非武装田園地帯




第二十三話 手負いの獣



 静香との旅行の二日目に谷崎と会ったのは、偶然のような必然だった。
 柏崎から新潟方面へ移動している途中で、谷崎の運転する車と擦れ違った。その後、谷崎の車は停車した。
静香はあまり気が進まないようだったが、正弘はレイチェルとのことを是非とも谷崎に話すべきだと考えていた。
 そこで、静香に頼んで谷崎の車を先導してもらい、ドライブインの寂れたレストランで向かい合い、延々と話した。
話をしたのは、主に正弘だった。思い出したことと、思い出したくなかったことと、覚えていたいことを喋った。
谷崎はコーヒーを何杯もお代わりしながら、黙って正弘の話を聞いていた。二時間近く掛かって、一区切りした。
正弘は、すっかり氷が溶けてしまったコーラを飲用チューブで啜り上げてから、肩から力を抜いて息を吐いた。

「オレが思い出したことは、これで全部です」

 谷崎は真剣な眼差しで正弘を見据えていたが、上体を起こした。冷え切ったコーヒーを、煽って飲み干した。
かしゃん、とコーヒーカップの底がソーサーに叩き付けられた。谷崎は表情を硬くしたまま、低く漏らした。

「俺の推理は、当たらずも遠からず、といったところか」

「だから、その、谷崎さん」

 正弘は言いづらかったが、言わなければならないと意を決し、言った。

「犯人を捜す必要は、もうないんです。犯人は、とっくの昔に、殺されていますから」

 すいません、と謝った正弘に、谷崎は笑みを見せた。

「正弘君が謝る必要はないよ」

「それじゃ、捜査も終わりですわね、谷崎さん」

 静香はアイスコーヒーの残骸である氷の欠片をストローの先端で突きながら、谷崎に目を向けた。

「ああ。終わらせるしかない」

 谷崎は深く息を吐くと、ゆっくりと肩を落とした。正弘は味が大分薄まったコーラを、半分ほど啜り上げた。
何か、とても悪いことをしているような気がした。谷崎はこの八年間、正弘のために捜査を続けてくれた。
真相が明らかになったことはいいことかもしれないが、そのことで谷崎の苦労が全て無駄になってしまった。
靴底を磨り減らして聞き込みを繰り返し、大量の捜査資料をひっくり返して、何度も検証してくれたというのに。
 正弘が床を見つめていると、谷崎はそれに気付いた。表情こそ見えないが、彼が気落ちしているのは解る。

「正弘君」

 谷崎に呼ばれ、正弘は顔を上げた。谷崎は腕を組み、年季の入った椅子の背もたれに体重を掛けた。

「俺の苦労は無駄になったかもしれないが、警察ってのはそういうもんだ。特に、現場の刑事はな。自衛隊だけじゃなく宇宙連まで関わっているとなると、事件の全てを解明することは不可能だろう。それは確かに心残りだが、それは仕方ないことなんだ。それに、捜査が終わったということは、事件が終わったということなんだ。もっとも、正弘君の中では、一生終わらないだろうがね」

