非武装田園地帯




第二十八話 ファウル・ライン



 義理。
 裏面に大きくそう書かれた包装紙を開けると、病院の売店で売っている板チョコレートと便箋が入っていた。
手術中、とランプの点いている手術室の前に置いてある長椅子に腰掛けた鋼太郎は、その便箋を広げた。
考えてみれば、百合子から手紙をもらうのは初めてだった。今の今まで、その必要が全くなかったからだ。
百合子の字は、丸っこくて小さかった。読みづれぇな、と思いながら、鋼太郎は罫線の間に並ぶ字を辿った。

  黒鉄鋼太郎様

  チョコレート、受け取ってくれてありがとう。
  私はフルサイボーグにはなるけど、鋼ちゃんとムラマサ先輩とはちょっと違った感じになります。
  見た目はまるっきり人間みたいな、アンドロイドって言うのかな、そんな感じのボディをもらいます。
  その体は私が十五歳に成長した姿だそうで、スリーサイズは上から八十八、六十、九十、だそうです。笑。

「何書いてんだよ」

 鋼太郎はスリーサイズの部分に、つい笑った。

  鋼ちゃん。
  やっぱり、私は、鋼ちゃんのことが好きです。

  好きにならない、なんて言ったけど前言撤回します。超撤回します。ていうか無理でした。
  あのタイミングで手ぇ握ってくるなんて反則です。超反則。おかげで嫌いになれなくなっちゃたじゃないか。笑。
  挙げ句にあれだもん。トドメです。直球ド真ん中ストレート、クリティカルヒット、会心の一撃、みたいな?
  これで、好きになるなって方が無理です。だから、私が鋼ちゃんを諦められないのは、鋼ちゃんが悪いんだぞ。
  責任取りなさい。

「るせぇな」

 手紙だと解っていても、言い返さずにはいられなかった。それほどまでに、照れくさかった。

  鋼ちゃんからキスされて本当にびっくりしたけど、本当に嬉しかったです。 
  だから、透君に話しちゃいました。ごめんなさい。だって、秘密にしておけないくらい嬉しかったんだもん。
  透君のことだから内緒にしてくれるとは思うけど、とりあえずごめんなさい。先に謝っておきます。
 
  鋼ちゃんと私はただの友達です。だから義理です。ド義理です。八十八円の板チョコです。
  本命にはしません。だって、私は鋼ちゃんのカノジョではないからです。
  カノジョでもない人間が本命なんて送りつけるのは、迷惑らしいので、自主規制ってことです。
  私は、いつも鋼ちゃんに迷惑ばかり掛けちゃってたから。
  小さい頃、私と一緒に遊んでくれたけど、私なんかと遊んでも鋼ちゃんは楽しくなかったよね?
  家の中ばっかりだったし、私のやりたい遊びばっかりやらせちゃってたし。
  だからなんだよね。小学六年生の時に、鋼ちゃんが私と遊ばなくなったのは。
  いつか、そういう日が来るって解っていました。覚悟は出来ていました。でも、ちょっと辛かった。
  鋼ちゃんには今まで一杯遊んでもらったから大丈夫だ、って思っても、ちょっとだけ苦しかった。
  でも、鋼ちゃんは鋼ちゃんだから。私みたいなのとは違って、元気な男の子だから当たり前なんです。
  だから、また一緒に登校してくれるようになって、凄く嬉しかったです。鋼ちゃんと友達に戻れたんだ、って。
  なるべく迷惑にならないように頑張ってみたけど、やっぱり色々と迷惑を掛けちゃったね。ごめんなさい。
  サイボーグ同好会なんて始めて、鋼ちゃん達を振り回しちゃったし、そのくせ病気になんてなっちゃうし。
  本当に、皆は付き合いが良いよね。ありがとう。皆と友達になれた私は、幸せです。
  
