手の中の戦争




第二話 任務の名はデート



黒のジープラングラーが向かった先は、海岸から離れた場所にある倉庫だった。
やたらとでかい倉庫がいくつも並び、その周辺には輸送用のトレーラーが何台も止まっているのが見える。
この倉庫を管理している会社のものと思しき社名が入っていたけど、あまり見覚えのない社名だった。
その中に特殊機動部隊のトレーラーがあるんだろうな、と思いながら見回していると、車がつんのめった。
相当なスピードを出していたジープラングラーは、ドリフトするように、倉庫の敷地内に滑り込んでいく。
いきなりのことに、私は助手席から落ちそうになった。シートベルトをしていたので、なんとか無事だったが。
停止の際の衝撃が余っていたのか、ジープラングラーは、がっくん、と前後に大きく揺れてから動きを止めた。
私は度重なる激しい揺れで、酔ってしまいそうになったが我慢した。そんなことでは、やられてしまう。
サイドミラーに映る背後を窺うと、付けてきた車も同じように倉庫の敷地内に滑り込んできて、停車した。
その中から、素早く五人の人間が出てきた。彼らはいずれも武装していて、その手には拳銃が握られている。

「イルカ、撃たれなきゃいいなぁ」

私は、自分の身もそうだけどイルカが心配になってきた。グロック26を下ろして、両手を頭の後ろで組んだ。
神田隊員はハンドルから手を離さずに、ガバメントを構えた。フロントガラスの向こうには、敵の人間がやってきた。
相手も、こちらに真っ直ぐ銃口を向けている。それがモデルガンではなく実銃であることは、間違いないだろう。
敵の中の一人が、指示を出した。すると、後方にいた一人が頷き、足早にトレーラーの方へと駆けていった。
倉庫の管理会社ではなく、運輸会社の名前が書かれたトレーラーに近寄ると、後ろのドアの片方を開けた。
すると、トレーラーの中から、黒光りする銃身が突き出された。それは、見覚えのある自動小銃のものだった。
トレーラーのドアを開けた人間は、驚きながらも銃を構えようとした。が、その銃は呆気なく奪い取られた。
ばん、ともう片方のドアを蹴り開けたのは、ジャングルブーツを履いた足だった。中にいた人影が、歩み出てくる。

「悪ぃなー、待ち合わせの相手じゃなくってよ」

にやにやした、調子の良い声。迷彩の戦闘服に身を包んだ大柄なシルエットが、トレーラーから飛び降りる。
どしゅっ、と重たい足音が響き、体を伸ばすと駆動音がする。先程奪い取った拳銃を、ぐしゃりと握り潰す。
アーミーグリーンのヘルメットを深く被り、手には自動小銃を持っている、人型の戦闘兵器が立っていた。
ヘルメットの下の顔は、北斗と同じく銀色で顔の形状もほとんど同じだけど、目のゴーグルだけが違う。
北斗が、ダークブルーのサングラス状なのに対して、彼は、ワインレッドのバイザー状のゴーグルなのだ。
ヘルメットの脇にはローマ字で、NANTO。戦闘服の胸元には、南斗、とネームが縫い付けられてある。

「ていうか、オレのデートってマジ色気なくね?」

そう言いながら、南斗は自動小銃を構えた。敵は一斉に南斗に向いたが、銃口だけは私に向けてきた。
フロントガラス越しに、私はこちらを睨んでいる四つの銃口を見返した。敵の拳銃は、トカレフかな。
どうやら、敵は私を盾にして南斗の動きを止めるつもりのようだ。南斗は仕方なく、自動小銃を捨てる。

「女々しい手使いやがって。超うぜぇ」

私には、その口調が超うざい。四つもの銃口を向けられながらも、ついそんなことを考えてしまった。
敵のリーダーらしき人間が、知らない言葉で何事か喋った。今度もまた、敵の仲間の一人が前に出てきた。
他のメンバーとは多少構えの違う男は、銃を下げないまま、南斗に近付いていく。技術担当なのかも。
私と同じように、両手を頭の後ろで組んでいる南斗は、じりじりと近付いてくる敵を見下ろしていた。
敵は、南斗の外部操作パネルの場所を知らないのか、全身を見回していた。私は知っているけど。
後ろに回った敵は、おもむろにサバイバルナイフを取り出した。それで、戦闘服を切り裂くつもりらしい。
銀色に輝くナイフが、高々と振り上げられた、その時。南斗は素早く上半身を回し、背後に向いた。

