非武装田園地帯




第二十二話 願い事



 三人が帰ると、病室は静まり返った。
 空虚感に押し潰されそうになり、百合子は枕に顔を埋めた。一人きりになると、途端に絶望が襲い掛かってくる。
全てから切り離されたような気分になり、涙が滲んだ。出来ることなら、三人と一緒に、病院を出たかった。
家に帰って、いつも通りの朝を迎えて、また鋼太郎と一緒に登校したい。けれど、それすらも遠ざかっていく。
やっと普通を手に入れられたと思ったのに、これでは以前に逆戻りだ。百合子は背中を丸め、泣き声を殺した。
 薄暗い病室の中に、ノックの音が響いた。涙を拭って上体を起こすと、主治医と母親と見知らぬ女性がいた。
硬い表情をした主治医と沈痛な面持ちの母親と並んで立っている女性は、宇宙開発連盟の制服を着ている。
だが、明らかに常人とは違った外見をしていた。肌の色は、色素そのものがないかのような完全な白だった。
瞳と髪の色は黒ではなく青味掛かっていて、藍色と称するべき色合いをしており、作り物じみた外見である。
体格は普通の人間と変わらないが、雰囲気が大きく異なっている。百合子は、その女性をまじまじと眺めた。
月面基地に単身赴任している父親から、話に聞いたことがある。地球人類に接触してきた、異星人の存在を。
その内容とは多少食い違うところはあるが、大部分が合っている。ということは、彼女は異星人なのだろう。

「百合子サンと、二人にさせて頂けマスカ?」

 異星人女性の血の気のない唇から、流暢な日本語が紡ぎ出された。だが、イントネーションがおかしかった。
撫子は不安げだったが、主治医に促されて病室を出ていった。異星人女性の藍色の瞳が、百合子を捉えた。
百合子は、つい身構えてしまった。いきなり知らない人と二人きりにされてしまっては、戸惑って当然だ。

「初めまして、白金百合子サン。私の名は、日本語の発音ではペレネと言いマス。どうぞ、ヨロシク」

 異星人女性、ペレネは丁寧に頭を下げてきた。百合子も釣られて頭を下げてから、顔を上げた。

「あの、一体、何の用なんですか?」

「アナタの病状は、主治医から窺ってイマス」

 ペレネの声は全体的に低かったが、言葉尻の柔らかさが女性的だった。百合子は、目を伏せる。

「治らないんですよね、私の体。先生とお母さんは、まだ誤魔化しているけど」

「ナゼ、そうだと断言するのデスカ?」

「それぐらい、解ります。自分の体だもん。悪性腫瘍ってことは、お腹の中にある腫瘍は全部ガンなんでしょ?」

 百合子は、パジャマの胸元を握り締める。布越しに手のひらに触れた指先は、一層温度が下がっていた。

「よく、ご存知デスネ」

「病人だもん。他の病室から色々と聞こえてくるから、解るようになっちゃうんだもん」

 百合子は、眉根を歪める。ペレネはベッドに歩み寄り、腰掛けた。ぎっ、とスプリングが軋む。

「百合子サン。アナタから採取された病巣は、宇宙開発連盟を通じて私達の元に送られてキマシタ。そこで、私達はアナタの病巣の研究を行いマシタ」

「そんなこと、してたんですか?」

 予想もしていなかった言葉に、百合子は目を丸くする。ペレネは細く整った眉を下げ、申し訳なさそうにする。

「サイボーグ化同意書の中に、ありましたデショウ? 病理解剖許可の書類が。ダカラ、使わせて頂きマシタ」

「書いた、かもしれない」

 百合子は記憶を掘り起こし、思い出した。そういえば、かなり幼い頃に色々な書類を出されてサインをした。
サイボーグ化を行うためには、鋼太郎や正弘の場合のような緊急事態以外は本人の許可を得なくてはならない。
親や医師では規則違反で、必ず本人でなければいけない。だから、百合子も下手なひらがなで名前を書いた。
全部で十五枚も書類を出されたが、その内容までは解らなかった。幼すぎたから、漢字など読めなかったのだ。
漢字が読めるようになった十歳頃の時に、コピーを見せてもらった。その中に、解剖を許可する書類はあった。
 百合子も、死後の病理解剖については賛成だ。ただ死ぬのはもったいない、どうせなら差し出してやろう、と。
両親も、そのことについては頷いてくれた。だが、その書類が本当に使われているとは思ってもみなかった。

