手の中の戦争




アサルト・ドッグ



 翌日。私は、K−9の外出許可を無理矢理捻り取った。
 当然ながら北斗と南斗はぎゃあぎゃあと泣き喚いたが、相手をするのも面倒だったので目も向けなかった。 余程上に無理を言ったらしく、朱鷺田隊長と神田隊員は朝から疲れ果てていて、悪いことをしたのだなぁと思った。 だが、これしか有効な策が思い付かなかったのだ。文句があるなら、K−9を躾けられなかったSATに言ってくれ。
 私服を着た私は、ライダースーツを着せてフルフェイスヘルメットを被せたK−9を連れて駐屯地から出ていった。 だが、黒王号もサイクロン号も貸してもらえなかったので、駐屯地の近くから出ているバスに乗って移動した。 そのバスに乗っていくだけで、まず苦労した。K−9は、バスが面白くて仕方ないのか、子供のようにはしゃいだ。 人並み外れてでかい体をしているくせに落ち着きが全くなく、外を見たいがあまりにヘルメットを外そうとすらした。 なんとかそれは阻止したが、大変だった。パワードアーマーなしでは、人型自律実戦兵器を押さえ込むのは辛い。 北斗と南斗は私に接する時は人間並みのパワーにしてくれるが、K−9にはそういった心遣いはないようだった。
 どうにかこうにかバスを下車した私とK−9は、繁華街に向かった。平日ではあったものの、人通りは多かった。 明らかに学校をサボっているであろう学生もちらほらと目に付いたが、それを注意するのは警察の仕事である。 だから、私はK−9を連れてショッピングモールに向かうことに専念したのだが、ここでもK−9は手が掛かった。 少しでも目を離すと、おかしな方向に行ってしまう。幼稚園児と同じで、興味が赴くままに突き進んでしまうのだ。 歩道を通る自転車や様々な車両だけでなく、信号機、電光掲示板、ショーウィンドウ、など、見つけるたびに騒ぐ。 いちいち相手をするのも面倒だったが、外に連れ出したのは他でもない私なので、根気よく付き合うことにした。
 また、K−9は興味を引かれた。私は手綱代わりにベルトを掴んでいたが、それを物ともせずにぐいぐいと進む。 突き進んだ先にあったのは、アイスクリームショップだった。店員は困惑気味ながらも、商売用の笑顔を見せた。

「鈴木二尉! 鈴木二尉!」

 尻尾があれば振り回しているであろう声でK−9が叫んだので、私はその背を叩いた。

「外に出たら階級で呼ぶなって言ったでしょうが。やり直し」

「では、礼子さん、礼子さん! これは一体なんなのでありましょうか!」

 K−9は、店頭に並ぶ見本を指した。

「見れば解るでしょうが、アイスを売ってんの。でも、あんたは食べられないでしょうが」

 私はアイスクリームを食べる気分ではないので素っ気なく返すが、K−9の興奮は収まらない。

「それでも、本官はこれが何なのか非常に知りたいのであります!」

「んじゃ、何が良い?」

 仕方なく私が言うと、K−9は多種多様なアイスクリームの名が並ぶメニュー表を見上げていたが、指した。

「あれであります!」

 醤油。なぜそんなものが。私が不思議に思っていると、K−9はイロモノなアイスクリームを注文してしまった。 数分後に、私の手元に醤油味なるアイスクリームが収まった。支払いは、バス代を余らせていたK−9がした。 コーンの上に載せられているアイスクリームは、キャラメル味に近い色だったが、豪快に醤油が掛けられていた。 突っ立ったまま食べるのは何だったので、手近なベンチにK−9と並んで座り、醤油味のアイスクリームを舐めた。 食べてみると、外見ほどイロモノではなかった。バニラの風味が付いた甘いクリームに香ばしさが混じっている。 掛けられている醤油も普通のものではなく、みたらし団子のタレに近い。これはこれで良いかも、と思ってしまった。