「へっ!」

どこか楽しげな声を出し、南斗は敵のナイフを掴んだ。ぐいっと指先で捻って、刃をねじ曲げてしまう。
ナイフから手を離そうとした敵の手首を取ると、足を払って軽く持ち上げ、背中から地面に叩き付けた。
どん、と人間が落下する鈍い音がした。気絶した敵の腰から銃を奪い取った南斗に、神田隊員が叫んだ。

「殺すな、南斗!」

「忘れてねぇよ、それぐらい!」

南斗は敵の拳銃を構えると、敵に向けた。すると、私に向けられていた銃口が、全て南斗の方へ向く。
敵が引き金を引く寸前に、南斗は連射した。たたたたたっ、と自動小銃よりも若干軽い銃声が響いた。
南斗の放った弾丸は、全て敵に命中したが、血は出なかった。どうやら、全員防弾装備をしているようだ。
それでも、撃たれた衝撃はあるので、敵はよろけている。彼らが体勢を立て直すよりも先に、南斗が駆けた。
ジャングルブーツでアスファルトを蹴り上げ、一気に間を詰めると、大きな体を敵の間に滑り込ませる。
腰から脇から、手早く銃を奪い取る。予備のマガジンも抜き取ると、高々と放り投げ、遠くに転がした。

「気絶してろっ!」

南斗は、本気ではない蹴りを放った。背中を蹴られた敵の一人は前のめりに倒れ、隣の人は殴られる。
他の人間も、裏拳やら膝蹴りやらで簡単に昏倒させてしまった。あっという間に、事が終わってしまった。
南斗は後退し、足元に転がる人間達から離れると、手を振り回した。あまり、満足していないようだった。

「任務完了ー。ていうか、もう終わっちまいましたー」

南斗の声が合図だったかのように、周囲のトレーラーやら倉庫の中から、自衛隊員達が走り出てきた。
統率の取れた動きで、敵の使用した車を取り囲み、別の一団は倒れている敵全員に自動小銃を向けている。
せわしなく動き回る自衛隊員達の間を擦り抜け、私達の元へやってきた南斗は、やはりつまらなさそうだ。

「カンダタがもうちょいヘボかったら、派手なことになるはずだったんだけどさー」

「南斗。それ、どういうことよ」

私は助手席の窓を下げて、身を乗り出した。近寄ってきた南斗は、逆手に倉庫の一つを示す。

「あっちの倉庫にさ、人型兵器が隠してあったんだよ。大した数じゃなかったんだけど、プログラミングも済んでるしチューンナップも戦闘用だしで、起動コードを入力すれば稼働出来る状態だったっつーわけ。敵さんは、カンダタと礼ちゃんをここに追い込んだら、あれを使う気だったんだろうぜ」

「でも、起動させる前に見つけることが出来た、と。いいじゃない、そっちの方が。被害が出なくて」

私が言うと、南斗は不満げにむくれた。

「そりゃそうかもしんねーけど、オレ的にはマジつまんねぇんだよ。やっぱさ、演習じゃなくてマジモンの任務だから、それ相応の働きをしたいわけよ? ほら、オレって自衛隊の切り札じゃん?」

