手の中の戦争




シューティング・スター



翌日。朱鷺田は、すばるに張り付いていた。
第一研究所から市街地に出るまでの道は長いので、研究員達の休みになると、彼らを乗せた車が走っていく。
市街地に出たら、駅に近い場所で降ろして、程良い時間になったらまた向かえに来ることになっている。
研究員の人数が多いので、移動にはマイクロバスを使っている。そこまでは、追跡はかなり楽だった。
問題は、市街地に出てからだ。朱鷺田は鈴音から貸してもらったスーパーカブに跨り、目を凝らしていた。
カブには似合わないライダースーツを着ていて、その下にはコルト・キングコブラとナイフを装備している。
都市部に向かうために駅へと歩いていく同僚達とは別に、すばるは別の道を行き、バス停へと進んでいる。
第一研究所で働いている時には、簡単にまとめているだけの長い髪には、緩いウェーブが付けられている。
淡いオレンジ色のカーディガンとストレートジーンズを着ており、ローヒールのパンプスを履いている。
これだけ見れば、年頃の若い娘だ。だが、彼女の肩に提げられたトートバッグの中には、機密情報がある。
朱鷺田は、昨夜に見た、すばるが情報を抜き出す様を思い出していた。張っていたら、案の定、だった。
研究所内のほぼ全てを監視出来る監視室に詰め、神経を尖らせて、全てのモニターと睨み合っていた。
すばるは一度寝入ったのだが、午前二時過ぎに宿舎から出てきて、誰もいなくなった研究棟へとやってきた。
研究員が持つカードキーは使わずに、小型コンピューターをセキュリティシステムに接続して、解除させた。
外から窓を開けても警報が鳴らないようにしてから、窓を開けて中に入り、人型兵器研究室に侵入した。
普段の仕事ですばるが使っているパソコンを操作し、そこからデータを抜き出し、ディスクに落としていた。
この作業をしている間、すばるはずっと数を数えていた。それが百に至る前に、すばるは研究棟を脱した。
朱鷺田は、闇の中で動くすばるの姿をモニターで見ながら、セキュリティシステムの状況も見ていた。
すばるが外部から操作した履歴は残っていたが、すばるが研究棟から脱して数秒後に、それも消された。
また外部から接続して、セキュリティシステムを操作したのだろう。動作に無駄はなく、手慣れている。
戦闘教育だけでなく、諜報員としての教育もある程度受けているようだ。何にせよ、ただの女ではない。
すばるの姿が、建物の影に隠れて見えなくなった。朱鷺田は地面を蹴って発進し、エンジンを噴かした。
一度見失うと、後が面倒だ。




朱鷺田は、すばるの乗った市営バスを追った。
間に数台の車を挟み、距離を狭めすぎないように、だが開けすぎないように気を配りながら追いかけていた。
バスは、どんどん街中から離れていく。周囲の景色も寂れていき、民家も減り、山は深くなっていくばかりだ。
通る車の数も次第に少なくなり、乗用車ではなく大型トラックや農作業用の軽トラックの数が増えてきた。
バス停をいくつ通り過ぎても、すばるは降りなかった。バスが止まるたびに朱鷺田も止まり、様子を見た。
だが、すばるの姿はなく、降りるのは地元民ばかりだった。すばるの動きがないことが、少し、不気味だった。
市街地を出てから、もう二時間半が過ぎている。朱鷺田は、錆びたバス停に止まる、古びた車両を見上げた。
色のくすんだ銀色の車体と、少々色褪せている赤いルーフ、バスの運行路線にある病院の広告が複数ある。
バス停で待っていた数人の老人が、苦労しながらバスに乗り込んでいるのが、遠くからでも見えていた。
バスの後部上には、行き先の表示が出ている。それがゆっくりと回り、終点の地名になると、走り出した。
朱鷺田は地面から足を離し、追いかけた。バスが終点まで行くとしても、ガソリンはまだまだ残っている。
すばるの乗ったバスは、市街地を出た頃に比べれば乗客の数はかなり減っていて、数えるほどしかいない。
曲がりくねった道を進み、車が二台通るのがやっとという崖際の道を通り、更に山の奥深くへと向かう。
時折現れる青い看板には、進行方向の先にある国道と、山奥に相応しい建造物、ダム湖の名が書いてあった。
市営バスは、そのダム湖に向かうべく、道を変えた。幅のある県道から、車一台しか通れない山道に入る。
朱鷺田は、あまりそちらへは進みたくなかった。狭い道になってしまうと、車間距離が開けられない。
だが、追わなければ見失う。朱鷺田は軽く舌打ちしてから、カブの速度を上げ、バスの姿を追っていった。
バスは、今までの道よりも細い道を、実に器用に進んでいる。山の斜面と擦れそうに見えるが、擦れない。
白い塗装が剥げ掛けたガードレールの傍を通り抜け、傾斜のきつい道を上っていくと、トンネルが現れる。
短いトンネルを何度も抜けて、やや長めのトンネルを抜けた。視界が開けたかと思うと、水面が広がった。
巨大なコンクリート壁で水を堰き止めて、山間に造ったダム湖だった。水面には、木々と空が映っている。
市営バスは、ダム湖の傍にある駐車場に入ってくると、あまり人の入っていない売店近くのバス停に止まった。
朱鷺田は駐車場の中をぐるりと回って、市営バスから少し離れた位置の、駐車場の片隅にカブを停車した。
フルフェイスのヘルメットのバイザーを上げて、視界を明るくさせてから、バスを降りる乗客の姿を睨んだ。
こん、こん、とヒールの高い音が聞こえた。バスの車体の下に見えた足は、すばるのものに間違いなかった。
しばらくすると、バスはブザーを鳴らしながらドアを閉め、走り去った。すると、すばるは、振り返った。
穏やかな印象を与える眼差しを強め、少女の名残を残す顔立ちを強張らせ、朱鷺田を鋭く睨み付けていた。

