手の中の戦争




アサルト・ドッグ



 長時間の取り調べから解放された後は、始末書と報告書の嵐が待ち受けていた。
 駐屯地の営舎に戻った私は、私服から作業服に着替えて事務室に籠もり、ひたすらボールペンを動かしていた。 被疑者を取り押さえたが事件の重要参考人であることには変わりなく、身分を明かしても尚も拘束されてしまった。 七年前、私の通っていた中学校で起きた襲撃事件以降も、特殊機動部隊の世間の認知度は未だに低いからだ。 その上、私は護身用に拳銃を所持していたし、ナイフも持っていた。そのせいで、余計な疑いを掛けられたのだ。 結局、自衛隊と連絡を取って私の身元の裏付けを取るまでの間、私はひき逃げ犯の共犯のように扱われていた。 テロリストと戦うことに比べたら、刑事の取り調べなどなんでもないのだが、数時間に渡ったので疲れてしまった。 だが、帰ったら帰ったで仕事が待っていた。K−9が暴走しかけた件で、街に連れ出した私の責任が問われた。 それは当然のことだとは思うのだが、今、寄越さなくても良いと思う。明日もまた、K−9の訓練があるというのに。
 私はがちがちに固まった肩を回しながら、未だに書き上がっていない始末書と報告書を渾身の力で睨み付けた。 だが、いくら睨んでも、こいつらは勝手に出来上がってくれない。私はため息を零し、冷めたコーヒーを啜った。 付けっぱなしにしているテレビでは夜のニュース番組が終わり、ゴールデンよりは面白い深夜番組をやっていた。

「礼ちゃん、いるー?」

 ノックの後、事務室の扉が開いた。南斗だった。

「生憎ね」

 私は眼精疲労を起こしつつある目で、南斗を見やった。南斗は、気が利くことに夜食を持っていた。

「喰う?」

「そりゃもちろん。こんな時間になると、夕食なんて胃の中に残ってないもん」

 私はぐいっと腕や肩を伸ばし、関節を鳴らした。南斗は扉を閉めてから、私の机の上に夜食を置いた。 以前、私が買い置きしておいたカップヌードルにお湯を入れてあるだけだが、それだけでも今はありがたかった。 蓋の上に載せてあった割り箸を割ってから、湯気でふやけている蓋を剥いで、少し伸びた麺をずるずると啜った。

「北斗はまだ帰ってきてないの?」

 私は麺を飲み込んでから、机に寄り掛かっている南斗を見上げた。南斗は、べっと舌を出す。

「なんでぇ礼ちゃん、せっかく俺がフラグばっしばしに立ててんのに、そんなんじゃマジぶち壊しじゃんよー」

「何期待してんだか」

 私はその軽口に笑いつつ、安っぽい味のスープを飲んだ。

「いいじゃん、期待してもさぁ。俺、今でも礼ちゃんがマジ好きなんだし?」

 南斗は不満げにむくれていたが、報告してくれた。

「愚弟の野郎は、昼間の無差別ひき逃げ事件のせいでちょっと世間に出ちゃったK−9の情報を ばらまこうとしてる犯罪組織に突っ込んでるってさ。礼ちゃんがいない分、G子と上手くやってるってさ。 俺が無期限待機なのがマジ解んねーけど」

「次から次へと面倒が起きるねぇ」

 私は半分ほど食べたカップヌードルを置き、冷めたコーヒーを飲み干した。

「鈴音さんから寄越してもらったアサルトシステムの仕様書とかも流し読みしてみたけど、素人目に 見ても実用段階じゃないね、あれは」

「エモーショナルリミッターは感情さえ抑制出来ればある程度コントロールが効くけど、アサルトシステムは そういうのを全部無視しちまうんだよなー。守るべき対象の人間と殺すべき対象の人間の区別を付けちまったが 最後、一般市民への危険がなくなったと自己判断するまで戦い抜いちまうんだ。ある意味じゃマジ効率いいけど、 そんなんじゃ巻き添えを食って死ぬ人間の方が多いよな」

