手の中の戦争




第三話 待機の一日



私は、暇を潰すのは割と得意だ。


私の唯一にして最大の趣味が読書なので、何かしらの文庫本を、カバンの中に常に入れてあったりする。
なので、出かけた先で暇を持て余してしまうことは極めて少なく、私は体に染み付いたこのクセに感謝している。
本が入れられない時は、好きな曲を詰め込んであるMD数枚とMDプレイヤーを、必ず入れるようにしている。
だが、もしもその二つともなかった場合は、ひたすら下らないことをぐだぐだと考えて時間を潰している。
要は、私は暇な時間が好きなのだ。何の目的もなく、弛みきったまま時間を浪費する感覚が、楽しい。
だから、今日も、そうしようと思っていたはずなのだが。




その日は、朝から雨が降っていた。
窓の外では、それほど降りは強くないが、外へ出たら確実に濡れるであろう大きさの雨粒が降り注いでいる。
景色は、湿気と日差しの弱さで全体的にぼんやりとしていて、広大な自衛隊駐屯地も霧に包まれている。
普段であれば、駐屯地を囲むフェンスまで見渡せるだだっ広い訓練場も、全景が見えなくなっていた。
私は窓の傍に寄り掛かり、柔らかな色合いになっている景色を眺めながら、電話の向こうの上官に言った。

「天候不良が原因ですか」

『そうだ』

耳に押し当てている携帯電話の向こうから、心なしか機嫌の悪そうな、朱鷺田隊長の声がしてきた。

『遠足じゃあるまいし、と思うんだが、こればかりはどうにもならない』

「北斗と南斗の防水装備って、そんなに不完全でしたっけ? 私が覚えている限りでは、北斗も南斗も絶対に泳げはしませんけど、泥水の中に頭からダイブしても馬鹿笑いしながら這い上がってこられるほど丈夫だった気がするんですけど」

数ヶ月前のジャングルでの戦闘を想定した訓練の内容を思い出して返すと、隊長は言葉を濁した。

『いや、それはそうなんだが』

「それともなんですか。この前から、北斗も南斗も高宮重工の人型兵器研究所に戻ってばかりいますけど、下手に濡れたりすると改造された場所がおかしくなっちゃう、からなんですか?」

『それもあるんだが、まぁ、細かいことは気にするな』

「気にします。気になりますから。というか、なんで今日は、こっちに神田さんがいないんですか?」

私は、ぐるりと部屋の中を見回した。特殊機動部隊の事務室には、今日は私とすばる隊員しかいない。
いつもであれば、というか、私が来た時には必ずと言っていいほどここにいる神田隊員がいないのは妙だ。

『神田には別の仕事があるんだ。それぐらい解れ、鈴木』

「はぁ」

適当にはぐらかされた気がしないでもないけど、あまり言及するのもどうかと思ったので、私は生返事をした。

「まぁ要するに、今日の演習は中止ってことですね、隊長」

『そうだ。天候が回復したら演習を開始する可能性もあるから、今のところは、待機任務を命ずる』

「アイサー」

私は、条件反射で敬礼した。

『ああ、それとだな、鈴木』

「なんですか」

私が聞き返すと、朱鷺田隊長はやや困ったような口振りになる。

『間違っても、北南の暴走を許したりしないように。神田がいないと、途端にあの馬鹿共は馬鹿をやらかすからな。間宮は頼りないが、お前はまぁまともだから、よろしく頼む』

「アイサー」

私が返事をすると、じゃあな、と朱鷺田隊長は言い残して電話を切った。私は、ぱちりと携帯電話を閉じる。
鮮やかなオレンジ色の、少々未来的なデザインの携帯電話を握り締めながら、演習がないことを安堵した。
多少慣れてきたとはいえ、本物の戦闘と変わりない特殊演習を行うことが、心身共に辛くないわけがない。
それが一回でもないと思うと、気がかなり楽になった。私は、安堵感から無意識に息を吐き、肩の力を抜いた。
壁に預けていた背を外し、携帯電話を自分の机の上に放り投げてから、上半身を脱いで腰で袖を結んだ。
事務室の中央に並べてある六つのスチール机の、窓側の一番奥の机では、すばる隊員がうつらうつらしている。
その目の前には、開きっぱなしのノートパソコンがあり、どうやらすばる隊員は仕事をしていたらしかった。
すばる隊員は船を漕ぎながら、気持ちよさそうに眠っている。私はおもむろに手を出し、ぱん、と叩いた。