「礼子さん礼子さん! それは一体どんなものなのでありますか!」

 K−9が覗き込んできたので、私はK−9に醤油味のアイスクリームを差し出した。

「食べられはしないけど、温度なら解るよね」

「はいであります!」

 K−9は私の両手ごとアイスクリームを握り、大袈裟に感嘆した。

「冷たいのであります! でもって礼子さんの手もちょっと冷たいのであります!」

「あんたの手の方が冷たいんだけど。それと、続きを食べないと溶けちゃうんだけど」

 K−9がなかなか手を離してくれないので私がぼやくと、K−9は慌てて両手を離した。

「すみませんであります!」

「そこまで謝られなくてもいいんだけどさ」

 私は半分ほど舐めたアイスクリームを再び舐めつつ、K−9を見上げた。

「K−9、あんた、外に出たのって初めて?」

「はいであります! 本官は人型…でなくて、堅実に職務を執行する国家公務員なのであります!  ですから、これまでただの一度も外出を行ったことはないのであります!」

「道理で、リアクションが幼児レベルなわけだ」

「はいであります!」

 私の皮肉にも元気良く答えたK−9に、私は少し笑ってしまった。

「グラントはともかくとして、あの二人だって外に出たことがあるのねぇ。任務で、だけどさ」

「本官は国家公務員なのであります! それ故、訓練以外の行動は禁止されているのであります!」

「でも、起きてはいるんでしょ?」

「はいであります! ですがそれは、本官の機能維持のためであります!」

「てぇことは、国家公認の引きこもりだったってわけか」

「訓練以外の時間は、無期限待機だったのであります!」

「言い直してくれてどうも」

 私は苦笑しつつ、ふやけたコーンを囓った。

「ですから、本官は外出出来て嬉しいのでありますが、困っているのであります!」

 K−9は私に向き直ると、土下座するように両手をベンチに付いた。

「礼子さん! 本官がこうしている間にも、凶悪犯罪が発生しているかもしれないのであります! ですから、 本官は駐屯地で待機しているべきなのであります!」

「これも訓練の一環だよ、K−9」

「ですが、礼子さん!」

 ぐぐっと身を乗り出して迫ってきたK−9に、私は手を向けて制した。

「いくらあんたが清廉潔白で完全無欠な国家公務員だからって、気を抜かなきゃ壊れちゃうよ」

「本官にはそのようなものは不要であります! 本官は壊れても換えが効くからであります!」

「それ、誰が言ったの?」

「社長どのであります!」

 警視総監か。私は唇に付いた醤油味のクリームを舐め取ってから、ハンカチで口元を拭った。

「そりゃ根深いわ」

「何がでありましょうか!」

「どんなに優秀な人材だって、教育しなきゃ育たないのに、その辺を怠ってたんじゃ組織としては致命的だわ」

 私は膝丈のフレアースカートの中で足を組み、ベンチにもたれた。原因があちらにあっては手の施しようがない。 いくら自衛隊側でK−9を鍛え直しても、SATに戻した途端に備品扱いに戻ってしまっては何の意味もないのだ。 人間にせよロボットにせよ、人格を強制するには環境を整えなければ始まらないが、相手が警視庁では難しい。 本格的に行き詰まってしまった。私は少し唸っていたがベンチから立ち上がり、スカートから汚れを払い落とした。

