非武装田園地帯




第二十四話 雪、降りし中で



 言いたいこと、言えないこと。


 鮎野駅で待ち合わせた三人は、一ヶ谷行きの電車に乗った。
 歳末ということで、人出は多く乗客も多かった。女子高校生数人のグループが、甲高い声を撒き散らしている。
雪が絶え間なく降っているのに、彼女達の格好は都会の流行を辿っていて、露出が多く、明らかに寒そうだ。
胸元を大きく開けたキャミソールを着て短いジャケットを羽織り、ミニスカートを着て派手なブーツを履いている。
化粧も濃くしているが顔立ちは垢抜けない上にお喋りには方言が混じっているので、都会らしさは少しもなかった。
 鋼太郎と正弘はもとい、透はその無理さを顕著に感じているらしく、不可解そうな様子で車内を見ていた。
地方にいる限り都市部に暮らす人間にはなれるはずがないのに、強引に都会を真似ている様は、かなり滑稽だ。
彼女達のお喋りがやかましいのと、三者三様に気落ちしているので、三人はあまり言葉を交わさなかった。
 向かう先は決まっている。百合子の入院している、市立一ヶ谷病院だ。見舞いに行くのは、これでもう五度目だ。
正直、百合子の体が悪くなっていく経過を目の当たりにするのは居たたまれないが、行かなければならない。
 百合子は、掛け替えのない友人なのだから。




 特殊外科病棟。三一三号室。白金百合子様。
 その扉をノックするのは、鋼太郎の役目だった。だから今回も鋼太郎がノックすると、程なくして返事があった。
明るい声。彼女が、浮かれているのが伝わってくる。鋼太郎が引き戸を開けると、百合子はベッドの上にいた。
長い髪をばっさり切った後も、前髪はヘアバンドで上げている。短く切り揃えられた髪を揺らし、振り向いた。

「いらっしゃーい」

「よう、ゆっこ。今日は、調子良さそうだな」

 鋼太郎は、ベッドの傍にやってきた。百合子は、ベッドのリクライニングに預けていた体を起こす。

「まぁねー。暇だけどさ」

「雪、ひどかったです」

 透が呟くと、百合子は点滴が繋がった腕で窓の外を指した。

「電車、止まらないといいねー。帰りが大変だもん」

「そうだな」

 正弘は、百合子を見下ろした。たった一ヶ月程度しか入院していないのに、百合子の雰囲気は随分変わった。
まず、ショートカットにした。以前はかなり長く伸ばしていた髪を、母親の撫子に切ってもらったのだという。
ベッドで寝ていると邪魔だから、だそうだ。そして、人造心臓と医療用コンピューターを常時接続させている。
パジャマの胸元からは黒いケーブルが伸び、ベッドサイドに設置されているコンピューターと繋がっている。
トイレに行く時などは小型の端末に付け替えているそうだが、それでも、かなり不自由なのは変わりないだろう。
表情は変わらないが、元々小食なのが更に食が細くなってしまったらしく、パジャマから覗く手足が痩せた。
点滴のスタンドには輸液パックが二つ下がっていて、小さいパックが鎮痛剤で大きいパックが栄養剤だった。

