非武装田園地帯




第二十九話 鋼太郎、恋をする



 鋼の内に、心を宿し。


 卒業式は、滞りなく進んだ。
 校長や来賓の長々しい演説も終わり、在校生全員で合唱し、二年生の代表が三年生に送別の言葉を述べた。
制服の胸元に、祝卒業、と印刷がされたリボンを付けた三年生達は名前を呼ばれると席から立ち上がった。
緊張した面持ちで背筋を伸ばし、ステージの檀上に昇っていく。硬い動きで、進行方向を横に九十度曲げる。
校長に深々と頭を下げて、右手を出してから左手を出し、卒業書を受け取って、もう一度校長に礼をした。
そして、在校生と保護者一同に振り返ると、また礼をする。昇ってきた時とは反対側から、ステージを下りた。
 鋼太郎は、二年生の席で座っていた。体育館の中は、保護者や教師の居る場所だけストーブが置いてある。
三月とはいえ、まだまだ冬だ。広大な体育館は寒々しく、女子生徒のスカートから出ている足は冷たそうだ。
式の最中は、誰も彼もが畏まっている。それでもこの寒さだけは堪らないのか、背を丸めている生徒もいる。
卒業生の名前を呼ぶ順番は、クラス別の五十音順だ。正弘の名が呼ばれるのは、もうしばらく先になるだろう。
一年生の席は、二年生の左側にある。鋼太郎が横目に窺うと、透は制服の袖の中に指先を引っ込めている。
 卒業生の保護者席にいる静香は、他の母親達に比べれば一回り以上若い上に服装が派手なので、目立つ。
正弘に寄れば、いつもはタイトスカートのスーツを着ているらしいのだが、今日はパンツスーツを着ている。
やはり、寒いのが嫌なのだ。生地の色は比較的地味な紺色なのだが、足にはハイヒールを履いている。
上品な光沢のあるブラウスの襟元を大きく開けて、鎖骨を露わにし、ネックレスの金の鎖を覗かせている。
以前会った時は後頭部で一纏めにしていた髪も下ろしていて、マスカラもアイラインもネイルも抜かりがない。
それでも、静香の服装の中では大人しい方だ、と正弘は言っていた。だが、鋼太郎にはそうは思えなかった。
他の保護者達は、静香の服装と化粧に咎めるような目を向けているが、静香は全く気にしてはいなかった。
 気付くと、卒業生はハ行まで呼ばれていた。林、と言う名の生徒が呼ばれて立ち上がり、檀上に向かった。
 そろそろ、正弘の番だ。


 鋼太郎と透は、正弘が出てくるのを待っていた。
 卒業生達は、お互いに写真を取り合ってはしゃいで歓声を上げている。中には、涙している女子生徒もいる。
鮎野中学校卒業式典、と花で囲まれた立て看板を描けてある昇降口付近は、卒業生達で騒がしくなっていた。
教師も見送りにやってきて、卒業生と言葉を交わしている。透は昇降口を見ていたが、鋼太郎を見上げた。

「明日は、終業式、ありますね」

「まーた寒いんだろうなぁ」

 やんなるぜ、と鋼太郎がぼやくと、透は小さく頷いた。

「ですね」

 すると、卒業生達の間を大柄な影が抜けてきた。二人が彼に気付くと同時に、彼もまたこちらに気付いた。

「よう」

 正弘は、卒業証書の入った丸い筒を掲げている。グラウンドの雪は、眩しい日差しを浴びて輝いていた。
正弘の学ランの肩も、日光で白くなっている。正弘は通学カバンに筒を押し込んでから、背負い直した。

