嬉しそうな顔をして、私を見下ろしている。

「気が済んだ?」

「いえ。もう少し」

私はまだまだ物足りなかったので、首を横に振った。そっか、と神田隊員は笑った。

「気が済むまでいるといい。オレも、もう少し見ていたいから」

「すいません」

なんとなく申し訳なくなって私が謝ると、神田隊員は水槽に手を付いた。

「謝られる必要はないよ。オレも、本当にそう思ったんだから」

私は、神田隊員のさりげなくも温かい優しさが、胸に染みてきた。魚に感動していたので、尚更だった。
北斗と南斗も、これくらい優しかったらいいのに。そもそも、あいつらには落ち着きというものがないのだ。
訓練だって、演習だって、なんだって、私のことを放っておいて自分のやりたいようにやってしまう。
振り回されているのは、楽じゃないのだ。私があの二人を忌々しく思っていると、不意に、肩に手が触れた。

「わ」

思い掛けないことだったので、変な声が出てしまった。私は、恐る恐る、その手の主を見上げてみた。
神田隊員は、水槽を見つめたままだった。肩を包んでいる手の大きさに困ってしまい、私は肩を縮めた。

「…あの」

なんなんだろう、どうしたんだろう。私は多少混乱しながら、言った。

「フラグ、立てたいんですか?」

途端に、神田隊員が噴いた。私を見下ろした神田隊員は、変な顔をしている。

「いや、別に、そういうつもりじゃなくってさ」

「年下中学生の攻略開始ですか。メインヒロインそっちのけで、サブヒロインのエンディングに一直線ですか」

「ていうか、礼子ちゃん、なんでそんなことを知っているのさ」

困惑してきた神田隊員に、私は言ってやった。

「知っているから知っているんです。まぁ、私は別に、その手のゲームに興味はないですけど」

「オレもやらないけどさぁ…」

二次元美少女は好きじゃないし、と漏らした神田隊員は、私の肩から手を離した。私は安堵して、息を吐いた。
手を離されてしまえば、意識することもなくなる。しばらくして落ち着いた私は、困り顔の神田隊員を見上げる。

「昨日から気になっていたんですけど、なんでそんなに、私にべたべた触るんです? 年下趣味ですか?」

「だから、そうじゃなくって…」

渋い顔をした神田隊員に、私は返す。

「傍目から見たら間違いなくロリコンですよ、神田さん」

「礼子ちゃんは十五歳だから、もうロリではないと思うんだけど」

やりづらそうな神田隊員に、私はもう少し言ってやった。

「いえいえいえ。十六でも十七でも、幼ければロリなんです。だから、十五も充分ロリなんです」

「礼子ちゃん…」

神田隊員は困り果てて、弱った声を出した。さすがに言い過ぎたと思い、私はとりあえず平謝りした。

「すいません、ちょっと言い過ぎました」

神田隊員は、私にロリコン扱いされてかなり戸惑ってしまったのか、この上なく情けない顔をしている。
つい、調子に乗ってしまった。北斗と南斗が相手であれば、もう少し言ってやっていたのだけれど。
私は、神田隊員の気力が戻るまで待つことにした。また、水槽を見上げて、ぼんやりと魚の群れを眺めた。
透き通った水と、銀色に輝いて滑るように泳いでいる魚を見ていると、なんだか心が潤っていく気がする。
このまま、ずっと魚を見ていたい。館内の順路を示す看板はあるけど、そこから先への興味が湧かない。
というより、進んでしまったら、戦闘になることが容易に想像出来るから、進んでしまいたくないのだ。
デートの皮を被った作戦だとは解っているが、私にとっては初めてのデートなので、もう少し楽しみたい。
私は、出来るだけさりげないふうを装い、神田隊員の手を取った。自分から触れると、余計に大きく感じる。