「急な話で誠に申し訳ないのデスガ、百合子サンの病巣を差し出して頂きたいのデス」

「それは、別に構いません。どうせ死ぬんだったら、ちょっとぐらいは人の役に立ちたいし」

「イエ。そういう意味ではアリマセン。言葉が足りませんデシタ。百合子サンの病巣を、生きたまま差し出して頂き、私達の星で研究を行いたいのデス。アナタの病巣とアナタの細胞を調べたところ、アナタの遺伝子には微細デスガ異常が見つかったノデス。この星の技術レベルデハ、発見出来ないほどの細かな異常デシタ。今までにも、遺伝子異常を持った病巣はありマシタガ、他の患者サンのものとは少し違っていたのデス。その異常には、私達の地球内生物研究部隊だけでなく、本星の医学研究部隊も興味を持ちマシタ。本星に持ち帰って研究を行えば、地球生物についての理解を深められる可能性も高く、また、その研究成果を地球にフィードバックさせるコトデ、医学の進歩も望めるデショウ」

 百合子は、ペレネの話をすぐに飲み込むことは出来なかった。だが、彼女が言っていることは解らないでもない。
要は、百合子の肉体を研究材料にしたいのだ。気持ちのいい話ではないが、役に立つのなら悪い気はしない。
だが、生きたまま、というのはどういう意味だろう。百合子は緊張しているせいで、やや強張った声を出した。

「あの。でも、生きたままってどういうことですか? 私が、あなた達の星に行くんですか?」

「そういう意味ではアリマセン。生体機能の維持を行って肉体を生かし、病巣の活動も維持させたママ、私達の本星へと送り届けるのデス。その際に、百合子サンが私達の星へ赴く必要はアリマセン。必要なのは、あくまでも百合子サンの病巣デス。百合子サン自身は、宇宙飛行士ではないのデスカラ」

「えっと、だから、どういう意味ですか?」

 ますます訳が解らなくなって、百合子は瞬きした。ペレネは、感情の見えない平坦な声色で言った。

「デスカラ、病巣のある肉体から脳を取り出してサイボーグボディに移植し、フルサイボーグ化して頂きたいのデス。ソシテ、脳を失った百合子サンの肉体を生命維持装置で生かしたまま、生体サンプルとして持ち帰りたいノデス」

「は?」

 思わず、百合子は声を裏返した。ペレネの表情は、一切変わらない。

「モチロン、そのためのサイボーグボディは私達で用意しマス。月面基地と火星基地で開発を行っている、最新型のプロトタイプを使用して頂きマス。最新型は、人工生体部品、補助AI、内骨格、人工内臓、外装などの各種部品の設計を一から見直したもので、耐久性を最重視した従来型とは大きく異なった仕様になってイマス。私達の技術を惜しみなく投入して造り上げたのですが、現在は、臨床試験の段階なのデス。一般の医療器具として販売するためニハ、臨床データが足りないのデス。百合子サンが了承して下さレバ、地球上で二十八例目となりマス」

「自衛隊とかに契約しなくていいんですか?」

「宇宙開発連盟からは何かしらのアクションはあるデショウガ、少なくとも軍隊からのお誘いは掛かりマセン。最新型は戦闘用にも改造が可能デスガ、日常生活を支障なく送ることを最重要視した設計になってイルノデ、希望がなければ戦闘用装備の改造は行いマセン。基本的には試験患者と同じ扱いナノデ、医療費は掛かりマセン。全て、地球の医療器具会社と私達の部隊が負担シマス。だから、心配はいりマセン」

 ペレネは唇をかすかに動かし、笑みに似た表情を形作った。白い肌はセラミックのようで、体温が感じられない。
百合子は、怪訝な思いだった。こんな都合の良いことがあっていいのだろうか。都合が良すぎて、気色悪い。
宇宙開発連盟のワッペンが胸元に付いた紺色のスーツを身に付けている異星人の正体は、死神かもしれない。
言われるがままに首を縦に振ったら、サイボーグ化などされずに殺されてしまうか、眠らされるかもしれない。
そして気付いた頃には、宇宙の果てに連れて行かれて病理解剖の名目の元、生体解剖でもされてしまいそうだ。
病気で死ぬよりも、嫌な死に方だ。戦時中じゃあるまいし、と百合子は自分の考えを笑ったが払拭出来ない。
 ペレネの話には魅力はあるが、信じられなかった。もしかしたら、自分は昏睡状態に陥っているのかもしれない。
その中で見ている、現実離れした夢想である可能性もある。百合子が表情を硬くしていると、ペレネは微笑む。