「それじゃ、さっさと行くか」

「そうっすね」

 鋼太郎が頷くと、正弘は駐車場の方向を指した。

「橘さんが車を出してくれるんだそうだ。良かったな、これで電車代とバス代が浮くぞ」

「あれって、結構、馬鹿に、なりませんからね」

 ほっとしたように、透が表情を崩す。正弘は、可笑しげに笑う。

「そうだな。いっそのこと、鮎野一ヶ谷間の定期券でも買おうかと思ったぐらいだ」

「そういえば、ムラマサ先輩。一高の制服の、サイズ合わせって、もう、しましたか?」

 透は、正弘を見上げてくる。正弘は、ちょっと肩を竦める。

「一応な。だが、当然ながら特注だ。制服だけじゃなくジャージもそうだから、いちいち金が掛かって困る」

「そういうところも、オレらって不便すっよね」

 鋼太郎が言うと、正弘は笑う。

「だがその分、服の選択肢が少なくて楽じゃないか。悩む必要がない」

 お、と正弘は駐車場の方に向いた。ハイヒールからローファーに履き替えた静香が、三人に近付いてきた。

「マサ、車、出せるわよ」

「どうもすんません」

 鋼太郎が頭を下げると、透も頭を下げた。

「ありがとう、ございます」

「別にいいわよ、どうせ今日は暇だから」

 静香の言葉に、正弘が不思議そうにする。

「大事な大事な有休をわざわざ使って休みましたからね。本当にどうかしたんですか、橘さん」

「あんたの卒業式をダシにして休めるから、休んだだけよ。ついでに、あたしもゆっこちゃんには会いたいのよ」

 静香は車のキーを付けたキーホルダーを指に掛け、くるくると回している。

「完全人間型のサイボーグボディなんて、話には聞いたことはあったけど実物なんて見たことがないのよ。それに、そのタイプが一般に普及するようになれば、うちの社も方向転換しなきゃならないわけよ。今までは丈夫さを第一にして開発して売り出していたけど、人体を模倣する技術がいよいよ発達してきたとなれば、これからは見た目の良さで売り出すしかないわけよ。でも、自衛隊とか警察とか宇宙連とかは、マサと鋼ちゃんみたいな外骨格タイプを欲しがるだろうから、今までのものも継続していく必要があるわけよ。全く、面倒な話だけどね。まぁ、あたしもサイボーグの世界にはちょっとは噛んでる人間だから、興味ぐらいはあるのよ。それに」

 静香はキーを持っている手で、鋼太郎を指す。

「鋼ちゃんの話によれば、ゆっこちゃんのスリーサイズは八十八、六十、九十だそうじゃない。あの子、結構可愛い子だったから、どれだけ色っぽくなったか見るのが楽しみなのよ」

「体は、まぁ、それなりになったっすけど…」

 鋼太郎は百合子の姿を思い出しながら、後頭部を押さえた。

「でも、中身は相変わらずっすから、変わらないっていうかで…」

「病室でうっかり過ちを犯しちゃダメよ。ナースが見てるから」

 静香の遠慮のない物言いに、鋼太郎は内心で苦い顔をした。

「場所が場所っすから、何もしやしませんよ。ていうかストレートっすね、橘さん」

「じゃ、退院したら、別、ってことですね」

 透の呟きに、鋼太郎は気恥ずかしさを覚えて顔を伏せた。

「別に、そういうわけじゃねぇけど」

「とりあえず、さっさと行こうか」

 ごちっ、と正弘の裏拳が鋼太郎の頭部を突いた。鋼太郎は、叩かれた部分を押さえる。

「何するんすか」

「ところで鋼、ホワイトデーのお返しはしたんだろうな?」

 正弘の言葉に、頭を押さえながら顔を上げた鋼太郎は言葉を濁す。

「いや、まだ。十四日は、見舞いに行けなかったっすし」

「じゃ、さっさとしろよ? 今日は二十日だ、つまりは六日遅れだ。その分の利子を、きっちり付けて返さないとな」

 きっと高いぞ、と正弘は笑いながら歩き出した。透も笑っている。

「悪徳サラ金の、利子ぐらい、高いと思いますよ?」

「透が、すっげぇ透っぽくない言葉で喋った…」

 鋼太郎はやや驚きながらも、二人に続いて歩き出した。校門を出たところで、静香が正弘を呼び止めた。

「マサ、そこんところで止まりなさい」

「あ、はい」

 正弘は、静香の指した先の校門に立て掛けられた看板の前で止まった。静香は、デジタルカメラを取り出す。

「卒業記念ってことで撮ってやるわよ。せっかくだから、鋼ちゃんと透君も入りなさい」

「だ、そうだ」

 正弘は鋼太郎と透を引っ張って、看板の前に立たせた。静香は三人の位置を指定しながら、何枚か撮影した。
透は撮られることには慣れているようだったが、鋼太郎はそうでもないらしく、少々挙動不審になっていた。
 正弘は、背後にある卒業式典の看板と鮎野中学校の校名が刻み込まれた門柱を仰ぎ見、内心で笑っていた。
高校に行くとまた一人になってしまうのが、寂しかった。だが、寂しいということは、決して悲しいことではない。
一緒にいたいと思える相手がいるから、他者と接する充実感や楽しさを知っているからこそ、寂しいと感じるのだ。
だから、小学生の頃などの友人がいなかった頃は寂しいとなど感じなかった。ただ、物悲しかっただけだった。
だが、今は違う。正弘は先を行く鋼太郎と透の背を見ながら、込み上がってくる笑みを押さえられなかった。
 冬の太陽は、温かい。




 静香の運転する車は、一時間程度で一ヶ谷市立病院に到着した。
何度となく来ている場所だが、今日ばかりは緊張する、鋼太郎は三人と共に、百合子の病室に向かっていた。
バレンタインのお返しが遅れてしまったのは、悩んでいたからだ。気付いたら、十四日を過ぎてしまっていた。
撫子から聞いた百合子の好きなものを元に必死になって考えたが、これといって思い浮かばなかったのだ。
ようやく百合子の喜びそうなものを思い付いたのだが、それを買いに行けたのは昨日になってからだった。
百合子が喜んでくれれば良いが、そうなるとは限らない。鋼太郎は足を進めながら、内心で身構えていた。
 フルサイボーグは、術後のメンタル面を考慮して個室を与えられることになっている。なので、今回も個室だ。
三二○号室。白金百合子様。セミサイボーグからフルサイボーグになったので、名札の色が白から青に変わった。
鋼太郎が扉をノックするよりも先に、引き戸が開けられた。開いた隙間から、彼女が勢い良く転げ出した。