「なんやの、あんた」

「さぁな」

「街んとこからずーっと張り付いてきよって。何が目的やの?」

すばるは、朱鷺田に近付いてくる。朱鷺田はカブから降りると、キーを抜いてポケットに入れた。

「それは、そっちの方が良く知っているだろうが」

「うちなんか調べとっても、ええことはないで」

「お前自身には価値はないだろう。だが、お前の荷物には価値がある」

朱鷺田がライダースーツの内側に手を差し込むと、すばるは身構えた。

「…どこまで知っとるんや」

「概要だけだ」

朱鷺田が拳銃を抜く素振りをすると、すばるの表情は引きつった。トートバッグの取っ手を、固く握る。

「うちのこと、殺すん?」

「殺しはしない。そういう仕事じゃないんでね」

朱鷺田はすばるとの間を詰めると、逃げようとしたすばるの腕を掴んで引っ張り寄せた。痛いくらい、握る。

「お前のお仲間はどこだ」

「知っとったって、教えへん!」

すばるは身を捩ったが、朱鷺田の手は緩まない。朱鷺田は、胸元から右手を抜き、拳銃のグリップを覗かせた。

「殺しはしないが、逃げたら撃つ。手でも足でも撃ち抜く」

「あんた…高宮の諜報員やないね?」

すばるは忌々しげに朱鷺田を睨み付けて、唇をきつく噛み締めている。朱鷺田は、拳銃をホルスターに戻した。

「ただの兵士だ」

不意に、腕を掴んでいる朱鷺田の手が緩んだ。すばるが身を引こうとすると、すぐにその手が伸びてきた。
トートバッグの取っ手が肩から引き抜かれ、実に呆気なく奪われた。驚いて振り返ったが、遅かった。
フルフェイスのヘルメットを被った男は、すばるのトートバッグを肩に担いでから、逆手にダム湖を指した。

「とりあえず、観光でもしようじゃないか」

「うち、あんたみたいな強引なのは嫌いや」

すばるが顔を背けると、朱鷺田はすばるの手首を掴み、引っ張るように歩き出した。

「俺も、お前みたいな根性の悪い女は好みじゃない。顔は嫌いじゃないがな」

なんとかして手を振り解こうとしたが、出来なかった。男との力の差がありすぎて、抵抗しても無駄だった。
すばるは、すぐ前を行く男の大きな背を見ていたが、顔を逸らした。これまでの四回は、成功していたのに。
なぜ、今になって邪魔が入る。こうなってしまっては、もう終わりだ。仕事が果たせなくては、意味がない。
無念さで、情けなくなってきた。すばるは泣きたい気持ちになっていたが、心の隅では、安堵もしていた。
これからはもう、盗みをする必要はないんだ、と。すばるはそれを払拭しようとしたが、すぐには出来なかった。
自分がしていたことは、単なる盗みではない。シュヴァルツ工業と地球の未来のために、必要なことなのだ。
悪いことではない。むしろ、悪いのは、マシンソルジャーと手を組んでロボットを開発する高宮重工の方だ。
外見は普通の企業でしかないが、その裏ではどうだ。自我を持った、強力な破壊兵器を造り出そうとしている。
しかもその破壊兵器は、あの五色のロボット、通称マシンソルジャーと呼ばれる破壊兵器を、元にしている。
それが、危険でないはずがない。シュヴァルツ工業のやっていることこそ、真の正義であるはずなのだ。
だから、第一研究所で作成された人工知能の基礎プログラムなどのデータを持ち出すことも、正義のはずだ。
高宮重工が自我を持ったロボットを造るならば、シュヴァルツ工業も同じものを造らなければ対抗出来ない。
もしも戦いになった場合には、相手の兵器を上回る威力の兵器を保有していなければ、簡単に負けてしまう。
そうならないためにも、データを抜き出してシュヴァルツ工業に渡さなければならない。重要な、仕事だ。
父親に認めてもらうためにも、成し遂げなければならない。だが、男の手は振り解けず、どんどん進んでいく。
悔しくて、たまらなかった。


