放課後。鋼太郎は、百合子に言われるがままになっていた。 下校して制服から私服に着替えた直後、同じく私服に着替えた百合子に引っ張られ、彼女の家に上がらされた。 そして、数年ぶりに百合子の部屋に入った。八畳の洋間で、至るところに可愛らしいものが配置されている。 ベッドカバーはピンク色で、真っ白なレースカーテンとハート柄のカーテン、タンスの上にはいくつものぬいぐるみ。 少女漫画の中に出てくる女の子の部屋をそのまま取り出してきたような部屋で、甘ったるさでむせかえりそうだ。 実際、室内の空気にはほんのりと甘い香りが付いていた。芳香剤は見当たらないので、百合子の匂いなのだろう。 百合子はクローゼットを全開にして、そこから色々な服を放り出しては、首をかしげたり唸ったりを繰り返す。 たった三日間、それも隣の家に泊まるだけなのだから、そこまで悩んでまで服を選ぶ必要はないと思った。 だが、それを口に出すと百合子が怒りそうなので、鋼太郎は何も言わないことにした。部屋に入り、中を見回す。 セミダブルベッドのサイドボードの上には、病院から処方された薬が入った紙袋がどっさりと積み重なっていた。 百合子の人造心臓を管理するための医療用携帯端末も置いてあり、充電用のケーブルがとぐろを巻いていた。 「鋼ちゃん鋼ちゃん!」 クローゼットから出てきた百合子は、チェックのパジャマと花柄のパジャマを両手に持ち、掲げている。 「どっちがいいと思う?」 「別にどっちでも同じだろ」 鋼太郎はなんだか面倒になってきて、顔を背けた。えー、と百合子が膨れるのが見えたが気にしないことにした。 荷物を運べ、と言うから付いてきたのに、そんなことまで手伝わされたらたまったものではないし苦手なのだ。 服の善し悪しなど解らないし、増して女子の服などさっぱりだ。色やデザインが違っても、同じとしか思えない。 用途は変わらないのだから、デザインの機微などどうでもいい。鋼太郎は、ふと薬の袋の山に視線を留めた。 幼い頃にも、あれと同じような光景を見たことがある。何かの機会で、黒鉄家と白金家が夕食を共にしたのだ。 その席で少しばかりの食事を摂った百合子は、母親から大量の薬を渡されて、手慣れた様子で飲み下していた。 鋼太郎は、子供心に驚いてしまった覚えがある。その時は錠剤が二つに粉薬が二袋で、計四種類を飲んでいた。 だが、山積みになっている薬の袋は六つもあり、その全てが種類が違う。昼間のものを含めれば七種類になる。 「ああ、あれ?」 鋼太郎の視線の先を辿った百合子は、あっけらかんとしていた。 「大したことないよ、あんなの」 「でも、なんか、多すぎねぇ?」 鋼太郎は、薬の量の多さに少し気圧されてしまった。百合子はトートバッグを出し、その中に服を詰めていく。 「んー、別にぃ。栄養剤とかもあるから、全部が全部薬ってわけじゃないんだよ」 「よく飲めるな、あんなに」 「慣れちゃったから」 百合子はトートバッグを引き摺ってくると薬の袋を全て入れ、医療用携帯端末と充電用ケーブルも入れた。 「鋼ちゃんは、通学カバンを持ってきてくれるかな。一度に持てないから」 「へいへい」 鋼太郎はやる気なく、教科書と参考書で一杯の通学カバンを担いだ。百合子は、散らばった服を片付け始めた。 折り畳んではいるものの、手付きが危なっかしく、ぐちゃぐちゃだ。きっと、日頃は母親に任せきりにしているのだ。 最後には面倒になってしまったのか、一塊にしてクローゼットに投げ込んでしまった。呆れるほど、乱暴である。 これで終わりかと思いきや、今度はドレッサーに向かった。百合子は引き出しを開けて、その中を探っている。 がちゃがちゃとプラスチックなどがぶつかる音をさせていたが、いくつかのバレッタを取り出して鏡の前に置いた。 他にも、いつものものと色違いのヘアバンドやカチューシャなども出し、ヘアピンの入ったケースも出している。 「いらねぇだろ、おい」 次から次へと出てくるヘアアクセサリーの数の多さに、鋼太郎はげんなりした。百合子は、平然としている。 「必要だよお」 「お前さ、もしかして、オレの部屋を自分の部屋にするつもりなのか?」 