手の中の戦争




コンバット・クリスマス



 私は躊躇いもなく懐に手を突っ込んだ。
 北斗は自信に満ちているが、他の面々が固まっていた。背後の朱鷺田隊長は、額を押さえて口元を歪めている。 鈴音さんはきょとんとしていて、南斗は仰け反っていて、とんでもないことを言い放たれた健吾は唖然としていた。 会議室全体が、しんと静まり返ってしまった。私は愛用のグロック26を取り出し、ぎちりとハンマーを起こした。

「北斗」

 銃口を上げ、真っ直ぐに北斗の額を狙う。

「脳天、撃ち抜いてやろうか」

 だが、北斗は微塵も動じなかった。それどころか自信が溢れすぎて破裂しそうになっている。

「誤解してもらっては困るぞ、礼子君。これは自分が考えに考え抜いた、礼子君へのプレゼントなのだ!」

「有り得ない場所で有り得ない状況で有り得ないコスチュームでの有り得ないプロポーズが?」

「これまで自分は、礼子君へのプレゼントをことごとく失敗してきた。誕生日を始め、クリスマス、バレンタイン、 ホワイトデー、その他諸々の記念日にかこつけて贈ったはいいが、礼子君が喜んでくれたことは皆無なのだ」

「そりゃ、あんたの趣味が悪いからだ。誕生日に防弾ジャケットをもらって喜ぶような女は、この世にいない」

「自分は、これまでの失敗を教訓に新たな戦略を立てた! 聞けば、世の女性は結婚こそ幸せの終着点と 考えているらしいではないか。収入の安定した定職に就き、堅実な性格を持ち、家庭を愛する心を持った男と 寄り添うことが何より素晴らしいとされているらしいのだ。よって、自分は考えた!」

 北斗は私に歩み寄ってくると、銃口の目の前に立ち、私に手を差し伸べてきた。

「礼子君と自分が添うことこそ、礼子君にとって至上の幸せであり最上の献上品となるのではないのかと!」

「ならない」

 私が思い切り切り捨てると、北斗は、ぐう、と悔しげに唸った。

「なぜだ礼子君、なぜ喜んではくれぬのだ! 自分は、そうなったら嬉しすぎてリミットブレイクしてしまうぞ!」

「それはあんたの場合であって、私の場合じゃない。で、健吾を呼び出した理由は宣言をするため?」

「うむ。世の婚約者同士は、お互いの両親に紹介し合ってから、結納を行い、結婚へと進むそうではないか」

「だったら、なんでうちのお父さんとお母さんにしなかったの。その方が話がややこしくならないでしょ」

「自分も出来ればそうしたかったのだが、今日は平日なのだ。礼子君のご両親は社会人なのであるからして、 ただの平日に呼び出すことは無礼極まりなく、また失礼なのだ。よって、礼子君の身内の中で時間を持て余して いそうな者、すなわち学生である弟君を選んだのだ」

 北斗は健吾を指した。確かに健吾は暇だが、そんなことのために呼び出されたのではたまらない。 健吾は唖然としたままでいたので、私はグロック26をホルスターに差してから、弟の前でぱんと手を叩いた。 その音でやっと意識を戻したのか、健吾は瞬きを繰り返した。健吾は私と北斗を見比べていたが、呟いた。

「姉ちゃん、男、いたんだ」

 男、と言われて北斗は心なしか嬉しそうだ。健吾は私に歩み寄り、真顔で言った。

「で、この人、どこからどこまでが名字なん?」

「名字?」

私がその言い草を不思議に思うと、健吾は恐る恐る北斗を示す。

「だってさ、この人、さっき名前言ったじゃん? ヒトガタジリツジッセンヘイキ、ってあれ」

 健吾は動揺しすぎたせいで軽く混乱しているようだ。あれだけ脅された後では仕方なかろう。

「それは製品名称だ」

 北斗は黒いグローブと派手な装甲を付けた手を、やはり派手な装甲の付いた胸に当てる。

「通称名は北斗と申すが、正式名称は高宮重工製人型自律実戦兵器五式七号機二○二○年型だ」

「ちなみに、コアブロックナンバーは俺がHMS-006でこいつがHMS-007。ついでに言えば、HMSってのはヒューマニックマシンソルジャーの略な。あ、これも第一級軍事機密だから内緒だぜ、弟」

 北斗の肩に腕を乗せ、南斗がずいっと顔を突き出してきた。健吾は私を見下ろし、真顔を崩した。

「姉ちゃん。マジ?」

「マジ」

 私が答えると、健吾は複雑極まりない声を漏らした。事態を飲み込もうとしているようだが、まだ出来ないらしい。 無理もない。短時間のうちに色々なことが一気に押し寄せてしまっては、誰だって訳が解らなくなってしまう。