「言ってて恥ずかしくない?」

私が変な顔をすると、南斗はへらへらと笑う。

「別にぃー。だって事実じゃんよー」

「任務に見せ場なんか求めるな。そんなことをして、お前が大破されたらどうするんだ!」

神田隊員が、南斗に声を上げた。南斗は悪びれることもなく、笑っている。

「んなことあるわけないっしょー。だって、オレとあいつは日本最強ロボだぜ? 負ける相手なんているもんか」

なんだか、突っ込むのも馬鹿らしい言い回しだ。ていうか、日本最強ロボって、却って弱そうな気がするけど。
結局、南斗も北斗と同じ考えなのだ。今まで、一度も敗北らしい敗北を経験していないから、増長している。
この辺りの問題は、北南兄弟の教育係で実質親代わりである神田隊員の範疇なので、私はあまり関係がない。
が、北南兄弟と共に演習とか任務を行っているのはほとんどの場合が私であり、私が一番迷惑を被っている。
なんとかして改善して欲しいとは思うけど、付け上がりに付け上がった二人の鼻をへし折るのは容易ではない。
任務が無事に終わったと解ると、張り詰めていた緊張が解けて脱力してしまい、シートに背中を深く沈めた。
今日は任務終了の報告をしなければならないし、明日もまた、報告書を書きに駐屯地に行かなければならない。
明日にはメンテナンスと改造を終えた北斗に会うに違いなく、デートの話をさせられるのも、間違いないだろう。
その時、どれだけ北斗が反応するか、考えただけでうんざりした。




翌日。授業を終えた私は、いつものように自衛隊に拉致され、駐屯地で報告書を書いていた。
先生が使うようなスチール製の机に向かい、先程まで授業でノートを取るのに使っていた、シャーペンを走らせる。
向かい側には神田隊員が、右斜め前には南斗がいる。だけど、南斗だけは、報告書を書く必要がないのだ。
昨日のうちに、作戦中に生じたメモリーをロードして提出してあるからだ。なので南斗は、一人で遊んでいた。
恐らくは、カードダスのものであろう仮面ライダーのカードをずらりと広げて、にやにやしながら眺めている。
私は、南斗が眺めているカードをちらりと見たが、どれもライダーのカードばかりで、まるで区別が付かなかった。
昨今の仮面ライダーは、ライダーの数がやたらに多いので、私のように興味がない人間にはさっぱりだった。
でも、神田隊員はどれがどれだか区別が付くらしく、以前に南斗とライダー談義をしていたのを見たことがある。
男の子の世界だよな、と思いつつ、私は報告書に昨日の出来事の詳細を書き、最後に名前と日付を書いた。

「して、礼子君」

背後から声がしたと思うと、でかい影が被さってきた。振り返らずとも解るけど、一応振り返る。

「何よ」

「礼子君とカンダタは、どこまで至ったのだ!」

だん、と私の机に手を付いた北斗は、身を乗り出してきた。私は椅子を転がして、彼の下から退く。

「別に。至るほどの仲じゃないし、私と神田さんは」

「だが、年若い男女が連れ添って出かけるなどという不純な交遊の末に、至る場合があるではないか!」

だんだんだん、と机を叩きながら喚いた北斗に、神田隊員は顔を上げた。

「うるさい。机を破壊するな」

「しかしだなぁ!」

北斗は、かなり不愉快げに口元を曲げている。私はシャーペンの先で、机の端をこんこんと小突いた。

「要は面白くないんでしょー、神田さんと私が一緒にいたことが」

ぐぅ、と北斗は言葉に詰まって唸り、俯いた。なんて解りやすいんだろうか、この馬鹿ロボットの思考回路は。
北斗は、私を気に入っているけど、自分の私物だと思っている節がある。迷惑で鬱陶しくて、困ったことだ。
私は、北斗が初めて接した民間人だし、一年ほど前の三日間の特殊演習では守る対象になった存在だ。
そんな、守り守られ、という構図が最初だったからか、北斗は私のことを守るべきものだと見ているらしい。
それだけならいいのだけど北斗の中では、守る、の延長線上に、庇護対象は管理するべき、とあるようなのだ。
だから、北斗は大した理由がなくても私に過剰に接してきて、鬱陶しいとはねつけてもしきりに近付いてくる。
北斗にしてみれば筋が通っているのだろうけど、私にしてみれば迷惑でしかなく、いい加減にして欲しいと思う。
だけど、言ったところで北斗はろくに聞き入れないし理解してくれないので、私は北斗をあしらうしかないのだ。

