非武装田園地帯




第二十五話 泥仕合



 男は、格好悪い生き物だ。


 ここ最近、鋼太郎は上の空だった。
 百合子のことが気に掛かるのは仕方ないが、魂が抜けたような状態でろくに話も聞いていない有様だった。
短い冬休みも終わり、三学期が始まった。百合子を抜かしたサイボーグ同好会の集まりもまた、復活していた。
保健室に入り浸って取り留めのないことを話しているが、時節柄、話題の中心は正弘の高校受験だった。
正弘は第一志望の一ヶ谷市立高校を受験するために、追い込みを掛けていたので、勉強の量が格段に増えた。
そのせいもあり、正弘は苛立っていた。三年生全体の空気が張り詰めているから、釣られたということもある。
昨日の小テストの結果が芳しくなかったので、どうにかしろと教師に言われたので、正弘は参考書を広げていた。
受験対策の問題集も一緒に持ってきたのは、模試への対策だ。やれるだけ詰め込んでおかないと、後が面倒だ。
 透は正弘の様子を察してか、話し掛けることは少なかった。鋼太郎は、ただぼんやりして窓の外を見ていた。
なんだか、同好会は空中分解してしまったかのようだ。一度に色々なことが重なりすぎなんだ、と正弘は思った。
百合子の病状悪化も大事だったが、百合子がフルサイボーグ化することを決めたことも、また大事だった。
サイボーグ同士であっても、デリケートな問題だ。下手に話題にするべきものではないから、口に出さない。
そして、正弘の受験があるため、口数が少なくて気遣いの固まりのような透はあまり話し掛けてこなくなった。
というより、話し掛けていいのかどうか迷っているらしく、ちらちらと正弘に目線は向けるが言わず終いだ。
 そんな状態なので、鋼太郎とでも話そうかと思っても、その鋼太郎が上の空では文字通り話にならない。
正弘は問題集の回答例と問題を見比べながら、二人の様子を窺った。だが、十五分前から一向に変化はない。
 結局、その状態はちっとも変わらず、昼休みも終わってしまった。




 その日の帰り道。鋼太郎は、正弘に呼び出されていた。
 訳が解らないながらも、きっと何か用事があるのだろうと思って後に続いたが、正弘は一言も喋らなかった。
雪は止んでいるが、空は鉛色の雲が覆い尽くしている。硬く締まった雪を踏み締める足音だけが、続く。
雪道であるにも関わらず正弘の足取りは早く、気を抜けば置いていかれそうだ。鋼太郎は、歩調を早めた。
 怒らせるようなことをしたっけか、と思い出してみたが心当たりはない。そして、正弘の足は止まった。
そこは、雪が膝丈まで積もっている土手の上だった。いくらサイボーグでも、これでは身動きが取りづらい。

「あの、なんすか?」

 鋼太郎が正弘の背に声を掛けても、正弘は振り返らなかった。

「鋼。お前、最近変だぞ」

「そうっすか?」

「ああ、そうだよ。冬休みが終わってから、ずっと上の空じゃないか」

「あー、まぁ…」

 鋼太郎は、曖昧に答えた。確かに、物思いに耽ることは多くなった。百合子とのことが忘れられないからだ。
けれど、相手が正弘ではそれを言えるわけもない。鋼太郎が二の句を継げずにいると、正弘は振り返った。

「お前、ゆっこに何かしたのか?」

 あまりにもストレートな質問に、鋼太郎は仰け反りそうになった。

「なっ、なんすか、いきなり」

「十分四十五秒とコンマ二十一」

「はい?」

「十二月二十九日にゆっこをお見舞いした時に、お前がゆっこに謝ると言ってゆっこの病室に入っていた時間だ」

「よく、そんなもん覚えてるっすね」

「補助AIに記憶させておけば、忘れることはない」

「あ、まぁ、そうっすね」

「それで、その十一分近くの間、お前は何をしていた?」

 正弘は雪を踏み締めながら、近寄ってくる。鋼太郎は、思わず身を引く。

「別になんでもないっすよ、いやマジで!」

「謝るだけにしては長い。そう思わないか?」

「いや、オレは別に本当に何もしてないっすよ、ていうかなんでそんなに怒っているんすかムラマサ先輩!」

 正弘の態度に気圧され、鋼太郎は後退った。

「オレは怒ってはいない。気掛かりなんだ。お前が上の空なのは、ゆっこと何かあったからじゃないのか、ってな」

「ムラマサ先輩は、ゆっこのことを諦めたんじゃなかったんすか?」

「それとこれとは別問題だ」

 正弘は通学カバンを外し、軽く放り投げた。ぼすっ、と雪面に大きな穴が開き、埋もれた。

「オレは、ゆっこのことが心配なんだ。ただ、それだけのことだ」

「じゃあ、オレがゆっこと何しようと、ムラマサ先輩には関係ないじゃないっすか」

 正弘の言い方に、鋼太郎は苛立ちを覚えた。百合子が心配であるだけなら、嫉妬を表さなくてもいいだろう。

「それになんすか、ムラマサ先輩。ゆっこのことしか考えてないんすか?」

「なんだと?」

 今度は、正弘が苛立つ番だった。無論、そういうわけではない。だが、言い返すよりも先に鋼太郎が続けた。

「ムラマサ先輩はオレらの保護者じゃないんすから、そこまで気にしなくてもいいっすよ」

 鋼太郎としては、気遣ったつもりだった。受験もあるのだから少しぐらい百合子のことを忘れておくべきだ、と。
だが、正弘は受け取り方を違えた。所詮は他人なのだから過干渉するな、と袖にされたような、そんな気がした。
苛立ちは、些細なことで膨張する。正弘はあまり気を立ててはいけないと思っていたが、つい言ってしまった。