「はい、ちょっと中断」

 突然、鈴音さんが手を上げた。綺麗なデザインの携帯電話を耳に当てていたが、離した。

「葵ちゃんとその家族がご到着だから、そろそろ準備始めましょうか」

「うむ、そうであるな。では、礼子君、これを」

 北斗は変身ベルトに挟んでいたB5サイズの冊子を引き抜くと、渡してきた。私は、それを受け取る。

「何これ?」

 お遊びのサークルが作ったコピー同人誌のような薄っぺらい冊子には、ゴシック体で『戦慄!  恐怖のサンタクロース』とのタイトルが印刷されていた。まるで、どこぞの恐怖漫画のようなタイトルだ。 その下に書かれている作者名を見て、私は目を丸くした。著作・神田すばる。何を書いたんだ、と怖いもの 見たさでページをめくると、中身は台本形式になっていた。どうやら、北南兄弟の仮面ライダーを使って 寸劇を行うらしいが、配役の部分を見て更に驚いた。悪のサンタクロース・朱鷺田修一郎。私が台本から 顔を上げると同時に、朱鷺田隊長はタバコで私を指した。

「鈴木、隊長命令だ。俺の代役をやれ」

 朱鷺田隊長の手には同じ台本があり、やはり配役のページを開いていた。

「隊長、それは職権乱用ってやつでは」

 気持ちは解るけどその命令は聞きたくなかったので、私は口答えをした。

「間宮め…。上下関係じゃなくなったからって、やりたい放題やりやがって」

 俺に恨みでもあるのか、と朱鷺田隊長はぼやいていたが、私を睨んできた。逆らうなとでも言いたげだ。

「いいか、鈴木。俺はお前の実力を買っているからこそ、命令するんだ」

「…アイサー」

 本心としては命令を放棄したかったが、この状況では無理だ。隊長命令に従って職務を全うするしかない。 ぱらぱらとめくって粗筋を確かめると、この寸劇は、ヒーローショーでありがちなもののようだった。 悪役が現れて子供に襲い掛かり、そこへヒーローが登場して戦闘になりヒーローが勝つ、というものだ。 但し、人質の子供役がリアルな子供ではなく、私の弟だ。健吾が来ることはすばるさんにも伝わっていたようだ。 会議室の扉がノックされて開かれると、そこには苛立ちを露わにしている神田隊員が立っていた。

「おい、高宮!」

「あら早いわねぇ、葵ちゃん。妻子は?」

 鈴音さんがにっこりしたが、神田隊員は足早に鈴音さんに詰め寄った。

「心配無用だ、一階のロビーにちゃんと待たせてあるよ。そりゃまぁ確かに、手を回してくれとは言ったが、 ここまでやってくれとは言っていないぞ。経費は出さないぞ」

「大丈夫よ、それはこっち持ちだから。それにしてもすばるさん、仕事早いわねー。一日で原稿仕上げてくれたわ」

「原稿って…それのことか?」

 神田隊員が鈴音さんの持っている冊子を指すと、鈴音さんは神田隊員にも冊子を渡した。

「そうよ。なかなか面白いんだけど、内容は見てのお楽しみよ。今日は葵ちゃんもお客様だから。ちなみに、 朱鷺田さんは参加してくれないらしいから、タイトルも変更するわ。戦慄! 恐怖のサンタクロースじゃなくて、 『戦慄! 恐怖のサンタガール』ってことでいいわね」

「ということは、礼子ちゃんも巻き込んだんだな?」

「ええ、さっくりと」

「あれの中身は南斗と北斗か?」

 神田隊員が二人の仮面ライダーを指すと、鈴音さんはにんまりする。

「ええ、そうよ。せっかくクリスマスなんだから、うちの子の願いも叶えてやらないとって思って」

「…無茶苦茶だな」

「無茶苦茶ついでに、G子も呼んだから。輸送にちょっと手間取っちゃってたけど、もうじき到着するわ」

 本当に、無茶苦茶である。この状況で出動が掛かったら、と不安になるがそうならないことだけを祈ろう。 仕方ない。こうなったら、腹を決めるしかない。すばるさんの脚本の寸劇を、演じてやるしかなさそうだ。 これも、翼ちゃんのためだ。そして仕事なのだ。任務だとさえ思ってしまえば、別にどうってことはない。
 いや、どうってことあるか。