 南斗はジャングルブーツを履いた足を子供っぽく揺らしながら、嫌そうに言った。

「試験の時に俺らも付けられたことがあるけど、あれの気持ち悪さってマジパネェよ。攻撃対象を 捕捉しちまった後は俺の意志とは無関係に体が動いちまって、うっかり人質まで殺しそうになっちまったんだよ。 でも、俺も愚弟も無駄弾散らして弾倉を空にしておいたから、素手で犯人をぶちのめしたからなんとか なったんだけどな。なんでもかんでも殺しゃいいってもんじゃないぜ」

 私は壁際まで椅子を下げると、窓枠に頭をもたせかけた。外は真っ暗で、鉄格子を照らすライトだけが明るい。

「でも、そんなに問題の多いシステムだったら、なんでK−9から外さないの?」

「量産を前提とした機体だから、ボディだけじゃなくてソフトの実動データも必要だからに決まってんじゃん」

「だけど、そういうのって好きじゃないなぁ」

 私の脳裏には、グラント・Gの量産機の姿が過ぎった。彼らはリーダーのグラント・Gとは違い、意志を持たない。 それ故、リーダーであるグラント・Gが行動不能に陥った場合であっても、グラント・Gを助けるどころか切り捨てた。 機械としては、それが最も効率の良い判断だ。実際、そうしなければ過酷な戦場ではやっていけないのも確かだが、 綺麗事を言ってしまえば、むやみやたらに戦うだけの機体は本当の意味での自律兵器とは言えないのだ。 確立した自我を持ち、自己判断を下し、そして行動する。人間と同じく経験を積むからこそ、彼らは強くなっていく。 K−9にも同じことが言えるが、彼はその経験が圧倒的に足りない。だからこそ、アサルトシステムに負けている。

「ねえ南斗、あんただったらどうする?」

 私は、何の気なしに南斗に尋ねた。

「アサルトシステムを削除する? それとも、K−9を鍛え上げて、アサルトシステムを使いこなさせる?」

「人道的には前者、効率的には後者じゃね?」

「だぁよねぇ」

 私はまたもや行き詰まってしまい、眉を下げた。

「K−9を実戦配備可能な状態にまで持ち込みたいし、警視庁もそれを望んでいるわけだから、そういう 結果を出すべきだとは思うんだけど、時間が足りないんだよね。どうしよっかなー、本当に…」

「でもさ、K太が礼ちゃんの言うこと聞かなかったんなら、聞かせればいいんじゃね?」

「手懐けろってこと?」

「俺らの回路の大半はエモーショナル回路に左右されてるわけだから、俺らみたいに礼ちゃんに ゾッコンになっちゃえば、マジ逆らう気なんて起きないって!」

「えぇー…」

 これ以上、変なロボットに好かれてたまるか。私が身を引くと、南斗は拗ねた。

「俺だってさぁ、K太が礼ちゃんにベッタベタするのは嫌だけど、マジ仕方ねーじゃん?」

「私だって、嫌だよ」

 私も目を伏せてしまった。南斗でさえこうなのだから、K−9といちゃついていたら北斗がどう思うやら。 まず、怒られるだろう。そして、大いに嫉妬させてしまうだろう。妬くのもそうだが、妬かれるのも良いものではない。 仕事に私情を持ち込むのは良くないが、ついそう思ってしまう。私が戦っている理由だって突き詰めれば私情だ。 北斗が好きだから傍にいたい。そのためには守られているだけではダメだと思ったから、自衛官に志願したのだ。 だが、しかし。私は思い悩んでいたが、始末書と報告書を追いやり、引き出しから作戦立案書を一枚取り出した。