「うあ!」

その音で目が覚めたのか、すばる隊員はびくっとして悲鳴を上げた。私は手を下ろし、彼女に顔を向ける。

「目、覚めました?」

「え、あ、あれぇえ?」

すばる隊員は、眠っていたせいで潤んだ目をごしごし擦った。何度か瞬きして、壁の掛け時計を見上げる。

「特殊演習、そろそろ始まる時間とちゃうん?」

「天候不良で中止だそうです。で、今日は待機任務なんだそうです。さっき、隊長から電話がありました」

私が状況を説明すると、すばる隊員は嬉しそうに表情を緩めた。

「ほな、ぎょーさん休めるなぁ」

「すばるさん、昨日の夜、遅かったんですか?」

窓から離れた私は、すばる隊員の傍に歩み寄った。すばる隊員は体を伸ばしてから、息を吐く。

「まぁ、うん、そんなとこやな。結構、仕事に手間取ってしもうて、寝るのが朝方近くなってしもうたんよ。北斗と南斗の通常の戦闘訓練のエモーショナルバランス値と特殊演習中のエモーショナルバランス値を比べて、色々と確かめておったんよ。今後の訓練に必要なことやから、早いとこ終わらせておかなアカンねん」

「エモーショナルバランス値?」

聞き慣れない単語に、私は聞き返した。すばる隊員は眠たげな顔のまま、頷いた。

「平たく言えば、感情の起伏やね。あの子らは普通のロボットとは違ごうて、心があるさかいに」

そうなのだ。北斗と南斗には、一般のロボットにはない特殊なパーツ、コアブロックなるものが組み込まれている。
丁度、人間で言えば心臓に当たる位置に填め込んである球体のパーツで、様々な回路が入っているらしい。
その中でも最も特殊なのが、人間の脳に当たるメモリーバンクと、感情に当たるエモーショナルの回路である。
どちらの回路も大きさは大したことはないらしいけど、恐ろしい量の情報を蓄積し、解析することが可能だ。
北斗と南斗は、記憶と経験を積み重ねて感情を作り、人格を形成しているので、どちらも欠かせない回路だ。
エモーショナルの回路の中には、自制心の役割を果たすエモーショナルリミッターが、組み込まれている。
北斗も南斗もそれを解除したことはないらしいが、私からしてみれば、二人には自制心が元からないと思う。

「礼子ちゃん」

すばる隊員は椅子を回して私の方に向くと、身を乗り出してきた。

「あの子ら、大事にしたってや?」

「はぁ」

私が気の抜けた声を出すと、すばる隊員は細い眉を吊り上げる。

「北斗と南斗は、うちら高宮重工の、えろう大事な子やなんよ。せやから、ずうっと仲良うしはってや? あの子らの友達は、礼子ちゃんしかおらへんのやから」

すばる隊員の真剣な眼差しに見つめられていたが、私はなんとなくやりづらくなって、目を逸らしてしまった。
確かに、あの二人にとっては私はただ一人の友達かもしれないが、私にとっては厄介な存在でしかない。
北斗と南斗を大事にしろと言われても、どう大事にすればいいのかよく解らず、正直反応に困ってしまった。
すると、廊下からやかましく重たい足音が響いてきた。それが誰で何なのか、考えなくても解ってしまう。
数秒後、事務室の扉が乱暴に開かれ、南斗が駆け込んできた。私の姿を見るなり、喜々とした声を上げる。

「礼ちゃん礼ちゃん!」

「何よ」

私がぞんざいに返すと、南斗はきらきらした笑顔で叫んだ。

「仮面ライダーの方が好きだよな!? マジイケてるよな!?」

「…あ?」

その言葉の不可解さと唐突さに、私は変な声を出した。再び足音がして、今度は北斗が飛び込んできた。

「礼子君!」

北斗は南斗を押し退けてから、やたらと爽やかな笑顔を見せた。

「世紀末救世主伝説の方が、バイクに乗った改造人間などよりも余程素晴らしいと思わんか!」

「だから、何よ」

私が呆気に取られていると、南斗は北斗を蹴り飛ばして壁にぶち当ててから、詰め寄ってきた。

「バイクに跨って風圧でベルトを回して変身して、キックで怪人を爆発させる方がイケてるに決まってるよな!」

「違ぁう! 一子相伝の暗殺拳の北斗神拳伝承者が、指先一つで悪党をダウンさせる方が美しいのだ!」

すぐに復活した北斗は、私に向かってくる南斗を思い切り殴って勢い良く転ばせてから、私ににじり寄ってきた。
この兄弟、なんてバイオレンスなんだろうか。そう思った私が変な顔をしていると、南斗が床から起き上がった。

