雨音に混じって、呻き声がする。 Aaaaaa,GuAaaaaaa,と、声にならない声で、言葉ではない言葉で、鋼鉄製の戦闘兵器が苦しみを訴えている。 ドリルも唸る。泥と千切れた草にまみれた、鋭利な螺旋が刻まれた銀色の円錐が回転し、雨粒を散らす。 薄暗い、鉛色の空の下、ダークレッドのボディが輝いている。そして、単眼に似たライトが強く光っている。 その光を、南斗の背が遮った。グラント・Gの呻きに合わせてライトが点滅する様は、呼吸のようにも見えた。 「Grant.G」 南斗は、英語を使っていた。それに、グラント・Gが反応した。 「Ga......」 呻きではない、理性的な言葉の響き。だが、すぐにそれは吹き飛んだ。 「Aaaaaaaaaaaahahaaaahahahahahahaha,Hahahahahahahahaaaaaaaaaa!」 グラント・Gは上体を逸らし、雨空に笑いを放った。乾き切って、感情のない、背筋を冷えさせる笑いだった。 「killed! 発声ユニットが破損しているせいで、グラント・Gの音声はいつも以上に機械的で、びりびりと震えていた。 「Directly, loneliness! その震えは、泣き声のようにも聞こえた。 「Already, it is hateful, everything is hateful! いや、きっと泣いているのだろう。 「me would not like to die........ ぎゅいいいいいぃっ、とドリルの唸りが激しくなる。降りしきる雨を切り裂くように、円錐が振り上げられる。 「I live ! 振り翳されたドリルの先端が、南斗の頭部を狙う。キャタピラを急激に回転させたグラント・Gは、直進した。 「Because of me die, die because I live ! 南斗の影が、くっと動いた。片足を軸にして滑るように重心を動かすと、グラント・Gのドリルの先から脱した。 「It refuses 南斗は自動小銃を背中に回してから、グラント・Gの右側に回り込むと、無防備な右腕を抱えて持ち上げた。 それをそのまま担ぐかと思ったが、南斗は掴んだ腕を捻りながら地面を蹴って跳ね、くるりと身を捻った。 グラント・Gの腕を放しながら上昇した南斗は姿勢を戻し、グラント・Gの両肩に足を載せ、着地した。 左手でグラント・Gの頭部を掴むと、脇からソーコムを抜く。銃口が、グラント・Gの後頭部に押し当てられた。 ぎゅいっ、とグラント・Gのドリルが停止した。南斗はグラント・Gの上に跨ったまま、きち、と引き金を絞る。 「Please surrender ! 南斗の足が、グラント・Gの後頭部を押さえ付けた。相当な力なのか、グラント・Gの首が鈍く軋んでいる。 「しなきゃ、殺すぜ? アメリカ野郎」 激しい雨が、どす黒い銃身を伝い落ちていく。ここに流れていたであろう硝煙の匂いは、既に掻き消されていた。 小さく、グラント・Gが呟いた。エネルギーが残り少ないのか、ドリルを回転させるも、その勢いは弱かった。 「I do not recognize being defeated ...... 「…そうかい」 南斗は、一切の感情も含ませずに言い捨てた。ソーコムの引き金が押し込まれ、南斗の肩が反動で振れた。 銃声の余韻が、私の耳に残っていた。南斗の放った弾丸が、グラント・Gの破損した頭部に穴を空けた。 貫通したのか、グラント・Gの正面の地面に小さな抉れが出来ていた。そこに、黒い滴が数滴零れ落ちた。 額と思しき部分からオイルを流したグラント・Gは、破損で機能を停止したのか、脱力して肩を落とした。 徐々に回転を弱めたドリルは、先端で地面を引っ掻きながら止まった。どしゅう、と関節から蒸気が噴き出す。 一瞬、南斗とグラント・Gの姿が見えなくなった。蒸気が失せると、南斗はグラント・Gの上から飛び降りた。 どしゃっ、とジャングルブーツのつま先が泥に埋まり、地面が軽く揺れた。南斗は背を伸ばし、姿勢を正す。 「さーて、報告だー報告ー。オレらの大勝利ぃー」 「うむ、そうだな。早々に帰還してメンテナンスを行わなければ、湿気で不具合が起きてしまう」 北斗は側頭部に手を当て、無線を作動させた。私の耳のイヤホンにも、その通信は入ってきた。 「こちら北斗。司令部、応答せよ。敵機、全機停止確認。特殊機動部隊、損害ゼロ」 『こちら司令部。一○二三、全敵機の機能停止を確認。