「そういうわけではない」

北斗は体を起こし、胸を張って腕を組んだ。だから、なんで無意味に偉そうなんだ。

「ただ、自分は、礼子君の上官として、同じチームの隊員として気掛かりなのであってだな」

「手ぇ繋いだよ」

私がぽつりと言うと、北斗は大袈裟に仰け反って声を裏返した。

「何ぃ!?」

「マジマジ、超マジ!?」

北斗が派手なリアクションをしたのと同時に、南斗も勢い良く立ち上がった。私は、こっくりと頷く。

「マジ。肩も抱かれました」

「かっ、カンダタぁ!」

北斗は机に両手を付き、神田隊員に迫った。神田隊員は椅子を下げ、後退している。

「…なんだよ」

「カンダタの分際で、礼子君に何をするか! まかり間違って、礼子君が妊娠したらどうしてくれるのだ!」

本気で動揺しているのか、北斗の声は震えている。私はそれが面白くて、からかってみた。

「そうだねぇ。どうしようねぇ」

椅子ごと身を引いた神田隊員に目をやると、私にも呆れているのか、変な顔をしている。まぁ、そりゃそうだろう。
だけど、私は報告書を書く作業に飽きていたのだ。いつもいつも、似たような言い回しで書かなければならない。
暇潰しに北斗をからかってもいいじゃないか、と思いながら、北斗を見上げると、北斗は両の拳を固めている。

「表へ出ろ、カンダタ」

「出ない。そんな暇はない。大体、手を繋いだぐらいで、妊娠なんかするはずないだろうが。礼子ちゃんも、いちいちこいつらで遊ばないでくれよ」

神田隊員は、疲れた様子でため息を零した。私はシャーペンを放り投げ、足をぶらぶらさせた。

「だって、暇なんですもん。私が報告書に書けることって少ないですから、当然書く量も少ないんですよ」

「そうなのか…妊娠せんのか…」

すると北斗は、肩を落とし、項垂れた。手を繋いでも妊娠しないことが解ったので、安心したようだった。
私は、その反応が馬鹿馬鹿しく思えた。北斗と言い南斗と言い、めちゃめちゃ高性能なくせに、結構馬鹿だ。
人生経験が少ないからなんだろうけど、それにしたって馬鹿すぎる。私は、シャーペンをペンケースに戻した。

「ところで、礼子君」

「今度は何よ」

私は面倒に思いながらも、北斗を見上げた。上体を起こした北斗は、事務室の隅を指す。

「あの防御力の欠片も見受けられない綿と布の固まりは、一体なんなのだ?」

「ああ、あれ」

私は、北斗の太い指が示す方向に振り返った。壁際にあるソファーに、イルカのぬいぐるみが転がっている。

「あれね、神田さんに買ってもらったの。だけど、水族館の入館料もその他の細かい出費も全部、自衛隊の経費で落としたって聞いたからここに持ってきたんだよ。だって、税金で買ったぬいぐるみを自分の部屋に置いておいたら悪い気がするじゃん。他人の稼ぎから搾取したお金じゃなくて、真っ当な稼ぎでぬいぐるみを買った人にさ」

「よく解らない理屈なのだが」

不可解そうに、北斗は首をかしげた。私は椅子から立ち上がると、ソファーに近寄り、イルカを抱き上げた。

「それにさぁ。ちょっとぐらいは、潤いが欲しいんだよね」

私は、部屋をぐるりと見渡した。通常の自衛隊の建物から離れた、特殊機動部隊専用の建物の一室だった。
壁と天井は全部コンクリートで出来ていて、味気ない灰色で、床に至ってもあんまり綺麗な色ではない。
特殊機動部隊の人数分置いてある机も、スチール製なのでやっぱり灰色だし、テーブルも質素なのだ。
観葉植物の類も一つだって置いてないし、特殊機動部隊は人数自体が少ないので、その分私物も少ない。
私は多少持ってきているけど、神田隊員と朱鷺田隊長は持ってきていないも同然なので、余計に寂しいのだ。