「事件が、終わるんですか?」

「どんなものにも、必ず終わりってのはあるものなんだ。それに俺も、いつまでも同じ事件に掛かり切りというわけにはいかないんでね」

 谷崎はジャケットの内ポケットからタバコを取り出すと、銜えた。

「それに、そうすることは、正弘君のためでもある」

「オレの?」

 正弘は、谷崎の目を見た。谷崎はライターを付け、タバコの先端に火を点ける。

「この一年の間に、すっかり元気になったじゃないか」

「あ、はぁ」

 正弘が生返事をすると、谷崎は微笑ましげにする。

「好きな子もいるそうじゃないか」

 心底驚いた正弘は飲用チューブの中に残っていたコーラを、ぶばっ、と勢い良く吹き戻してしまった。

「だっ、だでぃやなざん!」

 正弘は慌てすぎたせいで、声を裏返した上に言葉を噛んでしまった。静香は、にやにやしている。

「あんたがドリンクバーにコーラを取りに行っている間にね。だって、あたしには報告する義務があるんだもの」

「余計なことを…」

 正弘は飲用チューブを収納してマスクを閉じながら、ぼやいた。静香は、笑い声を転がす。

「いやー、五年後が楽しみだわ。このことをネタにして、盛大に酒を飲もうじゃないのよ」

「しないで下さい」

 正弘は静香を睨むようなつもりで、視線を向けた。谷崎は目を細め、口元を上向けた。

「ああ、俺も楽しみだ。正弘君は、一体どんな大人になるやら」

「谷崎さんまで」

 正弘は、内心で眉を下げた。静香からからかわれるのは癪に障るが、不思議とそれほど悪い気はしなかった。
大人、という言葉が心に残留した。正弘の肉体の感覚は七歳の時に止まっていて、心もまた止まっていた。
成長することを拒んでいた、というわけではない。だが、成長したという実感がまるで湧かなかったのだ。
体こそ大きくなったものの、その変化はかなり急激だった。小学生時代の正弘の身長は、百五十センチだった。
その年代の子供としては大きすぎず小さすぎない身長だったが、その反面、中途半端な身長でもあった。
 他の児童の身長や体格が目に見えて大きくなる中で、正弘の視点は変わらず、ずっと同じ高さのままだった。
低学年、中学年、とサイボーグボディを換装して十センチ刻みで背を増やしたものの、目新しさはなかった。
サイボーグボディを換装するたびに、元の生身の体に戻れない現実と向き合うことになったので、辛かった。
成長出来ない苦しみと同様に、サイボーグであるなら絶対にぶち当たる壁だ。正弘は、常にそれを感じている。
 中学一年生になると同時に、子供用のサイボーグボディから戦闘汎用型のサイボーグボディに換装された。
その時だけは、成長したのだと思った。不相応なほど逞しい肉体を見て、高くなった視点で、年齢を実感した。
だが、感じたのはその一瞬だけだった。体を動かしてみると、仕草は子供っぽいままで、むしろ悲しくなった。
それから、正弘は二百十センチの身長やパワーの有り余る手足を持て余しながら、大人になろうと努力した。
自分なりに立ち振る舞いを考えて、低い声に見合った口調になるように気を遣い、一人称を僕からオレに変えた。
その結果、それっぽい雰囲気にはなったのだが根底は変わらなかった。背伸びをしても、やはり、十五歳だ。
しかし、これから高校に進学すればそれもまた変わってくるのだろう。もっと、ちゃんとした大人になりたい。

「正弘君」

 谷崎に呼ばれ、正弘は意識を戻した。

「あ、はい」

「酒ってのは、味じゃないんだ。雰囲気で飲むものなんだ。俺は、君とならいい酒が飲める気がするよ」

 谷崎は、笑顔を顔一杯に浮かべた。静香はマニュキアを塗った爪先で、グラスの縁をなぞる。

「フルサイボーグがどれだけ飲めるかは知らないけど、あたしとやろうってんなら、潰してやろうじゃないのよ」

 静香は目線こそ逸らしているが、笑っていた。正弘は、二人の大人を見比べていたが、無性に照れくさくなった。
曖昧に返事をしてから、足元を見つめた。以前なら、こういった他愛もないことであっても、引け目を感じた。
死した家族に、申し訳なかった。家族を蔑ろにして、自分一人だけがいい思いをしているのだと思ってしまった。
その気持ちは生涯消えることはないだろうが、自分自身の生を肯定出来るようになった今は、もう違っている。
素直に、嬉しいと感じた。嬉しいと思ってもいいのだと思えているから、その嬉しさが淀みなく全身に広がる。
 正弘は照れ隠しのために席を立ち、用もないのにドリンクバーのコーナーに向かい、二杯目のコーラを入れた。
すっかり溶けてしまった氷を捨てて新しい氷を入れ、グラスにコーラを並々と注ぎながら、ふと窓の外を見た。
冬の高い空の下、日本海が荒れている。誰もいない寒々しい海岸に波を打ち寄せて、荒々しく風を鳴らしている。
雨は、もう降っていなかった。吹き付けてくる潮風には白いものが混じり、広い窓に張り付いては溶けていった。
 初雪だった。