全敵機戦闘不能につき、合同特殊演習は終了とする』 すぐに、すばる隊員の声が返ってきた。南斗も、無線を入れる。 「こちら南斗。南斗、北斗、鈴木、これより帰還する」 二人が無線を切ったので、私のイヤホンの声も止まった。南斗は左腕を動かしながら、歩き出した。 「んじゃ、帰るとすっかぁ」 「して、南斗。お前のサイクロン号は、どこに置いてあるのかね? 見当たらないのだが」 北斗が辺りを見回していると、南斗はばつが悪そうに苦笑した。 「グラント・Gに突っ込んだときに、乗り捨てちまってさ。そのまんま、勝手に走っていっちまったんだよ」 「どこにだね」 「あっちだったかなぁ」 北斗に問われ、南斗は演習場の奧を指した。富士山が真正面に見える方向で、その先には木々が茂っている。 南斗の指した方向を睨んでいたが、北斗は変な顔をした。私には何も見えないが、北斗には見えたらしい。 「思い切りクラッシュしておるぞ」 「え、それマジ!?」 南斗もその方向を見ていたが、ぎゃっ、と叫んで仰け反った。相当ひどいものが見えたようだ。 「うーわー超やべー、ていうかマジやばじゃーん! 二代目もおシャカかよぅ! オレのサイクロン号がー!」 「前輪は大破、ハンドル部分もダメだな。辛うじてタンクは傷付いておらんから火は出ておらんが、これはもう、修理するよりも新しく造り直した方が良いな」 北斗の報告に、南斗は頭を抱えて嘆いた。 「超怒られるぅー…。隊長にもカンダタにも所長にも、がっつりぎっつり怒られちゃうぅー…」 「お前がサイクロン号を大事に扱わんのが悪いのだ! しっかり怒られて懲罰を受けるが良いぞ、南斗!」 はははははははは、と快活に笑った北斗に、南斗は掴み掛かった。北斗の襟首を掴み、揺さぶる。 「弟のくせに生意気言うんじゃねー!」 「こういう時だけ兄貴面をせんでくれんかね、正直やりづらいのだが」 北斗は、目の前の南斗から顔を背けた。南斗は、なにおう、と喚きながら北斗に向かってまだ何か叫んでいる。 私は、その光景をただ見ていることしか出来なかった。グラント・Gを破壊したばかりでも、平気なんだ。 けれど、私は平気ではなかった。あれを南斗の所業だと思いたくなかったが、現実は嫌でも身に染みてくる。 機能を停止したグラント・Gは、項垂れていた。時折、千切れたコードから電流が迸り、小さく光が飛んだ。 「礼子君。触ってはいかんぞ」 北斗の声に、私は振り向いた。北斗は南斗に襟首を掴まれたまま、グラント・Gを指す。 「グラント・Gは機能停止しておるが、破損箇所から漏電しているし、ガソリンも多少残っている。もしかすると爆発を起こすかもしれんから、下手に近付かない方が良いぞ。せっかく、自分達は無傷で戦いを終えたのだから、最後の最後で負傷してしまいたくはないだろう」 「そうそうそう。ぶっ壊れたマシンは超デンジャラスなんだぜ?」 南斗は私に振り向いて、頷いた。私は二人に、生返事をした。 「あ、うん」 だが本心は、グラント・Gのことが気になって仕方なかった。近付いて、彼に何か言葉でも掛けてやりたかった。 でも、何を言えばいいのだろう。慰めるとしても、どうやれば、グラント・Gの傷付いた心を癒せるのだろう。 やっぱり、私はとことん甘い。倒したばかりの敵に対して、勝利の快感ではなく、悲哀を感じてしまっている。 額の穴からオイルを流し続けるグラント・Gは、砕けたスコープアイに溜まった雨水が溢れ、涙のように見えた。 いや、きっと涙なのだろう。機械である彼らは自力で流すことが出来ないから、空が力を貸してくれたんだ。 終わることのない戦いのために生き続けて、生きるために藻掻いて足掻いて苦しんだ、鋼の戦士を癒すために。 南斗の言うように、これが戦争だ。どれだけ敵が哀れでも、どれだけ悲惨な境遇でも、同情などしてはならない。 最前線に立つならば、当然のことだ。北斗と南斗は生まれながらの戦士だから、覚悟は既に出来ているのだろう。 だが、私は、いつになったらその覚悟が出来るようになるんだろう。これもまた、経験を重ねる必要がある。 雨音だけが、聞こえている。グラント・Gが軋む音も、北斗と南斗の掛け合いも、何も聞こえてこなかった。 聞きたくなかったのかもしれない。 一週間後。私は、高宮重工の人型兵器研究所を訪れていた。 今度はすばる隊員の運転ではなく、高宮重工が所有するヘリに乗せられた。いちいち、スケールのでかい企業だ。 