「潤い、ねぇ」

神田隊員は、私の方を見てにやけた。私は、なんだか気恥ずかしくなってしまい、顔を伏せる。

「いけませんか?」

「いや、いけなくはないよ。礼子ちゃんもやっぱり女の子なんだなぁって思ってさ」

と、微笑ましげにする神田隊員に、私はもっと恥ずかしくなってきた。なんか、本当に、調子が狂ってしまう。
私はイルカのぬいぐるみをソファーに横たえ、その隣に腰掛けた。机に向かう時の椅子よりは、多少柔らかい。
神田隊員は、楽しげににこにこしていたが、また報告書を書く作業に戻った。なぜか、喜ばれてしまった。
私としては、それほど女らしいことをしたつもりはない。ほんの少しでいいから、安らぎが欲しかったのだ。
演習や訓練を行う時は、有無を言わさず自衛隊駐屯地に拉致されて、その後はハードな重労働が待っている。
演習は当然だけど、訓練でも結構気を張っていたりして、終わった頃には体も心もぐったりしてしまうのだ。
だから、ふわふわした可愛いものが手近にあれば、疲れ果てた時に癒されるかな、と思ったからだった。
私はイルカの背中に寄り掛かり、早速その効果を確かめた。うん、これだけでかなり気持ちいいかも。
すると、北斗がずかずかと歩み寄ってきた。私が怠慢な動きで顔を上げると、北斗はむっとしている。

「自分は別に、面白くないなどと思ってはおらんからな、礼子君!」

「あ、そう? そうは見えないんだけど」

私がにやりとすると、北斗は思い切り焦りながら背を向けた。

「本当だ、本当だとも!」

「へー」

「本当に、本当なのだぞ!」

そう言い残しながら、北斗は部屋を出ていった。どばん、と扉が荒っぽく閉められ、足音が遠ざかる。
ええいくそう、などという明らかに面白くなさそうな北斗の声がしていたが、次第にそれも聞こえなくなった。
仮面ライダーのカードを指に挟んで、ぱたぱたさせていた南斗は、弟の情けなさすぎる様を笑っている。

「北斗の野郎、超馬鹿じゃね?」

「全くだよ」

私が深く頷いていると、南斗はこちらに顔を向けた。手にしている仮面ライダーのカードで、私を指す。

「んで、礼ちゃんはどっちなわけ?」

「何が?」

私が聞き返すと、南斗は今度は怪人のカードを神田隊員にも向けた。

「カンダタか北斗のどっちが好きかー、ってこと。オレ的には、マジ気になるんだよね」

「別にどうでもいいじゃん」

私が素っ気なく返すと、神田隊員は頷く。

「そうだ。本人がどうでもいいって言っているんだ、詮索するだけ無駄だ」

「コーヒー買ってこよ」

喉の渇きを感じた私は、イルカのぬいぐるみから離れてソファーから立ち上がり、自分の机に戻った。
机の上に投げ出してある通学カバンの中を探って、財布を取り出すと、廊下に繋がる扉に向かっていった。
いってらっしゃーい、と南斗のにやにやした声を背中に掛けられつつ、廊下に出ると、ロビーに向かう。
部屋の中と同じく、コンクリート打ちっ放しの廊下を抜けた先に、あまり広さのないロビーがある。
電子ロックの付いたガラスのドアが正面にあり、右端には応接セットが、左端には自動販売機がある。
自動販売機に向かおうとして、応接セットの隣にある喫煙所に立っている、背の高い人影に気付いた。

「隊長」

「鈴木。報告書、終わったか」

朱鷺田隊長は指に挟んでいたタバコを、スタンド型の灰皿に押し付けた。私は、隊長を見上げて答えた。

「はい、一応は。神田さんはまだみたいですけど」

「それで、どうだ。昨日は眠れたか、鈴木」

娘に接する父親のような態度で、朱鷺田隊長は笑いかけてきた。隊長だけは、私のことを名字で呼んでいる。
北南兄弟や、神田隊員やすばる隊員は下の名前に愛称を付けて呼んでくるので、親しみが籠もっている。
だけど、朱鷺田隊長の呼び方は、学校の先生の呼び方みたいで、呼ばれるたびにちょっとだけ萎縮してしまう。
私は、少しだけ湧いてしまった隊長への緊張を緩めてから、任務を終えた後の自分の様子を思い出した。