「いいものをお見せシマショウ」

 ペレネはポケットから、銀色で卵形の小型ホロビジョンプロジェクターを取り出し、PDAと繋げて操作した。

「百合子サンの骨格、ご両親の遺伝情報、日本人中学生の運動量、食事量などを計算して映像化させた、アナタの本来あるべき姿デス。そちらに投影シマス」

 病室の白い壁に向かって光が放たれ、立体映像が現れた。肌色の輪郭が膨らみ、影が生まれ、人間になる。
百合子はそれを見た途端、撫子の若い頃の写真を思い出した。結婚する前の、大学生時代の母親に似ている。
背格好もさることながら、顔立ちも撫子にかなり近かった。孝彦の面影があるとすれば、目鼻立ちぐらいだろう。
丸い肩からはほっそりとした腕が伸び、胸には控えめながらも確かな乳房があり、太股にも肉が付いている。
 大人ではないが、子供でもない。微妙な年代の少女が、中学二年生で十四歳の百合子が、そこに存在している。
閉じていた目が開かれ、虚像の百合子は空を見つめる。立体映像を見つめながら、百合子は泣きたくなった。

「本当に、こうだったらなぁ…」

 立体映像の百合子は肌の色艶も良く、いかにも健康そうだった。この百合子は、きっと別の世界の百合子だ。
病気一つせず、元気で明るいが勉強の出来ない、鋼太郎にべったりまとわりついて鬱陶しがられるような女の子。
運動部に入って、給食も全部食べて、授業にも全部出て、修学旅行にも行って、恋もして、性交だってするだろう。
きっと、子供だって産める。結婚だって出来る。夢を抱いている。未来を持っている。そして、強く生きている。
 なんで、自分はこうなれないのだろう。学校には行けたのに、そこから先がない。求めた傍から、擦り抜けた。
手のひらに載せた砂のように、呆気なく零れ落ちていく。後に残るのは、からからに焼けた骨と一握の灰だけだ。
まだ、灰にはなりたくない。百合子は奥歯を食い縛って涙を堪えていたが、目元を拭い、ペレネを見据えた。

「この体、身長はいくつなんですか?」

「百五十八センチデス。デスガ、これから成長するデショウカラ、百合子サンにお渡しするサイボーグボディの身長は百六十センチになりマス。手術とリハビリの時間を計算に入れると、百合子サンは、フルサイボーグになる頃には十五歳になっていますカラネ」

「スリーサイズは?」

 百合子は、至極真剣だった。ペレネは、くすっと小さく笑いを零す。

「上カラ、八十八、六十、九十、になりマスネ。この星の言い回しを使えば、ナイスバディになりマス」

「そんなになるんですか?」

 百合子は、真っ平らな自分の胸に両手を当てた。ペレネは頷く。

「なりマス」

「…えっちいことは」

「充分出来マス。妊娠は、さすがに不可能デスガ。従来型とは違い、外装には疑似人皮と触覚センサーを使用してイマス。温度も、手のひらダケではなく、肌全体で感じることが出来マス。痛覚もありマス。味覚もちゃんとありマスガ、それほど量は食べられマセン。その部分は、従来型のフルサイボーグと同じデスネ」

 ペレネの言葉に、百合子は唸った。聞けば聞くほど魅力的だが、生体病理解剖のことが引っ掛かっていた。
脳だけ取り出した百合子の抜け殻を何かの仕掛けで生かし、ペレネらの本星に輸送するのだろうが、やはり怖い。
生理的な嫌悪感も、ないわけではない。しかし、この機会を逃せば、百合子はただ死んでしまうだけになる。
まだ死にたくない。生きていたい。たとえ機械仕掛けであっても、自由の効く体であれば、なんだって構わない。
百合子はベッドの上で姿勢を正し、ペレネと向き直った。ペレネはPDAを操作し、立体映像を切り替えた。

「そして、これが十五歳の百合子サンデス」

 十四歳の少女が消えて、十五歳の少女が浮かび上がった。先程のものよりも、若干背丈が伸びている。
膨らみ掛けだった胸も大きく張り詰め、太股もしっかりとした太さを持ち、全身が柔らかな丸みを帯びている。
 もう、涙を堪えきれなかった。嬉しいのと、羨ましいのと、悔しいのと、切ないのと、腹立たしいのが混濁する。
何がなんでも、これが欲しい。百合子はぼろぼろと涙を落としながら、しゃくり上げながら、必死に涙を拭っていた。
ペレネは百合子の肩を抱いて、百合子が泣き止むまで優しい手付きで慰めた。彼女は、死神ではなかった。
 百合子が泣き止んだ後、主治医と撫子が入ってきた。撫子はとても悲しげな顔をして、百合子を見つめていた。
母親の切ない眼差しに百合子はとてつもない罪悪感を感じたが、きっぱりと言った。ペレネの話を承諾する、と。
百合子も、十四年も付き合ってきた体に未練がないわけではない。だが、このまま死ぬよりは余程マシだ。
撫子は静かに涙を流していたが、何も言わなかった。こうなることを、少なからず予想していたのだろう。
主治医はペレネを伴って、出ていった。百合子は主治医から渡されたサイボーグ化承諾書に、名前を書いた。
 但し、手術はすぐには行わないことにした。百合子の体が限界を迎えた後に、体を移し替えることに決めた。
病理解剖のために病巣を除去する手術は行わず、投薬も苦痛を抑えるものをメインにしていくこととなった。
だから、中学校にも通える。登校だけで力尽きてしまうかもしれないが、それでも、行ける間は行っておきたい。
 百合子は、少しだけ考えを改めた。地球上には神様はいないかもしれないが、宇宙にはいるのかもしれない。
きっと、その神様の目に留まったのだ。そう思い、百合子はペレネが渡してくれたメモリーカードを眺めた。
二センチ四方程度しかない、ほんの小さなメモリーだが、その中には十四歳と十五歳の百合子が入っている。
今度、また見ることにしよう。ずっと、欲しかったものなのだから。胸の奧が熱くなり、涙が出て頬を伝った。
 嬉し涙だった。