「勘繰られたくなかったら、病室から出ていかずにすぐに謝っておけば良かったじゃないか」

 その口調は、明らかに鋼太郎を煽るものだった。

「それに、ゆっこのことばかりと言うが、気が多いよりはマシだと思うけどな」

 頭の中で、何かが切れた。鋼太郎は通学カバンを外すと、力任せに放り投げた。

「…言うに事欠いてそれっすか」

「本当のことを言ったまでだ」

 正弘は彼を怒らせたと解っていたが、止められなかった。心の底に溜まっていた鋼太郎への嫉妬が、現れる。

「それとも、なんだ。今更、ゆっこを好きになったとか言うんじゃないだろうな?」

 雪を蹴散らしながら進んできた鋼太郎の足が、止まった。

「だとしたら、鋼、お前はとんでもない馬鹿だ」

 正弘はコートの襟を広げると、袖を捲った。鋼太郎は、正弘を見上げる。

「大体なんなんすか、さっきから!」

「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い!」

 正弘の恫喝に、鋼太郎は一瞬ぎくりとしたが言い返した。

「何なんすか! そんなに怒らなくてもいいじゃないっすか!」

「オレが怒って何が悪い、オレは部外者だとでも言うのか!」

「ああそうっすよ、最初っからそうなんすよ! ムラマサ先輩がいなきゃ、こんなにこじれなかったんすよ!」

 鋼太郎は正弘の前に立ちはだかると、荒い手付きでその胸倉を掴んだ。正弘は、鋼太郎の手首を握る。

「こじれさせたのはお前の方だ、鋼!」

 ぐ、と鋼太郎が言葉に詰まったのを、正弘は見逃さなかった。手を振り解かせると、胸を突き、押しやった。
鋼太郎の足元が落ち着かない合間を見計らい、上半身を捻った。金属製の拳が、同じく金属製の胸を突く。

「こんのっ」

 後方に倒れかけた鋼太郎の側頭部を、殴り付けた。



「馬鹿野郎ぉお!」



 体が、後方に倒れ込んだ。背中が白く冷え切ったものに埋まり、視界が狭まり、変に上がった両足が落下した。
真上に空を見た鋼太郎は、状況を把握出来なかった。だがすぐに、胸部から全身に広がる重い震動に気付いた。
正弘から殴られたのだ、と起き上がると、正弘は鋼太郎を睨み付けていた。マスクの端から、熱い排気が漏れる。

「いいか、鋼。全部なくしてからじゃ、遅すぎるんだよ!」

 正弘は鋼太郎の襟首を掴んで強引に持ち上げ、立たせた。

「だからオレは、お前とゆっこの邪魔をしないことに決めた!」

 ごちっ、と正弘のゴーグルが鋼太郎のゴーグルに衝突する。

「オレは、お前達と一緒にいるのが楽しい! この状態を壊したくないから今までずっと堪えてきたが、もう限界だ! お前の馬鹿さ加減には、いい加減に愛想が尽きた!」

 コートの襟元が、強く握られすぎて歪んでいる。

「お前がここまで馬鹿だとは思わなかったよ!」

「うるっせぇええええ!」

 鋼太郎は力一杯正弘を突き飛ばすと、声を荒げた。

「馬鹿馬鹿うるっせぇんだよ、さっきから! そうさオレは馬鹿だ、だけどゆっこはもっともっと馬鹿なんだ!」

 好きにならないで、と勝手に決められたことが、許せない。

「つまんねぇ意地張って、しょうもないことで怒りやがって!」

 正弘と秘密を共有していたことが、許せない。

「オレがいなきゃどうしようもねぇくせに好き勝手に動きやがって!」

 知らないうちに成長していたことが、許せない。

「一人で全部決めやがって!」

 大事な話を隠していたことが、許せない。

「オレはなんなんだよ!」

 離れていくのが、許せない。

「なんで何も出来ねぇんだよおっ!」

 何も出来ない自分が、一番許せない。

「出来なくて当たり前だ!」

 鋼太郎の咆哮を、正弘の叫声が貫いた。

「お前はゆっこにされてばかりだ、自分からは何もしていないんだ、だから肝心な時に動けないんだよ!」

「…んだとこの野郎」

 完全に、切れてしまった。鋼太郎は自分自身への憤りと正弘への苛立ちに急かされるまま、正弘に歩み寄った。

「ちょっと頭が回るからって、いい気になるんじゃねぇよ」

「お前の方こそ、センサーの交換をしたらどうだ。そうすれば、少しは鈍いのが治るかもしれないぞ」

 正弘もまた、理性が吹っ飛んでいた。積もり積もった鬱屈した感情が、どろどろと熱を持って流れ出してくる。
押さえきれるものではなかった。お互いがお互い、相手を気遣ううちに言えなかったことが溜まっていた。
太陽が落ちたので雪原は青白く輝き、橋の袂の街灯が点灯した。それに照らされ、二つの大きな影が伸びる。
 どちらからともなく、踏み出した。





 


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