  だから、高望みはしません。
  フルサイボーグになれるのだって、ちょっと運が良かったからってだけだから。
  だから、お願いです。
 
  友達でいてください。

「ばっかやろう」

 鋼太郎は手紙に向かって、吐き捨てた。

「お前の命令なんて、聞けるかってんだよ」

 どこまで意地を張るのだ、この女は。鋼太郎は、百合子の卑屈な文章に、苛立ちすら覚えそうになっていた。
正弘もそうだったが、なぜ、この手の輩は現状で満足しようとするのだろう。無理矢理、自分を押し込めるのだ。
人間なのだから、欲求があるのは当然だ。その先を欲するのも感情が先走ってしまうのも、当然のことだ。
それを、強引にねじ曲げてばかりいる。心にも体にもいいことではない。泣きながら笑うのは、情けないだけだ。
 確かに、鋼太郎は一時期百合子と距離を空けた。だがそれは鋼太郎の一方的なもので、百合子には非はない。
いつ、誰が、一緒にいるのが迷惑だと言った。いつも傍にいるのが鬱陶しいと思うことはあるが、それぐらいだ。
百合子に振り回される日々も、楽しかった。サイボーグ同好会だって、四人が四人、同意して結成したではないか。
 なぜ、そこで臆病になる。いつもいつも前ばかりを見て笑い声を上げていたはずなのに、後ろを見ているのだ。
病人が未来を望んではいけないというルールもなければ、友達から恋人になってはいけないというルールもない。
何を勝手に縛り付けている。全くもって百合子らしくない。こうなったら、意地でも好きだと言ってやろうではないか。
ついでに、恋人にでもなんでもなってやる。幼馴染みでフルサイボーグ同士であっても、好き合っていいはずだ。

  最後に。
  いつも傍にいてくれてありがとう。
  大好きだよ。鋼ちゃん。

  白金百合子

  PS ホワイトデーに、お返しをもらえたら嬉しいです。

「こんの野郎…」

 鋼太郎は便箋を前に突き出し、顔を伏せた。最後にこんなことを書かれては、余計に好きになるではないか。
文字は少し震えている。きっと、病状が悪化する前に書いたのだろう。鋼太郎は便箋を畳むと、ポケットに入れた。

「何、返せっつーんだよ」

 百合子が好きそうなものが、差し当たって思い付かない。それに、バレンタインチョコレートをもらうのは初めてだ。
百合子以外の女子とはあまり仲は良くなかったので、誰からももらわなかった。妹からは、一度だけあったが。
だから、何を返せばいいのかさっぱり解らない。亜留美には、キャラクターもののキャンディーを返した気がする。
百合子もそれはそれで喜ぶような気がしないでもないが、フルサイボーグになった彼女はなかなかの体形だ。
体だけは大人になるのだから、そうなった彼女に見合うようなものを見繕ってやらなければいけないと思った。
 胸のサイズが八十八って一体どれぐらいでかいんだよ、と下世話な想像をしそうになって慌てて頭を振った。
そういうことを、考えて良い状況ではない。鋼太郎が手術室の扉を見上げていると、廊下の奥から撫子が来た。

「黒鉄さんのお宅にお電話してきたけど、お母さん、相当困られていたわ。明日は、きちんと学校に行くのよ?」

 撫子は、鋼太郎の隣に腰を下ろした。鋼太郎は、苦笑する。

「あー、はい。行きますよ、そりゃ。行かなきゃならないですから」

 撫子は手術室の扉の上で点灯している、手術中、のランプを見つめた。

「鋼太郎君。良かったらでいいんだけど、また、あの子と一緒に学校に行ってくれるかしら」

「そりゃ、当然ですよ。ていうか、うん、ゆっこがいねぇと、静かすぎて」

「ありがとう」

 撫子は弱々しいながらも、温かな笑みを浮かべた。

「あの、ゆっこが喜びそうなものって、何か解りますか?」

 鋼太郎が尋ねると、ああ、と撫子は察した。

「バレンタインのお返し、してくれるのね?」

「はい。でも、オレ、今までそういうのってもらったことがなかったから、何を返せばいいのかさっぱりで」

「いいわ、後でゆっくり教えてあげる」

 撫子は笑い、バッグの中から缶ジュースを二本取り出すと、その片方を鋼太郎に渡した。

「すんません」

 鋼太郎はそれをありがたく受け取り、蓋を開けた。マスクを開けて飲用チューブを出し、その中に差し込んだ。
百合子は、今頃どうしているだろう。ガン細胞に侵蝕されて弱った肉体から、脳を摘出された後だろうか。
意識が戻るまでの間は、百合子一人きりの戦いだ。何も出来ないのが悔しいが、今は祈っているしかない。
 百合子が、帰ってくることを。