「…南斗」

 私は作戦立案書に名前を書いてから、南斗を見上げた。

「悪いけど、協力してくれる?」

「え」

 南斗は呆然としたが、机に両手を付いて迫ってきた。

「ちょっおいマジそれヤバいって! 別にありゃ本気で言ったってわけじゃねーし!」

「でも、他に良い作戦がある?」

「俺、それだけは絶対反対だからな! 地球がぶっ飛んだって宇宙が消滅したって手ぇ貸さねぇからな!」

「後でキスしてあげる。北斗には内緒ね」

「任務了解! 礼ちゃんのためだったら水素爆弾だって敵じゃないぜひゃっほうい!」

 途端に元気になった南斗は、両手を高々と突き上げた。現金にも程がある。

「はいはい」

 私は南斗の浮かれた叫びを聞き流しながら、作戦立案書にK−9を手懐けるための作戦概要を書き連ねた。 ただ、これを朱鷺田隊長が受理してくれるかどうかが問題だ。あの人は、感情論なんて通用しない男だからだ。 神田隊員ならごり押しで通せるが、朱鷺田隊長は別だ。作戦の合理性と必要性を説かなければ、まず無理だ。 私は文面を考え込んでいると、隣で南斗は妙な踊りを踊っていた。喜びすぎて、変なスイッチが入ったらしい。 だが、それをまともに見ていると面白すぎて集中出来ないので、私は作戦立案書にだけ気を向けることにした。
 これもまた、戦いなのだ。




 翌日。私は、自分を捨てていた。
 任務を終えた北斗とグラント・G、整備点検を終えたK−9、待機中の南斗、出勤した神田隊員と朱鷺田隊長。 彼らの鋭い視線を浴びながら、私は生まれて初めて被ったイヌ耳と、明らかに場違いなフリフリの服を着ていた。 語弊がないように言っておくが、メイド服ではなくエプロンドレスである。限りなくメイド服に近いとは思うのだが。 どれほど不利な状況にあっても、ここまで空気が冷えたことはなかったと思う。それほどまでに寒いことなのだ。 似合わないことは百も承知だ。馬鹿げているのは千も承知だ。どうしようもない作戦なのは無量大数も承知だ。 だが、これ以外に手がなかったのも事実だ。朱鷺田隊長は受理したことを後悔しているのか、目も合わせない。

「oops........」

 グラント・Gは肩を竦めてから、ぎこちない笑みを浮かべる私を覗き込んできた。

「drug デモ決メチマッタノカ、礼子?」

 それならまだ救いがある。正気ではないからだ。だが、私は正気で素面で真面目にこれを着ているのだ。

「な、何があったんだ、南斗?」

 呆然としながらも多少喜んでいる北斗は兄に尋ねたが、南斗はにやけるだけだった。キスしてやったからだ。

「んー、べっつにぃー?」

「礼子ちゃん…」

 何か理由があるのだろう、と言いたげな神田隊員の同情の目線に、私は脳天を撃ち抜きたくなったが堪えた。

「鈴木二尉。一身上の都合により、本日の訓練は全て解除とする」

 それだけ言い残した朱鷺田隊長は、この場にいることすら嫌なのか、足早に事務室から出ていってしまった。

「じゃ、俺もプレアデスの調整があるから」

 神田隊員も即座に逃げてしまった。気持ちは解る。そして、残されたのはイカれた女とロボット兄妹だけだった。 私は腹を決めて開き直り、K−9に向き直ると、精一杯の媚びと愛想を振りまいてポーズを決めた。