「アイスも食べ終わったし、当初の目的地に行こうか」

「はいであります!」

 K−9も続いて立ち上がり、定規でも差し込んでいるのかと思うほど真っ直ぐに背を伸ばした。

「じゃあ、あの信号を渡って」

 と、私が交差点を指して振り向いた瞬間、悲鳴のように甲高いアクセル音が響き、車両が突っ込んできた。 横断歩道を渡る途中だった通行人を次々に跳ね飛ばすが、速度が緩むことはなく、車体も左右に揺れている。 アクセルとブレーキを間違えたのか、と思ったがそうではなかった。ハンドル捌きに迷いはなく、明らかに故意だ。 交差点を渡ろうとしていた車両は異常事態を察知して全て停車したが、暴走する乗用車だけが走り続けている。 血走った目でハンドルを握る人物の目が、私に定まった。テロリストとは違った意味での、凶暴さが宿っていた。 男は私を捉えたまま、アクセルを更に深く踏み込んだ。私が飛び退くよりも先に、K−9が私を抱えて跳躍した。
 一瞬の後、今し方まで座っていたベンチが乗用車の血濡れたボンネットに貫かれ、細かな木片が飛び散った。 K−9が悲鳴の飛び交う歩道に着地したので、私は腕から脱して脇の下のホルスターからグロック26を抜いた。

「K−9! 被疑者の鎮圧と拘束!」

 だが、K−9は反応しない。

「K−9!」

 だが、答えはない。苛立ちながら横目に見上げると、K−9は両腕から内臓された速連射銃を出していた。

「武装解除しろ、K−9! 聞こえないのか、命令だ!」

 ひどく興奮しているが、銃を使うような相手ではない。だが、K−9はゴーグルの下でスコープを作動させた。 K−9の照準が、ひき逃げ犯が乗っている乗用車に定まった。鈍色に輝く二つの銃口が、エンジンに据えられる。 がしゃこっ、とK−9の両腕に内蔵されていた弾薬が銃身に移動し、厚いチェンバーがスライドして装填される。 制止するよりも早く、K−9が発砲した。私の頭上でマズルフラッシュが瞬いて、衝撃を伴う熱風が吹き抜けた。 エンジンに着弾してボンネットが抉れると途端に発火し、延焼する寸前でひき逃げ犯である男が転がり出てきた。 数秒後、ガソリンタンクに引火したらしく、派手に爆発した。どす黒い煙と油臭い熱気が漂い、悲鳴の数が増える。

「くそっ!」

 私は仕方なくK−9を無視し、火傷を負いながらも鉄パイプを引き摺るひき逃げ犯に向かい、頭上へ発砲した。 突然の発砲音に驚いて、一瞬男の動きが止まる。その隙に私は体勢を整え、体重を乗せた拳を叩き込んだ。 真っ直ぐに腹部に打撃を加えてから、足を払い、武器を奪い、肩を極め、地面に押し当てて犯人の体を封じた。 脂汗を流しながら痛みに吼えるひき逃げ犯を無視して、私は先程アイスクリームを売ってくれた店員に叫んだ。

「何してんの、警察と救急車! 110と119!」

 青ざめながらも頷いた店員は、店内に駆け戻った。私はバッグの中からテグスを出し、犯人の親指に巻いた。 両手親指の第一関節同士を拘束された犯人は、更なる痛みに情けない呻き声を上げたが、容赦はしなかった。 痛みなら、ひき逃げされた不特定多数の方が激しい。これぐらいで根を上げるんだったら、人間なんか殺せない。 極めている間に抜けかけた肩関節を乱暴に元に戻してやってから、私は棒立ちになっているK−9を見上げた。