 翌々日。正弘は、三日ぶりに登校した。
 静香はサイボーグボディのフルメンテナンスだと言い訳していたので、担任教師も小夜子も何も言わなかった。
鋼太郎は少し引っ掛かりを感じていたようだが、これといって問い掛けてこず、透もまた似たような反応だった。
あの日から降り始めた雪は、日に日に勢いを増していた。湿気が多く重たい雪が何日も続き、根雪になりそうだ。
グラウンドも校舎裏も雪に覆われていて、道路の端には除雪車が除雪した雪が固められ、すっかり冬の風景だ。
 校舎裏が使えないので、サイボーグ同好会の集合場所は保健室に移り、昼休みはここで過ごすようになった。
鋼太郎は、昨日からずっと降り続いている雪を睨んでいた。恨めしそうなその後ろ姿に、正弘は笑ってしまった。

「そうだな、鋼は除雪しなきゃならないからな」

「そうっすよ。朝っぱらから起こされてスノーダンプ持たされて道付けさせられて、もううんざりっすよ。ムラマサ先輩は団地だから、除雪しなくていいっすね」

 窓の前に立っていた鋼太郎は、正弘に振り向いた。正弘は、暖房の前で縮まっている透に向く。

「まぁな。透の家も除雪しなきゃならないだろうが、やっているのは亘さんか?」

「あ、でも、私も、たまにやります。まだ、慣れないから、難しい、ですけど」

 透は分厚いカーディガンの袖を引っ張って両手を袖の中に入れてから、雪空を見上げた。

「雪って、随分、重たいんですね。そんなこと、全然、知りませんでした」

「ついでに言えば、すっげぇ邪魔だ。歩きづらいし、自転車も使えなくなるし、除雪車が毎日うるせぇしよ。でも、嫌いじゃないな。つうか、降らないと落ち着かねぇんだ」

 鋼太郎が言うと、透は羨んだ。

「いいなぁ。そういう感覚、なんだか、素敵です」

「そうか?」

 鋼太郎はそうは思っていないのか、きょとんとしている。正弘は保健室にある二つのベッドを見たが、空だった。
どうやら、百合子は今日は休みらしい。雪が降り出したからまた体調を崩してしまったのだろう、と思った。



「ゆっこなら、入院したっすよ」



 正弘の背に、鋼太郎の声が掛けられた。正弘は、視線を二人に戻す。

「また検査か?」

「いえ、今度は…」

 透は表情を曇らせ、言葉を濁した。

「昨日のお昼休みに、急にお腹が痛くなって、でも、様子が、普通じゃなくて。凄く、痛そうで」

「ゆっこは大丈夫だっつったんすけど、どう見ても大丈夫じゃなかったんすよ、これが。顔色なんか真っ白で、体温もすっげぇ低くて、なのに薬飲めば治るって言ってたんす。で、とりあえず薬飲ませたんすけど、全然収まらなくて」

 鋼太郎のブルーのゴーグルに、正弘が映る。

「それで、どうしたんだ」

 正弘はその続きを聞きたくなかったが、聞いた。透は白い手袋を填めた左手を右手に重ね、握り締めた。

「ゆっこさんの、主治医の先生に、来て頂いて、そのまま、入院、してしまったんです」

「ゆっこは、そんなに悪いのか?」

 正弘の問いに、鋼太郎は視線を落とした。

「解らないんすよ、それが。ゆっこの奴、なんにも話してくれなくて」

「ゆっこのお母さんもなのか?」

 正弘の不安げな言葉に、透は小さく頷いた。メガネの下の目は潤んでいて、今にも泣き出してしまいそうだった。
不安が具現化し、形になっていく。先日の検査入院の際に感じた引っ掛かりが、重みを増して迫ってくる。

「何考えてんだよ、あの馬鹿は」

 鋼太郎は吐き捨てたが、悔しさが滲んでいた。正弘はすぐに病院に行きたいと思ったが、打ちのめされていた。
透もまた、無力感に苛まれていた。三人はそれぞれに、百合子がいない静けさと空虚感を、痛烈に味わっていた。
入院しただけだ、と思っても、その入院が何を意味するのか解る。長期入院の経験があるから、感付いてしまう。
 精彩さを欠いた顔色、冷え切った手、大量の薬が、百合子が何らかの重い病に冒されていることを示している。
それが何なのかすら解らないのが非常にもどかしく、空虚感を深めた。三人は、視線を合わせられなかった。
 しんしんと、雪が積もっていく。





 


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