「ぎゃうっ」

 変な悲鳴を上げて顔面から転んだ百合子は、顔を上げたが体を起こせなかった。

「また、転んだぁ…」

「そんなに顔面から突っ込んでばっかりいると、いつか顔面が剥がれちまうぞ。こー、べりって」

 鋼太郎が顎の下からめくり上げるような手付きをすると、未だに起き上がれずにいる百合子はむくれた。

「やなこと言わないでよお」

「まぁ、慣れるまでが大変なんだ。自分の手足の重さを把握していないから、振り回されても仕方ない」

 正弘が笑うと、透はしゃがみ、転んだ勢いではだけてしまった百合子の入院着の襟元を直してやった。

「走れるようになったら、走れば、いいだけですから」

「だって、早く皆に会いたかったんだもん。急ぎたくもなるよ」

 唇を尖らせている表情は、自然なものだった。肌の色もただの肌色ではなく、うっすらと静脈が透けている。
髪も、色合いも艶も、人間そのものだ。関節にはごくごく浅い溝があるが、遠くからではほとんど解らない。
瞼からは睫毛が伸び、両目の義眼には人工網膜を守るための水分があり、鳶色の瞳は瑞々しく潤んでいる。
入院着のズボンを履いている長い両足には、二次性徴途中の少女らしいふくよかさがあり、柔らかそうだ。
女性らしくなだらかな肩のライン、幼い表情に似合わないほど立派な乳房、引き締まった腰、丸みのある臀部。
体形に合わせて、顔立ちも成長した。目だけが大きかった顔立ちも均整が取れて、なかなかの美人になった。
腰近くまである長い髪が乱れていて、項が覗いている。そこに四角形の溝がなければ、人間にしか見えない。
それは、インターフェースのカバーだった。そこには百合子の名前と、宇宙開発連盟の頭文字が表記されている。

「あ、橘さん」

 年相応の姿の百合子は静香を見上げ、明るく笑った。

「お久し振りっすー!」

「久し振り。元気そうね、ゆっこちゃん」

 静香の言葉に、そりゃあもう、と百合子は乳臭さの消えた声で言った。ちゃんと、声も大人っぽくなっている。
鋼太郎に引っ張られて立たされた百合子は、ベッドまで歩いたがその途中でよろけ、また転んでしまった。
百合子はベッドを支えにしてなんとか立ち上がったが、座るまでがまた一苦労で、落ちそうになりながら座った。
正弘はベッドに座った百合子の傍にやってくると、通学カバンを下ろし、卒業証書の筒を引き抜いて蓋を開けた。
ぽん、と軽い音がした。正弘は筒を傾けて丸められた卒業証書を取り出すと広げ、百合子に差し出した。

「ほれ、卒業証書だ」

「あー、うちの学校のってこんなんなんですかー。知らなかったぁ」

 百合子は正弘から見せられた卒業証書を物珍しそうに眺めていたが、正弘に頭を下げた。

「ムラマサ先輩、ご卒業おめでとうございます」

「ゆっこも、早く退院出来るように頑張れよ」

 正弘は卒業証書を脇に抱えると、学ランの第二ボタンを引きちぎり、金色のボタンを百合子の手の中に置いた。

「ゆっこ。これ、やるよ」

「いいんですか?」

「ああ」

 正弘が頷いたので、百合子は第二ボタンを握り締めた。

「じゃ、遠慮なく。あ、そういえば、漫画読みましたよー。面白かったです。で、伊集院かれんって誰ですか?」

「聞くな、それだけは聞くな!」

 正弘は手を翳し、顔を背けた。事情を知らない鋼太郎と透は顔を見合わせているが、静香はにやにやしている。
勢いで付けた可愛らしいペンネームは、時間が経つほど恥ずかしい。正弘は、居たたまれなくなってしまった。
もう少し熟考するべきだった、と正弘はこれ以上ないほど深く後悔したが、本を刷った以上もう手遅れだ。
 百合子は正弘の態度で、漫画のことは言っちゃいけなかったんだっけ、と思い、話題を切り替えることにした。
鋼太郎と透は正弘の様子が気になっていたが、百合子に合わせた。正弘も、しばらく経ってから会話に混じった。
彼らの様子を、静香は少し離れて眺めていた。百合子は快活な笑い声を上げ、弾けた笑顔を振りまいている。
 また、以前の光景が戻ってきた。





 


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