朱鷺田はすばるを引き摺り、ダム湖を見下ろす展望台にやってきた。
駐車場から多少遠いためか、人気はまるでなく、静まり返っている。高台にあるので、見晴らしだけは良い。
屋根の付いた展望台の中には、コンクリート製の丸いテーブルがあり、その周りには椅子が備え付けてあった。
朱鷺田の隣に座らされたすばるは、むくれていた。トートバッグは朱鷺田の手にあり、手首も掴まれたままだ。
肩にトートバッグを掛けている朱鷺田は、右手をライダースーツの胸元に差し入れ、黒光りする拳銃を抜いた。
その銃口を、すばるへと向けた。弾倉を動かしてから、軽く引き金を絞った。きち、と金属の擦れる音がする。

「六インチなんて、ごっついの使うとるやないの」

すばるは、コルト・キングコブラの銃口を見据えた。

「まず、聞こう。誰に頼まれた」

「答えるわけないやろ」

「お前の後ろにいるのはシュヴァルツだけか」

「答えたってなんもならへんもん。言わん」

「盗んだデータは何に使う」

「あんたに説明したって、解るわけないやろ。プログラムっちゅうもんは面倒やさかいに」

「まぁ、そうだろうな」

朱鷺田は、ごく小さな声で呟いた。ヘルメットに手を掛けて外すと、足元に放り投げた。視界が、一気に広がる。
周囲に目をやり、耳を澄ます。聞こえてくるのは、さざ波の囁きと木々の枝が擦れ合う、爽やかな音ばかりだ。
展望台の傍にある細い車道は雑草が生い茂っていて、隠れるには打って付けだが、人の動く気配はしなかった。
駐車場の方に意識を向けても、車が発進したりする音はせず、誰かがこちらにやってくる様子は感じられない。

「運び屋と落ち合う時間は」

「そんなん、うちは知らへん。いつも、あっちから来はるから」

すばるは、澄み渡った空を映した湖面を眺めた。朱鷺田は続ける。

「相手はいつも同じか」

「それもうちの知ったことやない。あっちが決めてくることや」

「お前の、父親の名前は」

「…それも、知らへんよ」

すばるは一瞬躊躇したが、はぐらかさずに、事実を答えた。

「うちのお父はんはごっつ偉い人やから。色んな名前を持ってはるから。うちの知っとる名前も、嘘の名前や」

「そうか」

朱鷺田はすばるのトートバッグを漁り、その中から淡いグリーンの携帯電話を出した。

「電話も来ないのか?」

「来る時もあるし、来ない時もある」

「だったら、ここで待ってみようじゃないか。お前のお仲間を」

「え?」

すばるがきょとんとすると、朱鷺田はすばるの携帯電話をテーブルに投げ、タバコを取り出して唇に挟んだ。

「お前が決めろ。お前の仕事なんだろう」

「まぁ、きっと、来はると思うけど…。うちが盗んできたんは、これから先必要になる情報やし」

「じゃあ、待とう。お前、逃げないか」

「逃げられるもんなら逃げたいわ! あんたみたいなのと一緒におったって、ちぃとも面白うないねん!」

「なら、拘束するか」

逃げ回られたら面倒だ、と朱鷺田はライダースーツの中から透明な糸を取り出した。それを伸ばし、ぴんと張る。
すばるが身動ぐと、朱鷺田はすばるの背後に回った。両手を後ろに回されると、両の親指を硬い糸が縛り付けた。
テグスだった。朱鷺田はすばるの手の自由を奪うと、すばるの肩を小突いて前のめりにさせ、テーブルに倒した。

「しばらくそうしていろ」

冷たいコンクリートのテーブルに突っ伏したすばるは、上目に朱鷺田を見上げた。いいように、扱われている。
それが、とにかく面白くなかった。この男は、恐らく、第一研究所の所長である鈴音の指示で動いているのだろう。
なぜ、こうなるんだ。ただ、必死に父親の役に立とうとしているのに、どうして肝心なところで邪魔が入る。
一年半前の戦闘だって、もっと頑張れたはずだ。辛い訓練を乗り越えて、機体の操縦を体に叩き込んで覚えた。
なのに、ただの盾にされてしまった。もっと戦えたはずなのに、もっと役に立てたはずなのに、出来なかった。
今だって、そうだ。この男さえいなければ、情報を受け渡す仕事をちゃんとこなして、役に立てているはずだ。
上手く行かない。シュヴァルツ工業に入ったのは、自立するためでもあるが、父親のために働きたいからだ。
あの人は、一度は母親を見捨てたが、また戻ってきてくれた。すばるが職に困らないように、手を回してくれた。
夢みたいな大金を、愛情の代わりにくれた。プログラミングだけでなく、色々な技術を身に付けさせてくれた。
感謝するべき人だ。恩を返すべき人だ。ただ一人の、血縁だ。だから、あの言葉はきっと、悪い夢に違いない。
捨て駒だなんて、嘘だ。





 


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