 十五分後。私は敵前逃亡したくなっていた。
 鈴音さんがどこからともなく取り寄せてくれたサンタガールの衣装は、やたらとスカートが短いものだった。 しゃがんだら、絶対にパンツが見える。疑問は尽きないが、最大の疑問はなぜこれがここにあるかということだ。 人型兵器研究所内ならまだしも、ここは高宮重工本社だ。鈴音さんのオタクコレクションは、ここにはない。 だが、この手際の良さは明らかにおかしい。きっと、本社内にも、鈴音さんの私物がどっさりあるに違いない。 このスカートの短さといい、淡いピンクのニーソックスといい、これは絶対にコスプレ用の衣装だと思う。 脱げるものなら、この場で全部脱いでしまいたかった。私は二度と入りたくなかったが、特別会議室に入った。

「出来たよ」

「おお、素晴らしいぞ礼子君!」

 いきなり立ち上がった北斗に、私は衣装と共に用意されていたMP5A5を構えた。エアガンだけど。

「うるさい」

 MP5A5を下ろし、先の尖った赤い帽子を被った。そして、レンズが大きめの黒いサングラスを掛ける。 それがなければ、繁華街によくいるサンタガールなのだが、サングラスだけでぐっと怪しくなるから不思議だ。 サングラスを掛けたため、視界が少し薄暗くなった。人質役の健吾は、私の格好を見てかなり嫌そうにした。

「姉ちゃん…。なんか、銀行強盗みたいだ」

「割り切れ。私も割り切るから」

 私は、任務の時のように心を平静にした。着替え中に到着したのか、グラント・Gが会議室内にいた。

「Oh、礼子! very very cute ダゼ!」

 グラント・Gも、私と同じ悪役である。凶悪なトナカイ、という設定なので、頭に変なツノを付けられている。 兄達は完璧に仮面ライダーに変身しているにもかかわらず、妹だけはほぼそのままで、飾りはツノだけだ。 そのツノも、幼稚園のお遊戯で作るような、切り抜いた厚紙にサインペンで色を塗っただけという安っぽさ。 しかも、それがガムテープで固定されている。私だったら、そんな格好にさせられたら、死んでも逃げる。いや、 サンタガールでも充分逃げ出せるけど。だが、当の本人のグラント・Gはあまり気にしていないらしく至って 明るかった。楽観的というか、ネジの一本までアメリカンというか。ドイツ製だけど。

「Hahahahahahahahaha! 今日ハ頑張ロウゼ、礼子!」

「高校の文化祭を思い出すわねー、葵ちゃん」

 鈴音さんがしみじみと頷くと、神田隊員は苛立ち紛れにマイルドセブンを蒸かしていた。

「そうか? あの時は、こんなに悪趣味じゃなかった気がするが」

「俺は知らんからな。これはお前らの独断なんだ、一切責任は持たん。事後処理もお前らだけでやれ」

 朱鷺田隊長は神田隊員以上にタバコを吸い散らかしていて、そのせいで会議室全体がヤニ臭かった。

「時間が足りないから、リハは無理だな。ぶっつけ本番でやるっきゃないって感じ?」

 南斗は、両手を上向けて肩を竦める。

「でも、そういうのは俺らのマジ得意技じゃん? 本番に強ぇのが特殊機動部隊のキモだし?」

「うむ、こういった事態でこそ我らの真価が発揮出来るのだ!」

 はははははははは、と北斗は上体を逸らして笑っている。グラント・Gは、左腕のドリルを無意味に回転させる。

「Oh Yes!」

 鈴音さんの携帯電話が鳴り、鈴音さんは電話を取って一言二言答えていたが、ぱちんと携帯電話を閉じた。

「それじゃ、任務開始よ。もう少ししたら、すばるさんと翼ちゃんが来るから」

 全く、早急なことだ。どんなに緊急の戦闘作戦だって、もう少しはミーティングを行う時間があるはずだ。 だが、ここまで来てしまったのなら仕方ない。衣装も着てしまったのだから、今更引き下がれるはずがない。 私は両手に填めている赤い手袋を直していたが、視線が勝手に動き、神田隊員の左手へと向かってしまった。 家庭的で家族を何よりも愛している神田隊員は、いつ何時であろうとも、結婚指輪だけは外そうとしない。 当然、今日も付けている。骨張った左手の薬指に填っている金色のリングは、大分色が鈍っていた。
 結婚、か。良い響きだ。でも、それは私には無縁の話だ。北斗の考えは、正直言えば、あまり嫌ではない。 北斗が私に寄越してきたプレゼントの中では、今までで一番まともかもしれないが一番強烈なものだった。
 そして、一番扱いに困るものでもある。





 


06 12/2