「別に、大丈夫でした。ちょっと、楽しかったぐらいでしたし」

私の言葉に、朱鷺田隊長は意外そうにした。

「鈴木。お前って奴は、随分と強靱だな」

「そうですかね」

私は、その言葉が自分に合うとは思えなかった。そうだとも、と朱鷺田隊長は次のタバコに火を点ける。

「攫われない保証があったとはいえ、その身が狙われていたことは違いない。なのに、怖がるどころか楽しかったと来たもんだ。通りで、お前のような子供が、北斗と南斗の無遠慮で荒っぽい演習に付き合えるわけだ」

「はぁ」

私は、褒められているのか貶されているのか解らず、気の抜けた返事をした。隊長は、紫煙を吐き出す。

「この分だと、目の前で俺や神田が倒れても平気な顔をしていそうだな」

「それはないですよ」

どうやら、嫌味を言われているようだ。そう思った私がむっとすると、朱鷺田隊長はタバコの灰を軽く落とした。

「今回の敵の目的は、なんだったと思う?」

「私の略取と、私の身柄を取引材料にした恐喝、とのことですが」

私の答えに、朱鷺田隊長はやる気なく返事をした。

「まぁ、表向きはな」

「そうでしょうね。私の略取なんて、やろうと思えば簡単に出来ますから、事前に私を攫う計画がある、っていう情報が漏れてくること自体が引っ掛かるんですよ。私が思うに、私を略取する計画をダシにして自衛隊と特殊機動部隊を動かして、倉庫にあったっていう人型兵器を自衛隊に発見させることが、一番の目的だったんじゃないですか? まぁ、単なる推測に過ぎませんけど」

出来るだけ淡々とした口調で、言い終えた。朱鷺田隊長は、少し満足げにする。

「そう思うか。俺もそう思う。それで、発見させた目的とその理由は、なんだと思う?」

「敵、というか、どこぞの企業にも、人型自律実戦兵器に準ずる戦闘用人型兵器が存在している、というような意思表示を兼ねた、自衛隊と高宮重工に対する牽制なんじゃないですか。もしくは、その人型兵器を使って南斗を撃破して、その人型兵器の性能を様々な方面に知らしめることが、目的だったのかもしれませんね。まぁ、後者はオーソドックスすぎる気がしないでもないですけど」

私が朱鷺田隊長を見上げると、隊長も私を見下ろしてきた。

「鈴木。お前、やけに難しい言葉を使うな」

「本ばっかり読んでますから」

私は財布の中から小銭を出し、握った。朱鷺田隊長は、三分の一ほど燃え尽きたタバコを、灰皿で潰した。

「そりゃいいことだ」

別の仕事があるんでね、と朱鷺田隊長は手を振り、ドアを開けて外へ出ていった。私は、その背を見送る。
話をはぐらかされてしまった気がする。というか、あからさまに、話題を逸らして結論をぼかしてしまった。
私の推測が当たっていたのか、外れていたのかは解らないけど、まんざら外れていたわけでもなさそうだ。
でも、そうだとすれば、人型自律実戦兵器を取り巻いている状況は、かなり厄介なのではないだろうか。
高宮重工は、北斗と南斗のような国家機密クラスのロボットだけでなく、様々なロボットを販売している。
工業用はもとい、娯楽用や介護用だけでなく、子供でも買える値段のおもちゃとしてのロボットも売っている。
高宮重工のロボット工学技術は、どの企業の中でも群を抜いていて、その売り上げも凄まじいものだ。
だから、その高宮重工を脅かすかもしれないロボットの存在が確認されたとなると、由々しい事態ではないか。
頭では相当やばい状況だとは解っているけど、感覚的には解っていないので、あまり現実感はなかった。
それよりも今は、喉の渇きの方が厳しくなってきた。私は自動販売機に向かうと、小銭を投入し、ボタンを押した。
間を置いて、ごっとん、と缶コーヒーが落下してきた。取り出し口から、少々熱い缶コーヒーを取り出した。
缶を開けて飲んでいると、神田隊員が出てきた。同じ目的のようで、手の中で小銭をじゃらじゃらさせている。
神田隊員は私の隣を過ぎると、自動販売機に小銭を入れてボタンを押し、取り出し口から缶コーヒーを出した。
といっても、私の飲んでいるものとは違い、無糖のブラックだ。缶を振っている神田隊員に、私は尋ねた。