「あー、いいかもねー、それ!」 「絶対にするんじゃねぇぞ。お前のものが残ってたりしたら、玄関に放り投げといてやるからな!」 「えー、意地悪しちゃいやー」 「だったらさっさと荷造りしろ。もう一時間も経ってるじゃねぇか」 「まだ掛かるよ」 百合子はトートバッグを再び開けると、その中にドレッサーから出したものを入れていった。 「シャンプーとリンスとトリートメントもお風呂場から持って来なきゃいけないし、ドライヤーだって自分のがあった方がいいし、保湿用の化粧水とクリームも持って来なきゃならないし。他にもまだまだあるんだよ」 「なんでもいいから、さっさとしてくれよ」 鋼太郎が嘆くと、百合子は生返事をして部屋から出ていった。軽い足音が階段を下りて、一階を動き回る。 自分であれば、フルサイボーグだからということもあるが、泊まりの準備など三十分ぐらいで終わってしまう。 服は選ぶほど数がなく、その他のものも大して必要ではない。だから、百合子の持ち物の多さには心底呆れる。 百合子でこれなのだから、心配性故に荷物が多くなる透の場合はどれほどになるのだろうと考えて嫌になった。 つくづく、女は面倒な生き物だ。傍目で見ている分にはいいかもしれないが、近くにいるといちいち鬱陶しい。 鋼太郎はなんだか気疲れしてきて、ベッドに腰を下ろした。過剰な重量で、ぎぎ、とスプリングが悲鳴を上げた。 改めて、百合子の部屋を眺めてみた。鋼太郎の部屋にはない、ホロビジョンテレビや専用のパソコンまである。 テレビの周辺には、何種類ものゲーム機が置いてあり、テレビ台の傍のラックにはゲームソフトがどっさりある。 ソフトのジャンルは様々でRPGが一番多かったが、アクションやシューティング、中には恋愛ゲームまであった。 「凄ぇな」 鋼太郎は、素直な感想を漏らした。ざっと数えてみただけでも、ゲームソフトのディスクは五十枚以上もある。 テレビ台の中にもあるので、実際の数はそれ以上なのだろう。あの全てを、百合子がプレイしていたのだろうか。 ソフトの中には、鋼太郎が欲しかったものもあり次第に気になってきた。少しだけなら、いじってもいいだろう。 鋼太郎は一階の様子を気にしながら、ホロビジョンテレビの主電源を押した。まだ、百合子が戻る気配はない。 数秒後、映像が現れたテレビは画面がゲームモードになっていた。どうやら、プレイしたままにしていたようだ。 ゲーム機の主電源を入れると、中でディスクが回転を始めた。ソフトも中に入れたままにしていたらしかった。 しばらくして、ゲームのスタート画面が現れた。去年発売された、シリーズもののRPGの最新作だった。 初めから、ではなく、続きから、を選んだ。メモリーからロードされたセーブデータを選択して、表示させてみる。 それを見て、鋼太郎はぎょっとした。セーブデータは大量にあり、その全てのレベルが最大の999になっている。 アイテムやモンスターや技のデータも全て揃っているデータが一つや二つではなく、画面を埋め尽くしている。 しかも、上書きして作ったのではなさそうだ。プレイデータなどを確認すると、最初から繰り返しているらしい。 どれだけ時間を費やせば、こんなことが出来るのだろうか。鋼太郎が唖然としていると、背後に足音が止まった。 「鋼ちゃん」 鋼太郎が振り返ると、シャンプーやリンスを抱えた百合子はそれを足元に置いた。 「それ、消しちゃってもいいよ。やるんだったら、最初からの方がいいもんね」 「でも、これ、全部カンストしてるだろ? 消すの、勿体なくねぇか?」 コントローラーを手放し、鋼太郎は画面を指した。百合子は鋼太郎の隣に座ると、ラックを見上げる。 「他のも全部こんな感じだから、惜しくもなんともないの」 「他のもって、これ、全部なのか?」 鋼太郎がゲームソフトの山を指すと、百合子は頷く。 「うん。RPGは簡単だから。アクションゲームも最初は難しいけど、慣れちゃえばベリーハードモードでタイムアタックしても制限時間内にクリア出来ちゃうようになっちゃうから、面白くないんだぁ」 「ゆっこって、そんなにゲーム得意だったか?」 