「なー礼ちゃん、この世紀末馬鹿に言ってやってくんねー? 仮面ライダーごっこの方がマジ最高だーって」

「言ってやってくれ、礼子君。この特撮馬鹿に、北斗の拳ごっこがどれほど素晴らしいものなのか」

北斗と南斗は、お互いを指しながら物凄く真剣な顔をした。だが、言っていることは、物凄くアホらしかった。

「あんたら、そんなことを争うために殴り合ってたの?」

私が呆れると、二人は同じタイミングで叫んだ。

「そうだ!」

なんか、もう、反応するのも嫌だ。あまりに子供染みた理由の諍いに、私は本気で頭が痛くなりそうだった。
北斗と南斗は、いつになく真剣な顔で私を見つめている。どうやら二人とも、私とごっこ遊びをしたいらしい。
私は、当たり前だが、どっちもやりたくなかった。というか、この歳になってごっこ遊びは恥ずかしすぎる。
すばる隊員はと言えば、私以上に訳が解らないようで、目をまん丸くしている。当然のリアクションだろう。
私は、出来ることならこの場から全力疾走して逃げ出したかったが、私が逃げたらすばる隊員が被害に遭う。
仕方ないので、北斗と南斗をあしらうとしよう。私は自分でも解るほど投げやりな態度で、二人に言った。

「どっちもやればいいじゃない。あんたたちだけで。私はやりたくない、ていうかやらない」

「そうは行かん! 北斗の拳の世界には、やはりユリアがいなければっ!」

拳を握った北斗は、勢い良く突き上げる。南斗は、うんうんと頷く。

「やっぱよ、仮面ライダーには怪人に攫われるヒロインがいなきゃダメだと思うんだよ!」

「ユリアがいなくても話は成立するし、ヒロインがいなくても敵さえいればライダーは戦えると思うけど」

私が素っ気なく返すと、北斗は渋い顔をした。

「礼子君。もう少し、付き合ってくれても良いではないか。自分と礼子君の仲だろう」

「そうそう。待機任務で暇なのは同じなんだからさー、どうせなら楽しいことした方がマジ良くね?」

南斗は、私の前に立ち塞がっている北斗を押しやってから顔を寄せた。

「てぇことで、仮面ライダーな!」

「だから、何度も言わせるな! 北斗の拳に決まっているだろうが!」

北斗は南斗を睨み付け、その襟首を掴んだ。今にもまた殴り合いをしそうで、見ていて気が気ではない。
私は、馬鹿な兄弟から目を外して、すばる隊員を見やった。すばる隊員は、不安げな顔をしている。
北斗と南斗が本気で殴り合って壊れでもしたら、とでも考えているのだろう。その心配は、解らないでもない。
二人のどちらかが壊れたら、ロボットなので修理をしなければならないのだが、そのためには経費が掛かる。
北斗と南斗を作ったのは高宮重工だけど、支えているのは自衛隊なので、当然ながら経費の元出は税金だ。
馬鹿なロボットが下らないケンカで負傷でもしたら、どれだけの血税が無駄になるか、解ったものではない。
これ以上、国民の血税を無駄遣いさせないためには、二人の馬鹿げたごっこ遊びに付き合ってやるしかない。
私は、本当にやる気は一欠片もなかったのだが、妥協した。二人の前に歩み出ると、馬鹿共を見上げる。