「ゆっこ。やっぱ、髪切っちまうことはなかったんじゃねぇの?」

 鋼太郎が百合子の髪を指すと、百合子は後頭部の髪を撫で付けた。

「いいじゃんよー、別にぃ。あ、何、鋼ちゃんは長い方が好きだった?」

「そういうんじゃねぇけどさ」

 鋼太郎は、百合子の首筋を見た。長い髪がなくなってしまったので、首の筋が浮き出ているのが際立っている。
それが、痛々しい。つい先日までの元気な姿を知っているだけに、こうも変わってしまうと切なくなってしまう。
最初に見舞いに訪れた時は、事態が良くないとは解っていたが、それほど深刻に受け止めていなかった。
手術をしたらまた出てくるだろう、とタカを括っていた。だが、いざ病室に入ると、百合子は目に見えて疲れていた。
鋼太郎が来たので元気良く振る舞いはしたが、表情が弱かった。薬が効いていたせいもあり、反応も鈍かった。
手術はしない。薬だけでなんとかする。ということは、百合子の病は治されることはなく、誤魔化すだけなのだ。
夢うつつのようなぼんやりした目付きで、百合子は言った。抗ガン剤は使わないってさ。だから、髪は抜けないよ。
 それで、百合子の病が何なのか察しが付いた。きっと百合子は、手術出来ないほど進行した、末期ガンなのだ。
そのことをそれとなく撫子に聞いてみたところ、撫子は心労でやつれた顔で頷き、あの子は若いから、と呟いた。
若いから進行が早く、元から痛んでいた内臓に次々と転移してしまい、気付いた頃には手遅れだったそうだ。
医療技術が進歩したとはいえ、限界がある。百合子の病状はその限界を当に越えてしまっている、という状態だ。
 だから、百合子は死を待つだけの存在となった。点滴と僅かな食事で細々と命を繋ぎ、明日をも知れない身だ。
つくづく、こいつは運がねぇな。鋼太郎は百合子を見ていたが、百合子は鋼太郎を見上げると、にっと笑った。