「わん」

 空気が凍り付いた。グラント・Gが、creepy と呟いたのは聞き逃さなかった。

「スーパー礼ちゃんターイムッ!」

 気まずすぎる空気をぶち破ったのは、南斗だった。

「さあ行けぇK太、礼ちゃんにしっかり愛玩されてきやがれコンチクショー!」

 後半は本音がだだ漏れになりながらも、南斗はK−9を蹴り飛ばして私の方に突っ込ませた。

「何をするでありますかぁっ大兄様!」

 私の前に転がってきたK−9は、私と目が合うと、やりづらそうに敬礼した。

「…どうもであります」

「Kちゃーん」

 私は北斗にすら見せたことのない愛想たっぷりの笑顔で、K−9を撫でてやった。

「今日はぁ、私と一緒に遊びましょ?」

「ですが鈴木二尉、本官は訓練が」

「今日はお遊びの日だからぁ、Kちゃんの訓練なんてないんだよぉ。二尉なんて余所余所しいなぁ、 私とKちゃんの仲じゃない、これからは礼子ちゃんでいいんだぞっ」

 私が死にそうな思いでウィンクしていると、北斗が後退った。ドン引きしている。ああ解る、よく解るよその気持ち。

「だ、だぞ?」

「ボール遊びだっていいしぃ、フリスビーだっていいしぃ、なんだったらお散歩だっていいんだぞっ」

 二度目のウィンクで、私は羞恥心を捨てた。K−9も戸惑っていたが、耳が動いたのを見逃さなかった。

「お散歩、でありますか」

「そうよぉ。お・さ・ん・ぽ」

 私は一文字ずつ区切って、粘っこく言ってやった。K−9はへたっと私の前に座ると、寝そべって腹を出した。

「どこへでもお連れ下さいであります! 本官は、河川敷だろうが公園だろうがなんだろうが、どこへでも 連れて行かれる所存でありますっ!」

「じゃ、いっきましょー?」

 私はおもむろに首輪と鎖を取り出し、K−9に差し出した。

「あおうん!」

 歓喜のあまり人間の言葉を失ったK−9は、己の手で鎖の付いた首輪を装着すると、最敬礼した。

「準備完了しましたであります、礼子ちゃん!」

「お手」

 私が手を差し出すと、K−9は右手を乗せてきた。

「お代わり」

 私が左手を差し出すと、K−9は左手を乗せてきた。

「はぁい、Kちゃんは良い子ですねぇー」

 私がK−9を撫で回してやると、K−9は一声吼えた。

「あぉん!」

「ぐああああああっ!」

 突然野太い悲鳴が轟いたので、振り向くと、北斗が頭を壁に打ち付けながら叫んでいた。

「自分も礼子君に媚びられたいっ、ウィンクされたい、首輪されたいっ、蹂躙されたいっ、弄ばれたいっ!」

 されたいのかよ、お前は。頼まれてもしないけど。北斗は私に向き直り、誇らしげに自分を示した。

「で、あるからして、礼子君! 散歩の対象はそんな駄犬ではなく自分に変更すべきなのだ!」

「キンタロス印のダイナミックお兄ちゃんチョーップ!」

 すると、南斗が北斗を手刀で叩きのめした。首筋に強烈な打撃を喰らった北斗は、床に顔面を突っ込んだ。

「今日はスーパー礼ちゃんタイムなの! でもってK太タイムなの! だから俺らが邪魔したらダメなんだよ!」

「Why?」

 状況にさっぱり付いていけないグラント・Gに、南斗はにんまりした。

「G子はお姉ちゃんだろ? だから、弟に礼ちゃんを譲ってやらなきゃ可哀想だろ?」

「オ姉チャン…。me ガ big sister?」

 グラント・Gはドリルとペンチの両手を頬に当て、oh、と身を捩っている。お姉ちゃん扱いされて嬉しいのだろう。 私はひたすらにこにこしながら、叩きのめされたままの北斗を乗り越えて、K−9を引き連れて営舎を後にした。 散歩と言っても、行動出来る範囲は駐屯地内に限られている。他の自衛官の目に気を付けて行動しなければ。 K−9は心の底までイヌなので、首輪を付けられて引っ張られても嫌がるどころか喜んでいるようだった。ドMだ。 私はアキバ系を目指して盛大に方向を間違えたイメクラ嬢のような格好で、駄犬を引っ張りながら歩き続けた。
 これも戦いだ。戦いったら戦いなんだ。





 


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