「あの」

「ん?」

私の方に振り向いた神田隊員は、きょとんとしている。私は、昨日彼に握られていた方の手を、差し出す。

「なんで、いちいち手を握ってきたりしたんですか? やっぱりフラグ目的ですか?」

「だから、違うって」

ちょっとげんなりした様子で、神田隊員は苦笑する。

「あれは、離れちゃわないようにするためと、礼子ちゃんを怖がらせないためにって思ってしたんだよ」

神田隊員はブラックコーヒーを煽り、一息吐いてから、自動販売機に寄り掛かる。

「オレは、北斗と南斗とは違って、ただの人間だから。どう足掻いたってあいつみたいなマシンには勝てないし、弾を受けたら死んじまうし、戦闘能力だって頼りないからさ。だから、その辺のことで、礼子ちゃんが不安になってたかもしれない、って思って。手を繋いでおけば、気休め程度でも安心させられるかなって思ったんだ」

「私は、別に…」

私は、神田隊員に向けて伸ばしていた手を下ろした。話を聞けば聞くほど、この人の優しさが身に染みてくる。
そんなこと、私は考えてもみなかった。北南兄弟と神田隊員を比べたことも、差を感じたことも、ない。
あの二人はあの二人であって、神田隊員は神田隊員で、どっちが強くてどっちが弱い、なんて思っていない。
それに、私は不安なんて感じなかった。神田隊員もそうだけど、南斗が守ってくれるのだと解っていたから。
私は神田隊員の隣に、寄り掛かった。私が百五十八センチで神田隊員が百八十二センチなので、差が大きい。

「そういうことだったんですか」

「そういうこと」

神田隊員は、笑顔を向けてきた。私は、神田隊員の優しさが嬉しくて笑い返した。

「どうも、ありがとうございました」

すると。突然、どぉん、と激しい衝撃音が玄関の方から響いたので、私と神田隊員はそちらに向いた。
見ると、あからさまに嫉妬している様子の北斗が立っていて、超強化防弾ガラス製のドアを殴り付けている。

「…面白くないなどと思ってはおらんからな」

「はいはい」

苛立ちと不愉快さが滲み出た北斗の言葉を、私は流した。北斗は、玄関の前で叫ぶ。

「信じてくれ礼子君! というか、信じなければ許さんぞ!」

北斗は、ダークブルーのゴーグル越しに私と神田隊員を睨んでいたが、くるっと背を向けて駆け出した。
どこに行くのかと思えば、玄関から離れてからもう一度、信じなければ許さんぞ礼子君、と叫んでいる。
私は、もう相手をするのもうんざりしていたので、北斗を無視して缶コーヒーの続きを飲むことにした。
今にして、先程南斗が問い掛けてきた問いの答えが出た。当然じゃないか、北斗を好きになんてなるもんか。
戦闘の時以外は、子供っぽくて我が侭でうるさい馬鹿なロボットなんかよりも、神田隊員の方が余程いい。
北斗が相手のデートなんて、たとえ任務であろうとも、死んでもごめんだ。




後日。私の携帯電話に北斗から、滝のようにメールが送られてきた。
そのどれもが神田隊員への嫉妬だけど、必ず文面の最後に、断じて嫉妬ではない、と言い訳がされていた。
言い訳をすればするほど、肯定することになるということを知らないらしい。否定の否定は、肯定なのだから。
私は、そのメールに返信をするのすらも面倒だったけど、これ以上送られたら鬱陶しいので一応返しておいた。
これ以上メールしたら二度と会話してあげない、と。その効果は覿面で、十秒もしないうちにメールは止まった。
その反応の早さに、私は心の底から呆れてしまった。公費で何をやっているんだ、この馬鹿国家機密は。
そんなことをしている暇があるんだったら、ちょっとは精神的に成長してくれ。

そうでないと、とてもじゃないけど、付き合いきれない。





 


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