人型兵器研究所には、特殊演習で蓄積したデータをダウンロードするために、北斗と南斗が輸送されている。 二人は前回と同様に、人型兵器開発研究室のメンテナンスドッグにいた。ガラスの箱の中に、吊されている。 オーバーホールの最中なので、装甲も全て開かれて、体の至るところに大小様々なケーブルが接続されている。 私がガラスの箱の前に立っても、二人は反応しなかった。完全に機能を落とされているらしく、微動だにしない。 だだっ広い研究室では、キーボードを叩く音とコンピューターの唸りだけが聞こえ、研究員達が忙しくしている。 先程まですばる隊員が傍にいたのだが、仕事が出来たらしく、他の研究員に呼ばれて他の研究室に行ったのだ。 なので、私は一人にされていた。ガラスの箱に手を当てて、ぼんやりしていると、背後に足音が近付いてきた。 「北斗と南斗のデータ取りは終わったから、明日にでも元通りにして、自衛隊に送り返すわ」 かつっ、とヒールの足音が止まる。振り返ると、白衣姿が眩しい鈴音さんが立っていた。 「あの、鈴音さん」 私が尋ねようとすると、それよりも先に鈴音さんは言った。無駄のない動きで、長い髪を掻き上げる。 「あの子のことね。大丈夫よ、損傷は激しいけどコアブロックは破損していないわ」 こっちよ、と鈴音さんは軽やかに歩き出した。私はちょっとだけ躊躇したが、鈴音さんの後を追って歩き出した。 北斗と南斗のいるメンテナンスドッグから離れ、研究室の端までやってくると、強固な両開きの扉が現れた。 鈴音さんは白衣の内ポケットを探って、金色のカードキーを取り出すと、扉の脇のカードリーダーに差し込んだ。 素早く下に滑らせて読み取らせ、長いパスワードを三回も入力してから、ようやく両開きの扉の錠が開いた。 鈴音さんは力を込めて扉を動かしたが、なかなか開かない。私もそれを手伝ったが、本当に重たい扉だった。 なんとか半開きにして、その隙間に体を滑り込ませるように入った。分厚い扉の中は、薄暗い空間だった。 入ってすぐの場所に、北斗と南斗のメンテナンスドッグのそれに良く似たガラスがあり、私達が映っていた。 その奧だけが、ぼんやりと明るかった。あの雨の日に破壊されたままの姿の、グラント・Gが、そこにいた。 北斗と南斗とは違い、台の上に載せられていた。両腕と下半身を鎖で縛られていて、動きを封じられている。 「ボディの修理が出来るようになるまでは、こうしておくの。ちょっと、ひどいとは思うけどね。けれど彼女は、南斗との戦闘でエモーショナルリミッターを破損しているから、こうしておかないとどうなるか解ったもんじゃないのよ」 鈴音さんの言葉に、私は訝しんだ。グラント・Gは、男のはずだ。 「彼女、って、グラント・Gのことですか? でも、グラント・Gの一人称はオレですよ?」 「それがねぇ。コアブロックを調べに調べて人格データを洗い直してみたら、初期プログラムでは女性だったのよ」 鈴音さんは、グラント・Gと私達の間にある分厚いガラスに手を触れた。 「何年か前に、間宮さんがうちの会社から盗んだっていう人工知能の基礎プログラムは、ここの試作だったみたいなのよ。ここでは、現時点では男性型の人工知能しか造っていないけど、いずれは女性型の人工知能も造るつもりでいるから、その前段階の予行練習として造ったプログラムだったに違いないわ。プログラミングのパターンもうちのものだったしね。きっと、シュヴァルツにとっては女性型の人工知能なんて意味を成さないものだったんでしょうね。だから、彼女は、強制的に男にさせられていたんだわ」 「女…」 予想もしていなかった事実に、私は目を丸くした。そう、と鈴音さんは頷く。 「グラント・Gは、れっきとした女の子よ。稼働開始時期が北斗と南斗より一年程度遅いから、二人の妹に当たるわ。シュヴァルツ生まれだから、腹違いみたいなもんかしら」 「北斗と南斗は、このことを知っているんですか?」 「北斗は知らないかもしれないけど、南斗は知っているんじゃないかしら。あの子はグラント・Gに強制接続したわけだから、南斗はその時にある程度データを引っ張り出しているはずよ。そのデータの中に、グラント・Gの人格データが混じっていても不思議じゃないわ」 「妹、かぁ…」 とてもじゃないけど、女の子には見えない妹だ。私はガラスに近寄って、眠り続けているグラント・Gを見つめた。 広い肩幅に、分厚い装甲の付いた両肩。左腕には巨大なドリルが、右腕の先にはペンチに似た手が付いている。 