「どっちにも付き合ってやるから、とりあえず、殴り合わないでくれる? 税金の無駄」

「本当か礼子君!」

南斗の襟元を離した北斗は、嬉しそうにした。南斗は襟元を直してから、私を見下ろしてくる。

「マジ、超マジ?」

「すばるさんはどうします?」

私は、すばる隊員へ振り向いた。すばる隊員は曖昧な笑顔を作り、ノートパソコンを指す。

「うち、まだ、仕事残っとるから…」

「そうか、それは残念だ。間宮隊員には、是非ともリンをやって頂きたかったのだが」

真面目な顔をして言った北斗に、私は突っ込みたくなった。普通、そっちが私になるんじゃないのか、と。
リンは、北斗の拳におけるロリっ子ヒロインだ。そして、ユリアは北斗四兄弟とシンを惑わした魔性の女だ。
どちらかと言えば、私はリンの立ち位置に近い。戦闘でも何でも大して役に立たない、守られるだけの存在だ。
それに、年齢的に言っても、私がリンですばる隊員がユリアの役をした方が、しっくり来るのではないのか。
他にも色々と言いたいことはあったけど、あんまり突っ込むと面倒なことになりそうなので、我慢した。

「じゃ、まず、先にどっちのをやる?」

私が二人を交互に指すと、北斗と南斗はまた同じタイミングで自分を指した。

「自分!」

「オレ!」

そのチームワークの良さを別の部分に回して欲しいなぁ、と思いながら、私はグーを握った。

「ジャンケンで決めようか。当然だけど、勝った方のをやる、でいいよね」

「異存はない」

北斗が頷くと、南斗は拳を手のひらに当てた。

「んじゃ、ちゃっちゃと始めちまおうぜ? どうせオレが勝つんだけどな!」

「それじゃ、行くよ。最初にパーを出すのはなしね」

私が釘を刺すと、北斗と南斗はばつが悪そうに苦笑いした。やるつもりだったのか、そんなベタベタな手を。

「じゃ、行くよ」

私はグーを握った手を挙げると、二人は接近戦を始める前のように腰を落として身構え、右手を差し出す。

「最初はグー」

私のやる気のない掛け声に、二人のやけに力の入った声が続く。

「ジャーンケーン!」

「ポン」

私が、パーにした手を前に出すと同時に、二人の手も出された。どちらの手も、紛うことなきグーだった。

「私の勝ちー」

くぅううっ、と変な唸り声を上げた北斗は自分の右手を掲げ、忌々しげに口元を歪める。

「この手が、この手がっ!」

「チョキにしときゃ良かったー、そしたらアイコだったつーのにぃ。超最低ー」

派手に悔しがる北斗とは対照的に、南斗はちょっと拗ねている。どこまで子供っぽいんだ、あんたら兄弟は。
私はパーにした手を二人の目の前に差し出すと、かかとを上げて背伸びをしてから、二人を指差す。

「さっき言った通り、あんたらの遊びには付き合う。けど、一つだけ条件がある」

「それは、なんだね」

掲げていた拳を下ろし、北斗は私と目線を合わせる。私は、にたりと笑った。

「全ての決定権を私に寄越しなさい」

「全てというのは、どちらのごっこ遊びを先に行うかの順番も、誰が何の役をやるかということも、セリフ回しもシチュエーションも戦いの行方もストーリーも、ごっこ遊びの醍醐味の何もかもを礼子君が奪ってしまうと言うのかね!」

北斗は身を乗り出すと、私の両肩を掴んできた。いちいちリアクションが大きいな、こいつらは。

「当然じゃん。だって、ジャンケンに勝ったの、私なんだもん」

「ちょっとそれ、マジ有り得ねー!」

不満全開な南斗に、私は顔を背ける。

「嫌なら遊んであげない」

「それは…さすがに」

北斗は困った様子で、私の両肩から手を離すと、南斗と顔を見合わせた。南斗は、仕方なさそうにする。

「仮面ライダーごっこが出来ないのも嫌だけど、礼ちゃんが遊んでくんねーっつーのもマジつまんねーしなぁ」

「それじゃ、決定と言うことで」

ああ、なんだか楽しくなってきたかも。私は、渋々ながら妥協したロボット兄弟を見つつ、にやにやした。
特殊演習だけでなく、普段の訓練や日常でも私はこの二人に困らされているんだ。この機会を逃す手はない。
その、仕返しをしてやろう。といっても、派手なことは出来ないけど、地味に、確実に追い詰めてやる。
私は次第に沸き起こってきた邪心を楽しみながら、まずはどちらのごっこ遊びにしようか、考え始めた。
朱鷺田隊長から、今日は待機任務だと知らされた時は、読書でもして長い暇を潰そうかと思っていた。
けれど、この二人をからかって遊ぶのも、活字の世界に没頭することと同じくらいに面白いかもしれない。
さあて。何を、どうしてやろうかな。





 


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