「K−9、あんた、それでも」

「鈴木二尉。被弾の危険性があります。直ちに被疑者から離れて下さい」

 甘えや幼さを消した声色を発したK−9は、躊躇いもなく銃口をひき逃げ犯に向けた。

「警告します、直ちに被疑者から離れて下さい」

「そりゃ、こいつは犯罪者だけど、そこまでする必要はない。あんたも警官の端くれならまず逮捕を考えろ!」

「市民生活の平和を守るのが本官の最大の任務であります」

「そりゃそうだけど、だからって武力行使しちゃテロリストと同意義になるってのが解らないのか!」

「テロに等しい犯罪行為を行ったのは被疑者であります。本官の行動は法律に基づいているのであります」

「もういい、とにかく銃を引け!」

「被疑者の処分が先決であります」

「上官命令が聞けないのか、K−9!」

「本官の所属は自衛隊ではありません。特殊急襲部隊であります」

「仕方ない、奥の手だ」

 私は携帯電話を出し、アドレス帳を開いて通話ボタンを押した。すると、K−9はびくんと両耳を動かした。 私達特殊機動部隊は、高宮重工所有の人工衛星を通じてコアブロックに接続出来る回線とコマンドを持っている。 人型自律実戦兵器の緊急停止を行うものだ。出来れば使いたくなかったのだが、ここまで駄々っ子では仕方ない。 接続に必要な番号を押して声紋認証を行ってから数秒後、K−9は膝を折り曲げ、銃を出したまま崩れ落ちた。 どがっしゃあ、と重たい音を立てて俯せに倒れたK−9に、私は安堵した。だが、すぐに周囲に視線を巡らせた。 この機能を使用したのは、今回が初めてだ。だが、搭載されたという情報はどこかの情報機関に漏れているのだ。 だから、駐屯地に帰ったらすぐに番号と声紋認証の言葉を変更しなければ、一体どうなるか解ったものではない。
 グロック26をホルスターに戻して携帯電話を閉じようとすると、着信があった。先程のコマンドを感知したらしい。 着信名は北斗か南斗かと思ったが、違った。朱鷺田。私はそれに戸惑うよりも軽く怒りを覚えながら、受けた。

「はい、鈴木」

『高宮から緊急停止コマンドを使用したとの連絡があった。駄犬が暴走したんだな?』

 いつもと変わらぬ隊長の声に、私は苛立ちながらも平坦に返した。

「ちょっと事件がありましてね。おかげで、使いたくもないものを使っちゃいましたよ」

『通称、アサルトシステム。細かいことは割愛するが、要するに自動戦闘システムだな。そいつを搭載して 稼働しているのは現状ではK−9だけだ。有効ではあるんだが、不完全でな。高宮のお嬢さんが愚痴ってたよ、 修正と調整が終わらないってな』

「そういう面倒な機能があるんなら、先に説明しといてくれます?」

 私は通話しながら、芋虫のように這って逃げようとしたひき逃げ犯の背中に靴底を落とし、動きを封じた。

『説明しちまったら、お前は突っぱねただろうが』

「ええ間違いなく。ていうか、私のことを買い被りすぎですよ。そりゃ、多少は戦えますけど、そこまで有能って わけでもないんですから。大体、そういう専門的なことだったら、私なんかじゃなくて高宮に任せておいた方が 余程効率が良いと思うんですけど。常識的に考えて」

『俺もそう思うし、言ったんだが、俺達はなまじ強すぎるからな。そっちの方にも明るいと思われたんだろう』

「物凄く拡大解釈されてますね」

『全くだ。だが、一度引き受けたからには、俺達でどうにかするしかない。俺達は所詮現場の人間だ、 上には逆らえない。回収車を出すから駄犬を連れて帰還しろ、教官どの』

「アイサー」

 私は心底うんざりしながら、隊長との通話を切った。パトライトを回転させながら、緊急車両が近付いてきた。 数台の救急車とパトカーが到着するや否や、警察官と救急隊員が飛び出し、哀れな被害者達の救助を始めた。 私も国家公務員として参加するべきだろうか、と思ったが、まずは現行犯逮捕した被疑者を引き渡すのが先だ。 手近な警察官を呼び止めて、事の次第を説明すると、テグスで縛って転がしてあるひき逃げ犯を運んでくれた。 彼らは俯せに倒れているK−9を見たが、言及せずに現場に戻った。きっと、箝口令が敷かれているのだろう。 私は駄犬と狂犬の二つの顔を併せ持つ巨体に近付き、小突いた。反応が返ってこないのは解っているのだが。 この事件捜査と証拠保全と事情聴取に協力しなければ、帰れないだろう。せっかく、休日を楽しもうと思ったのに。 だが、こうなっては仕方ない。私はとっておきのジャケットに付いた硝煙の匂いを気にしつつも、気を引き締めた。
 開き直って、戦い抜くしかない。





 


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