胸も大きくがっしりしていて、腰も太い。戦車を模した下半身は太いキャタピラがあり、どんな悪路でも走れる。 でも、女の子で妹。北斗よりも先に、その事実を知っているであろう南斗は、一体どんな心境でいるのだろう。 複雑なのは間違いない。気持ちの整理なんて、すぐには付けられないだろうから、離れて様子を見るしかない。 私も、整理が付けられていない。グラント・Gが人型兵器研究所に来るまでの経緯も、また複雑だったからだ。 二度目の敗北をしたグラント・Gは、合同特殊演習が終わると同時に、米軍は廃棄処分を命じたのだそうだ。 それに異論したのが、神田隊員である。捨てる場合は買い付けると何度も言ったのに忘れてしまったのか、と。 神田隊員は、以前からグラント・Gの存在を気に掛けていて、米軍とシュヴァルツ工業に交渉に赴いていたのだ。 だが、米軍もシュヴァルツ工業も意固地で、その申し出を受け入れようとしなかった。それは、当然のことだ。 グラント・Gは、米軍の秘密兵器である以前にシュヴァルツ工業の意欲作で、それ相応に機密が詰まっている。 だから、双方は機密が流出することを恐れたのだ。神田隊員はそれを踏まえた上で、更に交渉を重ねたらしい。 買い付けるのはグラント・Gの人工知能だけで良い、機密に関わる記憶は削除して構わない、と何度も何度も。 そして、そちらの言い値で買う、とも。そのお金はどこから、と思ったが、鈴音さんが出してくれたらしかった。 結局、米軍時代の記憶をほぼ全て削除されたグラント・Gを、一千万ドルで高宮重工が買い付けることになった。 日本円にして、約十二億円である。そんな大金をぽんと出してしまう高宮重工って、やはり、恐ろしい企業だ。 だけど、これで本当に良かったのだろうか。いや、良かったんだ。消されてしまうよりも、生きていた方がいい。 私はガラスに手を当てて、グラント・Gに触れるような気持ちで撫でてみた。けれど、今はまだ触れられない。 「鈴音さん。グラント・Gは、修理されたら私達のところに配属されるんですか?」 「今、そう出来るように交渉しているわ。自衛隊のお偉方は頑固だから、動かすのには時間が掛かるけどね」 鈴音さんは、こんこん、とガラスを軽く叩いた。 「これからは、あなたの名前のGは General じゃなくて Girl になるわね」 「グラント・ガールですか」 私の呟きに、鈴音さんはくすりと笑った。 「ギャルとかね。いいわね、Gって応用が利いて。シュヴァルツにしては、いいセンスしてんじゃないの」 不意に、ガラスの奧で光が灯った。弱々しいダイオードの赤い光が、淡い照明の中でじわりと色を放っていた。 『I am the Girl 「yes, she is the girl 鈴音さんが返すと、グラント・Gは破損した顔の中で唯一無事だったスコープアイの片方を輝かせた。 『Girl.........』 だが、その光は消え失せ、グラント・Gは再び沈黙した。薄暗い部屋の中には、彼女の声の余韻が残っていた。 戸惑っているようで、嬉しそうでいて、恥じらっているようでいて。なんだか、可愛らしいと思ってしまった。 グラント・G。憎らしい敵で、恐ろしい戦闘兵器で、とても哀れで不幸なロボットで、北斗と南斗の妹なのだ。 そして、新しい仲間になるかもしれないんだ。私は、今までにグラント・Gに対して覚えた感情を思い起こした。 どれもこれも、すぐにどうにかなるものじゃない。だけど、焦ることはない。時間を掛けて、消化していこう。 彼女との戦いは、もう終わったのだから。 その翌日。特殊機動部隊に、北斗と南斗が帰ってきた。 二人は、鈴音さんから既にグラント・Gのことを教えられていた。二人とも、大分複雑な心境のようだった。 ついこの間まで敵だった存在が味方となりうるであろうことも、彼女の記憶が全て削除されてしまったことも。 北斗と南斗も、簡単には整理が付かないようだった。それほどまでに、今回の出来事は、壮絶だったのだ。 それは朱鷺田隊長と神田隊員も同じことで、二人とも派手にリアクションしてくれた。珍しい光景だった。 私とすばる隊員は、これで女っ気が増える、と言って笑い合った。体はどうあれ、女の子は女の子なのだから。 この分だと、グラント・Gが特殊機動部隊に配属されたら、今まで以上に騒がしい日々が始まるのだろう。 でも。それが、ちょっとだけ楽しみだったりする。 06 7/23 |