「得意っていうか、それ以外に丁度良い暇潰しなんてないんだもん。今度、ガンメタルコンバットVで対戦しよっか? 鋼ちゃんにハンデ付けてあげるけど、瞬殺しちゃうよ?」 ホロビジョンテレビからは、幻想的なテーマ音楽が流れ続けている。百合子の笑顔が、不意に陰った。 「鋼ちゃん。この前、ムラマサ先輩に怒られていたよね?」 「なんでもねぇよ」 鋼太郎は、反射的に首を横に振った。なぜ百合子がそのことを知っているのかが、まず解らなかった。 「あの日はね、私は保健室にいたの。だから、良く聞こえたんだ、二人の声が。だから、知ってるんだぁ」 鋼太郎の疑問を見透かしているかのように、百合子は言った。 「鋼ちゃん」 ファンタジー世界を表現するしなやかで美しい音楽が、部屋の中に漂う緊張感を紛らわしていた。 「私に同情なんてしたら、許さないから」 低く、力の強い声。百合子の手が鋼太郎の手に重なる。彼女の眼差しが強くなる。 「絶対に」 「何、言ってんだよ」 鋼太郎は、百合子の態度の変化に圧倒されてしまいそうだった。百合子は、唇の端を持ち上げる。 「ムラマサ先輩はすっごく優しいよ。優しすぎるくらいに」 ゆっこを見てやれ。ゆっこがどんな顔で、どんな目で、お前を見ていると思う。正弘の言葉が、蘇ってくる。 「でもね、ムラマサ先輩には悪いけど、私はムラマサ先輩を好きにはなれない。ムラマサ先輩はいい人だけど、いい人過ぎるんだ。私のことを、可哀想だって思っているんだもん。言ってないけど、態度で解るもん。他の部分は好きだけど、そこだけは嫌なんだ。気を遣うのはいいけど、たまにちょっとやりすぎだって思うの。だから、ムラマサ先輩は好きにはなれないの」 初めて聞く、言葉の数々。 「私はね、同情なんてされても、全然嬉しくないの。むしろムカつくんだ。ムラマサ先輩が鋼ちゃんに言っていたこと、少ししか聞こえなかったけど、ムラマサ先輩はきっと私のことで怒ってくれたんだよね。でもね、そういうのって正直困るの。可哀想だとか惨めだとか思われるのが、一番嫌い。大っ嫌い」 だいっきらい、を一際強調し、百合子は続けた。 「だから、私は鋼ちゃんが好きなの。鋼ちゃんは、私と普通に付き合ってくれるから。それだけで、充分なの」 百合子の白い指先が、鋼太郎の太い指を這う。 「だからね、鋼ちゃんが透君を好きだって知って、私、おかしくなるんじゃないかって思うぐらい苦しかった」 百合子は鋼太郎に体に寄せ、間近から見上げた。 「でもね、鋼ちゃんは私のものじゃないの。鋼ちゃんは鋼ちゃんなの。誰を好きになっても、それは鋼ちゃんの勝手なの。私が口出しすることじゃないし、邪魔しちゃいけないことなんだ。だから、私は鋼ちゃんとずっと友達でいることにしたの。鋼ちゃんが透君と付き合うようになっても、透君じゃない別の女の子と付き合うようになっても、その誰でもない誰かと結婚したとしても、私はずっと友達でいるの。そうするって、決めたの」 膝を立てて背伸びをした百合子は、鋼太郎の耳元で囁く。 「だから私は、もう鋼ちゃんを好きにならない。鋼ちゃんも、私のことなんて、好きになっちゃダメだからね」 百合子は薄く笑うと、手を伸ばし、鋼太郎の冷たいマスクを優しく包み込んだ。鋼太郎は、動けなくなった。 切なげに潤んだ瞳が瞼で閉ざされ、睫が伏せられる。ぎち、と無意識に動かした指先が軋み、無粋な音を立てた。 オートフォーカスで、視覚のピントが百合子に合った。蛍光灯の下で艶やかに光る髪が、背中に流れている。 容易く折れてしまいそうなほど細い首筋と、浮き上がった鎖骨と、小さく薄い耳朶と、柔らかな吐息の気配。 軽く重量が掛かり、百合子の唇が鋼太郎のマスクに重ねられた。直後、何をされているのか自覚した。 不意打ちどころか奇襲だった。途端に、鋼太郎の胸中は混乱で乱され、締め付けられるような痛みも起きた。 反射的に後退すると、百合子のそれは離れた。百合子は憂いげに目を伏せながら、自分の唇に触れている。 「大好きだよ、鋼ちゃん」 百合子が閉じた瞼の端から、一筋、光が落ちた。 「だから、さよなら」 06 12/24 |