 あなたはわたし。わたしはあなた。わたしは、わたし。

「わたしはあなたをささえてきた」

 よく知った、声がする。

「けれど、あなたはわたしをすてる。あなたはわたしをきりすて、あなたはべつのわたしをえようとする」

 声は、囁く。

「わたしはじゅうよねんもあなただった。わたしはこれからもあなたでいるはずだった。なのに、わたしをすてるの」

「捨てるわけじゃない。疎んだわけじゃない。私は、生きていたいだけ」

「けれど、そのためにわたしをすてる。とおいとおい、うちゅうのはてへ」

「私には、欲しいものがある」

「わたしにも、ほしいものがある」

「でも、私が欲しいものは、あなたと一緒だと決して手に入らない」

「わたしはかなしい。わたしはくるしい。わたしは、あなたにうらぎられるなんて、かんがえたこともなかった」

「私も、あなたを裏切るつもりはなかった。裏切りたくなんてなかった。あなたは、私だから」

「そう。わたしはあなた。あなたはわたし。そして、わたしはわたし。だから、かなしい」

「私も悲しい。でも、あなたを捨てるわけじゃない。消えるわけじゃない。私がいる限り、あなたは存在する」

「そう。だけど、わたしはひとりになる。わたしだけがひとりぼっちになる。それが、さびしい」

「私も寂しいよ。でも、きっと、また会える」

「いつか」

「そう、いつか。絶対に、会えるよ」

 わたしはあなた。あなたはわたし。だから、わたしは、わたし。




 球場を囲む客席には、観客が満員だ。
 マウンドに立つ投手の背中には、KUROGANE、とある。ユニホーム姿の彼は、バッターボックスを睨んでいる。
キャップの鍔はロージンの粉で白く汚れ、使い込まれたユニホームの膝や胸には土が付き、黒く汚れている。
二回表で、スライディングしてホームに戻ったからだ。おかげで、彼のいるチームは、一点先制することが出来た。
前後左右から放たれる強烈な閃光を浴びた彼の影は四方に伸び、スパイクに抉られたマウンドに広がっている。
 九回裏。ツーアウト満塁。ついでに同点だ。ここで彼のボールを打たなければ、こちらのチームは負けてしまう。
どうせ、直球ド真ん中のストレートだ。迷うことはない、ストライクゾーンに来たら思い切り打ち返してやろう。
手の中にあるバットを強く握り締め、構える。彼は振りかぶったが、その手を下ろし、こちらを見下ろしてきた。

「おい」

 彼は、笑っている。

「打たせてやるから、きっちりホームに帰ってこいよ?」

「打たせてもらう必要なんてないもん。打ちに行くんだもん!」

 言い返すと、彼は更に笑った。

「よーし、だったら本気でやってやろうじゃねぇか! 見てろよ、このオレの剛速球を!」

「ノーコンのくせに、偉そうじゃんよ!」

「ファウルなんて許さねぇからな。どでかいホームラン、ぶちかましてくれよな?」

「解ってるよお」

「なぁ、ゆっこ」

 彼はグローブの中に、ボールを叩き付けている。

「うん?」

「何回まで、試合延長しようか」

「行けるところまで」

「そうだな」

 行けるところまで。青年となった鋼太郎の姿が、機械のものに変わる。百合子の姿も、バッターから少女に戻る。
死んだはずの命。消えたはずの未来。失ったはずの体。本当なら、あの時に短い人生を終えているはずだった。
 鋼太郎も、百合子も、死んでいるはずだった。けれど、死ななかった。まだ、死んでしまいたくなかったから。
まだ、試合は終わっていない。そして、終わらせたくない。たとえ、それが機械の力を借りた延長であっても。
 生きていることに、変わりはない。




 手術着を着た医師の報告を受け、鋼太郎は全身の力を抜いた。
 施術開始から十数時間経過した、二月十四日の午前十一時十五分。百合子の脳摘出手術は、無事に終了した。
意識が戻るまでは油断は出来ませんが、と医師の表情は硬いが、撫子は安堵してぼろぼろと涙を零している。
手術終了後も忙しいらしく、手術室から出てきた看護師が何かの機械を押して急いで手術室に戻っていった。
自分がフルサイボーグ化手術を受けた後も、こうだったのだろうか。鋼太郎は、そんなことを頭の隅で考えた。
医師から言葉を掛けられたが、聞こえていなかった。朝の時とは別の意味で、膝が震えてしまいそうだった。

「お帰り」

 聞こえないと解っていても、言ってやりたかった。

「ゆっこ」

 日常が、戻ってくる。百合子のいる世界が、以前とは少しだけ違った形で鋼太郎の元に帰ってきてくれる。
こんなに嬉しいことはない。これで、この無機物で出来た体から涙が出るのなら、際限なく出ていただろう。
一刻も早く、彼女に会いたい。年相応の新しい体を得た百合子に会って、触れて、感じて、伝えてやりたい。
 全てを。





 


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