「まぁ、でも」

私は、神田隊員から目を逸らした。やっぱり、照れくさいものは照れくさい。

「こうしておいたほうが、自然なのは確かですよね」

すると、手を握り返された。神田隊員は、いつものような明るい笑顔を見せてきた。

「礼子ちゃん、やっぱり、手が小さいね」

「そうですか?」

「よくもまぁ、こんな手で銃を扱えるなって思うよ」

神田隊員は、感心している。私は、妙にくすぐったい気分になってきて、神田隊員の手を引いた。

「もう、気が済みました。先、進みましょう」

私は神田隊員を引き摺るように、順路を進んだ。よく解らないけど、なんだかやけに恥ずかしくなってきた。
照れて照れて、どうしようもない。まともに顔を合わせられないので、前だけ見て、通路を歩いていった。
その間、神田隊員は何も言わなかった。私の歩調に合わせて付いてきてくれて、手を解こうともしない。
きっと、私が照れていることを知っているのだろう。まぁ、自分でも、照れ隠しの行動なのだとは解るけど。
なんだか、調子が狂ってしまう。神田隊員からあんなふうに扱われてばかりいると、困ってきてしまう。
自衛隊駐屯地で訓練をしている時は、一兵士としてしか扱われないので、神田隊員の態度も程良く硬い。
だから、こうも優しくされると、かなり変な気分になる。照れくさくて、困ってしまって、緊張してしまう。
ええい、もう。やりづらい。


そして。私と神田隊員は、順路を辿った先にあったイルカのプールの傍にいた。
イルカショーの時間は過ぎてしまっているので、今はショーはやっておらず、イルカ達がのんびり泳いでいた。
つやつやしたしなやかな体を動かしている姿は綺麗で、円らな瞳が可愛らしく、これまた見入ってしまった。
私は、次のイルカショーが始まる時間まで、水族館の中で待っていたかったけど、そうもいかなくなった。
先程、この近くに潜んでいる特殊機動部隊のトレーラーから、すばる隊員が連絡を入れてきたのだ。
私を攫おうと付け狙っている人達が、本隊に合流して行動を開始した、と。つまり、作戦の始まりである。
その本隊の動きは、本職の自衛官達が追っているから良いのだけど、問題は私と神田隊員の方だった。
敵の本隊を見つけさせるための囮とはいえ、狙われていることには違いないので、警戒する必要がある。
もう、デートは終わっちゃうんだ。私は戦闘モードに切り替えようと思ったが、少しだけ、名残惜しかった。
神田隊員に土産物屋で買ってもらった、大きめのイルカのぬいぐるみを抱きかかえ、水槽に寄り掛かる。