 翌々日。鋼太郎は、歩調を緩めていた。
 百合子の足取りに合わせると、恐ろしくまどろっこしい。なかなか距離が進まないので、苛立ちそうになる。
だが、それでも百合子にとっては早いのか、ちょっとだけ遅れている。どれだけ足が遅いんだ、と呆れてしまう。
数日間降り続いた雨も止み、清々しく晴れ渡っていた。澄んだ空気はぴんと張り詰め、風は肌を切るようだ。
 鋼太郎は、考えのまとまらない自分が嫌になっていた。昨日一日悩んでも、具体的な答えは出てこなかった。
百合子に返事をするべきだ、と思ってみたものの、何を言えばいいのかさっぱりだった。全く、頭が悪すぎる。
 当の百合子は、いやに上機嫌だった。いつにも増して饒舌で、鋼太郎が相槌を打つ暇がないほど喋っている。
今回もまた、正弘の思い過ごしではないのかと思ってしまうほどだが、今度ばかりは鋼太郎も感付いていた。
百合子の元気は、いつまでも持たない。だからこそ返事をするべきなのに、ちっとも言葉が浮かばなかった。

「こんちくしょう」

 あまりの情けなさに腹が立ってきて、鋼太郎は自虐した。百合子は、目を丸くする。

「あれ? タイガースは、昨日は勝ってたよね? なのに、なんで鋼ちゃんの機嫌が悪いの?」

「るっせぇな」

 鋼太郎は気を紛らわすために、語気を強めた。百合子は、鋼太郎を見上げる。

「ね、鋼ちゃん」

「んだよ」

「…なんでもない」

 百合子は、開き掛けた口を閉じた。鋼太郎はそれを少し訝ったが、敢えて問い詰めずに前を向いた。

「ゆっこ」

「うん?」

「オレは、別に、お前に同情なんてしねぇからな」

 鋼太郎は気恥ずかしさで声が上擦ってしまいそうになったが、なんとか堪えた。

「大体な、同情だけだったら、何年も付き合ってらねぇんだよ。ていうか、既に腐れ縁状態なんだよ」

「腐ってるかもねー、確かに」

 百合子はけらけらと笑う。鋼太郎はゴーグルの下でスコープアイだけを動かし、ちらりと百合子を見た。

「だから、その、あれだ。同情なんか、死んでもしてやらねぇよ」

 その続きを言おうとしたが、言えなくなった。突然、左の手のひらに訪れた温度に驚き、喉が詰まってしまった。
振り返ると、百合子が鋼太郎の左手を掴んでいた。百合子は照れくさそうにしていたが、顔を上げて笑った。

「うん」

「べっ、別に深い意味なんてねぇからな! さっさと行くぞ!」

 鋼太郎は百合子の手を振り解くと、歩調を早めた。背中からは、待ってよお、と百合子のむくれた声が掛かる。
かあっと顔が火照るような錯覚に苛まれながら、鋼太郎はずんずんと歩いた。百合子との距離が、広がっていく。
途中で立ち止まって振り返ると、百合子はかなり遠くに取り残されていて、唇をひん曲げながら早足で歩いてくる。
百合子が追い付くのを待ってから、鋼太郎はまた歩き出した。今度は、いつものように一歩前を進むことにした。
 サイボーグ同好会の四人が四人とも、現状維持を望んでいる。だが、変化を押し止めてもまた歪むだけなのだ。
だから、鋼太郎自身も成長しなければならない。願わくばもう少し大人になりたかったが、さすがに無理だった。
百合子に、同情なんてしていないことを伝えるだけで精一杯だった。後は、照れてしまって言葉に出来なかった。
彼女の手の温かさも、照れを増長させている。鋼太郎は無意味に空を見上げたりしながら、通学路を辿った。
 四人の関係に、変化が訪れてもいい。百合子が成長することは少し寂しいが、受け止める。だから、せめて。
 どうか、この時間が続きますように。





 


07 1/10