「じゃ、また伸ばしてやろうか? どれくらいがいい?」

「引き摺らねぇ程度だったら構わないんじゃねぇの?」

 鋼太郎が返すと、百合子はむっとする。

「違うよお。鋼ちゃんの好みを聞いてるんじゃんかー」

「だ、そうだ。答えてやれ」

 正弘は茶化すように、鋼太郎の肩を叩いた。鋼太郎は躊躇しつつも百合子に視線を向け、答えた。

「んー、まぁ、長すぎなきゃいいっつーか、長い方がマシっつーか」

「やっぱり似合わないのかあ」

 百合子は、残念そうに短くした毛先を指に絡めた。透は、鋼太郎を見やる。

「それじゃダメです。そういう時は、どっちでも、って言わなきゃ、いけないんですよ」

「そんなん解るか!」

 鋼太郎が条件反射で透に言い返すと、透は身動いだ。

「あ、え、でも、それが、普通、じゃないですか?」

「ダメだよお、鋼ちゃん。透君に意地悪言っちゃ」

 百合子はベッドの上に渡してあるテーブルに腕を載せ、身を乗り出してくる。正弘も、百合子に同意する。

「相手は透だぞ。ゆっこと同じリアクションを返したら、透が困るじゃないか」

「あ、いえ、別に、大したことは」

 透が手を横に振ったが、百合子は鋼太郎を指した。

「どんな女の子も私みたいなわけじゃないんだからねー、鋼ちゃん!」

「それぐらい解ってるさ。どいつもこいつもお前みたいだったら、それこそやりづらいぜ」

 鋼太郎が言い返すと、百合子は膝立ちになって鋼太郎に迫る。

「解ってるんなら、それでいいけどさ」

 百合子は体を戻し掛けたが、洗面台の傍にある小振りな冷蔵庫を指した。

「あ、そうだ。アイス食べる?」

「あるのか、そんなもん」

 鋼太郎が冷凍室の扉を開けると、その中には様々な種類のカップアイスが詰め込まれていた。

「寒いってのに、よくもまぁこんなに買い込んであるもんだぜ」

「病院の中はあっついんだもん。それに、アイスだったらすんなり食べられるから」

 んーとね、と百合子は体を傾け、開け放たれた冷凍室の中を覗き込んだ。

「バニラが二つでチョコが二つで、クッキー&クリームも二つで、チョコミントと抹茶とストロベリーは一つずつあるよ。鋼ちゃん、ムラマサ先輩、透君、どれがいい?」

「透は抹茶だよな」

 鋼太郎が抹茶味のアイスを指すと、透は小さく挙手した。

「あ、はい。一番、好き、です」

「鋼ちゃんはストロベリーだよね」

 百合子が笑うと、正弘が意外そうにした。

「随分と可愛いのが好きなんだな、鋼」

「いっ、いいじゃないっすか、好きなんすから!」

 鋼太郎は、手早く抹茶味とストロベリー味を取り出した。正弘は、冷凍室の中を指す。

「じゃ、オレはチョコミントでももらおうか」

「えっ」

 百合子が不満げな声を漏らしたので、正弘は苦笑する。

「だったら、オレは他のでいいぞ」

「それじゃ不公平になっちゃいますよお。ムラマサ先輩、ジャンケンしましょ」

 百合子が手を出したので、正弘は仕方なく手を出した。百合子の掛け声で、最初に揃ってグーを握って出した。
次に出された手は、百合子がパーで正弘がチョキだった。あ、と正弘は一瞬躊躇ったが、もう手遅れだった。
パーの形にしている右手を恨めしそうに見ていた百合子だったが、照れくさそうに笑い、その手を引っ込めた。

「じゃ、私はバニラでいいや。チョコミントはムラマサ先輩にあげる」

「なんか、悪いな」

 正弘が恐縮すると、百合子は首を横に振る。

「いいですよ、別に。だって、一人で食べたっておいしくないんだもん」

「ま、そういうもんだよな」

 鋼太郎は冷蔵庫の上に置いてあったプラスチック製の使い捨てスプーンを取ると、アイスと共に三人に配った。
透は受け取ったが、食べ始める前にダウンジャケットを脱いでベッドの柵に掛けた。それを見、二人も気付いた。
サイボーグボディは勝手に体温調節をしてくれるので、寒暖差はあまり感じないため、気温差のことを忘れていた。
病院の外は、大雪注意報が出るほどひどく雪が降っていて寒いのだが、病室の中は暖房で蒸し暑いほどだった。
透は、ほんのりと頬の色が紅潮している。鋼太郎と正弘もコートを脱いで、百合子のベッドの柵に引っ掛けた。

「じゃ、食べよう」

 百合子が蓋を開けたので、三人も開けた。透は丁寧に、頂きます、と言ってから抹茶アイスにスプーンを入れた。
病室の中の気温が高いのでおいしいのか、透は満足げに食べている。百合子は、前よりも時間を掛けていた。
フルサイボーグ二人は、口の中に入れても冷たいも熱いも関係ないので、数分もしないで食べ終えてしまった。
 ある意味妙な光景だが、これはこれで穏やかだ。ただ、場所が病室だと言うだけでやることは変わらない。
鋼太郎は、空になったストロベリーアイスのカップとスプーンを、ベッドサイドに置いてあるゴミ箱に放った。
テレビ台を兼ねている棚には、携帯ゲーム機や光回線を繋いだノートパソコンや、大量の本が並べられている。
 その本の隙間から、コピー用紙と思しきものがはみ出していた。鋼太郎は、なんとなくそこにズームした。
本の背表紙とコピー用紙の端が視界一杯に広がり、先程はよく見えなかった文字が見えるようになった。
医療法人・サイボーグ協会、とあるが、別段不思議ではない。百合子も、れっきとしたサイボーグだからだ。
だが、問題はその下だった。斜めになっているので全部は見えなかったが、全身、と、申、の文字が解った。

「ああ、あれ?」

 鋼太郎の視線の先を辿った百合子は、バニラアイスを食べていた手を止めた。

「必要書類のコピーだよ。それがないと、保険屋さんとか行政とかで手続きが出来ないから必要なんだよ」

 百合子はスプーンの先で、バニラアイスをつついている。

「手術は、二ヶ月以内にやるってさ」

「何の手術だよ」

 鋼太郎は首を動かし、百合子に向いた。百合子はバニラアイスのカップを、テーブルに置いた。

「んじゃ、見せようか」

 百合子は中腰に立つと、手足に絡むケーブルやチューブを手慣れた様子で捌き、本の間から紙を抜いた。

「ほら」

 医療法人・サイボーグ協会。全身疑似人体化手術許可承諾書。全身疑似人体化申請書。誓約書。誓約書。
書類は一枚ではなく十枚程度あり、百合子はこれがどの書類だと説明しながらテーブルに広げていった。
最後に、全身疑似人体設計概要書を三人に向けた。専門用語ばかりが並ぶ、複雑な設計図が書いてある。



「私ね」

 百合子は、至極上機嫌に笑った。

「フルサイボーグになるから」





 


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