「で、どうします?」

「相手も、民間人にはバレたくないと思っているはずだ。だから、ここにいれば大っぴらなことはしてこない」

神田隊員は、私の抱えているイルカのぬいぐるみを撫でた。可愛いことをする人だ。

「だが、このままここに居続けたら、流れ弾で民間人に被害が出ないとも限らない。すなわち?」

「即刻移動、ってことですか」

私は、ふわふわした背ビレに頬を押し当てた。

「イルカのショー、見たかったなぁ…」

「いつか、もう一度連れてきてあげるよ。その時は作戦じゃなくって、二人とも非番の時にね」

神田隊員は、イルカのぬいぐるみの頭をぽんぽんと叩いた。私は残念だったが、頷いた。

「お願いします。入場料はどっち持ちですか?」

「普通にワリカンしよう。オレの給料は大したことないし、礼子ちゃんにたかるわけにもいかないし」

神田隊員は、私に手を伸ばした。私はちょっとだけ躊躇したけど、その手を取った。

「そりゃ、当たり前ですよ」

私は、一度イルカの水槽に振り返ったけど、これ以上見たらもっと名残惜しくなるので顔を前に向けた。
神田隊員に手を引かれて、出口に向かう通路を辿る。途中、擦れ違った子供が私のぬいぐるみを見ていた。
その子供が、親にイルカのぬいぐるみをねだる声がしたけど、その声はすぐに遠ざかって聞こえなくなった。
私と神田隊員は、黙って歩いていた。走らない程度に、だけど足早になり、順路の狭い通路を進んでいく。
後ろを振り返りたかったけど、振り返らないようにした。下手をしてしまったら、戦闘になりかねない。
私達の歩調と全く同じ歩調の足音が、一定間隔を空けて、近付きも遠ざかりもしない距離で付いてくる。
敵もプロだ。当然だけど。私は、水族館の楽しさで緩みきっていた神経を緊張させて、手に力を込めた。
神田隊員の手も、強く握り返してくる。ちょっと痛いくらいだったけど、それぐらいの方がありがたい。
水族館の出口から外へ出、駐車場にやってくると、私と神田隊員は手を離したので、二人揃って駆け出した。
全速力で走って黒のジープラングラーに戻ると、即座に車に乗り、イグニッションキーを回してエンジンを掛ける。
サイドミラーをちらりと見ると、水族館の出口に現れた人影が映っていて、携帯電話を使っているのが見える。
きっと、あれは携帯電話ではない。携帯に見せかけた特殊な無線機なのだ、と思い当たってしまう自分が嫌だ。
大事に抱っこしていたイルカのぬいぐるみを、後部座席に押し込んでから、ダッシュボードの物入れを開ける。
その中から神田隊員の銃、コルト・ガバメントM1991A1を出し、運転席に座る神田隊員の膝に乗せた。

「はい、どうぞ」

私は自分のポシェットからもグロック26を取り出し、じゃきりと銃身をスライドさせた。

「銃撃戦になりますかね?」

「ここは日本だからならないと思いたいけど、もしかしたら、なるかもしれないね」

神田隊員はハンドルを回していき、ジープラングラーの大きな車体を、狭い駐車スペースから器用に出した。
徐々に速度を上げて道路へ出ると、加速した。制限速度ギリギリの速度を出し、一気に駆け抜けていく。
周囲の景色や車が、びゅんびゅん遠ざかっていく中、バックミラーに映る車だけは少しも遠ざからなかった。
先程と同じように、全く同じ速度で付けてきている。こちらと同じように、車内で戦闘準備をしているだろう。
神田隊員のジープラングラーのガラスや車体は、防弾処理が施されているので、そう簡単にはやられない。
だけど、ライフルを撃たれたりしたらやばいのは確かなので、一定の距離を保っておくに越したことはない。
神田隊員はハンドルを操っていたが、右手を外して膝の上からガバメントを手に取り、グリップを握り締めた。

「こちら○五三。追跡車両一、人数不明。現在、移動中」

神田隊員は、通信に入るように声を張った。私はバックミラーに映る、相手の車内をじっと睨んでみた。
だけど、追いかけてくる車のフロントガラスは薄いグレーになっていて、車内の様子が見えなくなっている。

「こちら○五一。そちらの様子は?」

この、○五一というのは、作戦の上での私の暗号名だ。○五三は神田隊員で、○六六は南斗だ。

『先頭車両より後続車両へ。渋滞はなし、極めて順調』

耳に仕込んだ小型イヤホンから、きりっと引き締まったすばる隊員の声がした。これも、作戦の上での隠語だ。
要は、作戦に滞りがない、ということだ。どうやら、敵の本隊を見つけ出すことには成功したようだった。

『○六六より○五一へ。デートの報告を要求する』

今度は、浮ついた南斗の声がした。私は無視したかったけど、一応答えてやった。

「○五一より○六六へ。いちいち作戦に関係のないことは聞かない。ていうか、職務怠慢じゃん」

『○六六より○五三へ。んじゃ、そっちから報告してくんねー? マジ面白そうなんだもんよ』

南斗が、神田隊員に話し掛けてきた。神田隊員は眉根をひそめ、語気を強めた。

「○五三より○六六へ。いい加減にしろ。不謹慎だ」

『つまんねぇのー』

南斗は面白くなさそうだったが、通信を止めた。どうやら、南斗は待機している間に暇になったようだった。
良い話し相手である北斗がいないから、余計に暇なのだろうけど、だからって任務の最中にこれはないだろう。
私はマーカー弾の詰まった拳銃を持ち直し、シートから軽く身を浮かせた。いつでも、撃てるようにしておこう。
特殊機動部隊との合流地点が、近付いてくる。現時点では、私には敵が一体どんな相手なのかは解らない。
戦いになっても、解らないだろう。自衛隊が私に与えてくれる情報は、いつだって、必要最低限だからだ。
でも。解らない方が、いいのかもしれない。





 


06 6/11